はてなキーワード: ワンルームとは
もう時代遅れな感もあるが、「幸色のワンルーム」の実写化が炎上していた際、こんなツイートがあった。
魔法使いの嫁といい幸色ワンルームといい不幸な境遇の子供(何故か女の子ばかり)が搾取される話が量産されてて気色悪い
一番不気味なのはほんわかラブストーリーみたいになってるとこだよ
全然ほんわかしてないから!!
成人男性が素面で未成年の女の子口説いてるの怖いよ!ホラーだよ!— るき (@mumuri7575) 2018年3月21日
「幸色のワンルーム」とかいう漫画聞いてまず思い出したのは、新潟少女監禁事件だな。あれから10年以上経っても(ご丁寧に「少女」限定で)自分こそが「やさしいお兄さん」という唯一絶対的な庇護者になれる…みたいな男たちの妄想が後を絶たないのは、性教育・人権教育の失敗としか言いようがない。— ライジ (@lije_bailey) 2018年3月22日
一つ目のツイートは「幸色のワンルーム」を少女が搾取される物語としてとらえている。
二つ目のツイートは「幸色のワンルーム」について男の妄想と関連づけてとらえている。
こういうツイートを真に受けるならば、「なるほど、幸色のワンルームは男性の少女を搾取したいという妄想が悪い形で描かれているがゆえに批判されているのか」ということになる。
ただ、実際に「幸色のワンルーム」が男性向けの作品かというと怪しい。
「このマンガがすごい!」の2018年版のランキングにおいて「幸色のワンルーム」はオンナ編で29位を記録しており、女性向けと考えたほうが自然そうだ。
(もちろん、商業誌の、回答者が特定層に限られたアンケートをどれくらい信用していいかは疑問だが)
少なくとも、この作品が男性向けであることを積極的に支持する理由はない。
「幸色のワンルーム」は悪いことを考える男性にとって都合のいい世界が、女性向けに受ける形で描かれているから危険だ、という論理展開はわかる。
危険だから規制すべきと言っていいかはわからないが、そういう可能性は否定できない。
実在の事件を想起させる、という話もまた、別の問題として理解できる。
しかし、「幸色のワンルーム」について男性の欲望や妄想が反映された世界を描いている、と考えることに対しては疑問がある。
誘拐犯の男性にとって都合のいい世界が描かれている物語があったとして、それが男性の欲望を反映して描かれた物語とは限らない。
そもそも「魔女集会で会いましょう」とかは不幸な境遇の男の子が搾取される話の好例だと思うのだが、そういうものが上のようなツイートをする人たちには見えていないのだろうか。
あれに対する反発への反論として、「私たちは自己投影をしたいわけではない」というものがあった。
「幸色のワンルーム」について男性の欲望を見出す向きに対して「私たちは自己投影をしたいわけではない」とか「そもそもあの作品は俺たちの欲望を代弁するものではない」とか、そういうことを言いたい気持ちになった。
幸色のワンルームを純文学などと言って持ち上げる大人の存在がにわかに信じられない。
割りと真面目にヒロインの裸を見せてくれたから喜んでいるロリコンじゃないかとさえ思う。
現実の誘拐監禁事件を下敷きにした作品であり、賛否両論だと聞いたので、
クジ〇ックス先生的な(失礼)陰惨な性犯罪を賛美する内容を、中高生が熱烈に支持するマッポーめいた状況なのかと思い、
どんな内容なのかweb版をざっくりと読んでみることにした。
作品自体の内容としては、まず誘拐というのは完全なミスリードというか誇大広告であり、無知なJCがハイエースされてダンケダンケされ、ストックホルム症候群に陥っていく…
というような内容では全然なかった。実際の事件との関係性も(少なくとも物語上では)全く見いだせない。
男側も色々病んではいるのだが、そもそもハイエースしてない上、少女の自殺を阻止したり、レイプ被害から救おうとするなど、むしろヒロイックに描かれている。
同棲してるのも、家族が少女を虐待しているので、帰る家がないためだ。少女が未成年なので犯罪は犯罪なのだが、成人同士ならおそらく罪には問われないだろう。
作品を批判する友人に聞いたところ、実際の朝霞市の誘拐事件発覚当時、これが短編として公開されたのが原因であるらしいと分かった。
作品冒頭の誘拐犯が少女に優しくし、しかも少女は家で虐待されているという描写しかなかったので、事件当時、下種の勘ぐりで色々被害者が批判されていた内容を、そのまま肯定するセカンドレイプとして捉えられたものらしい。
今現在、冒頭しか読まないで批判してる人は論外としても、当時からの批判者にとっては、その後の作品の流れで、実は誘拐監禁など全くしてなかったということが判明しても、
それは単なる後付け設定に過ぎず、寝技に掛けられたようなもんで、壮大な言い訳を聞いているに過ぎないということのようだ。
そのため、公開当初にこれを見て衝撃を受けた人と、後から知って話の全体構造を知った人とでは、まるで受け止め方が異なってくる。
このあたりの事情が分からないと、擁護側と批判側の話は食い違ったままになるだろう。
私は人の善性を信じたいので、作者は何も考えていなかったか、またはセンセーショナルな効果を狙って冒頭だけを無邪気に公開してしまっただけと思いたい。
あるいは、あまりに無神経な短編になってしまった事に気づき、責任を取る意味で物語の続きを書き、実際の事件とは関係がなく、誘拐監禁なども起きてはいなかったのだと明示したものと信じたい。
しかしそれだけで批判がやむことはないだろうから、漫画が完結した時、またはドラマが放送された時にでも、きちんと詳細な釈明を述べるとよいのではないかと思う。
いろんな漫画家が今ネットでバズってやる!ってあの手この手で狙って、作劇研究して、ツイッターで漫画描いてるだろうに
幸色のワンルームは、ラフで単調なコマ割りで、顔アップ多くても、
元からフォロワーが多い作家だったから拡散されやすかったっていうのもあると思うけどさ
もしあれを自分が描いたら、と想像してみたりもするがあんな恥ずかしい漫画書けないだろうな。
身体中が痒くなりそうだ。
でも作者はあれが好きで描いてるんだよな羨ましいな。
正直作者がもっと絵が上手かったらコマ割りが上手かったら納得できるのかもしれない そんなことないかな?
