2017-07-05

都民ファーストの会圧勝に思うこと。

都民ファーストの会圧勝して、ネットコメント欄結構もりあがっている。

マスコミが報じる主な要因は「腐敗への拒否反応」っていうやつで、確かにだいたいそうなのだろう。

一方でコメントの中には「馬鹿都民が多いか自民が負けた」なんていうのもあって、これから政治的求心力が弱まることの問題を指摘しているものもある。

~ 問題求心力ではなく「どこに向かうのか?」の欠如だ。

そういったコメント欄を見るにつけ「我々はどこに向かうのか?」の論争がとても少ないな、と感じる。

求心力表現するからには、どこに向かうのかは最も大切な事柄だ。

いや、もちろんどんな政党も「何をするのか?」「どこに向かうのか?」という話はしている。

しかし、そのアイディアたるや、現実的すぎるか、場当たり的すぎるかのどちらかに感じる。

大抵はバックグラウンド経済の話が見え隠れしていて、それにラップがかかっている。

言葉をかえていえば、生物的に自然である自分利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲が、強烈に表れている。

しかしだ。

人間は、その自然現象に抗いたい生物でもある。

自分の目先の利益をとりたいのと同時に、人の幸せの役にたってもみたいし、大義のためになら死すら覚悟することすらある。

それが自分にとって、大きな報酬になることを知っているかである

多くの人は、こんなことは100も承知から、このバランスをとった政策を思いつきたいと、四苦八苦することになる。

~ 政策人間欲求100%理解したものであってほしい

さまざまな政策案は、ある意味「人を馬鹿にしすぎているのかな」と思うことがある。

先に触れた「自分利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲求スイッチを押しすぎていると感じる。

マズローの五段階欲求説が正しいとするならば、21世紀においては、もはや(経済的ではなく)生物的な生存欲求を満たせない人は限りなく少ないのであるから政策人間のもう少し別の社会的欲求を満たすようなものであった方が、実は自然であると考える。

今の政策案のように、人間生存レベルスイッチを押しまくった結果は悲惨である

おもしろもので人は押されたスイッチに反応して態度をかえるからで、生存欲求スイッチを押しまくった結果は、生き残り競争しか残らない。

もしこれに人の絶望が加わるならば、そこには戦争が見え隠れしてしまう。

こんなこと、誰も実は望んでいないと思う。

(もし望んでいるとしたらその背景には「絶望」が横たわっている)

これはとても不思議パラドクスになるが、人間を信じれないから、信じれない政策を採り続けるというスタンスである限り、抜け出せない罠である

もし政策を仕切る側として、欲求バランスをとらなければいけないと感じているならば、まず人間を信じてみるしかないのである

~ 希望武器になる

さて、では無邪気に人を信じてみるとして、一体どのようにアプローチすればよいのか?という課題がある。

それはマズローの五段階欲求の、より上位の欲求をつくように、政策アピール意図的にかえていくという試みが必要になる。

しかしその話をシンプルにしてしまうと、多くの人にとってピンとこないし、人の恐怖心や思い込み呪縛を解かなければいけないことも多いから「希望」をもって語れるエンターテーメント性が必要となる。アップルアプローチなどは抜群にうまい。あれを真似る手はある。

どちらにせよ政策を取り仕切る側としては、21世紀において、社会的欲求の方が生存欲求よりも強くなりつつあることを悟った方がよい。だからこそ、それを求心力に使わない手はない。

つの時代社会課題を抱えているが、21世紀は、脱戦争平和という意味で、人間にとってかなり重要課題を抱えている。

その課題解決するには、政策にも21世紀イノベーション必要で、そのイノベーションとは、人間生存欲求をつくことをやめることだと考えている。

~ 根本問題希望平和矛盾することである

さて、ここでどうしても目をつむれない話がある。

それは、希望平和一見すると矛盾するという話である

希望人を動かすものであるが、大きな希望の一つが「根本破壊であるというやっかない人間性質がある。根本破壊はたいてい戦争につながる。

この衝動は「なぜ人間破壊的な感情もつのか?」という書籍もでているくらいやっかい性質であることは間違いない。

しかし、その書籍でも結論がないように、この破壊衝動というのは、人間に備わった自然欲求である理解するしかない。唯一理由を考えるとすれば「想像のためには破壊必要である」という、人間都合ではない想像くらいしかない。

今までも人の社会は、安定してくると腐敗がはびこり、それに絶望した人たちが破壊(多くは戦い)をおこし換えてきた歴史がある。

まり希望にみちて破壊行動を起こすのである希望平和を作らない。

これも自然の掟なのだとしたら、今まで考えてきた話はまったく無に帰する。つまり我々人間能動的に起こせるアクションほとんどない。

どんな政策を思いつこうが、がんばろうが、自然の成り行きで腐敗した社会暴力的に定期的に置き換わるだけである

この問題こそ、21世紀政策考える人たちが真摯に向き合わなければいけない課題だと感じている。

我々は抗うだけ無駄存在なのか、それとも違う方法があるのか?

~ 21世紀には新しい希望の創出が必要

さまざまな背景を想像した上での個人的見解としては「新しい希望を創出することこそ、今の為政者が取り組んだ方がよい問題である」と元に戻りたい。

なぜなら、少なくとも今までと同じスイッチを信じていただけでは、同じ歴史を繰り返すことになる。

幸いにして、今世紀は人間にとって面白いイベントが多数待ち構えている。

初めての高齢化キープした人口減少もそうだが、AI時代においてシンギュラリティが語られ、人間の脳を含めてたいしたことがないことがわかってきている今、人間存在人間という生物に対する深い理解チャレンジがこの世紀では実現してほしいと思っている。

そうすれば、少なくとも人間の抵抗が無意味なのかそうではないのか?のテストにはなる。

今の各政党(もしくは個人かもしれないが)が取り組むべき真の問題は、深い人間理解のもと、無邪気に自分自身を信じて、今までの政策アプローチをそれこそ破壊することであると思う。

そのためには、信念が必要で、そのためにはテクノロジー的な人間理解必要で、その先には死生観自然との対話芸術必要である

さもそれが実現されたならば、平和ということが人間にとって必要ことなのかどうかも含め、本当の信念ある目標として成立させることができる。

それこそが、皆が信じてもよい「希望」となって人を動かし、21世紀における偉大なチャレンジがなされるはずである

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