「夜の学校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 夜の学校とは

2024-09-11

誰も居らず、動ている場所が昔から好きだった。

子供の頃、おもちゃ屋さんに行くとスーファミが並べられているのはガラスケースの中で、レジの向こうにはモニターが合ってそこにゲーム映像が延々と流れていた。

もちろんビデオなんかじゃない。実機とつないで、そのソフトのOPを本当に流しているのだ。

俺はそれをじっと眺めているのが大好きだった。そして、この空間自体が好きだった。

よく想像したもんだ。

閉店時間となって従業員も帰った後、モニターの電源だけが入り、誰も居らず黒く染まった広間にゲーム映像けがポッと浮かび上がり昼間同様延々とゲーム映像を流し続ける空間のことを。

こういった光景憧憬を感じ始めたのはいからなのだろうか。

閉園後の遊園地夜の学校、見知らぬビルの中身。

目には入るけど入ったことはない。入れない。入る機会がない。

子供の頃は、そんなところに何か特別な、面白いものがあるんじゃないかって何度もその場に入ることを夢見たものだ。

それはきっと遠く、えらく遠方から不意に聞こえる打ち上げ花火の音のようなもので、俺らはその音を聞いて、のけ者にされるのが嫌で、注目をしていたんだ。

花火の音は合図なのだ。そこに行けば何かがあるというイベントの音。

そして、誰も居なくなった店舗無人遊園地夜の学校、見知らぬビルの中身。

そこから鳴り響く打ち上げ花火の音は、大人になるにつれて聞こえにくくなる。

ここではない、どこかに行きたい願望。

未知は光で、夜が暗いのは、その光を目立つようにするため。

子供の頃、俺たちは当たり前のように知っていたことをおっさんになって忘れてしまう。

俺はそれでも、今でも真夜中の遊園地に憧れている。

2024-07-05

俺の中学で起きた、理科室の密室トリックを聞いてほしい

これは俺が中学の時に実際に起こった事件だ。

当時のことを思い出しながら書いたので、良かったら読んでみてほしい。

✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

俺が中学生だった、ある日のこと。

朝登校すると、校舎の一階にある理科室の前に人だかりができていた。

10数名の野次馬らしき学生と、バケツ雑巾を持った数名の先生たち。

よく見ると、校舎内の廊下の床が濡れている。

野次馬を避けつつ廊下から理科室を覗いてみると、理科室の床も一面水でひどく濡れていた。

水が少し溜まっている箇所さえある。

さらによく見ると、四方の壁が、高さ1メートルくらいの部分まで濡れている。

「何があったんですか?」

俺は先生に聞いてみた。いつも授業を受けている理科先生だ。

「私が朝学校に来たら、理科室の中に水がプールみたいに溜まってたんだ。

扉を開けると一気に水が出てくるから開けるわけにもいかず、バケツで水をかき出して窓から出してたんだよ」

先生は、汗だくになった顔をぬぐいながらそう答えた。

「えっ、なんでそんなことが起きたんですか?」

理科室の中にある蛇口から水が出てたんだよ」

理科室には、実験等で使うため、蛇口と流し台が各テーブルに備え付けてある。

6箇所ある蛇口のうち、1箇所の蛇口から水が出ていたそうだ。

「そうだったんですか。ということは、蛇口が壊れてたんですか?」

「いや、そうではないんだ。水をバケツで汲み出した後、部屋の中に入って蛇口を閉めたんだけど、

ちゃんと水は止まった。何度か開け閉めしたが、壊れた様子はなかったんだ」

「え、じゃあ何が原因なんですか?」

「それなんだよな・・・

先生はため息をついた。

先生によると、蛇口の栓は最大まで開けられて、蛇口から水がすごい勢いで出ていたそうだ。

「じゃあ、誰かが夜に忍び込んで、蛇口を開けたとか?」

「いや、それはない。部屋の入り口の扉の鍵は閉まっていた。窓の鍵も全部閉まっていたんだ」

「え?」

「昨日の鍵閉め担当先生にも聞いたんだが、確かに昨日の夕方理科室の窓が閉まっていることを確認して、

入り口の扉の鍵を閉めたと言っている。」

「ということは、誰かが夜に入ることは?」

「ありえない。蛇口から水が漏れたこともなかったそうだし・・・

先生やれやれと言った調子でため息をついた。

相当参っている様子だ。

「でも私は、これは誰かがイタズラでやったんだと思ってる」

「え、そうなんですか?」

先生は少し確信があるような口調でこう続けた。

理由はいくつかある。一つは入り口の扉の隙間に、雑巾が詰められていたことだ」

雑巾?なんでまた?」

「水が隙間から漏れないようにさ。入り口から水が漏れたら中に水がたまらないだろう?

雑巾は外から詰められていたから、鍵が閉められた後、誰かが詰めたんだろう」

「そんな・・・

「もう一つある。水が出ていた蛇口の流し台。そこの排水溝にも雑巾が詰められていた。

水が流れていかないように、そして水が跳ねて外に出やすいように」

・・・ということは、誰かがやったと?」

「そうとしか思えない。残りの5つの流し台の排水溝は開いていたから、幸いそこから水が流れていき、

それ以上は水がたまらなかったようだが」

かに四方の壁は高さ1メートルくらいしか濡れてない。

「でも、中に入れないのにどうやって蛇口を開けたんですか?」

「分からない。でもきっと方法はあるはずだ。これは意図的に仕組まれものだ」

先生はそう言って床の清掃に戻った。

これ以上話をすることもできず、俺も自分教室に戻った。

教室に戻っても、俺は理科室の事件のことが気になって仕方がない。

授業にも集中できない。

学校が終わり、自宅に帰っても、その事ばかり考えてしまった。

よし、明日になったら先生を捕まえて、その後どうなったか聞いてみよう。

✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

次の日、俺は廊下歩いてる理科先生を見つけた。

早速呼び止め、昨日の事件について聞いてみた。

先生、昨日のこと、何か分かりましたか?」

「うん。推測でしかないが、きっとこれだろうというのは分かったよ」

「えっそうなんですか!?

