正確には愛したいとか一緒に居たいとかなんだけど、恋愛というには恋愛の定義が曖昧すぎるから、少なくとも法律では一緒です、という表明として結婚したい。
面白味のない名字だから結婚したら名字を変えなきゃなので、色々面倒だけど、それでも表明したいという気持ちが先に来る。
どこに表明するかは知らない。
それで、なんでそんな気持ちがあるのかと、結婚のメリットについて書いてた増田を読みながら考えてたのだけど、それは私が半端であるという意識によるものだと思う。
なんというか、どちらでもない人には申し訳ないけど、人は殆どが、ちんちんあるのと、まんまんあるのとに別れて生まれてくるわけで。
細胞ちぎったら新しいのが生まれるとか、出会ってじゃんけんして負けた方が男になるとか、そういうのでも良いのに、そうじゃない。
私がおこがましくも好きになる相手は単純に雄と雌との関係じゃなくて、なんというか、もっと根源的に陰陽とかプラスマイナスぐらい反発しあう習性を持ってる。ひとつで完全無欠に永遠であるものなどこの世にはない。だからこうやってぐちゃぐちゃに生まれてきたんならオルファンだってそうだろ!自分の反対にあるものと戦って探しているものがあるだろ!ビープレートとかもうひとりのオルファンとかさ!オーガニックで有機的なものが一つのものであるわけはないのに!
結局半端もんの私は恐らく戻りたいのだ半端でなかった生まれ来る前に。で、それは恐らく私一人ではどうにもならない。じゃあ二人でどうにかなるかというとそれも難しい。たぶんもっと必要だ。でも現行の法制度では二人以上は養子とかになってしまうので現実を生きる私たちにとって二人が限界。だから補完しあえるひとと結ばれたい。すくなくとも私はね。
でもって実は、結婚以外でこういう気持ちのはらしかたを知っている。それは海だとか山だとかあるいは空気でも構わないけど、オーガニックで有機的な体積の大きなものと一体になっているように思い込むのだ。
オーガニックで有機的なものはひとつじゃないけど、体積の大きいものは小さいものにくらべて、ひとつに近い、と思われる。だから、海とか山とか空気とかとひとつになったつもりでいれば、他者に頼ることなく半端でなくなった、気がする。
でもそれは嘘なんだから私がオーガニックで有機的である以上、そして半端もんだという自意識がある以上、誰かと一緒にという気持ちは出てきてしまうし年々大きくなっていく。海のキャパを越え始めてる。
だから私は結婚したいのだし、難しいのは承知のうえで、いろいろ変えようと思ってるし、でもそれは非モテをやめるとかでなくて、非モテの私と補完し会う相手を求めてこうと、つまり、ああ
こりゃモテないな。