はてなキーワード: 幽霊とは
はるひのの、はるを読んだ。ファンタジーからSFへと鮮やかな変貌を遂げる小説だった。
個人的に最終章を読んでいる途中で時をかける少女を思い出してしまった。登場人物の性別や結末などが、ちょうど時をかける少女を反転したかのように見えたせいだと思う。
幽霊が見える少年と未来からやってきたと語る少女が、ひとつひとつ悲劇を回避していく物語なんだけど、最終章を読み始めたときにぞわっと来た。
言うまでもなくそれまでの四編も充実した内容の日常ミステリーなんだけど、構造的に最終章前編の存在がとてもよく効果を発揮していたと思った。前編を読んでいると、すぐに眉を潜めたくなる。なにこれはって、思わずページを戻ってしまったほどだった。でもそのまま読み進めて後編が始まると一転する。様々な疑問や、残っていた問題が再び集結してみるみるうちに氷解していくのが面白かったし、心地よかった。
加納朋子は今作の「ささら」シリーズを始め、日常のミステリーを多く書いている。そのどれもが、一篇一篇に事件と解決があって、一冊の小説としてみたときにまた大きな謎と解決が用意されているからわくわくする。そもそも連作物の日常ミステリーってそういった構造をなすことがほとんどだと思うけど、氏の小説は出来栄えがとてもよく日常ミステリーの名手といっても過言はないように思う。
なによりも作品全体から感じられる優しい雰囲気が好ましい。読んでいてほっとするし、読んだ後も温かな気持ちになれるので、アクのない爽やかな物語になっていたような気がする。
物語の最終部に、はるひからユウスケへと届くメッセージが胸に迫る。綺麗ごとばかりじゃないけど、確かな意志の強さが感じられる小説だった。
世の中には幽霊となった人が恋人の危機を救うだとか素敵なメッセージを残していくだとかそういった話も多々あるようなので
そういう存在もいてもいいかなくらいには思うのだが、そういう世界の扉を開けたことは一度もない。
そういうものを見た、何かが写っていた、気持ち悪かった、などという話に聞くたびにいわゆる『霊界』『死後の世界』『あの世』などと呼ばれるものに疑問を挟んでしまいうまく信じることができない。
『死』を受け入れられないというわけではない。
私が死んでも世界は変わらんと思っている。私という存在が消え去るだけだ。
死んだという報せを聞けば何人か悲喜こもごもあるだろうが、それこそ49日ほど過ぎれば死んだことすらどこかへ行く。
たまに思い出されて、「ああいたなあそんなやつ」。そんな人たちもいなくなれば、完全に消滅だ。そういうもんだと思っている。
だからこそ確認したいのだ。本当に死の向こうに、霊体だけが暮らす新世界があるのだろうか?
あらかじめ書きたいが、別にかの世界や特定の宗教等を否定したいわけではない。
○○は××だからwwwwwはい論破wwwwwww などとやる気は一切ない。むしろ逆だ。可能であれば完全に存在を証明されて論破されたい。
これを見て、こういったモノに詳しい誰かが非の打ちどころのないコメントを残してくれるのを見たい。それを心待ちにしている。
(1)心霊写真ってどう思う?
昔々はちょっとしたブームになり、織田無道だとか宜保愛子だとかが毎週のようにTV番組に出てきていたこともあった。
今は「おわかりいただけただろうか」か。流行の強弱はあれ、ずっと続いている心霊写真ブーム。
ところで、あの手の番組に出てくる写真や動画、構図や被写体って似すぎてやしないだろうか。
人間の体は頭、胴体、両手両足、股間まわりと大まかに言ってもこれだけパーツがあるが、
心霊写真って、ぼやっと全身が写っているか部分的なものは頭と手ばかり写っているように思う。
「顔と手には思念が残りやすい」などという話を聞いたりもしたが、それならケツや乳に思念が残ったっていいじゃないかと思う。
短小をバカにされて自殺した童貞男の幽霊がいて、夜な夜な女の宿泊客の顔にBUKKAKEてくる……とかさ。逆にデスペニスでもいいよ。
もうひとつ言うと、人間が霊体を認知するのって圧倒的に視覚じゃないかと思う。
音は幽霊の描写としてよく使われる手段ではあるけども、この音がするから幽霊だというのはイマイチ証拠に欠ける。
においというのはある種個性として認知されるものだが、『この建物はなんだか幽霊くさいぞ』とは聞いたことがない。なんせチョコボっぽいし。
いわゆる『向こうの世界』からくるものが圧倒的に人間ばかりだと思う。人間すぎる。
旧日本軍の兵隊や髪の長い細身の女性の幽霊の話はごまんと聞くが、ヒグマやサメの幽霊が暴れて人が死んだという怪談話を稲川淳二がしたことがあるだろうか。
霊はこの世に未練があってなんちゃらかんちゃらと言うなら、人間さまのご都合で殺されまくった動物の悪霊なんてアホほどいそうなもんである。
忠犬ハチ公の幽霊はご主人が帰るまで待ち続けたのだろうか?そんな話も一切知らない。
地獄という場所も圧倒的に(宗教的に)悪いことをした『人間』を懲らしめることに特化した施設のように思う。
今どきはペットだって洗礼を受けるし、葬儀だって開くわけだろう?
『動物には動物の天国や地獄がある』と主張する人もいるようだが、その世界観が取り上げられたものはほぼないように思う。
どうすれば天国でどうすれば地獄か、どうすればより高次の生き物に輪廻転生できるか、などという判断も人間さま向けの基準だ。
吸血や捕食を生業とする生き物に転生したら、殺したり奪ったりしないと生きられんわけで。
そんな生き物に転生させといて殺すな奪うなと言ってもじゃあどうすりゃいいんだよ……ってなもんじゃないか?
(2)ともちょっとリンクする部分があるが、見出しのままだ。あの世でパンは焼けるだろうか?酒が作れるか?と言ってもいい。
例えばパン職人ひとすじでこの世を去った人がいたとしたら、天国でボサッと呆けてるとは思えない。そりゃ、いっちょ自慢のパンでも焼くかと思い立つだろう。
逆にパン職人だったお父さんを見送った遺族だって、「お父さんはきっと天国でもおいしいパンを焼いてるよ……」とか言うだろう?
