はてなキーワード: 洒落とは
朝は結構早くに出発して、9時頃には登山口だったのでまさか下山時に日没を迎えるとは思っていなかった。
同行者は登りではボチボチのペースだったが、頂上付近でバテ始めた。
頂上に14時ごろ到達し、その後30分ほどで下山開始、この時点ですら、まあ3時間弱で降りれるだろうと思っていた。
しかし、同行者の体力が尽きはじめているという事もあり、遅々としたペースになり、登山口まで600mほどで日没。
ヘッドランプと手持ちライトはあったので、まあいけるだろうと踏んで残りを消化したわけなんだけど
下山後に落ち着いて考えると、遭難の可能性はまあまああったなと思った。
日没のタイミングが登山口から1000m付近だと、急峻な地形とマーカーの間隔が広いことなどが関係して道に迷う可能性があった。
たった数百メートルだったけど、もしものことを考えたらゾッとしたんだ。
日没のタイミングと自分たちの体力、時間の見積もりは間違えると洒落にならんなという教訓を得た日曜日でした。
ペットボトルを枕にすると近未来の寝心地がする。無機質な部屋ですらない境目のない空間に君だけが見える。君はどこにもいけない。とても都合がいいが、どこか居心地が悪い。自分にも逃げ場がない。またとない機会なのに見つめ合っておしゃべりという気持ちにはなれない。せめて椅子くらいほしいなと思うと、えらく気取って座りにくい、人間工学に基づいているといいたげで、ただし芸術や消費者心理には基づいていない奇妙な椅子が現れた。
背もたれを前にすれば座りやすい気がして試してみたが、何か気恥ずかしいので組んだ手で顔を少し隠しながら、君の向かって左の肩の上を見つめた。何か話したような気がしたが恥ずかしいのでどんどん下を向いた。ついには一回転、でんぐりがえしをしたところで目が覚めた。
部屋に君はいなかった。洒落臭い椅子もなく、ゲーミングチェアのなりそこないと散らかった机だけがあった。有象無象を滑り落とし、PCを立ち上げ、なるべく安っぽいSFを探した。
※※ご注意!※※
伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社刊)の伏線の考察であり、トリック的な部分に深く触れています。未読の方はこの記事を閲覧しないことをお薦めします。
画商と画家、プロの泥棒、新興宗教の信者、精神科医とサッカー選手、失業した男・・・5つのストーリーが併走する、巧緻な群像劇ミステリーで、とても好きな作品である。
先日、書店に行ったところ、作家生活20周年を迎えた伊坂さんのフェアがスタートしていて、伊坂さんのインタビューが載った特別記念冊子も置かれていた。このインタビューの中で「二十周年だから明かせる、作品に関する秘密」はあるかと質問された伊坂さんは、『ラッシュライフ』について興味深い発言をされていた。
ここに引用してみる。
『ラッシュライフ』の冒頭の章扉に、「最高時速240キロの場所から~」と書いてまして、ある機会に一度話したことがあるんですが、あれって物語の構成を示唆している伏線なんですよね。その分野に詳しい人が、「あれ?」と違和感を覚えて、読み終えた後に、「そういうことだったのか!」と喜んでくれるんじゃないか、と期待していたんです。ただ、意外にそういった声は聞こえてこなくて、独りよがりだったかなあ、と少し反省しています(笑)。当時、最初の一行目にヒントがある、というのをやってみたかったのかな。
この「物語の構成を示唆している伏線」というのが気になってしまった。
引用文では「最高時速240キロの場所から~」と省略されているが、正しくは「最高時速240キロの場所から物語が始まる」。伊坂さんが話しているように、章扉に書かれている一文なので「章題」と呼ぶべきものだろう。
自分は『ラッシュライフ』は複数回読んでいるが、そういえば、この章題をさほど気に留めたことはなかった。
章扉の次ページから『ラッシュライフ』の本文になる訳だが、その始まりは「画商と画家」のパートだ。画商の戸田と画家の志奈子は得意先回りのために「のぞみ500系」に乗車している。
だから当然、「最高時速240キロの場所」とは、この「のぞみ500系」のことだろう。今まで単純にそう思いながら読んでいた。
1人でただ考えていても見当がつかず、何か手掛かりはないかと「のぞみ500系」でネット検索してみた。
すると、あれっ?と思う結果が出たのだ。
「のぞみ500系」は2010年に引退し今は走ってはいないが、運行していた時の最高時速は「300キロ」だというのである。
「240キロ」ではない。
では、この章題は、間違っている・・・?
