はてなキーワード: シャーデンフロイデとは
現実には人間には本能的にシャーデンフロイデというものが備わっている
個体での生存力が弱かった人類が、群れの統率を乱さないために備わった本能という説があるよ
だから、社会的成功者、権力や富を持つ者などが失敗すると面白がってしまうのは自然なことなんだ
万博やオリンピックの準備が上手くいかず政治家を馬鹿にして喜ぶのも同じ
松本人志が責められるのもそう
美人が殺されると週刊誌は3割増しで売れるそうだが、それも同じこと
その本能的な娯楽はよろしくないから自制しろ、といくらネットで求めたって、集団の行動が変わるとはどうしても思えないんだよね
それがダメなのは、理性的な人はもう理解しているのは当然だけど、そういうひとりひとりの意識だけで本能を封殺することなんて可能だと思う?
あり得なくない?
もっと実効的な策を考える方がよほどマシで、「お前ら今までの炎上から何を学んだんだ(俺だけは違う)」みたいな言説をいくら増やしたところで無力だよ
そういう記事に表向きの賛同はするけど、なんだかあまりに"ただ正しいだけ"で、絶対に非現実であろう提言をして満足してる人を見ると、かえって滑稽に思えてしまう
本当の意味で対策をするなら、エログロ画像投稿でSNSが凍結されるように、シャーデンフロイデ的な投稿をAIが感知すれば警告が出るようにするのもひとつだろう
映倫とかジャロみたいなところが、シャーデンフロイデを助長するようなスキャンダラスな報道をマスコミがした時に、是正勧告をする仕組みもひとつだろう
逆に言えば、人としての本能的娯楽から起きる言動に対しては、勧告と、破れば著しい不利益を与えない限り、改善することはあり得ないだろう
そろそろ、あの人を責めるな、犯人探しをやめろ、自殺に追い込んだのもお前らのせいだ、みたいな、バカみたいな正論イキリに飽き飽きしてきたわ
AvenueQのシャーデンフロイデだいすき
赤松健は「非党派的にマンガ表現規制に反対する人」としては最も政治的な力を持っていた。その力の源泉は何よりも「党派争いから中立である民間人」であるところに負っていたと思う。
いっぽう山田太郎は「表現規制反対を国会で訴える議員」であることに存在価値があった。議員でなければ彼はさほど著名とはいえない実業家であり、彼の力の源泉は議員であることそのものにある。
したがって、山田が自民党に入ったのは、まあわかる。彼は票田とするオタク界においては「余所者」だからだ。彼は赤松や竹宮惠子のように有名作品の著者であるわけでもなければ、本人が熱心なオタクであるようにも見えない。彼は「村の声を聞き、代弁してくれる国会議員」ではあっても「村の名士」ではない。彼がオタク村において有力者として扱われるためには国会議員であり続ける必要があり、そのために最も手っ取り早い手段が自民党への入党なのだろう。
それに比べて、赤松は人気漫画家としての知名度と人望を持ち、長年政界へのロビイングをやってきた「村の名士」だ。国会議員でなくともその声には重みがあるし、あくまで「村の利害」の代弁に徹し、党派的でないからこそどちらの陣営とも話をすることができた。オリジナル笑顔で駆け抜けられた。言うまでもなく、「党派的に中立であること」は山田が持ち得ない政治的資源である。国会議員である以上はいずれかの党派に所属することになってしまうのだから。
しかし、今回赤松は自民党の議員候補になることを選んだ。それは「党派的ではないこと」という彼の政治的資源を自ら捨て去ろうとする行為だ。政治に目覚めたばかりのトキメキ弾けそうなのかもしれないが、安直にすぎる行動だと思う。アンチ自民党のオタクは大勢いる。彼らは『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』の作者の話には耳を傾けるかもしれないが、自民党の国会議員の言葉に耳を傾けることはないだろう。つまり、表現規制反対派は「どちらの陣営とも話ができる村の名士」を1人失ったことになる。かくいう増田もアンチ自民党オタクなので、残念ながら赤松には投票できない。
