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2017-10-12

anond:20171012135523

卑下って言葉自分に使う言葉だと思っていたので違和感が凄くある。

もともとの使われ方としては完全に誤りだとは言えないのだが、ぶっちゃけ当人たちは間違って使ってるとは思う

対象卑しめて下げる、といった程度の意味だと思ってるのだろう

あなた国語感覚は正しいよ

彼らを見下したり嘲ったり蔑んだりしていいよw

2017-10-10

立憲民主党へのネガキャンが酷い

立憲民主党へのネガキャンが酷い。フォロワーを買っただとか、RTが鍵垢だとか、そういうデマの恐ろしいところは「そうでない」と言い切ることが難しいこと、一旦拡散してしまったら検証しても信じこむ人がいること、やったもの勝ちであること、特に罰則がないことなどだ。

それにしても、なぜこのようなデマが流布されるのだろうか。まずデマを広める人の心理を考えてみよう。彼らは一体どんな動機デマを広めるのだろうか。それは悪意からである証明簡単だ。

悪意がなければ、2chなどの掲示板にいきなり投稿したりはせず、連絡を取ってり、質問サービスなどで聞いてみたりして検証しようとするだろう。なぜならもしも違っていたら大変だからだ。しかし、悪意のある人間は違う。彼らにとってそれらのデマ真実か否かは関係がないのである。彼らに取ってデマを見つけ出すことは「立憲民主党を貶める」という目的のための手段である。ではなぜ彼らが立憲民主党を貶めたいのか?政策が気に入らない?候補者が嫌い?違う。そういう純政治的問題ではないのだ。彼らはただ単に自分の虚栄心を満たしたいだけなのだ。これは森友学園の籠池氏やアメリカ大統領選挙トランプ応援し、フェイクニュースを撒き散らしたとされる"Poor White"層と重なる。彼らは自分自身に満足していない。自分に自信が持てない。自分が周囲から認められていないと感じている。そんな人間が取る行動はどこでも同じなのである。まずは自分所属している組織、例えば人種,国籍,階級, etc...に縋り付く。白人黒人より優れている、だから自分あいつらより優れているのだ、だとか日本人から中国人韓国人よりも優れているなどと考えてしまう。だがそういう意識は日々の生活の中では中々満たされない。だから彼らは自尊心を満たすために黒人韓国人中国人などの悪い所を積極的に探し出してそれを広めようとする。目的真実検証報道である本来マスメディアと違い、自尊心を満たすことだけが目的の連中だから、それが真実かなどとは毛一本足りとも考えない。要は信じたいから信じてしまうのだ。そうやって自分に自信がない人が一定数に達すると、今度は彼らを利用して金儲けしようとする人々が現れる。彼らは恣意的タイトルで巧みに人々の正義感や不信感に浸け入り、どんどんとそれらの考え方「だけが」正しいと信じこませ、誘導する。例えば政策にしても、どの政策が正しいかどうかは結局のところ議論して突き合わせてみなければ分からない。どんなやり方にも長所があれば短所もある。相手がなぜそう考えるのか、よく話し合い、互いに納得できる結論を出す場が議会である。だというのに、自民党ネット右翼オルタナ右翼は「自分たち絶対だ。だから自分たちは正しいし、他のやつらは間違っている」という考え方になってしまっている。なぜ議論するのか、なぜ反対するのかを理解することすら拒んでいるのだ。そしてそうやって反対する人々に対して「非国民」だとか、「国賊」だとか「反日」だとか呼んで、自分たち所属している組織から弾き出す。そして彼らを自分たち卑下している人々と同一視し、排除しなければならないと考える。そうした積極的排除行動の裏にはどれだけ他人を貶めても自分自身には結局のところいつまで経っても満足なんてできやしないという事実がある。だから今度は人を下げるのではなく、自分を上げようとする。間違った方法で。彼らは自分地位が低いことを他者陰謀だと考え、そういった人々を排除すれば自分もっと他人から認められるのだ、もっと地位が上がるのだと考えてしまう。有名なところではユダヤの陰謀在日韓国人陰謀、といったものがある。ユダヤ陰謀論が決してユダヤ人が優れていないという設定ではないことが、黒人差別などと一線を画す。むしろ彼らが自分よりも優れていることを認めた後にそれを無視し、彼らが如何に悪辣非道かといったことにこだわる。相手が悪ならば排除正当化できるし、自分の不遇も正当化できる。

