はてなキーワード: 不可能とは
仕事関係だから近所の学校の校舎耐震化に関する説明会の議事録を読んでるんだけど、
いや~不特定多数のジジババに説明会するの、どうやら本当に地獄だね。
なにしろ知識レベルが全然均質でないうえに、平均レベルも低い。
そのためだいたいこんな話になる。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
市「昨年一年間、みなさんの議論で、地元の学校校舎の耐震化工事をすることに決まった。ついては耐震化案のたたき台を①、②、③と作ってきた。皆様のご意見を頂戴したい」
参加者A「校舎の耐震化が本当に必要なのか。工事ありきで進めないで欲しい」
(昨年ずっと話して決めたはずなんだが?)
参加者B「3案とも一長一短ある。地元の意見をよく聞いて進めてほしい」
(いまやってるのがそれです)
参加者C「説明してもらったが全然わからなかった。もっと丁寧に説明してほしい」
参加者D「何億もかけて建物ありきではなく子供たち教育のことを考えるべき」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ほぼこんなもん。
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。
まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。
元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。
学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter
けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。
五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般とヘイトスピーチの違いは何か。それは後者が差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」
DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義は禁止もしくは監視あるいは一定の制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」
五野井「わたしは共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義はヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別と差別煽動が埋め込まれているからである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」
DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動は差別でないとは斬新な見解ですこと。」
五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種は階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」
DaDa「階級は移動できる問題ないって安直に社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」
五野井「人種って移動可能なのですね(笑)。あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたしに議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピアも大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」
DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」
五野井「わたしが移動不可能な人種差別を問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級の問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」
DaDa「だから、人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題にコミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」
本当、意味のない議論だよ。このTogetterのはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。
それはともかく、五野井先生は「職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ”差別を論じるに人種と階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能な属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生も勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後の最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生が階級差別の存在を否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」から「女性の自己実現を否定している」という解釈はダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。
「実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。
まあ、五野井先生もかなり微妙な手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別と差別煽動が内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばしてしまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害の害悪は果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体は王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。
ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。
それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチの定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性を理由に~」みたいな文章見たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。
まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。
移動可能というか変更可能/不可能を考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。
まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。
日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
結局そうなんじゃないかと思い始めた
べつに毎日手首切ってます!って感じでもないし、病み垢なんかを作って死にたい死にたい言ってますって人もそうはいないだろう
でも、なんか、毎日しんどいし、これが死ぬまで続くのか……っていう絶望感みたいなものをうっすら感じつつ、できるだけ意識しないようにしている、そういう人がかなり多いように思う(根拠、ナシ!w)
いくら愚痴っても Life goes on...なので言わないだけで、助けてくれ!と思ってる人はかなりいるんじゃないか
で、それの支えとしては、結局結婚して子供作って……っていう伝統的なアレが一番効くんだろうなと最近思う
そら一人で趣味やって充実してます!って人もいるだろうし、子供作ったけどぜんっぜんなんの感情も湧かなくて破滅!って人もいるだろう
しかし、やっぱりこう、全体としては、子ども作ってその成長に注力して辛さから目を逸らすっていうのがベストプラクティスなんじゃないかな
運否天賦で、というか、あんま何も考えんとエイヤっと子供を作って、育てるぞーと思ってるうちに老境、そんでまあええわと思いながら死ぬ そういう感じでやってきたんだろう、人類
残すもん何もないし、そもそも何かを残すことにこだわりを感じないし、大切な人は別にいない となると、モチベーションを自分で生み出さないといけない
月に行くんだ!とか、良い絵を描くぞ!とか、武道館を満員にする!みたいな夢をもったりできると良いのかもしれないが、夢ってたぶん持つことにすら才能が必要で、パンピーにそれはできないんだよな
一緒に過ごしたい家族もいない、熱意を注げるものもない、叶えたい夢もない って状態で週40時間労働を40年以上やるのは、まあ相当しんどいわよね
どうなるんだ?この社会
俺は滅ぶだろうなと思うんだけど、じゃあ具体的にどんなふうに滅ぶのか、というかそもそもどうなったら滅んだことになるのか、というとわからない
個人的に人類の未来を全部見てみたいな、とは思うんだけど、実現不可能だし、夢ってほど夢じゃないな 呪術廻戦を完結まで見たいっていうのと大して変わらん熱量
俺ってどうしたらいい
なんのために生きたらいいんだ
生まれた意味とかはどうでもいいので、仕事をしてまで生き続ける意味がほしいんですよね
”呉座氏の件と草津の件との非対称はやはり納得できない。/呉座氏の発言が許されないとする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪する態度は両立不可能だと思う。”
何なら両立可能なのでしょうか。(その二つに両方そのように言及している人がそもそも実在するかどうかは措きます)
(A)呉座氏の発言が許されないとする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪「しない」態度なら両立可能
(B)呉座氏の発言が許され「る」とする態度と、人と地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を免罪する態度なら両立可能
免罪しない=糾弾すると置き換えましょう とする態度 も冗長か。
(A)呉座氏の発言を「許さない」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「糾弾する」 なら一人の人間の態度として 可能
(B)呉座氏の発言を「許す」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「免罪する」 なら一人の人間の態度として 可能
さて、もとのブックマークコメントの意図するは(A)(B)どちらでしょう?それとも(A)(B)両方でしょうか?
(元増田のブックマークにあった「一貫性を追求しているだけでしょ」「ダブスタを指摘しているだけ」というコメントを残したIDのはてな村人なら両方、一択ですね。)
だんだん見えてきました。
非言語的読解ですが ”両立不可能だと思う” は ”了解しがたい”。”いやそりゃおかしいでしょ”という異議申し立てでしょう。
両立不可能だと思う≒私は許したくない 以外をこの文脈では読み取れない。 両立不可能だと思うけどどんどんやって世の中に広めてほしい という筈はない。
両立不可能だと思う。できることなら世の中から消えてくれ。という願い・叫びでしょう。
(A)呉座氏の発言を「許さない」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「糾弾する」 なら一人の人間の態度として おかしくない
(B)呉座氏の発言を「許す」 と 地域を誹謗中傷し、根拠が出てこなくても意見の撤回すらしない事を「免罪する」 なら一人の人間の態度として おかしくない
では (A)ならばいいのか?
ここにトリック(レトリック)が込められています。 ”地域を*誹謗中傷*し、根拠が出てこなくても意見の撤回*すら*しない事を「免罪する」
「だに」「すら」「さえ」 はい。 これ付きで描写される行為、「免罪するなんておかしい」「免罪するな」以外の文意読めますかね?
すら というのは 根拠がねーんだからせめて意見の撤回ぐらいはしろよ。(誤りを土下座しろとまではいわねーけどよ) ですよ。
”女性研究者であることに対し誹謗中傷したことを示す本人も認めた明白な根拠がある呉座氏の発言が許されないとする態度と、草津の発言を免罪する態度は両立不可能だと思う。”
と書いてもよかったわけですよ。
なんで 呉座氏の方は 根拠 誹謗中傷 という 語で飾らなかったんですかね?
懸命に隠しても、言いたかったのは 「根拠のない草津の発言を免罪するなんておかしいだろ?な?な?」 「だから」 「呉座氏も許すべき。許さない(架空の)お前らを罰してやる」 なんですよ。
女性研究者であることに対し誹謗中傷したことを示す、本人も認めた明白な根拠がある呉座氏 とは 書かなかったのはそういうわけ。
したがって (A)(B)両方、と答えた人は不正解でしょうね。
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(追記)
呉座氏が謝罪した後、呉座氏を執拗に攻撃するのをやめるよう、そして職場に電話で抗議するのはやめるよう発言したのは北村氏ですが、執拗に北村氏を攻撃し続けたのは誰だったんでしょう。
雪組だけに?
これ一幕ものでよかった、と思う。
雪原?ロシア?ロシア。ナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。
ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスのマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。
ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」
ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。
出生名
ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」
わらった。
!!ナポレオンてEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!
