はてなキーワード: 技法とは
https://anond.hatelabo.jp/20240628220617
いい質問だね
「なんでみんなそんなに悪魔化出来るの?」
政治界隈が政敵を悪魔化するのはそれが支持者への精神的報酬だからだよ
話は逆だ
そこまで恨みがない相手に現実の不満を集約し、悪魔化して叩く根拠を与えるから意味があるんだよ
それが政治のリーダーに求められる、フォロワーへの協力報酬の支払い方としてメジャーなんだ
ちょっと考えてくれ
政治運動には多大な労力がかかるのに、協力者に報酬を払う方法は非常に限られている
まず、金が払えない
当たり前だと思ってるやつ、この難しさを舐めすぎ
いやマジで舐めすぎ
金が払えないんだぞ?
労働してもらうのに、対価として妥当なカネが払えない、この資本主義社会で
それどころか経費すらまともに払えません、持ち出しです
イカレてやがる
もちろん中核となる専従人材に必死こいて法人やら経由してなんとか金を渡すことは制度上可能ではあるが
その出どころはどこなんだって話
何らかの利権にありついて分配するの?ものすごい求心力があって寄付金がくるか?
まあ与野党の最大派閥にくいこんでてどうにかってレベルでしょうね
それすら末端まで動員するには全く足りません
しかもそれ自体が政敵に叩く根拠を与えるわけだからそうそうできない
労働者として雇う妥当な待遇より圧倒的に低いとしても方々から叩かれる
お前らそのためになんか行動したことあるんですか?
なぜなら、実際に政策を変更し未来を変えられるのは選挙などの政治闘争に勝ってからだからだ
政治は負けたら何も得られない
必死こいて借金積んで選挙に勝っても議会多数派にならなければ政策は通らない
議会多数派になったらなったで種々の現実的な制約で過去と同じような政治をやりはじめる
こうなると未来への約束、マニフェスト類は単なる未払いの焦げ付いた借金に成り下がる
それは悪を叩く快楽だ
ただし、叩く原因がムカつくとか顔が気に入らないとかその程度のものでは人は満足しない
自分たちを脅かす悪
それと戦うことが最大の快楽なんだよ
世界全てに負の影響を与え排除すれば世界がよくなる「悪」である根拠を支持者に与える必要がある
まあ進化的には共同体を維持するため全体の利益に従わないやつを叩く行動が云々とか
お前らが金をもらわなくてもやることなんてネット炎上ネタを必死に叩くことぐらいだという事実で十分説明可能だろう
それが悪を叩くことだ
そのためには敵を悪魔化する技法こそがリーダーに求められるのです
それさえできれば選挙に勝つ必要すらなく政治運動は継続できます
その技能が低いと報酬を払えず集団の維持運営ができずに崩壊するので政治界隈にとどまれません
終わり
換喩(かんゆ)。修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。
米飯を意味する「ごはん」「めし」を食事全体の意味に用いて、「朝ごはん」「晩めし」などと称する
など
https://anond.hatelabo.jp/20240623011829
漫画もやたら絵描きに評価されてるけど絵の素人にはよくわからない
後追いだとそういう評価になるのは別に間違ってない。ただし漫画家はじめ玄人層からの絶賛も正しい。
「大友克洋の漫画技法」というのは日本のマンガの歴史においてソルトラークそのもの。
斬新さと完成度を兼ね備えていたが故に「特定作家の個性」ではなく絵柄(もう少し広く「作劇手法」でもいい)丸ごと咀嚼されて、以後日本でストーリー漫画を描く上での必修科目になった。
これが起きたのはAKIRA(連載83年~90年)以前の、「ショートピース」刊行(79年)や「童夢」掲載(80年~81年)の頃。
(もちろんどれだけ大友を取り入れたか、という作家個々の選択にもよるが)70年代以前と80年代以降で「なんか古臭い絵柄のマンガ」の比率が大きく違うのはそういう事で、
(ある意味その後の絵柄の進化が大きくないとも言えるわけだが)現在でも80年代のマンガの多くが絵柄の違和感なく普通に読めてしまう、というのは実はとんでもないことだ。
