はてなキーワード: モチとは
この逆の存在も当然あるんだが
「子供を産むにしても日本では損な制度(子供のことは障害児や教育や就職まで全部家庭がケツモチさせられる)にしておいて
韓国や外国人妻のほうが楽しいといって日本人女性を輸出していた統一教会と『ウヨク』」
10年くらい前からブログを書いていて、だけどこの5年くらいは年に数本書く程度に縮小していた
実質5年くらいしかやっていない
だけどその5年くらいはほぼ週末を使い切って週五以上のペースで書き上げていたし、3000文字程度+図解と結構手間暇掛けていたんだ
あるときふと休息期間に入ったら途端に書けなくなってそのままペースが一気に落ちた
で、最近又似たような内容で書き始めて同時に動画にもしているんだけど、これがとんでもなく難しい
自分に才能が無いのは承知しているからとにかく書いて工夫して評価して貰ってモチベ上げる以外にないんだけど、月一の動画投稿が限界だなって
なんでこんなに作れないのか自分でも疑問だ
15分程度になんで1ヶ月もかけるんだ俺は
内容を詰め込んでいるのもあるし各種資料を読み込むことが必須だから迂闊なことはできないってのもあるけどさ
国産ロケット発射中止のニュースに対し、「それは中止ではなく"失敗"だ」という主張が話題になっている。
中止か失敗かで論争になってるが、なんでそんな盛り上がり方をするのか。
何が何でも失敗と言いたがるモチベーションが謎だが、似たような行動する奴をeスポーツでよく見る。
「eスポーツって言ってもゲームでしょ?体動かしてないならスポーツじゃないよね。だったらスポーツじゃなくてゲームと言うべき」
こういう異常なテンションの奴を見るにつけ、お前は何を必死になってるんだと不思議だった。
そいつらと何度かコミュニケーションを取ってみると、なんとなくモチベーションがわかってきた。
特定のジャンルでは常識になってる言葉づかいも、自分にとっては非常識なので、疎外感を感じてムカつくわけ。
eスポーツというジャンルに浸かってる人間からすると、競技性の高いゲームをスポーツと呼ぶのは常識だ。
定義の議論なんかとっくに終わってる。誰も言葉の使い方に文句を言わない。
だがそれが常識でない人間からすると、身内だけで通じる常識のように見えて、欺瞞に満ちた表現に映る。
そして欺瞞を暴きたいと思うわけだ。
基地建設反対の「抗議日数3011日」に対して「0日ですよね?w」とツッコミ入れたがるのと恐らく同じだ。
今回の件で中止と言いたがる奴のモチベは知らないし、そっちの話には興味ないのだが、
ここ数年で海外のゲームやらスポーツやら文学に興味を持つようになって翻訳されたコンテンツを享受してるばかりなんだけど、自分が英語が読めて聞き取れて喋れるようになればもっと世界が広がるのかなぁと学生時代よりも感じるようになった。けど、コミュ障の陰キャが英会話教室とかオンライン英会話とかそう簡単にチャレンジできるわけもなく、結局そのまんま。
外国人の恋人でも作ったら、マンツーマンで教えてもらってモチベも保ちやすいだろうから、外国語も習得しやすそうで憧れるけど、日本人のコミュ障陰キャ男性に近付く人なんてほとんどいないよね。いたとしてもロマンス詐欺師とかになるのかな。
というかそもそも国際カップルってお互いの言語を習得して話せるようになったりするものなのかな?もちろんどちらか一方だけでも学ぶ意思があっての話だけど。
牛乳パック洗わないってなんで?牛乳って台所付近で注ぐし、空になったら流れで傍のシンクで洗えばいいだけ
数センチの水いれて注ぎ口押さえて数回振るのを2回やるだけだが、それもめんどい?