漫画って結局技術じゃないんだな、感性なんだなって思ってしまう。
幸色のワンルーム、pixivにあるラフの奴全部読んでみたけど面白かったぞ。ゲラゲラと笑えて。
一応、単行本や連載版は色々と修正されてるらしいが、連載版とラフ版を今読める範囲で比べると大きく変わっている印象は個人的にはないかな。
しばらく過ごして、いつでもどこでもマスクを外さないお兄さんとの生活に幸せを感じるようになった主人公。
そんな平穏な誘拐生活に兎のお面を被った謎のユーチューバーが現れる。
自らを主人公を連れ去った誘拐犯だと名乗り、誘拐理由は美少女ハーレムを作ることとか何とか言って大衆を煽ってバズっていた。
煽られた大衆は主人公の写真や捜索を訴える動画をネットにあげたりしていて、その様子を見た主人公は「偽善者」と蔑む。
そのあと、何気なく何度も謎のユーチューバー動画を見た主人公は髪型と話し方からレイパー担任じゃないかと感付いた。
謎のユーチューバーはお面で前髪は見えないし、変声機で声を変えてる。
担任にこんなことやるメリットはないと思いつつ、本当に担任だったら実は自分が幸せに暮らしていることを気付いているんじゃないかと主人公は考えていた。
それで、次に投稿された動画でユーチューバーが主人公と担任間でしかわからない合言葉を言って、ユーチューバー=担任だと確定。
この担任、監禁場所にネット環境やテレビがない可能性とか考えなかったのかな。
そんな野暮なことは置いといて、担任は主人公にいつもの場所へ呼び出す。
担任は動画で特に居場所を特定したとか言ってないし、主人公も自分を誘き寄せるための動画投稿だと思っている。
どうやら、謎のユーチューバーの登場で、警察の警備が強化されてるらしい。
だから、動画が投稿され続ける→どんどん警備が強化されるという図式で、今の幸せな生活を守るために担任と会って動画を消させないといけないと主人公は考えた。
これ、無視して、警察がユーチューバーの居場所を特定して公務執行妨害で逮捕してもらうのを待った方がよくないか。
そう思うのは野暮かもしれないが。
警察に保護される危険を侵してまで、わざわざ学校へ担任に会いに行く主人公。
虐められていたうえにレイパーまでいる、嫌な思い出しかない学校に乗り込むなんて主人公健気、と思うべきなのか……。
手持ちはお守り代わりの部屋中に張ってあった写真と主人公補正と包丁。
主人公補正で警察や学校関係者の目から逃れる描写は特になく、主人公は担任と無事に会うことが出来た。
ネットであんなに大騒ぎなのに、やっぱり皆は主人公に無関心なんだ……って思わないとダメなのだろうか。
主人公、担任を騙して動画を消させて逃げようとするけど、すぐにバレる。
警察の警備が強化される中、主人公を誘拐したがる担任は何か策を練っているんだろうか。
誘拐できると思った担任が盛って主人公をその場でレイプしようとする。
そんな主人公のピンチにお兄さん登場。どこから持ってきたのかわからない猫のお面で顔を隠してる。その下には当然白いマスク。マスクの上にマスク。
お兄さんがさっきの一部始終を撮っていて、担任をボコボコにして主人公と去る。
その流れで担任は特に主人公自身に執着してる訳でもないことが発覚。
担任は腹いせにお兄さんを逮捕させようと通報しようとするが、逆にお兄さんの通報で来た警察に任意同行を求められる。
主人公自体に執着がないなら、この担任は何のためにユーチューバーになったんだよ……。
ついでに、このあと主人公とお兄さんは真っ直ぐ帰らず、廃業になったホテルへ行って、主人公がここで結婚式を挙げようと提案して過去篇に突入する。
警察の警備が強化されたとは一体、何のことだったのか。
『幸色のワンルーム』についてさわりしか読んだことないし、ほうっておこうと思ってたんだけど、ドラマ化で叩きが再発というのが本当に残酷だと思ったので、書いてみる。
まず自分は小説家志望の人間で、クリエイター側に寄った意見になりがちになってしまうことは予め書いておく。
(なお自分の作風は『幸色のワンルーム』のような「危ない」ものではないため、作品へのバッシングについては正直に言うと他人事だった。ただ、だから「見捨てよう」と思ったとき、それは残酷なことではないかと考えなおした)
まず対象作品の発表またはドラマ化が悪である理由として挙げられそうなものを考えてみる。(この他にもあれば教えてほしい(⑤はほかの方に教えてもらって追記したものです))
①事件被害者が作品を見た場合、セカンドレイプとなり深く傷つけてしまう可能性がある
②事件被害者以外の類似した事件の被害者が作品を見た場合、セカンドレイプとなり深く傷つけてしまう可能性がある
③誘拐という犯罪を美化しており、誘拐を触発してしまう可能性がある
④誘拐という犯罪を美化しており、(家出している未成年など)被害者となりうる者の正当な警戒心を阻害する可能性がある
⑤事件に対するセカンドレイプを正当化するものと解釈されたり、助長するため
上記の可能性を検討する前に、まず罰について、確認しておきたい
確認する。
あなたがたは当該作品の発表またはドラマ化が悪であり、それを罰するために下記のような罰が適切と考えている。
上記の罰は作者の人生を破壊するに充分なものであることはきちんと認識しておいてほしい。
小説は正直に言って仕事をやりながらでも書ける。けれど漫画は創作の手間から、兼業でやっていくのはかなり難しい。人生の時間のうち多大な時間を消費し、途中で別のルートを選ぶことも困難になる。
そういった覚悟はもちろん創作者の側で用意しておくべきことだろう。けれど作品の発表中止を求めるのであれば、それがどういった影響を他者の人生に及ぼすのか――特に同様の観点で作者や作品を批判するのであれば――認識しておくべきだろうと思う。
誰かの人生を破壊するから批判はやめろと言いたいのではない。逆だ。あなたには絶対に、「これはだれかの人生を破壊してでも中止させなければならない」と確信してもらいたいし、たぶんそうあるべきだ。でなければ、ほんとうに残酷すぎる。せめて覚悟をもってください。
さきに挙げた①、②はもっともな批判だと思う。そういう可能性は実際にあるし、そうやって被害者の方が傷付くのはまったく看過できない。
意外かもしれないけど、この点について少なくとも自分はまったく擁護の術を持たない。
(一点だけ気になる点があるとすれば、多くの場合、批判者自身はこの「被害者」に該当しないこと。被害者がセカンドレイプやバッシングを受ける可能性を考えると、こうした「代弁」は非常に重要なことであるのは確か。
けれど例えば(正直に言ってかなり考えにくいと思うが)当の「被害者」に該当する人が作品のファンであったり、または発表の中止までは求めない場合、こうした処罰の代行が被害者を苦しめてしまうことにならないか、ということが気にはなる。
ただ、「代弁」をしない場合のデメリットや上のような事態の可能性の多寡を考えると、やはり代弁をやめるべき理由にはおそらくならない)
というわけで、①、②の理由から作品の発表やドラマ化の中止を求めるのは不当だ、という結論は少なくとも自分は導けない。
ただしその場合、お願いしたいのは、絶対に①、②のような可能性を真剣に考えて、真剣に徹底してください、ということです。
