はてなキーワード: ミドリとは
ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルのピースはすべて事前に提示されていた。アニメは小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現に意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。
けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。
今期の監督はミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線の管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばんちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコが意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計は図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズはヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わず襲いかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばんちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばんちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌのフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。
今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。
キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟の施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカル・サーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃんは自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由で施設でコールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。
まっさらなスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき、最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんのスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。
最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟の施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれた風車を描き、竹林の中で公園の施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラのフレンズ、荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地の風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテルの支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテルの最上階にはヘリポートがある)。
つまりこういうことではないか。観光客だった女の子はケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかしセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルでヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力に障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子はスケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムとサンドスターが流出している。サンドスターに包まれたスケッチブックは溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。
この仮説を裏付ける証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり、天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具の研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスターは空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。
以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である。研究施設やスケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から。
一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズ、プリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパークは廃園し、パークガイドのミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子にサンドスターが降り注ぎ、かばんちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。
時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃんは過去の世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウ・フィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばんちゃん一行は四神の位置を直すことでフィルタの機能を正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウムを制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神的装置の修理のために過去からキュルルちゃんを派遣したとすると、かばんちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来を幻視できるレベルの古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置を保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんはエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃんは未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんがタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンのセキュリティが気になる。強固に利用者が制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティを突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。
うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパークの世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばんちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星は最近に打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワークに侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像は面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定のルートにそった並びになる? だめだ。わからない。
しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌの物語でもあった。探偵の二人、センちゃんとアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんとイエイヌちゃんのストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である。最終話のタイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばんちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。
イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなきイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?
(続く)→ anond:20190318002745
その中に石原式色覚検査もあったのだが、物心ついた時からずっと絵を描いている自分は特に色彩感覚には自信があり、全て一瞬で数字の認識ができた………とはいかず、何枚かどうしても認識できないものが混じっていた。
帰宅後に、ミドリンPで瞳孔の開きまくった目を凝らしながらネットで調べてみると、どうも石原式色覚検査には色覚異常の人には見えて正常色覚の人には見えないパターンが存在するらしく、私が判別不能であったものはそのパターンだったようだ。
ちなみに、元増田の記事にリンクされていた簡易色覚検査は全て容易に判別できた。
結論:ミドリンPで瞳孔の開いた自分を鏡で見たらめっちゃ怖かったし、次の日まで目が痛かったし、眼圧検査の機械からプシュッて風が出るたびにビクッ…ビクッ…てなって笑えたし、眼科はハイテクマシンが多くてカッコよかったし、私の主治医はイケメンだった。
ずいぶん昔から、本のブームやら映画化やらのニュースを見聞きしてきたが、
どうも日本では大人の商売事情ばかり見え隠れしていて、肝心の子供が置き去りにされている印象すらある。
例を挙げよう。私の地元は『ズッコケ三人組』シリーズの舞台、稲穂県ミドリ市の元ネタとして有名だが、
そこに熱狂的な外人がやってきて、「ここがアカツキ書店の元になった本屋か!」とか言ってたらどうだろう。
一応その場は適当にごまかすかもしれないが、内心ものすごくドン引きである。
これが子供向けアニメや特撮だったらどうか。確かに、いい歳こいてはまる大人というのは山ほどいる。
しかし、それがどちらかといえば恥ずかしい趣味だという自覚は彼らにもあるだろうし、
何より、あくまでメインのお客は子供たちである、という原則は守られていると思う。
リア充サイドの人らが、堂々と吹聴して回る趣味になりかねない勢いだ。
おそらくJKかそこらの女の子が、USJのCMで恥ずかしげもなくメテオロジックスとかやっているのを見ると、
やっぱりどこか違和感がある。
毎日のように決算お疲れさまです!と今月は大変な月だった、ウチの会社は一部上場してるミドリの中古車屋だ。
店ではてんやわんやな月だと思ってたがそうではない
自分の車に買取車からパーツを外して着けたり【ルームライトやアルミ】昼メシは絶対に買わせに行かせたり、毎日自慢話や武勇伝ばかりで飽き飽きする。
中途の新人にはキツくあたり、毎日怒鳴る。接客商売なのに雰囲気悪くしてどうするのか?だから店が活気出ないのを気づかないのか?
