はてなキーワード: 練習試合とは
高校野球。夏ですね。
かくいう私も数年前高校の野球部でマネージャーをやっていました。
推薦枠なんてないし、地元の中学とかシニアとかで野球やってる子たちが集まる普通の部活。
とは言え、練習は平日授業が終わって(16時くらい)20時まで、土日は練習試合が必ず(遠征とかもあるので朝から夕方まで)と言った感じだった。
強豪校に比べたら練習時間も少ないのかもしれないけども、私の高校の中の部活では一番練習時間も長くキツかった。
高校時代ほんとに部活のメンバーの方が家族よりも長い時間を過ごしたんじゃないかってくらい。
マネージャーの仕事はおそらく漫画とかドラマのそれで大体合ってると思います。
ドリンク作って、練習に使う道具とかマシンを準備して、練習が始まったらマシンにボールいれたり、ノックのボール渡ししたり、試合形式での練習でボールカウントをしたり
ちなみに私の学校はユニフォーム洗ったりとかはなかったなあ。家でお母さんたちが洗ってましたね。
甲子園なんて行ったことないし、予選も2回戦勝てたら全然いい方って感じ。
渡したらわりと喜んでくれて嬉しかったのを覚えてる。
私は甲子園に憧れて野球部のマネージャーになったので、地元の弱い公立高校なんて試合の時の応援もブラスバンドなんていなくて、部員も少ないし(全体で30人いない時もある)ベンチに入らない数人の部員たちと応援歌を声を出して保護者の人たちと応援したり、、、、
私が入部する前の想像とはだいぶかけ離れていたけど、マネージャーやらせてくれてありがとう!
甲子園は当たり前のように行けなかったけど、遅くまで練習したり、大会の関係で学校行事に出られなかったり、ミーティングしてもただ無駄話してるだけだったり、あなたたちのマネージャをやれて良かったな。
久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。
アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。
録画されていたのは高校野球。
なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。
プロ野球の放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易な理由も当然ある。
高校野球の優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢な発言や態度が気に食わない、という個人的な嫌悪感もある。
でもそれ以上のキッカケがあったな、と。
僕が小学校時代、地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である。
30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。
自分が住んでいた町では5月~8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子はソフトボール、女子はドッジボールに強制参加させられた。
各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。
ちなみに僕は参加させられるまでソフトボールの正式なルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、程度の認識だった。
僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。
均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。
Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドア系の子が多かった。
また、A,Bチームは過去に野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長のおっさんが監督だったのも色々察せられる。
小学3年生になり参加した初日、いきなり守備の審査が行われた。
まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。
生まれて初めて自分の意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらずキャッチャーの頭上を大きく超えた。
「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。
キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトと審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールにビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。
そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センター、ライトの練習といった感じだった。
2日目、攻撃の練習が始まったがそもそものルールを説明されていない。
1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。
いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。
2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。
次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。
えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督にバットで小突かれ、「子供のくせに野球のルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。
こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。
3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー、三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。
なおここまでもこれからも監督からソフトボールという競技のルール説明は一切ない。
下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。
僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子が休みだったため急遽レフトをやることになった。
地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。
当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。
練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督がバットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。
僕の両親と監督の指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎のPTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。
また、監督の金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。
流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習をサボるようになった。
久々に17時からのアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。
そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。
夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。
最初はスタメンから順に渡されていき、監督もテンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。
交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。
そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。
なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。
なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。
監督はスタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。
小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督からの辛辣な言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。
そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。
これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。
Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。
さっきまでAチームでピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。
さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。
町大会のルールでは他チームからのトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。
今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人も子供も何人もが見ていた。
「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。
Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。
両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。
町大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツは自力で、とのことだった。
現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合に絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。
優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。
運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンクに氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。
2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。
僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。
閉会式での監督インタビューで「野球というものは精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。
メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供を放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。
まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?
スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち、野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。
野球は素晴らしい、野球というスポーツのルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。
教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまったからかな。
これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。
野球が好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。
なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。
ゴールデンカムイとか最初の30週で打ち切られてたらどうしていたんだろうか。
100週ぐらいだったらどうだったのか。
鬼滅の刃だったら残り5週でいきなり無惨がやってきて火の神家神楽でボコって終わりでいける。
ワンピースはグランドライン突入で終わり、グランドライン突入後に作者急病の場合はシャンクスがまあいい感じにワープさせてくれるだろう。
進撃の巨人はよくわかんねー巨人が襲ってきてるけど戦うぞいで終わっちゃうのかなあ。
スポーツ系は地方予選優勝とかライバル(校)と練習試合で勝つとかで妥協していけそう。
大体の作品は100話か50話おきぐらいにボスと顔合わせして総力戦みたいのやるからそこで逃さずに倒せばいいだけではあるな。
雅子さんすげえ
雅子さまは田園調布雙葉中学校に通っている時、クラスメイトの有志たちと一緒に、ソフトボール部を創設された。雅子さまの打順は3番で、ポジションはサード。チームの主力としてレギュラーの一角を占めていた。当時のことを伊藤さんはこう振り返る。
「雅子さまは運動神経が優れていらっしゃり、強烈な打球が飛んできても、逃げることなくキャッチできることから、サードに抜擢しました。とても責任感が強く、打撃でもここぞという時の長打力は、チームのポイントゲッターとして期待されていました」
ところが、メンバーは皆、ソフトボールの経験がなく、なかなか技術的に上達せず、最初の練習試合は惨憺たる敗戦となってしまった。その悔しさを胸に、雅子さまをはじめメンバーたちは強くなるんだという思いが芽生え、練習にまい進していった。
■雅子さまたちのチーム、快進撃が始まる
そして、雅子さまたちが中学3年生の夏を迎えた時、奇跡のような出来事が起きる。田園調布雙葉は中体連に加盟し、世田谷区の大会に出場したのだが、1回戦から優勝候補の強豪校と当たってしまった。
実力の差はいかんともしがたく、相手ピッチャーの剛速球に手も足も出ず、3回が終わった時点でワンサイドゲーム。伊藤さんはコールド負けを覚悟したというが、ここでまさかの展開が待っていた。
勝ちを確信した相手校が、エースから2番手投手に代えてしまったのだ。これが田園調布雙葉の打線とぴったり波長が合ったのか、立て続けにヒットを連発。その時、空がにわかに掻き曇り、あっという間に雨が降って、再びエースが登場。
しかし、雨でボールが滑ってスピードも出ずコントロールも乱れ、田園調布雙葉はあれよあれよという間に大逆転してしまったのだ。
その時の様子を伊藤さんは…
「最後は、相手チームが打ったボールがピッチャーゴロになり、セカンドランナーをフォースアウトにしようと、サードの雅子さまにボールを投げました。そのウィニングボールを雅子さまが見事に受け取られたのです。そこでゲームセットとなり、まるで桶狭間の合戦のような大逆転でした」
と、昨日のことのように話してくれた。
中学校教員、部活は全員顧問制。何かに入らねばならない。学生時代運動部だったということで運動部になってしまう。校長に辞めさせて欲しいと言ってはいるが、実際やりたい人だってそんなにいない。
顧問をしても、しなくてもいいならしない人が多くなるのは当然だと思う。精神的にも時間的にも負担が大きすぎる。
保護者からの電話、生徒同士のトラブル、練習内容を考える、引率、部費の管理、練習試合を組む、予定表を作る、遠征ルートを作る、通信を書く、お別れ会、講習会に出る、他中の顧問に怒られる、大会への登録、登録業務、仕事は倍増える。
だが子どもだってもう部活に時間をかけることが少なくなっている。塾で模試で、家の用事で、高校の説明会で簡単に休む。
私の時間は有限で、家族と過ごしたい。なぜ私の時間を一生懸命でない人に割かないといけないのか、とも思う。