当たり前のことですが、①、②は誘拐に限りません。あらゆる犯罪や災害の被害者にありうることです。そしてこの基準に触れている作品は世のなかにかなりあります。
もちろん時代もあります。いまほど創作物に求められる倫理的水準が高くなかった時代の作品には残念ながらこうした危険をはらむものが存在します。
そして注意してほしいのは「この作品は犯罪を描いているが、悪として描いており、美化していない」というエスケープは後述する③、④には適用できても①、②には適用できないことです。
作品が悪として描いていようが、美化していなかろうが、フラッシュバックや、被害者が傷付く可能性はなくなったりしません。
お願いですから、①、②の理由で作品を批判するなら、ほかの作品に対しても(もちろんあなたの好きな作品に対しても)徹底してください。その方法はお任せします。作品をクズだと思うのでも、ゴミだと思うのでも、発表中止を求めるのでも。作品によって対応が変わることももちろんあるでしょう。けれどお願いですからあなた自身が絶対に正しいと思えるやり方で、徹底してください。あなたが正しいと思えない基準によって、ひとつの作品が消し去られ、作者の人生が崩れてしまうのが、いち創作者として本当に耐えがたいのです。
③、④の可能性についてはいわゆる「ゲーム脳」などの「創作物が犯罪を誘発する」タイプの言説を抜け切れていないと感じる。
ここでもう一度確認しておきたいのは、あなたがやろうとしているのはだれかの人生を破壊する可能性があるということ。推測によってだれかの人生を破壊して、あとで(あるいは永遠に結論はわからないのかもしれないが)「間違ってました」では済まないということ。
③、④についてはできれば科学的あるいは統計的な根拠があった方がいいと思います。作品の擁護のためではない、だれかの人生を破壊しうることを実行するなら、その根拠となる推測が正確であることを確かめてからやるべきだと思うからです。
不正確な推測を根拠にだれかの人生を破壊するというのは、残酷なことだと思います。
そしてもちろん、③、④についても①、②と同様、真剣に考えて、真剣に徹底してほしい。
「この作品は犯罪を描いているが、悪として描いており、美化していない」というのも、ただ自分の好きな作品だけ免罪させるための言い訳として使うのはやめてほしい。それは不当なことです。なにかを罰するなら、お願いですから、その正しさを信じ抜いて、貫徹してください。お願いします。
⑤についてはほかの方(anond:20180324003900)から指摘を受けたので追記した。
ただし正直なところ、単純にディベート的な命題の強弱のみを考えるなら、⑤は①、②の下位互換でしかないように思える。
作品がセカンドレイプをエンカレッジしたり助長するものであるより、作品そのものがセカンドレイプであるほうが、より悪であるということになるだろうし、より強い批判ということになるだろうから。
加えて⑤の場合は①、②よりも批判者(つまりあなた)がより際どい位置に立たされることは意識しておいてほしい。
⑤の場合、作品そのものはあくまでセカンドレイプ的言説に利用・悪用されたに過ぎず、悪いのはあくまでセカンドレイプを行う者たちであり、作者はそこに含まれない可能性があります。
その場合、あなたは作者本人は悪くないにもかかわらず、人生を破壊しうる処刑をくだすことになります。わかりやすく言えば、あなたが逆に「加害者」となり、悪側の立場に立たされる可能性もあるということです。(もちろんこうした可能性は①~④にもあります)
もちろんこれは仮定の話です。だからこそ、何度もお願いしますが、絶対に正しいと確信して作品の発表中止等を求めてください。それはあなたが悪や加害者にならないために必要な努力であるし、同時に不当に消し去られる作品やだれかの人生をなくすための手順です。
そしてもちろん、その正しさを真剣に信じて、真剣に徹底してください。お願いです。
言いたいことはだいたい以上です。長くなってしまいました。すみません。
創作者あるいは創作者志望にとって、創作は往々にして、人生をまるごと賭け金にした、自分の人生そのものの価値を左右する重要なことです。(もちろんそうでない人もいますが)
ただしそうしたある種ヒロイックな比喩でもってして、だれかを傷付けることを正当化することはもちろんできません。
けれど、そうした重みをもっている物事を、そうと知らずに軽い気持ちでゴミ箱に捨て去られるのは、正直にいって、耐えがたいです。
現在ある『幸色のワンルーム』への批判がそうした軽々しいものであるというわけではありません。ただせめて、「そうでない」ことを確認させてほしいと、思いました。
ドラマ化というのは、作者の方にとって本当に嬉しい知らせだったと思います。そうしたときにやはりまたバッシングを受ける。
ならせめて、そのバッシングだけは正しいものであってください。お願いです。本当にお願いです。正しくないバッシングによって、ドラマ化の知らせを受けた矢先に中止になるなんて残酷なことは(ありがちなことなのかもしれませんが)本当に起こってほしくないんです。
まずひとつ、私は個人的な考えとして、あらゆる創作物に対して、その客観的な価値をだれかが決められるとは思っていません。
したがって anond:20180321152456 の方の下記の記述は正当ではないし、余計だったと思っています。
まずこの方は上記の文に続いて作品の欠点を挙げられていますが、作品の欠点を列挙することが作品の「レベル」の判断になるとは自分は考えません。作品の欠点を美点が凌駕することは往々にあることだし、その美点は「自分にはわからない部分にある」のかもしれないと常に感じるからです。
またご本人が「持て囃された理由」として「「家族からの逃避と二人だけの世界への耽溺」というテーマが、思春期の少年少女や一部の人間に心地よいものだったから」を挙げられています。程度の低い理由として挙げられたのかもしれませんが、個人的な意見を申し上げれば、これは充分にすごいことですよ。
蛇足ふたつめ、
私はどこかで『幸色のワンルーム』の作者の方が女性で、若い方だと見たような気がします。(今回その情報を探してみましたが、見つかりませんでした。正確な情報ではないかもしれません)
そうした先入見が本件への自分の姿勢に影響を与えた可能性は否定できません。当然ですが、そういうことはあるべきではありません。もしそうだとしたら、反省点です。
女性が守られるべきであるとかいった考えは、フェミニズム的でないというよりその正反対だと考えるべきでしょう。もちろんそれはわかっているのですが、若い女性が漫画家としてデビューし、その後バッシングによって漫画家をやめることを余儀なくされた場合、その後の困難さが男性の場合と比してより困難であるというような「想像」が、今回の筆致に影響を与えなかった確信が持てず、そしてそれを隠すのは誠実な態度ではないと考えたため、蛇足ながら書いておきます。
『幸色のワンルーム』という作品が、実写化を期に色々なバッシングを受けている。
というか、申し訳ないが私も言っている。
