はてなキーワード: 人を動かすとは
そんなことは読み取った上で、このツイートは母親への同情を上回るだけの理屈がないから母親への言及が大半を占めてるの。
「北海道のコメのまずさと内地のコメのうまさの違い。リソースを何に集中すべきか」と「母親がかわいそう」を天秤にかけて100文字のリソースを母親に集中させただけ。
なんでもそうだが、感情以外の部分で人を動かすには説得力が必要だ。ハテナ民は感情を優先させすぎだとよく言われるが、この一連のツイートには感情を押し止められるだけの中身がないんだよ。
に続く言葉が以下。
「それなら「ああいう属性の人種は滅ぼすべきだ」となったら「はい分かりました」と効率的に殺戮する技術を生み出す知性が奨励されるようになるのではないかと。」「僕は北海道米の美味さが怖い」
なんだこの話の飛躍は。この人は一つ前のツイートで「コメのようなものを寒冷な北海道で作ることがそもそも合理的だったのだろうか」と言っているのに。頭にブーメラン刺すの早すぎ。
このあたりで、この人は哲学的なことを言ってみたいだけで深くは考えてないんだろうなと思ってしまう。
自分の意見を補強するための道具に他者を使う時点で印象が悪いが、この人は他者の良くない点を指摘するどころか「僕は北海道米の美味さが怖い」と良い点を貶める方向で話を進める。
それでも我慢して、何かしら論理的な意見がこの後出てくるんだろうと読み続けたのに
「グルーバル・スタンダードとしては、塩やスパイスの効いた汁をかけて食べる方が正統的で、コメそれ自体の美味さを求めるのは、これはやはり信仰と呼ぶべきものの帰結だったのだろうと思う。
"お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな" でしかないじゃないか。
そしてあなたは、ツイート主は反省してるじゃないかと言う。確かに、
僕は憑き物が落ちたように大人しくなった。(中略)母は「もうあなたには何も言わない」と。(中略)母は「この家は昔からそうだ!」と吐き捨てた。
という母親側からの話も書けるあたりに、やはり反省してるのかもと一瞬思った。が、ツイートの端々から「あの時は反省したが、よく考えてみたら俺は悪くない」「母親やきららを作った人たちのような情熱や感情などというものは価値が低い。世の中を正すためには私のような感情に流されない人物が必要」という意識を感じてしまう。上にも書いたが、自分を良く見せるためには他人を利用することを厭わないサイコパスぽい雰囲気を感じた。これは完全にゲスパーだけどな。
こんな話しか聞けないのならそりゃあ
増田やブコメを書きに来る人は、皆なるべくきちんと自分の意見を表明したいんだよ。(大喜利は大喜利として楽しめばよいが)
「北海道の米うまくなりすぎワロタwwwww」というわりとどうでもいい一言と、増田のブコメにもある「やっぱりカーチャン不憫」という一言のどちらを書き込むか。そりゃあこういう結果になるだろうよ。
急に肌寒くなりましたね。増田のみなさまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
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・学生時代はサブカル女子(笑)だったのでAdobe系ソフトは申し訳程度に使えます。慣れてる順にPhotoshop,Premire, Illustrater
・Dreamweaver使えないけど、かつてテキストサイト管理人(笑)だったのでふっるいHTMLの知識ならある。キリ番(笑)直リン禁止(笑)
・プレゼンはわりと誉められるけどコミュ障なので営業、接客は厳しいと思います
・北陸の寒村に置いてきた両親が心配。一人娘だし、呼び寄せからの近居も検討中。
・もちろんたまの贅沢もしたい。家族で沖縄とか、回転寿司とかね。
【悩みのポイント】
・現職は取ろうと思えば育休・時短取れるし、成果さえ出せば男女平等なので、辞めたらもったいないかな?取る人5%未満だけど…
・育休取って時短取れば一時的には家庭にフルコミットな生活ができそうだけど、その後は残業生活に逆戻りかと思うと今のうちに逃げたい
・そもそもギリギリで回してる職場なのに残業、長期出張できない人員がいたら負担だよなーやっぱり
・一人目産んで育休復帰してしばらく働いて二人目…ってそのとき何歳?そもそもできにくい疑惑浮上中だし/(^o^)\
・気持ちだけでいうなら一人目妊娠と同時に辞めて、半年ぐらいキャリアに繋がる勉強などして、出産→1、2年後に二人目→34歳までに新しい職場見つけたい
昔ながらの紙の帳票が幅を利かせている企業では、お偉いさんや客が無条件でハンコ文化を崇拝していたり、何十年も勤めて実質現場のボス的存在になっているパートのおばちゃんの抱えてる業務がボトルネックあるいはブラックボックスになっていて手を出せなかったり、一日一改善を口すっぱく言う割にそのノウハウを蓄積するシステムがなかったりあっても部署ごとにフォーマットの違う神エクセルだったり、まあ枚挙にいとまがないわけだけれども、これらをITだけでぜーんぶどうにかできるかというと、なかなかに難しい。
それ以上に、人を動かすコミュニケーション能力の方が重要なのだろう。
私も私なりに頑張っているつもりなのだが、風当たりが強く、少し辛い。
最近、首長選挙の立候補者が街頭演説していたのを通勤中に見た。
その瞬間に、「あ、この立候補者には投票しないだろうな」と思った。
後日、その立候補者のチラシがポストに投函されていた。目標、政策には納得できるものもできないものもある。
それはどの立候補者でも自分と意見が合うところ、合わないところがあるのは普通だから後は人柄を見て決めるだろう。
その時、「人の名前を間違えたまま放置したり、わざと正しく書かないような無礼者の仲間にはなりたくない」と思う。
アベノミクスという言葉があるのだから、アベ政治と表記しても良いではないか、というのなら、それでもいい。
ただ、人を非難するときにあえて名前を正しく書かないという点だけで、その人は自分が気に入らない相手のことは軽んじていいと思ってる、そう判断されても仕方ないのではないか。
推薦コメントを書いた浜矩子同志社大学教授は安倍政権と書いていた。
浜教授は毎年アベノミクスが終わるとかアベノミクスはアホノミクスなどと主張する本を出してきたが、政権を指すときにはきちんと安倍政権と書いている。それだけでこれまで、無礼なおばさん扱いしていた自身を恥じたくらいである。
私の名前もよく漢字を間違えられる。間違える側はなんの気もないのだろうが、間違えられ続けてきた私は、「たった一度、メールを送ったりポストに投函する前に、正しいかどうか確認する手間もかけてもらえないのか」と思うし、それだけで軽んじられていると感じる。
だから、人の名前を間違えたまま放置したり、場合によってはわざと正しく書かないような人が庶民の声に寄り添うとか、弱き者、小さき者の味方でなければならないとか、みなさんの心をつなぐと主張してても、「気に入らない相手なら軽んじても平気なのだろう? 排除しようとするのだろう?」と考えるのだ。
政治家が気に入らない人を排除していいと思い出したら、それこそ恐ろしい事ではないか?
