はてなキーワード: 習い事とは
元夫は挿入はできるけど射精はできなくて、手や口でしてもできなくて、ほぼ初めて付き合った人が夫だったので、私はしばらく男性の射精は都市伝説かと思ってた。
付き合ってる時から子どもどうしようと思ってしばらく不妊治療のことをずっと調べてた。不妊治療をすれば子どもは授かるかもしれないし、でも子どもがいなくてもこの人とならと思って結婚した。セックスがなくてもいいと思った。
でも、結婚してみて、セックスもなくて、私も毎日フルタイムで働いて、彼が住みたいと言った都心の狭いマンションに住んで、どうして結婚したのかわからなかった。
会社は突然辞めますと言ってきたといわれた(会社辛いの知ってたから無理しないでもいいよと明るく励ましてきたけど、まさか突然言われるとは思わなかった)。元夫は楽器を習ってたけど「奥さんのせいで楽器を買えない」って先生に言ってるのを知った(狭いマンションで楽器は禁止だから無理だよと言っただけ。習い事はずっと応援してた)。
子ども欲しいなあと思っても絶対できないのに、「子どもができてもずっと仲良しでいようねミャハ」と言われた時は泣いた。
家が狭くて、ついでに相手のものも多くて(缶ジュースやペットボトルをケース買いするのが理解出来なかった)、他人と暮らすことに私もストレスの限界を感じてた。
だからまずは、引越ししたい、子どもどうするの?どうしたらいいの?という手紙を書いた。でもなんにも反応なくて、つらかった。
今はひとりになって、休みに誰かと出かけることも少なくなって、彼と過ごしたいろんな思い出を思い出して、
ひとり暮らしは快適でストレスも減ったけど、いろんな思い出を思い出して、「どうしたらよかったのかな」と考える。
子どもも、結婚した二十代半ばはすごく欲しかったし、結婚してるから次は子どもっていう気持ちがやっぱりあったと思うけど、
今はひとりでそういう柵もないから、何がなんでも欲しいと思うこともない。
男の人は弱いから優しくしてあげてっていわれる。
男の人って子ども欲しいとか思わないんですかね。子供ほしいから治療して授かろうとか思えないのかな。
男の人も弱くて脆いのかもしれないですが、
女だってそれなりに弱くて脆いんですよ。。。
ほぼ毎日、妻から「あなたは本当に何も家事を手伝ってくれないんだから」と愚痴を言われる。
妻は専業主婦で、習い事を週2でやっているくらいで他はだいたい家にいる。子どももいない。その割には家に帰ると、掃除、食事、洗濯、どれも出来てないことがよくある。
「今日何してたの?」
と聞いたら、
「本当に家事が大変。やることがたくさんあって、昼ごはんも食べられなかったよ」
と言う。
とでも言いたげ。
最初はなんでそんな嘘つくんだ?と思っていたけど、よく話を聞いてるとどうやら嘘じゃないことが分かった。
ワイシャツ1枚アイロンにかけるのに40分かける。仮にアイロンが必要な服が10着あるとして、6時間40分だから、昼前から始めて5時になってもまだ終わってないことになる。
食事を作るにも時間がかかる。おれは週2~3回は夕食や昼食を作るが、だいたい30分くらいあれば3品くらい作る。妻は夕食の準備に少なくとも3時間近くはかかる。確かに味は美味しいのだが。
さすがに、家事が丁寧すぎる、もう少し効率的にやったらどうだ?と言ったんだが、これが自分のスタイルであり崩せないという。自分自身が基準なので、手早く掃除や食事をしてしまうおれは、家事を手伝っているうちに入らないらしい。
今はまだ子どもがいないからいいけど、もし子どもが出来たらと考えたら恐ろしい。子どもの世話に異常に丁寧になり、きっと家事はおろか、自分自身のこともケアできなくなるに違いない。
あの時どうすれば良かったのだろう。
詳細は伏せるが海外在住で、彼は中華系クリスチャン。とあるアート系習い事でマンツーマンで習っているうちに好きになってしまった。
自分はアラフォー子持ち×イチで、この時点で脈がある可能性は相当低いし、万一うまくいってもお互い未来はないということはわかっている。
(普通の結婚をして子供を持つという相手の幸せを考えたり、自分の子供に対する責任を考えると私も再婚はない。)
が、好きになってしまったのでなんとなく押したり引いたりしている状態。
習っている間は割とレッスンに集中していたが、時折はさむ短いおしゃべりはお互い楽しんでいた。
日本のアニメや漫画を見て育っているので、日本人や日本文化に憧れのような良いイメージを持ってくれていて
そこが私のような年上にも良くしてくれている理由ではないかと思っている。
そして、たまに
(習い事関連でリマインドしてというので)「じゃメールアドレス教えて」というと「えっ、、職場の?プライベートの?」と焦ったり
(特に他意はなく)「今週忙しいの?」とかいうと「え、、、なんで?」と少しだけ挙動不審になったり
(おみやげ買ってくるよ何が良い?)とかいうと真っ赤になって焦ったり
その折に見せる反応がちょっと可愛すぎて、日本人だと27でこれはないよな・・大学入りたてくらいのピュアさ?そもそもBBAにこの反応はないよな・・
と思いつつ、そこも好きだったりする。
顔も比較的ハンサムで、こちらの人にしてはお洒落なのになぜ女慣れしていないのだろう。
彼のいる業界は女性の比率が高く、大学も所属する団体も女性が多い。
Facebookでも女友達・男友達に囲まれ、友達が多く楽しそうである。
(日本の若者は知らないが、住んでいる国の若者はFacebook友達1000人以上とか普通で、
FBやインスタに全体公開でアップしまくる人が多い。この為、彼が全体公開に設定していなくても
写真を見ると、楽しそうに囲まれているが、女友達の肩を抱くのはためらっている(堂々と触れていない)のが見てとれる。
・・童貞?
なーんて思いながら、インスタとFBに足跡機能があれば死ぬっちゅーくらい見に行った。ちなみに彼の友人たちはそろそろ結婚したり恋人の存在をアピールしたりしている。
彼は転職に伴い遠方に引っ越してしまったのだが、半年ほど経って私が習っていた事の報告で連絡を取り、
そこから2週間と開けずにWhatsAppでたわいもない話を続けるようになった。
一旦会話が終わり、2週間後に新たに連絡を取るのはだいたい私だが、いつも長いやり取りになる。
そして先月、私が好きなバンドのライブが彼の住む場所に来るので、
話の流れで「4年前からファンだったバンドがそっちに行くから観に行こうか考えてる」と話を振ると
「OK! interesting! When is the concert?」
となり、一緒に観に行けることになった。
ライブは夜なので泊まりでないと無理だ。(子供を見ててもらう段取りはなんとかできた)
