はてなキーワード: 人を動かすとは
今までの延長線ではない。同業の企業に勤めながら、個人で何年か頑張ってきて、大学と組んで研究を進めて、一時は国プロをとっていた。
だが、国プロの書類の煩雑さに負けて、もう失敗で覚悟決めて先生に謝りに行ったところ、先生に助けてもらって今は助成なしで一人でガンバってる。
大学の研究としてやるにしても、年齢重ねて、今まで論文書いていない。まあ、今の研究内容で書くとは思うけど、アカデミックとして年齢の割には論文はだいぶ僕は少ない。
何より、組んでくれてる先生を見ても、忙しそうで研究できるのか?という不安。
自分もある意味自分で助成応募とかポスドクみたいなことやってるなと思うし、研究室としての雑務はだいぶ免除されてて助かるし、先生にも良くしてもらてる。
企業の研究としては、金が尽きるし、何よりまあ、世の中企業なんて変なことばかりしてるから各種助成も厳しいとか、1/3負担とか。
ベンチャーキャピタルも、客がつかめたら。客も技術がもう少し進んだら。それでもいろいろ行きはするが、、、、。
人を使う、、、と言って、権限移譲して、頑張ろうとしたけど、うまく行かないどころか、自分のわがままと勝手な方向誘導とか、
自分が上に立ちたいという馬鹿とかとウラで組んでの小細工とかで、
右も左もわからんフワフワした段階で人を動かすというのはすでに商売が回ってる企業よりはるかに難しいんだなと痛感。
新しい技術に挑戦なんかせずに「きぎょうしたいよぉ」とここでぼやいてて、でもおまんまくえて、好きな旅行とかゲームとか漫画とか本とかよめて、ちょっと女の子と遊んで、
結婚して、子供つくって老いて死ぬるぐらいがよっぽど幸せなのかなぁ、、、、、と思うなぁ。
「きっと実りがあるよ」とかそういうコメントいらないです。このまま金尽きて借金抱えて終わりの可能性もある。
頑張るだけ頑張ったけど、変なところに買収されて、めちゃくちゃな扱いして始めっからダメだったんだと馬鹿にされておわりの可能性も結構あるからね。
前職でそういうのよく見てきたから。他人の技術なんて投げ槍なやり方でうまく行かないって立証してかたつけるほうが仕事が減って楽だって人種はいるんだし。
大企業と組んでのオープンイノベーションなんてまるで信じてません。だって、今の大企業なんて、自己顕示欲強い阿呆の巣窟だろ?
つい先日、ある人物にApple Watchを紛失されるという事件がありました。
その人物は当初、失くした責任を感じたかのように振舞っていたのですが、鉄道会社への連絡もタクシーサービスセンターへの連絡もうまいこと転がされてぼくがしていることに気づき、そのことを指摘したところ音信不通となり、行方をくらましました。
演技派、罪悪感を持たない、人を動かす、という行動に、ある単語が脳裏をかすめました。
「サイコパス」です。
『私たちはどんな悪人も少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在しているということを知っておいてください。』
今までの彼女の言動をもとに、サイコパスチェックを行ってみると、果たして「疑いあり」となりました。
高い授業料となりましたが、結果的にその人物との縁が切れて今はほっとしています。
http://www.psy-nd.info/analysis/ratio.html
『人口に対するサイコパスの割合、言い変えれば「サイコパスの発生率」は、決して低いものではありません。
彼らと深く関わるかどうかを別とすれば、恐らく一生のうちに一度もサイコパスと出会わない人の方が少数派でしょう。』
リンク先によると、日本でのサイコパスの発生率は1/250。個人的に実害はなかったものの、過去に身近で同様の事例があったことを考えると、遭遇率は決して低いものではなさそうです。
都民ファーストの会が圧勝して、ネットのコメント欄は結構もりあがっている。
マスコミが報じる主な要因は「腐敗への拒否反応」っていうやつで、確かにだいたいそうなのだろう。
一方でコメントの中には「馬鹿な都民が多いから自民が負けた」なんていうのもあって、これから政治的な求心力が弱まることの問題を指摘しているものもある。
そういったコメント欄を見るにつけ「我々はどこに向かうのか?」の論争がとても少ないな、と感じる。
求心力と表現するからには、どこに向かうのかは最も大切な事柄だ。
いや、もちろんどんな政党も「何をするのか?」「どこに向かうのか?」という話はしている。
