はてなキーワード: 基本情報処理とは
っていう増田が前いたんだけどさ
応用情報処理試験に合格すると高度情報処理試験の午前I試験免除になるの知らんのかな?
つまり応用情報の内容は高度情報処理試験の範囲内ってことじゃん?
多分その辺の関係を知らない人なんだと思った。
みたいな勘違いしてると思う
実際は
高度情報処理試験 > 応用情報処理試験 > 基本情報処理試験
応用情報のネットワークの問題がわからないなら、基本情報のネットワーク問題に戻ってみましょう。とか。
応用でデータベースを選択するなら、むしろデータベーススペシャリスト試験を受けるつもりで専用テキストを読んで勉強しましょう。
みたいな感じで、各試験は繋がってるのに。
辺な勘違いしてる人がいるもんだなと思った。
両方やってもいいし、やらなくても大丈夫。
というのは「エンジニアになる」という目的だったら、その二つをやらなくても達成できるから。
自分の場合は情報処理は持ってないし、サービスを作った訳でもなかった。
まったくの未経験だったから、公式のチュートリアルで適当に勉強してとりあえず入れそうなSES企業に入って、業務経験を積んだ。
それで今、受託の会社に転職してフルリモート、フレックスで楽しく働けてるよ。
もちろん、エンジニアとしては両方やった方がいいのは事実。学ぶ事は大事だし、少なくとも何にもやってない人よりは書類審査も通りやすいし。
でも「何のためにその勉強をするのか」を明確にしないと、モチベーションも続かないし上手くいかないと思う。
最初から自社開発のイケてる会社で働きたいとかなら、サービス作って自分でもやれる所をアピールするのが良いし
固めの会社なら基本情報処理の価値をそこそこ考慮してくれるだろうから、「何のためにやるか」っていうのを自分に問いかけるといいよ。
あと「エンジニアになる」っていう漠然な目的の解像度を上げると良いかも。
10年超のプログラマやってるものだけど自分の成長過程を書いてみよう
そんな事ありますか?
ここまで資格を取得しても何十社受けてもアルバイトにも採用されない?
今でいう応用情報技術者試験と、さらに高度試験を二つも取っているレベルなら、幅広く勉強しているはずなので、一つの言語がどうこうというのもおかしいです。
・STL標準講座
・Effective C++
・Modern Effective C++
・Effective STL
15年かけC++を独学した。
ずっと一人で努力し、風呂、トイレ、布団の中でも勉強し、プログラムを書いた。
基本情報処理、ソフトウェア開発者試験、ネットワークスペシャリストとデータベーススペシャリストを取得した。
しかし、正社員はもとより、時給2000円の派遣プログラマも時給1200円のアルバイトもスキル不足で何十社受けても一社も採用されない。
とはいえ、面接官のレベルは「STLなんて初めて聞いた」「gccて何かの会社?」
「C++の企画書(誤字ではない)を書いてる人なんてのがいるの?」
「じょーほーしょりしけんてのがあるの?外国の話?」
独身で、一切を我慢して娯楽を全く体験しないまま40歳になってしまった。IT業界の人間すべてが恨めしい。
貯金100万もなく、素人が書いたプログラムに対して手順書のとおりにマウスを操作してエクセルにテスト結果を書くだけの仕事ばかりしている。
私は潰瘍性大腸炎と双極性障害で実家住まいだったのに、にっちもさっちもいかなくなったことのあるアラフィフのオバちゃんです。(愛知県在住)
他の方の言及にもありますが、まずは最寄りの生活保護担当の方に、親世帯と(物理的に)離れて生活保護を受けられないか相談してみてはいかがでしょう?
私が相談した時も親世帯の諸事情で一緒の生活で保護を受ける方向は選択できませんでした。
そこで、親とうまくいっておらず、生活援助も受けられない、ということで一ヶ月、自治体の施設で保護を受けつつ一人暮らし可能かを見極めるテスト暮らしの後、保護費で実家の近くに今の住居を確保していただきました。
(テスト暮らしは古くて使われなくなった公営住宅の一室に本当に最低限の家電等があって、そこで仮住まいの形式でした。)
保護を頂ければ、難病の自己負担含め医療費負担はゼロになります。
やりくりは必要ですが、ケータイ、インターネット含め生活インフラが止まることはなくなると思いますので、日々の暮らしは安定しやすくなると思います。
落ち着いたらデビッドカードを作成、N予備校その他、学習サイトを利用してIT系手に職をつけてみては?