私は舞い上がった。
相手がどう思ってライブに付き合ってくれるかはともかく、私には千載一遇のチャンスだ(なんのだ)。
宿については「どのあたりが便利?」と聞くと
ものすごく親身になって調べてくれて、「Air BnBはどうだ」とか「この辺がいいよ」「今これセールやってるよ」「予算教えてくれたら僕も調べるよ」
と送ってきてくれた。
それは私を誤解させるには十分だった。ホテルよりAirBnBのが部屋に寄りやすいかな!?とか、職場に近いエリアを勧めてきてるけど、どういうつもり!?とか
当日はライブぎりぎりに合流し、一緒に観て、終わったのは夜9時半。
「ごはん食べた?」と聞くので「食べてないよ」というと(えっっ、、)という反応をして、
そのあとタクシーで食べに行った。
雰囲気の良いレストランというよりはカジュアルな食堂に行った。
こんなおばさんと一緒に食べても嬉しくないんだろうな・・と思いきや
終電まで話は尽きず、楽しく過ごせた。
新しい職場は休みが少なく、ストレスが多いようだが自分の故郷に戻るときには雇われの身でなく起業したい!と、年相応の悩みを真面目な顔で語る彼を
もう1杯飲む?と聞いても明日も朝早いから!とビール1杯だけ、
「部屋についたら連絡して」と私の帰路はちゃんと心配してくれ、
「今日は付き合ってくれてありがとう」とお礼のメールをすると「そんなの言わないで、楽しかった」という意の返信が来た。
話は盛り上がったが、いい雰囲気になることはなかった。
そもそも私の中に半年以上ぶりに会う人で、初デートで、そこからやれたかもに持ち込む技量がない。
(年齢的にも引くだろう)
しかししかし、最近インスタグラムで、1年前の投稿を見つけた。彼が大学の友達数人に誕生日を祝ってもらっていて
「早く彼女作って会わせてよ!待ってるよ!」と全体公開で書かれていて(かわいそうに)、あーやっぱずっといないんだな~童貞か
と思った。
それならそれで、どうすれば、うまく持って行けたのだろうか。
私は元々ゲーム好きで結婚出産してからは幼児がゲーム中毒になったら困るからゲーム機を買わず無料アプリをぼちぼちやっていた
ガチャゲーはパチンコみたいで不健全だし突っ込み過ぎてる人を見ると怖い、システムも面白くないと避けてパズルゲームを時間つぶし程度に
そこにファイアーエムブレムヒーローズがきた
弱いキャラでも羽をつぎ込めば星5に育成出来るし、羽もめちゃくちゃくれる
無課金でも十分な戦力を整えられる
しかし一気にチート星5キャラを4人投入し、その中から選んで一人もらえるキャンペーンをみて太っ腹過ぎて不安になってきた
ひょっとしたら相当売上が悪くて追いつめられているのでは
ゲームを買ったと思って数千円程度でも入れた方がいいのでは
5分でわかるカタルーニャ問題の増田です。すごい伸びててビックリしました。増田でブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!
https://anond.hatelabo.jp/20170910082231
ということで、補足説明の補足に来ました。
sgo2 東京が税金が地方にばら撒かれるのはうんざりだから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府が辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)
その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画の実施率はマドリードがほぼ100%、バルセロナでは10%以下)。
さらに、法律では介護費用は中央政府と自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州の拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局も廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。
仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。
mahal しかし徴税権の上前問題、ぶっちゃけバレンシアやラマンチャ、アンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。
実は2006年のカタルーニャ自治州新自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシア、ラ・リオハ、アラゴン、バレンシア、バレアレス諸島の5自治州からも違憲だとして提訴されています。ムルシア自治州とラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州を構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州とバレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州の独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語の勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語はスペイン語)。要するにカタルーニャは隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。
shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい
スペイン語という習い事をカタルーニャ人に押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。
スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方でしか通じない特殊な言語で学ぶ必要は特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。
IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪を別にしても政治そのものがヘタクソすぎないか
これはもう統治技法の問題じゃなくて、国民党(や市民党)からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法を無視し国家の統一を破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。
ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャの雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャの要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつうの市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党・国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。
もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャの民意をそれなりに反映しているわけです。独立派+独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。
あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動をフランスの国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義的運動だと誤解する人も結構います。実際には既に指摘したように移民の出自で独立に賛成している人も大勢いますし、普段スペイン語で生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャを独自のネーションと認めないのってスペイン国粋主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャに移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちがカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。
以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルにカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。
マドリーに住んでる子にちょっとカタラン少しだけ勉強してみようかなって言ったら「スペイン語に集中して。カタランはそこでしか話されてないから」的な返信来てあぁ〜!!これが噂に聞いていたスペインの多様性!!(褒めてない)という感動 castellanoのことをespañolと書いてるし— さいか@バルセロナ (@sik15esp) 2017年9月10日
これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画がようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。
https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM
atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語を統一して、国を維持してるよね。イギリスはスペインよりうまくいってないし。
いや、フランスもバッチリ少数言語のアイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者のテロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近は地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。
ちなみに欧州の少数言語はWikipedia作りが盛んで、バスク語やオック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。
参考文献はこちらです。
stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理がおかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。
私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈で違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。
anus3710223 仮に独立した際、ビルバオの処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。
mrescape 独立したらリーガのバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカのMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージで
ビルバオはバスク自治州のチームなので、今回の住民投票でカタルーニャが独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思います(https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。
gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスクも自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。
が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。
yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民が47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治に成功しているんだなあ
いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民の民意が中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策・発言ばっかりされている、独自の文化と歴史を持つ県が。
「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!
