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はてなキーワード: 寿退社とは

2024-02-04

男はイージーモードか?

可愛い顔した巨乳ちゃん会社に居た

仕事自体はまったくと言っていい程できなかった

しかし、要領がよい為、上司に見えないところで、

振られた仕事自分に惚れていることを知っている、

要領の悪い無口な陰キャ君にほとんど押し付けていた

 

見かけ上の仕事の進捗はよく、

上司からの受けもよく、毎日定時退社していた

 

一方、仕事押し付けられた陰キャ君は毎日23時、24時まで残業し、ひたすら巨乳ちゃん仕事を処理した

自分仕事を優先しなよと言っても、陰キャ君は陰キャ君で巨乳ちゃんに惚れているので聞き入れやしない

 

当然社内からの評判は最悪となり、課の飲み会でも露骨ハブられるようになっていった

 

その状態が2~3年続いて陰キャ君がすっかりやつれ切った頃に、巨乳ちゃん寿退社が発表された

相手はお隣の課の将来有望な、スポーツ系のイケイオラオラエリートイケメン君だった

そうして巨乳ちゃんが社内で大々的に祝福され退社した後、

陰キャ君は鬱を発症し、課の足手まといの汚名を被ったまま数ヶ月で解雇されることとなった

 

男はイージーモード、女はハードモードと言うけど、

自分価値や強みを正しく把握して、売り時を逃さなければ、

女の方が楽な最短ルートで安定した人生を手に入れられるような気がする

 

高収入の男を見つけて結婚し、

専業主婦として余生を過ごすのが幸せと言うのが、

時代遅れ昭和的な価値観と言われれば否定しないけど

 

男はどうだろうね?陰キャ君がその後どうなったかは知らないが、あまりいい人生は送れてないんじゃいかな?死んでるかも知れない

地域的に保守的思想が強く、メンタルマッチョな男がもてはやされる村社会で、

鬱を患うような弱い男を理解しようと言う考え自体がまるでなかったしね

陰キャ君が身の程をわきまえなかった結果の自滅であることもまた否定しないけど、巨乳ちゃんに比べれば随分ハード人生だと思う

それを自業自得と切り捨てられてしま社会も含めてね

2024-01-30

支持者の少ない共同親権より、大多数が賛成の同性婚を早く認めろ

弱者男性が救われるには強者ゲイとの同性婚しかない

女は下方婚しない

強者ゲイ下方婚する

俺たちにいつまで苦しめと言うんだ

早く強者ゲイ結婚して寿退社して専業主夫になりたい

毎日頑張って強者ゲイの腸内に射精する

強者ゲイ結婚しなければ弱者男性未来はない

2024-01-18

anond:20240118144053

前に勤めてた会社美人取らなかったな。

寿退社とか産休育休の確率が高くて損だって

今だと男も育休取る時代からイケメンダメだな。

イケメンからクビになる前に辞めて良かった。

2023-12-15

anond:20231215005233

慶應→夢を諦め切れずオーディション三昧。顧客から大事要望海外旅行ですっぽかす。

早稲田入社うつ病発症休職中に妊娠退職

早稲田→とにかく親友見なしたがり。こいつの誘いで入ったサークル人間関係泥沼具合が凄かった。当然本人はトンズラ入社一年寿退社し、都内から九州へ高跳び。

動力あり過ぎて周囲が迷惑被るやつばっかやで。

2023-11-21

anond:20231121093208

専業主婦金持ちと言ってる人はいつの時代の話してるのか

2023-11-20

anond:20231120170616

多分どの時代の話をしてるかによるんだろうが

中卒高卒就職してお茶汲みして相手見つけて寿退社、って平成初期くらいまでは一般的だったんじゃね?