ハロワの職業訓練は学校のようにコマ分けキッチリなのでトイレとか厳しいかもしれません。
私のようなアラフィフ、高校中退、中途半端な難病、メンヘラと詰みすぎてるオバちゃんでも未だ保護からの自立を諦められずにもがいているのに、その若さなら尚更でしょう。
今はネットもあるし、何より貴方には若さもある。健全な精神もある。
追記:
オバちゃんくらいの文章力でもExcelのマクロ他ちょっとしたスクリプト書いたり、2種情報処理技術者(今の基本情報処理技術者)と日商簿記2級受かるくらいは出来てます。
今年38歳。
小中くらいはさしたる努力もせずにクラスでトップクラスの成績。
なんとか通学できるか、って距離まで伸ばしても圏内には進学先の高校は5,6校。
商業科や工業科、水産科なんかもあって、大学進学の可能性が残る普通科があるのは2校程度。
そのうち1校に入ったものの、ガクガクと成績は落ちていった。赤点をなんとか回避、ってことも何度か。
Jリーグが始まったのがこの頃か。
大学進学の可能性が残るという表現を使ったけど、田舎の学校なんでレベルは低い。
平均の偏差値は50切ってたと思う。
同学年でMARCHに入れるのが5人以下、早慶は数年に一人いるかも、くらい。
低成績の俺は地方の私大にしか受からず、親に頼み込んで浪人させてもらった。
条件は予備校の寮に入ること。ほぼ軟禁生活。泣いて嫌がったけど仕方なかった。
当時田舎者にはあこがれだった渋谷のタワレコに平日昼間から行って、 TK の新譜を試聴したな。
高校の頃からそうだけど、「勉強法の勉強」は好きで、あの方法で勉強すれば俺の成績は上がる、って謎な自信だけもっていて、でも勉強はしない。
明日やれることは今日やらない。よって数学的帰納法により、受験日まで勉強しない。
本当にダメ人間だった。
メタ勉強だけは好きってのは10年前にライフハックにハマったのと、今思えば同じ根っこだったんだろうな。
そんな訳で一浪しても入れたのは偏差値50アンダーの私立理系大。Fランク。最近はGランクまであるんだっけ?
成績不良じゃないくて出席日数不足ってところがつくづくダメだな。
ただ、振り返ってみてこの頃ラッキーだったのが2つある。
1つはコンピュータサイエンスの教官が実力主義者で、当時の第二種情報処理技術者、今の基本情報処理技術者試験に合格すれば単位をやるって人だった。
ちょうどインターネットが普及し始めて、テレホタイムになると同時にISDNで繋いでいた時期。
コンピュータの勉強は面白くて、出席外で単位とれるならと合格できた。ここで基礎を固められたのはラッキーだった。
もう1つは留年したせいで一般教養科目を余計に取れる余裕ができたこと。
心理学の少人数上級版で、自分でテーマを決めて教授と毎回議論できるってクラスだった。
就活に備えた自己分析を、心理学者とサシでできたのはラッキーだった。(ドラッカーのプロフェッショナルの条件を読めたのもこの頃だったな)
で、就職活動。2002年卒、有効求人倍率 0.54 倍。世はまさに大氷河期時代。日韓共催ワールドカップの頃。
周りや就活相談室の(ストレートな分、俺より有利な奴の)を聞くと、数十名の小規模企業に入るひと、地元に戻って地元の会社に入るひとも多かった。
このままだとヤバいなと、底辺だなと(当時は今のような使われ方をしていなかった言葉だけど)思った。
どうするか。資格もあったせいで業界は IT 、特に SI が有利だろうと思った。
計算機室でCOMPUTER WORLDを読み耽けり、大学の図書館で日経コンピュータのバックナンバー2年分を通読して業界を知った。
そして採ったのは某国産コンピュータメーカー1社のグループ会社に絞る集中戦略。
親会社の企業研究(成り立ち、歴史、挫折、チャレンジ)を深めれば子会社はいくらでも応用が効くし、心理学者と深めた自己分析と付きあわせて「あなたと出会えた私」のストーリーをでっちあげれば、志望動機も入社後の目指す姿も十分語れた。
このストーリーの説得力と、新人研修で取らせることの多い資格を既に持っていることがあれば、自分のスペックをある程度カバーできるだろうと思った。
これはうまくハマって、そのグループ会社では全戦全勝、本体でも最終面接まではいった。落ちたけど。
自分が出た大学では「誰もが知っている名前のついた会社に(子会社とはいえ)入れる奴」はレアで、まして一浪一留でってのは劇レアだった。
待遇は親会社と同一で、初年度、24歳で年収300万円くらい。
でもトレーナーとソリが合わず(今に思えば子供じみた理由だ)、転職。