「まあ断定はできないんだけどね」

そう言って先生説明をし始めた。

「まず気になったのが、蛇口の水の勢いだ。なぜ最大まで栓が開けられていたのか。

すごい勢いで水が出ていたんで、これは何か意味があると思ったんだ」

意味?」

「そうだ。君は学校水道の仕組みを知ってるかい?」

「いや、知りません」

「大抵の学校水道の水は、一旦貯水タンクに貯められ、そこから学校中の蛇口へ給水されているんだ。

この中学校もその仕組みになっている。

貯水タンクは校舎の外の庭の一角にあり、そしてその貯水タンクを調整するバルブもそこにある。

フェンスで囲まれはいるが、校舎内に比べれば簡単に入れるんだ」

「なるほど。そんな仕組みになってるんですね。

でも、それが理科室の蛇口とどう関係があるんですか?」

理科室には鍵がかかっていて入れない。

そもそも校舎にも鍵がかかっているから入るのはさらに困難だ。

でも貯水タンクバルブは校舎の外にあるから、誰でも操作できるのさ。

それに気づいて、昨日貯水タンクバルブを調べた。

すると、バルブが最大まで開けられてたんだ」

「最大に?」

「そう。管理している係の人に聞いたら、普段中間までしか開けてないそうだ。

最大になんて開けたりしないって」

・・・じゃあ誰かが最大にしたんですか?」

「そうだ。では、なぜ給水のバルブを最大にしたか

それは理科室の蛇口から水を出すためだ」

「?」

夜の学校は全ての蛇口は閉まってるだろう?犯人はそこに目をつけたんだ。

学校すべての蛇口の栓が閉まっているのに、たった一つだけ蛇口が開いていたら?」

・・・?」

犯人は夜に理科室の蛇口を開けたんじゃない。元々蛇口は開いていたんだ。

まり、何か蛇口に詰めて、栓をしてから蛇口を開ける。

すると水は止まったままだ。

しかし、貯水タンクバルブを最大にしたら、それ以外の蛇口は閉まっているのだから理科室の蛇口に一気に水圧がかかる。

すると理科室の蛇口の栓が抜けて、水がドバッと流れてくるってわけさ」

・・・!」

「もしそれなら、きっとその栓が理科室に残っているはずだ。

私はそう思って、理科室に戻って探したよ。

昨日みんなで部屋を片付けてた時に捨てたのかもと思い、

ゴミ箱を漁ってみた。するとこれが出てきた」

先生ポケットからそれを取り出した。

コルクだよ。これが蛇口の栓になっていたんだよ」

「これが・・・

「まあ、これも推測にしかならないけどね。

蛇口にこれが詰められていたかどうかは証明できないから。

でも理科室でこんなコルクたことないからね。誰かが詰めたんだろうな」

俺は先生の華麗なる推理唖然としていた。探偵か?

「ただ、コルクだけでは水の勢いに負けてしまうだろう。

そこで私は、理科室に水が溜まっている時に浮かんでいたものを思い返してみた。

すると、雑巾ビニール紐が浮いていたことを思い出した。

かめるためにゴミ箱を見てみると、やはり雑巾ビニール紐があった。

雑巾ビニール・・・・つまりコルクで栓をし、その上から雑巾かぶせ、ビニール紐でくくったんだじゃないかな。

これなら水圧に耐えられる」

なんという隙のない徹底した推理・・・さすが先生だ。

「でもこの犯人、意外と気遣いがすごいんだよ。

理科室の床に実験器具資料を置いてたんだけどね。それらが全てテーブルの上に置かれていたんだよ。

水はテーブル横の流し台の排水から出ていくから、それ以上は水位は上がらない。

から濡れなくて済んだんだよ。

まり、今回の事件被害を受けた物は一つもないんだ。教室は濡れたけど、乾けば元に戻るし。

まあ、椅子だけは水にプカプカ浮いてたけどね」

「ということは、被害がなかったということですか」

「そうだ。物はもちろん、怪我はいない。

人を傷つけない愉快犯、イタズラといったところかな」

「イタズラ・・・そんなことわざわざする人がいるんですね」

先生と話した後、俺はその理科室で授業を受けた。

いつもと変わらない授業風景

理科先生が前で話している。

しかし、生乾きの椅子に座り、しっとりと湿る床に足を置くと、事件が本物であったことが実感として湧き上がる。

ふと、昨日水が出ていた蛇口を見る。

あの蛇口から水が出てたんだよなぁ。

そんなことを思いながら時間は過ぎていった

✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

そして結局犯人は捕まらないまま、

20年以上が経ち、今に至る。

犯人は誰だったのか?

俺はこれを書きながら、一つの仮説を思いついた。

それを聞いてほしい。

一体犯人は誰なのか。

動機は何だったのだろうか。

誰も傷つけず、何も壊さず、ただ理科室に水を溜めた犯人

どこかで聞いたトリックをやってみたのだろうか。

もしくは、自分トリックを思いついたから、試してみたかったのだろうか。

きっと後者だろう。犯人は、自分の発想が正しいか試したかったのだ。

頭で考えた理論を立証する。

中学校ごと使う、壮大な実験だったのだ。

そう、実験

なぜ理科室がターゲットだったのか。

水道のある教室なら、例えば家庭科室もある。

なぜ理科室だったのか?

理科である必要があったのではないか

理科室の入り口の扉には、雑巾が詰められていた。

そのためには、鍵担当先生が扉の鍵を閉めた後に理科室に行き、扉に雑巾を詰める必要がある。

それなら、学校外の人間が校舎に入り理科室に行くのは、相当リスクがあるのではないか

まりその人物は、理科室の前にいてもおかしくない人物なんだ。

その人物は一人しかいない。

先生だ。

これは理科先生が行った、

中学校を使った壮大な理科実験」だったのではないか

そもそもなぜ理科先生がそこまで推理ができるのか、不思議ではないか

都合よくコルクや紐が見つかるのも怪しい。

またトリック学校の仕組みに精通していないとできないし、その実験成功たか現場で見たいはずだ。

・・・いや、何考えてるんだ。

そんなはずがない。

先生は親切でとても良い先生だった。

自分が授業で使う理科室を水浸しにしたくないだろうし、当日の慌てっぷりは本物だった。

馬鹿なことを考えるもんじゃない。

こんな罪の押し付けはもうやめよう。

先生申し訳ない。

先生はそんなことをする人じゃない。

犯人は確かに他にいる。

俺がそれを保証する。

✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

もし今度、同窓会があったら。

そしてもし先生に会えたら。

俺は悪戯心を込めて、こんなことを言ってみるつもりだ。

長年秘めていた隠し事を明かすような顔をしながら。

先生、あの理科室の水道事件、覚えてます?」

「そんなこともあったね。・・・それがどうしたのかい?」

「あの事件犯人は、私です」

2024-04-05

埼玉新聞

最近見出し https://www.saitama-np.co.jp/

埼玉にあったハンバーガーの街、来月5月6日フェス開催予定 じつはハンバーガー日本一業界実力者の地元、店は大人気で遠方から客 フェス地元店はじめ、千葉大阪バーガー専門店も集結へ

男性死亡…自転車に乗ったまま転落 夜の学校付近道路から63センチ下の畑へ落ちる 近くに住む会社員39歳に何が 通行人通報自転車と人が倒れている」…交差点そば、転落した原因は不明

・あきれた24歳、職質され逃走…車を乗り捨て、民家敷地に入って逮捕 じつは他人の「d払い」で買い物、転売し数千万円を得ていた…持っていたスマホは100台超 不正譲渡されたスマホ、30~60代の女性名義だった