しかし、そのアイディアたるや、現実的すぎるか、場当たり的すぎるかのどちらかに感じる。
大抵はバックグラウンドに経済の話が見え隠れしていて、それにラップがかかっている。
言葉をかえていえば、生物的に自然である「自分の利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲が、強烈に表れている。
しかしだ。
自分の目先の利益をとりたいのと同時に、人の幸せの役にたってもみたいし、大義のためになら死すら覚悟することすらある。
それが自分にとって、大きな報酬になることを知っているからである。
多くの人は、こんなことは100も承知だから、このバランスをとった政策を思いつきたいと、四苦八苦することになる。
さまざまな政策案は、ある意味「人を馬鹿にしすぎているのかな」と思うことがある。
先に触れた「自分の利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲求のスイッチを押しすぎていると感じる。
マズローの五段階欲求説が正しいとするならば、21世紀においては、もはや(経済的ではなく)生物的な生存欲求を満たせない人は限りなく少ないのであるから、政策は人間のもう少し別の社会的な欲求を満たすようなものであった方が、実は自然であると考える。
今の政策案のように、人間の生存レベルのスイッチを押しまくった結果は悲惨である。
おもしろいもので人は押されたスイッチに反応して態度をかえるからで、生存欲求のスイッチを押しまくった結果は、生き残り競争しか残らない。
もしこれに人の絶望が加わるならば、そこには戦争が見え隠れしてしまう。
こんなこと、誰も実は望んでいないと思う。
(もし望んでいるとしたらその背景には「絶望」が横たわっている)
これはとても不思議なパラドクスになるが、人間を信じれないから、信じれない政策を採り続けるというスタンスである限り、抜け出せない罠である。
もし政策を仕切る側として、欲求のバランスをとらなければいけないと感じているならば、まず人間を信じてみるしかないのである。
さて、では無邪気に人を信じてみるとして、一体どのようにアプローチすればよいのか?という課題がある。
それはマズローの五段階欲求の、より上位の欲求をつくように、政策やアピールを意図的にかえていくという試みが必要になる。
しかしその話をシンプルにしてしまうと、多くの人にとってピンとこないし、人の恐怖心や思い込みの呪縛を解かなければいけないことも多いから「希望」をもって語れるエンターテーメント性が必要となる。アップルのアプローチなどは抜群にうまい。あれを真似る手はある。
どちらにせよ政策を取り仕切る側としては、21世紀において、社会的欲求の方が生存欲求よりも強くなりつつあることを悟った方がよい。だからこそ、それを求心力に使わない手はない。
いつの時代の社会も課題を抱えているが、21世紀は、脱戦争や平和という意味で、人間にとってかなり重要な課題を抱えている。
その課題を解決するには、政策にも21世紀のイノベーションが必要で、そのイノベーションとは、人間の生存欲求をつくことをやめることだと考えている。
さて、ここでどうしても目をつむれない話がある。
希望は人を動かすものであるが、大きな希望の一つが「根本破壊」であるというやっかない人間の性質がある。根本破壊はたいてい戦争につながる。
この衝動は「なぜ人間は破壊的な感情をもつのか?」という書籍もでているくらいやっかいな性質であることは間違いない。
しかし、その書籍でも結論がないように、この破壊衝動というのは、人間に備わった自然な欲求であると理解するしかない。唯一理由を考えるとすれば「想像のためには破壊が必要である」という、人間都合ではない想像くらいしかない。
今までも人の社会は、安定してくると腐敗がはびこり、それに絶望した人たちが破壊(多くは戦い)をおこし換えてきた歴史がある。
つまり希望にみちて破壊行動を起こすのである。希望は平和を作らない。
これも自然の掟なのだとしたら、今まで考えてきた話はまったく無に帰する。つまり我々人間が能動的に起こせるアクションはほとんどない。
どんな政策を思いつこうが、がんばろうが、自然の成り行きで腐敗した社会が暴力的に定期的に置き換わるだけである。
この問題こそ、21世紀の政策を考える人たちが真摯に向き合わなければいけない課題だと感じている。
我々は抗うだけ無駄な存在なのか、それとも違う方法があるのか?