やはり考えても分からなかったので、さらに『ラッシュライフ』の再読を進めることにした。
すぐに、あることに気づいた。
文庫版(初版)だとp.21、ここから「新興宗教の信者」のパートが始まる。仙台駅近くの喫茶店で、信者の河原崎がコーヒーを飲んでいるシーンだ。
河原崎がぼんやりと窓から眺めているのが、ホームに入ってくる「MaxやまびこE4系」である。
この車両も2012年に引退しているそうだが、それはともかく。
その最高時速。
「240キロ」だった。
重大なネタバラシをしてしまうと、『ラッシュライフ』は数日間の物語だが、時間的に古いエピソードから順に書かれている訳ではない。作者は5つのパートの時系列を崩して配置しているのだ。その配置によって、異なるパートの登場人物たちが接近しているように見えたり、時間を隔てたエピソードが連続して起きているように見えたりする。そう見えることがさらに謎を生み、ストーリーが錯綜しているように読者は錯覚してしまう。本書の読みどころは、その「騙し絵」のごとき、巧みな構成だ。
具体的に言えば、前述の戸田と志奈子の「のぞみ500系」乗車シーンは、冒頭ではあるが、実は物語の「いちばん古いエピソード」ではない。
それがはっきり分かるのが、p.450からの本文。仙台駅前に白人女性が立っている。彼女はスケッチブックを手にし、街行く人に声をかけて「好きな日本語」を書き込んでもらっている。登場人物たちがスケッチブックに書き込んだ順番がここで明かされることで、物語の正しい時系列が判明するのだ(本書には、このスケッチブックのエピソード以外にも、読者が正しい時系列を把握するための描写が随所に散りばめられている)。
時間的には、『ラッシュライフ』は河原崎のパートからスタートするのである。
河原崎は喫茶店から、最高時速240キロの「MaxやまびこE4系」を眺めている。
この章題は、「間違い」などではない。
これは「MaxやまびこE4系が描写されているシーンから、物語が始まる」という意味だ。
伊坂さんはインタビューで正解を語っていないので断定はできないのだが、「物語の構成を示唆している」とは、こういうことだろうと推測する。
インタビュー中の「その分野に詳しい人」とは、鉄道マニアのことだろう。
確かに、鉄道に詳しくないと、自力でここが「伏線」だと発見するのはかなり難しい。
鉄道が話の筋にに大きく関わる訳でもないのに、「500系」「E4系」と車両形式まで書かれていることにまず疑問を持つべきだったのだが、残念ながら今までまったく気にせずに読んでいた(戸田と志奈子は「のぞみ500系」を降りた後、東京で食事をし、仙台へ向かうためにまた新幹線に乗るのだが、その場面では、ただ「東北新幹線」と書かれているだけ。愛称も車両形式も記されていない。問題の伏線とは関係ない新幹線なので描写する必要がなかったのだろう)。
それでも、伊坂さんからのヒントによって、こうして『ラッシュライフ』に秘められた、伊坂さんの洒落っ気、遊び心を知ることができて嬉しい。この作品がより好きになった。
最後に、『ラッシュライフ』の5つのパートの構成については、『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』(河出書房新社刊)に、詳細な「時間/事件相関図」が掲載されているので参照するといい。
A子とはあるネットで知り合い、相互フォローする間柄となった。A子はオタ話以外にもコスメやファッションの話題もつぶやくタイプ。私生活が忙しいらしく、オタイベントにはあまり顔を出さなかった。去年、珍しくイベントに来たことがあり、たしかに垢抜けた人だと思った。顔は特別美人じゃないが、お洒落でカースト上位感はプンプンした。ただしカースト上位と下位が交わった時の宿命なのか、下位側が変に下手に出るというか、自虐や太鼓持ちをする人が出る。必要以上に「A子さんすっごい美人!」「私なんて〜」とかやっちゃうやつ。
イベント後、A子はツイート(主に自分語り)が増えた。アレを買った、これはオススメ、とかは良い。ただ自慢話が増えたのが気になった。ちょっとした褒められとかもそうだけど、目につくのはモテ自慢。
A子はオタクに見えないし、それなりの恋愛経験はあるように見えた。けど、ファンクラブができる(?)くらいの美人というにはちょっと厳しい。ていうかリアルでファンクラブができるなんてことがあるんだろうか…。私の高校には後にモデルになるくらい可愛く爆モテの女の子がいたけど、彼女にもファンクラブはなかったと思う。
褒められも、職場(良いところみたい?)の人に頻繁に容姿を褒められているみたいだけど、プラスとはいえ同僚の容姿にがっつり言及する職場ってかなり微妙じゃないか?と思うようになっていた。
全部が嘘とは思わないが、盛っている感がかなりする。結果、一部のフォロワーは彼女の信者みたいになり、一部は彼女をヲチ対象にしている。
A子は創作物も悪くないし、ノリも楽しいのに痛い人として小馬鹿にされてるのがしんどい。その上私自身も前ほど純粋に交流を楽しめないし、痛さに辟易してしまっている。以前よりイベントに積極参加するようになったA子からのアフターの誘いを、どう断るか悩んでいる。
日本が歌下手アイドルの国になった戦犯は誰なの?
