はてなキーワード: プランとは
「コロナ回復後の観光客の呼び込みを図るため~」という建前でPR映像作成とかにウン百万とか使ってるんだぜ。
こんなの常識的に考えて費用対効果うっすいだろ?不要不急だろ?
市町村の経済振興を担当してる部署の企画力なんて素人そのもので、
結局どこかの町のプランをコピペするか地場業者の提案を丸呑みするしかなくて、バカな企画の横並びになってるわけ。
で、議員も地元業者に国のカネで補助できるとなったら断れないわけ。立場上。支持基盤なんだから。
教育でも福祉でも国費が絡めばクソ細かい監査や報告を強いてくるお国がですよ、こういう使い道を堂々と認めてるの。
市町村内部でも、財政部門って紙や封筒の経費にはクソうるさいのに、こういうアホみたいな企画への数百万円はスルーなの。国のカネだから。
市が市のカネだけで負担しているシンママに対する育児費用の補助金はカットされそうだけどな。
やんなるね。
どうすればいいと思う?
夢も多様だからね。
仕事で夢を追うべきか?という話に絞るならば、現実的な勝ち目があるのならばチャレンジするのもあり、と答えるし。
年に一度のバレンタインデーが自分へのご褒美チョコを買う日になったのはいつからだっけ。
ダイソーで女子中高生くらいの女子たちでごった返していて、ふと思った。
ここ数年、誰かにチョコをあげるなんてしてこなかった。自分へのご褒美チョコだけ。
別にチョコが好きなわけじゃないんだけど、ピエールマルコリーニやジャンポールエヴァンのような高級チョコは美味しいからつい買ってしまう。
百貨店のチョコレート催事のピエールルドンの列に並びながら考える。
よく見たらカップルだけじゃなくて友達とチョコを買いに来ている人が大半だ。
そういえば私にはチョコを一緒に買いに行くような友人がいない。友達らしい友達なんて皆無。
欲しいとは思ったことはあるが、大学は中退しているから学校繋がりの友人はいないし、契約社員だから社内での繋がりも希薄。
SNSで人と出会ったら、どこぞのサロン信者のような意識の高い集団の飲み会に参加させられ「もっと面白いことしなくちゃ、人生もったいないよ!会社に縛られてない?」と説教されるし。
人に対して気を遣うとか、人に好かれる会話をするとか、そういうことはわりと得意だけれど、だからこそ疲れる。
たまに寂しくはなるが一人が至高。
買ったチョコを全部自分で食べられるし、手作りチョコなんて作らなくて済むし、交際費はかからない。
デートプランに文句言われることもないし、無理に着飾る必要もない、二か月に一度も美容院に行く必要もない。
今夜は家で響を飲みながらチョコをつまもう。
今年の夏父親が還暦を迎える。半年後に控える父の還暦祝いに、私は頭を抱えている。父は私と性格が似ており、基本的に欲しいものは自分で買い、そしてそのほとんどが高価である。感染症対策で世が躍起になる前から私は親族との交流を絶っていて、両親の好きなものなど全く知らない。小学生の頃になんとなしに母の日のカーネーションをホームセンターで買って帰った時、「花なんかより家事を手伝って欲しい」といわれて以来、両親に贈り物をした記憶などない。
であればなぜ父の還暦祝いを考えているのかといえば、母親が厚かましくも要求してきたからである。
厚かましくも。
忘れもしないことだ。数年前、私は一人の男性と結婚することを決めた。まだ若かったし、結婚式や披露宴というものにたいした興味も湧かなかった私たちは、お互いの両親との顔合わせで入籍と新婚旅行だけをする一番自分たちにとって都合のいいプランを提案した。だが両家とも挙式だけでも挙げないかと提案してきたのだ。お金は出す。親戚を呼ぶ呼ばないは、まあどちらでもいいじゃないかと(我々はそれぞれの父・母、どちらの地元でもないところで暮らしていたため、親族を呼ぶとなるとなかなか事だった)。
私は嬉しかった。両親は私を経済的な理由で好きな大学にいくことを諦めさせた。母は私にすぐ手をあげるし、私のことで泣くし、あらゆる趣味が合わない。10代最後の一年私が就活と引越しに忙殺させられていたのを加味したとしても結局成人式の写真は撮らずに終わった。が、一応は娘らしい。もう両親に会うとなれば盆と正月だけだろうが、そうであれば喧嘩もしないだろう。毒親と呼ぶにはいまいちパンチの欠ける母親だったし、これで一区切りついてそれなりに大人の付き合いができるならいいじゃないか。
相手の両親は非常にいい人で(今でもよくしてくれる)お金のことなんて気にするな!行きたければハワイにでも行け!ぐらい言いそうだったので、私はまず実母に現実的な相談をした。ぶっちゃけた話いくらなら出せるかと。
母は言った。1円も出せない。親族から「ご祝儀」を集めてもいいが、そんなことをしたらどうしなきゃいけないかお前でもわかるよな?(つまり、自分たちが考えているようなミニマムな結婚式にはならないと思え、ということだ)出せないものは出せない。ない袖はふれない。そもそもあの調子ならあちらのお家が全額出してくれるんじゃないのか?
