はてなキーワード: テンプレートとは
これはアニメけものフレンズ1期の序盤で薄々気づいていたんだけど
最近のメディアミックスは、原作や設定のつながりなどを大事にする
昔のメディアミックスは、同じタイトルなのに作品によってガラッと話が変わったりする
これはおっさんならわかるかもしれない
1990年前半までは、漫画やアニメというのは1話完結に近かった
だからメディアミックスも、設定やキャラだけなんとなく同じであとは別物ということが多かった
売れたらアニメ化、売れたらドラマ化、売れたら映画化で、その中身はほとんど別物という感じだったと思う
それから2000年に入ってメディアミックス全盛期になってきてもまだ繋がりは薄かった
「ひょっとしたら地続きかも」と匂わせる程度だった
そういった状態だと、当たりとハズレが出るし、アニメは見たけど漫画は見ないとかそういうのが当たり前だった
例えばアニメにハマった人を漫画に誘導するとか、グッズを買わせるとか
一個の世界観を作っていろんなチャンネルでビジネスを展開し、長く愛されるコンテンツ=財産を作っていこうというのが方針だ
旧来のメディアミックスになくてIPにあるのは「話の繋がりの強さ」、「話のテンプレがある」当たりだと思う
たとえば原作が漫画の場合だと、映画化してもストーリーは一緒だし設定は大事にする
これは昔だと考えられなかったことだ
IPは「話の繋がりの強さで他のメディアに誘導する」か、「勝ちパターンを作ってナレッジを貯めていく」という戦略が主だと思う
その他に模索されてる方法として「同一キャラクター方式」「勝ち作品にのっかる」があると思う
同一キャラクター方式は見た目と性格は似てるのに、ストーリーや設定の違いが出るので別物扱いされる
当たり外れあるが、業界的には外れが多いので平均すると負けるだろうし、設定の食いつぶしも起きて徐々にやりづらくなる(ソシャゲに似てるね)
ここらへん、分かりやすのがアイマスで、「同一キャラクター方式」を捨てて「勝ち作品に乗る」「勝ちパターンを作る」にシフトしたと思う
(XENOGLOSSIAが2007年。ちょうどメディアミックスからIPへという時代だった)
これは擬人化の元ネタに興味を誘導したいのだろうが、うまく行っていない
結局「ストーリーの繋がり」「勝ちパターン」「勝ち作品に乗っかる」のどれかを選択するしかない
それでようやくけもフレの話だけど
これまでゲーム、漫画、アニメ1、アニメ2、舞台、そしてまたゲームが出るが
繋がりが弱い、勝ちパターンがない、というキャラクター同一方式=昔のメディアミックスだ
けもフレに感じるモヤモヤは、おっさんなら昔懐かしいモヤモヤなんじゃないだろうか?
結果的にうまくいってない
アニメ1期が奇跡的に成功したが、その勝ちパターンはアニメ2期へ引き継がれず、監督の別作品に生きてしまっている
外注先にナレッジが溜まるという、いろんな業界でみかけるやつだ
ついでに何でこうなったか考えてみると
原作がある場合は原作愛で割とどうにかなるのだが、原作がない場合は厳しい
だというのに主導している方々はさほどIPに慣れていないらしい
そしてあまり利益追求で始まったプロジェクトでもないとも書かれている
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395
というわけで、不慣れな人材によるチャレンジのようなプロジェクトだったわけで
なるようになったのだろうと推測する
そもそもの失敗として、利益追求型プロジェクトではないのにIPを目指しているあたりがおかしいのではないだろうか?
