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はてなキーワード: 女性自身とは

2021-07-08

anond:20210708162646

女性自身インタビュー記事にみんなそろって「保身じゃん」ってツッコミいれてて、事情が分かってる人たちはまあいいんだけども…外野からは「県医師会えらい」みたいな印象で決着つくのほんと汚いし仰るとおりここで手止めると思います

2021-07-07

anond:20210707222349

うっせぇな『女性自身だって作ってんのはオッサン達だぞ!

そっちがうっせぇわ! それでも女性が読むなら何の疑問点もねーだろうが!

女性主導の女性誌もあるだろうがよ!

2021-07-02

フェミニスト同士で殺し合いすんのやめんか

フェミニストなんだけどさ


セクシーポスター過剰反応するフェミニストおかしい」 

で終わったらダメだと思うんだけど

どこ向かってんのって思ったら軌道修正しないと


女性蔑視ってまだまだなにも解決してないからさ

これまでの固定観念一朝一夕で変わるとも思ってないか

私は1020年後ちょっとでも変わってたらいいなくらいに思ってるんだけどさ

からフェミニスト同士で殺し合ってこの流れを止めてしまうような事はやめてほしいのよね




私は女性蔑視問題って夫婦別姓が一番分かりやすいと思うんだけどさ

まあ別姓というか

結婚すると問答無用で夫姓になるってのが

一番身近で分かりやすくてディープだと思うのよ


選べんのに選べないのよね

妻の姓にすると不思議がられたりね

でも夫姓になるのを喜ぶレディも沢山いる


まあ喜ぶのはええよ

でも、なんでそうなったんだろう、と

そこよ

この女性蔑視問題そこなのよ


夫姓を選ぶ事とか

リーダーには男性が相応しそうね、とか


めっちゃ普通な事になってるけどそもそもそれ女性蔑視からきてるよね

で、それを女性自身も疑いなく受け入れてるわけやな

これが根深

姓に関しては結婚することのアイコンになってるから受け入れるどころか嬉しいと思うようになったわけやな





公的機関セクシーポスターを使うのは倫理的にどうなん?ってまあ、正直思うけどさ

そういう表面的なやったやらないみたいな話じゃなくてさ

もっと根本的なところをさ

もっかい考えてみてほしいなとフェミニストの私は思うのよ


なんかなんの話してんのか分かんなくなってきたかコンビニ行ってくる

2021-07-01

死者が出るも“批判なし”はてなブックマークを支えるヘビーユーザーの異常

死者最多も“批判なし”吉村知事を支える大阪メディアの異常 | 女性自身

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jisin.jp/domestic/1995826/

吉村知事も、はてなブックマークの連中にだけは言われたくなかろう

1日のはてなブックマーク数が10を越える異常者たちがhagexさんを殺した原因なのにのうのうと反省もせず続けていることが恐怖

anond:20210701141348

そらイメージキラキラ女子やろ

不衛生・危ない(料理に向かない・女性自身の肌や指を傷つける)と思うからきじゃないけど

自分自身の気分上げのために所得関係なくネイルしてるぞ💅

所得が高ければネイルしてないってことは特に無い

2021-06-18

はてなやめるので10000ブクマ見返した+ブクマカの名(迷)言まとめた(7)

anond:20210618210607

社会編2

情けは人のためならず、だが他人に施すためには自分が、そして社会全体が豊かで余裕がなければ。自分社会全体がカツカツで生きてるのに他者を助けることは物理的にも心情的にも無理。だから経済成長は善なのだ。 - id:rider250

ブコメページ - サナギさんツイート: "ここは俺の日記帳 公務員になって最初辞令生活保護ケースワーカーに任命された時はショックだった 地方公務員がやりたがらない業務トップ常連だし、何より生活保護に良いイメージを抱いていなかった 某お笑い芸人の一件も記憶に新しかったし、当時は俺も生活保護バッシング同調していた"

専業主婦じゃなくても、旦那高収入じゃなくても、出産子育てができる環境にならないと少子化なんて改善されるわけがない。 - id:urakenism

ブコメページ - Yoko on Twitter: "違うな。「女性が最も安心して出産子育てができる環境」は、高福祉社会でしょう。 相手男性経済力なんて不安定過ぎる。百歩譲って「その女性自身が経済力があること」かもしれない。 https://t.co/aDpgJVprnP"

女性自己決定権があがると出産率は下がるんじゃないかと思う。だから女性が産みたくないなら産まなくて良いし、それで国が滅びるとしても仕方ない。誰かの犠牲の上に成り立つ社会などなくて良い - id:theatrical

ブコメページ - 子育ては命を削る」女性出産押し付ける人々に、出産育児実体験を持って反論「気絶した」「他人にはおすすめできない」 - Togetter

クチャ食いをマナー違反としない文化は意外と世界メジャーマナー自分を律するもので、他人強要する方が恥ずかしい。 - id:jaguarsan

ブコメページ - 蕎麦の啜り音がクチャラーと一緒…? - Togetter

自分自身にとっては十年前のことだが、この「なぜ自分は働くのだろう?」という問いを強要しつつ、じゃあ働きたくないという答えを許さない、都合の良い答えばかり求める就活というものが大嫌いだ - id:hakyu

ブコメページ - 就活生に送る!就活内定が出ない人の3つの特徴 - paiza開発日誌

欲を持てば足を引っ張られ、夢を語れ馬鹿にされ、やる気を出せば一方的搾取されるこんな世の中じゃ。 - id:inumash

ブコメページ - 正論】「欲ない、夢ない、やる気ない」……現代日本の最大の危機はこの「3Y」にある 作家堺屋太一(1/5ページ) - 産経ニュース

典型的日本人的考え方。完璧から大丈夫として、不測の事態に対する備えをしない。不測の事態想定外から起こること。最低限の備えは常にしなければならない。 - id:sisya

