はてなキーワード: セクシュアリティとは
23歳処女。オタク。見た目はたぶん普通。クソダサいとかクソブスとかまではないだろうと思う。
ここ数年の悩みは自分は恋愛したいのかということ。人間関係が貧しいのもあってか、誰かに必要とされたい、愛されたい、誰かと暮らしていきたいとは思うんだけど、これは彼氏もしくは夫を必要としているということなのか。
夫でなくても一生寄り添ってくれる人がいればある意味では解決なのですが、現実的にそういった人間のパートナーは現代社会において夫くらいだろうということを踏まえて(そうでなければ教えてほしい。マジで)。
要点?としては、
①恋愛もの、恋愛の疑似体験は好き。乙女ゲーとかも全然やる。エロい漫画とかゲームも好き。オナニーもするので性欲そのものはあるのかな。
②二次元キャラも三次元の芸能人なんかも男性が好き。しかし現実に付き合いのある男性を含め、誰とも肉体的接触を持ちたいと思ったことはない。むしろわりと嫌かも(高校時代に一度いた彼氏とも初デートでゴリ押しでキスされそうになって別れている)。ハグとか手つなぎくらいまでなら大丈夫。
③そもそも人を恋愛的に好きになる感覚がよくわからない。②に書いたことと矛盾しているようだが、キャラや俳優に向ける好きですら知人男性にはほぼ湧いたことがない。
以上の理由でまず自分のセクシュアリティがよくわからない。ちょっと調べてみたこともあるけど謎だった。
上述の元カレのことは当時は好きだとは思っていたんだけど、キスを求められるとできなかった。心の準備ができてなかったとか以上に、キスしたいとかされてもいいと根本的に思えなかったんだよね。ましてやセックスなんて無理。
ので、付き合ってみたら許せるようになるかもしれないとはあまり思えない。というか付き合うなら相手に求めるなとはなかなか言えないだろうし、アプリとかコンパで積極的に彼氏を作ってまでそうなってしまうと申し訳ない。自分も傷つくだろうし正直そこも怖い。
あとここまで書いて何言ってんだという感じだけど、具体的に「彼氏が」いなくて困るという思いは今のところあまりない。オタク趣味で充実してはいるので。でもこのままでは後悔するだろうという気もする。
ついでに本筋とはあまり関係ないようではあるけど、恋愛できない自分が嫌になるときはけっこうある。そういうレベルで人と違うのかもしれないと思うと怖いし、本当に違うのだとしたらこれというラベルがつけられなくて困っている。
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu
マジキチすぎる
差別はマイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性がマイノリティ。だから「男性お断り」でも男性差別にはならない。ただし気を付けたいのは体は男性、心は女性という例。このような方は女性だから。
差別が絡む社会問題に関心を示す増田も多いが、その割にいまだこのような誤解がはびこっている。
そのせいで無用な衝突が生じている。
増田たちはそろそろこのような社会問題を論評する時、「弱者カースト」の原理を理解した上で発言してもらいたい。
理解といってもこの原理を実際に適用すること自体には必ずしも賛成する必要はない。
増田自身の意見は賛成でも反対でも保留でも構わないから、原理に従うとどのような論理構造になるか知っておく必要がある。
実際ダブルスタンダードだ、極論だと叩かれることも多いsenbuu氏のコメントだが、弱者カーストの原理を知っておけば氏の論理展開が驚くほど簡明かつ一貫していることが分かる。
弱者カーストとは要するに、社会的な弱者としての弱さの度合いが高ければ高いほど優先的に厚い配慮の対象と見なされる序列のことだ。
言うまでもなくインドの元々のカースト制度とは逆向きで、弱者が優先される原理だ。
社会運動の救済対象を選ぶ基準として用いられることが多く、社会的トリアージと呼ぶこともできるだろう。
序列の知識は大学教員や社会運動家らの間で広く共有されており、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)、文化の盗用、権力勾配、非対称性など増田でおなじみの概念もこの序列に従って運用されている。