例えば80年代には40年代のマンガなど大半が絵柄の時点で古臭くて読むのに努力がいるものだったが、本来は文化、特に流行という側面のある大衆文化の変化はそういうものである。
ところが、現在のマンガ読みにとっては(少なくともストーリー漫画については)、「40年前でも普通に読むに堪える絵柄の作品が多い」という妙な事態になっているわけで、
これには「作劇手法面での十数年分のマンガの進化を大友克洋一人で先食いしたせい」というのは多分にある。
「大友以前・大友以後」と良く言われるのはそういう話であり、ゾルトラークが一般攻撃魔法になったように、我々はまだ「大友以後の時代」に生きているのだ。
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
山奥SEOは、検索ボリュームが非常に少ないニッチなキーワードをターゲットにして検索エンジンの上位表示を狙うSEO手法です。この手法は競合が少なく、特に小規模なサイトや新規のブログにとって効果的です。
オリジナルコンテンツを提供することで、被リンクやサイテーションを獲得しやすく、専門性や信頼性が向上します。
ユーザーの具体的な悩みや質問に応えることで、強いリピーターを獲得しやすくなります。
当方は、以前から山奥SEOを実践しており、山奥SEOを実践してみた ニッチなキーワード策定から結果までではその取り組みをお伝えしています。
今回は、具体的に山奥SEOに使えそうなキーワードを具体的に挙げてみます。ぜひ、サイト作り・キーワード選定の参考にしてみてください。
『YMYL(Your Money or Your Life)』に該当しないニッチキーワードを中心に選定しています。健康、金融、法務などのトピックは個人サイトで戦える領域ではありません。避けるようにしましょう。
以下は、2024年6月時点において上位クエリにnoteや個人運営ブログ(独自ドメイン)などのサイトが食い込んでいるクエリになります。ぜひ山奥SEOを実践する際にこうしたキーワードを狙ってページを作ってみてください。
コンテンツ: 古地図をコレクションする際の収納方法や保管のコツ。
想起される関連ワード:「古地図 保存方法 自宅」「古地図 展示アイデア」「古地図 防湿対策」「古地図 クリーニング方法」「古地図 フレーム 選び方」「古地図 修復 自宅でできる方法」「古地図 デジタル化 方法」「古地図 アーカイブ作成」「古地図 専用収納ケース」「古地図 収納 アイデア DIY」
コンテンツ: DIYで作るドアストッパーの作り方や材料の選び方。
想起される関連ワード:「DIY ドアストッパー 材料」「DIY ドアストッパー 木製 作り方」「DIY ドアストッパー おしゃれ」「DIY ドアストッパー 玄関用」「DIY ドアストッパー 重さ調整」「DIY ドアストッパー フェルト使用」「DIY ドアストッパー 滑り止め対策」「DIY ドアストッパー 再利用素材」「DIY ドアストッパー ゴム製」DIY ドアストッパー クリエイティブデザイン」
想起される関連ワード:「ミニ四駆 軽量化 パーツ選び」「ミニ四駆 モーター交換 方法」ミニ四駆 タイヤ チューニング」「ミニ四駆 シャーシ 強化方法」「ミニ四駆 空力パーツ 取り付け」「ミニ四駆 ベアリング カスタマイズ」「ミニ四駆 ウイング 自作方法」「ミニ四駆 ギア比 調整」「ミニ四駆 バッテリー 効率化」「ミニ四駆 車体塗装 テクニック」
コンテンツ: 手作り石鹸に色を付ける方法や安全な着色料の紹介。
想起される関連ワード:「手作り石鹸 ナチュラルカラー 素材」「手作り石鹸 食用色素 使用方法」「手作り石鹸 マイカパウダー 色付け」「手作り石鹸 クレイ カラーリング」「手作り石鹸 酸化鉄 色付け」「手作り石鹸 スワール技法 色付け」「手作り石鹸 グラデーションカラー 方法」「手作り石鹸 ジェルカラー 使用方法」「手作り石鹸 フルーツピューレ 色付け」「手作り石鹸 ハーブ粉末 カラーリング」