大人がくだらないことで誤解をして騒いでいるとうんざりしているのではないだろうか。
なので、私の考えることをいくつか書く。
まず言わなくちゃいけないのは、
「あなたがあの作品を好きなことを、咎める権利も、バカにする権利も誰にもない」ということだ。
ある作品を読んで、それが好きだと思う気持ちは最大限に尊重されなくてはならない。
彼女にとってあの部屋の外の人間こそが害悪であることも知っている。
あの作品を見て誘拐事件を起こすような人間がいるかも、とも、私は思っていない。
では、なぜ非難するのか。
それは、『幸色のワンルーム』が、バカの妄想とよく似てしまっているからだ。
「現実は現実、フィクションはフィクション。なんで混同して叩くんだ、区別くらいつけろ、ばかばかしい」
という意見はたくさんあった。
実際その通りで、現実とフィクションを混同するのはバカのすることである。
同様に、あの作品を読んで「女の子を誘拐しようと思う男」もバカだろうし、
では、これはどうだろうか。
「(『幸色のワンルーム』の幸みたいに)自分でお兄さんのところに住みたいって言ったんじゃないの?」
という奴がもしいたら。
そいつは現実とフィクションの区別のつかないバカではないだろうか?
そんなバカ、世の中にいるとは思いたくないが、いたのである。現実に。それもたくさん。
朝霞市の女子中学生が、大学生の男に2年間監禁されていた事件を覚えている人は多いと思う。
「じつはこの女の子は自分から男のところに住みたいと言ったのではないか?」
「監禁されたなんていっているけど、喧嘩でもした腹いせに、男を悪者に仕立てあげてるだけじゃないか?」
実際の事件の被害者や家族のことを考えたら、とても口にはできない妄想だ。
彼らのなかには、「中学生くらいの女の子に好かれたいな」という願望がある人がいる。
また、何を見ても「男は悪くない、ずる賢い女にひどい目に遭わされただけ」と考えるクセがついている人もいる。
そして、実際の事件を見て、「もしかして、自分の願望通りのことが現実に起きたんじゃないか」と期待し、妄想してしまう。
だから、監禁された女の子は自分から男のところにとどまったことにしてしまうし、
必死で逃げ出したことを「喧嘩の腹いせに被害者ぶった」ことにしてしまう。
2016年、『幸色のワンルーム』が発表される直前の話である。
もちろん、彼らは『幸色のワンルーム』を読んでこんな妄想をしたわけじゃない。
だが、一人でもそんな妄想をして、それを他人にぶつけてしまうバカが、
『幸色のワンルーム』を読んだらどう思うだろうか。
「やっぱり俺の思った通りだ。この漫画は女にうけてるじゃないか。
女は家出して、男のところに泊まるのに抵抗がないんだ」
そして、そうなりそうなバカがたくさんいることを、私たちは朝霞の事件で目の当たりにしたのだ。
私は、読者が『幸色のワンルーム』を好きなことは何ら問題ないと思っている。
最初に書いたように、好きなものを咎められる必要もバカにされる必要もない。
だが、作者については、もう少し「バカに見つからないように」できなかったのか、と言いたい。
privetterを使うとか、注意書きをつけるとか、何か方法はあったはずじゃないのか。
しかし、誰かを傷つけたり、バカを調子づかせてしまう恐れがあるのなら、
作品で傷つく人が増えるのを、できる限り防ごうと努力することは必要だと思う。
それは、バズらせるよりも大切なことではないだろうか。
もしテレビで放映するのなら、バカに見つかる可能性はぐっと上がる。
そのことを、そのバカによって誰かが傷つけられることを、真剣に考えた上でメディアミックスを進めているのだろうか。
『幸色のワンルーム』という作品を、他人を傷つける道具にしてしまうバカに、「見つからないように」する努力。
そうして、きちんと「わかってる」人がこの作品を楽しめるようにしてほしい。
女子をストーカー男が監禁して結婚の約束をする話題の漫画を読んだ。
もうちょっと書く。
この作品が叩かれてるのは言うまでもなく「朝霞の誘拐事件で被害者叩きしてた連中の言い分をそのままなぞっているから」で、
擁護派の言い分は大きく二つ。
(擁護派同士で殴りあえばいいのに。結局関係あるのかないのか)
関係してないわけねーだろ。事件のあとにあの設定でニュース見てないわけねーーだろ。
百万歩譲ってニュースもツイッターも2chも見てないで、朝霞の事件のこと全く知らずにあの漫画書いたとして(発表ツイッターだけど)、
漫画の発表の数ヵ月前に酷似した事件が起きてると知ってノーリアクションなのおかしいだろ。
フィクションでーす、って言い張ればなんでも許されると図々しく思ってるからしれっと描き続けてるんだろうが。
で、後者について。
「時間が経過していたらいいのか」
「関係者が没していればいいのか」
たとえば東京大空襲や原爆を粗雑に描かれたら、やっぱり怒るだろう。
と、考えると、やはり問題はあの作品がむちゃくちゃ薄っぺらくてつまらないことに尽きるのではないか。
つまらないというのは、つまり、物語に厚みがなく熟慮されていないということだ。
誘拐によるストックホルム症候群であっても、
ストーカーにならざるを得なかった男と少女の共依存であっても、
たとえ「正しくない」内容であっても面白いはずだ。
「正しくない」人間を描いても魅力的なはずだ。
描く対象に、真摯に向かい合った作品ならば、正しくなくても面白い。
そして、そこに至るまで考え抜かれたストーリーは、
クソしかいない世界で、比較的クソではない誘拐犯と少女が微笑み合う。
そこになんの真摯さも感じられない。
感じられるのは「だからこの誘拐犯は悪くないんだよ~」という言い訳がましさばかりだ。
と、書くと、「それはお前の主観だろうが!」「面白い面白くないは誰が決めるんですかー!」と言いにくる奴はいるだろうけど
そしてこれは優れていない作品だ。
それはもう断言して構わないだろう。
つまり、「中学生くらいの女子をうっとりさせる」という点においては
それは理解できる。
「面白さ」とは別ベクトルで、金を出させるに値する価値だと思う。
砂糖をぶちこめば甘くなり、甘いものを食べたい人にとっては価値がある
みたいなことで、
それは軽薄な単なる「消費」ではあるが、サブカルチャーとして正しい姿勢でもある。
だが。
しかし、この作品に限っては、前述の「朝霞の事件に関係していないわけがない」からこそ、
その軽薄な「消費」に巻き込んではいけない。
ごく真剣に、誘拐犯と少女のことを考えに考え抜いた「面白い」作品ならば、
それを考える間に、実在少女の心情に、家族に思いが至るだろう。
その上で苦渋の取捨選択をした上でストーリーが組み立てられるだろう。
そこに真摯さがあれば、いたずらに誰かを傷つける作品にはならず
仮に誰かの傷に触れたとしても、その批判を作品として真正面から受け止めるだろう。
しかし実際にはこの作品は単なる萌え要素をぶちこんだ消費でしかないから、
つまらないし、フィクションだと言い張って逃げるし、批判を正面から受け止めることができない。
人を傷つけてまでやることか。これが。
あの作品、無料でpixivでほとんど読めるから、本当に誘拐ものかどうかは最新話まで読んだ上で判断してもいいと思う