https://www.bandainamco.co.jp/group/ip.html
もし「作りたい作品を」「長く愛されるものを」作るなら、1メディアに集中するべきなのではないだろうか
私は車椅子を使っている。
結構色々な所へ出かけるので下手な駅員よりも私のほうが駅のどこにエレベーターがあるのか詳しいくらいだ。
昨日も東京メトロを利用した。
どこの鉄道でもそうだが必ず改札で「何駅まで行きますか?」と聞かれる。
そして私がどこどこ駅までお願いしますと言うと、本部かどこかに連絡をとって迎えの人が来てくれる。
そして降りる駅でも駅員なり警備員が待っていてスロープで降ろしてくれる。
メトロは駅員さんも警備員さんも愛想のいい人が多く色々世間話をすることも多い。
本当に助かっている。
車椅子生活になった時には死にたかったが、人生楽ありゃ苦もあるさとはよく言ったものだ。
しかしたまーにふと思う。
もし私に自由に動く足があれば好きな駅に降りれたのにと。
「あ!今何々デパートで北海道展やってるのか!途中下車しちゃおうかな」
とか
「たまにはあのラーメン屋行きたいからやっぱりもう一個先の駅まで行こうかな」
とか。
フラットな道を整備し、エレベーターを作り、ハードを整備しますよ。それがバリアフリーですよ。
そんな風に世間が手を差し伸べてくれる状況を享受する私がこんな疑問を持ったらバチが当たるかもしれないが、もっとこう根本的な心の自由がほしいと思うのだ。
以前アメリカへ旅行した時何よりも驚いたのはハードの充実だけではなく、私と同じような車椅子を使う人達がもう驚いちゃう位「堂々」と好きなように人生を楽しんでいることだった。
好きな場所で食事し、お酒を飲み、インスタ映えするものを片手にスマホで自撮りしている。
そして健常者の人達も車椅子を使う人達をこれといって特別視しないし、なにか問題が発生しても「段差があるの?いいよ、手伝ってやんよ」みたいなフランクなノリで当たり前にちょこっと助けてくれる。
「段差のある道は通れないからこういうルートで何々が~」とか一々大げさではないのよ。
みんな好きなように生きてて、それを健常者も車椅子を使う人も当たり前に享受してる。
そして「おもいやり」なんて大げさな言葉ではなく、お互いがお互いを支えてコミュニケーション取り合うのが普通になってたのよね。
贅沢かな?贅沢だよな~。
でもさ、お金をかけてたくさんハードを作りまくるよりきっと皆が幸せになると思うのよ。
にも関わらず、将来的には私が駅員や警備員に頼まなくても好きなように電車で乗り降りできる未来が来てほしいなと贅沢な夢を見ている。
少しだけの段差ならスロープがなくてもほんの少し手伝ってもらえれば電車の乗り降りは出来る場合が多いのです(重かったらごめんなさい(;_;))。
「次の駅で降りたいのですこし手伝ってもらえますか?」
もしもこんな風に健常者の人とフランクに話して当たり前に手伝っていただける時代が来たら素敵だなと夢見てます。
丁寧でなくていいし、テンプレートもいらないんですよ。
特別なことや形式ばったおもいやりではなく、「降りれなさそうだから支えてやるか」位の軽い気持ちでやってくれれば凄く嬉しい。
(前にある展示場で警備員さんたちに階段で介助してもらった時「その言葉使いはダメだ!」とか注意されてる警備員さんがいて、「私はヨッこいしょういち!位のノリでいいですよ」と言ったらスルーされた悲しい思い出(T_T))
感情のままに書きました(;^ω^)
そうなんだよ
あれをどこにでもいる一般人が趣味で書いた読み切り漫画だと【信じて】開いている層がまだいるんだよ
そこで見つけたアマチュアを応援する、これ本にならないかなと期待していいねとRTをする、そういう目的の奴が少なからずいた
実際少し前はそうだった
いつからプロの単行本宣伝(Twitterでバズって書籍化したやつじゃなく最初から雑誌に載って普通に単行本化したやつ)が混じるようになったのかはわからないが、とにかく昔はなかったものが今はある
その過渡期についていけない奴らなんだ、俺らは
そして俺らは今回の話題で学んだ
ちゃんとした作品タイトルがあるのにそれを書かず、○○が××する話というテンプレートに収めてバズればいいと思っている漫画家がいること
面白ければプロだろうがアマだろうがどうでもいいと思っている人間がいること
隠れた才能を発掘していたつもりの俺らはいつの間にか覆面被ったプロに踊らされていたこと
俺らの求める【隠れた才能のアマチュア】はこの方法ではもう見つけられないこと
アマチュア発掘して【この作家はワシが育てた】気取りのことをしたいならTwitterじゃなくてよそのお絵かきSNSに行ったほうがいい
『女はポルノを読む―女性の性欲とフェミニズム』とか、実際に統計とったりしてて面白いですよ。女性だって性的消費をする、を前提に、レディコミにおける前戯に費やすページ数とか、女性向け雑誌に寄せられた性の悩みの傾向とか、BLにおける気持ちの通じ合い方のテンプレートとか数字つきで調べて「こうじゃない?」って考察してるし、作者も「男性の性的消費に対してそりゃ色々言いたいことはあるけど、女も(っていうか性を理解する年齢の人間は誰でも)自分が性に関して精神的に無垢(絶対的に搾取される対象)であるという幻想は捨てた方がいいと思うよ」って言ってるから増田さんには合うかもしれません。
僕は東京でスタートアップで一応CEOをやっている、とは言ってもまだ1年も経営してないが。
スタートアップでまだサービスも開発中でろくな利益も上げられていない、そのような時期があると思う。そうなると基本的にスタートアップはエンジェル投資家やVCなどから投資を受けることになるだろう。
端的に言うと僕はこのVC選びを間違えた。その一部始終を後の人の戒めとして残しておこう。
あ、ちなみにこれは個人のバイアスが掛かりまくった意見だからな!!参考程度にしとけよ!!