立憲民主党、それに過去民主党民進党へのネガキャンは主にこの2つが原因である。ではこれらをどうすれば良いのか、それは民主主義立憲主義人権などについてしっかりと学校や家庭で教えている他はない。もっと自民党政権でそれは望めないであるが。

P.S. これを長文だと思った君へ。ネット依存だ。これは短文だぞ。

休日よ、待ってくれ

https://anond.hatelabo.jp/20171008232016

なんだかよく分からん熱量に当てられてポエム書く。


40歳男性独身

趣味には逃げられた。友達は居ない。やることはあるが気がついたら時間が過ぎてやれてない。上っ面だけの目標はあるが、本当の目標適当キリギリス生活をなるだけ長く維持すること。


日々生きてると消耗品の補充は必要なので近所のホームセンターに行くと家族連れやカップルが目に付く。

カップルがいちゃいちゃしていたり普通にしていたりいがみ合っていたり、家族連れが子供とわいわいしていたり子供を野放しにしていたりガミガミやり合っていたりするのを見て、ほほえましくは思うもののどうしても自分人生に関わり合いのあることに思えない。

「真っ当な人達のこと」みたいなイメージ自分卑下しているんだけど、思い悩む時期も過ぎ、とうの昔に諦めた。


過去に異性にどうしようもなく好きになり、好意を伝えて付き合うことになったけど、結局長続きしなかった。

あれほど好きだったはずのその人と会うことが付き合うとなったその瞬間から負担に感じ始めた。

連絡する手段はいくらでもあったのにこちから連絡する事は少なかった。

結局相手に「これ以上無理」と意思表示され「わかった」と反応して終わった。

誰にでもは無いかも知れないけど、そんなに珍しくない失敗だろうし、反省して次に向かえば良かったのかも知れないが、そこで自分は「自分は薄情だから人の時間無駄にしないためにも他人と深く付き合うのは止めよう」と思ってしまった。

自分が傷付きたくないから逃げているだけなのに。

でも今は職場以外で誰とも関わり合いを持たなくても生きて行けてしまう世の中だ。

職場人間関係業務時間外まで引きずって無理矢理コミュニケーションするのは悪と断じられる時代だし、

趣味とまで行かなくても暇潰しはゴマとあるし、ある程度の稼ぎさえあれば衣食住にも性処理にも困らない。

しろ他人の都合に左右されない分快適ですらある。

でも時間が経てば立つほど、孤独にどっぷり浸かってしま脱出時間がかかるようになっていく。

人と再び関わり合うには長いリハビリ必要だが、そんなリハビリに付き合ってもらえるような余裕のある人なんか居ない。

みんな自分人生が忙しいんだ。

特に40代ともなるとね。


他人家族カップルを見てへこむって事は自分の中にまだ人とコミュニケーションしたいって欲求があるって事だと思う。

引きこもり選択した俺には何が正解かはわからないけど、俺みたいになるのはほっといてもなれるんだから、それ以外の道を模索する猶予がまだあるんじゃないか

まぁ、最悪失敗しても独居老人になって孤独死するのは自分なんだし自業自得じゃん?