あたかも洋楽エンタメの世界は歌が上手い人がもてはやされているような論調だが10年代以降のポップスの状況を顧みると、元増田は今の海外シーンを旧来の日本のエンタメ観で捉えてしまっているような気がする。
じゃあ今の海外シーンは昔とどう変わったのかって話をすると、それは大きくいってヒップホップがメインストリーム化したことじゃないか。
ヒップホップがメインストリームになったというのはEminemや50 Centみたいな音楽ばっかりになったってことではなくて、ポップスがヒップホップの感覚で作られるようになったということね。
旧来のポップスもとい今の日本の一般的な制作体制ってのは、基本的に作家(コンポーザー/ライター)、アレンジャー、歌手に分けられる。
メロディや歌詞を考える作家がいて、それを基にアレンジャーが音源仕上げて、歌手はクリエイターの意図に沿った歌唱をする。
一方ヒップホップっていうのはトラックメイカー(プロデューサーっていわれることも多い)と歌手という分類になる。
まず誰がどんな歌を歌うのか未定の状態でトラックメイカーがインストの音源を作り上げてしまう。それを聞いてラッパーや歌手自身がメロディ(ラッパーではフロウと呼ばれる)や歌詞を考える。
SNSの浸透でアマチュアでも大々的なプロモーションが可能になったため、無名だけどセンスいいトラックメイカーから安く音源を買って自分で曲を仕上げてヒットを飛ばすようなラッパーが増えたのね。
歌メロと歌詞を考えるだけなら知識がなくてもセンスで勝負できるからR&Bやヒップホップ畑じゃないポップス志望の歌手もそういう方法を取り入れるようになった。
そして細かいとこまで詰めてからやっと歌入れする旧来のやり方より、ヒップホップのやり方のほうが効率よく手早くできる。
また昨今のハラスメント排除の流れとかもあって「プロデューサーとかの操り人形みたいになってる奴ヤバない?」みたいな風潮ができてきて、歌手本人が制作に口出しできなければ健全じゃないというように見られだした。
Rケリーのいざこざが蒸し返されたり、Ke$haとプロデューサーの裁判があったりで、与えられた曲を一生懸命歌うような姿勢は奴隷奉仕としてリスナーに嫌われだしたんだね。
増田が例示したワンダイレクション、Little Mixを輩出したXファクターも二年前に終わっちゃったし、この二組のメンバーも今は曲作りに積極的に関わるようになってるよ。
で、そんなこんなでコーライティングという制作スタイルが定着したんだよ。
コーライティングというのは歌手を含めた複数のクリエイターがチームを組んで、ディスカッションを重ねながら制作とレコーディングを同時進行で行うやり方。
アイドルっぽい扱いされてる人でもなんでも最近の流行歌手の曲はクレジットみたらちゃっかり歌手本人の名前が記載されているけどそれはコーライティングで制作されているから。
前置きが長くなったけどつまり今の洋楽って歌手本人が歌いやすいよう最適化された曲ばかりだから下手になりようがないんだよね。
「ちょっとこの部分高音きついわ。直してくんない?」みたいな注文つけて書き直してもらうようなプロセスがあるから。
オーダーメイドスーツだからぴしっとお洒落に決まるみたいなもんだよね。
話が脱線するけど、だからシンガーソングライターは格上だとかアイドルとアーティストの括り分けみたいな、そういう日本人がもってる概念も洋楽には存在しないんだよね。
ライブとか曲制作にいっちょ噛みしてるかどうかでアイドルか否か、アーティストかどうか日本だと分けられるけど、才能あるなし関係なく洋楽はもうみんないっちょ噛みしてるからね。
それの何が凄いの?って。
まあアリアナグランデとかThe Weekndみたいに歌唱力が売りの一つな人もいるけど、下手なことでマイナス評価がつけられることはもはやないと思う。欠点を論っても仕方ないというか。
テイラースウィフトなんかはダンスも歌もいまいちだけどSNSでのセルフプロデュース込みのイメージ戦略と、赤裸々な歌詞で地位を築き上げたじゃん。
そもそも歌が下手な奴に無理強いさせて歌わせようって感覚がおかしくて
そこの違和感に気がつかず「最近の音楽は」なんて言ってる日本人の感覚がガラパゴスなのかもしれないね。
歌いたい奴が勝手に歌って、たまたまそれを見聞きして良いと思ったら応援して拡散させるっていうのがこれからのあり方なんだよ、きっと。
うちの夫も元増田の夫と似たようなもん。こんなになるまで何で妻を放置して自分はやりたい放題してるのか……私がうちの夫を十六年間観察し続けて思ったのは、夫の中の「夫婦像」がどえらく殺伐としていて、しかもその思い込みが強固なんだよね。他にも夫婦の在りかたってあるだろうといえば、夫にとっては夫婦というのはそれしかないんだな、本当に。
私の夫が思ってる夫婦像はこんな感じ。