頼れる父と専業主婦の優しい母の元で、何不自由なく育った姉妹。私は妹の方。
私は自分で言うのもなんだが出来が良く、姉は出来が悪かった。
具体的に言えば、学年トップクラスと平均やや下くらい。
加え私は主要五科目以外も得意で、絵で賞を取ったり、やっていたスポーツで入賞したりと文武両道、何かと目立つ子供だった。
姉を甘やかし常にサポート。金に糸目をつけず高度教育を与えた。
一方私は「あなたは出来るんだから大丈夫よね」と割と放置され、やりたい習い事など我慢させられた。
お姉ちゃんがうらやましいなって思ったことは何度もある。
過敏な思春期の頃は、親は私を愛していないんだ、姉ばかり可愛いんだって毎日一人で泣いていたくらい。
でも、私は一人でもできるということをプライドに、努力して努力して常にそれなりの結果を残しつつ大人になった。
良い子でいたら親がこっちを見てくれるとも勘違いしてたし。
結果、女ながら企業家になった。
一方、常に甘やかされた姉。
それでも親がサポートしてくれるから全く困ってないみたいだけど。
姉のことは身内だから仲良くしようと思うけど、
同じ血を引きながらなんて愚図で駄目な女に成長したんだろうと思う。
親に惜しみなく愛情を注がれた彼女は、与えられて当たり前だと思っており、
何も考えない。
「なんで妹ちゃんがそんなに頑張るのかわからない。うちは裕福なんだから頼ればいいのに」と笑う。
そんな人生を、今では全く羨ましいと思わなくなった。
私に子供はまだいないけど、どんなに愛していても無条件に与えることだけはしないと固く誓う。
私は、高校三年生です。
先日、模試の結果が届きました。
確実に成績が上がり、前回D判定だった大学がB判定に上がっていていたのと、初めて偏差値が70を超える教科もあり、少なからず喜びました。
しかし、結果を親に見せたところ、「この成績で第一志望に行けるの?」と言われました。良かった教科には触れられもしませんでした。
とてもショックで言葉も出ません。
褒められることを期待したことが惨めに思えました。
でもそんなことはわかっています。とても不安です。でも、すこしくらい褒めてくれてもいいんじゃないかなと思いました。
思えば、あまり褒められた記憶がありません。小学生のときも、中学生のときも、習い事も、部活動も、勉強も運動も。
親から褒められた記憶があまりないので、人からプラスの意味の形容詞を使われたとき、どう対処していいのか、わかりません。
褒められたい気持ちだけでいろいろなことを頑張っているわけではないけど、すこしは褒められたい気持ちがあるので、張り合いが無いような気がします。
私がB判定を取った大学に通い、地方公務員になった従兄弟は「すごいすごい」と褒められるのに、なぜ?と思うこともあります。
私が褒められるためには、第一志望の大学に行き、将来、商社や省官庁に勤めるしかないんですかね?
ひとつだけ言えるなら、もしこれを読んでいらっしゃる方にお子様がいらっしゃったら、ぜひ、褒めてあげてほしいです。(上から目線で申し訳ない)
褒めることの重要性は長年説かれてきていて、とても大切なことです。
「生きてるだけで褒めてくれる〜」みたいなの、ツイッターで流行ったのを思い出しました。
人はみんな頑張ってるし、社会人の方々も頑張ってる。
「よくやった」とか、「すごい」とか。
先生や友だちから言われるのも、きっと嬉しいけど、親から言われれば、もっと嬉しいだろうと思います。
https://www.businessinsider.jp/post-100717
今、駐妻界隈には新旧二大勢力があると思ってる。具体的には、
旧勢力→オールドスクール駐妻スタイル(専業、習い事、お茶会etc)を押し付けるタイプ
新勢力→駐妻はキャリアの断絶を押し付けられてる!という主張をし始めるタイプ
前者はいわゆる思考停止タイプ、後者は自分の知ってる世間のレベル感で生きていくことを譲りたくないがゆえの視野狭窄タイプだなあと。