お父さんの生き生き天国ライフをかなえるには穀物と菌の存在が必要である。まあいい。生きたものがあの世には行かれないだろうから生きてはいないはず。
つまるところ、『植物や菌類の幽霊』なるものが存在するかどうかだ。
存在するとして。
パンを作るためには穀物をすり潰して粉にしたものをアレコレしたあと菌によって発酵させて、焼くという工程が必要だ。
工程の最中、穀物は当然として菌も死ぬよね。焼かれるわけだし。だとして、幽霊が死んだらどこへ行くんだ??
すぐに生き返って元に戻る、だとしたら最悪だ。イースト菌の霊からしたらなんべんも焼かれては生き返ってまた焼かれるわけだ。
ダンテの神曲に出てきた地獄の図とまったく同じことが天国にいながら天国に行ったパン職人によって引き起こされる。鬼かオヤジ。
さらに死んだ者用のナニガシが存在するとなると、それは無間地獄である。天国にいながら地獄という図は変わらないのではないか。
存在しないとして。
パンはどうしたら作れるだろうか?
墓参りの時に、生前好きだったものを供える習慣がある。寺の坊主に言わせると、お供え物の霊的なナニガシだけを受け取るのだとかなんとか。
これを使えばイケそうな気もするが、毎日墓前に小麦粉とイーストパウダーをお供えする遺族なんて存在しないだろう。なんせ傍から見てどう考えてもおかしい。
せいぜい跡継ぎ息子が焼いたパンをお父さんもぜひ試食してくれ旨いだろうと供えられる程度である。
お父さんも天国でパンを焼きたいのだが、このままではこの世に未練が残ってしまいお父さんが化けて出てしまう。
焼くことが可能だとして、パンはどうなるのだろう?幽霊はパンを食うだろうか?
死んでるんだから食わないというのなら、飢えに苛まれる地獄というのはよくわからない存在になりそうだ。
それに、そう、お供え物だ。我々が良かれと思って供える故人の好物や茶などは、実はありがた迷惑ということに……。それは悲しすぎる。
かと言って普通に食べるということにしてしまうとそれはそれで大変だ。これまでン万年の間に死んだ人間はそれこそ星の数ほどいるわけで。
食い物が、足りなさすぎる。
未来から猫型ロボットが来たり、基地外家族の団らんを見せられたり、MSに乗ったり、褐色娘と謎の島を探したり、突然ゴマフアザラシが来たり、ワニがよくやられたり、春日部に住む変な5歳児だったり、足の生えたナマモノがいたり、落ちこぼれ忍者の卵がいたり、下ばっかなのに後半シリアスになるジャングル漫画だったり、尻から魔法が出たり、ラッコがアライグマにいじめられたり、突如人型人造兵器に乗せられたり、毒針使って腹話術したり、タイトルが作者への謝罪と噂されたり、やたらサブカル好きの派出所警官だったり、海外でチンコと皮肉られたり、同級生がやたら殺人で捕まったり、料理で殺し合いしたり、車と一緒に並走できるくらい速く走れる兄弟がいたり、本編とずれてるアドリブばっかのCGアニメだったり、エルフが出てくるファンタジー作品の元祖だったり、途中からカードゲームになったり、魔法少女がレリーズしたり、古っい車でドリフトしたり、閻魔大王から尺を盗んだり、児童漫画の中でやたら作画のいいヨーヨー漫画だったり、ビー玉で腕壊したり、PCに突如卵が産まれたり、メイドロボとセックスしたり、CDからモンスターを召喚したり、いまいちホビーに乗れなかったランニングバトルだったり、金属生命体に乗ったり、2年後になっても全然終わらない海賊だったり、ウエハースが捨てられるシールだったり、中学生同士で赤ちゃん育てたり、腐ってる西遊記だったり、ハムスターブームになったり、玄人だったり、子供向けの悪魔合体だったり、ラスボス追いかけっこがやたら長かったり、同人誌を売るというメタネタのエロゲだったり、なぜか脈絡もなく12人の妹ができたり、死んだら強くなる未完作品だったり、幽霊が取り付いて碁が強くなったり、ベイゴマで世界大会に出たり、宇宙人の嫁が先生だったり、叔母さんがやたらかわいかったり、コンピュータウィルスが具現化された世界だったり、アソコに触れると記憶が消えるアンドロイド少女に恋したり、へーちょ、許嫁が上京してきて一緒に住んだり、ゴジラにしか見えない母親だったり、巫女ブームの火付け役だったり、なぜかJKが突然兵器にされたり、心を読まれる能力で逆に告白したり、核をキャンセルしてまたそれをキャンセルしたり、なぜか若手でいいともに出演させられたり、王を決める魔物の戦いに巻き込まれたり、バイクでいろんな国を旅したり、決して枯れない桜の木で告白したり、同級生に監禁されて女になるルートがあったり、母親を甦らそうとして弟と左腕をもってかれたり、超法規的措置だったり、宇宙は一人で死ぬには寂しすぎたり、路地裏で殺した吸血鬼と仲良くなったり、石田彰のせいで遭難して無人島生活したり、やたら格闘する魔法少女だったり、右手が女の子になったり、名前のない怪物だったり、死んだと思ったら異星人と戦わされるし、7人の侍とロボットが戦ったり、月は東だったり太陽は西だったり、ヒロインだと思ったら首がなくなったり、悪魔でいい魔法少女だったり、猫耳ブームに火をつけたり、スペイン語がやたらうまい死神だったり、双子に恋するどっちつかず主人公だったり、生きた人形の戦いに巻き込まれたり、漫研部の大学生活だったり、病んでる野球少年だったり、途中からバトルものになった魔法先生だったり、女神と同居したり、OPだけ盛り上がったロボットアニメだったり、メイドブームに火をつけたり、記憶を失くした幼馴染といろんな世界を旅したり、突然みんなでフットサルしだしたり、DTのロボット乗りだったり、ざわざわしたり、死んだと思ったらフレイムヘイズに助けられたり、沖縄で吸血鬼で戦ったり、虫の仕業だったり、英雄を女体化したり、落語に師匠が出たり、病院で月を眺めたり、鬱になる孤独アニメだったり、家にガーゴイルがいたり、水先案内人の修業をしたり、普通の人に興味ないヒロインだったり、ラジオがやたら盛り上がった和風ファンタジーエロゲだったり、スタイリッシュインラインスケートだったり、パロの多かった1期が一番面白かったSF江戸侍だったり、おはぎに待ち針いれて無限ループしたり、娘を守るためにお母さんが魔法少女になったり、モンキーパンチ構想13年の糞作品だったり、正常位じゃイケなかったり、ツンデレが流行ったけどアニメは微妙だったり、異世界に召喚されて使い魔になったり、NHKは関係なかったり、ランタンで二重人格になったり、錬金術があんま関係ない錬金だったり、人を操る力で反逆したり、まったく販促になってないおもちゃアニメだったり、家庭教師なのにバトルしたり、おっさん主人公の漢字バトルだけど流行らなかったり、ライバルが死んでから面白くなるのにアニメは打ち切られたり、スパロボではおもしろいけどアニメはつまらなかったり、ドリルで宇宙と戦ったり、パロネタがコアすぎてついていけなかったり、アイドルなのにロボに乗ったり、契約者になってたばこ食ったり指折ったり、超能力でマザーコンピュータと戦ったり、作者は女じゃないJKの日常だったり、ロボに乗っても乗らなくても死んだり、メガネでコンピュータウぃルスと戦ったり、菌が見えたり、狼娘と行商の旅に出たり、妖怪を友人にしたり、ノートに名前を書いたり、ヒモのヒーローだったり、サッカーで必殺技出したり、主人公チームかと思ったら1話で全滅したり、心理戦だけでメジャーに行ったり、生まれつき不幸で無能力だったり、世界征服する気ない秘密結社だったり、ネットでカラーギャング作ったり、橋の下で金星人に恋したり、裏切りは僕の名前を知っているようで知らなかったり、イカがかわいいだけで話がつまらなかったり、そんなにオペラしてない探偵だったり、ダンボールはステージのほうだったり、あだ名がアナルだったり、ヒロインが一番影が薄かったり、ファミレスでバイトしたり、未来が実現するケータイとか関係なしにヒロインがヤンデレだったり、アドリブコーナーがある妖精だったり、ラスボスは概念だったり、クトゥルフがヒロインになったり、田舎少女の日常だったり、オンラインゲームで殺人が起きたり、コネクティブヒナしたり、隣の席の男子が遊んでたり、妖怪をメダルで呼び出したり、学生なのにテロリストと戦って全然劣等生じゃなかったり、オンラインゲーム世界から抜けられなくなって脱税したり、駄菓子の火付け役だったり、
結局アニメってなんなのさ
白い犬とワルツをを読んだ。高校生の頃背伸びして挑戦した挙句、読みにくいと思ってほんの十数ページで諦めてしまった作品。時間が経ってから読むことができて本当に良かった。読書力もついたのかと思うと感慨深くもある。
文庫本のあらすじと解説には大人の童話や大人のメルヘンと言った言葉が出ていたけれど、個人的には真摯に老いというものと向き合った小説だなって思った。老人特有の頑迷さや、年老いた父親を思うがゆえにすれ違ってしまう子どもたちとの関係など、もどかしくもどこか清々しい描写で表現されていて心地の良い小説になっていた。
主人公の老人サムの家近くに住んでいる娘のケイトとキャリーがいい。父親が心配なあまり明後日の方向に思考が向かってしまって、その顛末がコミカルに描かれている。現実生活だったら、二人の娘の言動は空気を重くさせる過剰な心配心に違いないんだけど、それを感じさせないところに作者の手腕とあたたかな家族への思いがあるように思う。
また長く主人公の家庭で仕事をしていたニーリーの存在も面白い。学がなく迷信深くて精神的にも不安定な老婆なんだけど、彼女の純粋な精神もまた描かれているのが素敵だった。それぞれが家庭を持ちしっかり子どもを育てている親たちなのに、ニーリーの前に集まると子どもたちに戻ってしまう展開も微笑ましかった。これまた現実にあれば、事と次第によっては殺意さえ覚えかねない厄介人ではあるんだろうけど、柔らかく書ききっているところがすごいと思う。
そして何よりもタイトルにもなっている白い犬が可愛らしい。人目につかず、他の犬からも吠えられないから幽霊とまで言われてしまう子なんだけど、控えめで臆病で主人公である老人サムにだけ心を許しているところが本当にいじらしく描かれてて良かった。立ち上がって歩行器に前脚をかける場面が何度かあるんだけど(タイトルの通りワルツを踊るような感じ)その風景を想像すると思わず頬がゆるんでしまう。犬好きにはたまらない内容でした。
老いると家族に秘密を作ることも、自由に行動することも難しくなる。互いに心配しているからこそ雁字搦めになってしまう苦悩が辛かった。実際身近に(自分のことだけじゃなくて)老いというものを感じたことがある人や、老いというものを一度でも真正面から考えたことがある人には突き刺さると思う。何もかもできなくなっていくけれど、出来る限り自分で成し遂げたい。自分がいてもいいことを、自分自身に証明したい。そんな年寄りの願いが表現されていたように思う。
また寂しさについても考えを改める切っ掛けをもらえた。知り合いも毎年のように死んでいいってしまって、同窓会に出てこられる人も両手で数えられるほどになってしまって、家族には心配と迷惑をかけてしまうし、自分では何にもできなくなってしまう。この作品で老人が感じる寂しさってのに初めてクリアに共感できた気がした。
後半部分でキリスト教を引用しながら素朴な善のあり方を描いていたのも印象的だった。ハワード一家はとてもいい家族だと思う。
最後のほうで自然と涙が出てしまった。華美ではないけど愛おしい物語でした。
それはそうと、アメリカってビスケットを生地から焼いて食べるのね。もう焼成してあるビスケットをもう一度温めなおしているもんだと勘違いしていた。アホだなあ。
怖ろしい思いをした。
暖かった昼間とは、打って変わって、夜は急に冷え込んだ。この部屋の気温は22度。指が冷えている。
その記事は、ホットエントリーにあった。匿名ダイアリーの記事だった。タイトルは「和菓子っておいしくない」。内容はシンプルに四行、筆者の意見を述べたものだ。いわく、「味が単調でおいしくない」。これに300user超のブックマークコメントが付いていた。少し変わっているのは、タイトルの脇に短縮URLでリンクが付いているということ。
リンク先を押すと、Tumblrへ飛んだ。そのサイトには「ゴンドウケンジ」なる人が描いた、「青春キネマ」というタイトルの四コマ漫画がたくさん載っていた。
後でtwitterを調べたのだが、その方は現在活動していないらしい。Tumblrは本人が自作をまとめたのかもしれないが、おそらくファンによる無断転載だろう。
その是非は、今はいい。
マンガはほのぼのとした青春群像劇で、俺は(個人的には)楽しく、読めた。だが匿名ダイアリー記事の作者の意図は何だろうか。そのリンクを除けば、ホッテントリによく見る、大喜利のための題材だ。書き手がお題になるヒトリゴトをつぶやいて、それを見つけたブックマーカー達がそれぞれのユーモアを込めた返しを、投げ込んでいく。
平和な風景だ。だけど無関係のリンクを置いた。なぜ。俺の解釈はこうだ。自分のオススメの漫画を、もっとみんなに知ってほしいという思いを込めて、宣伝のためによく受けそうな記事に混ぜた。あるいは書いたのは作者本人かもしれない。その線もないわけじゃない。でもどっちだって構わない。どちらにしろその行為は規約違反だから。はてな匿名ダイアリーでは宣伝目的のブログ記事を載せることを禁止している。もっとも実際のところは、運営だって忙しいようで、いちいち目くじらをたてているわけじゃないのだが。
その記事を読んだ読者はイラつく。気に入らない。これは匿名ダイアリーのルール違反だ。けどもしそうだったとしたなら、単に、トラックバックなりブックマークコメントなりで、そのことを指摘すればいい。「ちょっと増田さん、宣伝はダメですよ」って(注・増田とは匿名ダイアリーのこと。転じてその作者のこと)。
だけど誰一人として、そんなことはしなかった。読者の反応は異様だった。
・一週間待ってください。本当の和菓子をお見せしましょう ・桜餅大好き ・単体でなく緑茶といっしょに食べろ ・阿闍梨餅食べろ ・練り切りは抹茶と食べると最高 ・干し柿 せんべい ・お茶と一緒に食べたら ・たねやの栗月 ・つきたての餅で作ったあんこ餅 ・生八つ橋とかうまい ・苦手だけど揚げ饅頭は食べれる ・とりあえず最高級最中 ・埼玉銘菓十万石饅頭は ・もうすぐ水羊羹の時期だ ・そうなんだ、じゃあ私羽二重餅食べるね ・ブコメが和菓子への愛で溢れていてほっこり
etc..