ガラスボトルのプラのふたを外す(カッターで慎重に切らないとだめ)とか容器の汚れをぬぐうとかは面倒だけど
分別そのもの(プラと可燃を分ける)にネガティブイメージはない
まあ世の中には揚げ油を流しに捨てる人もいるらしいが…
今できることが一段落してきたので、今までの振り返りをしてみる。
ちなみに、これを書いているのは機械系3年のメーカー技術職志望の男子です。
「就活は夏季インターンから始まる...」と言われているが、その募集は6月〜7月上旬で締め切ってしまうため、夏から就活を始めていると遅い。
知名度が高い人気企業は応募者が大量に押し寄せるため、ESや面接が要求されゴッソリ落とされる。GW開けくらいから準備していなければ間に合わない。
逆に、知名度が少ないBtoB企業だとwebテストだけでOK、なんて企業が沢山ある。学生にとってBtoB企業が何やってんのかよくわからないため、参加ハードルや社会勉強になることをふまえると非常におすすめ。
私は複数応募したものの、1つはESで落とされ残りは面接で不合格。結局、webテストのみで参加できるインターンシップを受けることに。東証プライムだけど一般的な知名度はほとんどないBtoB企業で、正直全く期待してなかったが、なんとここが大当たりだった。
選考を有利に進めたかったっていう不純な理由で参加したけど、マジで面白かった。大学の授業で色々な技術について勉強したけど、やっぱり現場で生きている技術を学ぶのは全然違う。やっぱり座学でインプットばっかやるのはダメだね。院進学せず、すぐに就職したい意欲が高まった。
社員さんや会社の雰囲気もすごくよかったし、本当に行ってよかったと思う。本選考でも、第一志望群のひとつとして考えている。
秋〜冬だとオンライン説明会がしょっちゅう開かれる。大学主催のOB懇談会も開催。
業務内容を知るのは良い機会だったと思う。説明会で社員さんが話す仕事内容は、ネットや書籍じゃ得られない。こういうの出て仕事内容を把握しとかないと、志望理由とか書けないな〜っていうのは今になってめっちゃ思った。
あと、心なしか説明会に出席した会社からはメールで色々な案内が来てる気がする。説明会→さらにマニアックな説明会→個人面談...。みたいな感じになってる企業もある。逆に、説明会に全く出てない会社からは、全然案内来ない気がする。
説明会の熱の入りようも会社によって大分違う。オンラインでガンガンやる所もあれば、まったくやらない所も。説明会の案内が来ない会社は学歴フィルターでもかけているのかと不安になる。
また、説明会に出れた企業の方が働くイメージを、持ちやすく志望度が高まる。そして、説明会を積極的にやってくれない会社は、相対的に志望度が下がる。
ちなみに、企業主催の説明会よりも、大学主催のOB懇談会の方が絶対におすすめで優先度が高い。参加者が少なすぎて質問しやすいし、ぶっちゃけた話を聞ける機会も多い。人気企業にもかかわらず、参加者が自分一人だけだったときもあった。
大学主催の懇談会は案内が分かりづらいため、このようになっていると思われる。ちゃんと大学からの情報を確認しておくこと。
冬期インターンシップの募集はだいたい秋に締め切るので、1月くらいになって「2月インターンさがすかあ」と言ってると遅い。
ESをしっかり書かされるなど、夏季以上に志望度やら企業への理解が要求されている気がする。
幸運なことに、冬期インターンシップにも参加できた。やっぱりインターンシップは学ぶことが多くて最高。クソ教員の座学半期よりも、5日間の実習の方が学ぶことがずっと多い。
志望企業の半分以上は既に選考が始まっている。大体1月下旬からES提出の案内が始まっているイメージ。1月頭に募集が始まる会社も。業界によって差があるのだろうけど、3月まで律儀に待っている会社は少なく感じる。
あと、インターンシップに参加した会社からはもれなく早期選考の案内が来る。会社によっては、推薦状の提出が求められる。
3月以前から募集を始めている会社でも、スケジュールは結構異なる。3月以後も募集を続ける会社が多いが、2月上旬で募集を締め切っちゃう会社もある。さっさと締め切ってしまう会社は、企業規模に対し人気が高すぎて、応募してくる学生を捌ききれないのだろう。
また、面接面談を何回も行う会社も。面談でESの添削をしてくださるので、非常にありがたいが...。
初っ端の適性検査テストはWebだったが、ノー勉で突っ込んだ。結構ムズくて8割得点するのはかなり難しい感じだったけど、全くわからないわけでな無かったのでノー弁続行。適性検査ごときの勉強で取られる時間が惜しい。それで選考は通っているので、塾講バイトできる程度の計算能力があれば十分だと思われる。
電卓を使えるWebテストよりも、電卓を使えないテストセンターの方が計算が簡単で楽だった。(実際のスコアは知らん)
会社によって実施テストが異なる。テストセンターの得点を使いまわしできるとラクなので嬉しい。
「就活は黒スーツじゃなきゃダメ!」と言い切っているサイトがあるが、面接官はそこまで気にしていないと思われる(技術系の場合)。