これ一度に聞き出したんじゃなくて十六年間小出しに聞いてきた夫の価値観なんだけど、書き出してみるとすげーな!と感心してしまったわ。何でこんな糞みたいな価値観が形成されて来てしまったのかというと、夫周りにはろくな同性の先輩や友達がいないからなんだよね。親だってかなりのもんだし。夫の子供時代、父親が母親を酒瓶でぶん殴って母親が流血とか、そういうんだもん。
だから「離婚だ!」なんて脅しにもならないわけ。離婚するのをおかしいと思ってないから。女は卑怯な生き物だからいつだって男を捨てて逃げて行くものだと固く信じて疑わなかったせいで、物凄い人数の女遍歴があるわけだが、長くて一年未満しか続かないという。
でもうちの夫は十六年でだいぶ変わった。さすがに毎週末はキャバクラと風俗を梯子して朝帰りなんかしなくなったし、私の話を少しは聴くようになった。
でもそれは私の努力が実ったんじゃなくて、単に夫の置かれる環境が変わっただけ。転職したら、職場の先輩や同僚に愛妻家が多くて、夫は自分の価値観で家のことや私の悪口を話したりしたら、同僚や後輩に本気で引かれたり、先輩や上司にこんこんと説教されたりして赤っ恥かいたのが利いたみたい。
あと、子供ができたことで幼稚園の行事などを通して他所の家庭の旦那さんと知り合ったのも大きいと思う。これまでの女を泣かせた自慢でマウントが取れた人生が、全然自慢にならなくて、良い旦那・良いパパ選手権みたいな……まあ夫が勝手に張り合ってるだけなんだけど……それに負けたくなくて、最強の愛妻家になりたがってるみたいだよ。私はなんかガックリしちゃうけど、前よりはずっとマシだからまあいいか、と思って諦めた。そんなことより私は私の楽しみを見つけようと思って……。
表題の通り。
四連休の3日目の月曜日の今日、暇でゴロゴロ布団で惰眠を貪っていたんだけど、その時、歯車のような、流線型のような、模様のような黄色?の幻覚のようなものが見えたんだ。イメージ的にはお洒落な雑貨の幾何学ちっくなデザインのような、あるいは典型的なサイケデリック模様のような感じ。
特に昼寝の時、覚醒と睡眠の狭間にいるときに、多かれ少なかれ見るんだ。で、これは自分にとってまあまあ普通のことで高校ぐらいから見える、というか知覚できるようになった。当時、友達に話してみたけどわかんないって言ってた。増田のみんなで経験がある、またはその分野に詳しいという方、コメント待ってます。
以下追記です。
→閃輝暗点
偏頭痛もちだけど、その時は現れない。しかも、生理的な、単にギザギザした光の形というというよりは無意識、夢の世界に近くて、アーティスティックぽささえあるように思える。頭痛はないけれど、倦怠感はある。
→ ナルコレプシー
Wikiで調べたんですが、これ系ぽいですね。わりと慢性的にやや倦怠感があり、特に感情が高ぶったりすると、運動神経全般がぎこちなくなるような感覚があります。ただ、軽く力が抜けるという程度で、倒れたり、体が動かなかくなるというのはないので、この症状と上手く付き合っていきたいところです。なお、神経内科で診てもらうのも検討しておきます。
当時から結構な音楽好きで、サイケデリック・ロックやプログレッシブ・ロック(すまんが知らん人はググってください)をよく聴いていて、何となく幻想的な精神世界に興味を持っていました。初めてこの症状を見たときは、高1の冬休みに、チャイコフスキーの『冬の日の幻想』を聴いていた時で、(とは言ってもそこまで自分には響かず、退屈感も少なからずあった)目を閉じると幻覚的な光景が、色鮮やかに映し出されていって、不思議でもあり、怖くもあったのでますが、知的好奇心に身を任せ、束の間の風景を楽しんでいました。こうしてみると、この症状は少なくとも自分にとっては音楽と強い関わりがあるように思えます。
さて、みなさん。カレー弁当をご存知でしょうか。あまり聞きなれない方もいらっしゃるかと思います。カレー弁当は、カレーを弁当として持ち運べるようにしたもの。弁当にカレーを持って行こうという荒業について、おすすめしていきます。
・主食の準備
・加熱の方法
今回ご紹介するカレー弁当の特徴は簡便のひとことに尽きます。簡便とは簡単で便利の略なのかどうかは、判断の別れるところ。兎にも角にも手間暇をかけずに職場での昼食のクオリティー(QOL)を極限まで高めることができる弁当です。
価値の高い弁当とは、早い、安い、うまいとオレンジ色の牛めし屋のようなキャッチコピーのごとく、手間がかからず、財布にやさしく、食べたらおいしいと三拍子そろった状態の弁当のことを指します。
どのようにして価値の高い弁当を実現するのか、成功の一つ目の鍵はレシピにあります。ルーではなく、インド風のものをご近所で手に入る材料で仕上げていく。これがこのカレー弁当のポイントの簡便をクリアすることになります。少し前に増田に投稿されたレシピがたいへん参考になります。