2023-10-22

寿退社

友人が結婚を機に会社を辞めて遠距離(新幹線使用で2時間程)旦那の勤務地の近くに引っ越すらしい。俗に言う寿退社だ。

私も友人も理系大学院を修了してからは業種は違うもの研究仕事をしている。お互い職歴は5年目。

元々「結婚したら仕事辞めるけど面接で言ったら落とされるから言わない」と言っていた友人ではあったが、本当に辞めるとは思わなかった。

今、新人教育担当を任されている身としては、時間も手間も金もかけて、やっと5年目の働き盛りの社員が抜けることは会社にとってきついだろうなとまず思ってしまった。

今は面接結婚子供の予定を聞くことはタブーだとは知っているが、会社がたくさん投資して、働き盛りでやめる社員会社としては採用したくないだろうし、でも面談で嘘付かれたら分からないし、そうなるとリスク管理女性採用を妨げることに繋がりかねないなと思った。

2023-10-18

anond:20231018015037

バブル後はともかく高度成長期

世の流行に乗っかってれば

不自由で不健康文句言いながらでも

男性はそれなりの企業に入って年功序列給料が上がって

60で定年したら年金で暮らせて

まあその定年に達する前に成人病で死んだりもしてたけど

女性20代前半には寿退社して

30までに2人くらい子供産んで

外で好きに遊ばせながら育てて

夫は家にいるときは寝てばっかでくさい屁こくけど

その間に大学行かせられるくらいの金は貯められて

子供結婚式手紙もらって泣いたりするんだな

一億総中流ってやつだ

今はどこも綺麗になって健康的になって

広くて自由があるとこに生まれ

あいろんな選択肢があるよ!自由に選んでいいんだよ

って言いながら

実は酸素はどんどん薄くなってて息苦しくなり

どれを選んでも緩やかに不幸になっていく

誰かと家族になって共に幸せを築くどころか

自分ひとりの生活もままならない

かに不満を言いたくても返ってくるのは

「それがお前の選択の結果だからお前の責任だ」

「不満ならば自分たちで変えるしかない」

だもんな

「は?いま自分たちが苦しいのって自分のせいなの?」

ってひとことくらい言いたいよな

2023-10-17

anond:20231016120255

人事部のA子さんが強制寿退社でええやろ そんでB夫くんがA子さんと結婚式あげるかとっとと転職しようとするかが見物っすわ~

2023-10-11

anond:20210521192205

他の誰かも言ってるが

派遣制度と、それに乗っかるしかないお前自身を恨めとしか言いようがない

寿退社妊娠退社って、法律でそう決まってた訳じゃないし

すぐにできるのは、産休の穴埋め派遣だってことを隠してた派遣先と派遣元への説明責任の追求だろうな

普通に説明不十分はアウト寄りのグレーだし、契約更新三年なら、ちゃんと働いてたのであれば途中解約は無い

派遣ガチャ失敗お疲れ様裁判でもおこしなよ

2023-10-08

anond:20231008110400

寿退社しまーす♪

出産するので退社しまーす♪

ってのがあるから

なかなか責任ある職位につけられないのよね

2023-09-28

anond:20230927111155

京大出の才女、丸紅的には今で言う総合職みたいなつもりで取ったんだろうな

そしたら事務職みたいに寿退社しやがって「なんだよー」って思っただろうな

2023-09-27

女を昇進させてはいけない

やる気が無く責任の低いところでのんびり働いて寿退社をしたいタイプ

本人も昇進を望んでいないので、扱いやす

問題出世欲マシマシの自己顕示欲強いタイプの女

こいつらは組織クラッシャー

周囲に自分の優秀さを見せつけなければならない男に舐められてはならないと肩肘張ってるタイプなので、やたらと攻撃

特にできない部下に厳しく、短期的な視野で指摘を繰り返すので

長期的に風の通しの良い組織を作ることができない

この手の女上司を上につけると組織はギスギスして効率が悪くなり組織機能不全を起こす