だが一方で、近年、フェミニズムに基づく表現規制を訴える人びとが急激に共産党や立憲民主党に根を張り、ついには先日の衆院選で共産党が「社会的合意」に基づく表現規制を示唆するに至った。言うまでもなく、到底受け入れられる政策ではない。これらの勢力の伸長が赤松に旗幟を鮮明にすることを選ばせたのだとしたら、支持できないにせよ非難もできないかなぁとは思う。ひょっとすると涙隠した笑顔に気づいてほしいのかもしれない。
それにしても、吉良よし子に1票を投じたオタクとして、彼女があんな主張をするのは本当に残念でならなかった。池内さおりの落選はシャーデンフロイデな朗報だったが、彼女に代表される路線は今後とも共産党の中枢に残り続けるのだろう。彼女たちのような勢力が実権を持っている限り、共産党への投票は選択肢に入らない。一票ごとドキドキ色づくこの選挙が未来地図になるのだから。
立憲民主党については、共産党のような上意下達型の政党ではなく、また本来の意味でのリベラリストもそれなりに多いので、選挙区では是々非々で対応することになると思う。自分の選挙区に立った立民の候補が表現規制にもオタク蔑視にも与していないならその候補に票を投じるくらいの信頼は置いている。積極的にオタク向けアピールをしろとは思わない(もちろん、してくれるに越したことはないけれど)。表現規制に賛成せず、オタクを侮蔑するようなことを選挙民に見えるところで言わないでいてくれればそれでいい。出会い系サイトを使って辞任したどこぞの元知事も、温泉むすめ関係での雑な発言などオタクを侮蔑するようなことさえ言わないのなら支持してもいいのだが、世間ではああいうことを言うと支持者が倍増したりするのだろうか。
しかしそうなると、仮に自分の選挙区が与野党一騎打ちの構図になり、自民の候補が赤松のようなオタクに親和的な表現規制反対派で、立民(or共産)の候補が池内のような限界フェミだったとしたら、投票先に迷うだろうと思う。公文書の隠滅、統計の改竄、五輪の誘致、災害対策における無能っぷり、人権条項を削ったやべー改憲案、いつまでも選択的夫婦別姓や同性婚に反対し続ける固陋さ、そういった諸点を鑑みるとどう考えても自民党への投票なんてできないのだが、しかし他方で表現規制推進派の限界フェミにも投票できるわけがないので、仮にそうなったら白票でも入れる以外に道はなさそうだ。幸いにして、増田の選挙区の立民候補はまともな人のようなので、安心して投票しているが。政策の先へJumpしたら受け止めてくれるかな?
「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」「とっとと納めればいいのに」などと言い捨てる給与所得者の方々は、自分たちがどれだけ企業雇用という枠組で収入を守られ、分業化という仕組みで雑務役務から解放され楽をできているかという自覚がないのだと思います。それはそれで、とてもめでたいことでもあるのですけど、自分とは違う働き方をしている人達が「大変だ」と声を上げているそのときに、シャーデンフロイデを浮かべながら冷徹なコメントをするのか、自分には直感的にわからない「なぜ大変なのか」という事情を相手の目線に立って考えてみるのかという態度の違いには、その人の徳が出ると思いますね。
アホクサ
お前らフリーランスは、都合のいい時だけ「社畜m9(^Д^)プギャー」とやって
正直言って
通るか!こんなもん!!