ブコメページ - 那須雪崩:「経験則から慢心…歩行訓練、3教諭決断 - 毎日新聞


続きます: anond:20210618211951

2021-06-11

弱者男性本質的に救うには男女平等を徹底的に推し進めるしかない

弱者男性論はフェミニズムへのカウンターミラーリングからまれ概念で、だからこそカウンターミラーリング以上の社会的意義を持たないし目的もないというのは正しいと思うし、そのカウンターとしての意義すら見失ってしまった「あてがえ論」や「女性教育社会進出制限」などという時代錯誤意見は論外だと思う。

そういった過激思想を取り除いたとしても弱者男性論は結局の所かわいそうランキング向上運動しかなく、弱者であるから優遇されるべきだ、弱者なんだから強者女性)への攻撃正当化されるといった外部への責任転嫁に終止してしまい、その「成果」を得るためにますますかわいそうランキングを向上しようと自身弱者性をアイデンティティにしてしま矛盾に苛まされることになる。だからこそ、弱者男性論に解決すべきイシューはなく救いようはないという意見反論もわかる。

そうは言ってもフェミニズムという性別による差別に戦ってきた先輩の方法論に学び、弱者男性という階層集団発見され名前がつけられたことは意義があったんじゃないだろうか。名前があることで初めて対象考察できるようになる。弱者男性存在を頑なに認めない人もいるが、課題があることを認めることはそれを即時解決しなければいけないことを意味しないし、ましてや解決していないからと咎められることもない。人間できること・やれることには限界がある。まずは「弱者男性」という概念があることだけでも認識されれば十分な気がする。

そんな非モテ弱者男性を本当に救うのは、あてがえ論や女性社会進出制限など女性の権利を押さえつけることではなく男女平等を実現することではないかと思い至ったので簡単に書き下してみる。この増田では上でも書いたとおり特に非モテフォーカスした非モテ弱者男性論について書くので低収入等については考慮しない。一般弱者男性モテの話が切り離せない理由弱者男性論が女性に向けられる理由も同時に書こうと思う。

男女の所得格差

フェミニズムや反女性差別本丸の一つは間違いなく所得格差だろう。具体的な数字もありわかりやすく、女性社会進出指標としてよくあげられる。実際のところ、正規雇用社員において女性所得男性の75%程度に留まると言われており、男性と同一の労働でありながら女性であるからという理由所得格差がもたらされているとすればそれは差別的と言える。

たとえば、統計的女性20代後半から30代の離職率が高いので女性という属性によって雇用を渋ったり昇進を阻んでいるとしたら、それは犯罪率が高いという理由男性保育士雇用を渋るのと同様に差別的だ。

グラフデータはほしい結論仮定して読むと見誤る。女性所得が低いのは女性差別されているからというのは本当だろうか?女性自体が高い所得を望んでいないとしたら?日本女性幸福度男性幸福度に比べて著しく高い。目的手段を取り違えてはならない。大金を手にすることが目的ではなく幸せに生きることが本質的であり金はそのための手段に過ぎない。日本女性は稼ぐ必要に迫られずとも幸せになれるからそもそも稼ぐ必要がないということはないだろうか?逆に男性は「稼がされていて」それゆえに不幸で、女性労働から解放されていて「稼ぐ必要がない」ゆえに幸福なのではないだろうか?

仮に実際に稼ぎたかったとしても女性は稼ぐ努力をしているだろうか?非モテ弱者男性悲鳴を上げているとき真っ先に投げかけられる「モテ努力をしていないのでは?」「だからモテないんだ」という言葉、そのまま返ってくることは考えなかったのだろうか?まさかキラキラ文系キャンパスライフみたいなことをしてなんの学も積まずそれゆえに「パンプスを履かされる」ような労働しか選択肢がないことを差別などといっているのだろうか?低い職業能力しかいか容姿が問われるような目にあっているというぐらいの想像力もないのだろうか?女性性を求めず、責任に伴って高い給与を与えてくれる仕事なんていくらでもある。

シンプルな話として、そんなに稼ぎたいならなぜ女性理系を選ばないのか?少なくとも稼ぎたい女性であれば実際的に稼げる能力やそういったキャリアパス投資すべきだろう。理系修士博士女性の知人友人なら年収1000万程度かそれ以上も珍しくない。

成果物を求められる仕事成果物こそが全てだ。愛想笑いでは機械は動かない。そういった世界では性別なんてものは些末で、結果を出す人間こそが正義だし高い対価も支払われる。なぜそれを目指さないのか?「稼げる努力をしていないのでは?」「だから稼げないんだ」と言われても仕方ないのではないだろうか?

女性性的客体化

フェミニズムや反女性差別文脈で特徴的な表現女性性的客体化や性的消費というものがある。性的客体化はものすごく簡単にいえば「女性をモノとして扱うこと」「女性主体性を認めないこと」である

女性に限らずだが同じ人間人間として認めずモノのように扱うのはまったくもって不当であるし、そういう風景を見るのも不快に感じる。そして女性がそのような人間的でない、男性の性欲を満たすためのモノ扱いを受けるといったシーンは見たり聞いたりする。そういった加害者と戦うべきだ。書くのも嫌だがいわゆる「ヤリ捨て」といった言葉などにもあるように、モテ強者男性女性をモノのように扱うような話は枚挙にいとまがない。ではフェミニスト女性モテ強者男性と戦っているだろうか?