就活の時にはコンサルなんて職種が世にあることを知らなかったけど、
たまたま募集してたITに強い外資コンサルに移って26歳年収400万。
国内限定学歴を揶揄する人もたまに見るけど、ボストン採用の同期とか普通にいたな。
そこでのコンサルスキルと海外経験のおかげで別のコンサルに移って28歳年収750万。貯金が1000万超えたのもこの頃。
タイミングが超ラッキーで、この直後にリーマンショックがあった。こんな大幅年収アップの転職案件はすぐになくなった。
35歳くらいで外資ベンダーに転職して年収1000万円超えて、38の今は1200万円。
年齢で見た年収は社内の平均からは下がるようだけど、まぁ十分満足してる。
株とETFで4000万円くらい持ってる。
金融資産の半分くらいは100年に一度の株の大バーゲン(リーマンショック)の時に買った株のおかげ。
その時期にセールワゴンにしがみつくだけの定期定額収入があったのも、またラッキーだったな。
転職活動では、卒業したFラン大学と一浪一留は何の問題にもならかった。
そんな感じ。
基本、世は学歴社会ではあると思う。
でも自分が対峙するフィールドでどういう力学が働くかを理解して、持ってるカードを限られたターンの中で増やし、切っていくだけだ。
自分が好きなタイミングで職を選べるのは、2つ目の外資コンサルであらゆる「ビジネスの知的基礎体力」を身につけさせてもらえたおかげだと思う。
自分が学歴とは不釣り合いな場所にいられるのは、ここに、大学を出てからのラッキーたちに、集約されると思う。
でも、それでも「大卒である」ことだけは一定程度以上の会社では最低条件、前提条件だった。
大手コンピューターメーカーの大ベテランの中には、時代的に高卒の人もいたし、高卒工場勤務から叩き上げで働いている人もいたけれど、もうそれはない。
今の勤め先も入社時にはbachelor以上の英文成績証明書が必須だ。
俺はラッキーだけで現状があるとは思っていない。
ただ、ラッキーに加えて必要だったのは、俺の場合は「Fランだろうが大卒」というチケットそれ自体ではなく、浪人と留年の学費と生活費を捻出してくれた両親だったと思う。
父は企業奨学金で日東駒専クラスに通い、卒業後に職業選択の自由はなかった。意に添わない異動も俺たち子供のために受けいれてくれた。
母は家が貧しく、家族に反対されながら働きながら自費で通信制の高校の卒業資格を得た。
そのことを身をもって知り、身をもって子に示し、ダメな俺が大学を出るまで支えてくれた両親こそ、俺が今の俺であるために必要だったと思う。
繰り返すが、学歴は強力ではあっても、いくつかあるカードの一枚に過ぎないと思ってる。
俺は馬鹿でダメな人間だったから「Fラン一浪一留」なんて貧弱なカードしか得られなかった。
でもそれも、そんなカードも、両親が必死になって繋いで手渡してくれた大切なカードだった。
その大切な一枚を活かせるような生き方ができて本当によかったと思ってる。
そろそろ俺が浪人する許しを請うた時の親の年齢に、俺がなる。
あの頃の両親のようにありたいと、そうあるための今の収入と資産だと思う。
読んでくれてありがとう。
やっと転職が決まったので、失業から再就職までの奇妙な3ヶ月間を書き記したいと思います。
とある独立系ITベンチャーに2年半ほど勤めていましたが、今年の3月に退職勧奨を受け、それに同意する形で退職しました。
最初から退職勧奨を言われた訳ではなく、新設される営業部への異動を打診され、それを断るなら…という形でした。
新設される営業部というのは、その時点では何を売るのかも決まっておらず、有り体に言って追い出し部屋+なんとか売上を
増やそうとする経営者側の悪あがきで、どういう意図があったにしても将来的に進展するような話ではありませんでした。
その話を聞く以前から会社の売上は目に見えて下落しており、また人材流出も激しく、私が辞める時には取締役4名を含む
30人以上も退職しているような状況でした。ちなみに私が入社した時点でも全体で70名程度の会社でです。
もちろん話を聞いた時はショックでしたが、一方で「ああついに」という納得感と、奇妙な安堵感を感じました。
安堵感というのは、正直なところ私も中途入社した1年目から既に他への転職先を探していましたので、こちらから辞意を
伝えることによる離職時のトラブルを避けられたという気持ちと、当時この話を取り仕切っていた取締役が、3ヶ月分の
私は3月の半ばにこの話を聞き、3月の終わりに同意してから出社しなくなりました。
それから約2ヶ月、正確には1ヶ月半ほどの間、転職活動に勤しみましたが、なかなか再就職先が決まらない中、最悪の自体を