虐待や性的な暴行についての描写は数年前にあったケータイ小説みたいなもんと思ってる
作者がこの作品出した数ヶ月前に、作者の友人が同じ題材で同人誌出してて、
二人で同じネタで漫画描こうぜって話になったのか、それとも友人に触発されて同じネタで幸色のワンルーム書き始めたのか気になるわ
その辺りにモヤモヤして読めないんだよな
このたび発達障害の診断からストラテラを処方され、今までどうあがいても出来なかった家事ができるようになったので興奮からこのエントリを書くに至りました。
なお、私は言語性優位かつ聴覚優位の「視覚から入る情報を整理できない」「思考があちこちに飛ぶ多動であり身体的には多動ではない」タイプのADHDなので、健常者の方や違うタイプの特性を持つ方にとって適切な内容であるかどうかはわかりません。ですがもし、誰かの役に立つことがあれば幸いです。
◎まずはじめに
掃除の仕方は色々あるとは思いますが、とりあえず一人暮らしを前提としてみます。
一人暮らしの方のほとんどはワンルーム、1K、1DK程度の広さにお住まいのことと思います。そして一人暮らしをする以上は掃除が必要であることを理解して、一般的に言われる「片付けのコツ」みたいなアレは多少なりとも試したことがあるはずです。
「物を少なく!こまめに捨てる!」
「収納スペースは大きく!」
「出したものはすぐに片付ける!」
それをしても努力しても散らかるのがADHDの部屋ですね。というかそんなにしょっちゅう掃除をやる気になれない。できなくて毎回嫌な思いをすることを、衝動が向いたタイミング以外でやる気になるかという話です。
なお、「虫さえ湧かなければOK」「風呂にさえ入って仕事に行ければOK」などと最低ラインを決めて掃除を諦め、足の踏み場がなくても自分を責めず、生ゴミの元になる料理もやめてコンビニ弁当や外食で食事を済ませて生活していくのもアリといえばアリです。
経験的に長く続ける生活ではないと思いますが、どうしても無理な時期はあります。そういうときはサッと諦めの方向にシフトできると良いですね。
でもやはり家が綺麗に越したことはないので、掃除法を書いていきます。
私個人のやり方ですので、参考程度に。
◎水周りの掃除
家を綺麗にするには、
・物を減らす、捨てる
・整理整頓をする
・水周りを掃除する
あたりが大事かなーと個人的に思います。この辺がクリアできれば健常者に近い生活ができます。憧れますね。
ものを減らす、捨てる、この辺は発達障害でも少しずつできるのではないかな、とは思います。各々のこだわりと相談しながら捨てていってください。整理整頓は私も苦手です。できそうにないのが水周りの掃除ではないでしょうか。水周りは感覚過敏の鬼門です(違う人がいたらすみません)
個人的に、薬の効果で最も驚いたのが水周りの掃除をできるようになったことなので、そこを書きたいと思います。
さて、さっそく面倒くさい水周り代表、台所の掃除に取り掛かりたいのですが、恐らく一人暮らしのADHDの家には掃除用具が足りないと思われます。実家ならお母さんに聞けば出してくれたりしますがお母さんはいません。
・スポンジ2個
・三角コーナー(既に持っていても新しいものを買ってください)
・ふきん2枚
・割り箸
・小さめのカゴ(パイプユニッシュが入り、少し隙間が開く程度のもの)
を買います。持っているものは買わなくていいです(三角コーナー以外)
・洗剤
を買います。百均に同じく、持っているものは買わなくていいです。
帰ってきたら、買ったものの袋をそのまま台所に置いてください。
私たちは掃除をしよう!と思ってその場に立つものの、どこから取りかかればいいか何を準備すればいいか必要なものがどこにあるのか、全てが分からず立ち往生し、気がついたらTwitterやまとめサイトを見て時間が過ぎていく生き物です。その対策のために、百均とドラッグストアの袋をそのまま台所に置いてください。手の届く範囲にゴミ箱(ゴミ袋)も用意しておくとなお良いですね。
この際に音楽をかけておくと気分が紛れて良いです。今からとてつもなく嫌な作業をするので、テンションを上げて乗り切りましょう。
まず台所から掃除をしていきますが、その前に、買い物袋からスポンジ、パイプユニッシュ、ふきん、割り箸、ゴム手袋を出して手が届くところに置いてください。
このとき、商品を包んでいた袋などがゴミになると思いますので、先ほど準備したゴミ箱に捨ててください。後で片付けようとか考えて床にポイっとするのはやめましょう。絶対に片付けないまま放置して、1週間ほど経ってから「なんでこんなところにこんなゴミが?」と自己嫌悪しながら片付けることになります。そのために近くにゴミ箱が必要です。無ければ、先ほど買った百均かドラッグストアの袋をゴミ袋にしてください。流し台の下には大抵物入れと取っ手がついているかと思います。取っ手に袋をくくりつけましょう。
次に、ゴム手袋を装着し、あれば洗い物を済ませてください。水や洗剤系が無理なタイプの感覚過敏の方も、ゴム手袋の存在でだいぶマシになるかと思います。
コンロの周りに置いてある調味料なんかもこの時に移動させておくと後々が楽です。空いたスペースに割り箸を1本割っておきましょう。
最初に一番嫌な排水溝を掃除します。一番嫌なことは一番初めにやるのが肝心です。楽なところからやっていくと、最後に取りかかる頃にはやる気が失われてきて「今度でいいか」と思ってしまいます。その「今度」は運が良ければ来週など短めのスパンで来ますが、大抵は来月以降です。その頃には排水溝はもっと汚くなっていますので、ゴム手袋を装着するまで頑張った今がやり時だと思って掃除に踏み切ってください。
水を流しながら先ほど用意した割り箸で排水溝のフタを取り、中のアレ(名前がわからない)も取り出してください。
この時に水を流していないと、フタがなくなった排水溝から排水管の臭いが上がってきてとても辛いです。これは健常者ですら不快に思う臭いですので、私たちの場合はもっと不快感が強くかなりの体力を持っていかれます。
あとはパイプユニッシュをかけながら、古いスポンジでゴシゴシこするだけです。細かいところや手が届かない排水溝の奥は、割り箸でガサガサやると汚れがよく取れます。おそらくパイプユニッシュの説明書きには「何分放置してください」とか書いてあると思いますが、無視して大丈夫です。ゴシゴシこすればなんとかなります。
この調子でシンクもスポンジでこすって洗いましょう。汚れや詰まっていたものは三角コーナーに捨ててください(無ければ面倒ですがゴミ袋へ)。ひと通り汚れが落ちたら、割り箸も三角コーナーかゴミ箱に捨ててください。
ここで一旦ゴム手袋を外して捨て、休憩します。なお私は休憩してもその後また掃除に戻れるので一息つきますが、戻れない気がする人は休憩なしで続行してください。
ゴム手袋を新しいものに変えたら、先ほど詰まっていたものを捨てた三角コーナーを丸ごと捨てます。
できればそのまま捨てるのではなく、コンビニの袋などに一旦入れてからゴミ箱に入れると臭いが押さえられて良いです。三角コーナーの中身だけ捨てて本体を洗える人はわざわざ捨てる必要はありませんが、百均の三角コーナーを適宜買い換える方がストレスが少なくていい気がします。というか、これ以上ぬめりに触れたくないので。
