はてなキーワード: プラスマイナスとは
そんな明確には決まってないが、プラスマイナス2歳〜3歳くらいだな。
そうそう。こういう「なんでそれ言っちゃうの」っていうのは男女ともにありえるんですよね。でもそれで関係性が壊れちゃうのは残念、というね。
あと男性観点だと「子どもができて幸せ」ってイメージしにくいんですよね。 私も子ども2人いるんですが、幸せが増えたか?ってーとビミョー。プラスマイナス、ゼロかな。私は嫁さんともっとイチャイチャしたいなー。嫁ラブ。
増田だと男女の話題って多いじゃないですか。なので男女の幸福度について調べてみたりもしたんですが、子どもが増えることによって男性の幸福度が上がる、というのはあまり見ないのです。
逆に女性観点だと子どもが増えることによって幸福度が上がる、というのはちらほら見かけます(産後クライシス、みたいな話がある一方で不思議なんですが)
まとめ:
クソ要素が強すぎるアニメはそれはそれで面白い→人間の脳はマイナス方向の刺激を反転させてプラス方向に解釈できるのでは?
面白い部分とクソな部分がはっきり切り分けにくい作品だとプラスマイナスの反転部分を見出しにくくて見づらい。
つまり→視聴者に優しいアニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか?
思いっきりクソな要素は笑える。
面白い部分もあるけど、駄目な所は本当に駄目なアニメは面白さとクソさの混ざり具合で評価が大きく変わる。
面白い部分とつまらない部分が切り分けやすい作品だと(脚本はいいが作画は崩壊している等)、面白い部分はそのまま楽しんで、つまらない部分はギャグとして楽しめる。
面白さとクソさが複雑に混ざり合っていて切り分けが難しいと、プラマイが打ち消し合って楽しめない。
つまり理想的には、強烈に面白いアニメ、強烈に酷いアニメのどちらかに触れているのが視聴者に愛されるアニメとなるのだ。
さて、ここで疑問点が生まれる。
面白さの波は小さいがクソな部分が少ないアニメはそれはそれで面白く人気があるのは何故なのか。
とにかく揺れ幅が大きいほど良いのなら、プラスにもマイナスにも幅が小さい作品はどうなるのか、である。
それは、アニメ視聴用の脳回路は整流回路だけでなく増幅回路も備えているからだ。
小さな波が続くのならば、それを増幅してやればいい。
まったりとしたアニメを見る時はそのまったりに心の有り様を合わせればいい。
そしてそこに、まったりアニメで鬱展開が嫌悪される理由がある。
もし心を繊細に緩やかにしてやってくる刺激を増幅している時に鬱展開が唐突にやって来ればどうなるか。
わずかなプラスの揺らぎを感じるために調整した脳に、強烈な負の揺らぎが飛び込んでくるのである。
出社の時間が近づいてきたので急いで結論をまとめる(増田にも下書き機能があればいいのに)。
視聴者に良い(優しい)アニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか。
だが、前もって予告されていたのならば視聴者は頭の中にその為の回路を用意し、もしも作品の流れが急変したらそちらにすぐ切り替えるための回路も用意できる。
たとえばまどか☆マギカは初期から不穏な空気が流れていたし、けものフレンズはセルリアンとの戦いを何度も繰り返していた。
これらのアニメは一見玄人向けに見えて、実際はかなりマイルドでユーザーフレンドリーなのだ。
では、ユーザーに優しくないアニメとはどんな作品なのだろうか?
それを口にするといわゆる「アンチと信者の聖戦」が始まるので今回はそこには触れないでおこう。
おわり
父が生後1週間の娘に言った言葉。
昔から皮肉屋だった父だけど私が産んだ孫娘には目尻を下げっぱなしで、この言葉もきっと照れ隠しで出てきたものなんだと思う。私は父にそんな言葉を掛けられることにすっかり慣れていて、そういうときいつもそうするように「まあね、そうなんだよねー」とその場では笑って流してしまった。
夜になってその日の父との会話を思い出すと、なんだか娘に呪いを掛けられたようで無性に悲しくなった。何より私がその場で否定しなかったことを、娘に対して悪いことをしてしまったと感じて後悔した。
それからしばらく、母乳を飲んだあとにふにゃふにゃとぐずったりうとうとしたりしている娘を眺めた。私はあまり子供好きなタイプではないから子供が生まれたらちゃんと可愛がれるのかと周囲に心配されていたようだけど、自分でも驚くくらいに子供が可愛くて仕方ない。この子は、いや、全ての子供は大切にされるべきものなんだと思うようになった。
小さな頃から私が父の照れ隠しの冗談で何度も何度も浴びせられた「将来どうせクソババアになるんだ」とか「美人でもないのにお洒落をしても仕方がない」とか「お前のオムツを替えさせられたときは割れ目の中にまでびっしりクソが詰まっていて参った」とかの台詞に腹が立ったことは沢山あったんだけど、父を不機嫌にさせないように笑って流してきた。
それがやっぱり流せていなかったみたいで、娘の顔を見ていたら、かつてはこの子のようだったはずの子供の頃の自分がかわいそうに思えてきて悲しくて思い切り泣いた。泣いてから、でもあの言葉は受け入れなくてもよかったんだなって思って、私は40歳になってもクソババアにならなくていいんだし、美人じゃないけどお洒落も楽しんでいいんだし、自分に落ち度がない失態は恥じることないんだなってやっと納得がいった。これからもっともっと楽しく暮らせそう。
子供を産んでよかったなあ。
それから、次に父の失礼な冗談が娘に向けられたら私がすぐに否定してあげようと思う。父が不機嫌になったって別にいいんだ。
うまくまとめられなかったので少し補足すると、父は毒親というほどの毒親ではないけど皮肉屋で不機嫌になりやすい人。