音楽は数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。
再び勝利。
「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」
ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」
ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11場ウィーン会議にロッシーニがいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。
謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」
ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。
謎の女「死は、救いなの」
ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」
あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。
「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」
上田氏の京大講演会「経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快なものなら、当然、それがなくなることはない」
ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手がオーボエパート、望海の左手がクラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。
モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」
シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつはURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつの出典では『自由賛歌』がシラーの作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作が都市伝説の元なのかな。
ベートーヴェン「あー」(A4)
運命「あー」(A5)
1815年の手紙から。日本語訳がピッタリこないけどドイツ語わからないから2つの英訳。
"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."
"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."
よかったね天国行きだよ!
あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。
und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.
ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞の解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害・天国/楽園行きを阻むもの・自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。
今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?
そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。
きたー
ベートーヴェンの葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。
うたえ 生きとし生けるもののうた
なんかここのベートーヴェン(推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。
ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)
耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後の交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。
お見事。
配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトルの意味しかり。
重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンのイメージはシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。
第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。
*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオン、ゲーテが左右におり、謎の女もいるので。
うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。
私は理系の男が性的な意味で好きだ。物理数学を愛する理系の男が物理への愛を込めて色気も素っ気もないような無味乾燥な教科書を書き上げたんだと思うとドキドキする。アメリカの生物の教科書とかに比べて圧倒的に分かりづらい不親切な記述。そのくせ書いた本人はとっても分かりやすいと思っている馬鹿さ。物理の教科書はとってもえっち。
【論文】
もう一回言うが私は理系の男が性的な意味で好きだ。若干社会不適合者な一面や、独特の言い回し、そして飛び切り有能な頭脳にきゅんきゅんする。だがしかし彼らの国語力は微妙である。ああ、ここもっと親切な言い回しがあるでしょうに。と読むたびに思う。しかし大切なのは親切であることよりも一意的であり誤読の余地がないことだ。よってそういう言い回しにならざるを得ない。という窮屈な枠組みの中で書かれたちょっと読みづらい文章、堅苦しい言葉選び、あ、この人普段はあんななのに論文だとこんな文章も書けちゃうのね、ってギャップ萌え。全てが愛しい。
理系の男が作るパワーポイントはダサい。学会用スライドから講義資料、メーカーのおじさんが出してくる資料までとってもダサい。色使いもおかしい。情報量を詰めすぎである。そういうところが私は好きだ。そもそも内容上コンサルみたいなスマートな資料を作るのは不可能である。目盛りと単位までばっちり書いたグラフを載せれば資料はダサくなる。ダサいが必要なものは全て揃っている。しかしダサい。だがまあそうとしか言いようがない気もする。実用上十分であるが見た目がヤバい、というのはなんともまあ彼らの存在を象徴しているようで、はあ、好きだなあ。と思いながらいつも見ている。
【授業】
頭のぶっとんだ理系の男が好きだ。教授なんてその最たるである。本人は一生懸命分かりやすい説明をしてるつもりなんだろうけど、全然分かんないよ。なんだお前。本人は分かりやすいと思ってるとこが本当に好き。学生に分かってもらおうと頑張ってるところが好き。その頑張りが全く報われてないとこが好き。応力場が見えるとか言ってくるの意味わからんが。エロい。
【Web授業】
Web授業の何がいいって顔が見えないことだよ。いい声のエリートが耳元で永遠に知的なセリフを囁いてくるとかポルノか?????心がぎゅんぎゅんする。Web授業はアニメと一緒。すなわち二次元。好き。
理系の男が書いた文字はエロい。精緻に並んだ筆記体の数式とかオシャレ過ぎて泣く。いやお前そんな字書くの???逆にめちゃくちゃ優秀な人がクソみたいな字を書くのも本当に好き。めちゃくちゃ頭いいのに小学生より字が下手な男。しかしノートのまとめ方って言うのかな、書き方は頭いい人のそれだったりして、ただ字だけがひたすらに小学生。なんだお前は。好き。
あと頭に手が追い付いてない人。こいつのノートは読めない。そういうのもえっちだ。好き。ノートだけで永遠に萌えられる。試験期間中にノート貸してくれた男に何回恋したか。字がエロすぎて。
まあ基本的に学生の書いたプログラムなんてクソクソ読みづらいんだわ。うわー、意味わかんねーって思いながら不親切なコメントアウトを見てプログラムを読み下したりして、分かったときの「ああでもこうとしか書きようがなかったよね」って共感。あなたのことを分かってしまったときのキュンキュン。でもまあよく考えるともっと他に分かりやすい書き方ない?って思ったりして、でもやっぱりなくて、みたいなね。ずっと引き継がれてるプログラムってそういう歴史が詰まってるじゃん。それを辿りながら読むの、え、えっちー。エロすぎる。凄いものを作れてしまう頭の良さ、しかし自分が賢いがゆえにそれを分かりやすく伝えられないところ、親切心と少しの遊び心を含んだコメントアウトを読むの、とっても好き。
もうちょっと戦略性をもたせられないかなって考えてたら、視界を取り入れたらいいんじゃない?ってなった。
通常ボンバーマンはステージ全てを見渡すことができて、相手の動きも手にとるようにわかっている状態でプレイする。
しかし、本来は壁などの遮蔽物があればその向こう側を見渡すことはできないはず。
ならばここに視界という概念を取り入れてみてはどうか。
あくまで見下ろし型のままで、視界から外れる部分だけを黒塗りにしてしまおうという考え方。
