父が生後1週間の娘に言った言葉。
昔から皮肉屋だった父だけど私が産んだ孫娘には目尻を下げっぱなしで、この言葉もきっと照れ隠しで出てきたものなんだと思う。私は父にそんな言葉を掛けられることにすっかり慣れていて、そういうときいつもそうするように「まあね、そうなんだよねー」とその場では笑って流してしまった。
夜になってその日の父との会話を思い出すと、なんだか娘に呪いを掛けられたようで無性に悲しくなった。何より私がその場で否定しなかったことを、娘に対して悪いことをしてしまったと感じて後悔した。
それからしばらく、母乳を飲んだあとにふにゃふにゃとぐずったりうとうとしたりしている娘を眺めた。私はあまり子供好きなタイプではないから子供が生まれたらちゃんと可愛がれるのかと周囲に心配されていたようだけど、自分でも驚くくらいに子供が可愛くて仕方ない。この子は、いや、全ての子供は大切にされるべきものなんだと思うようになった。
小さな頃から私が父の照れ隠しの冗談で何度も何度も浴びせられた「将来どうせクソババアになるんだ」とか「美人でもないのにお洒落をしても仕方がない」とか「お前のオムツを替えさせられたときは割れ目の中にまでびっしりクソが詰まっていて参った」とかの台詞に腹が立ったことは沢山あったんだけど、父を不機嫌にさせないように笑って流してきた。
それがやっぱり流せていなかったみたいで、娘の顔を見ていたら、かつてはこの子のようだったはずの子供の頃の自分がかわいそうに思えてきて悲しくて思い切り泣いた。泣いてから、でもあの言葉は受け入れなくてもよかったんだなって思って、私は40歳になってもクソババアにならなくていいんだし、美人じゃないけどお洒落も楽しんでいいんだし、自分に落ち度がない失態は恥じることないんだなってやっと納得がいった。これからもっともっと楽しく暮らせそう。
子供を産んでよかったなあ。
それから、次に父の失礼な冗談が娘に向けられたら私がすぐに否定してあげようと思う。父が不機嫌になったって別にいいんだ。
うまくまとめられなかったので少し補足すると、父は毒親というほどの毒親ではないけど皮肉屋で不機嫌になりやすい人。
母は優しい人だけど父の機嫌を損ねることを恐れていて、父には強くものを言うことはなかった。
私はひねくれながらも楽しく暮らせる大人になれたけど、自分のことは何かみっともない存在だとしか思えなくて、子供を産むことについても私なんかの血を受け継ぐなんてかわいそうなんじゃないかと悩みまくって、でももう半分が夫の血なら、プラスマイナスゼロくらいにはなるかなって思って産むことにしました。夫は優しくて最高の人です。
もういいんだよおばさん
最悪のクソじじいだな。
ふつう、そこは「その頃にはあんたは白骨だよねえ」って返すとこじゃないのかな?
今日も女は毒親叩き