何も見えていないかのように、軽妙なやりとり−−デジャビュ感さえ有るやりとり−−が交わされていた。いつもの風景じゃないか。
無視・無視・無視。あるいは本当に見えていないのか。俺はそんな風にさえ思った。俺のブラウザにだけ表示される広告なのか、これは。
だけど、目を皿のようにしてメタブまで、凝視して探すと、フツウの風景に馴染まない、違和感のある反応がみつかった。
・タイトルに「青春キネマ:アーカイブ」というサイトへの短縮URLが追加されてるんだけど、なにが目的なんだろう。
・見せしめに(なんの?)id:********2**を召喚。 これはひどい
・この発言必ず大変なことになるからね。事は進んでるよ。真実が明らかになったとき大変なことになるよ。
単に疑問を呈したかっただけかもしれないが。その言い方ではこのように聞こえる。「どうしたんだろう。こういうことが許されるとでも、思っているのだろうか」。
っていうか、見せしめ??? ロンダリングって一体なんなんだ?
俺はこれを見て背筋が凍った。はてなを始めてから1年以上経っているし、ホッテントリ・増田に張り付いていろんな風景を見てきた。バカにしあって罵り合って、共感して、寄り添って。ときには「手斧」を投げ合って。ふざけながら、笑いながら、あるいは顔を真っ赤にして。割としばしば、真面目に。いつも違った景色があった。季節があった。いろんな奴らがいて、多様な意見があった。それでも総じてどこかプロレスじみているというか、儀式的なところがあった。自分たちがやっていることを判ってやっている。俺はそんな風に思っていた。
今日見たのは違う。和気藹々と授業が行われている。生徒たちは楽しげに手を挙げて好き勝手な意見を言い。つられてみんなが笑う。教師も笑う。でもその中心に、素っ裸の中学生がいる。俯いて震えている。でも誰も気づかない。フリをしていて。平気。いたって普段通り。そんなイメージが、頭をよぎったんだよ。
なあ。俺が今日まで思っていたのはさ、もし俺なら、そんな中に突然放り込まれたなら、腹を立てて、本当に激怒して、全員の頭をハンマーで叩きまくると思っていたのだけど、実際に目の当たりにしたら、違うんだな。怒りより、恐怖を感じるもんなんだな。
俺は今や、おまえらが怖い。一体全体、何故なんだ? メタブまで含めたブックマーカー340人に一人一人に直接聞いて回りたい。「何を思ってそのコメントにしたんだ?」。
匿名ダイアリーがいつもの風景なのは、みんながルールを守っているときだけ。
ルールを守ってさえいれば、みんなが笑っていられる。
でも一人がほんの少しでも、ルールを外れたら、意味のわからないことをしたら、そのうち何人かの表情が、スッと消える。
(おおかた誰も信じてくれないだろうが、俺はその元増田ではないことを断っておく)
何にも打ち込めることがなく、何となく部活をし何となく勉強をしていた、無気力系高校生女子が、
ひょんなことから、ある卓上ゲームの達人の幽霊に取り付かれる事になる、
幽霊は見た目は高校生女子と同じぐらいだが、死んで大分たっているため、ジェネレーションギャップがあり、なかなか二人の折り合いがつかないが、
そして若くして死んだ幽霊は、その卓上ゲームをまだまだ遊びたいと思っており、中学生を通じて、再び戦いの舞台にたつ、
しかし、中学生女子もその戦いを通じて、自分もその卓上ゲームで遊びたい、戦いと思うようになり、
みんなのキャスティングもお待ちしておりまーす。
関係ないんですが、こういう系の作品で思春期男子が取り付かれる場合、自慰行為とかしずらいですよね。
そこらへんどうなんですかね、池沢先生?