ポリコレがやかましい世の中だが、組織の中で働いた人間なら女を出世させるとロクなことがないことを知っているので、

バレないように炎上しないように女性管理職から遠ざけておくことが組織運営の正解となるだろう

母親が凄く惨めで可哀想に思えてしま

 年をとり自分の両親が死んでしまった後に思うのは母のことばかりである

 私の母親戦後まれ昭和30年生まれである

 大阪四天王高校卒業して京大に進学してハワイ留学後に大学卒業

 日本丸紅入社した。そして、そこで職場恋愛結婚した。

 2男1女を出産した。

 子供は全員 大学まで卒業して就職した。

 どの息子も両親に及ばない学歴でぱっとしない。

 勿論、就職先もぱっとしないw

 そして、誰も結婚しなかった。いや、出来なった。

 理由はわからない。

 すくなくとも私が結婚できないのは女に騙されるようなちょろい男だからだろう。

 母は

 職場恋愛結婚して寿退社して専業主婦となり家庭を支える母親となったわけだ。

 父親会社部長まで出世したがその後、丸紅傘下の子会社に出向してサラリーマン人生を終える。

 父親サラリーマン人生を終えて5年後に癌でなくなる。

 母親は父が無くなった数年後に認知症になり息子たちに老人ホームに入所させらてその生涯を終える。

 母は私が物心ついた時から父親のいいなりの奴隷だった。

 いつも父親をたてて何かをするにも全て父親許可がないとできないという家だった。

 母親結婚するまでに様々な 資格礼儀作法裁縫着付け日本舞踊、ピアノ等身につけていたのだが

 結婚して育児父親の世話に従事して、他の全てをやらなくなった。いや、父親やらせなかったのではないかと今は疑ってる。

 個人的には、凄く優秀だった母親なのに結婚して全てを失ったように感じるのだ。

 私には京大なんて絶対いける気がしないし、丸紅入社不可能だ。

 なのに最後認知症になって老人ホームで死んでしまった。

 あまりに哀れだ。

 結婚しなければもう少し能力を伸ばせてたのではないだろうか?

 違う楽しい未来があったのではないだろうか?

 そんなことを思う。

 

母親が凄く惨めで可哀想に思えてしま

 年をとり自分の両親が死んでしまった後に思うのは母のことばかりである

 私の母親戦後まれ昭和30年生まれである

 大阪四天王高校卒業して京大に進学してハワイ留学後に大学卒業

 日本丸紅入社した。そして、そこで職場恋愛結構した。

 2男1女を出産した。

 子供は全員 大学まで卒業して就職した。

 どの息子も両親に及ばない学歴でぱっとしない。

 勿論、就職先もぱっとしないw

 そして、誰も結婚しなかった。いや、出来なった。

 理由はわからない。

 すくなくとも私が結婚できないのは女に騙されるようなちょろい男だからだろう。

 母は

 職場恋愛結構して寿退社して専業主婦となり家庭を支える母親となったわけだ。

 父親会社部長まで出世したがその後、丸紅傘下の子会社に出向してサラリーマン人生を終える。

 父親サラリーマン人生を終えて5年後に癌でなくなる。

 母親は父が無くなった数年後に認知症になり息子たちに老人ホームに入所させらてその生涯を終える。

 母は私が物心ついた時から父親のいいなりの奴隷だった。

 いつも父親をたてて何かをするにも全て父親許可がないとできないという家だった。

 母親結婚するまでに様々な 資格礼儀作法裁縫着付け日本舞踊、ピアノ等身につけていたのだが

 結婚して育児父親の世話に従事して、他の全てをやらなくなった。いや、父親やらせなかったのではないかと今は疑ってる。

 個人的には、凄く優秀だった母親なのに結婚して全てを失ったように感じるのだ。

 私には京大なんて絶対いける気がしないし、丸紅入社不可能だ。

 なのに最後認知症になって老人ホームで死んでしまった。

 あまりに哀れだ。

 結婚しなければもう少し能力を伸ばせてたのではないだろうか?

 違う楽しい未来があったのではないだろうか?