マナー講師が卒倒するようなオシャレ系スーツを持っており、企業説明会の個人相談で印象を聞いてみたが、「オシャレだねえ別にいいんじゃない、今どきそこまでうるさくないよ」って感じの反応だった。そのスーツで面接に臨もうとは思わないが、ビジネスシーンでふさわしいスーツやネクタイであれば何でも良いと思われる。
スーツやネクタイの色よりも、シャツが袖からチラリと見えるとか、ズボンの裾がダルダルじゃないかの方がよっぽど重要だと思う。スーツとシャツのサイズが合ってなっくてダサくなってる就活生はマジで多い。ジャケットとスラックス両方直しても2〜3000円で済むので、直したほうが良い。
頭髪はおでこを出すカットの方が印象が良いな〜っていうのは他の就活生見てると感じる。
大学が配布している就職のてびきがあるので、それを参考にする程度。就活マナーの本とか買って読んだりとかはしたことがない。
メールの書き方は就職のてびきに書いてある内容を参考にして適当に。
対面の面接は練習でしかやってことがないが、部屋に入る時にノックする、面接官に言われるまで座らない、程度しか意識していない。それで練習中ツッコミが入ったりしないので、一般的なマナーが守れていれば十分だと思う。
基本的に、情報収集は企業マイページから収集している。マイページに登録してるメールアドレスに、説明会の案内などが送られてくる。
マイページに登録している企業から送られてくるメールを確認するだけ。
マイナビとかはどうやって使えば良いのか、未だによくわからない。
あと、ABABAっていう就活サイトにも登録。最終面接まで進んだ会社の記録を登録しておくと、それを評価した企業からスカウトが来るらしい。保険として使ってみる。
このサービスはLINEで情報が届くので、マイナビなどと違い使いやすい。
マイナビとかに登録してると、企業説明会のチラシが自宅に届く。
大概「◯社以上回るとアマギフプレゼント!」っていうキャンペーンやってるので、それ目当てで行く。
中には、総額で1万円くらいプレゼントしちゃう説明会も。話聞くだけで1万円もらえるのだから、こんなに割の良いバイトはなかなかない。行きたかったが都合が合わず諦めた。
理系、特に工学系の学科だと過半数が院進学を選択する。(もちろん大学や学科にもよる)
研究に対するモチベーションが高く能動的に院進する人と、進路についてちゃんと考えずダラダラしていたら就職が手遅れになり、ダラっと院進学する人がいる。
逆に就職を選択する人は、金銭的な理由で院進学が渋い、理系が嫌になり文系就職、さっさと就職して銭稼ぎたい(私はこっち)、などの理由が多いイメージ。私の大学では半分程度の人数が院進学するが、私の友人はみんな院進学するので、感覚的には院進学する人はかなり多く感じる。また、大学によっては7割以上が院進学することも。
大学の進路説明会とかだと、「就職は院生が圧倒的に有利ですよ!」って散々煽られる(多分学費と研究室の人手が欲しい)。しかし、技術者としてバリバリ働いている方に意見を聞いてみると、仕事できる実力が重要と話すことが多いので、大学の意見とギャップを感じる。
しかし、院生が優秀だと感じることは多い。インターンシップに出てくる人は圧倒的に院生が多いしみんな優秀。特に、チームで考察し議論するスキルや、エクセルでの数値処理、人前で発表するスキルについては、院生に分があるとインターンシップで感じた。学会の発表などで鍛えられるのだと思われる。
しかし、院生が優秀である因果関係については、よく考える必要がある。というのも、学部時代から優秀でモチベが高い人は大体院進学するので、院生が優秀なのはある意味当たり前である。また、学部卒でも授業で発表したりエクセルで数値処理する機会はあるので、学び方次第で差は埋められるとも思う。
また、二年間自社で教育した方が都合が良いと考え、学部卒を積極的に採用する企業もある。そういった点をふまえると、学部卒が圧倒的に不利なのかと言われると正直微妙。
私は自分が優秀だと思わないが、今の所出したESはバンバン通ってるので、まだ学部卒のネガティブな部分は感じていない。
入社した後は知らん。
企業への推薦は理系ならでは。大学によって研究室から推薦が出る場合と、研究室は関係ない場合がある。
推薦を申し出ると、内定が出た場合は辞退できない。企業側は学生を確保しやすいメリットがあり、学生的には内々定が出る確率が高いというメリットがある。
個人的には、推薦を使うのがいいと思う。というのも、いくらザクザク内々定が出ても、最後は1つだけに決めなければならない。それなら、あらかじめ第一志望を決めておいて推薦を使い、確実に第一志望の内々定をもぎ取るのが合理的である。ただし、第一志望の会社が自由応募の場合や、どこでも良いからさっさと進路を決めいた場合は、推薦はやめておいたほうが良い。
長く続けられると思っていた。
が、実際は、
チームメンバーは
別人格を作り成長しようと活き込んだ。
みんな多少なり気遣いをしていても基礎が違う。
みんなの普通は
だから、
早3日目には
人間観察され、みんな口々に
天然ですね、変わってますね。と、言われ。
抜けている、しっかりしていないことを
対人関係において
自分は今まで怠ってきた。
ツケがまわってきたのだ。
ここで、変わらなければいつ変わる?