唖然とした。ない袖はふれないというのは、進学の相談をした時にも全く同じことを言われた。そして行きたい大学に行けばいいと応援したが、いざパンフレットを持って相談しに行けば「金はないから奨学金なり借金バイトなり」と言ったのも変わらなかった。二度目だったのだ。
私は今の夫に泣いて謝った。全て素直に話した。破談になっても仕方がないと感じたからだ。うちの母親は調子のいいことだけをいい責任を取らないゴミカスババアですと。夫は見捨てず親身になって相談に応じてくれた。元々自分がしたいと思っていた挙式はさほど値段の張るものではなかったので、なんとか希望を叶えることができた。
母は調子のいいことだけをいい、私の人生のターニングポイントにおいてクリティカルな間違いを起こすことに長けた女だが、身の程を弁えているとも言えた。両親が結婚式に金を出すことをやめ、挙式に両親と兄弟しか呼ばなかった結果、母のもとには「娘の結婚式に呼んで欲しかった」という親族のクレームがあほほど届いたようだが、それを自分のところに堰き止めて我々にあげてくるようなことはしなかった。いまだに孫のできない母のもとにはやはり母の友人や親族から様々な噂をぶつけられているようだが、やはり母はそれを私に伝えて来はしない。金や物のやりとりはほぼないが、口を出してはこない。新居にやってきたこともないし、親戚の行事はおろか盆正月に帰らなくとも本気で怒ってきたりはしない。親子や親族と思うとはっきりいって私の態度もどうかというレベルだが、まあうっかり関係性を持ってしまった大人同士だと思えば別に悪くない距離感だった。しょうがない。私が母をあまり愛していないのと同様に、母もあまり私のことが好きではない。まあそれはいいじゃないか。未成年だった頃の自分には悪いが、不運だったことよりも運があることに目を向けたほうがいい。義母が私に貢いでる額が結構やばいこととか、遠方から会いにきてくれたからといって気前よく食事を御馳走してくれる友人が何人もいることとか、誕生日プレゼントを気まぐれで送ってきてくれる可愛い弟のことなどに感謝したほうがいい。そういうものに囲まれて私は大変心穏やかに過ごしていた。
のだが
困った話だ。
まあまず、「日本では子供が親の両親の還暦を祝うのが風習」などと、どの口がいうんだという話だ。人生のここだけはというところで間違いを犯してきた女が。ここだけはというところだけ金を出して欲しかった女が。
びびる。まじでびびる。
さらに困ったのが母親の還暦ではなく父親の還暦という点だ。母と父は同い年ではなく、父の方が先に還暦を迎える。
繰り返しになるが私は父とはかなり気が合う方だと思う。今でも共通の趣味のことでは時々連絡を取る(会ったりはしないけど)。お金のことは母だけが悪いとは言い難いので厳密な言及をするとそのあたり複雑なところだが、単純な子供心としては別に父のことはさりとて嫌っていないというのが本音だ。お前らなあ!今更どの口が!と大学進学や結婚式のことを持ち出すのは憚られる程度の好感度はある。
が、そもそも私は両親に物を贈ることに根本的な成功体験がないのだ。揶揄される未来ばかり想像してしまい、ただでさえない選択肢がどんどん狭まる。酒の趣味も知らない。何が好ましいかも知らない。どの程度のものを求めているのかも知らない。
世間の人は数万円もするようなものを渡したりするのだろうか。結婚式に出したお金がガチで0円で、今年の私の誕生日に渡したものの金額が弟より低かった両親にそこまでする義理があるとも思えない。
さてどうしたものか。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
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近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
いくらリベラルがマイノリティに配慮してほしいって主張して、そのときは「うんうん、理解できる。そうだね。」みたいな好感触を得られても、日本人の大半はすぐにケロっと忘れちゃうんだよ。
日本人の大半は産まれたときにお父さんとお母さんがいて、祝福されることしかイメージできないんだよ。
虐待されてたからそんな思い出がないとか、親がいないとか、そんなことは全く想像できないの。
赤ちゃんの出てくるコマーシャルをイメージしてみてよ。お父さんとお母さんに愛されてる赤ちゃんばっかりでしょ?