想起される関連ワード:「ミニチュア家具 木製 DIY」「ミニチュア家具 椅子 作り方」「ミニチュア家具 ソファ DIY」「ミニチュア家具 ペイント テクニック」「ミニチュア家具 アンティーク風 作り方」「ミニチュア家具 引き出し付き 作り方」「ミニチュア家具 ベッド DIY」「ミニチュア家具 リサイクル素材 使用方法」「ミニチュア家具 デザイン図面 書き方」
コンテンツ: 初心者向けの手作り香水の作り方や材料の選び方。
想起される関連ワード:「手作り香水 天然素材 使用方法」「手作り香水 エッセンシャルオイル 選び方」「手作り香水 アルコール フリー レシピ」手作り香水 持続時間 長くする方法」「手作り香水 ボトル 選び方」「手作り香水 フレグランスノート 組み合わせ」「手作り香水 固形タイプ 作り方」「手作り香水 初心者キット おすすめ」手作り香水 季節ごとのレシピ」「手作り香水 プレゼント用 デザイン」
コンテンツ: 初心者向けのミニチュアガーデンの作り方や材料の選び方。
想起される関連ワード:「ミニチュアガーデン 素材 選び方」「ミニチュアガーデン フェアリーハウス 作り方」「ミニチュアガーデン 初心者キット おすすめ」「ミニチュアガーデン 低予算 作り方」「ミニチュアガーデン ミニ植物 選び方」「ミニチュアガーデン リサイクル素材 使用方法」「ミニチュアガーデン 屋内栽培 方法」「ミニチュアガーデン 簡単デザイン アイデア」「ミニチュアガーデン 手作りアクセサリー 作り方」「ミニチュアガーデン メンテナンス 方法」
コンテンツ: ミニチュア家具のペイント方法や使用するペイントの種類。
想起される関連ワード:「ミニチュア家具 エアブラシ ペイント方法」「ミニチュア家具 アクリル絵の具 使用方法」「ミニチュア家具 アンティーク風 ペイント」「ミニチュア家具 グラデーションペイント 技法」「ミニチュア家具 ディストレス加工 ペイント」「ミニチュア家具 ゴールドリーフ ペイント」「ミニチュア家具 ステンシル ペイント」「ミニチュア家具 メタリックペイント 使用方法」「ミニチュア家具 ペイントシーラー 選び方」「ミニチュア家具 カラーブロック ペイントテクニック」
コンテンツ: アンティークレースを使ったDIYアイデアやデコレーション方法。
想起される関連ワード:「ミニチュア家具 木工 DIY」「ミニチュア家具 ソファ 作り方」「ミニチュア家具 引き出し付き 作り方」「ミニチュア家具 ペーパークラフト DIY」「ミニチュア家具 塗装 テクニック」「ミニチュア家具 簡単 作り方 初心者向け」「ミニチュア家具 パレット 使用方法」「ミニチュア家具 クラシックデザイン 作り方」「ミニチュア家具 リサイクル素材 DIY」「ミニチュア家具 収納家具 作り方」
想起される関連ワード:「レトロ看板 修復方法」「レトロ看板 保存方法」「レトロ看板 購入場所」「レトロ看板 掃除方法」「レトロ看板 コレクション展示アイデア」「レトロ看板 コレクター向けガイド」「レトロ看板 認証方法」「レトロ看板 フレーム作成方法」「レトロ看板 オークション 参加方法」「レトロ看板 コレクション管理アプリ」
コンテンツ: 幾何学模様の折り紙の作り方やステップバイステップのガイド。
想起される関連ワード:「折り紙 幾何学模様 立体作り方」「折り紙 幾何学模様 初心者向け」「折り紙 幾何学模様 キット おすすめ」「折り紙 幾何学模様 シンプルデザイン」「折り紙 幾何学模様 ペーパークラフト」「折り紙 幾何学模様 カラフルデザイン」「折り紙 幾何学模様 インテリアアート」「折り紙 幾何学模様 組み合わせ方法」「折り紙 幾何学模様 ランプシェード 作り方」「折り紙 幾何学模様 モダンデザイン」
以上となります。
創作活動とインフラの関係性は、第三に控えている収益管理の組織や団体が両者の繋がりをもたせるだけで
有名な展示会や発表会や会とか技法の流派に属するというのがこれまでにあったその礎だったし
あなたがもし唐突にSNSで大量の新規顧客を獲得したとしても、その芸術文化について寄与するところがないなら
たまにバカ売れする運のいい一発屋以外のなにものでもないわけでしょう?
売れない創作活動も趣味で好きだからずっと続けてる人だっているし、だれかに届けたいと漠然と考えている人も多いだろうし
それについて目的意識があるならSNS以外にもっと力をいれて発表していくべき場所があると思うんだけど
どこで死のうが勝手かもしれないけどあなたの敷地でないところで勝手に死なれるのも困りものだよ
自分の分野、自分のジャンル、自分の作った会や展示で死ねばいいじゃない
Xがただ消費するだけのオタクが消費するための餌をさがすためのチューブだとして
どうしてあなたが自分の血肉をオタクに啜らせて死ぬために自分が納得できるオタクの吸引口の形に不満なのかって考えたら
芸術作品には、そのメディア特有の表現を駆使し、他のメディアでは再現できないような唯一無二の体験を観客や鑑賞者に提供することを目指したものがあります。このような作品は、そのメディアの可能性を最大限に引き出し、芸術としての価値を高めるでしょう。
例えば、絵画であればキャンバスや画材の特性を活かした表現、彫刻であれば素材や造形の特徴を活かした表現、音楽であれば楽器や作曲技法を駆使した表現など、それぞれにしかできない表現があります。このような作品は、そのメディアの特徴を深く理解し、表現の可能性を追求した芸術家によって生み出されます。
一方、商業的に成功を収める作品には、メディアミックスがしやすいという特徴があります。メディアミックスとは、一つの作品や物語を複数のメディアで展開することです。例えば、小説が映画化や漫画化され、さらにゲームやアニメなど様々な形で展開されることがあります。
このような作品は、元となる物語やキャラクターの魅力を幅広いメディアで伝えることができ、より多くのファンを獲得することができます。また、複数のメディアで展開することで、それぞれのメディアの特徴を活かした表現を楽しむこともできます。
芸術作品において、そのメディア特有の表現を追求することは重要です。絵画、彫刻、音楽など、それぞれにしかできない表現を極めることで、芸術としての価値が高まります。一方、商業的な成功を目指す作品では、メディアミックスがしやすいことが重要となります。小説や映画などを複数のメディアで展開することで、より多くのファンを獲得することができます。
このように、芸術作品と商業的作品は、それぞれに異なる価値観や目的を持っています。そのため、良い芸術作品と売れる作品は、決定的に異なるものとなってしまうのです。
職場の食堂行くとテレビのチャンネルがNHKでちょうど「ちゅらさん」と「虎に翼」やってる時間に飯食うことになるんだけどさ、どっちも笑えるぐらいレベル低いよな。
説明ゼリフの連続みたいな脚本、それを棒読みしてるだけの俳優、リアリティもなければ面白みもない動き、学芸会とはこのことだなって感じ。
確か「ちゅらさん」って朝ドラの中では評価スゲー高かったよね?
でも改めて見てもこの酷さよ。
皆して沖縄風を装おった変な喋り方するのに精一杯でほぼ棒読み。
演技に感情が全く籠もってないんだよね。
指先の演技みたいなのも全く出来てない。
狭いスタジオの中の狭い価値観で狭苦しく合格を貰うだけの内容。
まあそもそも脚本やストーリーテリングが全く持ってお粗末というかさ、奥行きというものがないんだよねえ。
1話15分って短さを活かしてワンテーマを確実にこなしていくような作りにすればいいのに、半端なクリフハンガーを繰り返して細切れにしていって、そんで1週間分全部つなげても結局しょーもない話にしかなってない。
NHKが視聴料徴収して低レベルなドラマ作ってるのはもうしゃーないけど、こんなものを評価してる日本人が大勢いるってことに絶望しかないわ。
「ちゅらさん」「が今見たら駄目駄目に感じるのはしゃーないと思う。
でも、「虎に翼」の出来は2024年にお出しするにはショボすぎる。
「虎の翼」の何が終わってるかって、語りたいテーマについての掘り下げが足りてないんだよね日本ドラマ全般がそうだけど。
「女性の社会進出」ってお題目を掲げてそこで満足して、毎話毎話思い出したように「そうだ。このシーンでそのテーマ言及してみませんか?」と思いつきのように脚本に入れてキャストに棒読みさせる。
ひえぇ~~~~~~恥ずかし~~~~~~~~~海外ドラマがとっくの昔に卒業してることをまだやってる。
これじゃ小学生の作文だよ。
テーマに沿ったことをそれっぽくやって「それっぽいことしてるでしょ?」をアピールして花丸貰おうとするだけじゃ駄目だよ。
最初の段階で全体の構想をしっかり練って、全体の背骨をまず一本通し、それぞれのキャラクターにも設定や物語としての背骨を一本一本通していく、そういう最低限の下準備をせずにその場の思いつきだけで見切り発車はプロの仕事じゃないって。
「視聴者の反応を参考にしてある程度フレキシブルに動かしていきましょう」みたいな言い訳でもして最初の作り込みをサボりまくってることを会議で誤魔化してんのかもだけど、そのやり方じゃ世界水準じゃ話にならねえっての。
ほんまありえんぐらいに程度が低いなあ。
そして昔からずっとそうだった。
映画はそこそこ作れてるけど、それは黒澤明みたいに映画監督としての映画監督が作った時に面白いものが出来てただけ。
ドラマの技法を取り入れるに従ってどんどんしょーもないものばかりになっていった。
日本のドラマはレベルが低くて、ドラマ業界が作った映画は酷いものばかり。
映画業界はレベルが高い部分もあったけど、ドラマ業界の連中に毒されることによってどんどん駄目になった。
つまりさ、日本のドラマ業界は昔から今までず~~~~~~~っと学芸会しかしたことがないわけ。
ほんましょーもないよ。
崩壊学園や崩壊3rdくらいまでは、萌え萌え的な平成の日本の萌えカルチャーを強く意識した作風でありつつ、崩壊現象に侵食される世界で抗う少女というシリアス混じりのアツい少年漫画的な展開をベースにしてる。SF的な背景は作り込まれてはいるけどカラーとして強く出てるわけじゃなく、アクセントとかテイストの域に収まってる。ただ、収まってるがゆえに詳細な背景が何年も伏せられていて「そういうことか!」となるまで時間がかかりすぎるから、これも運営型ゲームとして興味を持続させるためのやり方ではあるんだけどもどかしくはあるな。
原神はファンタジーで、スターレイルはスペースオペラで、どちらもSFというかオーバーテクノロジー的な要素はあるけれどもスパイスにすぎず、前2作の少年漫画的ノリよりは洗練された、穏やかでじんわり・しんみり来るヒューマンドラマを主体としてる感じになってるな。萌え萌え感も特に全面には押し出してなくて、デザインをよく見るとフェチを感じるけれども、露骨さはなくて令和のオタクカルチャーらしくこれも洗練されてる。萌え的なものも摂取できるけれど、それを主眼として飛びつくもんではないのよ。グラブルみたいな感じと言えば近いかもしれない。
で、ゲームという媒体で得られるナラティブというのは、例えどんなすぐれたSF小説と比べたとしても、やっぱり別モンなのよ。
ホヨバースのゲームはそれを特に理解していて、ゲーム内だけでなく動画や音楽や催しとあらゆる表現を使って多角的に作品観を彫り上げていく技法に長けているし、作品間の特に明示するわけではない些細なシンクロニシティみたいなものが大から小まで散りばめられてる。そういうところを汲み取れるくらいになると、小説やら萌えゲーやらが比較対象にならないことが理解できると思う。
俺は『Angel Beats!』に登場する岩沢さんというキャラクターが使っていたアコギを探し続けている。
そもそも、俺がギターを始めようと思ったきっかけは、ガルデモの曲である『My song』と『一番の宝物』を弾き語りたいと思ったからだ。
劇中で使用されているものと同じ機材を所有したいと思うのは自然な流れだろう。
そういったわけで、懐かしみながらも『Angel Beats!』アニメ第3話を見返してみると、
岩沢さんの持っているアコギはヘッド形状がVの形をしているということに気が付いた。
(おそらく)名前の由来である『ゆず』の岩沢 厚治氏も愛用している事から、
『FG』シリーズのうちのどれかであることは間違いないだろうと当たりをつけた。
となると、岩沢さん本人の
しかし『FG-151』だとするとサウンドホールのインレイ(装飾)が一致しない。
『FG-151』のインレイは白い線が複数本入っているだけのシンプルなものだ。
『ロゼッタ』と呼ばれる特殊な技法の木工細工によって仕上げられていることに気付く。
これはよほど高級なモデルに違いない、もしかすると同じヤマハでも最高級のグレードである『L』シリーズかもしれない。
いやいや、最低でも定価15万円はする『L』シリーズをゴミ捨て場に捨てる人などいるのだろうか。
いや、そんな人はいないだろう。
そんな事を考えながら、
いつものように大阪日本橋のカードショップを巡っていると、ある1枚のカードが目に入った。
それは『ヴァイスシュヴァルツ』のカードだった。
マーチンをゴミ捨て場に捨てるバカがどこにいるんだよ!!!!!
教えてくれよ!!!!!
じゃあな!!!!!
ー終わりー
あっは~、よくは知らないよ知らないけどさ。絵が誕生して贋作問題があって写真が誕生して写実的な絵の価値が問われて印刷技術の向上とともに一点物と複製品の価値が生まれてコラージュなんて描かない画法が生まれて無断転用の問題が発生してデジタルが生まれてより複製転用一点物の価値が問われてPhotoshopによる加工技術が進むとフェイク画像を作れると問題になりその他アナログ技法を模したデジタルソフトによって画材屋に影響が出てきてネットワークが強固になるほど作品は作者の意図から離れて転がされる様になり目に見える数値が人の心を容易く掌握するようになって優劣をつけたがる馬鹿が増え金儲けでもないのに筆を折るアホが増え金儲けに誰かのキャラクターを無断でAVに出演させるいっろんな事が関わる業界や人の関係性を変えたくさんの建前とチキンレースを繰り返し国の違いだ宗教の違いだのと宣い最後は結局は贋作だのなんだのと出し尽くされたアイデアの上で喚き散らかし大炎上の人殺しここまで来るのに何年かかったずうぅぅぅぅぅううっとあーじゃないこーじゃないと喧々諤々してきたのにぜええぇぇぇんぶまとめてAIが2年足らずで辿りましたよ早かったあまりに早い半年じゃ足りないからあと十年はロムってろ
絵描きです。DALL·E 2 やMidjourneyが出た頃から画像生成AIを知って使ってみた。仕事上のこともあり何に使えるか、どう使うかは模索してる。今のAIは検索結果がまとまって出てくるという認識。
最近スマホアプリの普及もあってAIで画像生成するTwitterアカウントが急に増えた。二次創作の界隈にも出てきた。
設定とか全然知らないままポン出しの絵アップロードする。このキャラのほくろはそこじゃない…とかザラ。この種族とあの種族の特徴混ざってるとか、種族の身体的特徴として公式設定になってるやつも全部無視。まあもともと手や足や、細部変でも出す人は多いけど。
公式画像をi2i平気でする。公式画像の切り貼りも多い。アイコンとして配ったりもする。やめろ。
絵に対しての解像度が低いから、違和感が解らない。絵描きごっこはしたいけど、大半が勉強しない。
レタッチしてみましたっていうのも見たけどそこだけ浮いてる絵なのがわからない。にじみ水彩プロンプトの絵にアイビスのGペンは浮く…技法への理解もない。
AI使ってて加筆上手い人も時々はいる。細部へのこだわりがもともとかなりある人や、見る力が高い人はAIで伸びることもあると思う。絵が好きな人だと思う。
AIでも、何枚も画像出力してアップロードしてるから苦労してると主張するアカウントをみた。ツールによっては手だけ直せる機能もまああるしControlnet使ったりリタッチしたらいいのに…知らないしできないんだろうな。
ガチャたくさん回してるのが苦労?
絵を描いてると多数のラフやボツも資料に当たるのも著作権について調べるのも、そんなの普通のことだったので、ガチャ大量に回すだけで辛い人には笑ってしまった。じゃあそれだけすごい絵を出力してるのかな?と思ったら公式のi2iもかなり多くて失笑した…。
この4年間で起こった事は、まるで古い伝説の中から飛び出してきたような出来事ばかりやった。マハカルの大乱動が世界を揺るがし、時空の裂け目が現実と幻を曖昧にした。マハカルは、古代から伝わる言い伝えにある、世界の秩序を一変させる天災のこと。その影響で、ワイとフェミちゃんは、神秘的な力が溢れるパラダシアへと導かれたんや。
パラダシアでの生活は、初めは戸惑いの連続やった。ここでは、チャクラの流れを整えることで物質を操る術や、心を静めることで見えない力を引き寄せる禅の技法が日常茶飯事。ワイは、神秘の力を操る術師、カルナマスターのアショーカに師事した。彼から、パラダシアの根底に流れる力、バラマナの秘密を少しずつ学んでいったんや。
しかし、学びの日々の中でも、フェミちゃんのことは常にワイの心を占めていた。彼女が求めた女性が救われる世界、その真意を理解することは、ワイにとって大きな目標となったんや。
現在、ワイが住むセリアタウンは、パラダシアにおける学問と技術の中心地や。この町では、伝統的な知識と現代の発明が見事に融合しており、特に、時空を超える研究が盛んに行われている。セリアタウンの図書館では、マハカルの大乱動以前に遡る古文書や、異世界の知識に関する膨大な記録が保管されており、ワイはそこで多くの時間を過ごしている。
フェミちゃんとの冒険から始まったこの旅は、ワイを未知の世界へと導いてくれた。パラダシアでの経験は、ワイの人生に計り知れない価値をもたらしてくれているんや。
クトゥルフ神話ってやたら2chとかで話をされていて、どーもマニアックな怖い存在に対する小説か何かだという認識だった。
それで、原作はラヴクラフットって人の小説だというので、原作を読んでみた。
内容的には、ホラーなんだけど、ホラーの対象が、ウルトラ大怪獣みたいな封印された邪神ってやつ。
ウルトラ大怪獣は、人間社会への復讐みたいな感じだけど、邪神は単なる迷惑な怪獣で目的とかは無い。
これだけだと面白い小説になりそうなモンだけど、ラヴクラフトさんは小説の才能がイマイチだったのか、ストーリーが絶望的に面白くない。
邪神をそのまま活躍させればいいようなものだけど、邪神が出てくるのは大体一瞬だけ。大怪獣が出てきて、人間がびびるっていう。
どちらかというと、小説は、その大怪獣の周りにいる人達の頭おかしい具合が描写される感じ。
その人物のおかしい具合が、そんなに面白くない。あまりにも普通の人が普通に頑張ってるだけっていう。
いうたら、ウルトラ大怪獣を見にきてるのに、大怪獣とかその戦闘とかをほぼ描かずに、ウルトラ大怪獣と戦う自衛隊の、その自衛隊の中でも計測機器とか作ってる技術者の視点がひたすら描かれるみたいな感じ。
変な電波が乗ったか?とかそういう話が延々続いて、自衛隊の話すらほぼ出ずに、大怪獣も一瞬みたいな作品を見ているような感じ。
ここまでつまらない部分を書いたが、もちろん、これだけ生き延びてる作品なので、面白い部分は多い。
設定集としては、厨二病の超絶エリートというか、厨二病で素晴らしい設定資料を残す奴がいるけど、その最上級って感じ。
厨二病小説は、小説1つ1つはあまりにもつまらないんだけど、ウルトラ大怪獣はストーリーより怪獣のキャラクターが魅力であるように、クトゥルフ神話の写真も結構魅力的なキャラではある。
正直、邪神だの、見たら発狂するだのっていう話が先行しすぎてて、「一体どんな怖い存在が描かれているんだ!」と思ったけど、拍子抜けするほど普通のウルトラ大怪獣の一種。ウルトラ大怪獣見て発狂とかせんだろと思うんだけどなあ。
あと、「邪神を信奉する異常なカルト集団!!!!」みたいなのは、現代なら『ミッドサマー』みたいな異常なカルト集団とか期待するけど、カルト集団の描き方が適当すぎて、まあ現代で言うなら、ちょっと変な新興宗教程度、そこまで映画になるようなレベルの面白さはなく、せいぜい祈りを捧げて邪神に人間を捧げてるくらいの感じの描写。
うーん、やはり、小説描写のつまらなさばかり書いてしまうなあ。
ものすごく面白い設定のはずなのに、絶望的につまらないゲームみたいな惜しさなんだよなあ。
現代の目から見たら、『SIREN』とかが面白すぎるゲーム性+面白い設定みたいなのが出来上がってるから、ウルトラ大怪獣の超絶劣化版というか、ゲゲゲの鬼太郎の超絶劣化版を見せられてる気分。
ラヴクラフトさんの小説自体を褒めている記述はあんまり見ないので、やっぱ小説としてはイマイチなんだよなあ。
設定自体はいいところあるのに、小説技法が下手くそすぎて、カルト集団が描けてなかったり、邪神の活躍がイマイチだったり。
「いや、そこの設定じゃなくて、あくまでホラーの怖さなんだ」と言われても、ホラーとしても人物描写が下手くそで、ラヴクラフトがコミュ障すぎて会話文が下手くそすぎる感じ。
逆に言うと、「こんな無茶苦茶面白い設定集を、全然イカせてないじゃん!俺が完成させてやる!」みたいな余白が、二次創作を大量に産んでいいのかもしれない。
いわば、ゆっくり霊夢みたいな感じだよなあ、原作の余白があって、大喜利し放題だよっていう、野獣先輩とか、そう言うのに近いのかも。無茶苦茶面白いしインパクトはありそうなんだけど、微妙な感じっていう。それをみんなで盛り上げてる感じ。
ラヴクラフトは三流作家としての人生だったけど、野獣先輩も三流ビデオだから二次創作が大量に出ているように、ラヴクラフトも、三流だから、やり放題だってのがミームとしては絶妙な良さなのかもなあ。
なお、自分は、『恐怖の世界』ってゲームで、クトゥルフの世界観を感じて、面白い!どんだけ不気味なんだ原作は!と思ってクトゥルフ神話を読み始めた口だから、TRPGで有名な方は何も知らないけど、ワクワクして面白そうな設定をゲームとして楽しむなら、クトゥルフ神話は確かに面白いやろうねえって感じ。
あっていいかどうかなら当然あっていいし、個人的にはすごく刺さる漫画だったけど、いくつかの点で技法として弱い箇所があるのもたしかなんよ。
まず、台詞が徹頭徹尾直截的すぎる。それ自体は悪くないけど、時々上滑りしてたり、演出が甘かったりする。上滑りしてる一番の例は「未成年にある決定権ってなんだ」かな。あれは「作者の思想を語るために言わされてる」感が強い。しかも、それがかなり冒頭に来てるのがつらくて、後半の展開の色々な部分(レイプされて泣き寝入り、同級生の「エロ(笑)」など)も「作者の思想を語ることを目的に、キャラクターをひどい目にあわせたくて用意した展開」という印象を強く植えつけてしまってる。
あと、もったいないなと思ったのはラスト2ページ。この辺の種明かしはすごくエモくもっと尖らせること出来そうなのに、最終的に「友達になれてよかった」でおさめるのはかなり期待外れ。大事なところで大事な言葉を明言するの、やり方さえ間違えなければめちゃくちゃ刺さるんだけど、台詞があっさりすぎる。
総じて惜しいんだよ。自分が創作やるとき同じことやるから本作は肌に合って好きだし、そういう台詞回しにしちゃう気持ちもよくわかるんだけど、だからこそもったいない作品だと思った。
生成AIは推進すべきだと思ってるけど、その上でAI絵師の半分ぐらいはカスだ。
その絵はどういうシチュエーションで、どんな経緯でそうなって、そこからどんな話が展開されるのか?
そいつは誰のことを見てて、どんな話をしていて、どんなことを内心考えているのか?
そういうことを全く考えず適当にイラストを生成して大量投稿して越に浸っている奴らは、マジで生産性の欠片もないゴミカスだ。
勿論中にはCG集(DLsite分類準拠)のように、台詞を付けたり連続性のあるイラストを並べたりしてストーリーを作ってる奴もいる。生成AIイラストを使ってゲームを作ってる奴もいる。本当に偉い。天才。素晴らしい。
-
同様に、ただポーズを取っているだけの一枚絵しか描かない絵師も概ねしょーもない奴らである。
会話をつけろ。モノローグでもいい。ストーリーを付与しろ。何が「この子の言動トレースするの難しい〜☆」だ。逃げるな。甘えるな。お前の愛はその程度か?
とはいえ、表情差分を用意して素材として配布している方には本当に感謝している。ありがとう。あなたがたのおかげで世に生まれた物語が数多くあります。
-
お察しの通り、私は物語至上主義者である。絵でも音楽でも小説でも、ストーリーを見出だせるものが一番偉いと考えている類の人間だ。そこいらの美麗なだけの一枚絵よりモーション借用山積みのMMD紙芝居の方が高尚だとすら考えている。
無論、これは物語に対して地雷がないという話ではない。解釈違いには普通にキレ散らかすし、作品と出会って5秒でブラバしたことも数知れない。
それはそれとして、新たなシナリオを世に生み出すことの難しさと素晴らしさを知っているというだけである。
-
以前いた界隈のいわゆる「同担」にあたる絵師どもの多くは、まるで物語というものを作ろうとしなかった。彼らは単なる立ち絵だとか100番煎じの原作の人気なワンシーンだとかのオリジナリティの欠片もない一枚絵ばかり投げていて、私は心底辟易した。
即売会に出て、漫画を出している絵師の方は何人かいた。常に漫画やストーリーを持つイラストを書き続けている修羅の者もいた。彼らには心の底から敬意を払っていたが、年々少しづつ彼らはその数を減らしていた。
それと同じぐらいいたのが、「イラスト集」を出す絵師たちだった。説明もキャプションも台詞も何もなく、ただただイラストを1ページに1枚貼り付けて、それを新刊だと嘯く奴ら。そういうやつらに限って新刊情報をギリギリまで秘匿するので、マッピングのときは本当に面倒だった。
「このイラストのテーマはこうで、このキャラクターのこの側面をこのように解釈して、これこれこのような技法を使って……」と解説を載せてイラスト集を作っていた人物は、一人だけだった。一枚絵を描く絵師たちの中で、最も美麗で、最も細緻で、最も文脈の籠もった絵を描く人物だった。彼のイラスト集だけは全巻揃えていた。
-
公式の真似事ばかりしているオリジナリティの欠片もない絵師どものことが嫌いだった。
いや、嫌いとまで言うのは言い過ぎか。邪魔だったというか、鬱陶しかったというか、そういった感情の方がより近い。
お前らは四コマの一つも描けんのか?会話劇ツイートの一つもできんのか?何が「この子の思考回路分かんな〜い」だ分からないなら分からないなりに挑戦して考察して語ってみせろ描いてみせろお前の解釈を見せてみろそんなんだからいつまでも「分かんな〜い」止まりなんだよクソどもが。
そんなことを考えながら界隈の端で短編小説を書き殴っていたのが、当時の私だった。
-
これから先、生成AIの隆盛によって「仕掛けや文脈を持たない単なる立ち絵の一枚絵」の価値は暴落するだろう。そしてこれからより多くの人が生成AIを使うようになれば、「シチュエーションもシナリオも考えずただ適当に生成したAIイラスト」の価値も暴落するはずだ。
つまり今後は、きっとシナリオで戦う時代になる。漫画は細部の書き込みと伏線で、AIイラストの紙芝居は生産力と敷居の低さで、文化的シェアを奪い合いながら物語を生み出し続けることになるだろう。
-
正確には一瞬だけ触れたことはあったのだが、「左手が液化し宙に浮かぶ様子」「切り落とされた右足とそこからまびろでる羽毛の山」「折り砕かれた額の角」などが上手く出力できなかった時点で諦めた。私の呪文練度が低かったのか生成AIが未だそこまでの域に達していないのかは判断つかないが、いつかはこれらを出力できるようになることを祈るばかりである。
-
……絵師の特権階級が云々って話で吹き上がってる人たちに色々言おうとして書き始めたはずなんだが、なんか全然別の話になったな?