1年前の見出し https://web.archive.org/web/20230402025151/https://www.saitama-np.co.jp/

・大変なことになった…農家家宝不思議な石」が隕石登録 国内54番目、県内3例目の「越谷隕石

中学生を鉄パイプで…暴行容疑の暴力団組員3人不起訴に 共犯逮捕の男女8人は家裁送致、一部容疑は不起訴

・原因はシカJR八高線衝突事故、遅れ51分 22時前、竹沢折原駅間を走行中の下り列車 約20人に影響


明らかに冗長になってる

っていうかChatGPTに適当タイトル作らせてんだろこれ

情報の取捨選択出来ない感がすげー生成AI臭い

別にChatGPT使うのはいいけど、ぜんぜん使いこなせてないじゃん

仮にも文筆業だろお前ら

2023-10-29

やっと元彼を吹っ切れた

初めて付き合った元彼音信不通になって早14年。

地元定時制高校に通っていた彼と都心進学校に通っていた私、今思えば無理あるお付き合いだったのだけど、本当に死ぬほど大好きだった。

小学生の頃から5年片思いして、やっとの思いで告白して付き合えたけど、付き合った途端になんだか気まずくなってしまって、半年も経たずに別れた。というか、フェードアウトされた。

きちんと振ってももらえず、ただ連絡が取れなくなって生きてるのか死んでるのかさえわからず、実家を訪ねたら彼の友達怪訝な顔をして出てきて追い払われて、家に帰る道すがら泣きながら連絡先を削除した。

それから何人かの男性とお付き合いをして、大学時代にできた大好きな彼氏結婚もしてすごく幸せだけど、ふとした時に元彼を思い出してはあの時どうしたらよかったんだろう……と考えたりしていた。もう1度やり直したいと言って元彼が突然目の前に現れる夢を見てしまたことも何回かある。

もう一生囚われて生きて行くのかな…と思っていたのだけれど、つい最近やっと、完全に吹っ切ることができた。

きっかけは、自分定時制高校で働くようになったこと。

当時は夜の学校くらいのイメージしかなかった定時制リアルを目の当たりにして、こんな環境生活していたらそりゃ、全日制に通ってる私なんかに興味が湧くわけなかったな〜……とストンと腑に落ちてしまった。

誠実さに欠ける別れ方だったのも、全てに対して無気力で面倒くさがりな生徒たちを見てると、あぁ……と納得するところがあって、もう全然、本当に違う世界で生きてる人だったんだな……と思った途端に、未練とか悔しさみたいなものがスッと消えて、彼に対する感情が無になった。

最初から可能性なんかない関係だったんだな。そもそも手の届く人じゃなかった。

人間としてすごく素敵な人だったのは確かだし、ルックスも好きだったけど、今もし目の前に現れても、彼のことは選ばないだろう。

14年もかかったけど、彼と自分の間にきっぱり線を引けてよかった。

2023-07-27

小学生の頃の夏休みを思い出すゲームを買ってきた

くっそ暑いのでSteam夏休み追体験ゲーム買ってきました。

どんな内容なのかかるーく書いてみます

ストーリー

念願の夏休みだけど両親が忙しくて叔父叔母の家に預けられる事になった小学生主人公

都会ぐらしの主人公にとって、田舎の夏にはワクワクする事がいっぱい。

従姉との再会。大自然との触れ合い。宝探し秘密基地。ひと夏の忘れられないおもいでを30枚の絵日記に残そう!

様々な夏休み体験ミニゲーム除く)

作中にあるミニゲーム形式夏休みの想い出

フラッシュ暗算をひたすら繰り返すゲームになっています。大変だった記憶が蘇る・・・

と言うか釣り昆虫採集です。どうぶつの森と地続きなのかな?ってぐらい多種多様な虫や魚が採れます釣りスキルを強化して海釣りに挑戦して・・・なんかマグロとか釣ってんだけどって笑えちゃう。余った虫魚は研究者に売ってお金になるので本作のメイン金策です。

家事の大変さを学ぶとして叔母さんの洗い物を手伝います。汚れが数値化されていて0ちょうどになるように加減したりして磨いていく。マイナス1以下になると割れちゃうから注意。やったなーって記憶が蘇る。

タイミングよくゲージを止めて相手のメンコを吹っ飛ばす!まるでコロコロコミックのようなノリで展開される笑いと熱血のあるシナリオ駄菓子屋で買えるめんこのコレクション要素も見どころ。

占い師と協力して特殊釣りゲームを行って金色の魚を釣り上げるミニゲームで作中で一番むずかしいか・・・主人公の体力を上げておかないと積むのも面白さの1つ。

近所の高校夏季練習にお邪魔して、小学生ながらマラソンを鍛えて顧問先生に挑戦するミニゲームです。ときメモをなんだか思い出すデキ。

とまぁ、ゲームだけど、懐かしの夏休みを堪能できました。面白かったです。

https://store.steampowered.com/app/1227890/_/?l=japanese

ゲームこちらです。

冬休み版も日本限定で先行発売されたようなので次はそっちを遊びます

2023-07-03

【青ブタ】かえでと花楓に(少しだけ)人生を変えられた話

映画1作目(2019年6月

TVシリーズスルーしてたけど観に来たやで!

……なんかループものの亜種みたいな話なんやな?

シリアスなシーンのはずなのに、この主人公の格好は滅茶苦茶シュールやな…。

オチ、というか「ミクロではなくマクロに働きかける」という最終的な過去改変の方法はなかなか捻りが利いてるな……まあまあ面白かったやで。

映画2作目(2023年6月

1作目は観たけど、前作から4年も経ってるとほぼ忘れてるな…。

この『花楓』って子が今作のメインヒロイン主人公の妹なんか……前作に出てたっけ?

あー、不登校してて学力が足りてなくて、それでもお兄ちゃんと同じ高校に行きたいと。滅茶苦茶勉強してる……健気な子やな…。

……あ、この不穏な電話は、まさか……あああ、そんな……あんなに頑張ったのに……でも、自分不登校経験があるから解るわ……え、2年間記憶を失ってた…? そうやったんか…。

……また電話が…。……え? …いやいやいや、そんなことってある…????? 花楓、それでもお前は…お前ってやつは…。

……こ、このエンドロール曲は……こんなん泣くわ……久保ユリカ凄すぎひん???

TVシリーズ(dアニメストアで)(2023年6月

映画で、自分人生史上かつてないぐらい感情をグチャグチャにされてしまって、映画ストーリーに至るまでの花楓が気になりすぎたのでTVシリーズを履修するやで……。

……え、この子は花楓……じゃなくて『かえで』? あー、日記帳の表紙の名前ひらがなだったのはそういう…。ものすごくリアルな「今どきの女子中学生」だった花楓とは打って変わって、かえでは天真爛漫でお兄ちゃん大好きっ子で、「ザ・ラノベの妹」って感じの子やな…。

あー、いじめが原因で不登校になって、思春期症候群発症して……しかし他のヒロインの「存在認識されなくなる」「同じ日を繰り返す」「二人の自分が同時に存在する」「二人の姿が入れ替わる」という超常的な症状とは違って、花楓/かえでのは(体に突然現れるアザは別にすれば)「別の人格が現れて、それまでの記憶もなくなる」という、現実でも解離性同一性障害として起きそうな症状やな…(性格言動が幼くなってる気もしたけど、知能や一般常識は年相応みたいだし、「幼児退行」とは違うんかな…?)。