去年の9月、僕は起業しようと決意し、いろいろエンジェル投資家を回った。
僕は、僕の知り合いがこのVC調達しており、このVCの内部の人間から出資の提案が会ったため受けようと思った。
ピッチ資料も作った、デモも会った、アイデアも僕は世界を変えれるほど素晴らしいものだとおもっている。一般的なエンジェル投資家やシードメインのVCのへの対策は完璧だ。
「P/Lはどうなの?」
ということだった。
向こうはまだこっちが1ヶ月も経っていないことを、まだP/Lを作る段階にすらいないことを知っているはずで
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
しかし、言われてしまったものは仕方ない。再来週までに作っておいてと言われたので、僕はいくつかの仮定から収益に関する数理モデル(Not 統計)を構築しそれをもとに想定されるP/Lを作った。
そして、再来週のピッチでその想定P/Lをみせ、収益が上げられることや将来性があることを頑張って説明した。
それで言われたのは
「それ確実なやつじゃないよね(意訳)」
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
まあ、数理モデルも統計データから作ったものではないし、この微分方程式はそこそこ難しかったと反省し、類似サービスに関する統計データからもう一度モデルを作り直し、再来週もう一度ピッチした。
データソースも見せ、これから作られる想定P/Lも、改善したデモも見せた
それで言われたのは
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
正直、この時点でここから受けるのはやめようかな…と思っていた。
このVCには三人の人がいて、
一人がエンジニアで、サービス開発会社をやっている方だ、エンジニアとして素晴らしい方だと思う。この人をTさんと呼ぼう。
一人が元投資銀行の人で、気さくで知識も豊富で信用できる人だった。この人をKさんと呼ぼう。僕はこの人がいるからこのVCから受けようとおもったところはある。
もう一人は元日系銀行の人で、とにかく融通がきかない、リスクを取らない、意思決定が遅い、自分の考えが絶対正しいとおもっていて、お金周りしか見ない(サービスに興味がない)と、なんでこの人シードに投資してるんだ…?という感じの人だった。
しかし、正直あまりサービスを見る目がないらしく投資の失敗例の方がよく聞くぐらいだった。
またKさんとSさんは投資先の選定基準も違ってたらしい、Kさんが良いとおもったところでも独断でしないことを決定したりしたらしい、その逆もしかりだ。
今思えば、この時点で個々からは手を引いたほうが良かったのかもしれない。しかし、当時の僕はKさんにいろいろ恩が会ったことから恩返しも含めここから受けようと思っていた。
しょうがないと思った僕は類似サービスのデータのみを出した。正直スライドを作るのめんどくさくなっていた。
次に言われたのはCPIを出してということだった。
確かにCPIとかわからないと戦略立てづらいよなぁと思った僕は、僕のチームの人にマーケッターの方を紹介してもらい、類似サービスのCPIや収益率などを教えてもらい、それをまとめ次の週に説明した。
そして言われたのが
だった。
正直僕はこの時
と内心思っていた。
まあ、マーケッターが信用出来ないんだろうと思った僕は、CPIの計算式で使う各種値をデータから試算し、また説明した。
そして言われたのが
「それ信用出来ないよね」
だった。
正直僕はこの時
「何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた
その後、次週また話すことになった。
サービスの開発も、バックエンドやレコメンドエンジンの開発を覗いてストップしたままだ。
正直疲れ果てていた。
次週の話し合いでは今までと打って変わって、どのような内容で契約するかという話になった。
ちなみにどうやらKさんの強いすすめで手のひらを返したらしい。
今までのは何だったんだ…と思いながら、契約書のテンプレートを元に話を進めていった。
ここでも一悶着が起きる。
なんと向こうが提供する、起業に関するサービスを使わないかということを勧められた。
このサービスが株式をVCに33%、協力開発会社に33%渡すことで、開発やマーケティングを勝手に行ってくれて企業価値を早く上げるというものだった。
…正直使いたくない。VCが出すお金も少なく(200万程度)、僕の会社はテクノロジがコアの会社なので協力会社はいらないし、もっと言うと、協力会社はTさんがやっている会社なので実質このVCに66%株式を渡す形になる。
これは僕達みたいなお金がないスタートアップが使うサービスでは無いと判断した僕はこの提案を断った。