さまざまな背景を想像した上での個人的見解としては「新しい希望を創出することこそ、今の為政者が取り組んだ方がよい問題である」と元に戻りたい。
なぜなら、少なくとも今までと同じスイッチを信じていただけでは、同じ歴史を繰り返すことになる。
幸いにして、今世紀は人間にとって面白いイベントが多数待ち構えている。
初めての高齢化をキープした人口減少もそうだが、AI時代においてシンギュラリティが語られ、人間の脳を含めてたいしたことがないことがわかってきている今、人間存在、人間という生物に対する深い理解とチャレンジがこの世紀では実現してほしいと思っている。
そうすれば、少なくとも人間の抵抗が無意味なのかそうではないのか?のテストにはなる。
今の各政党(もしくは個人かもしれないが)が取り組むべき真の問題は、深い人間理解のもと、無邪気に自分自身を信じて、今までの政策アプローチをそれこそ破壊することであると思う。
そのためには、信念が必要で、そのためにはテクノロジー的な人間理解が必要で、その先には死生観と自然との対話や芸術が必要である。
さもそれが実現されたならば、平和ということが人間にとって必要なことなのかどうかも含め、本当の信念ある目標として成立させることができる。
自分の親父は超大手電機メーカー(日立、東芝、ソニー、パナソニック、三菱電機、SHARP、のどれか)で自称技術者をしている。
でも僕はそんな親父をすごく情けないと思う。
技術トレンドには疎く、DIYなんかで自分で何か手を動かそうという気配もない。
読む本と言えば部下を育てるだとかドラッカーだとかの名前の啓発本ばかり。
正直、本当に情けない。
生まれてこの方、数学の楽しさだとか科学の話題だとか語ってくれたことがない。
円周率がどうして無理数か、人工知能の話題、脆弱性を突いたウイルスの話題、レアメタルの重要性と使われ方、電子工作の話、化学の話、
たぶん親父はこういうことは全くわからない。知ろうともしない。
今まで何話したっけ。
酒に強くなれ、スーツのウンチク、発展途上国の成長やばいとかだっけ。
結果的に飲み会多い会社嫌だ、スーツ着る仕事嫌だ、家電メーカーやばいってイメージだけ残った。
プログラミングは全く知らないという。知ろうという気配もない。
パソコンには疎く、スマホも使わない、ルーターの設定も人にやらせようとする。そもそもルーターって何って感じ。
唯一電球の交換だけは得意。
だぶん自ら何かを作ることはできないんじゃないかと思う。
でも冒頭にも言ったように超大手メーカーの自称技術者。しかもなにかしら部下を動かす立場のエンジニアだ。
きっと、中国語ができて部下を育てられればいいんだろう。
現在僕は社会的にも給料的にも父親の会社の同世代より低い立場にあるが、上も下も技術的な話題に貪欲な人たちに囲まれて楽しい。
僕は「痴漢行為を軽蔑する」とも書いてるし、僕が女性を怖いと感じるように、女性も男性を感じているだろうことは理解しているつもりです。
最初の増田にはそのような記述はないですよね。ツリー下の元増田を自称する記述にはあるけど増田は投稿者を特定できないし、
そもそも、最初の投稿にその記述が無いということは、あれを書いた時の増田の思考の大前提に「痴漢は軽蔑する」がたまたま抜け落ちていた、
もしくは、あくまでも自分が被害者であることを主張したいがゆえに、その源流の痴漢の存在はメタでしかなかったんじゃないかなーと思ったんだけど。
思考の優先順位は「女は俺を殺す可能性がある」の方が上だったのでは、と感じ、それを私はわぁ被害者意識丸出し―と感じたんだよね。
まぁ、被害者の立場に実際に立ったことがなければ仕方がないことだとは思うけれど、
後付けで痴漢は軽蔑すると言われても、最初の増田ではひたすら女は俺を殺すって怯えてたのに、何を今さらおためごかしだよねーと。
と書いてあるけれど? 女は俺を殺すことが可能だという主旨を修辞的にしているだけだと思うんだけれど。婉曲表現すれば被害者意識が薄まる訳ではないし、
自分を良く(女性の被害の辛さも分かっていますよ風味に)見せようとして、自分が言いたかったことを曲げちゃってるのかな。
だけど、実際に満員電車で男性の隣になってしまった女性の目から見れば、こういう男とそうでない男の差なんてわかんないんだろうな。
と、女性に向けて不満を表出する独り言の体をとったような言葉を使っているんだよね。
上と同様、修辞的に言葉を飾ってはいるけれど、もっと簡単に言えば「女は加害者だろ」と問いかけている。
それで、無視しているつもりはなかったんだけど…というのは、ちょっとムシが良いんじゃないかと思う。
その憤りを向ける相手は、女性だけじゃないはずなのにね。なんで女性に向けた愚痴の体になっちゃってるんだろう。書いた本人も気づいてなかったりする?