……お、かえでのエピソードTVシリーズ最後なんやな。おお、あんなにお家大好きっ子だったかえでが、外に出たい、動物園に行きたい、学校に行きたいと…。咲太が次々と新しい女を家に連れ込んだ(←言い方)のが良い方に影響したんやな…。しかし、咲太もかえでが言うことを絶対に頭ごなしに否定したりせずにちゃんと聞いてくれる、いいお兄ちゃんやな…。

……あああ、家の外に出るだけでそんなに……でも、自分不登校経験があるから解るわ…(2回目)。

…本人の決意と咲太の支えで外には出られるようにはなったけど、やっぱり学校ハードルいか……でも、自分不登校の(略)。

……え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは……洗ってないなすの臭いwww 良かったな、かえで……からの、え、ここは……かえでが行きたがってた…咲太、お前ってやつは…(2回目)。

明日はきっと……って待て待て、この展開はどう考えてもフラグ……あああああ、やっぱり……。かえで……かえで……。

そりゃ咲太も、それまでの40日間(10/16~11/26)必死に頑張ってたのをそばで見てた、そしてそれまでの2年間一緒に過ごして、自分が誰なのかも解らず不安に押しつぶされそうな状況なのに「妹になってくれた」『かえで』のことを思うと喪失感が大きくて、単純に「『花楓』が帰ってきた!」という気持ちにはなれないよな…(父ちゃんはわりとそういう感じだったが……まあ2年間妻の看病のために咲太・かえでとは別居してたし、それはしょうがないのか…)。

……いや、それはわかるけど、病室の『花楓』と父親を置き去りにして雨空の下を走り回るのはちょっと…。『花楓』はわりとあっけらかんとはしてたけど、気がついたら2年経ってるっていうし、自宅も引っ越してて、両親とは別居してて…という状況に戸惑わないわけはないんだからそばに居てやれよ……(という感想自分が持ったのは、映画2作目→TVシリーズという順番で観たからなんだろうな。普通にTVシリーズから観てたら、『かえで』のことはよく知ってるけど、それまで劇中でほとんど描写がなかった『花楓』の方に感情移入することはなかなか無いだろうから…)。

からの、翔子さん。咲太をよしよししてあげるのはいいとして、かえでの日記帳勝手に読み上げるのはどうなんだろう…と思わなくもない。

いやしかし、この日記は泣くわ……。目が覚めたら記憶がなく、自分が誰なのかも解らず、父親も状況を受け止めきれず、母親に至っては心を病んで入院してしまった。そんな状況で唯一、咲太だけは自分のことを認めてくれて、一緒に暮らしてくれた。さっき『かえで』が「妹になってくれた」って書いたけど、それ以上に『かえで』にとっては咲太が「お兄ちゃんになってくれた」ことが救いだったんやろうな…。

そして、『かえで』の最後の日のことまで日記に書かれてる…。動物園夜の学校に行って、翌朝目覚めた『花楓』が筋肉痛を感じるほど肉体的な疲労があったはずなのに、帰宅してから寝るまでの間に日記を書き上げたということは、『かえで』は、これが自分に残された最後時間だということを解ってて、咲太に自分の想いを伝えなければいけないと思って、力を振り絞って……うう……。

翌朝、とりあえず立ち直って再び見舞いに訪れた病室で「退院したら動物園に行くぞ」と『花楓』に言ってしまう咲太さん…。なんか「元カノ面影を今カノに見てる」みたいな…。まあ、ちゃんとしたお別れもできないまま行ってしまたから、気持ちはわからなくもないが…。

からの、麻衣さん。撮影の合間を縫ってわざわざ金沢から駆けつけるという理想彼女ムーブ。…からの、翔子さんの書き置きが見つかって修羅場…。で、怒ってトンボ返りした麻衣さんを追いかけて金沢まで行ってしまう咲太さん……いや、そんなことしとる場合か!!? 言い訳謝罪は後日にして! お前は!! 今は!!! 『花楓』の!!!そばに居てやれ!!!!!(自分麻衣さんというキャラクターに対してそれほど魅力を感じないので、このへんの咲太の行動に対してあまり共感できなかった…)

映画1作目(dアニメストアで)(2023年6月

花楓、登場シーン数は少ないけどちゃんと出てたんやな…(当たり前)。

注目すべきなのは美容院で髪を切るシーン。咲太、お前、もうちょっと感慨とかないんか…? 髪型が変わって、またひとつ『かえで』の面影が薄くなってしまうシーンやぞ…。(まあ「TVシリーズの続き」ではなく「1本の映画」として考えると、本筋とは関係ないそういう描写を入れるとブレるからしょうがないのかもしれんが…)

しかし、髪を切ったあとの「ど、どう…? 調子に乗ってるように見えない…?」というセリフいじめに遭ってた花楓の過去を考えると結構重いセリフではあるよな…。

映画2作目(2回目)(2023年7月

青春ブタ野郎アニマルランドの夢を見る(映画2作目の来場者特典小説)(2023年7月

1回目に観に行ってもらってたやつ。……あああ、これこれ! このエピソードが読みたかった!! 咲太と花楓(と麻衣豊浜)が動物園に行くやつ!!!

行ったのは映画2作目のあと、3月ということだけど……まあ、そう簡単に『かえで』のことを忘れられるわけはないよな、咲太…。一方で、いつまでも『かえで』の面影を『花楓』の中に見てしまうのは、『花楓』に対してどうなんだ…?と思わなくもないし……う~ん……。

かえでと花楓に(少しだけ)人生を変えられた←イマココ

最近はずっと、かえでと花楓のことを時折考えて、そのたびに泣きそうになってしまう…。これは『かえで』ときれいな形でお別れができなくて、咲太も未だに未練があって、でも『花楓』を受け入れていないわけではなくて……という複雑な心情が続いていて、(少なくともアニメで描かれた範囲では)解決していないからだと思う。咲太、お前、『花楓』を動物園に誘ったのは、もしかしたらそれをきっかけに『かえで』が帰ってくるかも…という期待が、ほんの僅かでもあったんじゃないのか……?

かえでと花楓、2人が(何らかの形で)直接会うことができれば、一番いいわだかまりの解消になると思うんだけど……まだアニメ化されてない原作小説にそういう展開があったりしないのかな……と気になって、Kindleで全巻ポチってしまった(まだ読んでないけど)。今まで電子書籍ってほとんど買ったことなかったんですよ…。

それだけじゃなくて、コミカライズ版、BD全巻、OPEDサントラCD、前売り券の特典についてたグッズ、劇場販売グッズ、予約受付中の花楓のフィギュア……この数日間で一体何万円を使ったただろうか? でも後悔なんてしてない、するわけがない。