個人情報の紙はそのままゴミ箱へ。シュレッダーはいらないのか?
ハンコを持ち歩き、いつでも使えるようになってたりする。
お客様には納車せずに、書類上は納車しまた預かりし会社を欺いている。
買取車からパーツを外して、販売車に取り付ける。ナビだと足がつくので、雪が多く降るのでアルミやタイヤを主にやっている。
毎日、店舗の誰かの悪口を言って雰囲気悪くさせて、気に入らない奴は移動させることに生き甲斐を感じている最低な奴。
上司からつけられたクラッシュとかいうアダ名を気に入っているチンピラ。
こんな奴が一部上場してる会社で店長としてやっていることが信じられない。
内部で収められるより、誰かに見て聞いて貰いたくて書き込みしているし、いろいろ信じられない。
窃盗で摘発しました。と社内通達があったが、ウチの店長はうまくやっていやがるからタチが悪い。
去年は表彰されたほどの優秀店だったのに
年と性別は察してください。思い出しながら、自分の音楽遍歴を書く。
姉が19のファンクラブにいた影響で、19を聴き始める。真面目に音楽を聴き始めたのはたぶんこれが最初だ。あとは、姉が定期的にヒット曲のCDをツタヤで借りていたので、それをちょいちょい聞いてみるなどしていたが、ヘビロテしていたのは19だった。朝早起きして「音楽」をリピートしながら勉強するのが楽しかった。
中学生の自分にとって326の歌詞はやたらと心地よく、将来は作詞家になりたいなどと本気で思ってしまっていた。
ひょんなことからブルースハープを始めることとなり、その関係でゆずを聴き始める。ゆずのブルースハープのパートはハーフベンドができれば大体の曲はコピー出来るので、ゆずのCDと一緒に楽譜も買い漁った。なお、ギターはFコードをうまく押さえることが出来ず断念している。ブルースハープをやっていくうちにハイロウズと山崎まさよしもちょいちょい聴いていたが、ヒロトは化物だと思った。個人的にはボディは木より樹脂のほうが好き。
また、やはり姉がミスチルのベストをツタヤから借りていたので、その影響で自分もミスチルを聴き始める。ファーストから最新までのフルアルバムとミニアルバムを全部借りて聴いていた。桜井和寿は天才だと思った。
椎名林檎は、中学時代から姉がCDを持っていたので、その影響で聴き始めた。当時好きだった女の子も林檎が好きだったので、相乗効果でやたらと聴きまくった記憶がある。虐待グリコゲンとか発育ステータスとかツアーメンバーにバンド名をつけてるんだぜ!って自慢気に高説を垂れていたので、今思えばとても恥ずかしい。あと、「一期一会」を聴いて、スピッツもちょっと聴いていた。「花鳥風月」と「フェイクファー」でお腹いっぱいになった。
ゴイステは、当時やっぱり童貞ソー・ヤングが流行っていたので、「さくらの唄」をヘビロテした。捨て曲がまったくない!と思った。峯田最強だぜ!って思った。
ちなみに、ゆず/ミスチル/林檎(事変)/ゴイステのヘビロテは、大学の2年くらいまで続く。
どうでもいいが、受験シーズンはなぜか大塚愛にドハマリしてファーストのPretty Voiceをヘビロテしていた。
先にも書いたが、当時はやたら大塚愛が流行っていたからか、可愛かったからか分からないけど夏ぐらいまで大塚愛をヘビロテしていた時期があった。ただ、夏が過ぎたら飽きた。
大学に入ってからは、CDだけではなくライブDVDにまで手を広げるようになっていた。当時は桜井和寿がBank Bandでライブなどをやっていて、ライブDVDを傷だらけになるほど見た記憶がある。東京事変のライブDVDも見まくった。透明人間を見て、ヒイズミすげーってなってた。そこからPE'Zを聴くようになった。