これはトートロジーではあるがモテ強者男性女性モテるのだ。すなわち、なぜかフェミニスト女性は自らを性的客体化するモテ強者男性攻撃しない。それどころかモテ強者男性に群がっているのだ。つまり女性性的客体化を積極的に支持しているのは女性自身という矛盾が生じる。そしてなぜか女性には触れることも会話することも早々にかなわない非モテ弱者男性攻撃するのである

フェミニズム文脈ではこの性的客体化の不自然適用がしばしば行われる。いわゆる二次元女性に対して「これは女性性的客体として扱っており、そのような表象女性の累積的な抑圧経験の強化につながる」と。たしかにこういった表象男性ATMに例えたり年収評価するようなことを公の場で発言することで直接的な男性経済的客体化・モノ化と同様抑圧的かもしれない。

このような過激な言説は一部の極端なフェミニストの行動であり大半の女性はそのような攻撃的なことは行っていないと思うかもしれない。しかし様々な研究で明らかになっている通り女性男性の上位2割程度にしか魅力を感じず、そして魅力を感じない非モテ弱者男性8割についてはその行動の如何に関わらず不快だと感じる。席替え非モテ弱者男性が隣の席になったからと泣く女性がいた場合加害者はどちらだろうか?

このような非モテ弱者男性積極的排斥しようという女性本能欲求が、相手を求める男性の「正(+)の性欲」に対して相手排斥しようとする女性の「負(-)の性欲」と表現されたことは記憶に新しい。

この負の性欲と「女性不快と思ったら加虐」とされるセクハラ性的消費という概念の組み合わせは非常に強く、何をやっても女性不快と思われかねない非モテ弱者男性女性の気分を少しでも害したらセクハラだと指弾され社会的抹殺されかねない。

女性男性に対して身体的に弱いため男性が近くにいると恐怖を感じるという話と同じように、非モテ弱者男性女性から中傷セクハラ指摘ナイフによっていつ刺されるか常に怯えながら生活しているのだ。悪いことに、暴力を振るえば逮捕は免れないが、セクハラ指摘なら非モテ弱者男性社会的に殺してもなんの罪にも問われない。

これが弱者男性論が非モテと不可分であることの理由であるモテの量は女性感情的加虐からの盾であり、非モテであることは女性から加虐を受けることを直接的に意味する。そしてその意味において現代日本男性ほとんどが弱者男性であり、結婚していても「本当に結婚たかった男」にはなれずATMとして扱われたり旦那デスノート罵倒されたり托卵されたりなど被虐される立場にあるのだ。あてがえ論は女性人権制限するという意味でもまったくもって荒唐無稽であるが、同時に弱者男性の救済にも値しない。

男女平等弱者男性を救う

ここまでだらだらとフェミニストの主張や女性差別について考察してきた。端的にまとめると現代日本では一般的に女性理性的に行動ができず本能を抑えることができない野蛮で怠惰状態にあるということが言えるかと思う。そしてそれが非モテ弱者男性という女性加虐される被差別階級を生み出している。

しかしここで短絡的に「だから女が悪いんだ!女はダメなんだ!」と思った方々は少し落ち着いてほしい。これは上記あくまでごくごく僅かな例から一般化した話であり、女性のすべてがそのように振る舞うということを意味しない。今短絡的に怒りに飲みこまれあなたより遥かに理性的で、高い成果を上げ人類に貢献してきた女性はそれこそ星の数ほどいるだろう。すなわち「女性であること」は「理性が弱く本能を抑えることができない野蛮で怠惰状態」の必要条件でも十分条件でもない。つまり弱者男性論に散見される女性叩きではなにも解決しない。そうではなく、現代日本女性がそのような野蛮で怠惰な振る舞いをしてしまいがちな構造的な問題があると考えるべきだ。

そしてその構造問題を解消できれば、女性理性的主体的になり男性同様本能を抑えられるようになることが期待できる。そしてそれは非モテ弱者男性にとって本質的な救いになりうる。

社会男性本能抑制するように要請することで近年の社会秩序の発展と女性地位向上がなされてきたように、女性本能を理性によって抑制できるようになれば女性による非モテ弱者男性への中傷排斥加虐が抑えられ、何度も訴えられてきた非モテ弱者男性の消耗した自尊感情社会とのつながりの回復も期待できるだろう。

では、女性本能を理性で抑制できず野蛮になってしま構造問題とはなんだろうか?おそらくそれは男女の不平等だろう。

男女平等を推進するには

未だに「女性高学歴だと結婚できない」「男性自分より所得の多い女性結婚したがらない」「女性家事愛嬌」といった女性に対する社会的抑圧は残念ながら存在する。そしてこのような女性教育社会進出を推奨せず結婚して扶養されることこそが幸せだという価値観の押しつけは女性教育社会進出を阻害するだけでなく、そういった過程で培われる理性的思考主体性女性から奪ってしまう。同時に女性に「私は社会から抑圧された」という言い訳を与えてしま努力するモチベーションを失わせて堕落させてしまう。こうして本能のままに弱者男性攻撃排除被害者面をしながら強者男性に媚びを売る怠惰女性構造的に発生してしまう。繰り返すが彼女らにその責任はない。構造問題構造的に解消されるべきだ。

ではこれらの慣習を打破し、男女平等を実現して女性理性的になってもらうにはどうしたらよいだろうか。高度化した現代では教育の水準がある程度強く所得に影響しており、経済的事由によって教育を受けるインセンティブを設定できる。すなわち女性が「稼がねば」と自ら思うような状況を生み出すことで、必然高い教育を受け理性が鍛えられ本能抑制できるようになることが期待できる。