特定アニメ作品にハマったことは何回もあったけど、あるキャラクター実在人物のように感じたのは初めて。

今はそう……藤沢に行きたい。かえでが生きた、花楓が生きてる街の空気を感じてみたい。それと上野動物園に行って、洗ってないなすの臭いを嗅ぎたい。

今まで「聖地巡礼」って「ふーん、世の中には物好きな人がいるんやな」くらいの冷めた感じで見てたけど、こういう気持ちやったんやな…。

……薄給だし、休みあんまり取れないけど……。…新幹線で片道○時間切符代が×万円…。日帰りだと流石にしんどいので1泊…いや、2泊…。となると宿泊費も…。

それを捻出するためには、今の支出見直して…。買うだけ買って積むだけだった漫画書籍Steam、利用頻度の少ないサブスク

それほど興味がなくてもわりと頻繁に行ってた映画……いや、でも青ブタ出会えたのはそのおかげだし…うーん……。


それと、かえでと花楓があんなに頑張ったんだから自分ももう少し頑張って、今のただれた生活をなんとかしなきゃな…と思っている(部屋めっちゃ汚いんです…)。

(おしまい)

 

2018-06-14

定時制高校卒業して十数年経った

高校には色んな人がいた。

さまざまな年齢、さまざまな国籍性的マイノリティ、元引きこもりオタクヤンキー

心や、身体や、環境に、なんらかのハンデを抱えた人々が、夜の学校へ一堂に会して同じ勉強をする。

そんな不思議場所卒業して十数年経った。

卒業してから今までも、私は私なりに数奇な人生を歩んできたと思っているのだけど、未だに高校に在籍していた時期の色々な思い出が強烈で、よく夢に見る。

ただ学校勉強に馴染めなかっただけで、頭の良い人もたくさんいたのだ。

いったい彼らは今どこで何をしているのだろう?

あの不思議場所を礎に、どんな人生を歩んでいるのだろう?

2017-05-19

長い夢を見た

年のころ10ぐらいの少年だろうか。頼りなく優顔の少年は通う学園で新しく転校してきた少女出会う。

少女カールした癖っ毛の金髪で、高潔さに足が映えて立っている様な雰囲気を携えていた。

人目で心を揺り動かされた少年は、金髪少女へと好意吐露する。

期待もせず、衝動的に行われた告白は、期せずして、少女の関心を得て、了承を得ることとなった。

恋人となって最初放課後少年は、金髪少女プレゼントとして緊縛される。

手足を縛られ目を隠され、闇の中で背中をけり倒された少年は、這いつくばれと少女に命じられ頭が割れそうなほどに踏みにじられながら、これでこそ望んでいた少女の姿だと自分の心を悟り、知らずズボンの中で精通果たしていた。

彼女に虐められ、束縛され、ご主人様と慕い奉仕する少年は、ある日少女夜の学校に来るように言われる。

指定された時間指定された場所へと訪れると、少年は、暗い校舎の中で一つだけ明るい校長室の僅かに空いた扉の隙間から、その中で、金髪少女校長に抱かれている姿を見る。

薄汚い笑い顔で愉悦する校長に、少女は媚びるような声で腰を動かしていた。

豚のように快感の喘ぎ声を出す校長言葉から少女孤児校長の妾役として学園に通っていることを知る。

その光景から目を離せずにへたり込んでいた少年は、行為の一切が終わって扉へと近づいてきた裸体の少女に、冷ややかな目で見降ろされる。

「幻滅したかい?」と言う少女少年咄嗟に首を振った。

少女に見捨てられることを恐れたのか、同乗したのか、それとも自身になおも冷ややかな目を向ける少女に一切の幻滅が消えたのか、少年には判別がつかなかったが、少女はむしろ当たり前のように頷いた。

月日が経ち、学園を卒業を間近となっていた。

校長室で変わりもなく少女を抱き、彼女の僅かながら柔らかくなってきた体と離れることを惜しむ校長に、

「惜しむ必要はありませんよ」と少女は笑い、校長背中に熱さを感じる。

隠れていた少年背中包丁を突き立てていた。激痛に顔を歪め慌てる校長の、その首筋に少女作業のように長い刃物差し込んだ。鍔の根元まで刃をえぐり入れて、少女は媚びた笑顔を落とし冷たい視線へと戻る。

陰茎を袋ごと切除して、

「私が毎日舐めてたものだ、いるかい?」と言う少女に、少年

「どうせすぐに大人に取られます」と頭を振った。

 

 

 

少年期の殺人犯として、裁判を経ずに二人は似たような囚人が集まる拘狗牢へと入れられる。

獄卒への奉仕を拒んだ金髪少女は、独房へと入れられ、外部と一切の遮断をされてしまう。

どうにか少女と、再開するかを考える少年は、一人の少女出会う。

監獄ですら表情に幼さの長い黒髪少女は、少年牢獄自分の望みを自由に叶える方法を教えると誘い込む。

その引き換えとして、少年黒髪少女を抱く。少年にとって初めての性交だった。

性交の後、少年黒髪少女から彼女の服を分け与えられる。

言われるままに少女の服へと着替えると、優男で細身の体故に、少年一見して面貌の整った少女のような風体になっていた。

そのまま生活を送る中で、元から控え目で、気後れした性格故に、気弱な少女のように見えた女装少年は、看守に襲われる。

背中から押さえつけられ、尻の穴を犯された少年は、痛みと圧迫の中で快感に満たされて、何度も射精していた。

意図を察した少年は、黒髪少女の元へと訪れて、軽く非難をする。しかし、誑し込むのが一番手っ取り早いという少女言葉に、少年も頷く。

黒髪少女に、少年は一人の女性を紹介される。

長身で、栗色の髪をボブカットをした女性一見にしても美人で、少年は見惚れてしまいそうになる。

少年の体を抱きしめた栗色の髪の女性は、少年アヌスをいじり、自らの股間に生えている男性器を見せつける。

女装した男娼の先輩として、栗色の髪の人は、少年アヌスへと陰茎を挿入し、その奉仕の仕方を教え込んでいく。

黒髪少女衣服と交換に性交を重ね。

先輩に気持ちよさを教え込まれ

客の囚人や看守に、薬を打たれて、死ぬような快感の中で精液を注ぎ込まれる。

少年は、快楽の中で、頭を呆然としていく。

 

 

 

独房の中で、夜も朝も分からず、何度目の睡眠かすらも数えなくなっていた金髪少女は、分厚い鉄製の扉が開く音に気が付いた。

期待もせずに見た入り口からは、記憶の中でも、もはやあやふやになっていた少年の姿を見つけた。

一瞬の幻覚を疑い、現実だと悟った金髪少女は、すぐに蒙昧としていた意識を取り戻した。

看守とつてを作り、体と引き換えにさまざまに要望を聞いてもらえるようになった少年は、ようやくの段階で、独房少女と面会できるようになっていた。

しかし、その金髪少女は、天井からベストのような包みでくるまれて面され、その四肢は根元十センチほどで切断されて丸く縫い付けられていた。

逃げないようにと、暴れないようにと、彼女を性のはけ口とする看守に対する配慮だった。少年は、そういう性のはけ口の分け前をもらうという形で、少女の部屋へと訪れることを許されたのではあった。