私も男性専用車両だって作ったらいんじゃね?と思うけど、そんな一方的に露出女に冤罪吹っかけられたらーみたいなことばっかり言ってる人の言葉
そのくせ自分が被害者ぶってない態度に見られないための言葉の飾りには熱心なばっかりの言葉では、人を動かすのは難しいと思う。
増田が最初の増田(ややこしいな)に書いた男性性の不如意さと、女性が冤罪加害者の権利を行使する可能性って、普通に生活していればどちらもイレギュラーケースだし
理性で不如意な側が、コントロールされるように外形的な対策を取られる優先対象になるのは社会ではごく普通の処理だよ。
あと実際の被害者数も大きな差があるんじゃないかな。圧倒的に痴漢被害者の方が冤罪被害者より多いと思うので、対策を優先的に取られているのだと思う。
ただ男性の不安も理解できるからね、増田さんが主張される通り、女性はいつでもナイフを握って男を社会的に抹殺できる権利があるんだから男性専用車両も必要。
まぁでも、男性専用車両作ったところで混在車両がある限りはこの問題って解決しないよね。男女で車両分けないと。
さっき銀行に行ってきたけど、女性行員さんのが数が多いし、自分の職場を思い返しても男女比6:4ぐらい。
明日は日本史上初のプレミアムフライデーだが、この制度に政府、自民党、経産省、経団連が込めた真意を説明しておく。
ポイントは2つ。
1つ目は、制度策定に厚労省が一切絡んでいない、財界主導の制度であること。
月末の金曜日という時期は、普通の会社員なら月末事務とかでかなり忙しい時期である。そう、普通の会社員ならば。
しかし、そうならない層がある。
大手企業の幹部以上や、上級官僚を始めとした「上級国民」層だ。
例えば、多くの大手企業が、月末の金曜日の午前中や昼過ぎに、当月の業績を振り返る「経営会議」を行っている。この経営会議に出席するような幹部層は、月末までに完了しないといけない「作業」は一切持たない「口を動かして人を動かす」人達なので、月末金曜日は経営会議が終われば暇になる。遅くても15時までには。
だから、プレミアムフライデーは15時からに設定している。
プレミアムフライデーの15時を過ぎたら、同日の23時59分までに終わらせないといけない仕事が残ってる「普通の」人達を横目に見つつ、「お前らも早くこういう立場になれよ」と彼らに声を掛けながら、晴れやかな顔で繁華街に繰り出す…そういう制度なのである。
言い換えれば、近年向上心がなくなってきたという調査結果も出ている日本人に対して、向上心を喚起させる施策なのである。手を動かす作業者ではなく、口で人を動かす上級国民を目指せ、と。
高橋まつり事件を受けて、作業の外注化が進んでいる。ビッグコミックスピリッツの「気まぐれコンセプト」でも描かれていたが、広告業界では、事件後、夜にまたぐような作業は下請けに投げ、自分たちは遅くても20時には退社するように、仕事のやり方を変えている。勿論、下請け業者はその分残業が増えるが、売上は増えていない。
厚労省が絡むと下請けの人達ガーとなるので、始めから厚労省は除外して制度設計を進めているのだ。
つまり、元請けの立場に居て、口で人を動かす立場に居られる人達を愛で、彼らのような人になりたいと普通の国民に思わせる制度が、プレミアムフライデーなのである。
私はブスだ。
顎から突き出てるので正常な口にするには手術で上下の顎を切り取るしかない。
目が上に付きすぎているのでAKBの柏木由紀みたいに目から下が長いのだ。
(柏木由紀は目が大きくて他のパーツが整っているので社会から許されている)
社会に出てみて思ったことはブス女への風当たりが厳しいということだ。
の扱いをしていると感じる。
最下層のブス女など人間扱いしてくれない。
私は学生時代、大人しい女の子たちのグループに入れてもらってひっそりと生きていた。
クラスの他グループの女子とも必要以上に会話しない、持ち物も無印良品のような無地で地味なものを持つようにする
変な動きや歩き方をしないといったように
目を付けられないようひっそりひっそりと生きていた。
物を隠される持ち物を捨てられる机から動けば実況付きでネタにされる新しい持ち物を持っていけば酷評されて全否定されるといったいじめを受けたが周りの人たちはスルーだった。
一挙一動が笑われるのでまともに話せなくなったし笑えなくなった。何をしてもネタにされるのでペンケースや消しゴムを新調することさえ心臓がバクバクだった。
毎朝吐いて登校して帰宅してまた吐いていた。
そんなある日のことだった。
男子生徒、男性教師が一丸となっていじめはやめよう!と躍起になりはじめた。
私のあれはいじめではなかったのか?と思ったがまあそういうことなのだろう。
ブスは人間扱いされない。
まとめサイトを見ているとこんなに女の容姿を気にしている若い男性が多いんだなと思う。
「このレベルの女は抱ける?」「この有名人が劣化した」「付き合えるギリギリの顔の女ってこれぐらい」といって画像を貼り付けて、
そうでもないだろう。彼らは一般人だ。
大学、社会に出てみて男性が特別容姿が優れているということはないことを知った。
女性の場合、性格や波長が合えばブス男でも付き合うが、男性の場合それは滅多にない。
「でもブスじゃん」という言葉がある。
この言葉を使われると、その場で対象の女性の評価はどん底まで落ちる。
その女性がどんなに性格がよくて、いい匂いがして、料理上手で頭がよかったとしても、
女性を否定するには「でもブスじゃん」の一言で十分なのである。
最後にくるのは「でもブスじゃん」という容姿への評価なのである。
容姿が悪ければオリンピックで活躍したとしても柔道の女性選手たちのように
クリーチャー扱いされる。
許される。
では、ブスでなければいいのか?
