真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
幸福と同じように、不幸の解釈は多岐にわたるから一概にはいえないが、一応は手軽な方法がある。
幸福を認めないことさ。
逆に言えば、幸福でありたいならば認めればいい。
幸福の解釈が最終的に個人の裁量に委ねられる以上、客観的に分析すればするほど大抵の場合において結論は陳腐になる。
幸福の全貌が「その程度」のものだと思ったとき、君は不幸になれるだろうさ。
逆に幸福になりたければ、不幸について分析すればいいわけだな。
知らないほうがいい、やめておけ。
人は気に入らない人間が出てきたら、その人が何か酷い目に合ってほしいと思っているのさ。
立場や状況、程度が違うだけで、“この世界”でもそういう人たちは多いだろう?
自分にとって「気に入らない対象」に、アレコレ言いたくなる衝動に駆られた覚えがあって、実際に行動に移した人は少なくない。
マンガ、アニメなどでも、酷い人格の登場人物が好き勝手立ち回る→主人公などが制裁するという構図は珍しくないな。
もちろん、君のようにそれを低俗だと思うのは間違っていない。
ストレスを抱える→それを解消するというのを一つのコンテンツでやっている。
マッチポンプというのかな。
ストレスを解消したいがために、わざわざストレスを抱えさせるという本末転倒なことをしているわけだ。
そして、それを求める人間がいて、そんな人が少なくない。
とはいえ、ストレスは人を動かす原動力、脂質みたいなものだよ。
形にこだわらないなら、人がそれらを求めるのは自然の成り行きだろう。
まあ、「気に入らない対象」と「制裁」が分離している我々は健全もいいところだな。
対象が何であれ、「死ね」だとか物騒な言葉は使わない方が良いだろう。
人を呪わば穴二つというし、逆に君が「死ね」と思われても同情の余地はないからな。
……日本も君には死んで欲しいってさ。
まあ、日本の方が先に死んでも、日本に住んでる君はどちらにしろ死ぬけどな。
HAHAHA……移民しよう。