なら、心が動くうちは足掻いてみた方が良いよ、というのが足掻くことから逃げた俺の意見

まぁ、元増田の現状には糞の役にも立たないポエムでした。


あぁ、連休前に「今週末はこれやろう」って思ったこと1秒たりともやってねぇ。

なんて意志が弱いんだ、自分は。

2017-10-05

エロマンガ先生

他人から好意に鈍感というよりは、牽制といったほうが正確だとおもう。ニュアンス的に。

一言で言い表せないような、玉虫色で、微妙位置にある感情なので、自分表現力ではそれを言い表すには足りてないとは思う。

今までの人生自尊感情が育ってこなかった、成功体験が乏しかったため、ちょっとした「どうせ俺なんて」がデフォになっている。

自尊謙遜卑下謙虚職務能力自己評価犯罪に対し過剰に警戒する社会非モテとして迫害されてきた高校大学、そういうった社会的個人的人生経験的なミクロマクロが入り混じった結果、そうなっている。

(いや職務能力自体はそれなりに高いと自他共に評価されてるんですけどね(イキリ))

それらが入り混じった結果、「中の下」くらいの自意識になっている。

仮に自分が誰かに好意を抱かれたとしても、それを正確に把握することはできないだろう。この犯罪に対する高度警戒社会だ。犯罪者になりたくない。冤罪をふっかけてきているのかも知れない。自分自身にも犯罪に対する警戒はある。

恋愛市場から降りる人たちの理由に「犯罪に巻き込まれたくない」「犯罪者にされたくないし、犯罪を犯してしまいたくない」といったのも、潜在的に大きいんじゃないかと思っている。

それはシンプルに、住んだり通りかかったりするとき治安が悪い地域を避けるのと似ている。

イケメン無罪

キモオタ有罪

2017-10-04

オタク特有の過剰な集団心理暴走も大概ですよ

anond:20171003201918

増田のように自分卑下し過ぎる必要は無いが、男オタク特有の過剰なネット弁慶ぶりが女性声優へのセクハラ誹謗中傷や、コミケエロ紙袋エロゲTシャツなどの猥褻グッズ類を堂々と公衆面前でひけらかす迷惑行動にも繋がってるので、羨むこたーない。

彼らの脳内では「常識非常識」「多数派と少数派」が逆転してて単に自分達がネットでは多数派だと妄想してる状態から本質的には増田と同じように他人の目を気にする小心者である事には変わりないんだよ。

厄介男オタクのあれは「誰がなんと言おうと堂々と己をさらけ出す心意気(笑)」ではなく、ネット多数派状態に物を言わせた集団心理暴走で大概が人間として終了して手遅れ状態

キモいと思われても1人でもそれを貫く信念」というカッコいいものではなく、ネットは男オタクのもので、ネットでは自分達が絶対的マジョリティだと思い込んでるからやってるの。

たまに一般人正論迷惑がっても、ツイートスクショして晒して男オタク仲間同士で凸して攻撃してアカウント削除に追い込んで楽しむ陰湿まりない集団いるからね。(例:野獣の日で暴れた淫夢厨)

増田気持ちわからんでもないんだが、「あれは人としてまずいから表に出すべきでない」という感覚を完全に失ってしまったらオタクとしてはいよいよ終了なので、増田自分の自制心を肯定しつつバランス模索して欲しい。

悟ってほしい

女オタの「自分たちは罪深くみっともない存在……」

は確かに卑下し過ぎかなと思うけど、

「こんなキモいこと出来ちゃう俺らwwww」

という風に開き直るオタクは見るに耐えない(主に10~20代後半に多い)。自分もそうだった。


私はその時期を乗り越え、アニメカップリングも何から何まで全部一人で楽しむと決めてから数年が経った。

鍵をかけたツイッターの片隅で小さくブヒブヒいっていれば満足である

なので元増田も、他のオタクに流されず今と同じスタンスで楽しむがいいと思う。

「こんなキモいこと出来ちゃう俺らwwww」

そして、こういう輩は大体2~3年もすればアニメを見なくなる。

からこれでいいのだ。


https://anond.hatelabo.jp/20171003201918

2017-10-03

なんで男性オタクあんなに堂々とできます

Why 男性オタク

堂々とというか……後ろめたくなさそうというか……俺(たち)はオタクだぞー!と出せてるのは何でなんですかね。

そりゃあ普通リア充に比べれば肩身が狭いだろうし、更に個々人ではオタクであることをひた隠したり卑下してる人もいるけど、それでも男オタ全体のノリには、女オタの「自分たちは罪深くみっともない存在……」みたいのとは違うものを感じる。