想定して手続きしておいたハローワークの職業訓練校に入校許可が下りました。
正直、私にとっては甚だ微妙な状況でした。
実はこの何年か前にも失職中のつなぎのためにハローワークの基金訓練を受講していたのですが、それはもうひどい状況でした。
講師は某大手IT派遣の社員で正式な資格はないつなぎの講師(自分でそう言っていた)で、受講者を再就職させることも、資格を
とらせることも、毎日出席させることすらにも全く責任をもたず、「ただ出席確認してテキストを棒読みするだけ」な授業でした。
もちろんクラスのモチベーションが上がる訳はなく、かといって受講者も簡単に辞めるわけにも行かず、非常に閉塞感にあふれた
4ヶ月を過ごし、「もう二度とこんなところに来たくない」とすら思ったものです。
そんなところにまた通所する事になったのです。もちろん行きたくありませんが、それでも失職中にお金を受け取れるという話を
断れるはずはありません。嫌々ながら入校手続きをして、6月から受講し始めました。
ところが今回はなかなかよかった。もちろん有料の専門学校とは比べ物にはなりませんし、私が通っていたのも短期間だったから
かも知れませんが、講師陣のモチベーションが高く、こちらも背筋が伸びるような心地良い緊張感を維持することができました。
元々あくまで再就職のつなぎとしての失業手当目当て(※ハローワークで紹介される職業訓練校に受講すると受講期間中失業手当
が延長される。また自主退職などの給付制限がついている場合も給付制限が解除される)でしたが、講師陣の熱い思いに打たれ、
私も結構まじめに受講しました。また、どうも今年は「再勉強」というキーワードがついてまわっているような気がしていましたので
「再就職が決まるまでの腰掛けのつもりだったけど、どうせどうなるか判らんし、少し腰を据えて半年間マジメに勉強しようかな」
とまで思い、もうほとんど興味の失せた基本情報処理の対策や、完全に忘れきっていたアルゴリズムの再勉強などを結構まじめに
勉強していました。
ところが私はよくてもそれじゃ困るという立場の人もいました。転職会社のエージェントです。
彼らにしてみれば私はあくまで商品であり、私をどこかへ再就職させないと単なる不良在庫を抱えたままとなってしまうのです。
もちろん本当に不良在庫となってしまったならそのまま放置してもいいのですが、今までいろいろ紹介してきたのに、ここに来て
不良在庫化されたら…という気持ちはあるでしょう。彼らも半分は様子見で私に案件を紹介し続けました。
もちろん私にしても最終的には再就職できないと困ります。ですので今は勉強に打ち込みたいと考えていても、エージェント会社
との関係を繋いでおく事は重要でした。ですので半ば形式的に紹介があったら応募し、書類選考が受かれば面接を受ける毎日でした。
さて、そのような中で奇妙な事が起こりました。私の前社がTVに出たのです。
一体どういう形でTVに出たかは伏せますが、それは随分とネガティブな影響、有り体にいって炎上をまきおこしました。
正直私にとっては意外でもあり納得のいく事でもありました。
意外なのはTVでの露出の仕方で、それまでも前社や前社の社長は何度かTVに露出する事がありましたが、その時のような露出の仕方は
なかったからです。
納得したのは、炎上した内容がいかにも前社らしい「なにを伝えたいのか、なにをやりたいのかわからない」という部分で、それは
多くの視聴者からネットで指摘を受けた部分であり、かつ前社を去っていった多くの人達の共通の思いでもあったからです。
そしてその影響は、私の再就職にもつながりました。
私が応募した会社に、たまたま前社と近い業務をやっていた会社があり、その会社の採用担当者がたまたまそのTVを見ており、そして
当時の応募者の中に私がいたのです。
もちろん今時そんな事だけで再就職が決まるほど甘くはありません。その会社には2次面接の直前に採用試験があり、その内容は
基本情報技術者試験の試験内容からアレンジした問題を出題されるというものでした。そしてこの試験の出題範囲は事前に一切教え
られませんでした。
つまり基本情報技術者試験の問題を抜粋したものを、何の予備知識もなくその場で回答する必要があったのです。もちろん普通だったら
私に合格などできる訳はありません。ところが、ところがです。ちょうどその時に通っていた職業訓練校で、この試験範囲にかぶる部分の
…結果、その週のうちに内定を頂き、この7月からそちらの会社で働くことになりました。なんとも数奇な、奇跡にも近い再就職でした。