お父さんとお母さんのいない赤ちゃんだっているんんだよ、配慮してあげようよ、なんて言ったって大半の日本人には理解できないんだよ。
理解できないならまだいい。それどころか「そんなこと言ったら何もできないじゃん」とかバッサリ斬られておしまいなんだよ。想像力のかけらもないんだよ。
亡くなった人には子どもがいて、孫がいて、みんながお葬式をやってくれますよ。そんなイメージしか大半の日本人にはできないの。
孤独死する人だっている。お葬式もできない人もいる。むしろそういう人がこれからどんどん増えてくる。それでもそれを言ったらやっぱり「そんなこと言ったら何もできないじゃん」ってバッサリ。
これだけグローバル化が進展してるんだから外国人だってたくさん住んでるはずなのに、大半の日本人はそんなことこれっぽっちも考えない。
せいぜいアメリカとかヨーロッパとか、百歩譲って中国とかの人しかイメージできない。そんな人たちがたくさん暮らしている事実を無視して、日本には日本人しか住んでないような顔して日々暮らしてる人ばっかりだよ。
結局、日本人は自分たちと同じようなライフスタイルの人のことしか想像できないし、そこから外れた人はいないものとして扱ってるんだよ。
二大政党が綱引きするのが良いとよく言われるけど、これ何か理論的な根拠あるの?他に健全化の方法はないの?
たとえば企業なら、社長と副社長が社内政治で足を引っ張り合うよりも、団結して協力しあう方がうまく経営できるでしょ。
腐敗や迷走を防ぐには株主や社外取締役がオブザーバーとして目を光らせてたり、監査組織のチェックを入れたりみたいな、経営者(政党)とは別の立場の監視役で回すモデルだし。
他にもたとえば公務員なら、腐敗を防ぐために頻繁に異動させるやり方をしてて、これは頻繁な与党野党の政権交代に似てるけど、このやり方は深い経験が蓄積されないし、責任を持って長期プランに取り組まないというデメリットも生むのでときどき問題視される。
教えて、詳しい人。
局ごととは言わんからせめて番組内でテイストを統一してくれないか?
ちょっと前の「GoToでお得ですよ〜!今週はお得なプラン大特集でーす」からの「感染終わってからのキャンペーンだったのになんで政府はGoToやったんだよ!!(怒)」っていう棚上げコンボは
日を置いてたり感染状況の変化っていう要素もあるからモヤモヤしつつもまぁ…みたいな部分はある。
「皆さん密を避けてマスクをつけるなどの基本的な感染対策をお願いします」(ノーマスク)
「東京の人出はあまり変わってないですねぇ…」(東京のスタジオから)
けどこれは二重人格とか自己矛盾というよりマスコミの特権意識が原因のような気もする。いつも通りというか。
最近一番クソなのは散々オリンピック開催不安視というか半ば「もうやれねぇだろ」みたいな空気感出した後
「次はスポーツです♪」ってガラッと雰囲気変えて明るい口調で何の躊躇いもなくオリンピック代表候補の活躍紹介する事。
これはどう考えても二重人格だろ。
作ってて何の違和感もないならあたおかじゃん…
本来、こういった投稿をすることは心憚られるものではあるのですが、
宿に対して過度に中傷する事を私は望んでいませんので、何卒そこはご配慮のほどお願い致します。
日光金谷ホテルを知らない方にお伝えすると、
東照宮など世界遺産のある栃木県日光で、一番有名なホテルです。
現存する日本最古のリゾートホテルとよく言われる格式高いとされるお宿です。
ずっと憧れのホテルでもありました。
日光は数回訪れた事があるのですが、神橋の先の歩道から洋風建築のホテルを見上げながら、
「いつか絶対行ってやるぞ」なんて事をずっと思い続けていました。以前より強い幻想を抱いていたんです。
まず宿に着いてチェックイン。
コロナ対策もあって健康状態や海外渡航歴、鼻水や咳などの風邪症状がないかなどのチェックとサインを求められます。こんな世の中ですし仕方ありません。
有名な金谷ホテルのパンやお土産を買おうと売店に向かいました。