可愛くなろうと努力すればいいのだろうか。
そんなに辛いのならばもっと努力して容姿を磨けばいいと言って自己責任の烙印を押す。
上記のまとめサイトでも「すっぴんは詐欺」「化粧で誤魔化してる女は詐欺すぎて本当にムカつく水ぶっかけて顔こすってやりたい」とよく書かれている。
世間から虐げられないために化粧という盾を持って身を守ることも
罰せられるべきこと、法律を違反したり他人に迷惑をかけたかのようなレベルで叩く。
「自分の女が化粧落として顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」
この世のすべての女性とベッドを共にするわけでもなし、
この世のすべての女性を孕ませて子供を産ませるわけでもなしに、
『自分の女』がそうだったら嫌だからという理由で禁止しろと言うのだ。
それだけですべての女の化粧を禁止しろというのは暴論ではないだろうか。
人並みに結婚できるなんて考えてもいない。
身寄りもなくホームレスとして孤独死する未来が見えているのだから
ブスの化粧ぐらいは許してほしい。
私がこんなことを書くきっかけになったのは
昔のことを思い出したからだ。
今の私は顎を切らないまでも五十万以上かけて歯の矯正をして
目元の整形をして
パーソナルカラー診断をして骨格診断をして、
資生堂の一回につき一万円以上するビューティーレッスンに通って、
一万円の美白美容液やトマトジュースやビタミン剤を毎日飲んで美白して
それより劣っている。
先日、私のことを好きだと言った男性が
道端の女性を見て、
「許せないのはブスだよ。ほんとブスだけは無理」と言った。
彼は平凡の容姿の男だ。
どの口でブスなんて無理、と言うんだろう。
私は悲しくなった。
こんな男に少しでも心が傾いた自分にそんな男から好かれるような安い女である自分に。
はじめて人を愛してみようと思ったが
ブスには大それたことだったのだ。
ブス女に厳しい。
好きでこんな顔に生まれたわけじゃない。
私には何もない。
青春時代の甘さも酸っぱさも知らないまま生きてきた。
人生における喜びを甘受することもこの先できないだろう。
ブスはどうやって生きていけばいいのだろう。
くたびれはてこははやくくたばれ
いい加減うんざりなんだよ弱者の威を借りてテメーの個人的な願望を強要されるのはよ
なにがアイヌだなにがLGBTだ本当は弱者なんてどうでもいいんだろ?テメーはアイヌでもLGBTでもなんでもねーくせにそいつらの立場を利用してそいつらの気持ちを代弁するていでテメーが個人的に抱えてる身勝手な要求をを周囲の人間に飲ませようとしてるんだろ?周囲の人間はすべからく私に配慮すべきってな
実際に人を動かすための金と労力の収支計算すらできねぇ糞みてぇな人権屋もどきの似非インテリが多いはてなでポリティカルコレクトネスの皮をまとった論理もどきの言論で頭の悪い世間知らずどもを煙に巻いて腰巾着化させて徒党を組む出来の悪いオタサーの姫ごっこは満足か?
ふざけてんじゃねえよテメェはネット以外じゃ何もできねぇただの所得平均から外れたとこにいるアラサーのババァだよ。人権漫談ばっかしてんじゃねーよ。
満足したらさっさと電源切ってパソコンぶっ壊して鏡を見ろよ。
有名かもしれないけど、あるヒッキーが官僚の親から叱咤のメールをもらった動画がこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=yvi4gcKO0_E
この動画内では社会の厳しさを、親が体験してきた目線でその思いを聞くことができる。
「大学」も卒業していない人の仕事は何がある?いくらもらえる?、
「大学」をでていなければそこでおわり、
みんな嫌々「勉強」している、「勉強」しないのは言い訳でしか無い、生きていかなくては「いけない」、などなど。
まっとうに聞こえるし、親としては共感できるものが多いだろう。
でも、この意見はやはり偏っているし、息がつまる。
そもそもこの親の言う「まともな会社」は上位十数パーセントの会社を指しているだろう。
多数派をまともでないという切り捨て方をしている点でも引っかかるが、それを官僚がしているとなると国民としても少々悲しい。
この親の思考は「すべき」という考えにとらわれすぎている。
わかっているけどできない状態はある。
それは前頭葉の発達具合によるものだけではないし、複数の条件の下でそういう行動に至る。
自分の行動に主体性を感じられなければストレスがたまるし、性格によっては無気力になり、自分の人生を生きれていないように感じる。
合理的な説明をして、「あ、そうか。じゃあ自分はそするよ!」と変われる人間も居るだろうが、それはその人がたまたまそういう人間だったという話にすぎない。
この親は今まで何人の人間を見てきたのだろうか、どんな種類の人間を見てきたのだろうか、
その集団に偏りはなかったのだろうか、もしかして自分に近い集団以外を人間としてみていないのでは無いだろうか。
人間の性格の個体差のようなものを無視していて、自分のような人間がスタンダードで、あとは劣等種だなんて思っていないだろうか。
そんな疑問を抱いた。
だが、家族間でもそれを求められると息がつまる。
生きている意味に疑問を抱く。そうすると、自暴自棄になって、いつ死んでもいいやと考え出し、刹那的な行動に走る。
これは個体差があると思う。
しかし、脅迫以外の方法でないと動かない人々は確かに存在する。
そういう個体に生まれた時点で欠陥品として切り捨ててもいいが、果たして、それは豊かな社会なのだろうか。