とりあえずしんどい。
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
今日もひっきりなしにお客様達がやって来た。夕方は野球チームのユニフォームを着た子供を含む家族連れが二組来店。不要不急の野球の練習試合か何かが、近くの運動場であった模様。でも、普段の休日だと野球チーム丸ごと来店して店がごった返すので、今日はさすがに自重した人が多かったのだろう。
日曜日は県外ナンバーの車が多く来たけど、今日来店したお客様の多くは常連のお客様達で、いつもは18時頃に来る人達が19時半以降にばらばらと来る感じだった。そのせいで、絶え間なくお客様が来る感じだったという。
時々来る、絵に描いたような女の子の服装をしたお客様が来店。本当に、絵に描いたような女の子のような格好なのだ。確か、以前はてなブログで断捨離だかミニマリストだかしてた、風の他人の姫姉様だったっけ? そんな感じの名前の姫姉様の推奨していたモテ服に近い。いかにも! な格好過ぎて、Aさんなんかはそのお客様のことを高齢のご婦人だと思い込んでいたらしいが、私には20代前半に見える。肌ツヤツヤでシワ・シミ一つないし。
絵に描いたような女の子の服装をしたお客様がお店に入って来た途端、店の中でお買い物中のおじさん達が色めきたっていた。思わず振り替えって二度見する人、棚ごしに左右にソワソワ動きながら顔を見てやろうと頑張っている人。結構露骨に見ているものなのだなあ。これまで、絵に描いたような女の子の服装をしたお客様は夜遅くの暇な時間帯に来店することが多かったからか、こんなにもおじさん達をソワソワさせるとは知らなかった。姫姉様すごい、本当にモテだ! おじさんにモテても嬉しくないかもしれないが。
絵に描いたような女の子の服装をしたお客様は、なんかすごくデカくてゴツいオフロード乗り回せるような車に乗っている、とAさんが言っていた。Aさんはお客様達の車をよく見ているのだが、女の子女の子した服装の女性はゴツい車に乗っていがち(運転手として)という偏見をもっている。
さぁ……。服装と車の趣味は別なのでは。もしかすると、煽り運転をされたくなくて敢えて可愛くない車に乗っているのか。昔は、車好きの彼氏の影響で車に超詳しくなってしまう女子、というのは一種のあるあるだったが今はどうだろう。あと、いい服を着てる人はやっぱりお金持ってるからそりゃいい車にも乗るだろうさ。しらんけど。
野球帽みたいな形の帽子(←そういうの何というのか知らない)、角刈り的な短髪、ゲージ数の大きくて小さい石がキラッと光るピアス、筋肉! 大胸筋! 黒Tシャツ、普通のジーンズ……という雄々しさと繊細さの絶妙なバランスのファッションをした男性のお客様が立て続けに来店する日というのがたまにあるけど、今日がその日だった。お揃いというのではないけど、方向性が完全に一致しているファッションなのだ。近くで何かの集会でもあるのだろうか。
サッカーとかラグビーのルールに例えている人たちがいるのですけど、完全にドツボにハマっている感じですね。なんでサッカーのルールを否定していると思ったんですか?サッカーよりラグビーが優れているとか、そういうことでもないんですよ?
そもそも違反行為を推奨はしていないんですよ。ポケゴーにとっては複アカも共有もカジュアルプレイスタイルの一つに定着しているだけって話です。それをTwitterとかグループ内で犯罪者みたいに晒し上げたり、レイドの際に声掛けして注意するのは大人げないし、ブラック校則を推奨している人みたいだ、と言いたいだけです。そしてカジュアルなプレイとして楽しめるものを、禁止事項にする理由がどこにもないのが問題だってことです。
ポケモンGOを見ていればわかりますが、駅前や公園とかのレイド、以前の横浜イベントや台湾の有名おじいちゃんもそうですが、ポケゴートレーナーは大勢の人の前で正々堂々と不正を行っています。位置偽装に関しても田舎の方では示し合わせたかのように、あるいは計画的にレイドに偽装アカが参戦しているのが常態化しています。オートキャッチなんて持ってないほうがおかしいありさまです。また、複アカの中でも単なる倉庫や家族の共有だったりするともっと敷居が下がり、メインをきちんと持っているならサブもいいんじゃない?という感じです。
サッカーの話に戻りますが、サッカーで足ではなく手を使うべきという人は本当にいるのでしょうか?サッカーをしている人が「よし、今日は俺手を使うか」と堂々と言うでしょうか?みんなが観戦するイベントでも練習試合でもです。ラグビーで相手選手を意図的に気絶させたり、野球で審判をその場で買収したりするでしょうか?