バンプは、先輩が聴いていたからだと思う。ヒット曲バシバシ飛ばしているのに厨二くさい歌詞と曲が、遅れてやってきた中二病患者の自分にとっていい感じでマッチしていたと思う。ただ、ユグドラシルより後あたりから、なんか曲がポップになってやる気がなくなっていった。
ちょっと前に遡るが、ピロウズ15周年だかでコンピレーションアルバムを出したときにミスチルも曲を提供していて、久々に聴いてみたらStrange Cameleonいいなあ、おっ、ベスト出てんだ、んじゃそれ借りて聴いてみようってなったのが最初だったと思う。ベストなんで良い曲ばっかりなのは当たり前だよね。いろいろなアルバムを借りては聴いてを繰り返した。個人的には巴里の女性マリーが好き。
音速ラインは、ナツメが良かったのでちょいちょい聴いてた。ジャケットが盗作じゃねーのって噂にはなっていたけど、そんなのはどうでもよく、逢いたいを聴きながら手塚治虫のMWを読んでいた。
銀杏は、そもそも忘れていた、っていうのはある。銀杏のアルバムが出てから何年か経ってたけど、峯田が新バンド!?んじゃ聴いてみよう、ってなってた。冬の寒空に東京をヘビロテしながらタバコを吸っていたのは本当に良い思い出だった。
あとは、スキマスイッチ/レミオロメン/7188/エルレ/テナー/ART/ブランキー/アジカン/ミドリカワ/時雨など、数えたらきりないけど、なんかそこらへんの所謂ロキノン系をいろいろ聴いて回ってた。十把一絡げにロキノン系で括るのは良くないかもしれないけど、なよいロックでインディーズから上がってきたのはだいたいロキノン系でいいんじゃないかなって今でも思っている。
この頃からだんだんとマイナーなバンドばかり聴くようになったため、メジャーどころはあんまり聴かなくなっていった。
「とりあえずガッツリ邦楽を聴いてから洋楽に行こう!」というなんだか良くわからない縛りを設けて音楽を聴いていた。
きっかけは忘れたけど、どこかの動画でミドリを発見して、後藤まりこYABEEEEEEってなったのが春先での出来事だったと思う。アドレナリンがヒルルク状態のままわりとすぐにライブハウスに赴き後藤まりこを生で見た。パンツが見えるとか見えないとかはわりとどうでもよかった。山本直樹画のTシャツをわりと愛用していたけど、大学卒業と同時に処分してしまった。もったいない。このあたりから、「ライブに行く」というのをちょいちょいやるようになる。
向井については、ちょうど向井秀徳が大好きな烈海王そっくりな奴がいたので、その影響でちょいちょい向井秀徳バンドのCDを聴いて回った。その関係でイースタンとかブッチャーズとかをヘビロテして回った。当時の心境を振り返ると、「アジカン?イースタンと向井のパクリじゃねーか!」というひっじょーに恥ずかしい理論を脳内で展開しており、脳内で展開するだけならまだしもmixiで毎日のように「◯◯はすごい、☓☓はクソ」といった日記を書いていた。すんごい恥ずかしい(ちなみに今はもう退会済み)。今思えば、イースタンもブッチャーズもナンバガも、夏の日の午後とか7月とか透明少女とかすっごいヘビロテしたし人にも勧めたい曲はちょいちょいあるのだけど、アルバムを通しで聴くとすっごいダレる。
どう贔屓目に見てもクッソ痛々しい中二病患者のクソ理論をmixiで展開しつつmixiで情報を拾うという蛇が蛇を食うような生活をしていたある日、ゆらゆら帝国を知ることとなる。経緯は忘れたけど、mixiで「このバンドがおすすめ」みたいなコミュがあってそこから知ったと思う。はねるのトびらにゆら帝の曲が使われていたのは、ゆら帝をちゃんと聴き始めてから知った。メタルとかフュージョンみたいにバカテクではないけど上手い演奏、なんだか良くわからない歌詞と歌、耳をつんさくギター、そして一グラムも人気になろうと思ってないルックスとビジュアル、どれもがやばくて、深夜、学校帰りに「なましびれなまめまい」の星になれたをアホみたいにリピートした。数年に1回くらいのペースで亀川ベースがすっごい変態的になるイメージだった。