次に、掃除に取り掛かる前に出しておいたふきん2枚のうち1枚を水で濡らし、シンク周りとコンロ周りを拭きます。私はコンロがIHなので水拭きで済ませていますが、洗剤やタワシを使うほうが綺麗になると思います。百均に売っているメラニンスポンジ(激落ち君とかのアレ)もとても便利です。もう1枚は新しく食器を拭く用に置いておきましょう。
これでシンク周りが綺麗になりました。
あとはスポンジと洗剤を隅に寄せ、掃除にあたって移動させておいた調味料などをもとの場所に戻してください。台拭きを裏返して綺麗な面でサッと拭いてから戻すとより綺麗ですね。私は多少汚れてても気にしませんが。
あまりにも汚いな、もうこの台拭きは使いたくないな、と思ったら捨てましょう。また百均に行けば3枚セットで売ってるので。
そしてここからの片付けが排水溝の次に面倒ですが、あと一息です。もう少しです。
ここで手袋を外して捨て、百均の袋から新しい食器用のスポンジと、新しい三角コーナーとネットを出して装着し、流し台に置きます。
そして百均で買ったカゴにパイプユニッシュ、三角コーナーのネット、割り箸、ゴム手袋(あればふきんやスポンジの余りも。これらは適度に買い換えるものなので買い置きがあっても困りません)を突っ込み、流し台付近の適当なスペースに置きます。
これで次回掃除を思い立ったとき、必要なものがすべて1箇所から取り出せる仕様になりスムーズです。どうしても面倒だったり、それぞれに置き場所がある場合はしなくてもいいです。
この時に出るゴミをすべてゴミ箱に入れたら、ゴミ袋を結んで玄関に置きます。絶対に玄関に置いてください。中途半端な場所に置くと、そのまま忘れて虫が湧いた頃に思い出し、掃除そのものを更に嫌いになる可能性が高いです。ゴミの分別日が特になく、ゴミ捨て場が建物についているタイプの家にお住まいの方は、玄関に持っていったその勢いで捨てに行ってもいいかと思います。少なくともその日か翌日のうちには捨てましょう。
そして玄関から台所を振り返ると、それなりに綺麗になっていることを確認できるかと思います。
これで掃除は終わりです。
できればこの綺麗さを維持したいところですが、私たちは気分にムラのある発達障害ですので、たぶんまた汚くなるまで掃除を思い立つことはないと思います。そもそも掃除が得意ではないし。でも、一度できたことはまたできる日が来るでしょうし、とりあえず、「思い立ったもののどうすればいいか分からず結局何もできない」を解決する手段のひとつに、以上の手順があるのではないかな、と思います。
掃除とまではいかなくとも、定期的に排水溝にパイプユニッシュをかけて水を流す作業をしておけば、気休めにはなります。3日に1回必ずやる!などと具体的に決めるとそれはそれでがんじがらめになったりするので、気が向いた時にやりましょう。
あと水周りと言えばお風呂場とトイレですが、だいたいは台所の流れの応用です。
掃除用品を買いに行って、袋を掃除する場所(お風呂場やトイレなど)に置く、手袋をする、洗剤とスポンジでゴシゴシする、流す、掃除用品とゴミをそれぞれまとめる、以上です。
◎おわり
長々と書きましたが、正直ストラテラやコンサータがあれば比較的スムーズにできる内容だと思います。健常者なら「そこまでしなくても普通に掃除くらいできるでしょ」と言うでしょう。でも、薬のあるなしに関わらず、どうしてもできないタイミングもあります。それはそれで仕方ないので、「どうしても掃除しなければならなくなった時」のために手順は確認しておいて損はしないかなあと思います。
万が一にでも、誰かの役に立ちますように。
幸色のワンルーム
https://twitter.com/89hakuri/status/778170639035330560
『幸色のワンルーム』は、はじめはTwitterで『世の中いろんな人がいるという話』というタイトルで発表された漫画作品であり、
「誘拐された女の子が誘拐犯の男に恋愛感情を抱き、自らすすんで誘拐犯のもとに留まる」というストーリーだ。
このストーリーから想起されるのは、朝霞市の女子中学生が2年にわたり監禁されていた事件について
インターネット上で一部の人間が得意気に語っていた「誘拐監禁ではなく同棲である」という説だ。
作者本人は事件との関連について以下のように語っている。
https://twitter.com/89hakuri/status/780717186537000960
この漫画は実際の犯罪を肯定するものではなく、あくまで物語の世界の話であるので、現実とは切り離して見ていただけると嬉しいです。
本人はおきまりのように「この作品はフィクションです」とは語っているが、実際の事件とそれを取り巻くセカンドレイプ的言説から影響がないとは断言していない。
もちろん影響の有無など本人の心の中の話だし、
作者に「私は2016年全くニュースを見ていなかったし、Twitterなどからもそういった言説を見なかった、そんな話があったなんて全く知らなかった」
というのも、この作品の漫画としてのレベルは決して高くないからだ。
顔のアップが多く表情がワンパターンで、
「私とお兄さん」以外の人物はほとんど悪意しか持ち合わせないゾンビのように描かれて作品世界に奥行きがない。
第2に「家族からの逃避と二人だけの世界への耽溺」というテーマが、思春期の少年少女や一部の人間に心地よいものだったからと思われる。
影響されていようがいなかろうが、まだ判決さえ出ていない事件について
あまりに無思慮で軽薄で周囲への影響を考えない浅はかな発表のしかたを否定している。
あの内容で、同じ年に起きたあの事件をほとんどの人が全く思い出しませんでした、
関連づけて考えられるなんて思いもしませんでした。と読者も作者も口を揃えていうのなら
だが、出版社からの書籍化、そして実写ドラマ化をするにあたっては
いい大人が揃いも揃って何をやっているのだと言いたい。
実際に被害者がいる事件を、まだ解決さえしておらず被害者が療養を強いられている真っ只中の事件を、
3月1日、午前0時0分、男たちが一斉にノートパソコンのキーボードを叩きはじめた。スクリーンに映った空欄に、名前や出自、志望動機などを打ち込む。ネット回線は良好な我が家だが、全国で同じ光景が広げられているようで、マイナビのwebサイトは就活生の大挙によって渋滞している。
ついこないだ2回目の留年が決まった俺には無関係な話だが、今日、世間では”就活”が開始された。22時頃、良好なネット環境を求めてうちに集まってきた友人たちは、漫画を読む俺の傍らで、エントリーする会社を選出する作業を始めた。先輩は50社エントリーしたらしいだとか、10社くらいに絞るのがコツだとか、たらたら雑談をしながら、就活サイトを頼りにイケてそうな会社を数十社抽出する。また、”とりあえず名前の知れているところはエントリーしておこう”という考えを基に、業種問わず大企業は就活の候補に含まれることとなる。