正直なところ、前者を選択する人と後者を選択する人はわかりやすくバックグラウンドが違っていて、後者の方が圧倒的に高学歴ハイキャリア組。
だからこそ、後者をより厳しく見てしまう。彼女らのパートナーのほとんどは大手企業勤務。外資ならば昇進とともに海外勤務の可能性が出てくるのはあり得るコースだし、内資は内資で、大手ならば社員本人にその資質(語学力等)があったり、海外勤務の希望者が海外勤務となるのが通例。結婚前から、多少なりとも海外勤務になる可能性は感じ取れるはずなのだ。
自身のキャリアに強い意識があるのなら、結婚前から「もしも」については考え得るはずだし、パートナーともしっかり話し合いができたのでは?と思ってしまう。
特に今はネット経由で相当量の情報を取得することができるし、大手企業ならば帯同前に会社から説明会や懇親会がもたれる場合も多いから、余計に。
ある程度のリテラシーがある(と思われる)高学歴ハイキャリア女性にとっては、日本国内での転勤が多い人と結婚する妻の立場と、昔ほどの差はないはずなのだ。
もちろん、通例というか、転勤に伴う帯同=女性が退職という固定観念を取り去りたいという考えは理解できる。けれども、上の記事にあるような高学歴ハイキャリア駐妻たちの主張は、あまりにも自分の「レベル」を落とさないことに固執しているように見えてしまう。
駐在への帯同によるブランクを経て、社格や待遇の面に変化はあっても新しい場所で活躍している人もたくさんいるのに。アイデンティティを「以前と変わらない自分」に固定してしまうことの狭量さが、自分を苦しめていることに気づかないのかな?と思ってしまう。
普段は着信なんて滅多にない、あれば大抵手続きごとで比較的重要事項、という感じなので着信音量は落としてなかった。
鳴り響く着信音を早く止めなければと電話に出る。
女性の声、中高年の、もったりした感じ。
●●先生でいらっしゃいますか、いつも主人がお世話になっております、、私、妻でございます…
と続いて、なんだ間違い電話か、と番号を確かめるように伝えた。
電話の向こうのご婦人が伝えた番号は確かに私の番号だったが、全くの人違いなのは間違いなく。
再度かかってこないかちょっと不安に思いつつも、電話を切った。
間違い電話の彼女は主婦なのかな。私も仕事をせず家庭に入るような生き方をしていたら、あんな風にもったりとゆっくり話し、夫の身の回りの世話をして…と電話主の生活を思った。
と。考える。彼女は私を先生と呼んだ。最初は子供の学校の先生への間違いかと思ったが、主人が世話になっていると言う。習い事だろうか?趣味か何かの。しかし中高年の男性にあまりそういうイメージがない。あ、医者か?ひょっとして。夫の病状についての相談?しかしそれも変か、医者の個人携帯に電話相談なんて。じゃあなんだろう、夫が世話になっている先生と呼ばれる職業で、中年女性であり、連絡先が携帯電話。そして、夫を介さずに話す要件があり。
俺は一人っ子で周りにいたのは両親とその親戚のみ
勿論古くからの旧友もいるが、実家で暮らしているとなるとやはり長い時間会っているのは家族の方だ
小さい頃からいろんなところに連れて行ってもらっていたり、習い事もいろいろやっていたりしていた
全て親による憶測と考えで「これならできるんじゃないか」という思いでやってきた
ただクラシックギターの弦を遊んでいただけで1週間後何故かギター教室に通うことになったり、サッカークラブを辞めて運動不足になったことが原因でやりたくもなかった剣道クラブに入らされたりと
「いったい自分は何をやっているんだろうか」と思ったことは数多くあった
これは親のエゴなのかそれともその親の期待に応えようとしているのか、そこには「自分自身」という感覚は存在しなかった
なんとなく自分が学校に通ったり、そういった習い事をする全ての原因は親の意見を優先して聞いてきたからなのかもしれない
初めてアルバイトの履歴書といった大事な書類を作成する際も「間違っていると相手に失礼だから見せなさい」と言ってきたことがあった