いや、男オタも自分たちキモくてみっともないと捉えたりしがちではあれど、それをむしろ自分たちネタにして面白がれたり、それどころか周囲にアピールできちゃってるように見える。

「こんなキモいこと出来ちゃう俺らwwww」みたいな楽しみ方。(多分この言い方は十年くらい前のオタク構文だろうけど今はどう言うのかわからない)

そんでその楽しみ方を、身内以外に見られそうなところでもできちゃう

オタ芸とか痛車とか、オタク系のグッズを普段使いするとかもその一種だろう。

もちろんオタ芸痛車をするのが全てのオタクではなく、むしろ男オタの中でもああいうのは白い目で見てる方が多いのは分かる。

でもあのレベルになると叩く人でも、ネットで己のオタ性を生き生きと出せていたりする。エロ垢でも鍵垢じゃないのが普通だったり。

正直、かなり羨ましい。

あいうのは一種露出や露悪の快楽みたいなもんで、周囲にとってよろしくないという話もわかるのだけど……実行はともかく攻め攻めで楽しめる精神性は、羨ましい。

精々が知り合い数人に見えるところでだけ自分キモさを出せる、というのじゃあ息苦しい。

私も、私有地だけでなく公道でもオタクアクセルベタ踏みしたい。

あるいは、「公道なのでオタクアクセルを踏まない……踏まないでおいてやるが……それは踏めないというわけではなくその気になれば私はいつでもベタ踏みできる、その能力と自信がある……だが今はそうしないでおいてやる、運がよかったなパンピーども……」みたいな精神的主導権を持ちたい。


10/04/19:32追記

自分たちマジョリティであるという感覚を笠にきて暴走してるだけだという指摘があり、確かにそういう感じもあるのだけど、それが一概にダメというよりも、むしろそれこそが羨ましい。