 そんなことを思う。

 

2023-09-23

20歳上の理解ある彼くんと結婚した5chヲチスレ常駐腐女子の知人

私の知人オタク女性20代のころ仕事を辞めたくなったのを機に社内の40代男性結婚して寿退社しました。

その40代男性はそれまで交際経験がなくDTだったそうで、今でも彼女に首ったけです。変人を見ると「そんな奴一生結婚できないよ」と笑うそうです。

彼女それから10年働かず、家に引きこもり家事も夫にやらせ、買い出しもせず、外に出るわけでもないのに夫の稼ぎで使いきれない量の香水コスメと、読み切れないほどの本を買っています

企業イラスト講座サイトやfanboxのイラスト講座、18禁fanboxの有料プランにも複数登録しています

片付けが出来ないので、二人の住むマンションの部屋は彼女の買った物が散乱しているそうです。

彼女は5ちゃんねらー腐女子です。

5chのヘタレ絵師の特徴スレやむかつく同人作家晒しのようなスレに詳しく、いつも「こいつキモいよw」

と晒された絵師のツイアカを私にシェアしてきました。

彼女推しの絵はたまに描くものの、頑なに「下手だからネットには上げたくない」

「絵の上手い絵師が『自分は絵が下手だ』と弱音ツイートしてるのを見ると腹が立つ。この人は私達の絵をゴミだと思ってるんだ。弱音吐くうま絵師って性格悪いよね。馬鹿にされたくないから載せない」

と言い、

ネット上の人間関係が欲しいわけじゃない、交流するつもりはないから」

と界隈の人達に近寄らず、好きな同人作家作品にも「私の存在を知られたくない」

とあえてフォローや反応をせずにいました。

なのに彼女同担で界隈の人と交流の多い同人絵師嫉妬するのです。

「人気者気取り」「呟きがおけパっぽくてうざいよね」「調子乗ってる!」

相手アカを見せられましたが、全くおけパではなかったし、調子に乗ってもいませんでした。

普通に推しの絵を描いて投稿して、同好の士とリプの応酬をしているだけ。

なら自分も界隈の人と交流して、絵を投稿すればいいと言っても、「交流はいらない~」

を繰り返す。

弱音吐くうま絵師アカや、人気のある同担絵師アカを見るのやめればと言えば、調子乗ってる人間を観察するのが面白い、何してるか気になって見たいんだそう。

それでいて、私がTwitter相互嫌がらせをされたり粘着された事を愚痴ると

相手ツイート見なきゃいい」「Twitterやめればいいんだよ。Twitterなんてやってても良い事ないよw」「うちの主人も人生無駄遣いだって言ってるよ?」

と達観した風に諭してきます

彼女は、彼女存在も知らない弱音吐くうま絵師や人気のある同担絵師から嫌がらせをされたり粘着されたりといった実質的被害を受けてはいません。

なのに「私の絵を見たらきっとゴミだと思うだろう」「調子に乗ってる」

と敵視し見張っています

5chに常駐し、キモい絵師を見つけると声をあげて笑います

それは人生無駄遣いではないのか。

5chのヘタレ絵師の特徴スレに書かれてる特徴が自分と一致するから絵を描く自信を失った、気分が悪くなったと頻繁に言う彼女に5ch見るのやめろと言うと、

「5chはすごく為になるんだよ!私は絵の描き方を学ぶ為に5chを見てるんだよ。5chは勉強になる情報ばかり。

キモい奴の情報なんて5chのほんの一部だよ。キモい人間ヲチするのも、学習をしてるんだよね。私は5chで色んな人間を見て勉強してるんだね…。」

と語るだけでした。

Twitterと何が違うのか?