世の中には意見が決定的に合わない相手もいる。特定の政治家の活動が気に入らない事もある。しかし、そういう時こそ気に入らない相手を非難するときに、自分が周りから無礼者に思われないようにした方がいい。
そして、特定の政治家を応援する人もよく心したほうがいい。世の中、賛否が分かれるなにがしかがあるとき、態度を決め兼ねている人を動かすのは、最後は礼儀正しいのかどうかだし、政治家本人だけでなく、その周りで応援している人もその評価の対象だ。(安倍政権とネトウヨ、野党とパヨクの例を見よ。取り巻きは政治家本体と絡めて見られるのだ)
責任感は大事だと思う。任された仕事を完遂する気がない人に任せても失敗するだけだ。
最近仕事で管理職を任されるようになった。それ自体は悪いことじゃないのだが、任される仕事がそのまま増えただけで給料が全く変わっていない。単純に仕事が増えただけ。
昇給日が決まっているので今すぐ上げろなんて言うつもりはないのだが、年1回の昇給が2回来て増えた給料は5000円未満。他の同僚と比較して評価が高い方なのだが、それでもこれだけ増えていないのだから次回の昇給も期待できない。
もちろんボーナスにも反映される訳がない。ボーナスは評価で決まるのだが、その評価は11月中旬に提出済み。
確かに責任感を持たされれば私は動く。怒られるのが嫌だし、それ以上に金もらって働いてるのだから当たり前だ。だが責任感を持たされただけではモチベーションは上がらない。
隣に同僚が座っているのだが、週に3回はうとうとしている時間があるしタバコ休憩だってする。私はタバコも吸わないしうとうとしている暇がないので同僚より働いている。
そのうえ残業もできないのでなんとか効率よく進めて定時内に終わらせて帰る。同僚はダラダラ残業して給料は増えるばかり。
そもそも、経営者とエンジニアに求められる資質が180度真逆。
その違いは、仮説と事実の扱い方において顕著。
エンジニアに求められる能力は、仮説と事実を切り分ける能力。仮説と事実の切り分けがないトラブルシューティングは目も当てられない。
いっぽう経営者に求められるのは、仮説を事実と思い込める能力。かの有名なスティーブジョブズの「現実歪曲空間」は、それを裏付ける好例。
彼の思考の熱量が現実を凌駕し、多くの人の心を動かす。だがこのとき、現実は歪曲されているため、必ずしも事実に沿ってはいない。
お返事、ありがとう。一行目から優しくてちょっと泣けてしまったよ。
一般的に女性は感情的とくさされるから人に気持ちを伝えるときは論理的であるよう強く心がけないといけない、という警戒心が自分の中にあって、辛いとか悲しいと怖いとか、シンプルな表現を夫に対してしていないような気もする。それでも気持ちが高まると涙だけは勝手にこぼれちゃうんだけど、そうすると夫が「泣くな!」って怒ってしまうんだよね。涙は止められないから困る。涙が出ること=夫を避難している、ではないんだけど、きっと責め立てられように感じて彼も辛いんだろうね。
昨日夫が作ってくれた夕ご飯、正直美味しくなかった。あの人は作業が雑で食感や見た目を気にしない。美味しいよ、ありがとうって伝えながら、野菜の筋をこっそり吐きだして食べた。私が考え、心配している将来に向けての家族計画や資金繰りなんかも、この人にはそもそも見えていないんだろうなっって思ってしまう。オクラの産毛が見えない人に、老後の不安が伝わるわけがない。公園から子供の声が聞こえるたびに妻が苦しい気持ちになっていることに気づくわけがない。
そこに問題があることに気がついていない人に気づきを与えるには、正面から不安を打ち明けるしかないのかな。恐怖で人を動かすみたいで、好きな人に対してはやりたくない方法だけど、このままじゃ私がいつか夫を一升瓶とかで殴りそう。
やっぱり、私誰かに話を聞いて貰いたいんだと思う。聞いてくれてありがとうございました。