弱者カーストの中では性別(ジェンダー)、性的指向(セクシュアリティ)、国籍、民族(エスニシティ)、人種、障がい、出身地などの社会的カテゴリーによって細かい序列が設定されている。
「マイノリティカースト」ではなく弱者カーストと呼ぶことが適切だ。
弱いことと人数の多さは必ずしも一致せず、中には特権的なマイノリティ、あるいは多数派の弱者といったカテゴリーも存在するからだ。
マイノリティではなく弱者としてとらえることで、多数派を形成する女性や中国人の弱さを考慮し、特権を持つ移民国家の白人の優先度を下げることが可能になる。
カーストの上位の者に対し、下位の者がネガティブな言動を及ぼした時にそれは「差別」と見なされる。
逆に上位の者が下位の者に及ぼした場合には「差別」とは見なされず、「対抗」「抵抗」などの認定を受ける。
つまり同じ言動であっても、それが「差別」なのか「対抗」なのかは主体と客体がそれぞれ弱者カーストの中で占める位置によって規定される。
ここで注意しなければならないことは、社会における大半の人々は最上位でも最下位でもなく、中間的なカーストに位置づけられることだ。
自分より弱者カーストの下位の人間に対しては大抵の言動が許容されるが、上位の人間からは何をされても耐えなければいけない。
同じ人間でもある側面では弱者と見なされるが、別の側面では強者と見なされることもあるだろう。
弱者カーストの中では、数多ある社会的カテゴリーそれぞれに弱さ・強さが定められている。
一人一人の人間の弱さは、彼女または彼が持つすべてのカテゴリーの弱さのレベルを合計して決まる。
弱者カーストと似た概念に「かわいそうランキング」があるが、ランキングの順位はこの弱さの合計値によって決定されているといえる。
つまりかわいそうランキングはそれ自体が原理というよりも、弱さについての計算結果なのだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141052638959681901
かつて、埼玉で全盲の女子高生が駅付近で何者かから暴行を加えられるという事件が起きた。
極めてセンセーショナルに報道されたため、記憶に残っている増田も多いだろう。
当然、未成年の女性、そして全盲という最重度の身体障がいを持っている人を攻撃したとあって、連日連夜評論家や各社社説が逃亡中の犯人を非難する声明を発表した。
しかし数日後、警察の捜査が進むにつれ浮上した犯人とは誰もが予想だにしなかった人物だった。
このことが判明したその日の夜には、いっせいにマスメディアの扱いは縮小し、評論家もこの事件についていっさい口を閉ざした。
やがて事件自体が存在しなかったかのように、日々は続いていった。
この事件で犯人像が明らかになった瞬間、報道の風向きがいっきに変わった理由は、弱者カーストの原理で説明できる。
未成年の女性がそもそも弱者カーストの上位に位置づけられる弱者だが、最重度の身体障がい者というカテゴリーは上位2位から5位程度に位置づけられる弱さを持つ。
仮に健常者の中年男性が彼女に危害を加えたとすれば、この男性は社会的に死を迎えることになるだろう。
しかし弱者カーストの中でも、最重度の身体障がいよりさらに弱いとされるカテゴリーが少数存在する。
この事件の犯人は確かに中年男性だが、ただの中年男性ではなく受け答えも難しいほどの知的障がいを抱えていた。
彼が女子高生に加えた危害が不問となってしまうことも、増田なら理解できるだろう。
昨年末からインターネットを騒がせている例として、TERF-MtF論争がある。
TERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist)と呼ばれるフェミニストの一部の女性たちが、MtF、身体的に男性から性転換を経て女性になった人たち(いわゆるトランス女性)を女子トイレや銭湯などの女性限定の空間から排除せよと訴え始めた。
その理由とは、性転換しても肉体や染色体が男性であるMtFは潜在的にシス女性(身体的にも精神的にも女性である人々)の脅威となり、性被害に対するシス女性の不安が払拭されないということだ。