・材料
たまねぎ 2個 涙が出ないように冷やしておく 116円 値段が高いときは1個にする
にんじん 1本 78円 いっぽんでもにんじん 値段が高いときは省略
青唐辛子 3個 ししとうでもよろしい 158円 値段が高いときは省略
一味唐辛子パウダー チリペッパーがご近所に売っていないので、エスビーの詰め替え用で代用 辛みを求めない人は不要
インデラカレー粉 ご近所のスーパーで売っている限界のアイテム それすら手に入らないときはエスビーの赤缶
一回分の野菜と肉で税別818円、税込みで899円となります。1日分で180円となります。
3 適度にフライパンの火加減を見ながら、ニンジンを刻み、フライパンへ入れる。
4 フライパンの真ん中をドーナツ状にあけ、適度にフライパンの中身を混ぜながら、鶏肉を切る。
5 真ん中の火の強いところへ鶏肉を入れ、焦げ目をつけるように焼き、あらびきのコショウをかける。
6 面倒なので、たまねぎ、にんじん、しょうが、セロリをフードプロセッサーで液状に粉砕する
8 真ん中をドーナツ状にあけ、トマト缶と粉砕した野菜を入れ、加熱。
9 塩を小さじ2入れる
10 トマト缶に水を8分目ほど入れ、トマト缶の中を洗い、フライパンへ水を入れる。
14 インデラカレー粉を小さじ2入れる
15 混ぜてなじまさせて、できあがり。
これで、4から5食分のカレーができる。洗い物もフライパンとフードプロセッサーだけで済み簡便。辛いのが苦手な方は、一味唐辛子パウダーと青唐辛子を抜きましょう。食材の水気を飛ばして、うまみを凝縮していくイメージが大切。しかしながら、最終的に少し水分があったほうがそれっぽく仕上がります。
保存の方法は、110円(税込)ショップで購入した直径12センチ、孵化さ4センチほどのお皿になります。5個用意しておきましょう。
フライパンにできあがったカレーを5つのお皿に均等に盛り付ける。少し冷まして、ラップをかけて冷蔵庫で保管します。これでカレー弁当をスタートする準備が整いました。30分の調理で5日分の弁当が900円ほどの費用で完成しました。セロリ、青唐辛子、しょうがを省略すると414円の節約となり、一食あたり89円の激安弁当となります。
カレー粉、油、唐辛子パウダーは何回か使えるものとして別勘定にしてあります。カレー粉(550円)と唐辛子パウダー(165円)は、8回は使えると思います。1調理あたり89円、1食分89円に17円を加算しても106円となり圧倒的な「安い」を実現しております。
ちなみに野菜の重さを合計(玉ねぎ2個400g にんじん200g トマト400g セロリ100g しょうが80g ししとう120g)すると1300gとなり、5日分とすると260g、4日分とすると325gとはてなで推奨されている1日の野菜摂取量の350gに肉薄する結果が出てきます。カレー弁当は、さらに450gの野菜を追加することができるのであれば、5日分を作って、1日の野菜が1食で摂取できる完全食となることができるのです。
ここまでの調理で明日のお昼ご飯にすぐに持っていけるカレー弁当が5回分完成しました。完成と言ってもカレーの部分だけで、主食がない。これでは未完成と言わざるを得ません。暇だったら、強力粉とイースト菌でナンを作ってもよいのですが、簡便さを実現するためにごはんかパンを選びます。
パンは、いろいろ試したところ、超熟フォカッチャがこのカレーと合うことがわかりました。超熟フォカッチャはこのカレーとの相性が非常に高い。しかし、超熟マフィンと比べて取扱店が少ないの問題です。入荷するご近所のスーパーを調べておくとカレー弁当の完成度が最高に高まります。超熟フォカッチャを入手できないときは、マフィン。マフィンがないときはヤマザキの塩バターフランスがよい。この辺りはいろいろと試行して、パンメーカーの地域制も考慮して、好きなパンを見つけていただきと思います。
ごはんであれば、私の場合は2合炊き、カレーを入れたお皿と同じお皿に1合ずつ入れ、ラップをして冷蔵保存します。解凍が面倒なので、冷蔵で十分です。カレーのごはんは、長粒種を食べたいところですが、お米には莫大な関税がかかるようになっており、温暖な土地で二毛作、三毛作できて激安な長粒種のお米も関税のおかげで消費者の手元に届くときには、5kgで2000円くらいの国産米と価格をそろえられた状態になってしまいます。この関税障壁がなくなれば、カレー弁当は日本国内でさらに普及する可能性が高いです。みなさんの力でカレー弁当議連にはたらきかけて、長粒種の関税を引き下げ、カレー弁当の普及に尽力していきませう。