少年を見止めた金髪少女は、その瞳を見つめた。喋れないように轡をされた少女は、なにも伝えようともしなかった。

ただ、少年を見つめて、小便を漏らし始めた。

少年は、その滴る小水を浴びて、口に受けた。

それで二人には充分だった。

それから監獄の中で権力者たぶらかしていった少年は、刑期を大幅に短くして、金髪少女とともに拘狗牢を出所していくことになる。

両親もなく、寄る辺もなく、四肢もない金髪少女は、弱り切った肉体もあって、そのまま病院へと入院することになった。

それは監獄大人たちの最後の両親でもあったのだが。

 

出所から数日もしない、晴れの日、少年は両親へと電話をかけていた。

心配しないで欲しい。すぐ戻るから。ちゃんと元気でやっている。と電話口で笑顔で伝える。

電話の向こう側からは、金をどこにやったという男性の怒号と、女性悲鳴が聞こえてくる。その音を聞きながら少年笑顔電話を切った。

満載のリュックサックと、鉈を持った少年は、病院への道を洋々歩き出す。

 

慌て蓋める医者たちと、悲鳴を喚き散らして右往左往する看護婦たち、警報が鳴り響き、大人の影が行きかっていく。

そのころには既に、自分で動けない金髪少女を抱えて少年は山の雑木林の中を登っていた。

これから二人で生きていくのだと少年は言って、ようやく自由になったと少女は言った。

 

 

 

幾日か幾月か経った山小屋で、飢えて死んだ少年四肢のない少女遺体が見つかった。

と言うところで、胸糞が悪くなって目が覚めた。

2017-01-20

[]

今回はガンガンオンライン

青春Re:トライ Re:10

視点で同じ時間軸を描くのか。

樹側のテーマが新たな視点による気づきに対し、遥側のテーマは行動することの重要性ってのは一貫していて、今回もそうだったね。

ただ、まあ時間軸が同じこともあって、わざわざ別の話として描くよりは、平行して描けばいいんじゃないかなあとも思わなくはないが。

ただ、ラストの展開はちょっと不意打ちだったなあ。

確かに伏線はあったか考察する余地はあったんだけれども、このタイムリープ兄弟にとって重要意味を持つと思っていたから、そういう可能性は無意識に追いやってた。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!109

夜の学校とかもそうだけれども、今回みたいないつもと違う状況で過ごす学校の、独特の雰囲気って楽しいよね。

個人的にニクい演出は、本を通じて発生した奇妙な縁かな。

それが間接的に繋がって、他人話題主人公名前とか挙がっていると不思議気持ちになる。

その普段ではありえない特別空気がそうさせるのか、もこっちが苦手なタイプ人間言葉で思わず笑うシーンとかが象徴的に見えた。

なんかいいなあ、こういうの。

毒っ気というか悲愴感が恋しくはあるけれども。

あと、大したことじゃないんだけれども、登校時にマスク着けている生徒と着けていない生徒がいて、その微妙な違いが無駄に気になった。

ななしのアステリズム 第21話

ちょっと驚いた。

そんな言語化が難しい感情も描いていくのか。

人が持つ感情には表面的には同じであっても様々な側面がある。

「好き」ってのは、その側面が特にクローズアップされやすいよね。

昴は自身他人の持つ側面がないのに、その側面に自分が引きこまれたような感覚が嫌だったわけだ。

ざっくり言えば、他人物差し人格を測られるのが嫌だってことなのかもしれない。

恭介はその感情一般化しようと試みるんだけれども昴はピンとこなくて、そもそも無意義だともとれる。

このあたりを踏まえると、「他人による人格形成安易カテゴライズ拒否」だと私は解釈した。

まあ、確かに多くの人が自分自身でもよく分かっていない側面というものは大なり小なり存在していて、どうしてもそれを明瞭にする必要があるかといわれれば何とも言えないのだけれども、その状態では少なくとも他人にそれを決められたくないだろうね。

このあたりの人格に明確な言語化や是非を決めないっていうのは、複雑な思いが錯綜する本作を読み込む上で、かなり重要テーマかもしれないなあ。

ただ、そこをフワフワさせた状態のまま話を進められることが、物語スムーズに消化したい人にとってはヤキモキする要因にもなりそうだけれども。

2016-12-10

[]

今回はコミックウォーカー

ススメ! 栃木部 第11

素人参加番組ローカル花形だね。

老若男女、玉石混合っぷりが凄まじいが、それ含めての楽しさというのもあるのかも。

あと、訛りに客観的自覚がないネタは、栃木だけじゃなくて割と共通かもしれない。

というか、訛りって喋るとき無意識に出るようなものから、作中のは極端ではあっても、訛りに対してそこまで自覚がないってのは大なり小なりあると思う。

その地域生活していれば、そこでの訛りは実質「標準語」といえなくもないしね。

そして番組本番、クオリティは出場者によって全然違ってピンキリながらも、平均的なレベルと出場者の年齢層からいけると踏む。

だが、ジョーカー出現で意気消沈、と。

どこまで意図的に、かつそれが功を奏するかなんてこと分からないが、目標を掲げるなら多少のクレバーさはあったほうがいいだろうね。

漫画とか、フィクション全般においてもいえることだけどね。

私は漫画に限らず創作において、そういう利己的な手法のもの否定しない(支持もしないけれども)。

賢者の孫 第8話その1

なんか、元からそうだったけれども「主人公スペック披露目会」みたいな様相を呈してきたな。

どれだけ主人公がすごい発想とすごい魔法を使えるかをつらつらと。

私が中学生のころ、TRPGキャラの設定とステータスとかを練りこむだけの遊びを仲間とやっていたけれども、要はそれにちょっと物語付与しているだけだよね、今のところ。

そりゃあ、キャラの設定とかスペックとか書いているとき楽しいし、それを読者も疑似体験できるという意味でナシではないとは思うけれども。

メガロポリスノックダウン GAME-06

今回はちょっと特殊演出表現をしてきたなあ。

意図的現実ゲーム世界をごちゃ混ぜにしている。

客観的に見れば危うさがあるんだけれども、あくまで全体的なノリは楽しく描かれているんだよね。

どうでもいいけれども、ゲーム脳って私はてっきり現実ゲーム的なもの見方をする人を指すと思ってんだたけれども違うんだね。

ディーふらぐ! 88話

勝負の内容もよく分からんが、その後の物言い展開のほうが本番ってのがすごいな。

巨乳同士の(物理的)なぶつかり合い」という胸躍る展開にも関わらず、その後の物理的に過剰なインパクトと、物言い展開のハイテンションぶりでエロティシズムがまるでないのもすごいな。

そういえば、以前の夜の学校エピソード懐中電灯を胸の上に乗せるとかいう、たわわチャレンジじみたことを「月曜日のたわわ」が世に出るずっと前からやっている位、この漫画巨乳の扱いってバカバカしいんだよね。

そして相変わらずモブ出張る。

外野外野」って、それ完全に無関係の人じゃねえかって言っちゃダメなんだろうなあ。

というか、当たり前のように受け入れられているけど、「外野外野」って文言おかしいけれども。

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論(中編)

さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。

例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。

同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校プールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。

溺れて必死主人公にしがみつきビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通女の子であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインうつむき押し黙るといった、つまり普通女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。

多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会前後主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である