今でいうとちょうどAmong Usのような感じで、地形はある程度把握できているが、遮蔽物の向こう側の相手の動きを知ることができなくなる。
移動は左スティックで行い、右スティックで90度の視野を動かす。もしくは進行方向しか視界がない。
設置やリモコンはLRで事足りるだろう。
右スティックで視野をぐるぐると動かしながら敵の位置を探りつつ、ボムを爆発させてアイテムを回収しながら強化して、相手を追い詰めて倒す。
対人戦には人数分の端末が必要になるけど、別に3Dじゃないし操作も単純なのでスマホでも十分対応できる。
少しステージを広くしてアイテム収集の時間を増やしたり、アイテムの取捨選択をしてプレイスタイルに幅をもたせられたら面白いかも。
それこそ最近のバトルロワイヤル風に時間に応じてステージを狭めていってってやれば、100人プレイも不可能じゃない。
考えれば考えるほど楽しそう。誰か作って。
飛躍の指摘についてはその通り、ただ私が示したのは一つの解釈に過ぎない事を意識すべきだ。
そもそも解釈とは飛躍を伴う(飛躍が無いなら意味は分岐せず、解釈の余地は生まれない)
重要なのは「スローガンを掲げるだけでは意味が無い、実際にジェンダー平等の為に動かないと」という解釈”も”あり得るという事だ。
この解釈に飛躍が伴うのと同じように、あなたが出した「スローガンを掲げる事が時代遅れだと言えるのは、ジェンダー平等が達成されている場合のみだ」という解釈にも飛躍がある。
「スローガンを掲げる」と「実際に動く」は別に相反する事でもないという事は同意するが、だからと言って「ジェンダー平等が達成されていなければ、スローガン的に掲げる(だけの)政治家が時代遅れと表現することは不可能」なわけではない。
また、「『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる」の意味についてはもう少し詳細な読解が必要だ。
この文は「(他のどのような仕方でもなく)スローガン的に掲げてる」という揶揄だと読み取れるからだ。
こうした場合、(「スローガンを掲げる」と「実際に動く」は相反しないが、しないにも拘らず)「スローガン的に掲げてる」が「実際に動かない」を含む意味として発話され得る。
勿論、ハッキリ言って表現として拙いし、ここまで頑張って擁護的な解釈をする意味は無い気もするが、他に解釈があり得る以上、それを無視するのは真摯な態度ではない。
まず言っておくとあのCMはカスだしジェンダー的にも問題が有る。
ただ、ジェンダー的に問題にできる点があるのに、解釈が可能な点についてもわざと悪意的に解釈しているように見える人が多いので、解説を加えてみる。
解説を加えるのはこの場面。
会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ
まず前提としてこれは報道番組のCMであり、ジェンダー平等等にまつわる社会問題を重要な事柄だと印象付けたい意図が有ると想定すべきである。(報道に付加価値を意識付けたいなら当然そうなる)
そして実際、ここで「時代遅れ」なのは「ジェンダー平等を問題にすること」ではなく「スローガン的に掲げる事」だと解釈可能である。
「スローガンを掲げるだけでは意味が無い、実際にジェンダー平等の為に動かないと」ということだ。
このCMが「すでに日本はジェンダー平等を達成している」と主張しているのだと解釈している人が居るが、これは誤り、というより他にもっと良い解釈がある。
ジェンダー平等を達成していなくても、「スローガンじゃ役に立たない」と主張することは可能だからだ。
複数の解釈が可能である時、わざわざ悪意のある解釈を取って決め付けるのは真摯な態度ではない。(ただ、このCMはメッセージを伝える上で非常に拙い事は否定しない。しかしそれは善悪ではなくクオリティの問題である)
赤ちゃんの話と政治家の話がうまく頭の中で繋がらない人も多いと思う。実際ここは接続が甘い。
ただ注意深く読み取れば、繋がりを見出すのは不可能ではない。
重要なのは産休でも赤ちゃんが可愛かった事でも無い、「先輩が赤ちゃんを職場に連れて来た」事だ。
議会に子供を連れて来た議員然り、職場に赤ん坊を連れてくる事を許容するかどうかというのは世界的にもまだ達成されている所の少ない、社会問題である。
CMの女性の職場ではそれを達成している、それと比較して「まだスローガン程度で止まっているどっかの政治家は時代遅れ」という事なのだ。
比較されているのは彼女の職場と政治家(その背景としての日本の政治)であり、つまりこれは日本の政治のジェンダー問題の遅れへの批判だと読み取る事が可能なのだ。
ま、そもそもここまで努力して意識的に読み取らないとここまで読めない時点で、あのCMはカスである。
更に「そもそも職場に赤ちゃんを連れてくるのはジェンダー平等の話なのか?確かに重要だが、これを女性差別の問題として扱うのは、育児を母親の仕事だと考える前時代的な価値観を前提にしていないか?」と言う批判はあり得る。