しかし、向こうはグイグイおすすめしてくる。しかも向こうの言い振りは「このサービスを使えば企業価値が簡単に上がるのに使わないのは馬鹿だ」といったカンジダ。
ちなみにこれを勧めてきたのはSさんだ
とりあえず僕は来週もう一回回答するという形で先延ばしにし、次週にもう一度使わない旨を伝えた。
このときも前の口ぶりで勧めてきた、めんどくさい。
なんとか使わない形にでき、5%で200万と言う契約になった。
ちなみにこの時、いろいろ支援してくれていたKさんはすでにこのVCにはいない。投資銀行からスカウトされ投資銀行に転職したのだ。
Kさんが私物をまとめている時、僕も手伝っていたのだが、Sさんに対してかなりアレなことを言っていたので、やっぱり他の人のSさんの印象もそんな感じらしい
さて、投資周りの話もいろいろ終わり、開発と追加調達に向け動いている最中にそれは起こった。
「サービス変えない?」
と急に言いだしたのだ。
どうやら某検索大手のG社のサービスが僕たちと類似サービスを行っている(ちなみに内容はぜんぜん違うサービス)ということで勝ち目が無いので変えようと言うことだった。
しきりにSさんはこのサービスを褒め、G社が作ろうと思えば僕たちのサービスなど簡単に作れること、このようなサービスが最近ローンチされたのだから、僕たちのサービスがいかに勝機が無いか語っていた。
僕は提供する内容の違いや、UI/UXの違い、アルゴリズムの違いなどを説明した。
いや今でもしていないかもしれない、していたらまともに話せそうだから。
ということだった。
話をしていて薄々感じていだが、Sさんは絶対にtoBサービスにしてほしいらしい。
サービスの説明も、戦略も、違いも何度もせつめいした。また取ったアンケートも見せ説明した。
そして帰ってきた言葉が
「君はこれが失敗しても会社を畳めば良いが、私は200万というお金を失う、リスクは取れない」
という言葉だった。
正直僕はこの時
「ハイリスク・ハイリターンなのがシード投資なのに、何いってんだ…?このハゲは…」
と内心思っていた。
もっというと
「なんでこの人は投資家をやってるんだ…?」
とも思った。
現在もこの話し合いは続いている、正直今は投資契約を白紙に戻す可能性の方が高い。まじでSさんはめんどくさい。
1.P/L見せてと言ってきた時
2.想定P/Lにいろいろ言ってきた時
4.変なものを勧めてきた時
などだ
2/15 追記
もともと今の会社ではVB.NETによるWindowsFormの案件が主流だった。
本当はASP.NET MVCかJavaでやりたいけど、上の事情によりPHPでやってる。
本来のオーバーロードがないこと、LINQに代わるものがない(仕方無くGINQ使ってるけど
それでもまぁ、サーバーサイドのロジックをゴリゴリするのは楽しい。
問題はView(HTML)だ。Smartyのテンプレート飛んだり、CSSに飛んだり、JavaScriptファイルに飛んだり
しないといけない。IDE上で新たなエディタタブが増えるたびに嫌になる。それはNetBeans使おうが、
PHPStorm使おうが同じ。
自分が集中したいドキュメントと、デバッグの過程で開いちゃうどーでも良いドキュメントが、
とにかくごっちゃになって開かれているのがつらい。
俺が集中したいソースファイルのタブだけ、特定の場所で開いてくれたら良いのに。
最近はPHPファイル開くのはOKだがその次の流れでViewのテンプレート開かないといけないときに
先日、一人の友人の部屋に遊びに行った。便宜上、彼のことは〝彼〟と表記する。
初めて会った時から変なやつだとは思っていた。ろくに授業も聞かず、学校も部活もサボってばかりいる割にテストの点だけは良くて、ラノベの主人公みたいだという印象があった。
帰り道が同じ方向なので、僕はしょっちゅう〝彼〟と一緒に帰っていた。話してみれば面白いやつだった。僕も根は真面目ではなかったので、〝彼〟とは仲良くやることができた。
進んだ高校は別々だったが、もう一人別の友人を交え、僕たちは三人でことあるごとに集まった。
いつも遊ぶ場所は僕の家だったが、ある時〝彼〟の家に遊びにいく機会があった。
〝彼〟の家はすごく辺鄙な立地で、信じられないくらい細い路地を進んだ袋小路の先にあった。
外観はゴミ屋敷だった。銭湯の下駄箱とか、シーサーみたいな動物の置物とか、そんなもんどこで拾ってくるんだよと尋ねたくなるようなゴミで溢れかえっていた。
内装はバカの家だった。玄関のドアを開けるとまず真っ先にバカみたいなサイズの水槽の中に入った故の知れぬナマズみたいな魚と、明らかに飼い主の手に余っている気性の荒い大型犬が三頭出迎えてくれた。当然床はゴミであふれていて足の踏み場もない。大量の段ボール箱とか、いつ食ったのかもわからないコンビニ弁当のガラとか、とにかく生活感のあふれるゴミがわんさか転がっていた。あと窓ガラスが割れていて、ビニールテープで雑に補修してあった。