もうここまで来ると流れがお分かりかと思うが、亀川千代が灰野敬二にそっくり、という流れから灰野敬二もちょいちょい聴き始める。「わたしだけ?」の捧げるが個人的にはスーパーフェイバリットなのだが、試しに友人に聴かせてみたら大不評であったため、このあたりから自分の音楽の趣味を人に言わなくなる。
そしてCasiopeaだが、亀田誠治って本当に上手いよね。って思っていたのだけれど、2chのスレを漁っていたら、もっと上手い人がいるんだ!?ってなって、どうやらこのテのスレで頂点に君臨するのは櫻井哲夫で、彼はCasiopeaのベーシストらしい、という流れでCasiopeaを聴き始めたのだった。だが、最初に見た動画はライブ中満面の笑みでチョッパーを連発しつつ客席に乱入する変なおじさんだった。このあたりから、所謂「フュージョン」というジャンルに手を染め始め、Jaco Pastoriusに出会うこととなる。
並行してなんかロキノン系もちょいちょい聴いてたけど、もういいや書くのめんどくさい。ベボベの例の動画からヤマジュンを知ってヤマジュンパーフェクトを買ってしまったのが大学生時代最大級の黒歴史ではないかと思う。
当時ジョジョを読んで、なぜか四部だけのスタンド名の元ネタバンドのアルバムを聴きまくった時期もあった。
あと、相対性理論の自主制作盤を買ったけど、見た目がすごくしょぼいCD-Rで、数年後売ろうとしたら「売り物なのか自分で作ったのかこちらでは判別出来ないから買い取れない」と言われたのは良い思い出だ。
Jaco Pastoriusについては多くは語らない。件の烈海王がやたらプッシュしていたので、聴き始めた。彼については、Weather Reportに加入するときも超上から目線で「君の音楽すごく良かったYO」「俺は世界最高のベーシストなんだZE」と言って門前払いされたのは最高にロックだと思う。その関係で、Sex PistolsとかJoy Divisionとか早世アーティストのバンドをやたらヘビロテしていた。
ゆらゆら帝国と灰野敬二は引き続き聴いていたが、ゆらゆら帝国はどうも昔のバンドのごった煮らしいぞという情報をキャッチしたので、このあたりからクラウトロック/プログレ/USパンクやらに傾倒していった。MagmaとかAmon Düülとかいろいろ聴いて、CANはすごくいいぞ、ってなって、当時海外で生活していたけども、ずっとCANの「Tago Mago」と「Ege Bamyasi」を聴きまくっていた。ダモ鈴木を愛でまくっていたし、けいおんのMMDでCANのPaperhouseとか出来ねーかなとか思ったものである。Thiefをヘビロテしながら就活して回った。
当時はやたらとけいおんが流行っていた。けいおんのメンバーはだいたい実在するミュージシャンの名前をもじったものであることは周知の事実だが、HTTのモデルであるP-MODELは知らなかったので、その絡みでP-MODELとヒカシューとPlasticsが競演している動画を見て、ヒカシュー、というか巻上公一YABEEEEEEってなって、オーガス02などを見て、アニメにハマり始めた。あと、テクノ御三家ってことで、YMOもちょいちょい聴き始めたのがこの頃だったと思う。
なぜ古代祐三にハマり始めたのかは詳しくは覚えていないけど、確か世界樹のサントラ動画を見たのが最初だと思う。そこからイース→ソーサリアン→スキームなどといろいろ聴いて回った。並行してファルコムのゲーム音楽にもハマっていったのを覚えている。
バレスタイン城の埼玉最終兵器アレンジのイントロがStratovariusのHunting High And Lowにそっくりとか、偉大なる試練がYngwie MalmsteenのFar Beyond The Sunのモロパクリであるなどといった理由から、ちょいちょいメタルを聴くようになる。