マジョリティであるとか、ホームグラウンドであるみたいな感覚をどうやって身に着けられたんですか。実人数で言えば男オタも女オタもそんな変わらないだろうに。

ここんとこネタにされ馬鹿にされてるイキリオタクってまさに笠にきてるスタイルだと思うけど、ああのネタで想定されてるイキリオタクっておおむね男性だと思うんですよね。

イキってるのははたから見たり成長後に見たらイタいかもだけど、当事者にとっては楽しそうだし、イキりたい。イキれるようでありたい。

あと社会性の差を指摘してるコメントもあって、これも私の感覚にしっくりくる。

オタ婚活で男オタの方がヤバい人が集まりがちって話題かにもそれを感じるし。

ただこれについても、素養がないのに無理して「化粧」して社会性を糊塗してるよりも、「社会性? 知ったこっちゃねーよフヒヒ」って言えちゃう方が羨ましい。

つまはじきにされても別にやってけるし、という自信? 開き直り? その源はどこなのだ

2017-09-21

自分の絵をゴミ絵言う奴

褒められてもゴミ絵ですまんと卑下

ゴミ絵と言われたらゴミじゃないもんとか

自撮り女と同じこと言ってんぞ。

褒められた時はありがとう精進しますとか言えるように勉強しろ

2017-09-11

カバンちゃんが急にアンパンマンみたいな事言い出すシーンが嫌い

PPPゴリ押しは慣れたら平気になったけど、カバンちゃんが急にネガティブな事言い出すシーンだけは違和感が拭えない。

ジャパリパークで色んなフレンズを見てきたはずのカバンちゃんが自分を指して『見るからに駄目』なんて言うとは思えないんだよなあ。

『なんで生まれたかも分かんなかった』もよく分からん

唐突やなせたかしみたいな事言われても反応に困るわ。

サンドスターによって唐突フレンズになる事を否定するならそれは他のフレンズ否定することになるだろ。

それって間接的に『フレンズって何のために生まれたのか意味分かんないよねー(キモーイ』とカバンちゃんが言ったことになるだろ。

そうじゃないだろ。

今まで旅してきて色んなフレンズが生きてることそれ自体の素晴らしさを感じたカバンちゃんが今更そんな事言い出すはずないだろ。

それに『見守ってくれて』も違うだろ。

一緒に旅をしてきたんだろ。

最初は見守ってたのかも知れないけど途中からはそうじゃないだろ。

一緒にいるのが楽しかったんだろお互いに。

それをなんで対等だと捉えられないんだよ。

そこまできてまだウジウジと自分が下だと思ってるのか。

そんな事が分からなくなるようなキャラじゃないだろ。

もっと周りが見えるようになっただろあの旅で。

それなのにどうして、最後にそんな弱気になって自分卑下するんだ。

木登り出来るようになって自信付けたんじゃないのか。

旅の間に何度もバージョンアップされたはずの自己効力感をなんで急に失った。

お客さんじゃなくなって、パークの皆と対等になったはずだろ。

それなのにどうして最後にそんな悲しいことを言う……。

やっぱ気に食わない。

けものフレンズでここだけは絶対に気に食わない。

自己肯定感の低いゆとり世代さとり世代どもにシンパシーを持たせて神アニメ感マシマシだぜーwwww』とでも思ってそうな所も気に食わないけど、

何よりも最後最後カバンちゃんが旅の中で積み上げてきた物が突然なくなって、1話前半のウジウジしてただけの子に戻ってしまったような所が気に食わない。

そこだけが残念だ。

2017-09-09

人間人生大前提

およそ6年前、家族との共用パソコンではない、自分用のインターネット接続できるデバイスを持ってから、私は少しずつ闇に侵されていった。中学生という思春期の真っ只中、なんとなく好きな子がいたり、部活同級生高身長さわやかスポーツ万能モテモテイケメンと一緒にいたりするうちに、というよりはそんなことは大して関係なく、中学校のあの雰囲気の中で生活しているうちに自然に「モテたい」という思いが芽生えた。いつでも自分の部屋でインターネットアクセスできるようになった私は、モテるためにはどうすればいいかということをインターネット検索するようになった。いろんなサイトを見ていくうちに、たしか横山建という名前の、恋愛商材やらセミナーやらを扱っている男のサイト出会った。彼の無料メルマガ登録したり、ほかの恋愛商材を扱っている人のサイトを見たりして、とにかく無料で手に入るものはどんどん手に入れていった。中学生からしたら素晴らしい情報を見つけたという感じであった。そしてとうとう商材をお金を出して買うことにし、個人ではなく恋愛商材を扱っているその界隈では割と有名な会社から25000円という大金を出して買った。中身は調べればその辺に転がっているような情報しかなく、とても後悔したのを覚えている。もしこれを見ている学生がいたら、ぜひとも恋愛商材なんぞ買わないようにして頂きたい。恋愛商材のサイトを見ていると、まるで自分はとんでもない無知で、この商材を買わなければ自分はこの貴重な情報を一生知らず、つらい人生を歩むというような考えに陥りがちだが、全くそんなことはないし、そもそも恋愛商材なんていうものは基本ゴミで、たとえうまくいったとしても幸せにはなれないと思う。最近恋愛工学などと一緒で、ある種ホスト的なモテしか結局はできないのではないかと思う。つまり自尊心が低い女性をだますことでの付き合いしかできないというような気がする。

恋愛商材の非モテ卑下し、恋愛のない人生を強く否定する世界と触れたことで、私は少しずつ、モテなければ恋愛をしてもいけないし、好かれなければ自分人生を歩んでもいけないというような思い込み形成されていった。

その結果私の人生は完全にストップしてしまった。

そして6年経ち今に至るわけだが、やっとある結論に達した。

人は自分幸せのために生きていいし、自分に都合のいいように生きていいし、自由に生きていいし、自分の心を大事にして生きていいし、したいようにしていいということである

それがすべての前提なのだ

相手のことを考えるということも、その結果自分幸せになり、心地いいコミュニケーションが取れるからそうするのであり、好かれなきゃ生きちゃいけないからそうしなければいけないのではない。