多分〝彼〟のご両親は頭がおかしいんだろうなと思った。先生の話を聞かないのも、一番身近な大人がちゃらんぽらんだから敬うことを知らないせいだろうと思った。
のちに聞くと、彼の父はDV常習犯の躁鬱病患者、母はそんな夫を見限ってまだ幼い息子二人と娘(〝彼〟には二歳下の妹と六つ上の兄がいた)を放って家を出て行ったのだとか。本当に両親揃ってダメ人間だった。
現在、〝彼〟のTwitterアカウントはFF比が3くらいあって、2000人くらいフォロワーがいた。投稿内容はアルファツイッタラーもどきの気持ち悪いツイートであふれていた。マッシュ頭に丸メガネというテンプレート通りの外見の自撮りを投稿して囲いのメンヘラ女を喜ばせたり、学問の話をして身内と盛り上がったりしていた。
あと〝彼〟は常に病んでいた。メンヘラというより厭世主義者で、誰かにかまってほしいから病んだふりをしているというより、本質的に狂っているような感じがあった。なにが面白いのかさっぱりわからない上に、なにか僕の感性の根本的な部分が拒否反応を起こすので普段はミュートしている。
〝彼〟の感性は普通ではない。太宰や芥川の作品のような雰囲気を纏う芸術の類ばかりを愛で、普通の恋愛とか、人間関係にはほとんど関心を示さなかった。恋人はいたし、その相手とは僕も交友があったが、やはりどこか壊れている女ばかりだった。援交でお金稼いでるとか、エロい自撮りを鍵もかけていないアカウントで上げているとか。
〝彼〟の感性は普通ではないから、部屋で遺書を見つけた時もただの悪ふざけかと思った。だって「遺書(これは常備のものなので私が死んでいない時には読まなくてよい)」とか書いてあるんだもの。けれど、悪ふざけにしては度が過ぎている。自殺する気があるのかどうかは知らないが(決してないとは言い切れない)、少なくとも常人よりは死を身近に感じているような雰囲気があった。
少し迷ったが〝彼〟は階下で僕と飲むためのお茶を用意してくれていたので、その隙に僕は勝手に内容を検めた。好奇心に負けた。
遺書は封筒にすら入っておらず、B5のコピー用紙の片面に印刷されているだけで、その乱雑さも〝彼〟らしいと感じた。
中には男女1人ずつのフルネームと連絡先が記されていた。男は大学で同じゼミに所属している人間で、女は元恋人だった。男には〝彼〟のスマートフォンの完全な破壊を、女には引き出しに入っているという手書きのメッセージを引き取るよう指示してあった。流石に女に宛てた手紙を勝手に読むことは良心の呵責が許さなかったが、いったいどんな手紙を残したのだろうか。(すでに良心が〜とかどの口が言うんだ、くらいのことをしているとは自分でも思うが)
〝彼〟は無駄なことをわざわざする人間ではない。誰にも発見されないかもしれないのに手の込んだネタを仕込むようなお茶目なやつでもない。
だからあの遺書は多分、本気で書いたものなのだろう。本気で彼はスマホの破壊と、童貞を捨てた相手にメッセージを伝えるくらいしか自分が死んだ後に望むことがないのだ。
言葉にし得ない虚しさがあった。育ちや環境に同情するには遠過ぎた。ただ、哀れに思った。
こんなことを考えるのは不遜にもほどがあるとは思う。人の遺書を勝手に暴いてこんなところに晒しておいてケチをつけるとは何事だと、これを読んでいるあなたはきっと思っていることだろう。
けれど、僕は悲しいのだ。仮にも数少ない友人である〝彼〟の人生が、こんな詰んだものであることが。
遺書には男の名を指して「君くらいしか頼める相手がいない」と書いてあった。
僕を頼れよ、とは思わない。だって僕は彼を救いたくないから。本当に気色悪いと思っている。
ただ、彼の人生が詰んでいるのが、ひたすらに悲しい。
〝彼〟はまだ生きている。3年前と同じことをツイートしている。
そして、僕の知らないところで人知れず死んでくれ。
・STL標準講座
・Effective C++
・Modern Effective C++
・Effective STL
15年かけC++を独学した。
ずっと一人で努力し、風呂、トイレ、布団の中でも勉強し、プログラムを書いた。
基本情報処理、ソフトウェア開発者試験、ネットワークスペシャリストとデータベーススペシャリストを取得した。
しかし、正社員はもとより、時給2000円の派遣プログラマも時給1200円のアルバイトもスキル不足で何十社受けても一社も採用されない。
とはいえ、面接官のレベルは「STLなんて初めて聞いた」「gccて何かの会社?」
「C++の企画書(誤字ではない)を書いてる人なんてのがいるの?」
「じょーほーしょりしけんてのがあるの?外国の話?」
独身で、一切を我慢して娯楽を全く体験しないまま40歳になってしまった。IT業界の人間すべてが恨めしい。
貯金100万もなく、素人が書いたプログラムに対して手順書のとおりにマウスを操作してエクセルにテスト結果を書くだけの仕事ばかりしている。