しませんよね。それにそんなことをすれば観客や他の選手が苦情を言います。
サッカーやラグビーには歴史や文化があり、長い年月で様々なルールの変更があったわけです。禁止事項の増減やボールの形も初期と現在は全然違います。そんな歴史あるスポーツの中でわがままを言うのは馬鹿げています。スポーツはみんなが一つのルールの中で公平に行うから成り立ちます。
でもポケゴーはある程度隠れているとはいえ、ある種公然と不正が行われています。ポケゴーは個人のゲームですし、個人のコレクションを楽しむものだからです。スポーツなんかと比べられません。Twitterで複アカを公言している人がどれほど多いことか。確かに不正を行うことを良しとしないチームやグループは存在します。そういうのはある程度公になっているFacebookのグループなどですね。でも、そういう場所にすら複アカ・共有アカは沢山存在します。自分のいたところなんて、「アカウントを沢山持たないといけない人にも配慮しよう」という言葉が普通に発せられているんです。
ポケゴーにとって、不正行為はスポーツのルールを破るようなものとは別次元です。違反行為とされるのは単に厳格なルールのもとで行われるときのもので、日常生活やガチでやらないといけない部分、あるいは田舎などの人を集めづらかったりする部分ではちょっとしたルール違反は大目に見る傾向です。ちょうど、交差点のない道路で爆走している車のような感じ。制限速度60kmをちょっと超えてもそんなに気にされないし、誰も見ていないならほぼ無害だという認識です。
レイドに参加している人が複アカだったり偽装アカでも、それを注意するくらいならみんなで楽しくポケモンゲットしたほうがいい。そもそも多くのツールはBotによって成り立っているんだから、ツール使っている人は偽装アカを公然と認めているわけです。自分の見えない部分なら違反してもいいというなら、ひどい話です。
サッカーだって、チームの人数が足りなかったら相手チームから人を借りたり、審判がいないからハンドも大目に見ることだってあります。大きな大会とかでない練習試合やカジュアルな場面なら、決してそういうのはことは珍しくないし、そこに公式のルールを持ち込んでもデメリットにしかなりません。
結局、ブコメの人だって「倉庫アカならOK」と言ってるくらいだから、ポケゴーの規約違反ってそんなに突飛なことじゃないんですよ。
ポケゴーは位置情報ゲームだから、GPSを操作する位置偽装が駄目という理屈はある程度通じます。でも複アカとか共有アカって何が悪いんですかね?ポケゴーは1人で集めるのが基本ですし、複アカで集めたポケモンと単アカで集めたポケモンのどこに違いがあるのでしょうか?
なんで自分がこういうことをいうのか
それは複アカがポケモンGoでやたら声高に憎まれているからですよ。他のゲームでそれを指摘する人はめったにイないけど、なぜなのかポケゴーでは複アカが目の敵にされる。こんなにも多くの人が複アカ・共有アカでプレイしている現状なのに。これってポケゴー特有の事情があるせいだと思うんですが、どの人からも「ポケゴーで複アカ・共有アカがだめな理由や単アカである必要性」が明確にされていない。某山田氏に関しても、限定的なら複アカはOKだと公言しているくらいだから、実際のところ本当にだめな理由なんてどこにもないんじゃないでしょうか?
声の大きな人がいるだけで、他のゲームのように悲惨なチートには当たらないんじゃないでしょうか?
サッカーなら、その歴史や経緯を勉強すればいい。だけどポケゴーは最初からそういうのが存在しない。実際にその場所に行くことが大事、という理由では複アカとかを否定はできませんよね?