現在私は試用期間中で、今後もどうなるか判りませんが、余りにも奇妙な3ヶ月間を、誰にも伝えようもないこの事実を、どこかの誰かに
伝えたいと思い、長々と書き連ねました。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
この記事にはブクマを見る限りだいぶ懐疑論が集まってるみたいだね。残念ながらWebで資料を探しても見つけることができなかったので、憶測でしか語れないけれども、たぶん大丈夫だと思う。もっとも、「理論的には」の話であって「実用的に」どうかは知らないけどね。
まず、大矢氏はその道では有力な研究者で、名前も売れてます。俺のような門外漢でも知ってるぐらいだから。だから、胡散臭いものに手を出すという動機がまずないんですよ。
ただし学者というのは自分の仕事を宣伝してナンボという商売でもあるから、まだ残っている欠点を敢えて黙っているということはあるかもしれない。でも、少なくとも「CABは完璧な暗号である」とは言っていないはず。そういう意味で、嘘はついていないことは信用していいと思います。
次に、大矢氏の発言「鍵空間は無限大ですから、鍵を推定できる確率はゼロ」という発言は数学的に普通かつ真っ当なものであって、レトリックでないことを指摘しておく。
数学では、確率は長さとか面積とか体積とともに「測度」という概念に包含されるんだけれど、「確率0」というのは「『点』は『無』ではない」という話と本質的には同じものだ。例えば、中学校の時「点には大きさがない、長さも幅もない」「直線には幅がない」「平面には厚みがない」と習ったはずだけれど、つまりこれは「点の長さは0」「直線の面積は0」「平面の体積は0」って話なんだよね。点とか直線とか平面というのは「無」ではなくちゃんと存在するものなのに長さとか面積とか体積が0(こういうのは「零集合」なんて名前もついてる重要なものだ)という話、当初違和感をもたなかった?多分、今になってみれば感覚的に「そんなもの」だと理解できているはずだけど。つまり、「長さや面積や体積が0ということと、存在しないということは別物だ」ということ。
確率が0というのもこれと同じなんだ。例えば、0<x<1を満たすxを全くのランダム(あるxが別の数より選ばれやすいということはないものとしよう)に選んでくることを考えよう。これはまさに「数直線0<x<1上、x=0.5という一点の長さはいくつ?」と聞いているのと同じことで、答えは0になる。別に変なことではないでしょ?
もっとも確かに、「現実のコンピュータ上で、鍵の候補が無限大なんて関数が作れるのか」という疑問があると思う。俺の理解が間違ってなければこれは確かに無理だ。でも、そういう言い方をするのは無理なことではないんだ。
というのは、アルゴリズムの理論を作るときは、暗黙に「コンピュータには無限にメモリがある」と仮定してしまうことがある。もちろん現実にはそんなことはない。でも、必要なだけメモリを増設すればいくらでもその状態に近づけることはできるので、実用はともかく理論としてはそれで十分と考えることがあるんだ。
もう少し詳しくいうと、チューリングマシンっていう数学モデルがあるんだけれども、これはメモリが無限にあるコンピュータと等価な能力を持っている。そして、情報工学の問題はチューリングマシンに対して考えられることが多い。しかし、現実のコンピュータはメモリが有限しかないから、これは本当は「有限オートマトン」(基本情報処理の試験にも出るから知っているはず)とよばれる非常に単純なモデルで表せてしまうものだ。これの能力は余りにも限られているので、たとえばカッコ対応問題(たとえばCやJavaで"{"と"}"の数が釣り合っているかを確かめる問題)すらも一般的には解けない。実際、メモリ内で表現できる最大の数以上のカッコを与えてやればいい。もちろん、そんな沢山のカッコを与えるなんて現実には無理だけどね。
そういう風に、アルゴリズムについて理想と現実の壁は大きく、常に実用化の壁というものがつきまとう。そういう意味で大矢氏の新暗号が本当に画期的なものになるのかどうか、これはやってみないとわからないと思う。今後の展開に期待だね。
生半可な知識で下手なこと書くもんじゃないですね。専門家からのご批判を頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20080412/1208008068
というわけで、この記事は反面教師として下さいませ。この記事単独では、間違ったことは書いてないつもりですが、前提を理解していませんでした。