(締結した契約通りに顧客対応して下さい。顧客と営業にマニュアル渡してください。アホの営業がいるなら契約前に同席して下さい)
ていうか保守にしたって開発フェーズから保守の人間入れとけよ開発経験がある子にしてさ
(マニュアル作りや保守フェーズの手間を減らしたいならそうしてください)
コスト的に開発経験がある子を保守に据えるのは難しいのであれば
知識がなくてもわかるようなフローを作るのは当たり前のお仕事のひとつじゃないですかね
(お金がないなら仕方ないよね。でもテンプレートは作れるよね)
その上で1日に何件も何件もメールが来たりするんだったら根本的にどこかで間違えてるよ
※通じてないっぽいので補足した
すさまじく いろいろあるけど
ここに書いていることが だいたいプログラムの 雑な基礎のすべて
3)実行する
コレができるようになったら
1)IF文を理解する
1)いくつかの例題 ソートなど を通じて アルゴリズムを理解する
2)データーを食わせてみて、アルゴリズムごとに効率に差があることを理解する
1の構造と
2の効率化
この辺は絵で言うならデッサンをたくさんやって
お客さんのリクエストに応じて引き出しから構図を取り出すのに近い
こんなもんかな
https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
多分記事執筆者もコメントつけてる増田もレベルが高すぎて、世間一般の言語能力ってものを理解してない。この場合の言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。
例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。
上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースはアンケートやテストなどの方式なわけだから、自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。
ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割で情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間や場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれる情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力で一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。
もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語を抽出して脳内補完で意味を類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。
でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械は入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理の係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理の記述レベルで使えてない人間が過半数」というだけなのだ。
彼らの多くはそれで日常を問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者か対話者の口調や顔色で自明だから。助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。
はてなでコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育の問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。
ずっとそう思っている。
でも、何回もお断りをされ、「あなたは私をみていない(意訳)」と何回も何回も言われた。
いい人止まり。
人を好きになって結婚 じゃないんだと30に差し掛かろうとしている。
よく考えたら今までいい感じの女性が好きだったかと言われたらそうじゃない。役割を行使していただけ。
誕生日だからプレゼントをし、泣いているからマニュアル通り寄り添う。すべてマニュアル通り。
はてなで「お気持ち」という言葉があるが、「お気持ちを察することも大切」といいつつ、そのお気持ちを察することすらマニュアルで行使していただけなのだ。
いつの間にか、男の友達からはヤリチンといわれモテモテと思われている。女の心がわかっているという。