たとえ違反でもメリットが多いからやる人はいる。田舎では人が居ないしポケストも少ない。やるべきというより、そうしなければならない状況ってあるんです。
でも、できればみんな違反行為なんてやりたくないです。だからこそ、その現況を作っている今のゲーム環境の改善と、この不透明な規約を変だという声は必要なんです。
ルールに書いてあるから守るべき、という固定観念しかない人が自治厨になっているだけ。そんな気がします。まさにブラック校則。
1.ができていないなら増田はコミュ力が無いのではなく、自分が他人に拒絶されることを恐れているだけ。実際話してみたらなんとかなる。
2.ができないなら増田は拒絶を終わりだと考えている。拒絶は次の幸せへのスタート。ちゃんと向き合うように。
3.ができていないなら試しにメモを取るといい。もしかしたら増田にどうすべきだったか書いてみて、反応をみてもいいかもしれない(増田にはクソしかいないけど、それでも話す方がいい)
4.実戦あるのみ!テキトーに実戦したいなら同性ならオフ会、異性ならマッチングアプリがオススメ。練習試合はなるべく自分と関係が遠い人でやると良い。
自分たちの男性コミュニティ内部でのホモソーシャルな関係を優先して、平気で女性の尊厳を踏みにじるのも、二人が「早稲田大学の出身者」と聞くと納得がいく。
早稲田大学文学部の渡部直己のセクハラ事件が発覚した時も、被害者である大学院生の女性とその支持者に対して、大学側と渡部直己の子分の教員が「口を噤むように」と圧力を掛けていた。結果的に渡部は早稲田大学を止めたものの、結局は早稲田派閥と文学ムラのコネで仕事を恵んでもらって生き延びている。
まともに実験ノートも書いていない生物学者が学術上の新発見をしたと大々的に取り上げたのも、彼女が早稲田の人間だったから。
高校生の野球部員が練習試合でホームランを打ったとわざわざニュースにしたのも、彼が早稲田の人間だったから。
早稲田派閥は、悪い意味で「仲間意識」が強い。業績が怪しい人間でも「早稲田の人間」であれば、マスメディア内部にいる早稲田OBがスターに祭りあげようとする。
たとえ不祥事を起こして職を追われても、生き延びられるようにと早稲田派閥が便宜を図る。そのため、現在の早稲田内部に存在する不祥事予備軍の人間たちにも歯止めが掛からない。
久々の休日、ふと思い立ってTSUTAYAで映画を借りることにした
作品は、リマスター前の『えんとつ町のプペル』。最近リメイク版が公開されたらしいが、そちらはまだ見ていない。
ただ、ネット上の口コミを見る限り、今後も見ることはないだろう。
私にとってのプペルは、1984年に地元の映画館で見た、あのプペルで完成されているからだ。
『えんとつ町のプペル』はその表題の通り、1960年代の公害・大気汚染をテーマに描いた風刺作品だ。
中学までは野球部のエースとして活躍していたが、練習試合中に激しい喘息症状を発症。
四日市ぜんそくの罹患者となり、甲子園への夢を絶たれることとなる。
無気力となり、私生活や授業でもぼんやりしがちな風太を心配し、同級生も励ましてくれるが、効果はなし。
立ち並ぶ煙突からたなびく煙、紫雲の空。その下で生活しているため、激しい痛みや発作は時折風太を襲う。
そういった現状が、風太の気持ちをさらに空虚にしていくのであった。
そんな彼に声をかけたのが、同級の久志山(くしやま)であった。
特に接点のない彼に乗せられるまま、流れで電話級アマチュア無線技士の講習に参加する。
「遠くに住む人と交流し、話せる。こんな楽しい趣味はない」と力説する久志山にお古の機材を押し付けられ、
家族や近隣の男性の(半ばおせっかいな)協力に巻き込まれる形で、
一度目にCQ発信をするも、返信はなし。二度目は混線か、ノイズが返ってくる。
まあどうせそんなもんだ、と畳に身体を投げ出し、諦めかける風太。
周波数の向こう側から声をかけたのは、富士市に住む照子(てるこ・通称『ペル』)だった。
通信がつながるのは週に1度あれば良い方だったが、これをきっかけに風太は無線にのめりこむことになる。
ひょんなことから、互いに公害による喘息持ちということが分かる風太と照子。
次第に性格も野球を辞める前に戻り、久志山をはじめ学校の級友たちとも明るく話す風太。
そう立ち直る彼のもとに一通の手紙が届く。
宛名は照子に教えた住所。しかし差出人は、照子の母・きみのものだった。
発作がひどく呼吸困難となり、照子が市の中央病院にしばらく入院すると知った風太。
焦燥感を胸に一人、風太はヘドロと大気汚染の街・富士へと向かう――
そんなストーリーが、1984年のプペルだった。公害をもとにしたボーイ・ミーツ・ガール。
『えんとつの煙の下で、僕らはつながっている』という捻りのないキャッチコピーが示す通り、
しかし、その背景舞台には工業至上主義への強い批判・風刺が隠されている、という意味では真新しかったのかもしれない。
平凡な作品ながら、私の胸に残り続けていた作品、それがプペルなのだ。
……散々探した末、邦画コーナーの隅にプペルはあった。いつの間にかDVD版になっていた。
ビデオのまま廃盤となっていた可能性もあるので、正直運が良かったと思う。
出会いはゲームですが、彼とはとても仲良しで月に3回デートをしています。
同棲についても前向きに検討中です!2部屋にゲーミングPC置けて尚且つ回線工事できる物件がなかなか見つからなくて困ってます!