特に事故前のインギーのJet to Jetは本当に圧倒的で、音の弾幕がすごくて、なんだろうこの人、なんでこんなにいろいろ弾けるんだろう、すごいなあって思った。そんなある日のこと、たまたまハンターのアニメを見ていたらEDが思いっきしメタルで、バンド名もGalneryusで「あっ…」てなったりした。バイオリンの名前がバンド名って絶対メタルだよね。
そんなに数は多くないし、XとかIRON MAIDENとか超メジャーなところは意図的に避けてたけど、所謂ネオクラとかメロスピとかにカテゴライズされるバンドをちょいちょい聴くようになった。特にガルネリはANGEL OF SALVATIONあたりから入っていって、Silent Revelationを聴いたら「あれっ、ハンターの人じゃない」ってなって、YAMA-B超SUGEEEEEEってなってちょいちょいコミケでYAMA-BのCDを買うようになった。ジョジョ四部の主題歌はYAMA-Bやってくれないかなって今でも思う。
Jet to Jetの動画を漁っていたら、横山やすしみたいなおっさんが歌を歌ってるぞ!となり、Alcatrazzにハマった。比較的クリアなハイトーンボイスに慣れていた自分にとってグラハム・ボネットのだみ声は最初はハマらなかったけど、聴くうちに良いと思えるようになった。
やっぱり多くは語らないけど、「メタルといえば革ジャン」みたいな風潮にあって横山やすしみたいなリーゼント+スーツ+グラサンで自分を貫き通したところが最高にロックで、聴けば聴くほどハマる声と合わせて、最近のフェイバリットになっている。
振り返ってみると、なんかいろいろな音楽を聴いているなあって自分でも思った。ただ、mixiでクソ理論を展開しまくっていた黒歴史と相まって、自分の音楽の趣味をあまり人に語らなくなったし、ライブにもいかなくなったけど、かなり前から動画で気に入ったらアルバムはレンタルせずにお店かiTunesなどで買うというサイクルは徹底しているため、数多のミュージシャンに対して幾ばくか活動の足しにはなっていると思う。
これからどんな音楽が自分を待っているのか楽しみでしょうがないのです。
大勢の人の助けをかりたのに、
その地獄は、ただひたすら道を歩くこと。
鞭でたたかれるわけでもなく、
目玉を抉り出されるわけでもなく、
ただひたすら、道を歩く。
この道は乳白色でやや温かみをおびた道で、
歩くぐらいどうってことない、そう思うだろう。
地獄はそんな甘くない。
この道を歩いていると、
俺の今まで生きてきた20年間で
人に与えられた優しさ、ぬくもり、愛情を
たった今目の前にあるように思い出してしまうのだ。
生まれたての俺を抱きしめるばあちゃんのぬくもり
いつも俺の身を案じて、
全部、全部、思い出してしまうんだ。
俺の身体に、その瞬間の感動がよみがえってしまうんだ。
なんで
なんで
なんで
なんで
なんで俺はみんなの優しさに気づかなかったんだろう
優しさを、裏切ってしまったんだろう。
けど
どれだけ生きたいと、生き返りたいと、願ってももう返れない。
俺は死んでしまった。
いつまで歩けば終わるんだろうか。
いつまで歩けばこの悔しと後悔をぬぐえるんだろうか。
その先に、何があるんだろうか。
果てしない、
果てしない、
道が続いてゆく。
似非ミニマリストを批判するおじさん達が活躍している。彼らはウンチブリブリ的な事を年間100記事位量産する私と違って年間100記事位雷を落としている。
年齢的に私もカミナリさん側の立場であるべきなのだが、いかんせんそこまでの感情が湧いてこないし、論理展開も出来ない。訓練次第でできるような事なのだろうか?