何一つわかってない。わかってないからテンプレート行動をし、良い所まで行き、最後の詰めで見透かされるのだ。女性はそんなに馬鹿ではない。
俺はクソだ。
やすりでガリガリと削られる心をどうしようもできず見ているしかできない。
17年前から、私用あるいはちょっとした仕事で、一時期は使ったり使わなかったりして、好きじゃないけどそんなに嫌いにもなれないフォトショップで、
フリー素材の写真を加工しては印刷所が作ったテンプレートファイルのトンボ内、100mm×148mmの範囲、自分がいいと思った場所に素材を配置している。
双極性障害Ⅱ型を患っている私の脳は時々まるで私がそう思っているように死のうとするのだが、
それは双極性障害がやらせていることであって「私が」死にたいわけではない。だから私の脳は何か作業をすると、そういう気がそがれるのだ。
本気でデザインの勉強をしていた訳ではないので「っぽいもの」にしかならないのだけど、
Pinterestを見たり、今風のフォトショ加工記事を見ては、ああでもないこうでもないと画面とにらめっこをする。
本当は印刷所が用意したオシャレなデザインの年賀ハガキをネットで選べば良いだけなのだが、
私の中の「フォトショップを使ってオシャレっぽい年賀状を作りたい」という見栄っ張りの私と、
「何かをしていないとタオルで首を吊ってしまうので何かをしたい」という焦っている私が邪魔をするのだ。
スティーブンス・ジョンソン症候群の疑いがあり、MAX処方だったラミクタールを2週間で半分、3週間でゼロにした。
今とても焦っているので減薬がこのスケジュールだったか思い出せないし、上手く文章化できない。
とりあえず今の私はラミクタールを服用していたときの30%くらいしかパフォーマンスが出ない。
シンクは使用済みの食器が、脱衣場のカゴには洗濯物がいっぱいだ。
加えて、今日のようにばかみたいに暖かい日は布団を干すべきだったし、
家族の誕生日プレゼントを買いに一駅先のデパートまで歩いて引きこもりがちな体を動かすべきだった。
いつもなら風呂に入るのも「明日一日臭いのはイヤだな」という気分で入れたのに、
今はイヤだキライいだと風呂を呪いながらうんうん唸って2日に一度入る。
清潔を保つためには一日一回の風呂、一日二回の洗顔はすべきなのに風呂が面倒で億劫でどうしようもない。
手間を省くためにミノンの全身シャンプーにしたけれど痒みはおさまらない。
風呂に入るのがいやでいやで仕方がないのに、頭をガリガリ掻きながら痒さに悲しくなって唸るさまを客観的に見たら哀れそのものだろう。
洗い物と洗濯物は溜まっているし、気を抜いたら悲しくて死のうとしてしまう。
いまとても仕事が忙しい家族をアシストするどころか自分の世話をさせてしまっているのがつらい。
そういう焦りやしんどさを紛らわすために、フォトショップで年賀状を作っている。
薬が別のものになったり、ラミクタールを再開すれば、良いのか悪いのか判断すらできない今のデザインをやめて、
もっと良いものを作っているかもしれないし、印刷所が用意したオシャレ年賀状にしているかもしれない。
自分語りをする。
宇宙戦艦ヤマト2199がTV放送された時、誰もが名前を知っている名作の宇宙戦艦ヤマトだし、とりあえず見てみるか、と思って見始めたのが俺が初めて見たヤマトだった。
衝撃を受けた。リメイクされているとは言え、自分が生まれるはるか前、40年以上前のアニメが元ネタになっていてこんなにおもしろいとは。
たった一隻で孤軍奮闘し、知恵と勇気と、禁断の兵器波動砲で様々な難所を切り抜けていく爽快感は、どこかテンプレート的でありつつも(逆を言うとヤマトが今まで私の見てきた作品に影響を与えたのかもしれない)洗練された面白さがあった。
それを彩る数々の素晴らしい音楽、日本の今の実力が高い声優を一同に集めたかのようなハイクオリティな声の演技。
旧作ヤマトファンからすると色々不満点があったようだが、自分からすれば心の底から見てよかったと言えるアニメだった。
勿論面白かったが、やはり平成生まれの自分としては、設定も作画も2199が合ってるな、って思った。
星巡る方舟でガトランティスも出てきたし、続編やってほしいな、と心の底から願った。
だからこそ、2202が発表されたときは、某任天堂のゲームが発表された時の外国人の様に歓喜した。
心の底から劇場公開を楽しみにした。指折り数えてカウントダウンもした。
いままで公開された6章、テクニックが要求されるような見ごたえのある戦闘シーンは数えるほどしかない。
2199で登場した新キャラクターが、地球、ガミラス問わずほとんどが終盤になるまで登場しない。
ヤマトがほとんど活躍しないどころか、最新の章ではあの洗練されたヤマトのフォルムに改造が加えられる。
旧作にあった空間騎兵隊と古代や航空科との対立からの和解もなければ、何よりあれだけ面白かった木星での前衛艦隊との対決も波動砲と破滅ミサイルを打ち合うだけの戦いになってしまっている。