これは多くの人が指摘している事だが、化粧品等の非政治的な事柄を意識の中心として描いている点は女性を馬鹿扱いしていると解釈され得る。
恐らく(化粧などの)身近な問題と(消費税などの)政治的な問題を接続し、その接続を意識している人物像として「報ステを見ている女性」を提示したかったのだろうが、CMの女性は話が散発的過ぎて意味不明な発話しか出来ていない。もう少し問題を深堀する人物として提示するべきだっただろう。
そうした問題がちゃんと有る、にも拘らず他に解釈が可能なジェンダー平等のくだりをわざと悪意的に解釈して問題化するのは、却って問題の本質を暈してしまう悪手だと言わざるを得ない。
ただし、そうした解釈を多くの人がすることは自由である。誰にでも読解力が有る訳では無い。
問題なのは、専門家やメディアの記者がそれら一般人と同程度の浅い解釈しか出来ずに批判してしまって居る事だ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/93358
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_605a808ac5b65d1c28107da8
例えばあのCMを撮影する際、問題を感じた人が1人も居なかったとは私は思わない。
しかし問題を感じたその人が、問題の本質を捉える読解力を持っていなかったらどうだろう?とっさに「これは不味いです」と言えずに黙ってしまったり、周囲を説得できず押し切られるかもしれない。
現場での抑止力が正常に機能するためには、問題を問題だと感じるだけではなく、「どこがどう不味いのか」翻訳する読解力が必要なのだ。
そしてそうした読解力を今回の様なケースでの解釈を通じて示し、大衆に広める事こそメディアや専門家の役割の一つだろう。それが現在全く機能していない。
あのCMを批判するべきである、という事には同意する。しかしそうした目的を優先する余り拙い安易な解釈で批判を行えば、社会全体で問題の本質を捉えることができなくなり、力が衰える。
私が言いたいのは「真面目にやれ」という事だ、遊びでやるな、可能な解釈をした上で「本当に問題である事」や「~~の様な(悪意的な)解釈も可能な表現になってしまって居る事」「CMとしてのクオリティが低い事」を論うべきだ。
だからいい加減組織化すべきでは?というのが主張。一部の先鋭化した狂人(ドウォーキンあたりを支持する明らかなミサンドリーに染まった人もいる)が最前線で無限に要求し続けるのって対話不可能性を感じさせるのよ。
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
アシュワガンダは一日2状でそろそろ1ヶ月くらいたちそう
精神が安定しないでもないような気がしたけど、近所トラブルでぶちキレちらかしたりもしたし、本当にメンタルに影響出てるか微妙
iHerbの投稿にはやる気が無くなったっていう報告が上がってたけど、自分は真逆で今まで頭の中でぐるぐる回していただけのことをががが!っと立て続けて実行して、ここ一月ほどはいろいろ進展があった
もっとこう心が落ち着いて小さいことに動じなくなるような、クールな精神状態を期待していたので思ってた効能と違うんだけど
まぁ2ヶ月は続けたほうがいいらしいし、まだ残っているから飲むけどね。iHerbで2000円もかからなかったし別にいいけど
メンタルだけじゃなく抗酸化能力もありそうで、身体には良いのではないのかなー。知らんけど
CBDさぁググってもふわっとした情報しか出ないんだよね。慢性的な痛みに効くかもしれない…、睡眠にいいかもしれない(睡眠にいたっては睡眠の質を下げるかもしれないとか情報錯綜しててマジかよって感じ)
研究レベルでも200mgとかの高用量摂取でてんかん抑制効果があるくらいかな?普通のCBDは下手すりゃ500mg/10mlとかで、下手すりゃ一回の摂取は10mg以下とかになるレベル
一度に200mgの摂取とか高用量過ぎて金額的にペイできないレベル
あとてんかんには効いたけど、酩酊のような副作用もあるようなので、サプリとして日常的に使うのに高用量のCBD摂取はちょっとない感じ
とはいえ自分はそれでも市販品の中では高用量の3000mg/10ml の8000円くらいの高いオイルを購入して服用してるんだけどな
容量低くしたせいでなんの効果も無い、なんていう切ない結果は嫌でした
ここ数週間CBDオイルを早朝や就寝前に4滴づつ摂取してるんだけど、お察しの通り何も感じないし身体的な変化もあまりない
ちょっとだけ我慢が効かなくなって、深く物事を考えずにえいや!って突っ込んでいくようになった気もするけど、一般的に言われているような、睡眠の質があがった…みたいなのは…うーんどうだろう。少しはあるか?