…というのはいささか煽りが入った言い方だけど、個人事業主がインボイス制度導入について悲鳴上げてるのに対して、給与所得者らしき人達による「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」「とっとと納めればいいのに」的な、非常にクール(笑)なコメントをあちこちで目にして、これが多くの給与所得者の感覚なんだろうな、彼らには個人事業主という働き方の本質がわかってないんだろうな、と思いました。
「自分は会社勤めで、売上や仕入の税込・税別処理は経理に丸投げしてるから、インボイス制度導入が個人事業主の業務をどれぐらい圧迫するかわからない」ということについては、まあ理解できなくもないんですよね。「これお願いしまーす」っつって伝票上げたり領収書出したりしてるだけなんだから、インボイス制度導入で今までと何が変わるのか、バックオフィスでどういう負担増が発生してくるのか、実感がない。これはまあ致し方ないことだとは思いますよ(甘ちゃんだなとは思うけどね)。
それよりずっと根深い問題は、クールなコメントをしてる方々の「労働サービスの価格決定の仕組み」に対する感度の低さ、鈍感さなんですね。
そもそも、免税事業者というのは「課税期間の基準期間における課税売上高が1,000万円以下の事業者」です。それを本業・生業にしていて、年商が1000万円以下というのは、つまり原材料の仕入があまり発生せず、主には自分自身の労働を売ってる人です。たとえば:
・開発(エンジニアなど)
みたいに、何もないところから自分自身でコンテンツやプログラムを創り出したり、原材料の加工プロセスのみに関わって、それを元請やエンドユーザーにとっての顧客価値に変えるような、「付加価値の大半を自分自身で生み出している仕事」です。それから、名前が売れているトップクラスの人達を除けば(そういう人達はそもそも年商1000万円以下ではない)、他の人といくらでも替えが効く「代替可能な労働」です。さらに基本的に「下請職種」です。このような、付加価値型・下請型・代替可能型の個人事業主のことを、以下では総称して「フリーランス」と呼びましょう。
フリーランスの仕事---「付加価値の大半を自分で生み出す、他と代替可能な下請職種」---の特徴って、何だかわかりますか? それは、その労働サービスの価格が、労働市場を通して動的に均衡・決定されるということです。もう少し簡単に言うと、売り手も買い手も自由に値付けができて、それによって業界の平均的な「相場感」が決まっている、ということです。
実はこれってフリーランスや個人事業主に限ったことじゃないんですけど、給与所得者(特に正規労働者)は、自分の労働サービスの価格が市場で動的に均衡・決定される感覚がほとんどないでしょ? 「就活」という入口で頑張って自分を売り込んで、あとはその企業の中で勝手にだんだん給与が上がっていくわけですからね(転職という機会でそれを意識する人がいるぐらいかな)。
でも、フリーランスはそうじゃないんです。自分が生活上必要な(あるいはよりよい生活のために期待する)収入を踏まえて、毎日の仕事の単価(クリエイティブなら作業時間、開発なら人日、加工・建設なら人工(にんく)という単位がある)を決めて、元請に請求するんですね。
いっぽう元請にとっては、そうした労働の大半は他のフリーランスでも代替可能なものなので、作業品質が同等なら、高単価の仕入先は避けて低単価の仕入先を選ぶことになる。こういう形で市場の均衡が起き、それぞれの業界の「相場」が形成されているわけです。
仮に、土日休+夏季冬季GW休暇あり(年間休日120日)のフリーランスを考えてみましょうか。稼働日は245日なので、1人日=4万円の値付けをしてやっと1000万円に届きます。実際には通年で4万円/日が出るような職種はほとんどないので、現状ではフリーランスのほとんどが免税事業者の枠内に収まっていることを皆さんも納得できるでしょう。
さて、フリーランスの労働単価が、その労働の需給バランスによって決定されているとき、免税事業者が請求する仮受消費税(=益税)はどういう扱いになるでしょうか。給与所得者から見ると、財やサービスの単価というのは単独で値付けされるもので、消費税の処理はその枠外で行われるものだと感じられるでしょう。だから適正な労働対価がα円なら「α円のものを売って、0.1α円の消費税を請求して、それが免税になるなら、0.1α円ぶん丸儲けじゃないか」と見える。
でも、実態はそうじゃないんですね。フリーランスは、あくまで「仕事をして得られるトータルなキャッシュイン」を元に自らの原価感や期待単価を決めるわけです。そのトータルなキャッシュインには、当然「制度的に納税を免除されている仮受消費税」も入っています。益税分があること前提での生活設計であり、単価設定なんです。
さて、同業種の全てのフリーランスがこのような方針で自らの労働単価を値付けして、元請と取引をした場合、市場価格はどうなるでしょうか? フリーランス側の実質的キャッシュインという観点からみて「α円」という単価が需給的に均衡した労働単価だとすると、「α円の値付けをして、0.1α円の消費税を請求して、0.1α円ぶん丸儲け」しているわけではなく、「0.91α円の値付けをして、0.09α円の消費税を請求して、トータルでα円の収入」に均衡するんです。「税別α円ください」と請求したら、「僕は税込α円でいいですよ」「私なら税別0.91α円でやります!」という他のフリーランスに仕事を取られちゃうから。