色々な人と出会い成長しよう!
と思う自分と、
モチベーションの雲泥の差、
適職ではなかった。
というのもある。
でも1つ言えること、
コミュ障でも語彙力の有無だろうな。
幼少から親にずっと禁止されてたマクドナルド。高校生や大学生になって少し自由にお金が使えるようになっても、マックに行こうという気にはならなかった。
この前、中学からの友人ふたりとオールでカラオケをした。カラオケを出たのが朝7:00、じゃあ解散するかと言いかけたとき、一人が「朝マック行くか」と言い出した。「おーいいね」ともう一人が賛成して、俺のほうを向く。
昼マックも夜マックも行ったことがない俺が、朝イチでマックを食うという罪悪感。こちらに向けられる二人の視線。
俺は内心ドキドキしながら「あーいいね。何気に朝マック初めてだわw」と言った。昼マックも夜マックも行ったことがないのに、さも行ったことがあるかのような言い方をした。
二人となんてことない会話をしながら、緊張して震える手で朝マックのラインナップを調べた。
「セットだのコンビだのよく分からん!でもとにかく安い!こんなにあって390円!?」と、たくさんの初めてに興奮。
何分かラインナップを見た後、俺のマック童貞は「ソーセージエッグマフィンセット」で捨てることにした。あと、甘いものも食べたかったからプチパンケーキというのでサイドを固める。
店に入り、完璧にメニューを注文すると、席について1分も経たずに出てきた。速い。
少し息を吐き出し、ソーセージエッグマフィンの包み紙に手を伸ばした。俺は、なにか封印を解くような気持ちで、一心不乱にかぶりいた。
美味い!美味すぎる!!
ホヤホヤであたたかいバンズと、ガツンとジャンキーなソーセージと卵の味。ソースも美味い。セットのハッシュポテトも油っこくて美味い。
脳内で快楽物質が出ているのを感じた。朝マックで完全にキマッた。
サイドのプチパンケーキも、丁度いい大きさのモチモチ生地に、めちゃくちゃ美味いソース。
こんなに美味い朝食は初めてだった。美味すぎて3分ほどで食べ終わってしまった。
友人ふたりは、俺の食べる速さとテンションの上がり方を見て少し引いていたが、俺が「朝マックめちゃくちゃ美味いな!」と言うと、笑って「だろ?」と言ってくれた。
もっと色々なマックが食べたい。昼マックも夜マックも挑戦したい。全部のメニューを食べてみたい。そう思ううちに、親からのマック呪縛が解けていたことに気づいた。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。スープ。夜:白菜、えのき、ピーマン、たまご、モチ、ウインナーの塩ちゃんこ鍋。ポテチ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
久々にそれなりーだったので疲れた。
早寝します。
○ピクロスe
全然できなかった。
週末から週明けにかけて、私の様なオタク系Twitter難民の移住先に適したSNSについて考えていた。だが、先週の凍結祭りの被害にあった人々が次々と復活していくと、結局誰もTwitterを去る事など本気で考えてはいないと解ったので、私の試みはすっかり無駄骨に終わった。でもまあ、せっかくだからあれこれ書き残しておく。
ひょっとすると、商業漫画家やイラストレーターは既に移住済だったりするのかも。画像を投稿して宣伝するだけなら手間じゃないから、Twitterと併用も余裕で出来そう。ただ、世間一般のオタクとしては、身バレリスク(スマホに登録された連絡先のせい)のデメリットが遥かに上回るので、閲覧専門ならまだしも、自分の作品を売るわけでもないのに投稿するメリットはないと思った。そもそも私、字書きなので投稿するものがないし。
LINEやFacebookなどと違い、リアルの知り合いと連絡を取り合う為のツールにしてはInstagramは煩わしさが少ないという。そのぶん、迂闊に他人とつながろうとすると、相手からとても嫌がられそうな気もする。ここをLINEにするな! みたいな。