財布や口座の残高なんかを気にしながら、何を買おうか?なんて悩んでいると、引くくらい大きな咳の音が。
「ゴホゴホ…ゲホゲホ…ゴホッ」
こんなご時世で怖いなぁ…どんなお客さんなんだろう…
マスクしているとはいえ流石にこれだけの咳をしていると、このご時世恐怖です。
結局、3000円分のホテルクレジットは食品で無いもので済ませ早々とその場所を立ち去る事にし、
楽しみにしていた金谷ホテル特製のパンやケーキ等は買わず、部屋に戻ることにしたのでした。悲しい。
客側には検温やチェックリストへの署名などを行うにも関わらず、スタッフ側はどうなってるのか…
旅の高揚感は一転してホテルへの不信へと変わるのでした。
追い打ちをかけたのは客室内のトイレでした。
客室内のお手洗いの便器には以前宿泊された方が残したであろう大便の跡がくっきり残っていたのです。
このコロナ禍において衛生面への配慮は最大限行われるべきであり、
当然ですが格式高い日光金谷ホテルにおいてトイレの清掃が出来てない事なんて想定など出来ている訳もなく、
便を足す前に気づいた茶色い跡に脳みそが追いつかず、便意を忘れ何回も振り向いてしまいました。
気がつけば夕食の時間。
フレンチの料理では豚のソテーと牛のステーキを選択する事ができます。
味はそれでも絶品。
やっぱり一流のホテルのディナーは違うな。
そう思っていた矢先、出てきたのは豚の料理。
これには流石の私 も
「違います、私は牛のステーキを頼みましたよ」と咄嗟に声を出すと、
「只今お作り直し致します。しばらくお待ち下さいませ」と豚の料理を下げていきました。
謝りの言葉は無いんや…
謝罪もないまま10分程その場で、ステーキ用に取っておいた付け合せの焼きたてのパンも冷め、食前酒のワインも減る中で、
一人で机の上で携帯を弄る自分の姿がとても惨めに映って、涙が出そうになりました。
10分後「申し訳ありませんでした、牛のステーキになります」とようやくの謝罪と正しい料理をお出し頂きましたが、
もう味なんかわかりません。
心が冷めているのですから。
その後も、気になる事はいくつかありました。
楽しみにしていたホテル自慢のバーは緊急事態宣言で休止中のため、
せっかくのリゾートホテルでも夕食後は何もすることがありません。
ルームサービスを頼もうとするも、夕食が終わる時刻(19時半)には終了しているようでした。
せめて瓶ビールくらいは頼めても良いのでは?とも思うのですがね。
いや、1階よ?w
あなたが今いる、そんなに広くないこのホテルの、それも1階ですよ?w教育どうなってんの?w
「一緒に探すのお手伝いします」
なんて言われて、乾いた笑いが込み上げる。
イベントの日払いバイトでも、もっとちゃんとしてる気がするんだけどなぁ…
酔って忘れられたら良かったのに。
翌朝の朝食。
水を注ぐときの勢いが強い。
このオムレツをずっと食べたいと憧れてたのに。
チェックアウトを済ませお金を支払いホテルを出る帰途、思わずそのレシートを投げ捨ててしまいました。
(ポイ捨てしてごめんなさい)
こんな事なら旅行なんかしなきゃ良かった。
こんなホテルに3万円も支払う虚しさに耐えきれなくなりそうでした。
憧れのホテルに泊まれるんだ、そう思うとその前の週は一週間ずっと浮かれていました。
期待値が高すぎたのかもしれません。
正直、自分ひとりで金谷ホテルの通常料金を出すのは厳しい身分で、緊急事態宣言で安くなっていたからこそ泊まった、泊まれたというのはあります。
普段の半額程度で泊まったのですから、宿のほうも最低限の人数で、最低限のサービスしかしない(できない)という理屈も脳では理解はできます。
それでも一泊一人3万円という金額は、僕のような貧民にはとても大きくて、
自分は、ご多分に漏れずコロナ禍の影響で仕事も色んな苦しい事がたくさんあって、
それに重なって今年に入ってツイてない事もいくつか重なったし、定期預金も満了になってお金も少しはできて、誕生日も近いし、立春だし(?)