挙句の果て、削った尺は上から目線の愛についての説教じみた話が続く。
シリーズ構成の福井のクソ野郎曰く「ヤマト世代には響く」話らしいが、どうも俺のように2199からヤマトの魅力を知った人間は対象外だったらしい。ふざけんな。
アニメに教訓じみた話をいれるのは嫌いじゃないし、むしろ良いと思うが、それは最低限その作品がやるべきエンターテインメントを完遂した上でなされるべきじゃないのか。
本業であるエンターテインメントを放棄し、愛とはなんぞやという自分語りみたいなことばかり繰り返す本作はもはやアニメですらない。
何よりこれが、俺がこよなく愛した2199の続編だということが死ぬほど憎らしい。
これから先、宇宙戦艦ヤマトシリーズの続編はまた作られるかもしれないが、宇宙戦艦ヤマト2199の続編が作られることは決してないだろう。
(2199時空のシリーズが続いたとしても、それはこの駄作の続編でしかない)
ただでさえ旧作ヤマト2はカミカゼととられかねない要素を中心に様々な誤解を生みかねない要素がある。
だからこそ、ヤマトだけは左右関わらず政治思想要素に最も気をつかわなければいけない作品のはずだ。
そのトップに近いスタッフ陣がTwitterで延々と右翼発言を繰り返す、こんなことが平成も終わろうかという時代に許されているのが不思議で仕方ない。
オタクです。声優のオタク。イベントやライブにも積極的に参加しているタイプのオタク。
私の応援している声優さん、所謂「推し」はいわば中堅さんで、アニメにもまあまあ出演していて、頻度は高くは無いけれど声優アーティストとしてCDも出しているような方。
自分が行くかは別として、基本的に月に1度は何かしらのイベントがはまってくるので、中堅声優さんにしては会える機会がある方だと思っている。私が他の声優さんの事をあまり知らないだけかもしれないけれど。
冒頭で「イベントやライブにも積極的に参加している」とは言ったものの、底辺の稼ぎしか無い私は全通なんて夢のまた夢。自分のお財布と相談して参加するイベントを選んでいる。選んでいるつもり。
財布にゆとりが無いから心のゆとりも無くなって、どんどん荒んでいく。これは完全に自分の問題なのだけれども。
というか、イベント多すぎない?
供給が需要を上回っていて、みんな疲れている気がする。声優さん達もだろうけど、何だかこちら側が疲れている。
一般販売でも捌けなくて空席があるイベントも少なくは無くて。先行の段階でオタクを舐め腐った売り方をする運営に非がある場合もたまにあるけれど。
少ない給料で何を我慢すればチケットが買えるかを考える毎日で、お金の計算に疲れてたまに変な事を考えてしまう。
『声優さんに会いに行くためにとても高いDVDを買わなくてはいけないのは何故?』
『買ったからといってチケットが確実に用意されるとは限らないのに?』
もちろん当たり前。
『そもそも、その"用意されたチケット"も安くはないけれど?』
まだ言わすか、それも当たり前。
『ちゃんと人気公演は一般販売出さずに先行で行き渡るようにして欲しいよね。』
難しい問題。
『アニメのイベント、構成がテンプレートすぎる。少し退屈に感じる。』
何を求めているの?
『どんなモチベーションで登壇しているんだろうね。作品やアフレコ時の話といっても録り終わってからかなり時間経ってるし。いつもの1/3くらいの値段で行ける上映会の方が絶賛アフレコ中で熱の入ったお話聞けるよね。』
………
ダメだ、考えるのをやめよう。
アルバイトもしていなかった学生の頃は現場に行くなんて発想は無くて。友達から借りたイベントDVDを何回も観ていた。ライブビューイングのチケットが取れただけでその場で飛び跳ねて喜んでいた。
初めてその場に行ける事になった時、本当に嬉しかった。やっと会えるんだ、と。
たまに「行きたい」なのか、「行かなきゃ」なのか分からなくなる時があって、後先考えずにチケットを取ったり…なんて事をしているうちにいつの間にか感覚が麻痺してきて、1つ1つのイベントに対して会える事のありがたみとか、楽しみな気持ちとか、思い入れとかが薄れてきている気がして。
正直半券見返しても内容をあまり思い出せないイベントとかある。
それでも新しいイベントの情報が出ると、反射的に「行く!」と飛びついてしまう。
ほぼ病気。吸った事無いけれど煙草やめられない人の気持ちと似てるのかな。もしくは麻薬?
外れるリスクを負ってDVD買ったり、中身が全く一緒のCDたくさん買ったり、何の為に?
「推せる時に推せ」。
正直現時点ではそんな危機感を持ってイベントに参加はしていないけれど。
周りに話したところで「行くの辞めれば?(or 控えれば?)」と言われるだけだから。全く仰る通りで、でも違うんだ。違うんだよ…
これを読んでどう思って欲しいとかは無いつもりなのだけれども、やっぱり人間は共感を得たいから。誰にも理解してもらえないから、ただただ吐き出す。