今思い起こすと、若干良くなっている様に思えなくもないけど。アシュワガンダの影響もあるしなー
もっというと毎日1時間くらい瞑想しているし、それの影響もある気がするしなー
ちなみにご飯食べたあとに腕に赤い湿疹が出るのは相変わらずです
これは多分ストレスが原因なんだけど、ストレスの原因はたくさんありすぎてどれが本当の原因なのかよくわかりません
ビットコインの上昇で年収20年分くらいの資産がここ一年で増えたのが環境変化としてストレスになっているかもしれないし、在宅勤務の長引きとか、個人ビジネスでの対人関係が原因かもしれないし、謎です
そもそも健康問題、メンタル問題を解決するのにサプリに頼る、とかいうなめた考えがいかんような気もする。
でも瞑想とか運動とか食事とか出来るところは改善しているし、それ以上となると、やっぱりサプリ周りも開拓していきたいっていう気持ちもある
睡眠の質考えるなら、CBDとかアシュワガンダみたいな遠回りのサプリじゃなく素直にメラトニン飲んだほうがいいような気もしてきた
何事にも感情を動かされない、心を反応させない、悟りの状態になりたい
こういうのはサプリじゃ不可能なんだろうなぁ。他人も環境も社会も変わらないし変えられないのだから、そういうのにとらわれることこそがすべての不幸の源なんだよ
イキりまくってるコンサルにクソムカついたという話が出てたので、そのついでに自分の話もしてみたい。
今から数年前、自分の担当していた企業の業績が急激に悪化し、再建支援(これは表向きの理由、真の目的は債権保全)のため自分がそこへ出向することとなった。
年商数百億円規模の会社で銀行借入も百億円近くある企業なので、管理体制はそれなりに構築されているのだろう、そう思っていたのだが実際には酷い有り様であった。
社内の情報共有は全く成されていない、損益管理も決算を締めてみるまで分からない(月次で試算表は作っているが、進行基準ではなく完成基準なので全く参考にならない)
資金繰りの管理すら行われていない、「月末の不足分は銀行の当座借入枠で調整」という中小企業でよくある典型的パターンとなっていた。
「このままではとても自力再建など出来ない」と気づいた私は、危機感も能力も全くないプロパー社員を指導しながら、社内管理体制の構築に努めた。
出向から1年が経過し、それなりに社内の管理体制が整い、月次の損益管理や資金繰り管理もそれなりに形になってきた。
その結果、「決算を締めてみて大赤字が判明する」という幼稚園児レベルから「決算を締める前に大赤字だと分かる」という小学校低学年レベルへ進化することが出来た。
そして私は遅まきながらようやく悟ることが出来た。
今私がやっていることは高血圧の人に対して「毎日血圧を測定しましょう」と言っているに過ぎないのだと。
毎日血圧を測れば高血圧だということは分かるが、測定したからといって血圧が下がるわけではない。
リアルタイムで赤字を認識しようが、決算を締めて認識しようが赤字は赤字にしかならないのだ。
ベンチからの指示は「とりあえずもう少し続投」であったが、私は「どうやったって自力再建は無理なんで、そろそろ敗戦処理を送り込んで貰えませんかね」と強く要請。
そしてここでようやく本題である「あまりイキってないコンサルの人たち」が登場することとなった。
私の想像でしかないが、所謂イキり系コンサルはIT系、システム系に多いのではないかと思う。
経営改善コンサルや事業再生コンサルと比べると、システム系コンサルは歴史が浅いのでイキり系が産まれやすい土壌でもあるのだろう。
私が一緒に仕事をすることとなった人たちは「事業再生コンサル」であり、弁護士・公認会計士・元銀行員といった顔ぶれであった。
ネット上でイキる意識高い系のコンサルと違い彼らはみな紳士的な対応であったが、逆にその丁寧さが私には慇懃無礼に見えて仕方がなかった。
彼らの登場により、私の業務についても次のステージへ進められることとなった。
プロパー社員たちに知られることが無いよう、一日中別室でコンサルたちと事業DD、財務DDを行い企業の清算価値を査定した。
当社は3つある事業部のうち、製品製造を行っている2事業が海外との競争に晒され赤字垂れ流し状態。
しかし幸いなことに、一番規模の小さいメンテナンス事業部だけがコンスタントに黒字を計上していた。
法的整理を行い担保物件等を処理した場合、百億近くある融資のうち回収出来るのは1割未満。
一方で、大幅なリストラを行い黒字の事業部だけを新会社に移し、今後10年間で返済可能な借入を背負ってもらうとなると3割程度は回収可能。
この試算結果を受けて、経済合理性の観点からも再生は可能であると判断された。(ここで再生不可能と判断されれば破産するしか手はない)
ちなみに事業再生系のコンサルの費用は本当にアホかというくらいに高い。
各種資格保有者ばかりということもあるが、当初3ヶ月の契約で3000万円。
そしてここから半年かけて行う事業リストラ、再生計画策定、解雇された従業員の再就職支援等の費用として5000万円請求された。
(費用のほとんどが彼らの人件費であり、駄目元で値下げ交渉したところすぐに5~10%値引いてくれた。にしても利益率高すぎじゃね?)