心機一転、少しでも気分を晴らして頑張っていこう。
そう思ってこの旅行に行くことを悩み、決めました。
(近い人に基礎疾患持ちの人がいるので旅行に行くことに罪悪感さえあり、直前まで悩みました。)
ホテルの接客態度からは、おもてなしの心が感じられませんでした。
そんな印象を受けました。
最近のツイてなさ、色々な苦しい日々も相まって
厄払いもお願いしておけばよかったな。
気分が乗らず、元々予定していた中禅寺湖や華厳の滝方面への旅程はキャンセル。
予定より4時間も前倒しをしたスペーシアで日光から出て、浅草で安酒を飲んでベロベロで帰りました。
帰ってきたら愛用してたワイヤレスイヤホンも無くなってました。ツイてないな、俺。。。
◎最後に
職場の人に話したところ、匿名でこちらに投稿すべきだと言われたので投稿することにしました。
今現在、苦情のメールの返信が遅いことも現在進行形で納得はいってないけど、起きた事はもう仕方ないです。
これから、他の人がこんな目に遭わなければいいなって思ってます。
twitterでフォローしてる人の話。前々からモデルやアイドル的なことだけでは稼げないのか、アパレルやらコンカフェやらで働いているが、今のところ落ち着いてる模様。
コロナ禍でいつの間にかfantiaも始めていて、結構な人数加入していた。月1000円くらいのプランで300人とか。
なぜ結婚しているかと推測しているかだけど、共通の男フォロワーが「結婚しました」と言って「新婚旅行で(場所)に行ってるよ!」というツイートがあったのが発端。
色々あげられている旅行先の写真を見て、いいなー楽しそうだーと思ってたら
というツイートをしたのが見えた。
あー偶然同じとこに行ってるのかなーと思いきや、若干の時間のずれはあれど男フォロワーと同じとこの写真やん!しかもホテルの写真もほぼ同じやんけ!
となり、この二人結婚したんだなーというのが同時期のツイートによって結びついてしまった。
いや別に結婚してもいいんだよ。仲良かっただろうし、ちゃんとフォロワーも祝福してくれるとおもうし、俺もお祝いしてやらぁ!
でも知り合い女性側から全然そんな報告がないし、むしろ雲隠れするかのように色々な女性に「結婚しよ」みたいなムーブをしている。
その矢先にファンティアでパトロン募集してコンカフェで働きだした。
そうやって知り合い女性を知った何も知らない男たちがどんどん課金していくのが可愛そうでならない。
まぁ何が言いたいのかというと、
結婚してないと明言しないままfantiaで稼いだ金で食う飯めっちゃうまそうだな
ってとこで
追記:
あのブログみてわかったけど、こういう系統の人って文字を文字でみて判断するんだね
「真っ当」といえば、その意味とか状況とか結果の例とかたとえとか字面とか雰囲気とか人の引用とか
「真っ当」とは何かという事についてまず一旦考えないんだよね
その言葉がどんな意味かということは別にして発言者は言語を情報として伝達したいわけではなくて
複合的な情報を判断基準の方向づけに選択肢の幅を広げたりするために例えて言語にしただけなんだよね
「真っ当」とは、辞書に書いてある意味はこうだがそれでよいか、などと聞き返す必要もないよね
いつか当たるかもしれないと親の金で宝くじを買い続けたりすることが「真っ当」なのか
自分が憧れたり役に立ちたいと考えている相手に対して何を行使すれば達成できるのかが「真っ当」なのか
私の思う真っ当はこれだ、という返答をもらったらそれ以上はなにも言えないわけだし
要するに喩えとか文字で伝わるかとか伝えやすいかとかで表現したりすることは余計にこじらせるようにみえる
なんでも自分の武器に取り込んで、それをつかえばマルチでもいいってことですよね、みたいにしてしまう
自分の口から自分の理解で言葉をつくらせないとアドバイスするたびに深みにはまっていきそう
・買わされるだけの客でいるのはエンドユーザーだけだろう
・売る側として成功するなら直営専属代理店ではなく雑貨屋くらいからではないか
まず売れもしない商品を買うのは自分がその商品の最終消費者になるものだけ
買ったはいいが使わないけど、売れないすなわち捨てるしかない、そんなものを買わされるのはどう考えてもおかしい
嘘でもいいから「売れすぎて入手困難、これ世に出したら大金になってしまうので転売禁止」とでも銘打ってる商品ではあるべきじゃない?