中には過剰にMtFの事件を取り上げて非難するような動きも起き始めた。
TERFに対してはMtF活動家が抵抗し始めただけでなく、やがてジェンダー問題に詳しい大学教員や社会運動家も批判の声明を公式に出す事態となった。
過去にはシス男性(身体的にも精神的にも男性である人々)から受ける差別に対して共闘することも多かったフェミニストとMtFだが、twitter上での激しいやりとりが続いている。
TERFの中には反セクシズムの急先鋒として名をはせた人もいた。
かつて女性差別が話題になった時には、大学教員から理論的支援を受け、差別的な思想を持つ男性たちと戦いを繰り広げた人だ。
しかしTERF-MtF論争が燃え広がるにつれ、大学教員たちはTERFを見限った。
このことで、TERFの中には落胆の声を上げる者もいる。
大学教員たちがなぜ女性差別との戦いの局面では支援したTERFを切ったのか、弱者カーストの原理によって理解できる。
確かに二元的ジェンダーで見れば圧倒的に男性よりも女性の弱さが優先される。
しかしトランスジェンダー(シスジェンダー)という別のカテゴリーに着目すると、弱者カーストの中でもトランスジェンダーがシス女性を含むシスジェンダーよりもより弱い位置づけになっている。
弱者カーストの原理では、TERFよりもトランスジェンダーであるMtFがカースト上位として優先的に配慮の対象となる。
大学教員や社会運動家も弱者カーストに基づいて、TERFが訴え続ける不安感よりもMtFの安心感を優先することにしたのだ。
実際、senbuu氏もこの問題では弱者カーストの原理に忠実に従い、ラディカル・フェミニストの主張とは明らかに毛色の異なる以下のコメントを残している。
痛いニュース(ノ∀`) : トランスジェンダーとして女性に認定された男が10歳少女を強姦 スコットランド - ライブドアブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1987624.html
性自認とともに性的指向も女性だったと考えれば矛盾はない(性別違和かつ同性愛者ということ)。だからこの件で性的少数者をバッシングしようったって、そうはいかない。ということで、あえて痛いニュースにブコメ。
もし社会運動の専門家たちに瑕疵があったとすれば、それはTERFたちに勘違いをさせてしまったことだろう。
シス男性による差別と戦う局面で、TERFが訴える性暴力への不安感や男性に厳しい言説を専門家たちは全面的に支援し寄り添った。
しかしあくまで専門家たちは弱者カースト下位であるシス男性への対抗だからこそTERFの言説を全面的に許容したにすぎず、同じ言説をカースト上位に対しては投げかけることは到底許されるものではない。
専門家たちが寄り添う中で弱者カーストの原理の存在をきちんと説明しなかったせいで、TERFの中には自分の不安感にねざす主張がいついかなる時にも認められると勘違いしてしまい、刃をMtFに向ける者も出てきた。
結果として論争は混迷を極め、いまだ解決とは程遠い状態が続いている。
このような厳格な弱者カーストの原理を、シス男性、シス女性、トランスジェンダー、そして社会問題に関心を持つすべての増田が理解しておくべきだ。
よくわからないけど
http://kotomonashi.isapon.net/?eid=899
Genderqueer / ジェンダークィア(既存の性別の枠組みにあてはまらない自認。ノンバイナリー、ノンコンフォーミング、ヴァリアントなど呼びかたは様々)
Implasexual / インプラセクシャル(規則的に続く自己疑問やアイデンティティの問題が原因で、自身の性指向に満足していない)
Pomosexual / ポモセクシャル(「そもそもセクシュアリティの分類は意味をなさない」という考えかた。ポストモダニズムセクシャルの略)
Queer / クィア(既存の枠組みにあてはまらないセクシャリティ。また、セクシャルマイノリティを表す言葉。元は侮蔑語)
Quoiromantic / クォイロマンティック(恋愛感情とは何か、友情とどう違うか、がわからない。WTFロマンティックと同義)
のどれかには当てはまるんじゃないですか?