ゲームをほぼやらない私には一生縁の無い場所。ゲーマーの知人に聴いたところ、ゲーマーだったらSNSはここ一択だろって事だった。ゲーマーは総じて口がものすごく悪いので、罵り合いながらコミュニケーションを取っても誰も咎める人がいない、discordはユートピアであるらしい。確かに、TwitterとかYou Tubeとかで内輪ノリを漏らして炎上してるゲーマーを見ると、一生discordから出てこなくていいよって思う。
一番Twitterに近い。でも有象無象が居すぎるので、守備範囲がごくごく狭い分野に限られるタイプのオタクが何か呟いたとして同士が見つかりそうもない。ローカルのタイムラインを眺めていると、性器の名称を連呼している奴らの存在が目立つ上に多い。そういうのが跋扈しているところって、いつ「俺達のインターネット! ま○こは出ていけ!」と罵られ嫌がらせをされるか恐怖でしかない。結局、目立たないように日常のどうでもいいことを呟くしか。何も考えずに.jpのインスタンスに所属してしまった私が悪いのかもしれないが。腐女子のためのインスタンスもあるというので、後で覗いてみようかな。でも、私は根っからの腐女子という訳でもないんだよな(カプ厨ではあるものの、男女・BL・百合どれでも好きな物は好き)
字書き向けの投稿・交流サイトとしては優秀。Twitterの様なつぶやき機能があるが、それをお知らせ以外に使っている人は少ない。「グループ」と呼ばれる掲示板があって、昔のmixiやGREEの掲示板の様に利用されている。グループの管理者がマメなタイプなら、限られた仲間内でくだらないことも有意義なことも話し合えて楽しいかもしれない。
ただし、基本的にオリジナル作品を投稿する為のサイトなので、二次創作専門の民はお呼びではない。
ピクスクの運営会社が運営している。投稿・交流サイトとしてはPictBLand(BL専門)、PictGLand(百合専門)、PictMalFem(男女カプ専門)の3種類がある。カップリングごとでサイトを別けていることからも、もっぱら女性向けであることがわかる。実際、女性とおぼしきユーザーしか見かけないし、独特の自治文化があり、どこまでやったら垢BANされるか試すかのようなチキンレースを繰り広げる輩がいない。完全クローズドSNSなので、サイト内で公開した作品が全世界にまで大公開されることはない。だから安全な作品倉庫として使える。
作品投稿機能の他に、ピクログ(ブログ)、掲示板などで交流可能。ただ、普通の投稿サイトと違い、いいねやブクマを非表示に出来たりなど、承認欲求を拗らせたり、やり過ぎ互助会活動が過激化したりで疲弊しない為の仕組みがある。利用者のメンタルが繊細過ぎる傾向があるので、それでも匿名いいねやブクマで揉めたり利用者が消耗したりはする。交流掲示板は内輪で使う承認制のもの以外はオープンで匿名利用になっている事が多く、スレによっては匿名だからか5ちゃんねるやがるちゃんの様に暴言が飛び交い殺伐としていることもある。
PictBLandは、いわゆるナマモノ同人愛好者の隠れ家となっており、ツールを駆使して鉄壁の守りのもとで秘密結社のように活動している。他にもTwitterではあまり見掛けないような作品にハマっている腐女子がひっそりと活動している。一応安全性は確保されてはいるものの、ナマモノ特有というか、ドルオタによくあるらしい、ファン同士の晒し上げ誹謗中傷等の激しい叩き行為からは、それでも無縁ではいられない模様。