モテるためにすること、いい男でいることも、その結果(好きな人幸せになったり、いい恋愛ができることで)自分幸せになれるからするのであり、完璧な男でなければ恋愛はできないし、恋愛ができない男は自分人生を歩んではいけないからそうしなければいけないのではない。恋愛をしたくないのであればしなくてもいいのだ。

こんなことはほとんどの人にとって当たり前であるし、いろんなことを端折っているので無意味文章かもしれないが、なんとなく書き留めておく。

2017-09-02

顔面コンプと、平野啓一郎世耕弘成ケラリーノ・サンドロヴィッチ

容姿ディス、失礼千万承知で書く。

から勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞インタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。

平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。

ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニューススクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面コンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガーウィーアー…)。

イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分強迫容姿コンプ内面勝手投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。

そして非難されてほしいという、再矯正自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。

容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分卑下してて、無駄卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。

もし今自分高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。

宇多丸氏の映画評論下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSミニ番組で、10代の自分について、不細工運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。

年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。

社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分コンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。

この人らの仕事性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心コンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ

2017-08-23

https://anond.hatelabo.jp/20170823010824

今はそうなのかもしれないけど!

本当にそうなのかもしれないけど!

大学生の娘がいるような勝ち組が、ハゲブサメンとか卑下しているのがものすごく腹立たしい!

ものすごくだ!

2017-08-14

興味本位でA関係の繋がり方がないか探したらあっさり見つけられた

そこでやり取りされている話を見る限り

一般以上の顔面と金と脈があれば簡単につながれそうだなと思った

まあ平均以下の顔面と金と脈な自分には縁遠いし

顔面工事や水までして手に入れたいものではないけど

別の場所で延々やりとりしてる人たちが急に虚しい人たちだなと思えた

身内を叩いて新規を叩いて自分いちばんと思ってるみたいだけど

本当に近くに行きたい人はとっくに繋がって楽しんでいるんだなって気付かされた

Aと業界は違うけど自分の周りにもとある人と仲良くなりたいって思っている人がいる

平均以下の顔面と金と脈な自分がなんでそのとある人と仲良くなれているのかわからない

きっと向こうが気が合うなと思ってくれたんだろうなと思う

謙遜でも卑下でもなくそれ以外いいところ全然いか

なにもしないのに口だけ開けてほしがってても意味ないよなあ

2017-08-11

不幸をこじらせる

不幸をこじらせてる人は面倒くさい。

私もかなり不幸なほうだとは思うけど

少なくとも『不幸オーラ』みたいなのはさないようにしている。

こじらせてる人は、いつもそれを全開にしてるのだ。

それでいて、話を聞こうと歩み寄ると

「どうせあんたには分からないし」という態度をされる。

厨二病ってのとよく似ている。

基本的自尊心が低くてプライドが高い。

ということに自分で気付いていない。

あ、私は気付いてますから

勝手に周りと比較して、自分卑下する。

それはいいんだけども、なにかと攻撃しかけてくる。

自分が偉いとでも思ってるんでしょ?私のこと下に見てるくせに」

面と向かってそんな風に言われると、呆然としてしまう。

苦しい。

ただひたすらに苦しい。悔しい。

主観的な考え方で、自分自身をがんじがらめにしている。

先の見えない真っ暗な迷路に迷い込んでいて

他人はみんな上から嗤って見てくるから

昔の私がそうだった。

泣いて泣いてひたすら恨んで妬んで。

自分けがそうだと思っていた。

ある日ふと考えた。

周りが誰も私のことを認めてくれないのに

自分自分を認めなくてどうするの?

ただ一人の味方を、自分で殺してどうするの?