私自身はクォイ・ロマンティックのオブジャンクタム・セクシャルが一番近いかなぁ。二次専なので。
でもア・ロマンティック、オート・セクシャルっぽさもあるかなぁ。まあセクシャリティは流動的なものなので。考え方はポストモダン・セクシャルが一番近い。
"ロリコン"の傾向もある("ロリコン"の定義はともかく)けど、成人男性なのでロリータではないです。でもロリータ服には興味があるので、ロリータさんデビューはいずれあるかもしれない。
ポリアモリーかもしれないって、妻が言い出した。
夕飯のときいきなり。月曜から夜ふかし観てるとき。月曜からポリアモリー。
ということ。
つまり妻は、おれ以外に好きな男が(女かもしれないけど)がいて
そしてその願望は、正当なことであると認めろと言っているわけだ。おれに。
最低かよ。
ぶん殴りたい衝動に駆られたけど、これで手を出したら
「妻のセクシュアリティを否定したうえに暴力を振るったクズゴミ男」
ということになるんだろう。なんとか堪えた。
この概念を知って、これは自分のこととマジで思ってるのだろう。
うまいこと言って不倫を正当化しようとしているわけじゃないことは、
まあ妻が浮気してることは、知ってたよ。
週3で朝帰りしてた時期もあったしさ。
でも、問い詰めてもしかたないしって黙ってたんだよ。
別れたくないし。
いつか「好きな人ができた」って言われるんじゃないかってビビってた。
でもそれより最低だ。
だって、ずるいだろ。ずるすぎるだろ。
恨んでも怒っても拒否しても、おれが悪いことになるじゃないか。
悪者として彼女に認識されたくないかぎり、おれは認めるしかないじゃないか。
それでなんで、おれはこんなやつと、まだ別れたくないんだよ。
いまの世の中として、基本的にロリコンはNGでLGBTはOKじゃん。
色々読んだり考えたりはしてるんだけど、セクシュアリティの専門家でもなんでもないから分からなくなってきた。別に「ロリコンの権利を認めろ!」って主張してるんじゃなくて、単にどう違うんだろうっていう疑問。疑問というか駄文。
あと、増田はロリコンでもLGBTでもない、いわゆる外野の人間でもあるからそういう意味でも的外れなことを書いているとは思う。
一理ありそうだけど同性愛を違法扱いしてる国はあるよね。今でこそLGBTに寛容な国として挙げられるアメリカだって2000年代まで同性セックスを禁じる法律があった。
同性婚を認めろという裁判もそうだけど、権利に関する運動って要は「今は違法だけど、この法制度ごと変えてやる」ってわけじゃん。法を根拠に権利を否定するのはどうなんだ?と思う。
相手が拒否できない状況で性的関係を結ぼうとするのって普通の異性愛でもLGBTでもあり得る話じゃね?
それに、そういう関係を自ら希望する(強制的にされているわけじゃない)子供が居る場合はどう定義されるのかちょっとわかってない。
この前12歳男児と関係を持った20代女性が逮捕されたが、あれは前述の「禁止する法律」がない場合にはどういう問題があるんだろう。
外国人もLGBTも障害者も、怖いとかキモいみたいな理由で存在してはダメとか言ってたらヘイトスピーチじゃん。
それらのマイノリティを差別している人間にとってもそれなりの根拠があるだろう。でも根拠があれば許されるものではないじゃん。
半年近く。
今から書くことはめんどくさい女とめんどくさい女しかでてこない。個人間で解決できるかとしれないことをここに書くこと、それはもしかしたら許されないことかもしれないけれども書かせてもらう。こうやって形にしないと、いつか私が潰れてしまうと思ったから。直接言えないから。
誰も読みなんてしないと思う。けれども、相手が虚空でもいいから吐露させて欲しいのだ。
友人からの好意に気付かないふりをしている。クラスで一番仲の良い、可愛い女の子からの好意。
前述しておくが私は女だ。
彼女に好きな人がいると知った日、彼女は今は女の子が好きだと教えてくれた。それを聞いて、私は特に大きな感情は湧かなかった。
友人が誰をすきだろうと、性的対象が同性だろうと、私が彼女と過ごしてきた時間に何一つ変わりはない。「教えてくれてありがとう」なんて言葉を返した。
今思えば、あの時は他人事だったから、そんなふうに言えたのかもしれない。
細かく記述はしないが、ある瞬間に彼女の好きな人が自分であることに確信してしまった。
……本当は「好きな人が女のコ」と伝えられた瞬間から薄々勘づいてはいたけれども、ある瞬間に確信した。
私は美人でもなければ可愛げもない。性格の悪い気持ちの悪い人間で、そんな人間を好きになるなんていないだろう、と思っていた。けれども彼女の好きな人がそんな「私」だと確信を得てしまった。自意識過剰だ、と笑えないくらいにそれは現実だった。
最初に私が覚えた感情は「申し訳ない」だった。こんな人間を好きになったって何にもならない。申し訳なくて、あの子は可愛くていい子なのに、他の人を好きになれば幸せになれるのに、こんなどうしようもない人間が相手なんて、という感情だった。