そんな要請にどうしても答えられなかった人はどうなるだろうか。
ある人はどうでもよくなり、逃げ出し、考える事をやめるだろう。
それに対してふんばり、自らを奮えたたせて立派になる人間もいるかもしれない。
だけど、そこに至るまでのプロセスは人によって、何が適切かは異なる。
そういう多様な可能性を多くの人が理解するようになれば、優しい社会になると思うのだ。
大学出ていなくても楽しそうに生きている人、サラリーマンより稼いでる人、たくさんいるんだけどなあ。
まともだけど儲かる仕事(起業すればだけど)なんてちょこちょこあるし。
youtuberとか配信業者なんてある意味優秀だし、親の見解が狭いと苦しいと思う。
学歴よりも「名前を適切に売る力」の方が生活していく上で大事だと思うよ。
結局この親自体も縛られて生きている社会の被害者なんだと思う。
自己啓発本を100冊読んでも「人を動かす」と「7つの習慣」「アドラー心理学」をちゃんと理解してないと意味が無いって話がある。
これ、いろんな人が書いてる「ブログの伸ばし方」みたいな話にも言えると思ってて。
いろいろ読んだけど、だいたいショボい。
全部ちきりんさんが言ってることを断片的に切り取って単純化して言ってるだけ。
別に読んでも無駄だとまでは言わないけれど、先に「Chikirinの日記の育て方」は読んで置いたほうがいいんじゃないかな。
もちろん、アフィリエイトとかやりたい人は検索流入とかSEOとかそっち方向に詳しくならないとダメだと思うけれど、そういうんじゃなくて、自分のブログを人が読んでもらえるブログにしたいというなら、
みんなさ、ちきりん批判してる割にお前らが書いてるブログ論って、ちきりんの本の劣化版でしかないよ。
ちきりんアンチって、ちきりん批判してるくせに、ちきりんの本に書いてることそのまんまなぞってるのに待ったくその自覚がないというね。
結局書いてる内容見たら、いくら部分的にちきりんの批判ができたところで、レベルの差が違うってはっきりわかんだよね。
そういう凡百のザコのブログ戦略を読むくらいだったらちきりんのブログの育て方を読んだほうがええでまじで。
どのようにちきりんは200万PVのブロガーになったか! 「Chikirinの日記」の育て方 | 新卒フリーランサーのブログ!
ブコメでは偉そうなんだけど全然魅力的な文章書けないキツネ野郎とかはそんだけ偉そうに書くなら自分でブログ書いて伸ばしてみたら?
「富士通を退職した話」を読んで、20年近く努めている側からの感想と疑問について書いてみたいと思います。
私も、情報科学を大学時代専攻した後、新人で山奥というかむしろ雲の上にある天空の工場に勤務してメインフレーム関連の仕事をしていました。
その工場に配属される新人は(希望すれば)寮に入るわけですが、高専卒は工場の敷地内にある山頂の寮で二人部屋、学士卒は山の5合目にあるアパートの一人部屋、修士とドクターは街中にあるマンションという感じでした。
街中の下界から工場がある天上界への通勤はバスで移動することになるのですが、わたしは、バスのディーゼルエンジンの排気ガスが苦手なので、頼み込んで工場の敷地内にある寮にしてほしいと願い出て、山頂の寮に特別に入れてもらいました。そもそもが2人で一部屋なのですが、学歴の関係か私は一人で2人部屋を使わせてもらっていたため、ものすごく広々と部屋が使えました。
わりと頼み込めば、人事や勤労も柔軟に対応してくれる会社という印象です。
20年前でさえ、メインフレームは古いというイメージがありました。
ただ、私は古臭い部署に配属されたことは不幸とは思いませんでした。電話からスーパーコンピュータまで幅広く扱っている世界でも稀な会社に入ったからには、いろんなことを経験してみたい。
そのためには、そろそろ絶滅してしまいそうなメインフレームを今経験せずにいつ経験出来るのか?くらいな感じでむしろラッキーくらいに考えていました。
最新の流行を追いかけるのもそれはそれで面白いが、そういったものは出来合いのライブラリを組み合わせて流行を少し遅れて追っていく2位集団であるし、やりたければ個人で家でも出来るじゃないか程度の感覚です。
ただ、せっかくメインフレームの部署に来たのですが、私の担当はワークステーションで動作するUNIXやPCでの開発が主体でした。
そもそもが、メインフレームを扱っていた部署ですから、先輩の人達はあまりUNIXやPCに詳しくなかったので、大学でUNIXやPCを経験した新人が入ってきたことは非常に重宝されました。
その部署では開発言語は、社内の独自の言語(Cよりもさらに機械語に近い言語をマウスでグラフィカルに操作してコーディングする言語)を使っていました。もともとはメインフレーム用の言語なのですが、UNIXワークステーションやPC用にも
その言語コンパイラはあり、あわやその言語でUNIXの開発する羽目になりそうだったのですが、私は猛烈に反対して自分の意見を通しました。当時はJavaやRubyなどの言語は無くCが全盛でしたが、
その部署の開発メンバーはCをほとんど知らなかったのです。そこで、社内のカイゼン活動として、C言語の勉強会を開くことを提案し私が講師になってC言語をメンバーに習得してもらい、
PCやUNIXでの開発は独自言語ではなくC言語を利用することを認めさせました。
元の増田の方は、自分はエクセルのVBAソースが見れない立場のようだと言っていましたが、ソースをみようとしたらシートにロックがかかっていたのを見て諦めてしまったのではないでしょうか?