ではどうやったら女性が「稼がねば」と思うようになるだろうか?わかりやすいのは婚姻制度にメスをいれることだ。しばしば「女性婚姻制度で楽をしている」「理解のある彼くん」と批判されるように、女性男性収入依存する構造女性怠惰堕落させ社会進出を阻んでいる。ひいては最初に上げた所得格差などを温存する結果となっている。

そのため女性男性収入依存できないようにし、女性自身必死に「稼がねば」と思うように法律修正するのが効果的なはずだ。たとえば

このように、女性男性収入依存するための多くの法律制度存在する。基本的にこれらの法律修正をしたとしても「一人暮らしが二人」の経済状況とは変わらないため、女性がきちんと社会進出労働し稼げている限りにおいて女性が極端に不利になることもないはずだ。にもかかわらずこれだけ「女性男性収入依存せよ」というシグナルが法律にまで入り込んでいるのはグロテスクに感じる。女性社会的制度によって強く婚姻男性依存して堕落することを動機づけられてしまっているのは異常だし、社会活躍たかった・できたはずの多くの女性にとって悲劇と言えるだろう。フェミニストとしても解決したい課題のはずだと思う。

もちろん女性出産に伴うフォローのための法改正も同時に必要になるだろう。これだけは男性にはどうしようもない。1年間の法定産休・育休と休職間中給与保証などの大胆な支援策もあるべきだと思う。フェミニストのいう結果平等はこういった形で強力に推進されるべきだろう。

出産後に男性経済的支援があるならとパートタイム等の責務の軽い・時間の短い仕事に移ってしま女性も多いと聞くが、上記婚姻制度改革によって男性依存を断ち切ることで改善が期待できる。男性のように「働かなければ・キャリアを失ったら死ぬ」という緊張感があれば成長意欲も刺激されるだろうし離職率も下がって「女性は30代になると離職するから」などという理由採用・昇進を渋られることもなくなっていくだろう。

このような先進的な男女平等の実現・婚姻制度解体によって女性男性同様社会に参画し、男性に求められるよう女性も理性によって本能を抑え他者への加虐性を抑制することで、弱者男性は初めて「弱者男性」としてではなく「弱者」として男女平等な救済の道に進めるだろう。弱者男性本質的な救済は男女平等推し進めることにあるはずなのだ

2021-06-06

anond:20210606115252

吟味なんかしない ほんでやり捨てするって趣旨だろ

 

離婚したショック(笑) ワンオペ育児わたし人生って(笑)状態相手なら

可哀想わたしをヨシヨシしてくれたり、わたしを女として扱ってくれたり、

姫として扱ってくれたり、子ども共々養ってくれるなら、

誰でもいいとなりがちってな

そんな全然聞かないって話でも無いと思うわ。割とありふれてる

 

女性自身がしっかりとしたキャリアを持っており、経済的に誰に頼る必要もない状態

子どものために離婚せず頑張ってきたけど自分自身セックスをもう少し楽しむことにしたとかだったら

割とハッピーというかパワフルな話なんだけどね

2021-05-04

弱者男性はなぜフェミクリティカルなのか

弱者男性マッチョイズムから抜け出してきた人たちだと定義できるだろう

弱者男性マッチョイズムから抜け出しているにも関わらず幸福にはなっていない

そうなるとフェミの状況は危機的になる

フェミの主張である女性に対する不当な扱いをやめることで、男性にも利益があるというロジックを組めなくなるから

男性利益とはマッチョイズムを辞められることにあるから

弱者男性はその利益をすでに手にしていて、本当であれば幸せであるはずなのにそうなっていないという矛盾が起きる

フェミは思う、では弱者男性幸せとはなんだろう?と、しか聖人でもないのに人の欲望を聞くという行為は愚かだろう

弱者男性グロテスク欲望を聞き、フェミはどうしようもなくなる

  

フェミはこう思うことにした、弱者男性幸せとは普通生活を行い、普通に暮らすことだと

それであれば女性幸せ釣り合っているし、ロジック的にも問題なくなる

  

思うにこれが一連の流れだと思う

問題点はあるが、フェミ対応を誤らなければ対処可能だと思われる。

対応を誤った場合は、フェミの望む世界は手に入らない。

  

問題

弱者男性マッチョイズムを捨てきれていない

捨てきれていないというのはフェミにとっては歓迎すべきことである

先ほどのロジックがうまくいくからである

しかし捨てきれていないという偽装弱者男性ともいえる存在

弱者男性と同列に扱うかは気を付けた方がいいだろう

基本的には弱者男性からマッチョイズムを見いだせればフェミの勝ちである

  

弱者男性普通暮らし結婚もしたい場合

男性性を放棄している状態でどのようにアプローチ有効かは女性自身の幸せもつながる

なぜなら女性結婚はいつかはしたいわけであるから

フェミ理想世界では男性性は極めて減っている、

そんな世界女性結婚したい相手を見つけることを一緒に考えるのは男女平等的な観点から問題ないはずだ

  

弱者男性が何も望まない(幸せも)

一番の問題ではあるが、放置問題ないだろう

間違っても望まない状態が不幸であるなどと説いたり、挑発行為は控えた方がいいだろう  

anond:20210504034945

ちゃんと書いてくれたんでちゃんと返信するよ。

そもそも弱者問題であって性別で分けて考える必要は無い」というのは認識していて、元の記事でも次のように書いている。便宜上彼らを「ガチ弱者」と呼ぶことにする。

食うに困るくらいならそれはKKO問題ではなく貧困問題だ。

女性で生きるのがつらそうなのはキモくて金のないことではなく、普通に働けないレベルの深刻な病気や障碍を抱えていたり、食うに困るレベル貧困だったり、毒親介護などの事情を抱えていたりという人。

ただそれは男性も一緒

ガチ弱者は、現状の救済策が十分ではないにしろ改善すべき社会問題として認識されている。というのが論旨のひとつめ。

女性だって容姿キモいかキモくないかジャッジされ、嘲笑され不当な扱いを受けてきたと思うけどね(これは個人的経験もあるし一般的にもよくあることだと思う)。昔からあるエンタメ記号で、美人性格が良くてデブスは性格が悪いってのあるじゃん?これってそういう扱いがメジャーだったから浸透したわけでしょ?