最後見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロイン毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロイン毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。

余談

念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線クライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。

関係構築のための行為類型の整理

ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公ヒロイン恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効機能する。

さて、関係構築とは主人公ヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。

秘密の共有

遭遇の類型として「秘密漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。

秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合プライバシー同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去トラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意コントロールできるという点で優れている。

こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。

観察による発見

涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公ヒロイン友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロイン主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロイン主人公評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公ヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。

余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力である主人公必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこから作戦演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。

共通点の発覚

秘密漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入共感を誘う要素と言っていいだろう。

親切

素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由けが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。

これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公ヒロインコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。

呼称の変化

相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロイン名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。

なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。

依頼に対する承諾

一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。

一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロイン主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。

こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。

例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロイン主人公仕事を依頼し、主人公成功し続け、それをもってヒロイン主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロイン主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロイン主人公失望することは一度としてなく、最後ヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討範囲である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。

依頼に対する拒否

AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公ヒロインからスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。

この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。

好意の表明

単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。

相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。

救助と自己犠牲

窮地に陥ったヒロイン主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。

例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐ものであった。

他方で『俺の彼女幼なじみ修羅場過ぎる』におけるチンピラ侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロイン主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。

その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。

その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意ほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。

禁書』では記憶喪失し、『AURA』では中二病世間露出し、『俺妹』では自分変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分過去未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。

後編へ続く

2010-12-01

二次元に行く方法考えたwwwwwwwwwwwwww

まず最初にwwwwwwwwwwwwwww

====

まず最初に、ごめんなさい。

私もその方法はわかりません。

あなた純粋な心を傷つけてしまったのであれば心から謝ります。本当にごめんなさい。

このタイトルを見て続きを読んでくれたあなたにお聞きしたいことがあって、こんなタイトルしました

しまだ続きを読んでくれている人がいるのなら、少し私の話を聞いてほしい

私はアニメ漫画が大好きで、小さな頃からそれらに触れて育った。

気が付けばお話キャラクターに強い感情を持つようになって、思春期はぜんぶ彼ら彼女らとともに過ごしたように思う。

その頃私の世界は本の中やテレビの中にあって、たぶん他にはなにもいらなかった。他人とも話さず、ただただ自分の中にいる彼ら彼女らと共にいられればそれでよかった。その気持ちは今でも覚えてる。

でも時間が経って、私もいつしか仕事に就き、人並みの分別を持つようになった(本当はまだそんなもの持っていないのかもしれないけど)。

彼ら彼女らがどこを探しても、どんなに夜の町に繰り出しても現れないことも知った。

学校中庭で一人ご飯を食べていても図書室のどの席を見ても行っても夜の学校に忍び込んでも遠い地へ旅行へ行ってもクリスマスの夜にツリーの下で待っていても同じ本を読んでも同じように紅茶を淹れるようになっても同じようにジンジャークッキーを作っても同じようにテトラポッドの上を歩いても、なにをしようと私の大好きな人たちは現れなかった。

話が変わるけど、社会に出てからはどんな生き方をしてもそれが他人に干渉をしない限り、その人の生き方として捉えてもらえた。よく言えば自分生き方迫害されることも否定されることもなかった。おそらく私はとても恵まれた環境にいたんじゃないかと思う。

時折私の心は『果たしてこのままでいいのか』と迷うこともあったけど、依然として私の気持ちは心の中にいる彼ら彼女らに向けられていた。

私はその頃には、自分はいしかアニメ漫画を楽しみつつ、現実世界にも大事な人のいる一人の人間”になっているのだろうと想像していた。

今まで私を支えてきてくれた彼ら彼女らに対する背徳心をとても強く感じていたが、それが普通で、それを越えてみんな生きているのだと思ってた。

でもここ最近のことだ。

私は連休を利用して実家に帰り、久しぶりに学生時代と同じ曲を聴き、あの幸福感に満たされていた時代を過ごした道を同じように歩いてみた。

それはすごく楽しくて、やっぱり彼ら彼女らが私にとってとても大事で愛しい人だということを再確認した

それで、その人たち以上に私を支えてくれた人がいないことも本当の意味で思い知った。

彼ら彼女らは思春期の私とずっと共にいて、辛いことがあれば元気をくれ、本当に数え切れないほどの楽しいことをくれた。私の半身みたいなものだった。

途端にそれまで自分が築き上げた人間関係だとか打算的な関係の異性が、そんなものを必死になって築いた自分が嫌になった。

私が本当にほしかったのは私を支えてくれていた彼ら彼女らで、その別のなにかじゃない。

もともとこんなものはいらなかった。

なんで私はこんなものを抱えて生きているんだ。

なんであの人たちはいないのに、彼ら彼女らのお話はあの最後のページをめくった瞬間に終わりを迎えていたはずなのに、なんで私はまだここにいるんだ。

彼ら彼女らのお話は終わって、どうして私の話だけはまだ終わってないんだ、おかしいでしょ。

今は、その気持ちだけがずっと胸の中にある。

あの人たちはやっぱりここにはいなくて、私の気持ちも誰かが作ったサブカルチャーの上で踊っているだけのものだということも理解しているつもり。

でも私の心は長年の間もう彼ら彼女らの存在を在るものだとして捉えてしまっているし、今さら彼ら彼女らの存在を否定する気もない。彼ら彼女らは確かに私の中にいる。笑われるだろうけど、私の中ではいる(ゆのAAの『お前がそう思うんならそうなんだろう』と同じです)。

だから、彼らが現実世界にいないのがつらい。

あと数十年、この葛藤に悩まされながら生きていけるほど私は強くない。

ここまで書いてなんだけど、私自身なにが問いたいかいまいちよくわかってない。

みんな最後にはこんな場所に辿りついているのか。

だとしたら、なんでまだ生きていられるのか、それを教えてください。

最後には結局一人になって、胸が張り裂けそうになって叫びだした衝動に駆られても、それでも寿命だけはまだまだ残ってる。

考えても考えても私には今日までわからなかった。少しでも知っている人がいるならお願いだから教えてください。お願いします

追記:長文だから『続きを読む』が入れたかったんだけど、よくやりかたがわからなかった。

目ざわりな方もおられると思う。ごめん。試してみてもできなかったので、間違ってるところのご指摘いただけるとありがたい

2010-05-04

ピンクフロイド夜の学校

ピンクフロイド夜の学校

マーク・エドマンドソン   (ほんやく、増田

http://www.nytimes.com/2010/05/02/opinion/02edmundson.html?scp=2&sq=pink%20floyd&st=cse

「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」

卒業を間近にしたバーモント田舎大学で、少なくとも十数人のクラスメイトに、私はこの質問を聞いてまわった。友人たちの答えに、私はとても安心した。特に何もないさ。羽根をのばすんだ。ぶらぶらするかな。考えたいことが色々ある。まずはゆっくりするよ。1974年だった。誰もが、そういう風に話すのが当たり前の時代だった。