元のEXCELを使った業務が非効率であるならば、業務の改善活動として提案すれば、それを拒む上司というのはちょっと考えにくいです。
忙しい部署にも、改善活動のノルマが課せられるのですが、先輩はそういったことに関わっている時間が中々取れないので新人がそういった仕事をやると宣言しても拒むのはまずありえません。
下請けのプログラマーからみると富士通のような会社は中間搾取していて高給をとっているのに、仕事は丸投げという印象があるでしょうが、実際やってみると案外大変です。
私は、富士通本社のSE的な立場、グループ孫会社に出向して、そこから顧客先に派遣される4次受け5次受けのプログラマ両方を経験しましたが、はっきりと下請けの方が精神的に楽と感じました。
客商売や、自分でやっているわけではない人に依頼した仕事について、責任をとるのは非常に苦しいものがあります。そもそもプログラミングはとても楽しいというのもありますが。
私見ている範囲では違う部署に異動したいという希望は100%通りました。異動を希望しているのにその部が解散するまでその部署にいる羽目になった人など見たことがないです。
もちろん、「プロジェクトが佳境で君に今抜けてしまわれては困る」というケースはあるのですが、IT業界のプロジェクトの開発周期は年々短くなる一方ですから、割と早い段階で異動の希望は通る感じです。
もとの増田の方は巨大プロジェクトだったので大量の人がいるわけですが、こういった部署は異動の希望は通りやすいです。
なぜなら、新規プロジェクトで最も忙しいときは大量の人員を動員しているわけですが、バージョン2、バージョン3あるいはメンテナンスのフェーズに入ればそんなに大量の人員は必要がないので、会社としてもその部署の人員を異動させたいわけです。
けれど、プロジェクトで中核の技術を担っているようなメンバー、マイホームを天上界に立ててしまったメンバー、新しい仕事に対応しにくい高齢のメンバーは異動させにくいので、
EXCELをいじっているだけのような新人は異動の希望が通りやすいのです。
もとの増田も、もう少し我慢していれば希望が通った可能性は極めて高いですが、プロジェクトが佳境でまだ新人で入ったばかりといった状態では、もう少しその部署で頑張れと言われるだろうと思います。
ただし、異動先の都合もありますので、ここから出たいはほぼ100%通りますが、あそこに行きたいは必ずしも通りません。
今更「京」のスーパーコンピュータをやりたいといっても、人気部署ですし、プロジェクトの最盛期は過ぎているのでその希望が通る可能性は低いでしょう。
色々な部署がある大きな会社では、管理職クラスは頻繁に異動が起こりますから、嫌いな上司はわりと直ぐにいなくなります。小さい会社だとそもそも部署が開発部と人事部と営業部しかないというかんじなので、上司がやめるか自分が辞めるまで、嫌な上司と付き合う羽目になりがちです。
新人研修期間が終わった後、人事の面談のチャンスがあるのですが、そこにはコツがあります。
「おおざっぱにはっきりと希望を言うこと」です。
いちばん最悪なのが、大学での研究を話し、それを活かせる部署に行きたいと話すことです。
人事の人は技術には詳しくないですから、研究内容が最先端であればあるほど、人事の人には通じないです。
キャッシュコヒーレンシが。。とか話すと、「よくわからないけどこの人は基本ソフトウェアに向いているのかな?だったら、自社でOSを開発しているメインフレーム回そう」という感じになってしまいます。
それよりは、人事の人が、会社組織のどの部署に配属すればいいかわかりやすいように、おおざっぱに希望をいうことです。
例えば、
上記のことを強い口調ではっきりというのが良いと思います。
そのうえで、できれば○○製品をやりたいだとか、こういった業種のSEをやりたい等の希望だすと、どの部署に配属すればいいか相手にも伝わり希望が通りやすくなります。
私の同期で入社して新人研修で山奥に配属されたバブル時代の末裔のようなおねーちゃんとか、数人は、割とはっきり希望をいって、下界に戻っていきました。
レジリエンスいいよ。
自分もこの間まで増田とまったく同じ状況で死にそうになってたけど、レジリエンスを知って回復できた。
レジリエンスとは、簡単に言うと、メンタルダメージを受けた後にその原因を分析して、いかに早く元気な状態に戻れるかという考え方だ。
増田みたいな悩みってだいたい思い込みなんだよ。だからまずはその思い込みを外そうぜ、って感じ。
そのために、レジリエンスでは大まかな原因を体系化している。