俺はその意見を反対し「親がそんなところまで干渉してきたらどこがいけなかったのか分からなくなるだろ!」と返した
22歳にもなってどうして母親が自立しようとしている息子の横についてくるのか理解できない
ある日を境に同居の形になったパターン。
やや痴呆が入るようになったんだよな。
で、そんなある日
その時家には祖母以外に誰もおらず、
かと言ってそれを放っておくこともできず、
気持ち悪かった。憎かった。存在が許せなくなった。心の底から嫌悪していた。
祖母に触れたあとは必ず手を洗った。
そんなある日。
ちょうどその日は休みの生徒が相次いで、先生とマンツーマンだった。
勿論日本語で。
すると先生はこう言ったんだ。
「でもねえ、仕方ないのよねえ」
たったその一言だったんだけど、
憑き物が落ちたみたいってこのことを言うんだろうな。
そっか、仕方ないのか
って素直にそう思えた。
仕方ないならしゃあないな、と。
思えば祖母も好きで家をウンコまみれにしてるわけじゃないだろう。
きっとよんどころのない事情で、ウンコまみれにせざるを得なかったんだ。
それが分かったら、嘘みたいに嫌悪感もなくなった。
車椅子と飛行機問題見てたらふと祖母のことを思い出したから書いてみた。
何も好きで車椅子に乗ってるわけじゃない。
みんな「仕方なく」多少不便でも車椅子に乗ってるんだよな。
「仕方ない」ことなんだよ。
そうやってみんなで許容できる社会のほうがいいと思うんだがなあ。
変なことを言うのがいます。
そもそも、部活動は学校教育の一環で行われている訳で、学校のリソースを使いまくって行われています。
中学校は授業と部活だけではなく、体育祭や文化祭などいろいろなイベントがあり、実行委員になってしまう場合もあるのです。
そういった委員会などで、たまたま放課後遅くなって部活に出られなくなってしまうことも。
そんな時、部活のLINEに「学校のことを部活に持ち込まないで!」と流れてくるのです。
私は「中学の間はLINEの内容はたまに覗きますよ」と言って、スマホを渡しています。
なので、部活のLINEも、クラスの男子にちょっかい出しているLINEも、たまにチェックしています。
部活に熱心なことは悪いことではないのですが、過度になってはいけないと思うのです。
部活に熱心な先輩たちは、かなり勉学がヤバイらしと娘が言っています。
勉学がおろそかになるような部活動ではまずいのではないでしょうか。
かと言って、その先輩たちが強いのかというと、そうでもなく、
市内の大会では1位や2位になれても、地域の大会ではボロ負けするレベルでしかないのです。
文科省は中学の部活動は、週に2日以上の休みを設けるように指針を出していますが、
定期テスト1週間前は部活動は休みと学校が決めていますが、先日は期末テストの前日に大会があり、
娘は試合に出るわけではないのですが、微熱を押して参加しました。
夕方帰宅したときには38度を超えていて、期末テスト1日目を休みました。
(学校を休んだ日、ちゃんと寝てるのか覗いたら漫画読んでいたので、期末テスト云々はあまり言いませんけど。)
まあ、いろいろ思うことはありますが、その先輩にちょっと言ってやりたいことはあるのですが、
なんせ、子供同士のLINE内のことなので、娘の立場とかも考えると・・・。
でも、その先輩は娘の友だちにも、「習い事とかで部活休むのは基本禁止だから」とか、
「私たち3年も習い事をやめたりしている」などとLINEを送ってきていて、おいおいと。
そんな先輩がいるので、娘たちの代は、何人も辞めてしまいました。
先輩たち、今の3年生は、試合に出られる人数は揃っているのですが
娘たち2年生は、新たに入った1年生と合わせても、試合に出る人数になりません。
今の3年生は、自分たちが勝つことだけを優先して、
後輩を育てず、試合にも使わず、自分たちの思い出づくりだけをしているように感じています。
懐かしいし! 微笑ましい!