カミナリさん達は子供の頃、大人達に沢山叱られたのだろうか?私は叱られるのが嫌過ぎて、大人に怒られそうだなと感じた事は避けて、なるべく怒られないように努めてきた。この辺りに叱れる人叱れない人の違いが出てくるのだろうか。
自分は自分の子供が出来た時に、正しい事・悪い事を教えられるだろうか。これは正義!とこれは悪!と二元論で語るというのもアレだけど、自信を持ってきちんと判断を下せる子供に育てられるだろうか。私にはあまり自信が無い。
いや、現代に於ける資本の移動や市場原理を視野に入れてないって点で
アオがミドリを労働力として使いたいなら教育にも投資しなきゃいけないわけで。
もちろん、全ての要素を取り入れることは難しいですが
経済原理をエッセンスとして取り入れて、最後のオチを全面戦争ではなく
「終わらないテロリズム」くらいに落とせばよいのではないかと。
ミドリ国は人件費が安いだろうから、アオの資本はどんどんミドリに出て行って
ミドリ民を雇用するだろうし、アオはミドリの市場を育てて食いたいと思うだろう。
今時植民地支配なんてコスト的に見あわないから、アオの資本がミドリを支配し始める
一方で、ミドリ民はアオに移住したがるだろう。アオも安い労働者が欲しいから入れてみるかもしれない
結果として、ミドリ国の大企業はほぼアオ資本となってミドリは「搾取されている」とキレ始める。
その一方、アオの移民がミドリで問題を起こしまくるのも間違いないだろう。教育格差はデカいだろうから。
また、アオの原油の出方にもよるけど、アオ民にも失業者がいるなら
そんなんガキに教えても、いわゆる「サヨク」の英才教育してるだけじゃねーの。やめとけ。
俺のこの内容にも抜け落ちてるものは多いだろうけど、あなたの場合「経済」がスッポリ抜けてるから
無理がありすぎる。結果として、テンプレサヨク理論にソフトランディングするぞそれ。
我が子を革命家にしたいならいいと思うけどさ。
あなたの理論の場合「世界同時革命!」って答えにかなり誘導されやすい。
もしくは人民寺院だな。
ミドリ国のくれくれが原因じゃないか
2つの国はとくに仲が悪いこともありませんでした。
どちらの国も、自分たちが食べるものを作るだけで精いっぱいという貧しくてつらい生活をしていました。
そこで生まれた人は、一生、自分の畑を耕して生きるしかありませんでした。
世界中の国が、お金を払って石油を買っていくようになりました。
アオ国は、そのお金で、設備の整った学校、病院、たくさんの人が働ける仕事場などを建てました。
食べ物も海外から買えるようになったので、みんなは畑を耕す以外の仕事を選べるようになりました。
アオ国の子供たちは、いろんな将来の夢をみることができるようになりました。
「私はケーキのお店を開くの!」
「俺はサッカー選手になるぞ!」
「どうして、あの子たちはいろんな面白そうなことができるのに、僕たちはこれから一生畑を耕すことに決まっているの?」
ミドリ国の大人たちは、子供たちが夢を持てないことを悲しみ、アオ国に相談しました。
「アオ国ばかり豊かになるのは不公平です。ミドリ国にも石油でもうかったお金を分けて下さい」
アオ国はこまりました。
今はたしかにお金がありますが、埋まってる石油を全部とってしまったら、終わりです。
石油がなくなった後も豊かな生活をつづけられるように、今のうちに、産業を立ち上げておかなければなりません。
ここでお金をたくさんあげてしまったら、それがうまくいかず、貧乏な国に逆戻りすることは確実です。
そもそも、アオ国にしてみれば、石油は自分の国のものですから、分けてあげる理由がありません。
アオ国は断りました。
ミドリ国の人たちは怒りました。
「ほんのちょっと油田の場所が違っただけで、こちらの子供たちは未来に夢をみれないなんて、ずるい!」
アオ国の人たちも怒りました。
「何もずるくない! ミドリ国こそ、何もしてないくせに、お金だけ分けてくれなんて、むちゃくちゃだ!」
こうして、2つの国の人たちは仲が悪くなっていきました。
アオ国は、怒ったミドリ国が攻めてきて、油田をむりやり奪いに来るかもしれないと恐れました。
ミドリ国はそれを見て驚きました。
怒ったアオ国が、ミドリ国を力で黙らせようとしてるんじゃないかと恐れたのです。
銃を向けあっている最前線の兵隊たちはとても怖く思ってました。
いやだ、死にたくない。
「殺されるくらいなら、ぼくを狙っている相手を先に撃って、自分の命を守って、何が悪い?」
ぱん!