母は優しい人だけど父の機嫌を損ねることを恐れていて、父には強くものを言うことはなかった。
私はひねくれながらも楽しく暮らせる大人になれたけど、自分のことは何かみっともない存在だとしか思えなくて、子供を産むことについても私なんかの血を受け継ぐなんてかわいそうなんじゃないかと悩みまくって、でももう半分が夫の血なら、プラスマイナスゼロくらいにはなるかなって思って産むことにしました。夫は優しくて最高の人です。
10年以上様々な地下アイドルを推しているオッサンなので不覚にも涙腺にキた。現在アイドルと呼ばれている子も卒業した子も膨大な数なので、元増田がまさか私が過去に推していた子ではあるまいとは思うが、もしかしたら見たことぐらいは有るかもしれない。いや、推していたどの子にも「今普通に幸せだ」と言ってほしいと言う希望的観測だ。
今更説明するまでも無いことだが、地下アイドルと呼ばれるような売れていないアイドルたちは、現役時代も引退後も闇が深い。リスカ、メンヘラ、枕は当たり前で、突然消えたと思ったら、しばらくして2ちゃんねるに「どこどこのデリヘルでヤれる」と書き込まれる。アイドル本人が勿論一番大変なのだが、我々ファンにも闇に疲れてファン活動を辞めてしまう者が多々現れる。あるいは、常に新しい地下アイドルを追い続けて、消えた子のことは考えないようにするしか無い。
書かれている通り、「〇〇さんみたいな女優さんになりたい」「△△さんみたいなシンガーソングライターになりたい」と言うアイドルは割と存在する。しかし今のところ、自分が推しているアイドルがそういったステップアップの夢を叶えたのは見たことが無い。大人に騙されていると感じることは多々ある。実際のところは知らないが、事務所に所属していても、ボイストレーニングやダンスや演技のレッスンには多額のレッスン料がかかり、アイドルとして活動すれば割安で受けられるという話も聞く。叶わない夢を人質にとって、アイドルとして搾取している面は否定できないだろう。
元増田が現在幸せであるのは、勿論本人の意思や判断力ゆえだが、周囲の大人に恵まれていたのではと想像する。アイドルが売れるか否かも、壊れるか否かも、運次第の部分が非常に大きい。
ブクマコメントを見れば、淡々とした文章からでも元増田の人柄というか、内に秘めた輝くものが琴線に触れている人が何人かいる。こういった、普通の女の子なんだが、少しだけキラリとしたものを感じさせて、どことなくイイなぁと応援したい気持ちにさせるのが、アイドルと言う生き物なのだ。その輝きを見たくて追い続けているのに、彼女たちの夢は叶わずどこにも行けず、不幸になるだけだとしたら、一体自分は何のために応援しているのだろう。
売れないアイドルをやっていたことが、プラスになってほしいとまでは言わない。せめて元増田のように、全てのアイドルが卒業後にプラスマイナスゼロで新しい人生を送ってほしいと心から願う。
そのため、普通の人が考える「プラスマイナス0の状態」からの節約談義は実現できない。自転車操業だ。
また、貧困者は我慢ができない。我慢が効かないというわけではない。人並み以上の我慢はしている。金がないから当たり前だ。
しかし貧困者は将来の見通しが立たないことが多く、我慢をすることで得られる対価をイメージできない。
ダイエット中、一ヶ月間で体重が減らない人間が食欲を抑えられるわけがなく、貧困というのは、年単位でその状態が続く。
3つめに、社会には「普通を外れないように」「維持すればお得」というベクトルの効力はあるが、普通を外れた人間にはほぼ意味のない継続負担を強いるものが多い。
これらは大抵の場合支払うことができず、負債となって貧困者にのしかかる。
そのため貧困者は上記の状態に陥り、どんどんリカバリーが難しくなる。
催促も頻繁に起こるようになり、インターホンや葉書、封筒が恐ろしくなる。
ストレスに耐えられなくなり、思考を停止してしまう。これが鈍する理由になる。
これらの要因が重なり、金銭的にも心身にも余裕が無いため
普通の人間が普通に判断する改善方法を教えられても実行することができない。
つまり、まとめて買った食材の代金を日割りしてカップラーメンと同等の値段ならもっとマシなものが食べられるなどと諭しても
まとめて買う金も用意できなきゃ食材ロスをゼロにすることもできないため実行できないのだ。
ちなみに私の例を挙げると、月9万円の収入で賃貸の最低限の生活を維持し、50万円の借金と数年分の保険料と税金の滞納(税金は強制徴収があるので半年に一度くらい精算されるが、その分借金がふえる)
というのを5年ほど続けた。
金麦の方が突っ込まれてる金額が多いのかそれとも頂が完全にスベったのか金麦の方が知名度ある
数字で言えば2007年7月の全く下品ではない檀れいのCMの方がずっと成功してた
今年の夏に関してはデータの通りお察しな結果。炎上させても金麦の方が上でした
っていうかウェブ上では金麦がプレモルとかスーパードライよりネームバリューあるのは感心した。ウェブ検索する層とマッチしてるからか
それを差し引いても2007年はすごい。ここまで流行らせるのはかなり金つぎ込んでる
どの商品にどれだけかけたかまで情報なかったから、予算が原因で炎上マーケティングに手を染めたのかどうかまでは分析できなかった
炎上させてどれだけ企業にとってプラスマイナスあるのかは分からないけど、金麦のCM観て女性のターゲット取り込んでこの結果なのと、頂で真逆の結果になるのは分かるし、まともな想像力のある人間なら最終的な結果は当然分かると思う
すさまじい叩かれぶりに驚いた。
kamayan1980:「『許されてはいけない表現はある』ねえよ、(略)」
ってほんとにそうか?