これ、実は男性の内心と女性自身の自認で大きく異なる。男性美人をもてはやすが、いわゆる不細工といわれる女性でも生涯の伴侶とするのに抵抗はない。ただそのことを口に出さない。

理由としては、そういうことを口に出すと男性社会での地位マウンティングランキングモテランキング)が落ちるから、あるいは女性をけなした方が女性を獲得しやすいから(恋愛工学)。もちろん、対立した女性悪口としてあえて言うこともある。悪口なので本心ではなく、対立しなければ普通に恋愛関係になれる。

めしネットじゃなくてリアル恋愛あきらめたような弱者男性の声に耳を傾けてみると、彼らは全然女性容姿をけなさないことがわかるんじゃないかな?恋愛あきらめた男性は異性をけなしてモテランキングを上げるモチベーションがないから。

何が言いたいかと言うと、美人ポイントとして加算されるが、不細工は減点にならないということ。いわゆるルッキズム男性の内心とは相違があるということ。これが主旨のふたつめ。

まあ、これはこれまで何度か増田に書いても女性には信じてもらえなかったから、今回もあんまり期待してないけどね。

そして弱者男性の話。

弱者男性はいろいろとフォーカスぶれることもあるが、基本的にはガチ弱者よりもう少しマシな人たちと認識してほしい。彼らは食うに困るほどではないか生活保護をはじめとする社会支援は受けられない。

男性からっていわゆる男らしさを求められがちなところは辛いだろうなと思う。

男の場合、いわゆる男らしさも、キモいことも、金のないことも、同性から評価も、異性から評価も、自分自身から評価も、すべて強く関連していることが最大の生きづらさの原因だ。

高い収入を得る職業に就けば、同性からも異性からも高く評価される。自己肯定感も上がる。金があれば身だしなみもきれいになる。男性の服は女性の服ほど工夫のしがいがなく、高い=かっこいい、なのだユニクロで小ぎれいにしたところで嫌悪感が消えマイナスゼロになるだけで、性的魅力はプラスに転じない。もっと上位の身だしなみが必要だ。

まり収入普通レベルよりも低く生活保護を受けるほどでもない男性は、それだけで「キモい」も「モテない」も「同性からの低評価」も「社会からの低評価」も「自分からの低評価」も必ずセットでついてくるのだ。

女性場合、金がないけど美人とか、不細工だけど家庭的、といった一芸入試的というか複数軸の評価がありえるが、男性はそれがなく一本道ということだ。

そしてこの、中途半端に金がなくて、それゆえにキモくて、それゆえにあらゆる人からまれ努力不足と言われ、的外れアドバイス勝手にされ、無害にも関わらずネット女性攻撃しているとあらぬレッテルを貼られる、社会からまったく同情されない人たちが弱者男性なのだ

これが主旨のみっつめ。

2021-05-03

anond:20210502234641

キモくて金のないおっさんは、女性から視界に入れたくないものとして差別され、弱者救済文脈ではあたか存在しないかのように透明化される。

一方でキモくて金のないおばさんの問題存在しない。

女性に金がないことは異性獲得市場マイナスポイントにならないから。

食うに困るくらいならそれはKKO問題ではなく貧困問題だ。

キモいことも大きな問題ではない。ルッキズム呪いに囚われているのは女性自身の方で、男性理想を高く言うことは多いがその実ストライクゾーンガバガバで大抵の女性ならいける。痴漢被害にあったというのがその証拠だ。

から自称キモくて金のないおばさんはそれだけでは男性ほど生きる足かせにはならない。婚活サービスではスペックで見るしかないので不利かもしれないが、職場趣味で知り合ったのなら全然ある。

女性で生きるのがつらそうなのはキモくて金のないことではなく、普通に働けないレベルの深刻な病気や障碍を抱えていたり、食うに困るレベル貧困だったり、毒親介護などの事情を抱えていたりという人。

ただそれは男性も一緒だし、そのレベルまでいくと改善すべき社会問題として認識されているので、問題が透明化されている弱者男性とは事情全然異なる。

証明終わり。

元増田が、自分属性が異なる他者の苦しみを実感ではなく頭で理解できてそれを言語化できる知性を持っていることは尊敬するし、このような相互理解を一歩進める文章を残してくれたことに男性としてありがたいと思う。その上でさらに一歩進めるために書いたアンサー文章なので、元のエントリー否定してるわけではないです。

2021-04-30

anond:20210430150458

そうだな。

もう一つの書き込みを見ても明らかだけど、ゲリラ戦の域を出ていない。ちゃんと多くの人を巻き込むにはどうするかについて、考えてないんだよな。だからバックラッシュボコボコにやられる(当人達は自覚ないが)