私も、嫌いな先輩がいたな。
娘と同じく、ただただ、先輩を怖がっていたな。
アホだったし、アホ発言していたなと。
やっぱりあれだ、生きづらい。
小学4年のときクラスの女子からいじめられて、机に「死ぬ」「死なない」なんてあみだくじを作ったことがある。中学2年のとき友人と口論をして、教室の窓から身を乗り出し、飛び降りようとしたことがある。
でも、どちらも本気じゃなかった。その考えはすぐに放棄できた。生きたかったし、死ぬのは怖かった。
それに比べ、ここ3年くらいの死にたさはやっぱり異常だ。
ほぼ毎日死ぬことを考えている。以前は何年かおきに一度「ふと頭によぎる」程度であったのに。
それに、とても具体的に考える。未遂だって何度もしている。いつ実行してもおかしくはない。
死のうとしていなかったときの私を思い出す。通学や入浴や起床などに対し、やらないと…なんて葛藤とともに行っていたことなどない。ごく当たり前に当たり前のことができていた。生きること自体には、困難なことなど皆無だった。
最近、以前に増して「やばい」と思うのは、無気力に死のうとしていることだ。
あまり深く考えていない。死にたくて、もがき苦しむエネルギーもない。生きたくない。もう十分だ。死んでもいいかな…。
通院が苦手だ。
中学3年の時にホルモン系の持病が発覚した。原因はストレスらしい。幸いにも生活で困ることはそれほど多くない。寝るときの呼吸が浅くて、パートナーとの会話のネタになる程度だ。
実家にいたときは、親が病院の予約をしてくれた。当日、私は車に乗りさえすれば、通院は完了していた。まったく苦ではなかった。
しかし、大学入学を機に一人暮らしを始めて2年、発病時よりも数値が荒れた。それまで3か月に一度通っていた病院に、2年もの間全く訪問しなかったのだから当たり前だ。
実際、当時はとても生きづらかった。必死に死のうとしていた。何度も自殺未遂や自傷を行って周囲に迷惑をかけていた。結果、一人暮らしは不可能と判断された。
病院の近所に引っ越して3年が経った。指示された時期よりも訪問が遅くなることはしばしばあった。しかし、通院は続けられていた。
なにより、相性のいい主治医と出会えた。数年かけて、先生とは近況報告をするほど距離が縮まった。
精神面はある程度回復した。自殺未遂も自傷も止めた。社会復帰もした。以前よりはうまく自己を調整できるようになった。
ところが先日、病院の予約をしようと思ったら主治医の名前がない。ホームページには彼女が退職したとのお知らせが掲載されていた。
ここ半年、就活などでバタバタしていた。指定された通院時期の2倍近くも遅れて予約をとろうとしたのだから、主治医は悪くない。適切な時期に訪問していれば、次の医師に引き継いでもらうこともできただろう。
そもそももう7,8年も通院して、未だ同じ薬を服薬し続けている。一回の診療に一万円弱の出費がかさむ。
次の予約時に指定できる数人の医師のことを私は一切知らない。また一から主治医との関係を築くことから始めなければならない。
発病時、一生ものの病とは聞いていた。しかし、もう闘う気力がない。
持病についても深刻だが、心のほうも深刻だ。
一人暮らしをしていたとき、自力で精神科に通っていたことがほんの数か月間だけある。
当時は今にも増して酷い状態だった。自殺未遂や自傷もそうだが、睡眠や食事にまで弊害がでてきた。あまりにも生きづらいので助けられたかった。一度受診してみれば生きづらさは劇的に回復するイメージがあった。
お分かりの通り結果は悲惨だった。
精神科は複数回通うことが必須だ。一度の通院で、病名の診断と、的確な投薬が可能なわけがない。薬には調整が必要である。それに、じっくりと対話を重ねて、医師に己を伝えなければならない。
しかし、私は通院を止めた。薬が合わなかったから。医師が合わなかったから。お金がなかったから。面倒だったから。予約を忘れてしまうから。劇的に生活は変わらなかったから。
当時は、強制的に何もしなくていい時期を作ってひとまず危機を脱した。
もう少し楽に生きられるようになりたい。それだけだ。
何も今更すごい成果をあげたいとか、そのためにすごい人になりたいとか、そんな贅沢は言わない。
ただ、学校や部活や習い事や遊びに、なんの躓きもなく、最低「行くこと」くらいはできていた私に戻りたい。
生きたいと思いたい。楽しいことをしたいと思いたい。死にたいと思いたくない。
増田さんの危機感というか不安というか、それの本質が何なのかにもよると思うな。
本をよく読んでおられるようなので趣味はたぶん読書でしょう。立派な趣味だと思います。つまり無趣味なわけではない。読書いいよね。