他にも私の推しカプを何度も否定してきたり、

他人エロ絵やエロ小説

「私はリアルな性描写が好き。この人のは現実じゃありえない、現実では性行為中にこんな事しない。この人やった事ないんじゃないのw」

DTの描くエロって最低」「ちゃん現実見ろよ~」

批判するわりに、

彼女作の二次小説では情事中の推し(男)に原作無視で「あぅ」「はう」と喘がせていたり、

他の知人のTwitter相互になった男性ユーザーわいせつリプを繰り返して距離を取られたらその男性にネトストされていると吹聴し、警察通報するぞと男性を脅した女性について

「あの子もいつか男性結婚すれば幸せになれるのにね」「男性結婚すれば真人間になれる」

と話すくらい理解ある彼くんに女が全のっかりで尻ぬぐいしてもらう人生計画肯定・美化しているのに、

理解ある彼女さんに男が全のっかりで尻ぬぐいしてもらう」方は男尊女卑だと不快そうにしていたりと、

疑問な点は多々あったのですが、彼女にこれまでの文句を言おうとしたところ逃亡されました。

言いたい事を言ってから縁を切りたかったので不愉快です

2023-09-12

anond:20230912084350

女は20半ばで仕事をやめろって強い圧力があったから、殆ど嫁さんが寿退社して出産して子供の手が離れたらパートから男一人で妻子養ってたよ。

大半の家は二人三人生んでたし。

年功序列で年いくと確実に給料上がったか子供も養えた。

2023-09-04

anond:20230902163521

バブル女子はこれがデフォだぞ

昔の会社はおおらかだった。おおらかでいられた

基本寿退社から主婦コース社会に出ることは稀だから若い世代が遭遇すると面食らうだろうな

2023-08-30

anond:20230830172001

寿退社ムーブを復活させればいいんだよ

夫一人の給料生活できる、塾や大学に金がかかるならパートでもするかってレベル

結婚しても仕事辞められない産休したら生活できない仕事しながら育児なんて無理←こんな意識のうちは子供なんて増えない

2023-07-31

anond:20230730144628

高卒地元大企業工場やら信金やらの安定企業就職して30手前に結婚してその頃には年収400貰って寿退社の風潮は過去のものなので2馬力子育て休日イオンロードサイドのチェーンで外食、繁忙期に国内観光旅行子供高校までなるべく公立に行って欲しいそんな家庭が普通の日本人

はてなーなら生ける屍のようだと絶望する地方普通の一生を送る人々。

2023-07-25

女はようやく院卒で働く気を見せる程度だぞ

ただ、60・70代の高卒賃金平均が20万超えてるのはビビる

高卒枠で家族のために独身で黙々と大企業で働いた人たちなのかなぁ

(この世代大企業勤めは結婚したら寿退社しないといけないみたいな風潮もあった)

性別年齢階級高校:賃金(千円)専門学校:賃金(千円)高専短大:賃金(千円)大学:賃金(千円)大学院:賃金(千円)
~19歳188.2----
~19歳178.7----
20~24歳211.4214.6220.4235.1260.5
20~24歳193.5224.1213.9232.1248.5
25~29歳239.2244.9256.6272.8289.9
25~29歳205.3244.4237.3255.9278.8
30~34歳263.8275290319.3357.3
30~34歳214.4248.4244.6279.2343.3
35~39歳287.2300335.6375.5435.5
35~39歳220.2267.2255.6307.2393.2
40~44歳311.2324.6366.5414.8516.5
40~44歳229.2275.2277.3327.6408.6
45~49歳335.4352.4398.4455.4558.8
45~49歳234.7291.5283.5343.4454.4
50~54歳346.4377.9418500632.4
50~54歳240.2294.4297.8364.2528.9
55~59歳350.3387.2434.8513.8645
55~59歳242.1306.2300.9375.7585
60~64歳279.2302.7318.2377.3558.8
60~64歳211.4271.6251312.4564.6
65~69歳241.2269.3288.8332.2610.2
65~69歳197.2250.7251.1318.2533.8
70歳以上220.7221.3310.3339.3498.2
70歳以上204.7254.1271.8319.6500

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2022/dl/03.pdf

anond:20230725162032

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-06-24

anond:20230624090246

女性ならではの視点」って本来トイレは男女で別であるべきだとか女性にはかなりの期間生理があるとか、年齢や容姿に関わらず性犯罪危険はあるとか、そういう事をちゃん意識している事だよね。