弱者男性、っていう問題提起も、考えようによってはフェミニズムへの動員のチャンスなんだが、ただ殴りまくるだけで敵増やしているだけ。

まー当の女性自身フェミニズムとは距離を置く、という姿勢スタンダードになりつつあるしな。もう過去遺物になっていくんだろう。

2021-04-21

眞子さま結婚前に皇籍離脱か それでも支払われる1億4千万円(女性自身)」

皇族がみじめな暮らしをしてたらかわいそうだろ。

好きで皇族に生まれたわけじゃないし。

退職金一億くらいわたしてやりなさい。

2021-04-11

anond:20210410152243

恋愛結婚は出来ないけど自活は十分できていて余裕がある弱者男性です。そんな状況で「弱者」を自称するのは何故か、を考えたときに思ったのが、自分相手にされない女性自身からの扱いよりも、まだまだ結婚してなきゃ半人前、いい年こいて独身の人は何かおかしい、欠点がある、というような、それ以外の外野人達がとやかく言う空気でどこか生きづらさを感じてしまう点にあるかと思っています

2021-04-06

anond:20210406153748

本当にそう思ってる?今でも、ずっとそこの線引きで戦っている人たちがいるからこその現状なんだが。「女の性は家の所有物」と心底思っている連中が、それで満足するか考えてみるといい。

君が警戒しているのは「女の性は女性自身の所有物」という主張から出てくる話なんだよ。環境に抑圧されずに自己決定できるかということ。それが、保守的価値観と真っ向から対立するのは分かると思う。

で、僕はそこは普通に弱者男性」とすり合わせのできる話だと思うよ。無論、「あてがえ」は女性自己決定侵害するからNG

2021-04-04

anond:20210404113950

その先入観女性自身が持っていてしかもその自覚がない点について、どのように思われます

2021-04-02

anond:20210401175432

わかる。

日本ジェンダーギャップ指数女性自身がそれを望んでいるかどうかに関わらず、女性が重責を負っていない事実のみを示している。

教育を受けている男女比や同一職種賃金は男女同等で、要職に就いている男女比に特にギャップがあるので。

これを是正するには、小学生くらいの女の子が将来の夢としてお花屋さんや保母さんやアイドルをあげたり幸せ結婚人生目標にするのを否定して起業家政治家を目指させる必要がある。

起業家政治家を目指す人が男女同等になっても、実際になれるのは男性ばかりだったときに初めてそこに差別的構造があるのではないかと見直す必要が出てくる。ジェンダーギャップ指数の段階で一足飛びに日本差別社会だと主張するのは論理的思考ができていない。

2021-04-01

芸能人女「コロナ禍で子供のいるお母さんは大変ですよ」

テレビバラエティ番組見てたんだけど、終始”お母さんが”大変としか言わんのなこの人たち。

子育て母親役割だと思ってるの女性自身なんじゃねーのって思った。

2021-03-23

フェミニストアンチフェミ想定問答

想定問答。数字フェミニストで、矢印がアンチフェミ


1)男女は平等であるべき、性別による能力の決めつけは良くない。

→その通り、よくない。

2)たとえば医学部受験問題はひどい女性差別であり許されない

→その通り、許されない

3)女性差別をした医療機関は厳しく罰するべきでは。

病院は深刻な人手不足で、女性医師は中途退職が多いという事情がある。なんでも差別問題にすべきではない。

4)そもそも女性医師早期退職するのは育児支援の不足など働く女性への理解不足が原因。

→違う、仕事よりも育児を選んだのは女性自身。

5)さらには長時間労働など仕事の量と質が男性基準のままだから

→違う、女性がきつい仕事を嫌がっているだけ。

6)そもそも病院管理職女性が少ないのが問題根本

→違う、管理職を嫌がっているのも女性自身。


7)じゃあ女性差別はどうやったらなくなるのか。

女性自身が軽い仕事無責任でいられる地位に甘えているなら、差別がなくなるわけがない。いま男性が多く担っている責任負担女性も背負うべき。






勘違いしている人はいないと思うが、あくまアンチフェミ屁理屈詭弁にだまされないための想定問答。

2021-03-19

一次創作から見たウマ娘フェミニストの方にご理解頂きたい事 の追記

https://anond.hatelabo.jp/20210318200022

この増田について、ブックマークコメントで気になったものに返信させていただきます。(長すぎて切れてしまったので増田を分けることにしました)

 

碧志摩メグの件で不快感を示す海人さん達を叩き、映像研で作者を叩いた人達たくさん居たよね。権利者が言ってるのにそれはないだろうと思う。あと、オタクフェミニストも沢山いるので勝手対立させないでくれ

碧志摩メグさんの件は実はこの件に関して物凄く重要な例だと思っていますナマモノとそうでないもの境界からです。後程詳しく説明します。

映像研の作者さんはこの文章を書く上で念頭に置いていました(具体的には(ここにも例外はあり、明確な基準を出すケースもあります)辺りで)、ただ「叩いた人達たくさん居た」と言うのが自分の印象と異なっていて驚きました。恐らく観測範囲問題だと思うのですが、自分の見える範囲では大部分のオタクに受け入れられていたので自分の中では「一次創作者が基準を出し、受け入れられた例」として記憶していました。

あとオタクフェミニストが居るというのは文章中も書いた、と言うより結論部で強調したはずですが・・・・どういう意図コメントでしょうか・・・・・?

対立しているとも書いていませんし(集団間に信頼関係は無いとは書きましたが・・・・)、互いに信頼関係の無い集団の両方に属する人が居るのは当たり前の事です。

オタクフェミニスト存在するという事実は私の論旨にとっても非常に重要事実です。既に書いた通り、それは二次創作を取り巻く環境特殊性を知っているフェミニストの方が居るという事ですから

 

 

そもそもウマ娘に関しては騒いでる「フェミニスト」というのは最初から存在せず捏造デマ嘘松エア炎上だったで決着してたはずやがこの増田はいったいどこの「フェミニスト」に向かって言ってんのや?