ひたすら悩んで、苦しんで。
私は何も知らないふりをすることにした。
私は馬鹿で阿呆だから、鈍感な子の振りをすればみんな気づかないんじゃないか?と思ったから。
友人から好きな人の話を聞く度に、第三者の振りをした。彼女の世界に自分が組み込まれてない振りをした。もし彼女が「気付かないふりをしている私」に気づいたとしても、きっと踏み入っては来ないだろうと思っていたから。
「好きな人、まだ気づいてないんだ」
「大変だね〜そんな鈍感な子相手って」
そんな気持ち悪い言葉を沢山吐いた。嘘を1つ着く度に、気付かないふりをする度に良心がじくじくと傷んだ。
これが正解だと信じていた。
でも、現実は違った。
私が違う女の子を可愛いとべた褒めしたり、男の子をかっこいいと言うと頬をつねったり、わかりやすく拗ねるようになった。
ちょっとずつ、ちょっとずつ外堀を埋められていくような気がする。
私が演じている「鈍感な私」もそろそろ無理が出てきた。全然気づいてくれないんだ、という彼女に対して気づかない方がおかしいよ、という言葉は言わなかった。
段々と、友人に会いたくないと思ってしまった。
大好きだった友人が怖くなる。一方的な好意の押し付けが、気持ち悪く感じる。人からの好意は喜ぶべきことなのに、私にとっては「恐怖」以外の何物でもない。
友人が何を望んでいるのか、わからない。
前に彼女は「付き合いたいとは思っていない」「相手に好きだと伝えるだけでいい」と言っていたけれども、それも私(好きな人)にたいする詭弁だったんじゃないか?なんて疑ってしまう。
私に気づいて欲しいのだろうか。
私に言って欲しいんだろうか、
「私のこと好きでしょ?」
なんて
もう無理だ。
恋愛が自己満足と自己満足のぶつけあいで、片思いなんて好意を押しつける自己満足の塊でしかないことくらいは理解しているけれど、もう無理だ。耐えきれない。苦しくて苦しくて仕方がない。
気付かないふりを演じるのが苦しくて仕方ない。申し訳なくて、怖くて、辛くて、気持ちが悪い。
人からの好意を「迷惑」だと感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方がない。
私が死んでしまえばいいのに。
そしたら全部解決するのに。
私はヘテロセクシュアリティ、いわゆる異性愛者だ。性的マジョリティ。いわゆる世間一般の「普通」だ。だから彼女の気持ちには答えられなくて。
じゃあ女の子じゃなかったらいいの?なんて聞かれそうだけど、多分私は彼女が男の子でも、私が男でも、私が同性愛者でも両性愛者でも好きにならなかったと思う。
でも友達としては大好きで、優しくて。
彼女を傷つけたくない自分と彼女と距離を置きたい自分が両存して、気持ちが悪い。
卒業まで、あと4ヶ月。私はどうすればいいんだろうか。
目を逸らし続けて、嘘をついた私は、きっとどこにも行けない。
キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分の見解をまとめることにする。
文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。
論点は二つあった。
1. は個人的には問題ない。というか、フェミニスト側からは批判してはいけない部分だと思ってる。
2. が今回の主戦場。
年代や階級、普段二次元表現やVR界隈に触れているかによって感覚が違っているようだとは感じた。
批判側の意見としては、男性が講師役・女性が生徒役という枠組みが旧来のジェンダーロールを再現しており、女性を萎縮させるとのこと。
世の中が完全に男女平等になっていれば、たった一つの例に目くじら立てないが現実はそうなっていないという意見を見た。
なんとなく納得できそうなところと、でもなーというところとあり、未だに整理できていない。
このくらいのことで、本当に女性は萎縮してしまうのか?と思ってしまうが、それは自分があまり抑圧を受けずに育ってきたからかもしれないし。
公的な性格が強い媒体ではポリコレに則って多様性に配慮した表現をするべきだ、という理屈はある程度納得できなくはないんだけど、
などなど疑問点や不安な点がいっぱいある。
そもそもそういう表現を公的な場所から狩ろうとすることは、長い目で見るとポリコレに反する表現を絶滅させることに繋がるんじゃないか?という懸念が拭えないわけで。
「ポリコレに反するから隠す。存在自体が許せないのではない、悪ではないが場所をわきまえてやれ」
これが、容易に
「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」
に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?