休日の間ずっと家の中にいるのは気が滅入る、ということが課題なら、文庫本一、二冊持って外出すればよろしい。喫茶店、図書館、公園、ロケーションを変えると本を読む気分も変わります。ついでに一本映画を観るとか。お出かけの足を自転車にすれば軽い運動にもなって一石二鳥かも。
非リア感に漠然と危機感があってキラキラOL気分になれさえすればよいならカルチャースクールとかでいいでしょう。ただしOLの習い事は短スパンで流行りすたりがあるので、毎年習うものを変える、〈何でもいい何か〉を習うのが趣味、くらいの割り切りは必要かもしれません。
気分ではなく本気で出会いを求めてるなら男女比の適当な運動系サークルとか男のいそうな料理教室とかに飛び込めばよいのかもしれませんが、そうした切迫感はあまり文章からは感じませんでした。
出会いは求めていないが孤独感に圧倒されかけているのなら手軽なのはやっぱりカルチャースクール。受講生が中高年主体の講座を選べば人間関係がラクなはずだし若いというだけでチヤホヤされるし年長者の話は面白い。
まあ、今何かを「市民向けに開かれたスクール」で習おうとするとどこもかしこもヒマを持て余した老人だらけなのでその点はあらかじめ覚悟しておくのがよいかと。
うちの長女(5歳 幼稚園年長)が「将棋を好きになっちゃったー!」とのたまっている。数日前に児童館で中学生にちょっと教えてもらったのがきっかけだ。
横で対局の様子を見ていたが、長女に将棋はまだ早い様だった。
小さい子供は基本的に相手の身になって考えるとか相手の思考を先読みするという事が出来ず、それが出来る様になって来るのは5歳くらいかららしいんだけれど、長女はまだその域に達していないっぽい。
自分が指せば相手も反撃してくる、という事がわからないので、自分の歩と相手の歩が対峙してても取ろうとしない。
そんな感じなので、指せる大人がみていると滅茶苦茶もどかしいことこの上ない状態なのだが、相手をしてくれた中学生が辛抱強くて優しい子だったので、怒ったり急かしたりしないもんだから、長女はなんか楽しかったみたいだ。
長女はすっかり将棋に魅了されており、昨日テレビに藤井聡太君の特番のCMが映る度にはしゃいでいた。
実は私も長女と同じ年頃に父から将棋を教わったのだが、その頃の私には早すぎだったし、父も、私に将棋をやって欲しいとは思っておらず、ただ私の弟に将棋を覚えて欲しくて私をサンドバッグ役に仕立て上げただけだった。
当然だが私は将棋が大嫌いになった。
いくら本人が興味を持ったとしても、与えるのが早すぎれば簡単に挫折するし、教える大人の気質や思惑によっては子供に大層な悪影響を与える、というのを私は身をもってしっている。
長女の将棋への興味には、今は知らんぷりしておいた方が良いのだろうか?
でも、折角だから子の好きなものは伸ばしてやりたい、好きなだけやらせてあげたいという気持ちもある。
だが私自身が長女を潰す原因になるのが怖い。私が直接手を下さずとも、私が長女を将棋教室などに行かせたせいで将棋を嫌いになったら?と考えてしまう。
じっさい、習い事なんて一部の天才の為にあるようなものでありあとの生徒はただの授業料搾取要員だ。よほど何か閃く物を持っていなければマトモに扱われないものである。
……と考えて、長女に将棋を教えるのをやめる、というのも長女を潰す事になるのでは、なんてぐるぐると悩んでしまった。
ちなみに、私は将棋のやら何やらで色々と父から口出しされるのが嫌になったので、大人になってから父が何故か絶対手を出さない囲碁を、自力で覚えて楽しんでいる。たぶん一生涯の趣味になる事だろう。
【追記】
https://anond.hatelabo.jp/20170624075344
「頭の悪いボンクラ」なんてひどい!と思ったけど、まあそう言われてみればそうだし、役に立つかどうかや得るものがあるかどうかというよりも、やりたいかどうか、好きかどうかが大切だろうね。
やりたいっていうんだからやらせてみればいいか、と思って取り敢えず娘を図書館に連れて行った。娘は子供向け入門書を自分で選んでニコニコしていた。
私用にも少し詳しい目の本を借りた。あとスマホにアプリもインストールしてみた。将棋盤と駒のセットも買う。
入門書をパラパラ見てみたが、詰ませ方とか守り方の図を見て、こんな複雑な事を父がやってるの見たことないな、と驚いた。ただ駒をぶつけあって飛車角をぶんぶん動かし玉を逃げまどわせるだけが私の知っている将棋だったが。
入門書を読むだけで父への逆襲が果たせそうだ。
あと詰将棋おもしろいwwwwww囲碁で頭が疲れた時に気分転換にやろう。
ずっと毛嫌いして避けていたけれど、気が少し軽くなった。