2011-03-08

赤ちゃんをむかえることから、稽留流産のことまで

2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。

昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。

様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。

 

赤ちゃんをむかえること

筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。

仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年からとりくみはじめた。

基礎体温に基づき、排卵日近辺にがんばる方法をとった。

基礎体温2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。

 

夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常

仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。

そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。

それでも、自分では夫婦の仲は良好だと思う。 

 

夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、

顕微鏡でためしに自分精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。

私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。

 

基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。

ウーマンコム Inc. の基礎体温表

記録をまとめて印刷することもできるので、医師妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。

 

妊娠に至るまで、5ヶ月を要した

上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。

挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。

夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。

このころ、夫は精子卵子寿命の違いを知らなかった。

 

年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。

とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。

 

20代子供を産み、子供小学生に育て上げてから仕事をはじめた友人や、

同じく20代で2人の子供を産んでいる妹の事などを考えた。

いくら自分健康に自信があっても、赤ちゃんをむかえるのは早い方がいいと強く思う。

結婚する前から、夫と私は2人とも子供を望んでいた。

私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。

たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……

 

冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?

妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、

お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい科学的根拠は不明?

そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。

 

カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。

夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。

私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。

夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。

 

 

年末年始大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした

いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮おせちをたべてゆっくりした

初詣地元神社に参拝し、男根型の岩を撫でてみたりもした

 

 

その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、

妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。

病院で尿検査をして陽性を確認し、エコー検査した

子宮のなかに小さな黒いまるうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮妊娠はない事がわかりほっとした

担当先生は事務的で素っ気なく、少々心もとなかった。

 

妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ夫婦で登録し、

毎日メールで送られてくる赤ちゃんの成長を楽しみにしていた。

 

2月の半ばに2回目の検診にいった。

先生カーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。

黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。

赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。

調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、

あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。

 

つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。

つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。

1月の初めにがんばったときから性交はずっと止めていた。

回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした

 

稽留流産のこと

3月の初めに3度目の検診に行った。

この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。

ちょうど夫の仕事休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。

いつものように、エコー検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。

カーテンをあけて、「心臓が動いていないです」といわれた。

何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。

先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。

稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。

夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。

ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。

 

 

最初は心もとなかった先生対応は、まじめさゆえだった。

丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかからなかったけど、

とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した

待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。

「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。

 

あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した

母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。

義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。

夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。

未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。

誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。

これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。

前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。

義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。

海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。

手術前夜から入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、

夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。

自分は朝に入院して、夕方に退院する日帰り手術だ。

手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯おむすびをつくり、

病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、

いつもより丁寧に歯を磨き、お風呂で体をよく洗ってから寝た。

 

夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事ギリギリで、とても忙しい時期だ。

そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、

何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、

「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんから、耐えよう」と思った。

 

当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟ナースステーションに行き、書類を出して手続きをした

病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボンTシャツパジャマの上着、フリースの長いコートで、

家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。

ナプキンをつけてから担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。

処置の前に、もう一度、エコー赤ちゃんを確認してもらった。

赤ちゃん最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。

この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。

 

それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。

午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。

多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。

担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、

計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。

台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。

肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、

思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、

先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、

器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。

 

事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。

しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。

もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景イメージしてみた。

だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノたい音楽フロアに流れるかすかなオルゴール環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。

しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。

お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。

顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。

ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。

 

すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。

麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。

時折、看護師さんが来て出血を確認していった。

つの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。

持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。

重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。

なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。

 

麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。

病室でズボンはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。

夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした

夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるからおむすびいらないよ」と言うほど、

手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。

私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。

夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびお茶を持ってきてよかった」と言った。

 

薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。

看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。

子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。

来週に検診があって、また病院にいく。

元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家土地のいい場所に植えようと思う。

その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。

 

今後

基礎体温記録再開、葉酸摂取を継続する。

・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。

運動する機会を増やす。近所の温泉に定期的に通う。

いままでは質実剛健、質素倹約を旨としていたが、余裕をもって魅力的な女性になれるよう努力する。

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