多様性に配慮した表現も大好きだけど、多様性クソ食らえ!な表現も大好きなんだよ。
ポリコレ絶対を突き詰めていく先に、多様性クソ食らえ表現が狩られる未来しか見えないんだよな。
本当は楽観的でありたいんだけれども。
でも、ゾーニングは規制だし、ゾーニングのやり方によっては容易に表現の場が失われてしまうこともある。
個人的な理想としては、ある表現をなくして目立たなくするのではなく、自分がいいと思う表現をどんどん作ったり推したりしてそれらの存在感を上げていく方向が建設的でいいと思う。
子どもができたら「これは良くないから見るな!」って言うより、「こっちにはこういうのもあるよ」って接したい。
その上で、親が眉を顰めるようなものに触れてしまうのも当然だしそれは成長の一部だと思う。
親が全部管理なんてできやしねぇしするべきでもないし。
全部ひっくるめて子ども当人の人生で、自分で自分がよいと思うものを選び取れるようになってほしい。
そして今回、一番衝撃だったこと。アカデミックなフェミニズム側がジェンダーロールの再生産を非常に問題視しているという点。今更なんですが。
今回、1.の論点を重要視してるかどうかでフェミニズム側は分かれていたように思う。前述したようにこれをフェミニストと自称する人が問題視するのはどうかと思うので、ここでだいぶフェミニスト側を分類できた。しかし、性的だとはしない/もしくは問題視しない人々でも共通していたのは、あれが旧来のジェンダーロールの再生産であり若い女性を萎縮させる、ということだった。個人的に、アカデミックなフェミニストの中で信頼がおけると思っていた人も、ここは強く問題視しているようでかなり衝撃を受けた。
かつて自分が被ってきた女性差別を生々しく思い出して重ねてしまう傾向が一定の年代以上の人や女性差別が酷かった業界の人には多いということなのかもしれないが、それ以上にフェミニズムの中で長らく重要視された観点っぽい。そこまで確固たる共通見解となっていたというのが驚きというか。それを各種表現にここまで簡単に当てはめることに躊躇がないんだな、と。
個人的にはうなずける部分もあるが、女性差別のみを特に重要視して男性に対するジェンダー的な抑圧を無視する傾向がある気がするし、私が育ってきた中では幸運にもひどい女性差別を受けては来なかったこと、そして自分はジェンダーロールの再生産になりそうな作品もそうでない作品も両方楽しんで育ってきたことなどから、そこまで切迫感を持つことができない。私とそういう人たちとの間に断絶がある。
女性差別って私が想像する以上に酷いものがまだまだあると思うし解消に向けて動くべきだし動きたいんだけど、私は上記の理由からこの方向の活動にはどうしても同意できないな…。この方向で頑張ることによって、そういう酷い女性差別が改善していくとは思えない。
ちなみにVtuberやVR界隈に対しては、既存のジェンダー観でははかれない技術革新がもたらした今までとは違うジェンダー観が存在すると思っている。キズナアイも見た目は女性だがAIという設定で性別はない。ガワと中の人の性別が違うなんてざらにあるし、自分が望めばなりたい性別やセクシュアリティになれる・それを当たり前のように受け入れてもらえるという土壌がすごくいいと思っている。
あまりVtuber界隈詳しくなくて今回初めていろいろ調べてみた程度なのであまり語れないんだけど。バ美肉とかは、すごい革新的すぎて興味持っている。みんなもっとチャレンジしてジェンダーの壁を軽率に越えるべき。
参考:おじさんを美少女化したテクノロジー 先端心理学が語る「VRの世界」
https://withnews.jp/article/f0180401000qq000000000000000W00g10701qq000017020A
1~2の派生で、千田氏の炎上から社会学などの研究成果評価システムにまで話が発展したのは大変興味深かった。
というあたりか。それぞれの分野に合ったシステムがあって、外野から簡単に口出せるものではないと思うが、若手の方々がより良い方向を目指して試行錯誤されているらしい、ということは分かった感じ。
ナントカさん「カントカが、カンダイをアブダンすることは説明しましたよね?」