少女を騙して暴行を加える漫画は同人界隈では自由に描かれてしかるべきか?
漫画アニメに限らないだろ、という意見には同意しておくとしても
だって語彙に、思考のクセに、脳内モノローグに、影響を及ぼしつくしてる。
大好きなセリフが、目に浮かぶ情景が、頭で鳴りつづけるアニソンが、各人の性格形成に影響無いはずないだろう。
もしかして: と頭の中の言葉はグーグルの予測変換のように連想されて、
俺の場合の多くは漫画アニメから抽出される。思考の大部分を占めている。
体は?と聞かれたら「剣できている。血潮は鉄で心は硝子」だし
明日って?と聞かれたら「いまさ!」なんだよ。
なぜ助けた?って聞かれたときに「さあな そこんとこだがおれにもようわからん」って答える準備はバッチリだし
世話かけるな って言われて「いいよ」って返すのを待ち望んでいるんだよ。
勇気の出し方、
あげちゃってもいいと考えること、
ほんとのピンチには逃げること、
納得をすべてに優先すること
運命との決着のつけ方
もうだれも恨まなくていいこと
嫌なことあっても元気でいいこと
何者にもなれないこと
泥なんてなんだいってこと
飛べない翼に意味があること
世界を、自分さえも変えてしまいそうな瞬間はいつもすぐそばにあること
いくらでも思いつくし、ちょっとしたきっかけがあれば頭の中で音と色を伴って再生される。
浸って味わって、助けられ打ちのめされ勇気づけられてきた。
そういうプラスマイナスそれぞれの作用があること自体を否定はしないだろ?
言いたいのは、フィクション作品が現実に及ぼす影響は当然あるのに、抑制は本当に必要ないのか?ということ。
そこを見て見ぬふりして既存の文脈に乗っかるだけで表現の自由だけ叫ぶのは果たして正しいのか、とも。
少なくとも俺は、少女を誘拐して暴行するような様子を描いて追体験できる作品なんて、フィクションノンフィクション問わず、いかな魅力と興奮を伴う作品だとしても、ことごとく無くなっちまえばいいと思うんだよ。
それが実際には難しい問題だとしても、責任を負うことなく好き勝手に自由に描かれて流通していいものじゃないだろ。何かブレーキが必要という意見を支持するぞ。
だって多感な時期に出会う創作物に性的趣向が影響受けまくることに、各々自覚がないわけじゃないだろ?
追記:コメント返信。最速トップブコメに敬意を。他の皆様は→anond:20170615211337
whkr : 世の中の大半の人間は、創作で気分に変調をきたしても、いざ犯罪行為に及ぶ前に理性でブレーキをかけるものなのだが、そういうのに自信がない増田のような人間の責任を、表現者が負わなければならないのだろうか?
→そうそう俺の理性は危ういんだよ。そして貴方の理性も常時万全とは限らない。表現者が犯罪者の責任を負うことは俺も望まないが、「この作品が世に出てどんな影響があるか?」と想像してときに自主規制するくらいはするべきなんじゃないか。それは今十分?
正確には愛したいとか一緒に居たいとかなんだけど、恋愛というには恋愛の定義が曖昧すぎるから、少なくとも法律では一緒です、という表明として結婚したい。
面白味のない名字だから結婚したら名字を変えなきゃなので、色々面倒だけど、それでも表明したいという気持ちが先に来る。
どこに表明するかは知らない。
それで、なんでそんな気持ちがあるのかと、結婚のメリットについて書いてた増田を読みながら考えてたのだけど、それは私が半端であるという意識によるものだと思う。
なんというか、どちらでもない人には申し訳ないけど、人は殆どが、ちんちんあるのと、まんまんあるのとに別れて生まれてくるわけで。
細胞ちぎったら新しいのが生まれるとか、出会ってじゃんけんして負けた方が男になるとか、そういうのでも良いのに、そうじゃない。
私がおこがましくも好きになる相手は単純に雄と雌との関係じゃなくて、なんというか、もっと根源的に陰陽とかプラスマイナスぐらい反発しあう習性を持ってる。ひとつで完全無欠に永遠であるものなどこの世にはない。だからこうやってぐちゃぐちゃに生まれてきたんならオルファンだってそうだろ!自分の反対にあるものと戦って探しているものがあるだろ!ビープレートとかもうひとりのオルファンとかさ!オーガニックで有機的なものが一つのものであるわけはないのに!
