https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
多分記事執筆者もコメントつけてる増田もレベルが高すぎて、世間一般の言語能力ってものを理解してない。この場合の言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。
例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。
上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースはアンケートやテストなどの方式なわけだから、自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。
ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割で情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間や場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれる情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力で一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。
もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語を抽出して脳内補完で意味を類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。
でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械は入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理の係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理の記述レベルで使えてない人間が過半数」というだけなのだ。
彼らの多くはそれで日常を問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者か対話者の口調や顔色で自明だから。助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。
はてなでコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育の問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。
新井紀子先生がこれを問題視してるけど、この文章の場合って歴史的事象を知っている人ほど確証バイアスがかかって誤答しそうだな。他の文章も、そういう認知心理学的な誤答プロセ...
生半可な知識で突っ込む(笑)
生半可な知識もないから笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 突っ込んでるのではなく、純粋な疑問としてそう思う。読解における「誤解」の発生プロセ...
生半可な知識もないから他人を笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 根拠のない個人の感想に過ぎないですね(わらい)
生半可な知識もないから他人を笑うことでしか自尊心を確認できない増田よりはマシだと思うけど。 根拠のない個人の感想に過ぎないですね(わらい) 根拠のない個人の感想に過...
なるほどな
読んでないが、食品製造業に従事する人たちに向けての謝罪はいつされるのでしょうか。
只今致します。 大変申し訳ありませんでした。
ちょっと待ってそれ何の話