このような動的な価格決定のメカニズムが、毎日の自分の労働単価を意識することがない給与所得者には、ぜんぜん見えていないんですよね。そもそも給与労働者の賃金には強い「下方硬直性」(下がりにくい)がありますよね。労働基準法によって企業側が合理的事由なしの不利益変更をできないことと、制度的に「最低賃金」というラインが引かれていることが、その主たる原因です。
一方で、フリーランスの業務単価には強い「上方硬直性」(上がりにくい)があります。労働基準法も最低賃金も関係ありませんし、そもそも下請職種なので、仕入を行う元請の方が「取引上の優越的地位」にあり、言い値を通しやすいんです。元請側が「そんなに高いなら、次からはもっと安い他の人に頼みますよ」という時に、翌月のキャッシュフローを気にして暮らすフリーランス側は「へっ、そんな仕事こっちから願い下げでい!」とは言いにくい。単価が安くても、安定して仕事がもらえる元請は離したくないという心理も働きます。日々月々の売上を、自分自身の稼働によってコツコツ積み上げる不安定な業種なので、まず「売上を確保する」ということが最優先になるんです。
元請側の「取引上の優越的地位の濫用」は、建設業種では建設業法で、その他の職種では下請法で規制されています。しかし今回のインボイス制度導入に伴って、元請が免税事業者に①適格請求書発行事業者になるか、②免税事業者のまま税抜請求に切り替えるかの2択を迫ることは、取引上の優越的地位の濫用にはあたりません。なんせ国が「こうしろ」と言ってることを忠実に守ってるだけなんですから。だからフリーランスにとっては、①適格請求書発行事業者になり、益税分のキャッシュインを失い、経費処理関連のコスト(システム更新費用とか新たな経理作業とか)が嵩むことを受け入れるか、②免税事業者のままでいて、益税分のキャッシュインを失い、材料仕入や経費に伴う支払消費税はそのまま支払い続けるか、という、どのみち今よりも現金収支が1割前後目減りする2択になります。
理論的には、こうした外部環境の変化を受けてフリーランスの労働価格の再均衡が起こってもよいのですが、先にも述べたようにフリーランスの労働価格には上方硬直性があるため、そのサービス労働市場における労働単価が、益税喪失分による需給のバランス変化を反映して新たな価格で再均衡するまでには、かなりの期間がかかります。そしてその期間中に、少なからぬフリーランスがまともに生活できなくなり、廃業・転職してしまうでしょう。今まで益税分も込みでカツカツの暮らしをしていた人達(いっぱいいます)は、インボイス制度導入によって、もう「カツカツで暮らす」ことすらできなくなるからです。
特に加工・建設職種では高齢化が進み、いつ引退するか迷っていた世代の方々が多くいます。その方達は今回のインボイス制度導入を契機に、次々と引退していくでしょう。そもそも「あと何年働けるかなあ」という人達が、これまで益税で得ていたキャッシュインが目減りするのに、コストをかけて経理システムを変え、新しい税処理を覚えなければならない、という状況で仕事を続けると考えるほうがおかしいわけで。
ちなみにインボイス制度導入には6年間の段階的経過措置 https://www.nichizeiren.or.jp/wp-content/uploads/invoice/invoice15b.pdf がありますが、この経過措置はあくまで「元請側が」免税事業者との取引における消費税額を部分的に控除可能なだけです。来年10月以降の3年間は免税事業者からの仕入額の20%分の消費税を控除できなくなり(=仕入額の2%相当額が完全に手出しのコストになり)、2026年10月からは50%、2029年10月からは100%が控除不能になります。これは、今まで国が取っていなかったことで、元請とフリーランス(と最終消費者)の間で均衡的に配分されていた益税相当額の課税コストを誰がどれぐらい負担するのか、というゲームであり、このゲームにおいては、元請側が圧倒的に有利なのです。市場が再均衡しても、そのときフリーランスの実質的な業務単価は、インボイス制度導入前より確実に低くなっているでしょう。
「払うべき税金を払ってなかっただけ」「いままで懐に入れてたのがズルい」「とっとと納めればいいのに」などと言い捨てる給与所得者の方々は、自分たちがどれだけ企業雇用という枠組で収入を守られ、分業化という仕組みで雑務役務から解放され楽をできているかという自覚がないのだと思います。それはそれで、とてもめでたいことでもあるのですけど、自分とは違う働き方をしている人達が「大変だ」と声を上げているそのときに、シャーデンフロイデを浮かべながら冷徹なコメントをするのか、自分には直感的にわからない「なぜ大変なのか」という事情を相手の目線に立って考えてみるのかという態度の違いには、その人の徳が出ると思いますね。