結局半端もんの私は恐らく戻りたいのだ半端でなかった生まれ来る前に。で、それは恐らく私一人ではどうにもならない。じゃあ二人でどうにかなるかというとそれも難しい。たぶんもっと必要だ。でも現行の法制度では二人以上は養子とかになってしまうので現実を生きる私たちにとって二人が限界。だから補完しあえるひとと結ばれたい。すくなくとも私はね。
でもって実は、結婚以外でこういう気持ちのはらしかたを知っている。それは海だとか山だとかあるいは空気でも構わないけど、オーガニックで有機的な体積の大きなものと一体になっているように思い込むのだ。
オーガニックで有機的なものはひとつじゃないけど、体積の大きいものは小さいものにくらべて、ひとつに近い、と思われる。だから、海とか山とか空気とかとひとつになったつもりでいれば、他者に頼ることなく半端でなくなった、気がする。
でもそれは嘘なんだから私がオーガニックで有機的である以上、そして半端もんだという自意識がある以上、誰かと一緒にという気持ちは出てきてしまうし年々大きくなっていく。海のキャパを越え始めてる。
だから私は結婚したいのだし、難しいのは承知のうえで、いろいろ変えようと思ってるし、でもそれは非モテをやめるとかでなくて、非モテの私と補完し会う相手を求めてこうと、つまり、ああ
こりゃモテないな。
たとえば風呂に入るとき、夫は椅子やシャワー、ナイロンタオルといった配置を元の位置に戻していく
そこが片付いていた場合は片付いた状態に、散らかっていたら散らかっていた状態に「戻して」その場を立ち去るクセが、夫にはある
いつぞやの地震でバスチェアの上に置いてあった洗面器が転がり落ちたことがあったのだが(落下音が浴室からリビングへと響いてきたので分かった)、その後に入浴した夫は、わざわざ洗面器を浴室の隅の床に伏せた状態にして風呂からあがっていた
長年のそういった習慣のせいなのかは不明だが、夫の体臭は皆無と言ってよいほど薄く、寝息も殆ど聞こえないくらいに小さい
そのため、夫が隣に寝ているのにも関わらず、一人暮らしだった頃と錯覚して思わぬ独り言を呟いたり、「のび」や寝返りで夫にチョップやエルボーを食らわせてしまう事がある(それに関して夫は、単に私の寝相が悪いだけだと考えているようだ)
生活する上では「勝手に散らかされる、勝手に物を動かされる、相談もせず高価な物を買ってくる」という事はないのだが、その代わり「気を利かせて何かをしてくれる」といった事も一切無いので、プラスマイナスゼロか、割り切ってしまいさえすれば若干プラスくらいだと思っている
自分の結婚式に来てくれたので、もちろんお祝いの品を手渡しした。
高校時代からの友人で5人くらいが一緒につるんでいて、今回結婚した友人が一番最後に結婚した。後はみんな既婚者で、彼はそれぞれの結婚式に参加していた。
しかし今回、結婚式をしないからと彼にお祝いを贈らないと言った奴が、その5人内2人もいた。
曰く、ご祝儀とは結婚式をする場合負担にならないよう包むものだから、という認識らしい。
でもさ、式をしたほうから言えばプラスマイナスゼロだとしても、参列した方からしたらマイナスだ。
祝いたい気持ちがあるからとは言え、同じようにお返しするのは人と当然だと思うのだが。
ちょっとびっくりして妻に聞いてみたら
「そういう残念な人、結構いるよ」とのこと。
そういう人は普通にいるようだが、人としてどうなんだろう。
他人事ながら、高校時代から5人でバカやって仲良くしてきたけど、なんだかわだかまりが残る。
ご祝儀を贈らないと言った2人の経済状況は悪くない。むしろ平均からして随分いいほうだ。
悪気もないだろうし、おそらく親からそう教えられたのだろうと思う。
でも、お祝いしてもらったら同じようにお返しするのは当然ではないだろうか…。
なんだか自分のことじゃないのにこんなに悩むのがバカらしいが、今回結婚した友人にそれとなく聞いてみたら
「何とも言えないよね」とのことだった。
お祝いしてもらったお返しはする。
これがマナーというものだろう。マスコミさん、芸能人のスキャンダルよりあちこちで論じられてるこの問題についてもっと報道してくださいよ。
実際は2~4万円ぐらいのプラスになりそうだがほぼないも同然。
勉強した分野の仕事を求めて人間よりイノシシやシカの方が多そうな田舎から少しだけ都会に出てきたが、昨年激務と通勤電車に堪えられずパニック障害を発症。
ろくに動けなかったり働けなかったりしていたら僅かに貯めていた貯金はすぐに底をついた。
高校と専門学校に通うのに借りた奨学金を毎月2.7万ずつ返済中。
収入が途切れても前年度の収入がある程度あると返還猶予制度とかが使えないのがキツかった。
地元の恋人と結婚して都会に呼び寄せ、妻も働いていたが、自分が力尽きたのとほぼ同時期に妻も都会に馴染めず体調を崩してメンタル不調に陥り、
生活が全面的に崩壊したので妻は一旦実家に帰って、実家の家事・介護の手伝いや週2でパートに出て実家に入れる食費と小遣いを稼ぎながら療養中。
今年に入って勤務先が移転したことで自転車通勤に切り替えてなんとか休職から復帰したが、相変わらず電車にはあまり乗れないまま。
投薬で体調が安定しなかったり、通院で定期的に早退する日があるので、仕事の負荷を下げることになって収入が30%ぐらい減った。
これから3年ぐらいかけて元の水準に近づいていくらしいが、現状としては二馬力前提の家賃が重い。
しかし貯金が底をついた後なので、引っ越すための資金が捻出できないでいる。
身内から引っ越し資金を借りようにも自分の親は片親で持病を抱えつつ生活保護ギリギリの水準で介護職しながら田舎で一人暮らしをしている感じなので頼れず、
妻の実家の方も介護の必要な祖父と定年を迎えて収入が途切れた内臓の悪い義父に数年前にガンになって働けない義母に加え、まだ私立大学在学中の年の離れた兄弟もいて、
体調を崩して帰ってきた娘に食費を入れてもらわないとやって行けない程度には金銭的に余裕がない。
付き合いのある親戚は数軒あるが、ここ数年で何かの呪いのようにバタバタと大黒柱が急死していてどこも頼れそうにない。