というのはどうでもよくて、その彼氏にガチ恋する女が現れましたって話。
私は彼とお付き合いする前から、彼に憧れて競技としてゲームに取り組んでいました。そのため彼のチームメイトや彼と仲良いプロゲーマー達ともファン兼選手として仲が良く、お遊びで一緒に練習試合に出たり、試合後にだらだら別のゲームをして遊んだり、Twitterでもふざけたリプをし合っています。
配信でも「増田さん来たよー」と誰かが言うと「増田さんこんばんはー」「増田さん寝ないのー?」等と私に声を掛けられることも多いです。
ここまで読むとオタク女の妄想???って感じで終わると思います。
でもそんな妄想みたいなシチュエーションにオタク女は憧れるわけで、遂にそのポジション志望の女が現れました。
クソ女さんは私がいない配信では彼にスパチャを送り、私が競技シーンから完全に引退するため選手としてのTwitterアカウントをログアウトする旨をツイートしたらツイートの文章を模倣、ブログのレイアウトや内容も丸被り、彼にLINEを聞くなどなど、まるで私のコピーが生まれて彼に媚びを売っているようです。
驚きを隠せません。クソ女さんは私と彼の交際を知らないために彼の女友達のポジションとして悪口を吹き込んでいるようです。
クソ女さんェ……ってレベルじゃねーぞ!と思わず古のネットスラングを組み合わせてしまうくらい驚きマンボー!
いやもう本当はかなり精神的に落ち込んでしまい、誰に相談すればいいかもわからず、毎日とってもたのしーじ!エイペ新シーズンでランクマやるぞ!地獄のバロラント!とか言ってられないです。全然楽しくない。
青軸のカチャカチャ音も聞きたくないし、カジュアルをソロで回せば野良に「女は帰れ!」と煽られるし、Twitchのアイコンなんて見てるだけで腹が立つやら悲しいやらです。
彼との仲が悪くなったわけでもないのですが、なんだか毎日毎日自分の偽物みたいなツイートやブログが更新されると頭がおかしくなりそうです。ブロックすればいいじゃんって思うかもしれませんが、いやもうめちゃくちゃ見ちゃう。すっごく見ちゃう。
自分の周りの人達が「どこかで見た言い回し」「増田とあの人仲良かったっけ?」と少し話題に出始めたのも悩みの種です。
恋愛マニュアル本(笑)で相談女に気をつけろって教訓はあったけど、自分のレプリカ女に気をつけろなんて項目なかったから対処方法もわからないです。
クソ女〜!消えてくれ〜!
コロナの影響でリモートワークになり、通勤時間分の余暇ができたことから、なんとなく新装版の1巻を買った。
おもしろい。
アマプラで配信されたアニメも観た。いいじゃんスラダン。なんで今まで読んでなかったのか、すごく悔しい。
もともと親がジャンプを含めた漫画好きで、家にドクタースランプ、北斗の拳、シティハンター、モンモンモン、奇面組、ターちゃん、ドラゴンボールとかが全巻あった。
けど親はスラダンと幽白のあたりから、ジャンプを読まなくなったらしくて(多分その頃の親はサンデーの方がおもしろくなったのかも。実家にはらんま1/2やうしおととらが揃ってた)、スラダンだけ全部読んでなかった。
自分も別にバスケに興味なかったし、バスケ漫画でしょ?って感じで。
一応高校のとき、図書館にあった完全版でミッチーの『安西先生……バスケがしたいです』のところまで読んで、「キリが良さそう」って思ってやめたきりだった。
そのときっていうか高校時代のときこそ、そこから先も読めばよかった。すごく後悔してる。
そしてめっちゃいい。
三井がバスケ部に戻ってからがスラダンはおもしろいとか、山王戦を読んでない奴はダメ、とか言われていた理由がわかった。
以下、思ったこと
・高校生の時は桜木花道の良さ(しかも序盤で読むのやめたし)が全然わからなかったけど、大人になると何気ない練習風景にめちゃくちゃ泣いてしまった。
ミッチーとの練習試合、「シュートの練習は楽しかった」、IHを賭けた陵南戦前の木暮との会話で、チームの一員としてIHに行きたいと思えるようになったところとかじわじわきた。
いい主人公じゃん。言われたことを素直に練習して、どんどんバスケの楽しさを理解していく姿に普通に泣いた。
・流川はスカしてるだけの天才キザ野郎かと思ったら、こいつもこいつなりに不器用に成長していってたんだなと思った。
オレオレ系かと思いきや、仙道や三井をきちんとリスペクトしているところが感じられてすごくいい。特に1on1はよかった。
・ゴリいいやつ。主将って感じ。メンタルたまに弱いけど、IH前の陵南戦の描写では「高3ってこんなもんだよな……」って懐かしくもなった。
・木暮くんめちゃ泣ける。ミッチーが戻ったあとは大人すぎない?