誤解がある気がするので詳しく説明します。私が念頭に置いているのは以下の増田さんの冒頭で引用されているツイートです。(尚、この増田さんの文章フェミニストへの敵意が露わになって居る為、閲覧には注意が必要だと思います。内容としては似通ったことを言って居るかも知れませんが、態度に私は同意出来ません)

https://anond.hatelabo.jp/20210317235416

ここで引用されているツイート主の方は別の所で見た事も有り、フェミニストの方だと認識していますが、それ以前にツイート内で「フェミニスト」と「それに「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と言う人」が登場します。

この文章はこの2つの登場人物集団を想定して書いています

ここで質問なのですが「ウマ娘に関して騒いでる「フェミニスト」」とはどのような人を想定されているのでしょうか?

さっきのツイート主の方の事でしょうか?であれば存在します。そうではなく例えば「ウマ娘自体を(性的であったり、動物女性化しているという理由で)批判しているフェミニスト」という意味であれば、私はそのようなフェミニストの方をそもそも想定していませんし、文章内でも触れていないはずです。(もしそうであれば、どこからそういう発想が出て来たのか良く分からないです・・・・)

私が想定し、理解を求めているのは「オタク二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方です。そうした方の存在は先のツイートで居るのだと認識して書きました。

同様の誤解を与えてしまって居そうな方を挙げます。私の文章が分かり辛く、すみません

 

今のところ私は「ウマ娘を叩くフェミニスト」を見たことないんだが…なんか仮想敵作ってシャドーボクシングする案件増えてないかなあ…。

作品で「エロいから/女性性的消費だから引っ込めろ」的な「いつものフェミニスト」の過激主張ってそんなに大きかったっけ?エア炎上は有ったがまさかソレが既成事実化しててその前提であちこち話が広がってる?

フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。

ウマ娘は「『フェミ炎上させてる』は嘘だった」が知られているし女性にも人気なのでそっとしたいてほしい。オタクは嘘炎上でも構わないから女叩きがしたいんだ、とまとめて敵視されたくもない。テイオかわいいよ

恐らく同様の誤解を与えてしまって居ますね。申し訳ございません。

恐らく想定されているような「ウマ娘を叩くフェミニスト」はこの文章では元々想定していません。あくまで「オタク二次創作者)は一次創作者とフェミニストで態度を変えているじゃないか」と違和感を持つフェミニストの方向けの文章です。

 

一次創作者と二次創作者の信頼関係」に対して、「フェミニストオタク」を当てはめてる意味がわからないんだけど。せめて、「フェミニスト表現者」では? 「オタク」というのはどういう存在なの?

これは実は非常に重要な点です。実は先の元になったツイートで私も良く分からないのがこの点なのです。

ウマ娘における曖昧基準でも受け入れられる暗黙の関係は、ご説明した通り「一次創作者と二次創作者の信頼関係」で成り立つ特殊ものです。

一方でツイート主の方が想定されている「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人の大部分は恐らく一次創作者でも二次創作者でもありません。つまりそこに二次創作特殊事情で成り立つ関係が同様に適用出来るという発想が私には不思議なのです。(そのような意味で、「せめて表現者を想定するべきでは?」という疑問は私も共有します)

ただしこうした関係二次創作特殊事情に依るとそもそも知らなければ、おかしな発想ではありません、そこで私はそのような想定でこの文章を書こうと思った次第です。

また、勿論二次創作者とオタク兼任する人は居ますので、兼任する人だけを想定している、という考えはあり得ると思います。そのような想定も念頭に置いて書いたつもりです。

オタク」については「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」では長過ぎるので、言い換えています。「「どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」とする人」かつ「「ウマ娘エロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めた人」の集合ですね。

 

増田あなたあなた自身二次創作者に向けて「自分作品に」配慮して欲しい旨を伝えたことがあるのだろうか。編集部などではなく自分自身二次創作過激エロを止めて欲しいような事を発言したことが?

私自身は自分作品二次創作自由に遣って頂いて構わないので、そういう発言をした事は無いです。

ただ、自分以外の方の例を見て、発言すれば意図を汲んでもらえそうだなと思う事はあります

あと映像研の作者の方の件は受け入れられた認識だったので(そうではない可能性が出てきましたが・・・)、そこでも一次創作者の意図は組んでもらえそうだと考えていました。

 

上っ面で敵意がないとか言いながら俺らは昵懇なので口出すなって言ってしま無能増田だ。都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼の話じゃなくて社会一般に開いた話をしようね。

対応の差は元々問題と思わないので異論もないが、表現においてOK/NG基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊状態なわけで、部外者にそれを求めるのは無茶かと。オタク差別的な表現非難する時に基準などないでしょ

このお二方は私の文章と同じ趣旨の事を、反論という形で書かれています。つまり誤解を与えてしまって居るという事ですね、申し訳ございません。

私の文章はまさに「社会一般に開いた話」に「都合よく選んだステークホルダ間に閉じたオレオレ信頼」と同じ対応を求めるのは無茶である、と言う趣旨です。

また「表現においてOK/NG基準が暗黙裡に共有されるって相当特殊状態」を「部外者同士(フェミニストオタク)の関係間にも求めるのは無茶」という趣旨です。

本当に重要な事なのですが、「二次創作者と一次創作者」の暗黙の関係の方が特殊で異常なのです。だから社会一般殆ど関係でそれと同様の対応を求めることは出来ないし、「フェミニストオタク」の間にそれを求めるのも不可能、という事なのです。

うーん・・・・これでも分かりにくいかも知れませんね・・・ただこれ以上どう詳しく説明すれば良いのか、苦慮している状態です。表現者としてなっていませんね・・・・。

 