前人未踏のカレー弁当。日本ではカレー弁当を安全に職場や学校へ輸送する手段が確立されていません。完成したカレー弁当は、110円(税込)ショップの皿にラップしただけ、汁気があるという悪条件です。さらにカレーの特有のにおいもあり、輸送途中のアクシデントは、通勤電車をシェアする人たちの衆目を集めることは間違いない。車での通勤でも、まんが頭文字Dの豆腐屋の配達員のごとく、加減速や曲線運転でカレー弁当を車内にぶちまけない慎重かつ大胆な運転が求められます。
この悪条件を克服するには、保冷タイプの弁当用のトートバッグを用意するとよい。保冷タイプのトートバッグの内側は、キャンプで使う銀マットの素材でできており、仮にカレーが皿とラップの隙間から漏れたとしても、外に漏れることなく、銀マットの表面はティッシュペーパーで拭き取れば、カレーの痕跡が残ることがありません。カレーの上にはごはんか超熟フォカッチャとスプーンを入れて、しっかりとジッパーを閉めます。
自転車やバイクの場合はどうするのか。先人の知恵である出前品運搬機を荷台に装備します。岡持ちを出前品運搬機に固定すれば、安全に職場へカレー弁当を運ぶことができます。
ロードにお乗りの方は、フレーム工房でキャリア用のダボを溶接してもらい、そこへ後部キャリアを固定。そのキャリアに出前品運搬機を固定するとよいです。バイクにお乗りの方は、これを機にスーパーカブシリーズへ乗り換えをすすめます。スーパーカブには、出前品運搬機を簡単に取り付けられ、カレー弁当の輸送が比類なき進化を遂げます。
ここまでの行動で無事にカレー弁当を会社へ持ち込むことができました。冷蔵したカレーを保冷バックに入れて運ぶとこの夏の35度を越える暑さのなかでも腐敗することなく安全に輸送することできることも確認できています。季節対応も安心です。
加熱に関しては、お洒落な事務所で火器を使用することはできない可能性が高い。ラップをしたままのお皿を電子レンジで加熱することとします。事務所に電子レンジがない方は、職場の休憩室に電子レンジを寄付する荒業を使うと感謝される可能性が高まります。わざわざ輸送が難しい陶器製のお皿を使ったのは、電子レンジでの加熱を成功させるためです。タッパーウェアやジップロックのような樹脂製の容器は電子レンジでの加熱が苦手なので、温まり感がよい陶器製の容器を使うことをおすすめします。電子レンジでの加熱時間は、2分50秒くらいがよい。10秒のボタンを5回押すのが面倒ですが、しっかりと加熱されつつ、容器をギリギリ持てる熱さになります。すぐに持つと熱いので、コピーの裏紙を重ねて、手をやけどしないように取り出すと安全です。
食事のあとは、お皿とスプーンを給湯室で洗ってから持ち帰ると帰りの輸送が安全になります。
手間がかからず、財布にやさしく、食べたらおいしい、三拍子そろったカレー弁当のノウハウをみなさんにお伝えしました。このカレー弁当はとても優れた食事です。しかし、あらぬ中傷受けたりやインドとの外交問題に発展する危険性を秘めていることを注意点として述べておきたいと思います。
毎日カレーを食べていると、戦隊モノの黄色マンみたいとかキン肉マンに出てくるインドの超人かよなどと見識の低い意見を述べる小並感のある同僚が現れる可能性があります。戦隊モノの黄色マンかよという誹謗中傷は、国内問題なので我慢すればすみますが、インドに対する偏見のようなことを言われるとインドとの外交問題を念頭に置いて行動する必要がある。一個人としては、同僚のSNSアカウントでインドに対して失礼なことを言っていないかチェックすることくらいしかできません。この点に気を配りながら、カレー弁当をご利用することを望みます。
男だが先日痴漢にあった。
電車の中で知らない男にいきなり密着された。肩に乗るあいつの顎の感触がまだ残っている。
そんなに混んだ電車ではなかったが、誰一人助けてくれなかった。すごい孤独感。急に世界のあっちとこっちになった感じ。
頭の中は「え?なに?なに?うそ?うそでしょ?」と思っていた。もう小さくなって目をつぶるしかできなかった。
痴漢はマジで怖い。全く知らない人間にいきなり密着されるというのは男性にとってもすごい恐怖だ。30近い良い年した男だが、マジで怖い。いや洒落にならん。あれに立ち向かえるってどんだけメンタル太いんだろうね。
痴漢なんかぶん殴ってやればいいとかいう人、無理だ。あからさまに異質な生き物が突然眼の前に現れたのだ。何が起きるかわからないというのは凄まじく怖い。
何より怖いのはこれを打ち明けても「気のせいだろ?」とか「で、気持ちよかった?」とか「いっそ新しい扉開けば?」とか男女問わずひどい反応だったことだ。
え、女性ってこういう被害にあった人の気持ちわからないの?というのも驚きだった。こういう話を聞いてむしろ楽しそうな女性陣。いやまじで怖かった。
で、ここまで書いて言うんだが、前の2段落は嘘だ。誰にも話せないわこんなの。
うちの自治体はなにかと隠蔽体質だもんで。過去に教育・保育関係での洒落にならないトラブルがいくつかマスコミにすっぱぬかれて大ごとになっているくらい。それでも自治体の長が交代してましになったかなと思ったら、この状況です。保育園は自治体が運営している認可保育園。だからこそ隠蔽されてるのだろうと思われ。
自治体内感染者第2号(1号と同じ職場に勤める濃厚接触者)が、所属先を明らかにされないまま不適切な行動(発熱し感染を自覚していながら飲食店や人の多いところへ出掛けた)だけが公表されてしまい、批判が殺到してしまったということがあって、たぶんそれで迂闊に情報公開出来ないって発想になったと思われる。けど、情報公開の仕方がおかしいのを改善せずにだんまりを決め込むのは間違ってると思うんだけどな……。
職場が自治体の外なのだけれど、同僚には私と同じ自治体在住の人達が複数いる。皆子持ちで自治体内の保育園や幼稚園に子供を預けている。職場のオーナーには誰を休ませるべきなのか正確な情報が入って来ないので、まあ困ってるだろうな。子供が濃厚接触者になってるのに嘘吐いて出勤してくる人がいたとしても、分からないんだし。
例年の秋冬だと、やっぱりうちの辺りでも子供が高熱出してるのに登園前に解熱剤を投与して無理矢理登園させるというのが普通にある。それが悪びれもせずに世間話として普通に語り合われている。でも今年はさすがにそれはやりにくいんじゃないかなと思う。子供を無理に登園させることの出来る家は、子供の早退に対応出来る身内がいるからそうするんだけど、さすがにコロナ感染の疑いがある子供を預かってくれるのは身内にだって中々いないから……。
ある程度年相応の店はわかるが服を選ぶ中で地雷な要素にぶつかるのだ
露出だ
露出といっても胸元を晒せだの尻を見せろではない。
襟首が肩まで開きすぎていたり、背中を見せる穴が開いていたり、インナー着るとはいえワキが開きすぎていたり
地雷なので他がよくても買う気持ちがなくなる。忌避の気持ちが強い
人それぞれ露出の服への許容範囲は違うと思うが自分の場合確実に狭い。
冬服には露出は無いが代わりに「流石に冬にそれ着て寒くないですか? 生理大丈夫? 生理じゃなくても大丈夫??」
と思わざるを得ない寒そうな服は買えなくなる。
結果夏は露出はなく、冬は防寒重視
もちろんこの範囲の中でもよく見える服は買えなくはないのだが、同年代の中でおしゃれな子たちの着ている露出や寒さに立ち向かう服の方が周りから洗練されて見えるのだろうなと思ってしまう
ちょっと説明が足りてなかったようで違う捉え方をしてる人がいるようなので追記
見苦しいとか歳だから露出が嫌なのではなくただ単に露出に忌避感があるのだ。
ただのTシャツでも首が開きすぎてると露出に感じてダメで、袖のないワンピースですら上に何か羽織らないと気分的に着られないしプールではラッシュガードは欠かせない
最近露出が流行っていないという人にとっては普通の服かもしれないが自分にとっては最近の服も露出がある服で上に書いた例も今年服屋で見たものである。
でもちょっとしたワンポイントの肌見せはアパレルメーカーが洒落た感じを出すための仕方ないことなのだろうなと思ってる。
あと自分は20代だが、40・50代向けの服でも自分にとってはちょっとした露出として捉えられる要素が含まれているように感じる(適当に美魔女層向け雑誌のサイトで服とか見たが無理だった)
きっとこの気持ちはずっと続くのかもしれない…
自分が子供の頃はディズニーやピクサーのようなアメリカコンテンツに対して「小洒落た感」を感じてあまり好きではなかった。でも大人になった今は違う。現代に生きる子供たちには全力で推したい。日本の子供向け作品に比べて、ジェンダーや人種や多様性や人権への配慮が圧倒的に違い過ぎる。
https://twitter.com/KTB_genki/status/1202918311320645632
ツイフェミなどと言ったり、日本のフェミニストはフェミニストじゃない(?)と言ってる人がいるけど。
私自身毎日言ってることは、DisneyやG7を始めとした海外先進国等世界中が言ってることと同じなんだけど。
他に吐き出すところがないのでここに書く。
私は多分、肩書き的にはエリートに分類される女だと思う。都内の中高一貫女子校からストレートでいい大学を出て、いい企業で働く若い女だ(こういうこと書くと、この掲示板では「うんち」って言われるのもなんとなく知ってる)。
そして私は多分、ミサンドリストだと思う。女子校から半ば男子校みたいな大学に入って、すっかり男性が嫌いになってしまった。容姿やメイク、服装に口を出されるのが本当に嫌(お前らは襟ダルンダルンのクソダサ英字Tシャツ着てるのに、どうして同じ学歴でも女はコンサバ系のお洒落じゃなきゃいけないと思ってるの?)。勝手に「ヤレる/ヤレない」でランク付けられたのが嫌(こっちから願い下げ)。生理痛が重い人間なのだが、それを理由にサークルを休んだらセクハラと嫌味を言われたのも嫌(男子も男女別学出身者が多いからだと思うけど、とにかく女の体について無神経)。