先に撃ったのがどちらなのか、誰もわかりませんでした。
その人には、家族がいました。恋人がいました。友達がいました。
「ひとごろし!よくもやったな!」
ミドリ国の兵隊たちは、アオ国に向かって銃を撃ちはじめました。
戦争がはじまったのです。
:
「戦争は、戦争をしたがる、悪い政治家が起こすんだよ」と教える人がいます。
そう書いてある本もたくさんあります。
でも、考えてみてください。
さっきのお話に、「戦争が好きで、戦争をやりたい、悪い人」は出てきましたか?
出てきませんでした。
みんな、今よりちょっと幸せになりたかった、子供たちに夢をかなえさせてあげたかっただけの、ふつうの人たちばかりでした。
戦争は、「悪い人」がいなくても、起きるんです。
あなたがアオ国の人だったら、どうすればよかったでしょうか?
あなたがミドリ国の人だったら、どうすればよかったでしょうか?
:
日本は、どうすればよいでしょうか?
最初に、このまとめは私が実際に見学に行ったり、公園などで他ママから聞いた事をまとめたものです。
あくまで参考なので、気になる幼稚園があるのであればぜひ見学に行ってください。
また、すべての情報において2013年3月15日時点での情報となります。
周辺の小学校もほぼ同じメンバーで上がる事ができるため、友達作りを優先する方におすすめ。
人気の園なので、願書提出には2日前から並ばないといけないほど。
http://www12.ocn.ne.jp/~kinuyou/
預かり保育が月2000円と安いので兄弟居たり、仕事している方には助かります。
美術大出の先生による絵画教室、外国人教師による英会話教室もありますが、週1なので、そこをどう取るかですね。
自宅でも継続的にお絵かきや英語を教えているご家庭ならオススメかもしれません。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-shiomi/sub2-12.html
今はわかりませんが、一時は入園試験がかなり厳しく、倍率も高かったとか。
やはりマナーやお淑やかさなどに重点を置いているよう。
遊ぶのが大好きな男の子の場合、ちょっと物足りないかもしれません。
http://www.youchien.or.jp/search/01utsu/01-032.html
※Webサイトが見つからなかったので、紹介ページへのリンクとなります。
ここの園バスはSLのペイントがされていて、通園が子供には楽しくなるかもしれません。
また、制服が無いので楽と言えば楽。
ただ、園庭が比較的狭いのと、駐車場が無いのがちょっと不便かもしれません。
(農園や近所の公園などで遊んでいるみたいなので、狭いという点のデメリットはある程度解消している様子)
教育方針は運動に力を入れており、体を動かし、元気に健康に育つ事を重視しています。
お友達作りや、体を動かす事が好き・得意な子にはオススメかもしれません。
満3歳(場合によっては3歳前から)クラスあり。(年少クラスに含む)
http://www.kiyohara-midori-you.com/
園庭も広いし、体育館、アスレチックもあれば、なんと温水プールまで。
しかし、園庭とアスレチックはもう経ってから大分経過しているせいか、ちょっと危ない箇所もあり。
卒園までに自分の名前を漢字で書ける、簡単な英単語習得、九九習得が行われるようです。
あとは平出むつみ幼稚園などがあると思いますが、私が調べたうちでは他ママさんの話含め、上記の園が話によくでてきて、他の園は出てこなく、情報収集できませんでしたので割愛します。
もし間違った所などありましたら、随時変更していきますのでご指摘ください。
各未就園児親子教室ですが、有料の所もあったと思うので各自問い合わせてから参加してください。
しかし、未就園児親子教室は、その園の様子がとてもわかるので、ぜひ参加してほしい所です。
cast - guiding star
岡村靖幸 - だいすき
luminous orange - how high
Death Cab For Cutie - Sleep Spent
bus stop - Navratilova!
small black - despicable dog
Forever Lost The Magic Numbers
clap your hands say yeah - over and over again
Polaris - 天気図
ohana - 予感
marimari - indian summer
picicatto five - 君みたいなきれいなおんなのこ
小沢健二 - 強い気持ち 強い愛
beastie boys - sabotage
Stone Temple Pilots - Cinnamon
modest mouse - float on
the replacements - can't hardly wait
The Seldon Plan - Lullabies for Old Hearts
The Chewinggum Weekend - ICE
pretty chat - wake up,girls!
the twinklestars - please! please! please!