だれでも定価で買えるものを頂くのに会員になる必要とかそれを売ることをチャレンジなんていう必要がない
次にその商品だけしか売れない商売ってそれこそ「売ったら確実に金になってしまうので売る人間を選定する」専売でないと意味がない
先述と同じくほかから安く必要なときに近くから買えばいいだけなのであなたが頑張る必要がない
似顔絵なりキーホルダーなり版権使用料を負けてくれるとかキャラクタの商用利用を許可してくれるとかあるべきが会員だろうし
その売り上げをプペるのはなにも問題ないでしょう
売り上げて返せる見込みがあるのなら、そのプランを言葉で説明して第三者に理解してもらって
信頼してもらって義務を果たせるならお金なんていくらでも借りれます
クラウドファンディングが成功した、ってそれは大道芸でお金をせびったのと同じでしょう
自分の見た目という体一つで稼いできたお金でプペろうというのは生産をしないで自分の体を消費して稼いできたお金ですよね
お金を返す予定で借りる、返せるだけの努力をどこにできる、そんなプランがあってはじめて「なにかをできる人」ではないでしょうか
チケットさばいてきてと言われて「はい」と返事できることがクラブ内での「信用」でそれをしたから「信用」をつかって他の人にも自分のチケットを売れますか
自分がライブをするといえば西野クラブの人たちは買ってくれますか
そういうところだと思うんですよね
言葉でこれを伝えても「言葉はつたわった、だから私は絵本を買ってチケットを買って売るね」になるという事をなんと言えば伝わるのだろうか
たぶん伝わらない気がする
するようになった、というよりもできるようになったが近いかな
週5勤務のうち4日は在宅勤務で1日出社なので、日常生活でお金を使う機会が極端に減った。
減った出費を挙げていくと以下の通りで、1年間で貯金に回せるお金が80万くらい増えた。
スーツ、Yシャツ、スーツ着るときの肌着、スーツ着るときの靴下、革靴
と消耗品の買い替えは出社が5分の1になったので必要なくなった。
それが在宅勤務は3食自宅でとるようになり、朝食以外の2食は自炊なので、食費は減った。
在宅でスマホをwifi接続にしていると毎月1G以内で収まるようになったので、
タバコは吸わないが酒を飲む。
でも、外で酒を飲む機会が極端に減った。
会社の飲み会がゼロになったことに加え、夜の街クラスターもこわいなぁと思って家飲みになった。
酒代はかなり減った。
月に1-2回は参戦していたライブが全部なくなったので、チケット代・グッズ代と遠征費がほぼ0円になった。
オンラインライブは2回くらい視聴したけど、あれはやっぱりダメだ、現場の空気が感じられない。
少なくともこれnoteでやっちゃアカンやつだと思うんだけど、noteのガバナンスってどうなってんのまじで!?
オンラインサロン in the Concept 開設|俺と僕のジュニアブログ【ビーンブラザーズのじゅんや】|note
要約すると。
俺はお金配りおじさんと同じことをやる。
というコンセプト。ここまではまぁわからんでもない。あえて名もない若者を介してやる理由が全く思いつかないがまあいいでしょ。
・コミュニティに大きな貢献をしている証として、C(oncept)または概(念)の文字を名前に入れられます。(マツダ・C/概・ジュンヤのような。)
・事業貢献人として、名前を載せることがあれば載せます。(ポートフォリオなどにどうぞ、noteに書くことが多いと思います)
アウトオオオオオオ!!!
なにこれクッソわらうんだけどw
これ自分ではめっちゃ賢いと思ってるんだろうけど、なんで今まで同じことやった人がいないと思ってんの。
あとこの人、やってることが割と典型的な詐欺手法で使われるポンジスキームに近いのだが。出資してくれたら高配当で還元するからって言ってるのと同じだよね。noteってこういうことやっていいんですか?。
やろうと思ったら簡単に詐欺的な行為を働くことができてしまうということにnoteの闇を感じてしまう。
noteはこういうスキームでやってる人が、ちゃんと不正をしないかどうか監視する仕組みあるの
しっかしまぁほんと言ってることが全部西野の受け売りそのまんまやな。
https://note.com/rebellion23/n/n49171ecc95c8
で、この人が書いたプペルの感想
https://note.com/rebellion23/n/n659879e3f004
自分の商売のためにプペルを最大限ほめたいというインセンティブを持つ人間人ですらこんな言葉しか出てこないというのが
逆説的にプペルの支持者層がどういう人かということと、プペルはほめようとしてもこんな感じにしかならないということをはっきり示してるな?
プペルそこまでダメなのか。たまげたなあ
俺はついさっきまではプペルたたきとか西野叩きって醜い嫉妬なんじゃねえかと思ってたんだけど。