サークルでも、渉外先のおじさんに散々体触られて家に帰ってからわんわん泣いた。やめて欲しいというメールを送ったら次から電話を無視されるようになった。
就活も地獄。うちの大学から行くのが現実的な企業は、管理職のほぼ100%が男性だ。ある大手広告代理店のインターンは、講師役のお偉いさんはみーんなおじさんだった。
女性にはキャリアの断絶があり、それは出産だけではない。同じような経歴の男性の多くは育児を手伝ってくれない。というかそれこそ学歴や職歴が下でも手伝ってくれない。そのせいで女性は男性より出世できない。結婚orキャリアの世界だ。女子校時代に教えて貰えなかったこ情報が一気に入ってきて、私は一時期躁鬱の薬を飲んでいた。
そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、ヒプノシスマイクの中王区だった。
ヒプノシスマイクはガバガバ女尊男卑の世界線を描いた女性オタク向け音楽ジャンルだ。言の葉党というラディカルフェミニスト政党を中心に、女性が実権支配している中王区には壁が築かれ、男たちは重税をかけられながら壁の外で暮らす。中王区に住む女たちの娯楽として、メインキャラクターである選ばれし男たちがラップバトルをする、というストーリーだ。
現状の男尊女卑のミラーリングになっているかというと、全くそんなことはない。女オタクはなんやかんやで地位の高い男性キャラが大好きなので、メインキャラクターたちもかなりいい職に就いてる人間が多い。医師、弁護士、キャリア警官、教師、売れっ子漫才師……ドラマパートでも、彼らが女性に虐げられるシーンはない。モブ女性は柔らかい声で彼らを「先生」と呼ぶ。
恐らく、女尊男卑の制度が出来て日が浅い世界線なのだと思う。既に公式から出されている情報と合わせてみても、ベースは現代と一緒。現世に嫌気が指した言の葉党員たちが革命を起こし、戦争を経て、勝ち取った社会の潮流を無理矢理変えるべく「男性にだけ重税をかける」という方法に出たのだと思う。
いや、それが悪いことはわかる。私はミサンドリストだけど、実際に男性に重税に苦しんで欲しいわけじゃないし、どうせなら両方が楽になる道を模索したい。だからやっぱり言の葉党がやろうとしていることはラディカル過ぎる。彼女たちが完成させようとしているのはポリティカル・コレクトネスではなく男性への復讐だ。
でも、せめて、フィクションの中くらいは、不満を持った女性たちに好きにさせてはくれまいか。
物語の進行構造上、これから男性キャラクターたちが言の葉党を打倒することになるだろう。「平等を掲げた男たちが女たちを打倒する」ストーリーだ。でもそれで勝ち得た社会は、本当に平等な社会なのか?絶対に元の木阿弥、男尊女卑に逆戻りだと思う。
嫌だ、言の葉党が負けるのが怖い。このまま「女性しかいない国」を保って欲しい。フィクションの中だけでいいから私に逃げ場を残しておいて欲しい。
これが中王区のMVだ。最高。男に媚びない強い女最高。
彼女たちはここまでのし上がるのに、どんな努力をしてきたんだろう。一応血反吐を吐くような試験勉強や就活を経てきたキャリア女性である私は、勝手に共感して苦しくなる。
「男のためではなく、自分のために」露出度の高い格好をしているキャラクターに心の底から共感する。MVが出てから余計に中王区が好きになった。
助けてくれ。怖い。中王区が倒されるのが怖い。せめて彼女たちが国外逃亡して、その先で男尊女卑に怯えず幸せに暮らしてくれないかなと願う。
28歳 女
母の辛く苦しんでいる姿をわすれることはない。
もう子供とは言えない歳の兄だが、自立した生活は送れていない。
わたしの子供も同じような障害を抱えて産まれてきたら、心のそこから愛せるのだろうか。
母の苦しみ、兄へ抱く感情、それらを思うと、愛せる自信がない。
だけど、そうじゃない、「健やかな我が子」を抱きかかえる未来への羨望。それは確かにあるのだ。
いちかばちかな気持ちで子供を作るほど、わたしに植えついた負の感情は弱くない。
そうなると、どうしても「自分の子供がいない未来」しか見えない。結論はいつも同じ。
それでも羨望は消えない。
幸いにも、パートナーは「2人で過ごす未来」を受け入れてくれている。
年齢的に相手はまだ子供を作ることができるだろう。相手がわたしでなければ。
もちろん38歳で絶対に産めないということは無いかもしれないが、さまざまなリスクが今とは段違いに高くなっている年齢だ。
今そのリスクを受容できないのに、38歳の自分が受容できるだろうか。
世の女性は、この気持ちにどうやって折り合いをつけているのだろう。
子供を産むことに葛藤のない、それが当たり前と信じて疑わない女性もたくさんいる。
産まないことを選んだ女性も。