果たしてそれが本当に、「女性ならではの視点」として求められることなんだろうか?とも個人的には思うんだよね。

その程度のことは、女性積極的情報発信啓蒙してゆけば、男性だって、そう思えるようになるはずだし、

そうなってないのは、単に、女性がそういった情報を徹底的に隠蔽することで、「女性ならではの視点特権を守ろうとしているようにしか思えない。

そもそも女性個人が持てる視点は、本人自身経験から持てる視点に過ぎず、それが女性全体の視点として代表できるのか?という疑問もある。

結婚したら妊娠子育て家事育児大変なので退職するという「女性ならではの視点」で行動していた女性が多かったから、

寿退社は当たり前、どうせ結婚したら辞めるから出世させずに低賃金お茶くみさせておく時代が長く続いていたのではと思うし。

女性ならではの視点」や女性枠に反発している感覚のほうが、長期的には正しい気がしてならない。

2023-06-21

anond:20230620104704

同じ時期に就活した女だよ。

2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。

それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。

世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。

私は県内公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか

1972年まれピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない。

受験倍率は早慶レベルでも10倍超。

今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須浪人当たり前。予備校大繁盛。

予備校ブギ」なんてドラマもやってたほど、浪人は珍しくなかった。

私も女子だったが現役では志望校に受から一浪して入学した。進学校ではそれが普通だったのだ。

親の意向で「女子が4大なんか行かなくていい」という家庭の女子短大に進んだが(当時はまだそんな価値観があった)大半の同級生は4大を目指し、厳しい競争をなんとか勝ち抜いて有名大学生切符を手に入れた。

そうやって勝ち抜いて勝ち抜いて手に入れた有名大学生肩書なのに、それが就活の段になって全くの紙屑になった。

増田が書いていたように電話帳くらいの厚みがある(あ、今の人に電話帳と言ってもわからいか資料請求ハガキ綴込みのリクルート本が家に届いて、ひたすら手書き資料請求。300社くらい出したっけ。それくらい普通だった。

そして女子というだけで資料すら送ってこない会社多数。

インターネットがまだ普及していない時代資料を送ってこない会社はそれ以上コンタクトが取れず、その時点で門前払いなのだ

会社説明会は電話申し込み。コンサートチケットを取るが如く、電話をかけまくる。携帯電話などまだない。家の固定電話だ。

やっと繋がっても「申し訳ありませんが定員になりました」と断られること多数。

面接の段になっても、健康診断まで受けて絶対内定確定、と就職課に言われた最終面接で落とされた会社もある。曰く「諸般の事情女子は今年は採用しないことにしました」だと!だったら最初から取るんじゃねーよ!

結局大卒がやらないような職種会社しかからなかったが、鶏口牛後を目指そうと気持ちを切り替えて働いた。正社員採用されただけまだ恵まれていた。

数年頑張り会社内でも評価され、幹部候補生選抜され高度な研修も受けさせてもらえた矢先。

会社倒産した。

今の会社には見るに見かねた親戚のツテで入れてもらった。そういう裏ワザがないとまともな転職先すらなかった。前の会社の同僚はほとんど連絡が取れなくなった。

大学の同期で働き続けている女子ほとんどいない。

私よりはるかに優秀だった子達もいたけど、結婚を機にみんな仕事を辞めた。辞めたというより「辞めざるを得なくなった」。寿退社暗黙の了解だった会社がまだまだ多かったのだ。女子社員結婚とか妊娠とかは、会社側にとって体のいい「辞めてもらう理由」でしかなかった。

仕事を続けたければ、結婚はできなかった。

私は仕事を続けたかったので、結婚は諦めた。

幸い自分1人食わせられるだけの稼ぎはあるし、同じような独身女性が多く、それなりに人生楽しんでいる。氷河期だし人数多いしろくでもない世代に産まれちまったが、それも運命と諦めている。

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