そんなこんなで独り暮らしに見合わない家賃に圧迫されて、割と切りつめてもほとんど貯金ができていない。
負荷を下げたはずなのにしれっと命じられた休日出勤帰りの財布の中身は137円。
どうも、id:BigHopeClasicです。
本当はこんな内容、自分ではてなブログに投稿したほうが見た目もきれいになるしいいんでしょうが、持続できないブログを作るのも気後れするので、増田を使います。
さて、掲題の件、はびこりそうな誤解がいくつかありそうなのが将棋ファンとして気になったので書こうと思ったものです。
「日本将棋連盟が三浦九段に対して、カンニングをしていないという悪魔の証明を求めた」
としか解釈できません。つまり、将棋連盟は三浦九段に対して、決定的な物証などを何一つ押さえないまま
この点については続報を待つ必要がありますが、あくまでも現段階での私個人の感想としては
「下策中の下策、愚の骨頂」
なるほど確かに、三浦九段が疑わしいとする複数の棋士からの申し立てはあったのでしょう。
連盟がそれを黙殺すれば、その疑惑が文春砲などで火を噴いた可能性も否定できません。
しかしながら、決定的な物証がなければ、いくら週刊誌が書きたてようが大きなダメージにはならないのは日本相撲協会と週刊ポスト、週刊現代の顛末を見れば明らかです。
大相撲八百長問題が警察からの情報提供で明らかになる前、週刊ポストは30年にわたって角界の八百長を告発する記事を書き続けてきましたが、その内容は元力士らの極めて具体的かつ迫真性のある証言に基づくものとはいえ、決定的な物証をおさえたものではなく、大相撲はそれによってはなんら決定的ダメージを負うことはありませんでした。
週刊ポストに対しては、日本相撲協会は徹底的に無視をし続けることで対応したのです。
また、週刊現代の八百長報道に関しては相撲協会と各力士は、週刊ポストとの対応とは一転して大量の名誉毀損訴訟を起こしそのことごとくに勝訴しています(週刊現代の八百長報道は週刊ポストと比較してもあまりにお粗末だった)。
日本将棋連盟は、こうした大相撲の八百長問題におけるリスクの評価と対策から何も学ぶことなく、あくまでも現段階の報道に基づくところからは、およそ愚劣な対応をしたと言わざるを得ません。
さて、上記とは別にこの問題が深刻なのは、自宅にあるパソコンを遠隔操作するまでもなく、2016年7月におけるスマホ将棋アプリの棋力は、渡辺明竜王、佐藤天彦名人、羽生善治三冠といったトップ棋士の棋力をすでに上回っているという有力な推測があるからにほかなりません。
「対局室へのスマホを含む電子機器の持ち込み禁止、昼食休憩時における将棋会館外への外出禁止」
を定め、これに違反したものは除名を含む厳しい処分を課すことを決め、さらに今週末から開幕する竜王戦では、対局者に対し対局前に金属探知機で持ち物チェックをするという対応を決めていたわけです。
(新聞報道ではこの金属探知機での調査については渡辺竜王、三浦挑戦者双方の同意の下とされています)
(なお、上記のルールは12月中旬から適用とある通り、仮にこの時点で将棋連盟が不正に関する動かぬ物証をつかんでいたとしても、それを三浦九段に対して遡及適用できないことは当然です)
この件を報じた朝日新聞の記事についていたブコメからいくつか代表的な反応を取り上げます。
b:id:temtex 仮に事実としてもだ、たかがスマホアプリでどうにかなるものなのか…と思ったら、別のとこで走らせたソフトの結果さえ判れば良いのか(但し"スマホ搭載"と記事にはある)。プロに勝てる有力なソフトってどんなの?
b:id:namnchichi スマホのアプリでタイトル取れるのか?
b:id:symbioticworm 現時点でスマホで走らせられる将棋ソフトなんてたかが知れてるから、不正があったとすれば外部との通信が必要なはずだけど。現段階では情報が少なすぎる……。
b:id:buu さすがにスマホ搭載のアプリじゃ参考にならないだろうが、協力者と連携すればカンニングは可能だろう。人間よりもソフトが強くなるとどういう将棋界になるのかと興味深かったのだが、こうきたか。
b:id:kaitoster 『対局中、スマートフォンなどに搭載された将棋ソフトを使って不正をした疑い』←スマホの将棋ゲームすでにプロのタイトルホルダーより強いソフトあるのかな?
なるほど、確かにプロ棋士とコンピュータ将棋が戦う電王戦ではコンピュータ将棋が大きく勝ち越しているとは言え、最新の事情を詳しくご存知でなければ上記のような反応は出てくるのが自然かもしれません。また、今回の当事者である三浦九段が電王戦に出場した際の対戦相手が、東大駒場の情報基盤センターの学生用iMac680台をクラスタリングしたGPS将棋であったことも、上記のような反応につながるかもしれません。そこで、これらの誤解を解消するため、コンピュータ将棋の現況について説明したいと思います。
まず、上記の三浦vsGPS将棋が行われて以降、ドワンゴ主催の電王戦では使用されるCPUが制限されています。この制限に基づき電王戦で使われたCPUは、2014年がcorei7 4960X(6コア12スレッド)、2015年がcorei7 5960X(8コア16スレッド)とここまではその時点で調達可能なcorei7シリーズのエクストリームエディションを使用していますが、今年2016年は世代こそ最新のskylakeとなったものの4コア8スレッドのcore i7 6700K、そして来年2017年の使用CPUは同じく4コア8スレッドのcorei7 6700と、使用するハードウェアの性能は年ごとに抑制されるフェーズに入りました。
ではそれによってコンピュータ将棋のパフォーマンスの伸びに制約がかかっているかというと、全くそんなことはありません。将棋ソフトponanzaの開発者の山本一成さんは、2016年電王戦開幕前に「corei7 6700K1台で動くponanzaは、iMac680台をクラスタリングしたGPS将棋より遥かに強くなった」と宣言しています。これは根拠のないことではありません。