俺は、”何が何でも大企業に入りたい!”というような価値観を全く持ち合わせていないので、そのような大学生を見ると、こいつは体裁のみで生きている薄っぺらい人間なんだなと、ついつい見下していた。スカした考えだなとは思うけど、誰もが知っている企業に入ったからって何が幸せなんだろうとか、安泰なんてものは絶対に無いんだからとか、そういうことばかり考えていた。
ここに集まっている友人たちがいわゆる大企業信仰を持っているというワケじゃないことは長い時間一緒に遊んでいるから分かっている。ただ、いざ就活となると、”とりあえず”大企業もエントリーしなきゃ、という強迫観念に襲われるらしい。就職した先輩にエントリーする企業の一覧を見せた時に「中小企業ばっかりじゃん。大企業も受けなよ」と言われたり、家族と話す時に「受けるだけタダなんだから、一応大企業も受けておきなよ」と言われたりするそうだ。
特に俺らが通っている中堅国公立大学では、大企業信仰を持っているヤツが多い気がしている。ある程度名前の知れた大学ではあるが、もっと偏差値の高い大学を目指して、落ちて、ここに入学した人が多いからか、履歴をロンダリングする意味合いでネームバリューのある企業に入りたいのかもしれない。OBやOG、そして家族も、この大学が”ある程度”であることを認識した上で大企業を勧めているのだろう。
そして、就活生からすると、自分がどの企業を受けるべきか分からない時に頼りにするのは”その企業を知っているかどうか”が大きい。大学に4年通っただけで自分の進路が明確に見える学生なんて、ほとんど居ない。大企業の吸引力は未だ健在なのは、そこにあるのかもしれない。
実際に今就活をしている友人たちは、3年間遊び呆けることに終始していた。彼らと遊んでいる時、”大企業信仰”を蔑視するような話題は何度も挙がっていたし、そういう考えのヤツとはソリが合わないから遠ざけていた。汚いワンルームのアパートで麻雀を打って、安い酒を飲んで、テキトーな女の子と遊んで、貧乏暮らしを満喫することが、俺らの一生だと思っていたから、就職なんてアホらしいことは遠い未来の話だと思っていた。
キーボードの打鍵音が聞こえる横で話題について行けない俺は、彼らが就活に対する弱音を吐いた刹那に「留年すればいいじゃん」と堕落の道を促す。あと1年、俺のようにだらだら行こうよ、と。皆、一度は乗り気の姿勢を見せるが、それはただのノリに過ぎず、すぐにスクリーンに目を移す。冗談で言ったものだが、自ら口に出すとなんだか本当に寂しい気になってしまうのは我儘だなと思い、漫画のページを繰った。
先日、『私はハイスペ美人なのに男は結婚しようとしない / 優良物件に手を出さない男が理解できない』という記事を目にしました。
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/7099528
最初は、似た年代ということもあり、「そうなのかなぁ」と思ってみました。
ですが、細かいところを見ていくと指摘したいところだらけ・・・
そして段々こう思いました。
疑問がふつふつと湧いてきました。
かくして、ネット独身ハイスペ美女とリアル独身ハイスペ美女(共に40歳)を比較します。
東京都千代田区、東京都中央区、東京都港区、東京都新宿区、東京都文京区、東京都渋谷区
見た目、普通。
良さそうな外観のところは、徒歩15~20分
まあ、こんなものかな?ってところは、徒歩5分
多分、自慢のマンションだから4~50平米あるんじゃないかなぁって思ったり。
40歳で独身の女性で、賃貸じゃなくて月10万でマンション購入している人多いですよね。
エステはどこなのでしょう。
週1回ランニングとありますが、ハイスペ美女は月2万だしてパーソナルトレーニングですね。
ライザップは値段的にきついみたいです。
ネスカフェでインスタントはもっと安いですし、レギュラーも安いです。
なるほど、ハイスペックですねえ。
ハイスペ美女は、『フランスパン』じゃなくて『バゲット』と言うそうです。
一本300円程度で、それを4食に分けて食べるので1食70円前後。
最近聞いたのですが、ハイスペ美女はバルミューダの炊飯器でご飯と味噌汁だそうです。
腸活に良いというお話です。
ハイスペ美女は、すでに農家で使われている農薬が自然分解する体に優しいものだと知ってます。
あと、オイシックスやミレーなど直販サイトから野菜を購入してます。
ゴミの量を少なくする生活でエコロジーに心がけるのもハイスペ美女の生活だそうです。
健康に良い水を使い放題と言ってました。
ウォーターサーバーはあまり使わなくなったので、もうそろそろ解約するそうです。
今、地方のカップラーメンを取り寄せて毎月カップラーメン食べ比べをしているそうです。
具材がたくさん入ってて、ヘルシーらしいです。
袋麺は、自分で具材を入れて楽しむこともするそうですが、中身が貧素なので好きじゃないそうです。
それ、チルド麺ですし。
入浴剤は入れますが、発泡しない薬草タイプのものを使うそうです。
トイレ・バスはわかれているので、便器見ながら入浴はしないとのことです。
額面450万と想定すると、ボーナス合わせて、月28万円です。
22から18年勤めてて、月昇給6万前後。毎年月辺り3333円増えている計算。
同じ22歳大卒で東京の某大手企業に勤めるハイスペック女子の年収は900万だそうです。
一人二人じゃなくてそのように年齢も幅広く複数の男性を友達として確保していきます。
その中から付き合うということもあるそうです。
普通の人の生活と金持ちとの生活をうまく使い分けているようです。
上記では都内に住む別のハイスペック独身美女と比較させていただきました。
ここからは、地方にする別のハイスペック既婚美女の例を出させていただきます。
地方の医大出身でそのまま地元で医者になりました。手術が苦手な内科医です。
地方ということもあって、野菜などおすそ分けが多く、バランスのとれた食生活を送っています。
何故バツイチにしたのかというと、『一度失敗している人は安心できる。二度失敗する人は懲りてないから繰り返す』ということだそうです。
3LDKで広い社宅とのこと。
地域の人との関係も良好で、地域の人の目があるので安心して子育てができるとのこと。
ハイスペック美女は、自分の動き次第で目当ての男を捕まえられられます。
就職氷河期に200社近く受けて、新卒で入った会社が二年で潰れ、派遣社員としてギリギリの生活をし、派遣元と派遣先のダブルパワハラで精神を壊し、数年の投薬治療の果てに寛解し、ようやく安定した職についた直後のことだった。典型的なロスジェネだった。
自分の金で焼肉を食べたことなんか、それまでほとんどなかった。アラサーでまともな職にありついて、これからは、自分の好きなときに好きな金で好きなものを食べられるんだと思った。
もう自分の体は、脂っこい肉を受け付けなくなってた。長年の野菜&炭水化物の自炊生活。牛肉なんか買ったことない。揚げ物もやったことない。家賃4万のワンルーム、IHですらない電熱キッチンで揚げ物なんか出来ない。
たまに食べる脂っこい食べ物なんて、飲み放題付き3500円のワタミの唐揚げくらいだった。