能瀬恵子 - アテンション・プリーズ
椎名林檎 - 翳りゆく部屋
chappie - 水中メガネ
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
猫を「愛玩動物」としてではなく「害獣」として見てる人は猫を虐待したり、殺すこととに躊躇いがない。
私の父や祖父など野良猫が家や庭に入り込んだりすると殺しはしないものの「このナグレが」と叫んで追い出す。
おかげさまで私の家族の顔を見ると近所の野良猫達は決して近づこうとしない。即逃げる。
犬みたいに番犬代わりになるわけでもなく役立たずな猫を保健所に持っていって殺すことで、兄へのストレスを発散したいようですが
(それが悪い事とは思いませんが)兄の目の前で猫をかごに入れて「父と一緒に保健所に持っていくから」と言わないと
後から処分したと聞かされたら凄い恨まれるぞ。下手したら殺されるかも。
私は8歳の頃、「イシ亀」を2年飼っていたのだが、ミドリ亀の病気がマスコミで報道されて私が病気になることを心配した母から
「川に放してきなさい」と命令されて、仕方なく父の車に乗って川へ捨てに向かった。父は川辺まで行くのを面倒くさがって
「下は川だから亀は高いところから落としても大丈夫」と私を騙して、私の手で亀を端の上から捨てさせた。
落ちた亀は浅瀬の石にぶつかって動かなくなった。家に帰って母に話すと、母は父が面倒臭がって川辺まで行かなかったことを
怒り、私は騙されたと知って父に殴りかかった。
動物の命を「虫けら」だと思っている人は大体そんな感じ。善悪の基準ではなくてそうできている。
1.LIL WAYNE「THA CARTER III」○
2.Perfume「GAME」×
3.KATY PERRY「One Of The Boys」○
4.FLYING LOTUS「Los Angeles」△
5.ESTELLE「Shine」○
6.T-PAIN「Thr33 Ringz」○
7.T.I.「Paper Trail」○
8.Anarchy「Dream and Drama」×
10.TV ON THE RADIO「Dear Science」○
11.YOUNG JEEZY「The Recession」○
13.RAHEEM DEVAUGHN「Love Behind The Melody」○
14.SNOOP DOGG「Ego Trippin'」○
15.THE TING TINGS「We Started Nothing」○
16.MACHINES DON'T CARE「Machines Don't Care」×
17.GYM CLASS HEROES「The Quilt」○
18.SANTOGOLD「Santogold」×
19.capsule「MORE!MORE!MORE!」×
20.JAZMINE SULLIVAN「Fearless」○
21.BLOC PARTY.「Intimacy」○
22.PLIES「Definition Of Real」○
23.VYBZ KARTEL「The Teacher's Back」×
24.THE COOL KIDS「The Bake Sale」○
25.RAPHAEL SAADIQ「The Way I See It」×
26.FOALS「Untidotes」○
27.SEEDA「HEAVEN」×
28.AL GREEN「Lay It Down」○
29.DE DE MOUSE「sunset girls」×
30.DUFFY「Rockferry」○
31.Saori@destiny「JAPANESE CHAOS」×
32.BENGA「Diary Of An Afro Warrior」×
33.MGMT「Oracular Spectacular」×
34.DJ BAKU「DHARMA DANCE」×
35.GHISLAIN POIRIER「No Ground Under」○
36.SAM SPARRO「Sam Sparro」○
37.THE MARS VOLTA「The Bedlam In Goliath」○
38.QUANTIC PRESENTA FLOWERING INFERNO「Death Of The Revolution」×
40.EMI MARIA「A Ballad Of My Own」×
41.PRISCILLA AHN「A Good Day」○
44.PLANTLIFE「Time Traveller」×
45.neco眠る「ENGAWA BOYS PENTATONIC PUNK」×
47.有坂美香「Aquantum」×
48.JOSE JAMES「The Dreamer」○
50.THE BIRD AND THE BEE「Ray Guns Are Not Just The Future」○
(2009/01/18調査)
○:Napsterで定額配信あり (27/50)
△:Napsterで購入専用 (1/50)
×:Napster取り扱いなし (22/50)
邦楽全滅かー