現在フリーで入手できる将棋ソフトについては、有志が統計的に有意な手法を用いてその相互間の強さをeloレーティングを用いて計測しています。その一例として、こちらのウェブサイトがあります。eloレーティングの仕組みについては[wikipedia:イロレーティング]を参考にしていただくとして、目安としてはレート上位から見て下位に100差あれば期待勝率64%、以下同じく200差で75%、300差で85%、400差で91%、500差で95%、600差で97%、となります。
ponanzaはフリーで公開されていないため、上記のウェブサイトにはレートは計算されていません。しかし、2016年に電王戦に出場したponanzaは、このウェブサイトで「Apery twig」として掲載されているソフトに対し勝率97%を上げていることが、電王戦に出場した山崎隆之八段をサポートした千田翔太五段の調査によりわかっています。つまりこのponanzaのレートは「Apery twig」の3250に600を足した3850前後であろうと推定できます(なお、上記のサイトで検証に用いているハードウェアはIvybridgeおよびskylake世代の4コア8スレッドメモリ16GBであり、これは2016年電王戦における使用ハードと大きな差はありません)。
一方、2013年に電王戦に出場して三浦九段と対戦したGPS将棋は、この表に掲載されているGPSFish(レート2879)をスレーヴとしてこれを680台クラスタリングしたものでした(厳密に言えば電王戦に出場したGPSfishはこれより一つ前のエディションですが大きな棋力向上はないものと仮定します)。この680台クラスタリングした際の棋力向上幅については、GPS将棋開発チームの田中哲朗東大准教授が、根拠は全く無く経験に基づく推測にすぎないとしながらもレートにして400程度と語っており、これを採用します。
そうすると2013年電王戦のGPS将棋の推定レートは3279となり、2016年電王戦ponanzaとのレート差はおよそ570、ponanzaから見た期待勝率は96%となります。わずか3年の間に、コンピュータ将棋は1台のデスクトップPCで、680台のパソコンをクラスタリングした将棋システムに96%勝利する成長を遂げたのです。
(なお、コンピュータ将棋がかくも異常な速度で成長したのは、ドワンゴが電王戦において「使用ハードウェアの制限」と「提出後対局まで6ヶ月間一切のアップデート不可その間棋士は研究し放題」という条件をつけてしまったからだと考えています。こんな条件をつけなければ開発者はここまでしゃかりきに強化はしなかったはずです。ドワンゴがコンピュータ将棋の大会に出してる優勝賞金の300万円なんて開発費の元手にもなりゃしないし、強いコンピュータ将棋を作ったって売り物にはならないので、モティベーションはこんな厳しい条件のもとで恥をかかないためにはひたすら強くするしかない、ってとこだけなんですから)
もうひとつ、これらの将棋ソフトとプロ棋士の強さの関係はどうなのだということも前提として必要になります。まず、プロ棋士のレーティングについては、こちらのウェブサイトが現在最も信頼され参考にされています。eloレーティングは、基準となる値を何点に設定するかで絶対値はいくらにでも設定できますが、上記の点差と期待勝率の関係は基準値を何点にしようが変わらないので、異なる基準値をとる異なるレート表間での比較が可能になります。
さて、コンピュータ将棋の公開対局場として、GPS将棋の開発チームが開設しているfloodgateというサイトがあります。ここでも参加者の対戦成績に基づいてレーティングが計測されています。また、この対局場は、コンピュータ将棋だけでなく人間も参加することができます。このfloodgateに、一時期上記の千田五段が参戦されていました。その際に記録されたレートは2800ほどでした。千田五段が参戦されていた時期のプロ棋士レーティングにおける数値と、その当時の羽生三冠との数値の比較から、羽生三冠がfloodgateに参戦した場合の予測されるレートは3000から3100程度だろうと見込まれています。また、先に紹介したコンピュータ将棋レーティングサイトのレートは、floodgateのレートの数値と大きく変わらないようにする工夫がされています。なお、羽生三冠のここ数年のプロ棋士レーティングは時期による前後はあれど概ね1900プラスマイナス50程度であり、佐藤天彦名人や渡辺竜王の棋力もほぼこの幅に安定していて、現時点ではこの3人が名実ともにほぼ拮抗した最高レベルの棋力といえます。
ここから考えた際に、2016年電王戦ponanzaと羽生天彦渡辺といったトップ棋士の棋力差はおよそレート差800、ponanzaの期待勝率は99%超、という推測になります。第2期叡王戦本戦PVで千田五段が、羽生のponanzaに対する勝率を0.5%と仮定しているのは、まずこの推測に基づくものと考えて相違ないでしょう。もちろんすべての基準となるfloodgateでの千田五段の数値は、普通のプロ棋士の公式戦ではありえない短い持ち時間の下で行われたものであるため、実際の羽生とponanzaの実力差はこの通りではない、という反論は容易ですが、そもそも持ち時間が9時間に増えたからと言ってレート800の差は埋まるものではなく、コンピュータ将棋も持ち時間を長くすればそれだけ強くなることを考慮すれば本質的な議論とは言い難いでしょう。
ここまで長い前置きを置かないと、なかなかこの本題に説得力が出ないと思いましたが、いよいよここからが現在のスマホ将棋アプリの話題です。
これだけ強くなったコンピュータ将棋ではありますが、これまでは基本的にパソコン上で動かすものでした。スマホ用の将棋アプリも多数出てはいましたが、プロ棋士の最上位に匹敵すると見られているものはありませんでした。