IH前の陵南戦での3Pはページめくる前に泣いた。本を持つ手が震えてた。たぶん一番泣いたかも。
・ミッチーは安西先生……のインパクトのままだったんだけど、むしろ復帰後の方が名台詞多いじゃん……。
レギュラーになった後は3Pバンバン決めてくれたり、海南戦後の試合での花道への先輩っぷりとか見て、読み手側として爽快感があった。
勉強合宿では親御さんに電話かけてるの観て、超ホッとした。(そういや当時は携帯なかったんだっけ?
・宮城:いいやつだよね
・90年代のアニソンっていい曲多いと思ってたけど、スラダンのアニメも、いい曲多いね!
世界が終わるまでは……は良すぎた。もう当時のボーカルは変わったみたいだけど、昨日音楽の日で歌ってくれて感動したよ。
最近の自分は仕事や資格試験勉強で、ついつい効率を考えちゃったり、一発逆転してやろうとか思っちゃってたりしたんだけど、
スラダンを読んだことで「筋道を間違えずに、愚直にコツコツやらないと」って雷食らったような衝撃を受けた。
気づくにはちょっと遅い年齢かもしれないけど、反省して最近は業務に関係ある勉強の、基礎からきちんと勉強してる。
きっと日本のどこかにもこういう高校生がいるんだろうなーそしたら自分も頑張らないとなーーーって勇気付けられたよ。
あーあともし中学・高校時代に全巻読んでたとしたら、牧や魚住を見てもきっと今ほど魅力に気づけなかったかもなって思った。
特に牧は、牧さえいなけりゃすぐにIH確定したのに……とすら思っていたかもしれない。
すごいよね牧。バスケのルールよくわかってないんだけど、4人で抑えられても抜いちゃったり、敵情視察したり同期や後輩をまとめたり、いい男すぎる。
あーなるほど、通常9人で満足に練習していて、体調不良(もしくは突然出たくないとかの理由で)メンバー不足のパターンか。
これも想定していなかった。ごめんなさい。私が考え足らずでした。
この場合は、9人でいつも練習できていたし、練習試合もまあまあやっていた時期あっただろうし、だから試合がどんなものかもわかっていただろうね。
ただの寄せ集めじゃなくてチームも有機的。これなら人数集めて試合に出たくなるのも納得です。
ただ、「助っ人を集めるような寄せ集めチームが勝利した」ということになるのか、というのは疑問。いつも満足に9人集めているわけだし。助っ人が必要なチームって本来その助っ人がいないと成立しないチームみたいなイメージがあるんだけど(とくにアマチュアの場合はそう)、その助っ人はあくまで補助として入ったみたいな感じだし。
たとえば野球だったら最低限9人必要。9人いないチームが試合をすることはできない。
試合をしたかったら、9人以上のメンバーになるようになんらかの方法で人を借りてくる必要がある。
いやいや、いつも9人で試合できてないチームが公式戦には出たいってことか。
いつも9人以上で練習して、練習試合を重ねているチーム相手に勝てないでしょ。「試合がしたい」って、いつも試合してないから試合がどういうものかもわかってないだろう。思い出づくりかもしれないけど、試合がどんなものかもわかってない状態でどんな思い出を作りたいのか。
その競技で満足にメンバーが集まらないなら、さっさとソロでできる他の競技に切り替えて、そちらで研鑽したほうが公式戦でも満足に戦えて思い出になると思うんだが、どうだろうか。