手取り20万に届くか届かないかだけど、少なくとも職を失うことに怯えることはない。毎月一万円は貯金できる。数千円を外食に当てることができる。そんな生活を手に入れた俺は、身体も内臓も老いて、脂っこい飯を楽しむことすら出来なくなっていた。
自分の金で自分の好きな肉を食べられる時期というのは、驚くほど短い。夕焼けが輝く瞬間よりも短い。
できればそのわずかな時間を逃さず、思いっきり好きなだけ肉を食べてほしいし、オッサンに「肉食わせてやろうか」と言われたら、一も二もなく飛びついてほしい。
お付き合いをしている人がいる。
私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物、創造物の類が好きだ。
ゲーム、アニメ、映画、演劇、絵画、模型、音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさらに本が好きだと思う。
飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌に写真集、攻略本に設定集、映画や舞台のパンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。
最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。
さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画やアニメのオタクではない。ハリウッド版攻殻機動隊を視聴するにあたって概要を説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。
興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。
「ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」
ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。
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『3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本の漫画作品。将棋を題材としており、棋士の先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)
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知っている。
漫画は単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。
好きな物語だ。
正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである。
とはいえ相手は小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラットに対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。
漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代も紙袋に詰めた。
3ヶ月ほど経った頃だったか、デートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋でメニューを見ていたときだった。
もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。
彼は笑ってそう言った。
びっくりした。ショックだった。
面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画も漫画も見てみたいという。
けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。
そこで初めて思い知った。
世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。
私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクションの物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。
こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。
そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。
本を読んでいるとき、現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ。
みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
私は何にショックを受けたのだろう
彼に自分が好きな世界を否定されたように感じたからか。自分の好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。
おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。
いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。
きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。
立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。
考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。
けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。
これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。
これを理由に離れてしまうペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。
自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。
ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。
ガンダムと攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。
以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。
一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。
理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。
追記