ところが今年の7月、android用の将棋アプリとしてshogidroidがリリースされます。これ自体は将棋ソフトのGUIであって思考エンジンはないのですが、このshogidroidの売りは、今年の6月に一般公開された当時の最強フリー将棋ソフト「技巧」をandroidスマホの上で動かせるようにしたことでした。技巧の強さは先のコンピュータ将棋レーティングサイトで4コア8スレッドで動かした際に3578。ponanzaの3850には及ばないとは言え、今年6月当時ではponanzaに次ぐ2番めに強いソフトで、人間から見れば驚異的な棋力です。
もちろん、この技巧といえど、その棋力がCPUの能力に依存することは言うまでもありません。しかし、スマホも今日日クァッドコアは当たり前、Huawei P9のようにオクタコアを搭載してGeekbenchを用いたベンチマークテストで高い数値を出すスマホもある時代です。第4回将棋電王トーナメントで3位になったやねうら王の開発者で、皆様もよくご存知のやねうらおさんは、2016年9月時点のハイスペックのスマホに、一切のスマホ用のチューニングを行わずに思考エンジンを搭載しても、レートの落ち幅は400程度と推定しています。この推定を当てはめて技巧をshogidroidで動かした時のレートを推定すると3178。やはり羽生天彦渡辺を上回っていることになります。実際にはもちろんやってみないとわかりませんが、あくまでも推測上では、すでに電王戦はプロ棋士対スマホで十分に成立し、それでもプロ棋士の分が悪いことが予測される段階に突入しているのです。
※ちなみに、先の電王トーナメントで優勝し来年の電王戦に出場する最新のponanzaは、今年の電王戦に出場するponanzaに9割勝つとの開発者山本さんの発言がありました。これを信じるならponanzaのレートは4200となり、スマホに積んでも3800で、やはり羽生三冠の期待勝率は1%に満たないことになります。
これが2016年10月における、スマホで動かすコンピュータ将棋の現状になります。恐ろしいことには、shogidroidは無料のアプリであり、その思考エンジンの技巧もフリーウェア。それを最高スペックで動かすHuawei P9は54000円で買える、というところにあります。この状況をどう考えるかは皆様のご想像におまかせします。
さて、お気づきの方もいるかもしれませんが、疑われた三浦九段の棋譜をソフトで検証してみれば白黒はっきりするのでは?と思われるかもしれません。しかしそれは極めて困難であると申し上げましょう。
まず、Shogidroidの上で動かせるソフトは技巧に限りません。その他のソフトも動かすことが可能です。次に、同じ将棋ソフトであっても、ある局面を検討させたときに導く最善手は、CPUの性能や検討させる時間によって異なります。そもそも将棋ソフトにはある特定の局面において常に同じ結果とならないよう検討においては乱数も使用されており、一局の将棋の棋譜からではその人がカンニングしたかを導くのは容易ではありません。
さらに、将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームである以上、ある局面における最善解というのが必ず存在します。ということは、その最善解を自力で導いたかカンニングしたかの区別は、着手から「だけ」では判定できないことになります。
以上の理由から、カンニングしたか否かの実験を第三者が行っても、その結果についてはいくらでも疑義をつけることができ、有効ではないと言えましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
お前は今まで心の底から渇望したことがないんだろう。そして、求めても得られず、何年も苦しんだことがないのだろう。あまつさえ、お前にとっての「プラスマイナスゼロ」になるために、ただ「ふつう」になるためにゴミのような境遇から這い上がらなければならない人間のことなど何も気にかけていないのだろうな。
俺はそれが許せない。
お前のように、何も求めずとも得てきた人間。
健康的な精神、健康的な肉体、趣味、友達、親、彼氏、社会的な成功、生きる理由などなくても生きられる暖かい暖かい生活をして生きたお前。
俺は憎悪する。
お前の境遇そのものではない。その境遇にあって何も感じず、その無知から軽い気持ちで他者を見下す前をこそ憎む。
お前が不幸になったときはゲラゲラと笑ってやろう。お前の子供が入院したときは鉢植えの橙百合を贈ろう。
それまでは幸せにな。無病息災でな。お前に何かあったとき、俺が耳元でゲタゲタと笑ってやる。
しかし俺は強烈に生きている。生きざるを得ない。お前の生活レベルに遠く及ばずとも、はいつくばっでも生きている。
お前、お前のような人間がいる。そのことにだ。
お前が憎い。
お前の文章のすべてが憎い。
夜景がきれいだとか、ここからの景色は雄大だとか。そういう気持ちでのぞき込んだのだろう。
お前はもうわかっているだろうが、お前がうらやむ綺麗な夜景にはゴキブリが生きるために蠢いている。
お前、お前を俺は許すことができない。
のぞき込むのは簡単だ。しかしお前のような人間が、「ふつう」を光り輝かせて上から降りてくると、それまで「普通」だと思っていたやつらは「俺は底辺だったのか」と意識せざるを得ない。闇の中で身を潜め、温めあってそれなりに幸せに生きていたのに、光をいきなり浴びせられ、自分たちがゴキブリだったと気づかせられる。お前にはわかるまい。
お前は罪びとだ。
しかし断罪はできない。するつもりもない。お前は罰を受けるべき人間ではない。幸せに、子供と夫と生きていけばいいだろう。
呪いを、恨みを俺が乗せる。
お前は幸せになるべきだ。俺たちを踏みつけて、生きていくべきだ。
お前を憎みながら、俺は蠢いていく。
いつかお前のレベルまで這い上がるのが俺の生きがいだ。そしてもっと上へ、もっとまともなところへ行きたい。
それが俺の生きがいになってしまった。
人間、本当に憎い時は息を吐くんだな。お前のおかげで分かった。
お幸せに。
生きがいなど幻想だ。
光を逃れて陰に入った安心感だけで生きていけるのだ。
ミニマリストのブログを見ると、彼らに子供が居ることは少なくないようだ。