PictMalFemは、私は過去に利用していた時期があるのだが、物凄い過疎りっぷりでつまらなかったので、辞めてしまった。PictGLandは、百合は嫌いじゃないけど自分で妄想したりたまに書くだけで満足な為に覗いた事がない。インターネットのオープンな場だと、百合といえばもはや男性(と女性向けに疲れて百合に移動した女性作家)の為のものって感じがするので、女性向けジャンルの行き過ぎ自治制度の恩恵に与るのになれてしまった自分には合わなさそうな気がして、食指が動かないっていうのもある。サイトの構造上は女オタクフレンドリーのハズなのだが(Pict三姉妹は構造は全部同じはずなので)、中の住民が違えば文化が違うはずだよなあ。
オタクの為のSNSである。ユーザーの性別やジャンルは問わない。一次創作、二次創作のオタクだけでなく、レイヤーやVtuberやハンクラのオタクetc. あらゆるタイプのオタクが歓迎される場所であるらしい(ただしエロコスは厳禁)。現状は二次創作の女オタクが目立つ。ほぼクローズドのSNSで、投稿した作品は、自分でTwitterなど外部SNSにリンクを貼らない限りは外部に向けて公開される事はない。
サイトの構造やシステムは女オタクに優しいタイプで、実は交流のしやすさよりも「交流のしづらさ」を売りにしている。Twitter上での人間関係に疲れてしまったオタクの行き着く場所。Pict三姉妹に近いけれど、性別・ジャンル混交なのとまだ新しいサイトだからか煮詰まった感じがせず、ユーザーはのびのび好きにしている印象がある。
交流はしづらい仕様になっているが、書いた記事にハッシュタグをつけて投稿する事によって、一つのトピックのもとに集合することが出来る。個々人のタイムラインの他にはMastodonのローカル・世界のタイムラインのような、ユーザー全員の呟きが集まるタイムラインというのはない。ハッシュタグ検索をすると、そのハッシュタグの付いた記事だけのタイムラインを閲覧出来る仕組み。リプライのやり取りが面倒臭いので、一つのトピックについて各人がエアプで言いたい事を言っている。
アクティブユーザーがごく少数しかおらず、しかも全員孤立しているので、内輪ノリは見られず、今のところみんなお行儀よくしている。拡散力が物凄く低いせいで、政治系インフルエンサーが全く居ないし今後も来る気配がない。政治の話題が投下されない為、ユーザー間の分断と対立が起きにくい。しかも18歳未満の利用は不可。それらの理由により、治安がかなりいい。ところが、18歳未満は利用出来ないのを「18禁作品を好きなだけ公開してもいい」と勘違いしたユーザーが無修正作品をワンクッション置くことなく投稿したり、ルールを分かっていながらあえて運営者を試す様なエロのチキンレースをするユーザーがたまに観測される。そんな事もあるが、女性ユーザーの割合が多いので「ここは俺達のインターネット! ま○こは出ていけ!」と騒ぐ集団から女性ユーザー達が嫌がらせがされるという事はまだ起きていない模様。仮にそんな事が起きても運営者は厳しい対処をしてくれるという、安心と信頼はある。
ただ、まだβ版なので肝心な作品投稿に不便な部分が多々ある。作品を書いて投稿するよりはタグ検索でだらだらまったりする方が向いていて、かといって自分の書いた事に対していいね以上の明確なリアクションが来ることは少ない。なので、自分は一体ここに何のために来たんだっけ? となりがち。
半年ログインしなかったIDは削除されてしまうため、作品保管庫にするには危うい気もする。
Twitter春の凍結祭りによって、多くのオタク系Twitter難民がMastodonとくるっぷに避難したのを見たが、その多くが凍結解除された途端にやっぱりTwitterがいいと言って新天地から去っていった。
私はMastodonとくるっぷとピクブラを気まぐれに回っていれば満足で、Twitterには推し作家さんの情報を得るくらいしか顔を出すモチベがなくなってしまった。何でもいいから何か呟きたくなったらMastodon、ゆっくり過ごしたい時はくるっぷ、作品を保管するならピクブラ、そして何か情報を得たいなと思ったらはてぶ。それでいっか。居場所はいくつもあったほうが良いって言うしね☆