悩みの原因を分析することで、今の精神状態から少しは前進できると思うよ。
あと、これだけは言っておく。
その会社の面接を通った時点でその会社で働いていけると認めてもらえてる。
そして、先輩はそれを信じてるからこそ、どうにかして君を育てようとしている。
先輩は増田に能力がないとは思っていなくて、どうしたら能力を発揮できるかを考えている。
ただ人を動かすのがちょっと上手ではないだけだ。そこは反面教師にしよう。
指摘しかされなくて、能力がないと思い込んでしまう気持ちはわかる。
でも、それは極端に走りすぎだ。
推測だが、増田は何か複雑なことに取り組んでいるんだろう。
その位自分でやれよと言うような次元のことを人にやらせた上で文句ばかり言う上司がムカついて仕方がない。
物覚えは悪く同じことを何回も聞く、書いてあることは読まない、図にすれば見もせず説明を要求する、そして説明は遮って的外れな自分の思い込みをぶちまける。
違うと説明すれば逆切れする。自分のアタマで考えることすらしているように見えない。
自分自身「人を頼らず、人を信用せず、自分で解決できることは極限まで自分で解決する」というポリシーの持ち主だから、人を動かすだけの人間が好きになれないのはその分もあるかも知れない。
自分が意識していないだけで、その実人にものすごくいろいろなことをやってもらっているんだろうという懸念もある。
それを抜きにしても、こいつは異常だとしか思えない。
俺は変なんだろうか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
幸福と同じように、不幸の解釈は多岐にわたるから一概にはいえないが、一応は手軽な方法がある。
幸福を認めないことさ。
逆に言えば、幸福でありたいならば認めればいい。
幸福の解釈が最終的に個人の裁量に委ねられる以上、客観的に分析すればするほど大抵の場合において結論は陳腐になる。
幸福の全貌が「その程度」のものだと思ったとき、君は不幸になれるだろうさ。
逆に幸福になりたければ、不幸について分析すればいいわけだな。
知らないほうがいい、やめておけ。
人は気に入らない人間が出てきたら、その人が何か酷い目に合ってほしいと思っているのさ。
立場や状況、程度が違うだけで、“この世界”でもそういう人たちは多いだろう?
自分にとって「気に入らない対象」に、アレコレ言いたくなる衝動に駆られた覚えがあって、実際に行動に移した人は少なくない。
マンガ、アニメなどでも、酷い人格の登場人物が好き勝手立ち回る→主人公などが制裁するという構図は珍しくないな。
もちろん、君のようにそれを低俗だと思うのは間違っていない。
ストレスを抱える→それを解消するというのを一つのコンテンツでやっている。
マッチポンプというのかな。
ストレスを解消したいがために、わざわざストレスを抱えさせるという本末転倒なことをしているわけだ。
そして、それを求める人間がいて、そんな人が少なくない。
とはいえ、ストレスは人を動かす原動力、脂質みたいなものだよ。
形にこだわらないなら、人がそれらを求めるのは自然の成り行きだろう。
まあ、「気に入らない対象」と「制裁」が分離している我々は健全もいいところだな。
対象が何であれ、「死ね」だとか物騒な言葉は使わない方が良いだろう。
人を呪わば穴二つというし、逆に君が「死ね」と思われても同情の余地はないからな。
……日本も君には死んで欲しいってさ。
まあ、日本の方が先に死んでも、日本に住んでる君はどちらにしろ死ぬけどな。
HAHAHA……移民しよう。
増田の身の回りで、人は究極的に1人、と言って前向きに頑張っているやつは、おそらく自分の能力を把握しているし、それを使いこなせてる人と思う
自分の能力が100あって普段50で生きているような人は、100で対処しなきゃ解決できないような事態に陥ったときも、目の前の課題に対処する方法を理解していて、非常に大変事態ではあるが解決は出来ると信じているのだと思う
だから冷静にそんなことを言えるんじゃないかと
そんな人も、150ないと解決できない事態に直面すると、あっさり人に頼っているものよ
人を動かすのも自分の能力とかなんとか言うかもしれないし、案外すごく感謝する人かもしれない
どっちもいるぞ
それに、そういう人も、家の中ではすごだらしなく家族に頼っている人もいるんじゃないですかね
増田は、どちらかと言えば普段50の力で暮らしていて、自分が自力で対処できるのが80までなのか100までなのか120までなのかを理解してないのでは?