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
昔の話でよければ一応あったかな。
その人の話を聞きながら、実演販売というか、試食などをしてもらうわけさ。
例えばその人がパンの話をしたら「マリー・アントワネットは『パンがなけれがケーキを食べればいいじゃない』なんて言っていない」とか。
「食パンの袋を留める金具は『バッグ・クロージャー』という」とかだな。
ただ、知っていると思うけれど、「知識の押し売り」が社会問題になっていてね。
私も今では押し売りはやめている。
だが、一部の界隈では未だやっている人がいるらしく、摘発されたっていうニュースが時々でてるね。
恐らく中毒になっているんだろう。
答えるわけないだろ。
これは副業なんだが、依頼で家にしばらく住み続けるという仕事をしていてね。
そうすることで、「その家で住んでも大丈夫」という保証をするわけさ。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2016/04/24/005535
ユージュアルサスペクツの問題は、テクニックとか以前に新規で観た人が面白くない(あえて断言)ところだと思う。(好きな人ごめんなさい)
公開当時の印象は全く異なるのだろうが、今の観客から観たらこうだろうという観点で以下書いています。あと自分自身、そんなに好きな作品ではないです。以下本文。
まず有名なあのオチだが、残念なことに作品の知名度とあらすじからして、今の観客が真っ先に思いつくのがあのオチなのだ。逆に言えばパイオニアなのだが、そんなもの関係ない新規観客にとってこれはかなり辛い。
そしてドラマ部分が決定的に弱い。あのオチを想定している観客にとって、キントの主観のみで語られる取り調べ室のストーリーはそもそも怪しすぎる。一応キントとキートンの友情ものに見せかけて…というネタなのだが、観客が疑った状態では感情移入し辛くドラマとして苦しい。
さらに、映画のオープニングは事実部分の映像なのだが、そこにキートンが殺されるシーンが入っているのが完全に失敗。取り調べ室のストーリーが嘘もしくは間違いだと観客にわからせてしまっている。
またドラマが弱い要因として、キャラクターの魅力の乏しさもある。前記の二人はいいが、他のメンツは如何にもモブという枠を出ないため、こいつが犯人では…と想像する楽しみや余地がない。犯人でありそうなのはキントか刑事かコバヤシくらいだよな、って印象だ。
キャラクターの弱さを補うためか、妙に大袈裟な設定が取り入れられているが(伝説の悪人カイザー・ソゼとか謎の日本人弁護士とか)、これがまた地味な作品内容から浮いていて、余計な疑いを観客にもたらす。
あとホラ話のくせに、終わってみればなんかセコい話なんだ。ソゼ、セコッ!て印象を持っちゃうんだ。
シックスセンスが早くも古典と化しているのと比較すると、こういったドラマ部分の差が大きいと思われる。良くも悪くもシックスセンスはわかりやすいドラマで牽引し、幽霊という見せ物要素で観客を飽きさせず、オチの目くらましとしてのドラマがそれ単体でも十分観れるものに出来上がっているのだ。対してユージュアルサスペクツはオチ一点勝負に走りすぎたきらいがある。ここで一般的な評価に差が出てきたのだと思う。
また、この映画は演出というか見せ方にも難がある。オープニングの映像で、カイザーソゼは左手で銃を横にして撃つ。セリフでの説明ではなく映像でソゼのくせを描き、左半身麻痺のキントを容疑者から外すための演出だ。それ自体はいいのだが、残念なのはこの映像が妙に思わせぶりで映画好きにはあからさまに怪しく映るし、普通の観客は左効きにあまり気付かない、という困ったシーンになっていること。銃を水平にして撃つくせはキートンもなのだが(右利きだが)、前述の通りここでキートンが殺害されるため二重にトリックを阻害しているのだ。
また、ここは好みが別れるところだろうが、この映画のクライマックスのオチは「キントがソゼだった」ではなく、「取り調べ室の話はホラでした」なのだ。この違いはデカく、オチの爽快感を削いでいると個人的には思う。実は刑事はキントがソゼだったとは気付いていないし、深読みすれば本当はキントがソゼでない可能性もある。想像が広がるという意味ではいいのだろうが、受けるインパクトという意味ではかなり大きさに差が出る。
どうもここら辺のちぐはぐさを踏まえるに、新味を抜きにして脚本・演出などの技術的な観点から見るとそこまで完成度の高い映画ではないように個人的には思えるのだ。キントとソゼの演じわけなどケビンスペイシーの名演技はあったが、あとから見ればこの映画の評価のほとんどは彼一人が担った印象を持つ。いや、パイオニア作品なんてそんなものなんだろうけれど、後一歩足りてない感は否めない。
だから、この映画が現在の観客にあまり歓迎されないとしたら、それは結構健全なことであるとも思う。ユージュアルサスペクツが過去の映画になったとしたら、それは映画が進化してるってことだ。
という格言は、SF作家として有名なアーサー・C・クラークの言葉だが、それになぞらえるならば、
とも言えるのではないか。
一昨年から、小保方晴子や佐村河内守、片山祐輔などの、堂々として嘘をつく人々の存在がクローズアップされるようになった。最近でもショーン川上という大物詐欺師が現れ、世間を騒がせている。
彼等はまっすぐに、堂々と、もっともらしい嘘をついて恥じない。彼等の言動や態度から、嘘を見ぬくことは困難だ。
では、言葉の内容から判断できるのだろうか? いや、内容で判断するのも無理だろう。ショーン川上などは、コンサルタントとしての実績がほとんどなく、専門の教育を受けていないにもかかわらず、日本で最も権威のある報道番組でコメントを続けている間、視聴者の中にいるはずの大勢の専門家にすら見破られなかったほどなのだから。
私達はどうしても、自分や周囲の知人を参考にして、
「嘘は必ずバレる」
「隠そうとしても必ず態度に出てしまう」
などと思いこんでしまう。しかし、それは間違いだと、昨今のニュースは訴えている。
一流の詐欺師ともなると、嘘にも信念をもってついている。ショーン川上氏なども、
「自分のような才能のある人間が、肩書がないという理由だけで、世間が評価しないのは間違っている」
「自分だったら世間にいるコンサルタント以上の内容を話すことが出来る」
という強い信念があったに違いない。
信念をもって話す人間の態度は自信に満ちあふれている。STAP細胞があるという信念の持ち主の小保方氏の記者会見も、堂々としたものだった。信念があれば、良心に咎められることはなく、不安を感じる必要もない。だから、その態度から嘘かどうかを判断することは誰にも出来ないのだ。
「嘘を堂々とつける人間なんて、ごくごく少数だろう」
という反論が聞こえてくるが、それは間違いだ。たとえば、霊能力。幽霊を見たという人が今でも大勢いて、彼等は大マジメに自分の霊体験を話す。
しかし、ぶっちゃけ霊なんて世の中に存在しない。それは脳のつくりだした幻覚だ。だから明らかに嘘なのだが、「霊を見た」と語る人々が世の中になんと大勢いることだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160313010322
http://anond.hatelabo.jp/20160313074407
原作漫画中で藤原佐為saiはかなり早い速度で強くなったよな?