実際のところは、友人たちは本当のことを教えてくれなかったのだ。見方によっては、とんでもない嘘をつかれた、とさえいえるかもしれない。卒業式の日までに、同級生のほとんどは、ロースクール大学院に進んだり、ニューヨークサンフランシスコで、クールで貴重なインターンシップをはじめることがわかった。

でも、私の場合は、本当にゆっくりすることにした。5年のあいだ、私はあちらこちらを点々として、何もしなかった。正確には、どうしても必要だったとき以外、できるだけ、何もしなかった。タクシーの運転手、映画フリークコロラドの山男、バーモントにあったクレージーヒッピー学校の教師、映画館支配人(これは、ほとんど仕事がなかった)、船の乗組員、ディスコドアマン、そんなことをやっていた。

そのなかでも、ジャージー・シティの音楽プロダクションでやったステージクルー仕事が、一番思い出深い。職場ルーズベルトスタジアム、芝生席もいれると6万人を収容する、古い、化け物みたいな箱だった。トラックからアンプを引っぱりだし、ステージに設置する。6時間かそこらしたら、トラックに戻す。これを私は、グレイトフルデッドアリス・クーパーオールマン・ブラザーズのライブでくりかえした。クロスビー・スティルズ・ナッシュステージは、ちょうど、ニクソン大統領を辞めた日の夜だったのを覚えている。けれども、私にとって、一番思い出深い仕事での一番の思い出は、ピンクフロイドが出演した夜に起きた。

ピンクフロイドは、サウンドに相当のクオリティを求めていた。ステージ上のアンプは、縦にも横にも、周囲を威圧するほど積みあがり、パリ・コミューンバリケードのようだった。それだけでなく、スタジアムの高い位置3か所にも、ピンクフロイドアンプを集めて設置するよう要求した。それで、私は午前中ずっと、オンボロスタジアム階段で、どでかい木製のアンプやら配線機材を運びつづけた。

仕事はもうひとつあった。パラシュートの形をした絹製の白いキャノピーが、ピンクフロイドステージには必要だった。設置には6時間かかった。私たちが聞いたところでは、キャノピーを使うのははじめてで、ピンク側のスタッフも、どうしたらいいかよくわかっていなかった。設計図らしきものはあったが、あまり役にたたなかった。だが、「アメリカの知恵」をもってして、キャノピーはなんとか屋根の形に膨らんでくれた。「アメリカの知恵」とは、つまり、ロープをあちらこちらにひっぱったり、手当たり次第に結んでみたりした、ということである。

ピンクフロイドライブは夜10時にはじまった。ところが、私たちが死にそうになりながら運んだアンプからは音が出なかった。たくさんの人がアンプの上に座ったか、蹴ったか、配線を切ったかしたのだろう。アンプのタワーが沈黙をつづけるなか、ピンク自分たちの仕事をし、観客は公演の終わりでライターに火をつけた。そして、私たちは、3時間かけてアンプをバラして、トラックに戻した。階段上に残ったアンプは、私たちが作業を拒否したので、お互いをいくらか罵ったのち、ピンクスタッフが回収した。

あらためていうと、ツアースタッフステージクルーの間には、ほとんどの場合、何らかの対立があったのだ。あるとき、たしかクイーンライブだったと思うけれど、クイーン側のスタッフ5人と私たちのクルー十数人が殴り合いになった。すると、騒ぎを聞いて駆けつけたセキュリティまで、喧嘩にくわわった。だいたい、バイカーギャングだったり、空手黒帯だったり、そういう連中だ。ツアースタッフの方はそれなりにがんばったけれど、ついに勝てないとが分かったらしい。ひとりが、シャンパンをケースごと持ってきて、回し飲みをはじめた。それで、みなが酔っぱらい、幸福感にひたった。

ピンク側のツアーマネージャーは、キャノピーをそっと降ろして、きちんとたたみ、元の木の箱に戻すよう求めた。しかし、キャノピーにはヘリウムガスがたっぷり詰まっていたし、さらに栓がどこにあるのか、誰にもわからないことが問題だった。また、キャノピーをステージに固定した際、私たちがあらゆるところを馬鹿丁寧にきっちり結んだおかげで、それをほどこうとしたら、水夫たちの集団だって頭をかかえたに違いない。誰もが疲れていた。酒を飲んだ人間は、使い物にならなくなった。そして、もう朝4時になっていて、家に帰るべき時間だったのだ。

空飛ぶ枕をどうやって片付けるか、みなで作戦を練るうちに1時間が過ぎた。だんだん大学ゼミのようになってきた。そこに、私たちステージクルーチーフジムが登場する。ジムは、私たちはジンボーと呼んでいたのだけれど、お人好しのバイキングの親玉のような人で、どんなときも、何があろうとクルーを擁護した。ギターケースを落っことした私を怒鳴りつけるスティービー・ニックスに、エドマンドソンに怒鳴る権利があるのは俺だけだと、大声で抗議してくれたこともある。そして、ピンクフロイド屋根事件のときも、ジンボーは危機的状況で自分がいつも期待されていることをした。つまり、行動を起こしたのだ。

ジンボーはステージのすみに忍びより、ポケットから折りたたみナイフを取り出して、聖なる屋根地球につなぎとめているロープのひとつを切りはじめた。私たちクルーの3、4人も、同じことにとりかかる。「おい、なにをしてるんだ!」ピンクフロイド側のチーフが叫んだ。「お前らをぶちのめして…」そこまでいってから、かれはジンボーの手にナイフがあること、クルーの数人も同じだと気付いたのだった。2、3分後、私たちはロープを皆断ち切った。

最後の太いロープが切れたとき、大きなため息のような音がした。すぐには何も起きなかった。また少し待ったけれど、何も変わらない。

しかし、キャノピーはついに上昇をはじめた。白くて柔らかい、贅沢な雲のように飛んでいく。そのとき、地平線から太陽が沸きあがり、キャノピーの絹地も、薄く、柔らかな緋色にかがやいた。熊が腹の底から笑うような、ジンボーがいつも通りの笑い声をあげた。私たちも一緒になって大笑いする。ピンクフロイドスタッフも同じだった。私たちはまるで、終業式を迎えた日の、学校子どもたちのようだった。私たちは裸のステージから、大西洋の先へ静かに流れてゆく絹の屋根を見つめていた。何人かは手を振った。

「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」35年が過ぎて、大学の教師になった私は、自分学生に同じ質問をする。今日学生たちは、あまり隠し事をしようとはしない。そして、ロースクールメディカルスクールジャーナリズムビジネスでの学位中国での研究留学日本英語教師をすれば相当のお金になることなど、いろいろと話してくれる。そういう彼らを、世間は肯定するだろう。

そう、私も学生たちにはとても感心している。だがその一方で、心配もしているのだ。かれらは、決心を急ぎすぎてはいないだろうか。もうすこし落ち着いてみたり、ゆっくりすることも、やってみたらどうだろう。私はそう考えずにはいられない。そして、空に消えた白い絹のキャノピーを私は思い出す。まだ今も目の前にあるかのように、私はそれを見ることができる。私は手をあげて、それを指し示したい。学生たちにも、見てもらいたいのだ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん