はてなキーワード: 承認とは
パーティー追放系は、ドラマツルギー的な意味での仕掛けは全然ないけど、主人公が活躍して仲間や一般人に「すごい」と賞賛されたり、自分を裏切った仲間たちに「別れるんじゃなかった」と悔やまれたりする、という展開がずっと続くのがポイントなんだと思う。この過程自体が主人公を通して読者に承認を与えてくれるから。
自分はこの手の小説を初めて読んだときに、とにかく主人公がずっと褒められ持ち上げられ感心され尊敬され畏怖されるのに驚いたし、そういう筋がくすぐったすぎて正直辛かったんだけど、このくすぐったさ、極甘感は、一旦受け入れてしまえばすごく気持ちいいんだろうなと思う。
別に承認なんかなくても限界きたら社会に対してテロ起こすだけだから別にいいのでは?
底辺はずっと主張してるんだけど主張の仕方が飲み屋で酒飲んで不満をタラタラ述べる、だから上には届かないし
仮にその状態で上に届いても上の下にいる真ん中の奴らがそんなもんわかってる上で必死こいて作って下も上もそれなりに幸せになるように作った案が
その下が飲み屋で不満を言いたいがために捻り出した不満が直接上に届いちゃったせいでまた最初からやり直しになるし上は中間に下のアレは何なのとか言ってくるから
届いて→案を考えて→案の専門家と協議して→上にこういう案作るって伝えて→上が承認して→上が案を承認したから清書しようねってなって→案を清書して→ここら辺で別の奴らからその案おかしくない?って言われて→案をもう一回練って…
異世界転生ものってあるでしょ。あれは、現実世界ではうだつが上がらない平凡なあるいは平凡以下の人間が、異世界では圧倒的な能力を発揮して無双できるというのが基本構造。「いまの自分の能力で無双できる」パターンも「転生時に新たな能力を獲得して無双できる」パターンもあるけど、これって所詮は別世界の話なんだよね。日々の生活で、周囲の人達から自分が期待するような承認が得られないことに不満を感じたり鬱屈してる読者からすれば、無敵になった主人公の活躍を通して一定のカタルシスは得られるけど、どこかに虚しさも伴う。なんせ異世界に行っちゃった時点で最初から圧倒的にすごい人なので、『見返す』とか『ざまあ』みたいなスカッと感が演出できない。すごい人がすごいことをしてみせて、知らない人達に感心されたりビビられたりしたって、それは予定調和でしょ。
その点、パーティー解雇物っていうのはいいよ。なんせ、解雇される前もされた後も、主人公は同じ世界にいるでしょ。パーティーから「役立たず」「無能」と嘲笑され侮蔑されてた自分が、実際に放逐されてみると、そのパーティーではあらゆる物事がうまくいかなくなる。一方で、主人公は、同じ能力を持ったまま、それを認めてくれる新たな仲間たちと協力してどんどん成功する。この流れの中で、前のパーティーの仲間たちに「実はあいつは縁の下の力持ちだったんだ、今まで貢献を正当に評価しなくてすまんかった…」と悔やませるシークエンスが描写できる。追いすがってきて「もう一度パーティーに戻ってくれ」と懇願する彼らに、主人公は「もう遅い」と言い放つ。この流れには『いま自分が実際に担っている仕事の真価をわからずに自分を侮ったり虐げたり嗤ったりしてるやつらを、見返したり、痛い目に遭わせたり、反省させたりする』という、異世界転生物にはない強烈なスカッと感がある。侮蔑と屈服の落差がでかい。もうシャーデンフロイデが出まくりよ。
しかもこっちは、現実生活での憂さも多少なりとも晴らしてくれるじゃん。ただファンタジーの世界で無双するんじゃなくて、自分が日々やっている、他人にはなかなか顧みられない仕事や活動が、実はすごく価値があって、自分がその気になったらお前らは大変なことになるんだぞ、という密やかな夢想の快楽に浸らせてくれる。しかもパーティー解雇物だと、新たな仲間たちの方は主人公の真の能力に圧倒されて「主人公さんすごい…抱いて…」ってなっちゃうわけで、ここで異世界転生物のカタルシスもきっちり提供してくれる。だから異世界転生物よりもパーティー解雇物のほうが、読者をより深く承認し、より強い『スカッと感』を与えてくれる、上位互換版の物語類型なんだと思うよ。「読む麻薬」としての作用がさらに激烈になっただけだとも言えるけど、まあいいじゃないの、近代小説というのはもともとそういう性質があって、だから登場当時から保守派に批判されてきたんだもん。
欧米では12月から始まったワクチン摂取が、本邦では2月までズレ込んだのは厚労省がほぼ従来通りの治験を行ったせい。
そもそも昨年時点における本邦の患者数は欧米に比べて1桁少なく、治験対象者すら満足に集められなかった。欧米での治験データをもって特例承認するという方法もあったが、それで死者が出たらマスコミや陰謀論者が「人体実験だ!」「治験不足で政府に殺された!」ってキャンペーン貼るのは目に見えている。同様のイスラエルはワクチン先進国として讃えてるのに。
そうしたら摂取希望者も減るだろうから、集団免疫への道も遠のくだろうね。
もちろん初感染者が出てから1年近くあったのに、注射できる対象者を増やさなかったり、自治体ごとの体制整備が遅れたのは政府や自治体が反省すべき点だと思うが、欧米に比べて摂取開始が遅れたのはマスコミが原因だと思うよ。
https://anond.hatelabo.jp/20200402110034
今も根本的には考えてる事は変わってない。
変異型も入ってきていて、感染者の多数は無症状のキャリアであるということから
多くの人が通勤をしている現状では、いかなる措置も一時的な効果しかないし無駄なあがきとしか思わない。
実際、新規の患者が一番多いのは家庭内感染なので、選手やスタッフを日本国民と接触が最低限しかない様に隔離して開催する分には
五輪をやろうが、やるまいが、そこに大きな違いがあるとは思ってない。だから、どっちでもいい。一番、止めるべきは一般の日本人の移動だ。
その為には、罰則付きのロックダウン以外の有効な手段はない。しかし、今や時は遅くて、めちゃくちゃ効果がある訳ではない。
やるなら、一年前に増田に書いた2020年4月にやってほしかった。
今の緊急事態宣言は、所詮はワクチンを打つ(集団免疫獲得)までの間の時間稼ぎにすぎないのだろうけど、経済的損失とのバランスが取れてないと思う。
ワクチン自体は海外のものを当座は使うにしても、国産の開発は進めたい。EUやアメリカで変異型感染が拡大して輸出規制を強化するかどうかに振り回されるのは困る。
現状ではアンジェスのDNAワクチンが治験500人という状態なので、最終的な承認を得られるまでには数万人必要という事を考えたら
今の感染者数の少なさでは国のサポート抜きでは承認に至るまでは長期の時間がかかる。ウイルスの特性からして、そのうちに日本国内でも変異して
なんかしらの変異型が出回る事は100%確定しているのだから、アンジェス(DNAワクチン)、第一三共(mRNAワクチン)、塩野義(VPLワクチン)と
臨床試験段階にあるワクチンの開発は加速させておくべき。特に臨床試験が十分に出来ない問題は大きい。(まぁ感染拡大すれば自然に解決するけど
日本国内で変異型が誕生する未来に備えて、罰則付きのロックダウンが出来る法的な準備はしておく必要がある。これは不可避でしょう。
通勤している社員がいる以上は無症状キャリアがばらまくウイルスが、完全にゼロになる事はないし、ウイルスが変異するのはだれにも止められない。
家庭内感染して、子供が学校でばらまくし、罰則がないのだから出勤も外出も、どうにも止めようがない。
定額給付は予想通りに貯金に回されて、ほとんど使われなかった。故に今後も必要ないと思う。
その代わり、飲食業界、ホテル業界を潰さないようにすべきだ。もっと雇用を支えている業種への支援を手厚くしてもいいと思う。
5輪関係者をホテルに閉じ込めて、会場や練習場への移送は自衛隊が行うような事をするならホテル業界へのサポートにもなるし
仮にワクチンの入手が十分としても、ワクチンの接種にあたって医師の数が足らない問題は、簡単には解決できない。
日本は一般病床数に対する医師の数が、各国と比べて著しく少ない。病床が多すぎて、医師が過労状態でないと医療が回らないのだ。
一般病床を減らす必要があるし、厚労省はそのつもりでやってたけど、ずいぶんと反発も受けていたし状況は改善されているとは言えない。
自衛隊から医官を狩りだしても100人も出てこないだろうし、インフルエンザの予防接種よりも長期に渡ってワクチン接種のスキームを回す以上は
毎日60万人という接種人数の維持をすれば、一般の患者にしわ寄せがくるのは避けられないだろうね。来年いっぱいくらいまでかかるのでは。
今政治に求めるのは
というところ。まぁ、こんなのはニュースを追って、自分で調べたりする人なら、みんなそう思ってる様な事だし
政府が認識してないはずはないのだけれど、どうにも邪魔されちゃうからね。これほど正解がみえてる局面でも、それを選ばせようとしない連中が国民の中にもいる。
民間の仕事じゃ愚か者は切り捨てることが出来るが、それが許されん政治家って悲惨な仕事だなぁと思う。
shufuo みんな憲法論をわかってない。罰則付きのロックアウトを可能にする立法が先。それが違憲かどうかは最高裁が判断する。違憲なら憲法改正が必要になる。現状は立法不作為。政府がやりたくないだけ。
さすがshufuo(笑
憲法違反だなんだ昨年は言ってたけど、いざロックダウンの重要性が認識され始め、改憲が必要になればこれ。あと、ロックダウンな。
こんなのに賛同してる当たり、はてな民にとって憲法なんて、まず守る必要のないものなんだなぁ。そんな程度のものなら、さっさと改正しよう。
鍵垢関係なく公式の埋め込みを使わない転載は許諾されていないので著作権法違反(※同法が定める引用の条件を全て満たしている場合を除き)でただの犯罪って話だよ。
逆に、公式の埋め込みを使っての転載は無断かどうかにかかわらず拒否する筋合いが無い(※利用規約でツイートした時点で承認しているとみなされるため)ので注意な。
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
年齢はおそらく40代。おっさんである。既婚だとか、子供の有無と言ったプライベートの情報は一切話さないから、知らない。
そして何が嫌かというと、一言では言い表せないが、これが面倒くさいおっさんなのだ。まず、人の悪口を言う。上司や前の職場、もちろん私に対してもだ。内容はくだらない。上司に対しては、実力がない、知識がないといったレッテル貼り。前の職場に対してもそう、サボっている、適当だ、お局だ。私に対しては、やる気がない、実力がない、使えない(これはモラハラ?パワハラ?)。私なんて異動した初っ端からそんな事言われたから、家帰ってもリフレインして辛かった。耐性がないと言われたらそれまでだけど、よく知らない相手にむき出しの敵意?向けられて、意味分からなさすぎて悶々とした。気分回復するまでの時間は無駄に奪われたと感じて不快極まりない。
まず、言い方が単純で、悪口をいいたがりの中学生みたいで呆れる。親とか先生に反抗したがり、他人を見下したがりで。精神的に幼い。ちょっと話が長いことを上司に注意されたことを逆恨みして、上司の悪口言うとか、40代の男性にしては幼いというか。おそらく、前の職場でも楯突いて、低評価食らったのだろう。珍しい位、恵まれない職場を転々としている。通常3年程度在籍するが、短い期間で動いている職場が何回かある。出されたのだ。
批判の中には事実もあるが、常におまいうという感じ。一方で、承認要求も凄まじい。自分は使えない、やる気がない、と言いつつ、でしゃばりたがり。身につけた知識を総動員して開陳し、若手に延々同じ話を繰り返す。確かに、仕事上使える知識も多いし、役立つことも多い。ではなぜ自分は、早く帰りたい、こんなくだらない仕事やりたくない、低レベルな仕事だ、などと言って、モチベーションが低いポジションをとりたがるのか、他人に対しても、心の狭さを隠そうともしない態度をとるのか、全く不明。普通にベテランとして知識を仕事に役立てて、上司とも波風立てずに仕事すればいいじゃん!そうすれば頼もしい人だよ。だけど、それはできないらしい。
想像だが、勉強熱心で野心もあるが、性格に難があって人に評価されずにここまで来たため、捻くれたのだろう。「私はやる気がなく不真面目だ」というポジションを取ることで、不遇な人事を正当化しつつ、同時に知識や仕事面で人に評価されたい、承認されたい、という強烈な欲求がある。たぶんプライベートではブログとか、SNSで一端の知識人気取っているのだろう。過去に似たような上司に当たったことがあるが、彼はアマチュアのジャーナル誌に寄稿して、アカデミックな立場を気取っていた。そういう、自尊心を保つ趣味にプライベートで打ち込んでいるんだろう。それ自体は否定しないし、頑張っていただきたい。
問題は、評価や承認欲求を満たさない他者を攻撃する癖があるということだ!若手や他の社員と違って、上司や私は彼を評価していない。長過ぎる彼のスピーチに辟易して、時に冷たく切り上げたり、話しかけないように拒絶しているが、きっとその態度が気に入らないのだ。しかし、驚くべきことに彼は自分を敬って欲しいようなのだ。よく知識を知っているとか、仕事が早い、だとか、言ってもらいたそうにしている。
また、彼は他人によくおべっかを使う。できる社員や特に若手に対して、やれエリートだ、サラブレッドだ何だと大げさに称賛する…こうやって自分を卑屈に言いつつ他人を褒めそやす人間は、自己愛が強く、同じように称賛されたいという欲望も強い。どうやってこの人格が形成されるのかは不明だが、実家でちやほやされて育った僕ちゃんだからかもしれない。しかし実力が無いと、家の外では誰も褒めてくれないので、結局こうやってこじらせることになる。とても複雑なパーソナリティだ。ある意味被害者とも言える?でも、他人に感情をぶつけるのは公害だ。私はあんたのお父さんでもお母さんでも無いんで。
その時の感情に任せてぶつけてくる、他人、しかもおっさんはキツイ。さらに面倒なことに、人からの承認の調達が不器用な理論武装おじさんは相手への傷つけ方もねちっこいので最早救いようがない。
前の職場でも嫌な人がいて耐えてきたのに、どこに行っても嫌な同僚は絶えないもの。彼は常々出勤したくないとかほざいているんで、ずっとこの先、一生リモートでもしてて欲しい。どうすれば機嫌よく仕事してもらえるのか、他人の機嫌取りするのはもう疲れた。リモートのいいところはそれがないところ。気分屋で、他人を傷つけながら承認欲求求めてくるおっさんは害悪でしかないから、どっかいって欲しい、居なくなってほしい。一応、発言はメモしてるんで、限界が来たら上司にハラスメント行為として訴え出るつもり。
ピルで避妊、コンドームは性病予防だと思っているミサンドリー気味の人間。
既往歴があるのでピルは飲めない。
私の周りでもコンドームを必ずつけていたのに妊娠した友人がいた。
中絶費用に15万円くらいかかったって言ってたかな。その前後の通院とかも入れるとトータル20万円くらい。
法律では男性に半額しか請求できないみたいだけれど、体の負担を考慮して全額払ってほしい。
男性は無傷。下手したら避妊費用の半額すら払いたくない男性が複数いるという事実。
コンドームも実は扱いが繊細なので、爪で傷つけてもダメ、ボディークリームや塗った指やリップクリームを塗った唇で触っても危険。
ゴムアレルギー、もしくは普通のではサイズが合わないという男を信用するな。
一緒にポリウレタン製のコンドームやサイズが選べるコンドームを買いに行くんだ。企業努力のたまものが手に入る。
それすら嫌がる男性とは早々に縁を切ったほうが身のためです。ごねるようならすぐ別れろ。妊娠してもいいなら別だけど。
ピルは飲めたとしても月々2500円くらいするし、数か月に1回は血液検査、追加で3000円くらいが必要だし。
万一失敗したってわかったとき(それでもその場で判明しただけありがたい)の避妊成功率の高いアフターピルは8000円くらいする。
アフターピルは一緒に吐き気止めなども処方してもらうし月経周期を乱す物だから、体の負担もかなりあると思う。
中絶薬がやっと認可されるとかしないとか言っているけれど、海外だと2000円足らずで買えるみたいね。
バイアグラが半年で承認されたなら、これだって半年で承認されていいし、2000円とは言わないから1万円以下で買えるようになってほしい。
コンドームのみの避妊で不安だから、個人輸入で探した避妊パッチも血栓リスクがあって使えなかった。
残ったのは避妊フィルムなんだけど、これ、こっそりと入れないとコンドームつけてもらえなさそう、とまず思った。
6枚で2000円くらいなんだけど、案の定レビューに生で使っておいて高いという男の人が散見されて嫌になってしまった。
マイルーラっていったら年代が上の人は知ってるのかな。今は個人輸入で手に入る。
なんで日本では発売中止になってしまったんだろ。ドラッグストアでコンドームの横に売ってたら迷わず買えたのに。
私は今、したくもないセックスのためにこのフィルムを買おうかどうしようか迷っている。
自分の身は守りたい。
ひとつになりたいだとか、相手のことを受け止めたいだとかいう感情もなければ快楽も得られない、私も多少悪いのはわかってる。
相手の短時間の快楽のために受けるリスクを天秤にかけるとセックス、全く釣り合わない。
どうして女にばっかり負担がかかるんだ。
子供ができたら困るのにそれすら払えないなら、念のための中絶費用がないのなら、あなたはセックスできる立場じゃないんだよ。
避妊ついでに言っておくと小学校6年生~高校1年生までの子はHPVのワクチン受けてね。
ヒトパピローマウイルス感染症、子宮頸がんを予防する注射です。
男性には自覚がないけれど、男性を介して女性から女性に広まるウイルスです。
年齢限定無料だけど、それを過ぎると5万円~10万円くらいします。全3回で最後の注射は半年後。
私、親の都合でこれも受けてないし、風疹も受けてないんだよ。
コロナワクチンとの干渉が不明だから、コロナが落ち着いたら行く。
はてなーのワクチン周りの批判とか見てると、根本的なところで理解してないって言うか、基本妄想の世界でしか生きてないなって思うよね。
そらそうでしょうよ。感染者数が欧米と比べたら桁違いで少ないんだから治験したってデータが溜まらない。
しかも日本は、過去に三種混合ワクチンで訴訟問題になってるから、基準が厳しくなってるし簡単に通らないよ。
韓国はOKしてるよって?、治験しない非科学的な国の方が良ければ移住したら?w
ファイザーの治験もヨーロッパから比べて3か月遅れな上に、EUが輸出規制でワクチンを輸出しようとしてないってニュースみてないの?
ついせんだって5200万回分の日本向け輸出を許可したってニュースがあったの知らないの?
それですら全体で1億数千万回分のうちの5200万回で、日本に対する輸出量が最大なんですけどね。
こんなこと知らんだろね。バカだし。
三種混合ワクチンの副反応に対する訴訟で、企業のワクチン開発産業は大きく縮小してんのよ。
その上に、かの事業仕分けで、ワクチン開発に対する政府の支援も打ち切られている。ここで10年前に5年の遅れさせられたら、開発力ガタ落ちにきまってるでしょw
RNAワクチン開発のアイデアを持っていても、事業仕分けで資金供与がなければ実験も出来ません。
現政府に過失がないとは言わんが、妄想ベースで叩かれてるほど悪くもねぇんだよなぁ。叩く前に自分で調べろよ。頭の中身はおからかよw
まさにこれ
三木谷氏は、新型コロナウイルスのワクチン接種について連続ツイートで提言した。ツイッターで「厚生労働省のワクチンの国内治験で何のデータ、数値をエンドポイントにしているのか?海外でこれだけ日本人、アジア人が摂取している中、何を見たいのか?他国に比べて3ヶ月以上遅れている。承認が1日遅れると、それだけ死者が増える」と指摘し「俺にはこの状況下なぜ国内治験に3ヶ月もかけるのか、意味がわからない。その上、日本独自のフォーマットで承認書類の提出を求めている。この点に関しては、局長通達で縛っているだけなので、日経の報道の法改正が必要だと言うのは言い訳だ」とつづった。
自分の周りの皆さんも、かなりワクチンに期待しているように感じられます。
https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0011.html
国内で承認されているファイザー社のワクチンでは、ワクチンを受けた人が受けていない人よりも、新型コロナウイルス感染症を発症した人が少ないということが分かっています。(発症予防効果は約95%と報告されています。)
しかし、現在、コロナの拡大状況として一般に目にするのは、新規陽性者数かと思います。そしてそれは、ある程度人数を絞った検査(発症者、濃厚接触者等)によって判明している数です。
例えば、東京都では、5/6の検査人数5,513.0 人、新規陽性者数736.6 人、陽性率9.2%でした(この人数の小数点以下の数字は何??)。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
今後、ワクチン接種が進み、95%の人が感染しなくなるとしても、5%くらいの人はやはり感染します。仮に1%しか感染しないとしても、1000万人の1%である10万人くらいの人は感染すると思われます。365日で割って、毎日300人くらいは感染するわけです。
そして、この人たちの一部が発症したり、その濃厚接触者等になって、検査され、感染が検出されると、結局毎日数百人の人が新規陽性者数としてカウントされます。こんなにワクチン打っているのに、新規陽性者数結局減らないじゃないか、と言うことになりかねないなと思います。
要するに、ある程度の濃度のところを検査し続けるのだから、ある程度の割合で見つかり続けるだろうと言うことです。
どうしたら良いんでしょうね。
今は、おそらく(推測ですが)、検査対象者を広げて、無作為抽出等やれば(すみません、統計学的な話はできません・・・)もっと陽性者が検出されると思います。
その無作為検査を続ければ、だんだん全体としての濃度が薄まってきていることがわかるのではないかと思います。
後からやっても遅いです。基準を変えたら感染率下がるのは当たり前じゃないかと言う話で終わります。ワクチン接種が滞っている今が最後のチャンスではないかと思います。
まず、コロナ前後で、死者数は決して増えていない、むしろ減っているために、統計上異なる扱いをした方が良いと判断しているくらいですね。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_15591.html
そうすると、後から振り返ってみれば、決して失政ではないと言う話ができるのではないか、そんな判断があったのではないか(完全な邪推ですが)。
実は決定的なダメージがないと言うことであれば、ある意味、コロナブームに乗って、さまざまな方面にやってる感を出すことができる。
多分、決定を下すことができる一人一人は、いろんなしがらみの中にいる。
いろんな方面に対して、良い顔をする必要がある。一つ一つは矛盾していても、決定的なマイナスにつながらないのであれば、各方面に順に良い顔をしていけば良い。
いつまでこんな感じでやるんでしょうね
今日の時点では、まだ、減ったり増えたりで良いだろうと考えているようです。
けど、さすがにこれを続けるのは辛くないですか??
想定外の変異株が出てきた。これまでとは違う対策を取る必要がある。
中学生あたりだと、身内だけで通じる略語でやりとりしてるじゃん。
なぜそうするかというと、「他の奴らとは違う」という優越感を得たいからなんだよ。
なぜ優越感を得たいかというと、それがアイデンティティになるから。
優越感を得ないと、周りに埋もれて自己を承認してもらえないから。
そういう承認欲求が満たされない人物が使うのが「某~」という表現。
「他の奴らとは違う、俺(たち)だけが知っている、分かるやつは分かるよな」感を出すことで優越感を得てるわけ。
その宇宙人が,母星の統治機構(母星における一部国家でも良い)を代表していれば適用され,単なる一私人に過ぎない場合には適用されないものと考えます。
(外患誘致)
外国とは,日本国以外の国家をいう。領土・人民・主権といった国家としての実体があれば,日本国ないしその他の国において,国家として承認されていない場合を含む。外国の私人や私的団体は含まれない。(注釈刑法第2巻7頁)
「外国」とは,外国政府のことをいうとするのが通説である(注釈(3)23)。(中略)外国人個人や私的団体は,ここにいう外国に当たらない。外国は,事実上国家として存立していれば足り,必ずしも,我が国や他の国家が国際法上の国家として承認をしている必要はない。さらに,主権国家を単位とする超国家組織も含むとする見解もある(注釈(3)23)。(条解刑法 第4版 287頁)
人に見せようと言うよりも、自分の愚痴を吐き出すために書いています。自分が理不尽なことを承知の上でこれを書いているので気にしないでください。書いてもなんも解決はしない。
後書き殴っているだけなので文章が非常に読みにくいです。読みにくいなら読まなくていいし、それを感想に書いてもらっても困るだけなのでそっとブラウザを閉じてください。
端的にまとめると、今いるジャンルが総受けばっかりで苦しいって話です。おしまい。
私の今いるジャンルは、マイナーもマイナーで人口がほぼ居ない地底のジャンルである。その中でも総受けと言う割合は多くを占めており、私がこの界隈に来た時に『これは総受け嫌いと言う事がもしかすると異端なのかもしれない』と違和感を感じたくらいのレベルで総受けしかない。一昔前の主人公総受けジャンルが某大手投稿サイトで小説ランキングを独占していた時代のまま時が止まっているみたいな感じ。周りの関係者全員棒ですか?レベルの総受けっぷりにドン引きしてそれ関連は怖すぎて触ってないレベル。
そして基本が鍵垢の活動で、フォローリクエストの際にも活動開始直後は総受けでもミュートワードにして目を瞑ればいいかと思って承認していたもののそれ以上に『なんでこっちにフォロリク送ってきた?』案件が増えてきて一時期ちょっと混乱していた。
なぜなら私の推しカプはその総受けにかすりもしないマイナーだから。
私の推しカプは、新キャラ同士のカップリング(と言う表現が1番近い)で、今の今まで生産している人がほぼ誰もいない状態だった。地底なので、生産者がほぼゼロと言うことは覚悟していたものの思った以上に無くて今まで大手ジャンルにしかハマってこなかった私は大きなカルチャーショックを受けた。これは今このジャンルの人に私の推しカプの存在を認知させる事から始まるんだなと思って俄然やる気が出たのは間違いないし、個人としてもジャンルに来て約1年、その謎の熱意で画力と文章力は大幅に向上したと思っている。結果、固定厨を増やすことに成功したし、雑食を自称するフォロワーのプロフィールに推しカプの名前を追加することも出来た。やったね。
その上で個人的にずっと思っていたのは、『なんでかすりもしない総受け推しの人間がこっちにフォローリクエストを送ってきたのか?』と言う問題であった。特段私の描いている推しカプにいいねもしてこないのに、たまのたまに描く総受けちゃん(笑)のイラストにだけいいねしてくる人。
あの、帰ってもらっていいですか?
私は私の解釈を持って人を自分の解釈で殴ることが趣味なので興味無いんだったら今すぐブロ解して貰いたいんですけど……何?謎におだてられてもあなたの総受けジャンル、描くつもりないんで…
と言うかまずその総受け、特定の相手がいますよね?無視してません?と言うかママって何?てかこんなやつばっかなのこのジャンル?普通にヤバくない?これ私の方がおかしい感じ?
あ~~~~~~~~~~推しカプ増えねーかな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
増えねーんだよな~~~~~~~~~~~~~~~
「弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。
ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪・排斥され、そのぶつけられた嫌悪を内面化した人達のことだ。
容姿がキモい、喋り方がキモい、動作がキモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。
そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ「不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。
女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性は弱者だから男性というだけで恵まれているだろう、
女性は被害者だから男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう
こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。
言われた側の男性は自然と「自分はキモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己を規定する。
なぜか?女性に不快な思いをさせ嫌悪させるものは「悪」だからだ。
(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)
社会の正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。
「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。
つまり、男性が「善良な存在」であろうとすると、必然と女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。
だが、キモい男性がアプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、
多くの場合は徐々に恋愛=女性からの承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。
「女性は男性の人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、
「清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムにさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで
「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。
(そもそも女性のジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)
そして「ある種の弱者男性」は、「自分は害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。
女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。
自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。
むしろそれらが欠如するのは致命的とも言える。
女性の場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。
例えば一般的な企業の入社面接を想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。
そして流れ着くのは薄給のバイト、ブラック企業、危険を伴う肉体労働。
こうして、学校で女子にキモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。
女性たちからキモい害悪とレッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、
それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。
弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分はダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSやgoogleで検索をする。
すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。
言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」
あるいは「女性にとって好ましい男性は人格面も優れているに決まっている」、ということになる。
そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。
さらに社会正義を謳うリベラルやフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格を貶める。
曰く、非モテ男性は甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である。
曰く、非モテ男性は誠実さがないからモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。
曰く、非モテ男性は女性を搾取しようとしている。曰く、非モテ男性は・・・
他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。
―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、
それが正当化されるならば、払拭するには女性に承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――
そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。
「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、
とにかくあたかも自堕落で自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人格否定が行われる。
それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という
願いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪のレッテルを貼られる。
挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、
(女性のジャッジは正しい。)(男性なんだから恵まれていると思え。)
(女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)
フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失、自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。
女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。
「キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観が正当化され力を得る世の中では、
善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。
すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。
普段のあなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか。
そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。
場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。
あなたはまともな精神で社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。
おそらく、俺たちのような人間はほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。
女性からいじめやハラスメントを受けて人生の舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?
念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。
全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?
まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから。
リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、
ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。
「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったか、フェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。
女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。
同じ人間として扱ってほしい。
相当にあらっぽい話だけど、頭に浮かんだから書く。
貯金があったとしても、口座開設禁止、しかも家にお金を置いておくこともできません、毎日自分の身に付けて持ち歩かなきゃいけませんと言われたら、かなりしんどいと思う。
自分のジャケットの裏やポケット、バッグの中に数十万の札束が入っているだけでも、かなりの緊張感を感じるだろう。
男性と女性の性的価値や性的承認(?)の得やすさ(?)の違いの議論では、時たま
「価値があるといっても、そんなにコントローラブルじゃねえぞ」
「預金みたいに安全なところに置かれていて、自分の裁量で引き出して使えるものじゃねえぞ」
「コントローラブルじゃなければ、そんなにハッピーなもんでもねえぞ」
って部分が抜けていて、
それに対する女性側からのカウンターとして、個別の辛かった事例が挙げられるが、あまり響いてなさそうな気がする。
個別の議論に入る前に、「性的価値って、たとえ存在するとしても、預貯金などよりも結果が確定していない馬券(ギャンブル)や、ベンチャー事業の経営権とか、そっちのほうに近くて、取り扱いもそんなに簡単じゃない」ってところは合意しといてもよいんじゃないだろうか。
別の角度から言うと、性的価値とか性的承認の話って、「うまくいった例(成約例)」時点から話が作られがちだけど、
個々の人間は、成約するか分からないかたちの、取り扱いの難しい財としてしか性的価値を持てない。
もちろん、いくらでも混ぜっ返しは可能で、取り扱いが難しくてもそういう財が欲しかったという人もいるだろうが、
いや小額でももっと額面が確定に近い財の方がいいという人もいて、その辺は個人の嗜好や状況によるだろう。
(デスパレートな状況だと、一発逆転的なものが眩く見えるとか)
性的価値や性的承認の得やすさの性別間での不均衡みたいな話をする時に、