という言葉で気が付いた。
ヒカルの碁公式ゲームで藤原佐為が生きていた時の話が有るんだよ。
そこで佐為は碁の事以外にも色々な事を考え、苦悩し、配慮する普通の【人間の大人】といった存在だった。
佐為が入水して1000年後の漫画ヒカルの碁ではまるで子供のようで碁の事しか考えておらず、ヒカルの都合もあまり考え無い。
最終的にはヒカルの事を考えていた部分も有ったがそれでも囲碁が主体である。
世界トップレベルのプロ棋士、イセドルをフルボッコにしている。
5番勝負のうち、既にコンピュータが3連勝。いずれもプロ棋士の投了(ギブアップ)。
私はヘボだけど、この一戦がヤバいことはわかる。
対局者双方のスペックも、観戦する周りの反応も、対局内容も漫画みたいで面白い。
ヒカルの碁の登場キャラで例えを交えるとわかりやすい気がしたのでメモする。
AlphaGoの囲碁歴は既に2〜3000年を超えているらしい。
最初にルールとアマチュアの棋譜を覚えたあとは、AlphaGo同士で対局を続けて学習する。
その対局数が数千年分に達している。
ヒカルの碁の塔矢名人は5冠。7つあるタイトルのうち、5つを持っている。
まず、現在の日本のトップ棋士、井山裕太(25歳バツイチ)は6冠。もうすぐ7冠。
ランキングやタイトル数だけで言えば、もう塔矢名人なんてかませ犬。
(ちなみに藤原佐為vs塔矢名人の元ネタの棋譜である依田紀基、林海峰のランキングは井山裕太よりも下。両者ともに流石に全盛期は過ぎてるけど)
早い話、
塔矢名人より強い井山裕太よりもさらに強いイセドルをボコボコにしている状態でである。
囲碁関係者はこれまでこんな感じでドヤ顔していたのに、いざ蓋を開けてみたら一方的過ぎて唖然としてる状態。
対局の内容も、これまで人間が打たなかった手をコンピュータが連発していつの間にか勝っている感じ。疑問に思える一手がいつのまにか有利に働いている。
ジョン・ヴァーリイには〈ガイア〉三部作というのがあるが、『ティーターン』『ウィザード』に続く完結編 Demon だけが未邦訳となっている。
2004年に2chスレッドで匿名の有志がその概要を日本語でupしていた。すでに消失しているが、当時保存してあったものを最近発掘したので、そのテキストを基に修正・編集・再構成したものをここに置いておく。
残念なことに話の途中で終わっている。ということで原書で読んだ人は続きプリーズ。
なお〈ガイア〉三部作については、以下にある堺三保氏の解説を参照のこと。
《ガイア》三部作に見られるヴァーリイのテーマ性|堺 三保|note
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冒頭、ガイアで「伏魔殿」(ハリウッドみたいな映画都市……だと思う)の建設が始まる。ガイア名物の便利生物がセットを組み立て、ボレックスだのアリフレックスだのパナフレックスだののカメラ生物、フィルムを現像するディレクター生物とかが登場し、準備が整ったところにガイア本人登場。身長15メートルのマリリン・モンローの姿で現れる。
地球では第五次世界大戦が勃発する。コンピュータのプログラミングミスから始まったそれは、全世界を巻き込んでパイ投げみたいなしっちゃかめっちゃかの大戦争に発展する。主要都市は次々と蒸発し瓦礫の山となる。放射能は向こう800年くらいなくならない。
さて、戦争が始まって間もない頃、カナダにコナル・レイというマンガとホッケーとボディビルにしか興味の無いお馬鹿な男が居た。彼は元「リングマスター」乗員、ジーンの曾孫だった。それを知ったコナルはガイアに旅立つ。
ガイアでシロッコを見つけた彼は、いきなり「ジーンの仇うちに来た、あんたを殺す」とぶちかます。シロッコはティーターニスの協力を得て彼を縛り上げ、自分の隠れ家に連れて行く。
(あれ? ジーンって、『ウィザード』の時点で生きてなかったっけ? キャビーがジーンを拷問したとは言っていたけど、シロッコのせいで死んだんだっけ? と思ってたら)
コナルは「ガイアのウィザード」というマンガを持ってきていた。それは実に酷い代物で、シロッコの冒険を歪曲して猥雑な物語に仕上げたものだった。それによるとシロッコとギャビーとジーンは三角関係。しかもガイアからウィザードになるよう持ちかけられたのはジーンだったのに、シロッコがジーンを殺してその地位を奪い取ったということになっていた。コナルはそのマンガを丸々信じ込んでいたのだ。
シロッコは一旦コナルを殺そうと考えたが、コナルはシロッコに一生従属することを誓って死を免れる。
ガイアは壊滅状態の地球に救難船を送った。難民はガイアに押し寄せ居留地を作る。人間の居留地ベリンツォーナ、そこは人間の悪徳を寄せ集めたような無法の町になる。それこそガイアの望んだことだった。数年後。ロッキーというティーターニスがベリンツォーナを訪れる。ロッキーはコナルと落ち合い、ベリンツォーナにある「自由婦人」地区に向かう。
ちなみにコナルはシロッコに対する必からの忠誠を抱いている。コナルが命乞いをし時に、彼は一生シロッコの奴隷となると誓ったが、シロッコはそれはあまりに酷な誓約だと思い契約は3年間限定にしようとした。コナルは20年と主張し、結局5年間で決着した。しかしコナル自身はシロッコに一生仕えるつもりだった。
「自由婦人」地区では頭を剃ったシロッコが待っていた。シロッコの頭にはスパイ生物が埋め込まれおり、ロッキーはシロッコに脳手術を施すためにやっててきたのだ。なんとか手術は成功し、スパイ生物は取り除かれ、箱に閉じ込められた。そのころ「伏魔殿」で2本立てを見ていたガイアは突如として怒り狂った。
地球の戦争は終わろうとしていた。平和が訪れたとか休戦協定が結ばれたとかではなく、戦争を続けられる人間がもう残っていないからだ。地球自体が終わるうとしていた。軌道上のコロニーは地球を見捨てて様々な場所に移動していった。火星、金星、木星の軌道上、さらに外宇宙に向かうものもあった。
ガイアへの難民は増え続けた。難民がまず訪れるのはベリンツォーナの隣町ポータルだった。ベリンツォーナと同じく無法の町であり、流入する難民を身ぐるみ剥ごうとする悪党が待ち構えている。
コナルはその町に度々訪れ、ある活動を行っていた。言ってみれば「闇の始末人」みたいなもの(らしい)で、町のギャングだの強盗だのスリだの人攫いなどを闇から闇へ葬るというものだった(いささか乱暴に思えるが、ガイアの難民都市には警察も監獄も無い。量刑というのがありえないのだと説明されている)。或いは負傷した人を治療師のもとに運んだりもしていた。