ここまで書いていてふと思い出したのだが、そんな彼らにも少しだけこちらをイラっとさせる癖があった。
会話の中でとにかくやたらと良く分からない横文字のビジネス用語を使いたがるのである。
「リストラについては一律にやると優秀な人から抜けるリスクがあります。まずは経営陣でバイネームでリストを作成してください」
「増田さん、これだとアップルトゥアップルの比較にならないですよ」
(あっぷるあっぷる?りんごが溺れてあっぷるあっぷるなのかな…)
「スポンサー候補先とはNDA締結してExclusiveでの交渉になりますね」
彼らとの会話にときたま苛々させられながらも、Google翻訳の力を借りて再建に向けた作業は着々と進みつつあった。
法的整理と異なり私的整理は基本的には迷惑をかけるのは金融機関だけなのだが、法的拘束力が無いのでこの調整が一番難航する。
高い費用をかけてコンサルを導入する理由は、この対金融機関折衝を乗り切るためといっても過言ではない。
債権放棄額の妥当性、再生計画の蓋然性について、各金融機関を納得させるための資料作りに関しては彼らの能力は非常に高い。
まあ高いコンサル費用払ってるんだから当然といえば当然なのだが、彼らは凄まじいスピードで計画や報告書を作り続けた。
私が出向してきて3年が経過したところで、ようやく事業再生手続がひと段落した。
黒字事業と借入の一部を新会社へ移管したうえで、旧会社は銀行団が債権放棄を行ったのち清算。
1000名以上いた従業員も8割以上が解雇となり、人材引き受けの協力を得られた他企業へ転籍したり、転職支援サービスを利用して転職したりしていった。
そうして私もようやく長い任務から解き放たれ、出向元へ復帰することが決まった。
コンサル会社との契約もここで終了となったので、慰労を兼ねて私はコンサルチームのメンバーと最初で最後の飲み会へ行くこととなった。
私としては3年間という短い期間だったとはいえ、一時は同僚だった人たちの大半をリストラするという後味の悪い仕事が完結したということもあり目一杯呑みたい気分だった。
しかし残念ながらコンサルの人たちは飲み会の場ですらもスマートであり、1杯目だけはアルコールだが2杯目からは皆ソフトドリンクへ切り替えていた。
「恐らくこの後もビジネスホテルに帰って他の仕事をしたり、自己啓発したりするのだろうな」と思っていると、予想通り飲み会は開始からきっかり2時間で終了。
まだまだ飲み足りない私を残し、コンサルたちはタクシーに乗り込み帰ってしまった。
一人残されてしまった私は「憂さ晴らしにデリヘルにでも行くか」と考えた。
しかし私はすぐに反省した。リストラされ再就職先も決まっていない従業員も大勢いる。
そんな状況で呑気に風俗に行くなど道義的に許されることではない。自分よりももっと辛い状況の人は大勢いるのだ。
デリヘルに行くことは断念し、私は駅前のレンタルショップでアダルトDVDを借りることで手早く性欲を満たすこととした。
帰宅後、風呂に入ったあとでDVDを入れたのだが「このDVDは再生できません」というエラーメッセージが出てしまった。
記録面が汚れているのかな…と思いティッシュで綺麗に拭き取ってみたが、何度やっても読み取りエラーが出てしまう。
日本ではイトコ婚は可能だが、国によってはタブーとされる地域も多い。たとえばアメリカだと不可能な州が大半だが、イギリスだと可能だったりする。
そして興味深いのは、イトコ婚といっても一概にはくくれないということだ。交差イトコ(親の性別が違うイトコ。つまり兄・妹または姉・弟のそれぞれの子供同士)の婚姻は可能だが、平行イトコ(親の性別が同じイトコ。つまり兄・弟や姉・妹のそれぞれの子供同士)の婚姻はタブーという地域が存在するのだ。
日本ではイトコ婚に交差や並行の概念はないが、ある地域の人から見れば、それはタブーもブタもあるもんかというゴーイングマイウェイな文化に見えるのかもしれない。タブーというのは文化的所産なんだ。