彼らの子供は、親が実践しているミニマリズムというライフスタイルについてどう思ってるのだろう。口ではその時はパパママ大好き、物減って広くて遊べてすっきりしていい、と言ってるかもしれないが、思春期すぎる前の子供なんて、精神的にはパパママにおんぶにだっこのまともな判断能力のない子供だ。
自分がそうだったが、親が特殊なライフスタイルや特殊な教育方針をとっていると、子供に思わぬ不利益が振りかかることが往々にして起こる。
自分の場合、具体的にはゲーム買わない主義で、テレビ置かない主義で、菜食主義だったが、学校でテレビやゲームの話についていけなかったり、牛乳有害説を根拠に給食のとき牛乳を飲まないように言われていたし、そのせいか友達が少なかった。それがコミュ障に発展したのかもしれないし、俺がチビなのはたんぱく質不足が原因なのかもしれない。一方で菜食主義のおかげか病気をしたことはないし、しょうもないテレビに時間を費やさなくてよかったとも思う。プラスマイナスでどっちにころんだかは自分にもわからないが、今では適度に肉を食い、適度にゲームをする普通の家庭のほうがよかったと思っている。
世の中にはミニマリズムに賛同する人もいれば、ありえない、人間じゃない、馬鹿みたい、不便だろ、自己満足だ、といった印象を抱く人もいる。どっちが正しいのかはわからないが、ミニマリストが少数派であることは確かだ。親が少数派。なかなかしんどいことだ。親はそこまで考えて行動しているんだろうか。
少なくとも自分は選挙権あるけど別に「都民」じゃないと思う。「職場と住まいが東京都にある」というだけ。
職場も「作業を賃金に交換する場所」であって、なんかこう、「そこでの働き、そこに自分がいることを必要とされている場所」みたいなのではない。「居場所」じゃないというか。
「住まい」もそう。単に寝起きする場所、私物を置いておく権利のある場所って感じ。一人暮らしだし。広いロッカーみたいな。
だからなんか、オリンピックの不正とか都知事の金の使い方がメチャクチャとか、ああいう話が微妙に他人事。他人事っていうとアレだけど、要は「自分にはコントロール不能な領域での話」って感じで、「あ、やっぱ何かアホなことやってたんですか。へー」みたいな感覚。
そりゃ「税金返せや」と思わなくはないけど、どうせ返さないんじゃん? いや都知事は返すとか言ってるけど、アレって都の予算とかに戻すって話で、この俺の手元に戻るわけじゃないし。
だったら都知事責めてるヒマあるならそれを作業を賃金に交換する時間に充てた方がいい。
職場が自分にとって「作業を賃金に交換する場所」であるように、職場にとっても俺は「代替可能で要らなくなったら捨てられる歯車」でしかない。そういう働き方の方が(少なくとも「アットホームな職場」よりは)気性に合ってると思えるので、労基法さえ守ってるならそういうドライさ自体には文句はないが、そうは言ってもカネを作っておいた方があとあと困らないのだから、そっちのが断然優先順位高い。
オリンピックとかそもそも開催に同意した記憶がないんだけど、「反対とは言ってない=賛成・同意」みたいな感じでいつの間にかやることになってたし。個人的には「返上して保育園作れば? ニーズあるんだし、カネもできたじゃん」って感じだけど、これだって「絶対保育園作って欲しい」とかではない。子どもいないどころか結婚してないしアテもないし、昼間は仕事してるから住宅街がうるさくてもわからないし。プラスマイナス問わずいろんなベクトルにおいてビタいち関係がない。
なんていうか、都政を改善しようと動くことで、自分に発生するメリットが何ひとつないんだよね。
いや、「自分にメリットが発生するように都政を改善しようと動けばいい」っていうロジックは成り立つけど、単身の労働者のために動くって要するに労基法に刑事罰とかじゃん?
それそもそも都政関係ない話じゃん。地方自治じゃなくて国家レベルのやつじゃん。
単身労働者にメリットって、なんか他にポイントあるのかもだけど、今そんなことアピってる政治家いないじゃん?
勘弁してよ。地方の立候補者って地縁とかあって支援者いっぱいいるじゃん。俺独り身で都には親戚もいないレベルだよ? 都内に住んではいるけど持ち家じゃなくて賃貸だよ? 働かなきゃロッカー代も都合できないんだよ。無理だよ。都政のために動くったって可能な範疇ってもんがあるでしょ。
今のところその範疇にあるのは選挙だけなんだけど、上記の通り誰に入れても同じことだからもはや誰に入れたのかすら覚えてない。投票率ガーとか言われるのがなんか癪だし、白紙投票は意思表示とは見なされないみたいなんで、毎回行くだけは行って投票はしてるんだけどね。アレだ、マックとか家入とかには入れなかったのは覚えてんだけど。
自分が東京都に住んでるのは単に職場があるってのと、持病があって病院通いにも都合が良いからにすぎない。
地方出身なので職場があって病院に通えるんなら地元に帰るのもひとつの手ではある。家賃が超安いか下手すると実質0円なのは最高に魅力的だ。
でも地元には職がない。「『アットホームな職場』はイヤ」とか言ってる場合じゃないくらい職がない。
病院もない。いや、総合病院とかあるにはあるけど、交通が不便だっていうのに目をつぶるとしても、そこには俺の病気を診られる専門の医師はいない。県単位でいないようだ。
かといって東京都に根を張るのも難しい。なんだかんだ10年超えるくらい東京都に住んでるけど、全然「都民」て感じしない。
結婚して子ども作るか単身のまま持ち家持つか起業するかくらいしないと、今以上に「根を張る」ことにはならないんだろうなあ、と思う。
>トラバ周りの「男だけ昔の価値観から開放されてない~」みたいな言説がようわからん
でも、ここはフェミはてな村なんで基本的にキチガイ婆が多いんです。
世間一般では結婚できないで苦しんでるのは女性のほうが圧倒的に多いし
フェミは脳内で男女や正義悪、プラスマイナスを逆にして正当化する劣等脳が多いからね
そしてそれを同類で言い合って多数派を作ったら「それが正しい!」ってなるんですよ。
こういうキチガイが子孫を残さないでくれるのはとても良いことなので
http://anond.hatelabo.jp/20160315234709