さて、今日も今日とてコナルはポータルをうろついていたのだが、そこで新たな来訪者を見つけた。着の身着のままで、やってくる難民が多い中、彼らは裕福に見え沢山の荷物を携えていた。しかも女性2人組である。格好の餌食だ。女たちは瞬く聞にジャッカルの群れに固まれる。
ジャッカルの一人が包みを奪って逃げた。それが、女二人の連れていた赤ん坊だと気付いたコナルは誘拐犯を追う。暴徒に固まれた女二人を助けるのは無理だと判断し、せめて赤ん坊だけでも助けようと考えたのだ。
誘拐犯を捕らえて殺し、赤ん坊を取り戻したコナルが道を引き返し、元の場所に戻ると女たちはまだ殺されていなかった。それどころか襲撃者たちを迎え撃っていた。すさまじい勢いで死体の山を築いている。
赤ん坊を返そうにも近づくことすら出来ないと思ったコナルはセルパンというティーターニスに会い、出来事を説明する。セルパンは女たちを知っていると言う。「額に目の刺青があっただろう?」ティーターニスの加勢でコナルは騒ぎを鎮め、女二人に赤ん坊を渡す。
そのころシロッコはガイアを徒歩で旅していた。ポイペーの「コングマウンテン」でシロッコはコングが死んでいるのを見つける。死体をアイアンマスターが解体している現場で、はぐれポレックスからフィルムを奪う。どうやらそのフィルムにはコングがなぜ死体になったのか、その経過が記録されているようだ。
旅を続けるシロッコはティーテュースでギャビーの幽霊に会い、魔女団のロビンがガイアを訪れたことを知らされる。コナルが彼女をシロッコのもとに連れてくるという。
ガイアをほぼ半周して、シロッコが行き着いた先は「タキシードジャンクション」(この名前はジャズの有名な場所らしい)という、クリスが取り仕切るツリーハウスだった。
シロッコの到着から少し遅れて、「タキシードジャンクション」に人間とティーターニスの一行が到着する。ティーターニスのロッキ一、ヴ、アリーハ、セルパン、人間はコナル、ロビン、ノヴァ、赤ん坊のアダム。ノヴァとアダムはロビンの娘と息子(!)だ。ノヴァは母親に対して何やら欝屈した感情を抱いているようだ。
シロッコとクリスは一行を出迎える。ロビンはクリスの変貌に驚く。『ウィザード』以降、彼の外見はかなり変わっている。下半身は毛むくじゃらで、尻尾まで生えている。彼はティーターニスへの変身を望んだのだ。
ロビンはシロッコに今までの経過を語る。ロビンは『ウィザード』の後、ガイアを去り魔女団に戻った。故郷で彼女はスーパーヒーローとして祭り上げられる。
彼女は妊娠した。ガイアから戻って一年以上経っており、女ばかりの「魔女団J で妊娠するはずが無いにもかかわらず、である。そのとき生まれたのがノヴァで、奇跡はロビンを、魔女団の中でますます高い地位に押し上げた。しかしその18年後、また彼女は原因不明の妊娠を経験する。そして生まれたのはアダム、魔女団には存在してはならないはずの「男」だった。
そして成長したノヴァの外見的特徴は、明白に彼らがクリスの子供であると告げていた。もちろんこれはガイアの悪趣味な冗談だ。シロッコも同じことをされたことがあった(あのとき、もうそんなことしないって言っていたのにガイア……)。
ノヴァの欝屈はそのためだった。聖人であったはずの母親がおぞましい「男」を産み、故郷を追われたのだ。「魔女団」は外宇宙に旅立ち、ロビンたちはガイアに来た。
ロビンとシロッコが話していた頃、クリスは物置からプロジェクターを引っ張り出していた。シロッコがポイペーから持ち帰ったフィルムを見るためだ。
フィルムがプロジェクターにかけられ、一同はコングの末路を目撃する。身長15メートルの巨大な女がコングと格闘し、しかも瀕死のコングを強姦していた。巨大女は勿論ガイアだ。フィルムの最後で、ガイアは何かを産み出したようだ。
ガイアは自分が産んだ「ラクダ」に満足していた。「ラクダ」は死んでいたが、それを元に何か面白いものが作れそうだった。材料を漉過器に放り込み、本日の上映『アラビアのロレンス』を見ながらガイアは辛抱強く出来上がるのを待った。
ガイアに造反して、不老不死治療を受けられなくなったはずなのに、シロッコの見た目はロビンより若いくらいだ。なぜかというとその原因は「ジャンクション」の近くにある鉱泉の効果らしい。シロッコはロビンをその鉱泉に連れて行き、疲れた肉体を若返らせる。
鉱泉に連れて行ったのは若返りのためだけではない。シロッコはロビンに催眠術をかけた。ガイアの策略を探るためだ。ロビンの二人の子供に対し、ガイアは何をしたのか? ロビンの過去の記憶を探るとともに、シロッコは「何か」に尋問する。(何に尋問していたのか。「私のデーモン」と、シロッコは言う。おそらくガイアのスパイ生物だろうと推測される)
それによると、出生がガイアの手によるものであるのは確かだが、幸い、特に有害な処置は
されていないようだ。ひとまず安堵するシロッコ。
さてここで、ルーサーという名のゾンビが登場(ゲーリー・クーパーのキャラをモデルに作られたゾンビ? らしいのだが、ここらへんどうも、映画を元ネタにしていると思われる固有名詞が多くて、はっきり分からなかったです……)。墓地から死体を漁ってゾンビに変え、自分の部下にしている。
ルーサーはペリンの「自由婦人」地区を襲う。彼は神(もちろんガイア)の命を受け、ある子供たちを捜しているようだ。子供たちが「タキシードジャンクション」にいるという啓示を授かり、彼は一路「ジャンクション」を目指す。カーリに先を越されないことを願いながら。
シロッコはロビンをクリスに委ね、浜辺に一休みしに行った。そこでギャビーの幽霊に会い、幸せな夢を見る。目覚めた彼女は不穏な臭いを察知する。
ノヴァは悩んでいた。クリスとロピンが戻ってきて、母親が美しく若返っているのを見ても彼女の心は晴れない。台所でいくつかのハーブを手に入れると、部屋に篭って一生懸命に怪しげなものを作りはじめた。どうやらそれは恋の娼薬らしい。ノヴァはシロッコに恋をしてしまったのだ。作った薬をシロッコの部屋に仕込んだり、入念にメイクをしたり、やっぱり全部落としたりする。恋に悩むノヴァ。
This must be love; what else could hurt so much?