ブラーくん「うん、まあ。でも実際問題どうするの? カントカでどうにかなるイメージが湧かないんだけど」
ナントカさん「そうですねえ、色々なスタイルがありますが、今回は基本的な方法でやってみましょうか」
ブラーくんは内心興味がなかったが、熱心に実演する彼女に気を使って言い出せなかった。
ナントカさん「まずカントカの表と裏を把握すること。これを間違えたまま使ってしまうのが初心者あるあるです」
ブラーくん「どこで見分けるの?」
ナントカさん「ここについている、ビクレの皆無で見分けます。ビクレのあるほうが裏です」
ブラーくん「ああ、分かりやすい。つまりビクレのないほうが表か」
露骨なおべっかに、よほど勧誘に必死なんだとブラーくんは思った。
ナントカさん「最初はゆっくりやりますね。裏側に利き手の指の第一関節を軽く引っ掛けるようにしたら、カンダイのルブカ部分をもう片方の手で持つ。そして捻りを加えながら、カントカを表と裏の両側から交互に引っ張りあげる」
ブラーくん「うわ、そうなるんだ。でも、まだアブダンされてはいないね」
ナントカさん「ここからはゆっくりやると失敗するので、よく目を凝らしてくださいね。ルブカ部分を持った手を離すと同時に、カントカを回転させて……アブダン!」
ブラーくん「おおっ!」
ブラーくんが感嘆の声をあげたのは、カンダイをアブダンした光景に対してではない。
彼女がカントカを使ってカンダイをアブダンする姿が、妙にセクシュアリティであったためだ。
ブラーくん「え、まあ、blah blah blah……」
ナントカさん「気のない返事。じゃあ、実際にブラーくんもやってみましょ!」
ブラーくん「えぇ……と、まずはビクレのある裏側に指を軽く引っ掛けて……カンダイのルブカ部分をもう片方の手で……」
ナントカさん「あ、違う違う! カンダイのルブカ部分はこっち」
ブラーくんは酷く取り乱した。
ブラーくん「ちょっ、近い近い! さっきも思ったけどパーソナルスペース! 個人のパーソナルスペースをもっと尊重して!」
ムッツリスケベのブラーくんだが、過度な肌接触は刺激が強いのでノーサンキューだった。
ナントカさん「……ほら、これでアブダン。ね、カントカって面白いでしょ?」
ブラーくん「と、とりあえず……仮入部ってことで」
結局、狼狽したブラーくんは、なしくずし的に入部を承諾してしまった。
なあなあに、正式に入部した扱いにされてしまうのだろう、というのを感じつつも……。
ナントカさん「そこから更にカンダイをアブダンしてもいいし、ラミサやパロニをアブダンしてもいいけど初心者向けじゃないから、また今度」
ブラーくん:留学生。どこの国出身かは作中で明言されないが、見た目はハーフ&ハーフっぽい。学校案内の際にナントカさんに目をつけられ、半ば強制的にカントカについて関わっていく。ナントカさんの強引なカントカ講釈のせいで、よく面倒くさいことに巻き込まれる。ラッキースケベにも良く合うが、当人は不本意らしい。ややムッツリスケベ。
時には作品の設定丸無視で、好きな作品の登場人物同士を頭の中で恋愛させていた。二次創作の同人サイトや同人誌を読み漁り、名前も顔も知らない、どこかの誰かが公開してくれた作品を通して彼らの関係性に悶えていた。
しかしこの頃、就寝前のルーティーンのTwitter徘徊にうんざりするようになった。時折読み返していた同人誌を読みたいと思わなくなった。内容の性的接触の有無等は全く関係なかった。思い当たるきっかけは全くない。とにかく、あんなに好きだった自分の妄想が気持ち悪くなってしまった。
セクシュアリティや愛のあり方は自由だという考えは何も変わらない。他人にケチをつける気も全くない。ただ私がBLを嫌いになったのだ。
今漫画を読み返すと、キャラクターの気持ちがこれまでよりはっきり流れ込んでくる。Blu-rayを見返していると、ストーリーを真面目に考察する自分に気付く。新しい発見ばかりだ。(これはあくまで私に起きて、私が感じたことだ)
長年大事にしてきた妄想の世界を失って少し寂しい気もするが、それと引き換えに現実と向き合う力は少し増した気がする。
またいつか再燃する時が来たりするのかな。それも面白いな。
今はこの新しい世界を楽しもうと思う。