2020-09-01

自分の子供がいる未来への羨望

自己紹介

28歳 女

若い頃は漠然と、ここ数年は真剣

自分の子供がいる未来」について考えている。

子供が五体満足で、なんの病気もなく産まれてくる確証はない。

わたしの兄は発達障害を抱えている。

母の辛く苦しんでいる姿をわすれることはない。

もう子供とは言えない歳の兄だが、自立した生活は送れていない。

可能性が高いかいか、それはわからないけれど

わたしの子供も同じような障害を抱えて産まれてきたら、心のそこから愛せるのだろうか。

母の苦しみ、兄へ抱く感情、それらを思うと、愛せる自信がない。

だけど、そうじゃない、「健やかな我が子」を抱きかかえる未来への羨望。それは確かにあるのだ。

いちかばちかな気持ち子供を作るほど、わたしに植えついた負の感情は弱くない。

そうなると、どうしても「自分の子供がいない未来しか見えない。結論はいつも同じ。

それでも羨望は消えない。

幸いにも、パートナーは「2人で過ごす未来」を受け入れてくれている。

しかし、10年後も果たして同じ気持ちだろうか。

年齢的に相手まだ子供を作ることができるだろう。相手わたしでなければ。

もちろん38歳で絶対に産めないということは無いかもしれないが、さまざまなリスクが今とは段違いに高くなっている年齢だ。

今そのリスクを受容できないのに、38歳の自分が受容できるだろうか。

世の女性は、この気持ちにどうやって折り合いをつけているのだろう。

子供を産むことに葛藤のない、それが当たり前と信じて疑わない女性もたくさんいる。

葛藤の末で産むことを選んだ女性もいるだろう。

産まないことを選んだ女性も。

産みたくても産めない女性からしたら洒落臭い悩みなのかもしれない。

わたしだってわたしパートナーの血を分かち合った五体満足で健康子供が欲しい。

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