ロビンを鉱泉から連れ帰ったクリス。彼はロビンに対し、子供の父親としての権利を主張する。母親としての自分に疑問を感じるのかと尋ねるロビンに、彼は説明する。ティーターニスに変身しつつある彼は、人間としての絆を欲しがっているのだ。ロビンは彼の思いを理解し、申し出を受け入れる。二人はいい雰囲気。そこに突然誰かの悲鳴が届く。
そのころロッキーとヴァリーハは畑を耕していた。クリスのツリーハウスに滞在することに対する返礼だ。彼らは義理堅いのである。二人は労働で汗をかいた後、後部セックスで楽しく汗をかいたりする。
ロッキーはヴァリーハに恋をしていた。エオリアン・ソ口があまり好きではないロッキーは、ヴァリーハがエオリアン・ソロだということで、躊躇ったりもするが、恋は止められない。
ロッキーはヴァリーハに「シャープド・リディアントリオ」を提案する。(注1)ヴァリーハが提案を受け、セルパンに相談しようと話していたそのとき、当のセルパンが現れた。しかし、明るい家族計画を話す間もなく、3人は空気の中に何かを嘆ぎ取った。
「ゾンビだ! 」
異変を察知した彼らは「ジャンクション」に駆け戻る。
コナルはアダムの子守をしていた。ティーターニスの卵で遊ぶアダムはご機嫌だ。コナルはついついノヴァに思いを馳せてしまう。彼はノヴァに恋をしていた(コナル、お前もか……ここらの場面、登場人物は揃って頭の中がピンク色です)。
ノヴァは彼を憎んでいるように思えたが、最初の頃、コナルはあまり気にしていなかった。なぜならノヴァは周囲の全てを憎んでいるように見えたからだ。しかし次第にノヴァの中で自分は特別なのではないかと思い始める。特別に忌み嫌われているのではないかと。ガラガラヘビか、ロリペドか、梅毒持ち並に。しかしやっぱり恋は止められない。
埒も無く彼女とのキスを夢想していたそのとき、コナルはノヴァの恐ろしい悲鳴を聞く。ゾンビがノヴァを襲ってきた。ノヴァを守ろうと飛び込んできたコナルをぶちのめし、弾丸を撃ち込んでも襲ってくるゾンビ。手当たり次第に物を投げつけているうちに、何かが致命傷になり、ゾンビは倒れた。
ノヴァを襲ったゾンビは撃退できたが、コナルが目を放した隙に、別のゾンビがアダムを誘拐する。シロッコたちは誘拐ゾンビを追跡するが、そのとき天使が空から現れる。目と鼻の先でアダムは攫われ、天使は西の空に飛ぴ去った。
少し遅れてルーサーがジャンクションに到着する。ノヴァを襲い、アダムを誘拐したゾンビはルーサーではなくカーリの一隊だった。カーリは暴力と破壊の化身で、4本の腕を持っている。ルーサーと力一リは反目しあっているようだ。激しく罵りあう両名。ルーサーはカーリの奴隷を、カーリはルーサーの従者を殺す。
アダムが誘拐された。事態は一刻を争う。シロッコは即座に指揮をとった。まず、何がゾンビに致命傷を与えたのか? ノヴァは自分が最後に投げたのが、シロッコのために作った「恋の娼薬Jだったことを思い出す。
アダム救出とゾンビ対策のため、シロッコは矢継ぎ早に命令を下す。ヴァリーハはペリンツォーナに向かい、ティーターニスを召集する。ロッキーはジャンクションに残る。セルパンは陸路で西に向かう。人間は飛行機で天使を追う。それぞれ無線で連絡を取り合うこと。
行動に移ろうとしたそのとき、シロッコは、アダムが遊んでいたティーターニスの卵に気付く。それは透明に変化しかけていた。
人間5人は格納庫に向かい、2機の軽飛行機を発進させる。一つにはコナルとノヴァ、もう一つにシロッコ、クリス、ロビンが搭乗した。
西に向かう飛行機の中、シロッコは瓶の中から「デーモン」を取り出した。シロッコの頭の中に埋め込まれていたスパイ生物だ。2本の足を持った蛇みたいな生き物で、口があり喋ることができる。ご丁寧に性別まであり、一応オスだ。
「90年の間、こいつは私の頭の中を犯し続けていたの」
シロッコは彼をスニッチ(こそ泥?)と呼んでいる。スニッチはガイアの手先だが、重度のアル中なので、酒を餌に情報を得ることができるのだ。シロッコはスニッチが指し示した地点を目指す。
さて、もう一つの飛行機に乗っているコナルとノヴァだが、問題が起きた。シロッコから防弾スーツを着用するように言われたノヴァが、コナルの目の前で服を脱ぎだしたのだ。慌てるコナル。コナルはノヴァに惚れているし、そんなことをされると困ってしまうと言う。ノヴァはコナルの心情を理解できない。そもそもノヴァは「男」を人間とみなしたことがなかった。二人の聞に誇いが起こるが、コナルは懸命に説明し、ノヴァは理解しようと努める。
「傷付けるつもりじゃなかったのj
「それは分かってる」
「……私、また間違ったことを言ったのかしら』
こんな感じながら、それなりに相互理解した二人。かなりいい雰囲気。(注2)
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注1:「シャープド・リディアントリオ」とは、ロッキーが前父と後母を兼ね、ヴァリーハが前母、セルパンが後父となる組み合わせ。ロッキーとヴァリーハが前部セックスをしてヴァリーハが卵を産み、セルパンとロッキーが後部セックスをしてその卵をロッキーの子宮で育てる……ああ、ややこしい。
注2:というか、二人の会話が可愛いので、へっぽこですが訳してみました。
「君は僕に嫌悪感を感じるんだろう?」
「あなたを傷付けたくないわ」
「正直に言ってくれた方がいい」
「そうね、毛深すぎるし、顎はざらざらしていてキスをしたら痛そうだわ。腕や足は……おかしい。それって地球の女たちには魅力的なのかしら」
「どうだろう」
「あなたは私に魅力を感じるの?」
「魅力的どころか。失神しそうだ。君ほど美しい女性は見たことが無い」