あとは最初に言っておいた碧志摩メグさんの件について書きます

実は碧志摩メグさんの件はこの話で非常に重要論点です。何故かと言うとウマ娘における馬主競走馬達と似た(しか微妙に異なる)立場海女さんの方々が置かれた例だからです。

まず重要なのは碧志摩メグさんはナマモノなのか」という事です。ウマ娘場合、限りなくナマモノに近い、と言うより個人的にはナマモノと言ってしまっていいと思います実在の馬に対し、個体識別できるレベル二次創作を行っています

対して碧志摩メグさんはと言うと、実在海女さんという職業対象にしていますが、個人識別できるレベル二次創作ではありません。海女さんという職業対象にした萌えキャラ化という認識です。

ただし注意しなければならないのは、「職業対象にした萌えキャラ」を全て同等だと考えるのは危険だという事です。

例えば駅乃みちかさんは恐らく鉄道スタッフ対象にした萌えキャラですが、彼女碧志摩メグさんを同等に考えるのは危険です。何故なら海女さんという職業に就く人の少なさに加え、「伊勢志摩」という地域限定もかかっている為、個人識別出来るレベルでないとしても絞られる人数の規模が異なるからです。

私の書いた文章では、まず第一法律レベル尊重されるのは一次創作者の様に作品権利を持っている場合か、ナマモノの様にその人自身肖像権等の権利を持っている場合だと考えていました。

通常、職業対象にした創作について、その職業の方が権利を持つ事はありません(例えば漫画家が「漫画家萌えキャラを描かないで」と言っても効力は有りません)、しかし単純にそれを碧志摩メグさんに適用するのは危険だと私は考えています

これは個人的な考えですが、碧志摩メグさんの例は、一次創作者やナマモノ対象者の様な権利者と、職業萌えキャラの間ぐらいに位置すると考えるべきだと思います

恐らく(素人なので分かりませんが)法律的に海女さん達が碧志摩メグさんに権利を持つ事は無いと思いますしかしだからと言って彼女たちの意志無視するのは倫理的問題がある、というのが私の考えです。

そしてウマ娘ではまさにこうした問題に対する対応が行われています法律的には競走馬馬主の方々やファンの方々はウマ娘について権利は持っていないそうです、しか権利を持っているCygames馬主ファンの方々の意思尊重する姿勢を明確にしています

こうした関係理想的ですし、碧志摩メグさんについても同様の対応がとられていれば良かったのではないか、と考えています

 

 

なんでフェミニストには一次創作者がいない前提なの?沢山いますが。

すみません、そのような前提では書いていません。

フェミニストの方の中にはオタクも、腐女子も、ウマ娘を愛好する人も、ウマ娘二次創作者の現在関係理解肯定する人も、二次創作者も、一次創作者も、その他色々な人が居る、という前提の下書いております

特にフェミニストオタク腐女子二次創作者や一次創作者の方は、私が説明するまでも無く二次創作を取り巻く環境特殊性理解されている、と言う認識で書いております

 

 

フェミニズムに親和的人間もそれぞれの趣味に傾倒するし創作もするよ。そのなかで誰かを傷つける可能性に葛藤も悩みもするよ。だからこそ不誠実な「何がエロかわっかりませ~~ん」に怒るんだよ

フェミニズムに親和的な人も創作する事、存じております。と言うよりも(隠していた訳では無いですが)私自フェミニズムに強く共感している創作者の一人です。

それ故、仰られている葛藤や悩みにも身に覚えがあります

ただ、それ故に「何が不誠実なのか」を論点先取する事には一定の躊躇を覚えます。「エロ」というもの定義困難性や明確化の困難への懸念や警戒を「何がエロかわっかりませ~~ん」へと翻訳することについてもです。

一人の創作者でありかつ創作受け手でもある人間として、「エロ」というものの難しさに向き合うことにも誠実でありたいのです。

「何がエロなのか決めることが難しい」事が本当に不誠実な態度なのか、まずはそこを決め付けずにもう一度詳しく検討したり、議論したりすることが誠実な態度なのではないでしょうか?

 

フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。

この方の後半についてなのですが、ここは私自身の立場がややこしいというか、難しいのですよね。

私自身勿論オタクでもありますが、同時にその「消費」を提供する作者でもある訳です。

創作者側としては、割と好きに消費して欲しいという思いもあり、この件に対しては複雑な心境です。

また私の描いたキャラクター特定属性の消費に繋がるか、という事についても・・・・余り私自身の情報で変な予断を増やしたくないので暈しますが、例えば私が女性で、女性キャラクターを消費し易い形で出したら、そこにはどのような問題が有るでしょうか?

これは女性自身自由表現してよいか、という女性自身自由にも関わる話であり、この議論はそうした様々なパターンを想定した上でなければ(つまり男性女性を消費すると言う様な典型的なケースだけ考えるのでは)意味が無いと思うのです。

しろこうした議論において女性存在こそ無視されてきたというこれまでの状況に強く懸念を覚えるのです。

2021-03-15

anond:20210315121721

バイト先がクソ環境だったのは一旦おいておく。単にかわいそう。

 

ただ自分管理者だった場合従業員におなか痛いと言われたら原因を突き止めようとするだろう。

風邪か? 違う? 食あたりか? 違う? ストレスか? 違うのか? 病院はいったのか? 行く必要が無い? ないことはないだろ?」を延々やった挙句、最終的に女性自身に「生理です」を言わせるのと、どっちがマシなのか。

というのも、自分がそれを(家族相手だが)やったことがあるので。

 

いや、書きながら考えたけど、声のトーンだとか、言い方だとか、そういうのでキモくなさを醸し出していくしかないんだろうな。

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

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