今ここにいるのは、偶然だけじゃなくて

選んだ道の積み重ね。

大人なんだから自分意志ほとんど自分で決めてきたはずだ。

精一杯努力したし、我慢もした。

選んだ道は多くが失敗だったと認めよう。

でも私が私の味方にならなくて、一体他の誰がなるの?

そうやって少しずつ客観的に見られるようになって

ようやくこじらせ状態から抜け出すことができてきた。

から、分かるんだ。

不幸をこじらせてる人の気持ちが。

そして、少し楽になる方法はあるって気付いてほしいんだ。

ところで、どうやって改行するのかな?

都内大学卒業就職して、大分経った。さえないので未だに独身だ。


ふと地元を見ると、昔、一緒にいたような連中が、みな幸せそうに見える。

結婚して子供中学生くらい。家庭はなんというか、いわゆるマイルドヤンキーみたいな感じのようだ。

なかなか羨ましい。


しかしもう少し聞いてみると、幸せそうに見える連中が、目に見える形で地元に残っているだけで、

あんまり良い境遇じゃない人はやはり、住まいを移したり、地元にいてもあまり目立たないような暮らしぶりらしい。


たまたま帰省中中学時代学級委員長だったクラスメートコンビニ駐車場バッタリ。

彼は地方にある結構レベル高い大学へ進んだ。

その大学の近くでIT関連企業に進んだが、激務に体を壊し退職

その後、地元にもどり介護仕事をして頑張っている。


人柄も良く、幹事となってクラス会を開きたいと考えていた。

たまたま出くわした自分にも声をかけてくれた。


きちんとしたクラス会はまだ先だけど、地元に残った連中に声をかけていて、

この帰省シーズン居酒屋に十人近く集まるのだという。

気が向かないけど、人柄のいい彼の気持ちもむげにできず出席を約束した。


チェーンの居酒屋に着くと、幹事の彼と自分以外に、女子3人、男子6人。

近況報告や、同級生消息だのよもやま話だので、まあまあ盛り上がる。


女子は皆子供がいて、高校生を育ててる人もいた。三人とも落ち着きがあって、お母さんしてるし、素敵な感じも残ってる。


男子地元高卒組4人が幹事をよそに仕切りたがり、幅を利かせたがる感じ。彼らはときおり連絡し合ってるという。

自分幹事委員長以外のその他二人の男子は、大卒地方公務員高卒組の仕切りになんとなく任せている。


そういえば、その高卒組は昔からよく群れて集まり、幅を利かせ、裏で密議し、

それでいて表立って責任をもったりはやらないし、できない連中だった。


酔いが回ると高卒四人組は、自分低学歴卑下し、大卒組をうらやみ、なぜか責め始める。

その話が進むにつれ、その内一人が仕事大卒に負けてるわけじゃない、大学なんていかなくてよかったと言い始める。


女子が、でも自分の子勉強出来たらうれしいでしょう、と言うと吠えてた高卒男子が、うん、塾に行かせてる、と可愛い

人柄が悪いわけじゃないけど、高卒組の考えや世界の狭さを感じてしまった。

なんとなく、高卒男子はずっと、高校生のままなのだ


やっぱり地元でてよかったと思った。自分には合ってない。


あと女子は、やっぱり男より大人だなと思った。

上方婚というやつか、女子自分よりスペックの高い男を捕まえるのだろうか。

みな結構、良い旦那さんと結ばれたようで、どうも生活レベル文化レベルが、我々男子より総じて高そうだった。

昔は同じように思っていたが、同級生女子は高いところへ導かれていったのだ。

2017-08-06

くだらない理由で筆を折った自称絵描きのはなし

絵を描くのが好きだった。

技術がなくても、ついったーの反応が身内だけでも、イベントでどうじんしが10しか売れなくても、好きなものを好きだと表現することが好きだった。

ある日、とある親しいフォロワーさんが絵を描き始めた。

以前からゲームSSを加工したり小説を書いたりして自分創作表現していたけれど、やっぱり絵も描けるようになりたい、と思い立ったようだ。

二児の親であるその人は、その日から家事育児の隙間時間を見つけては絵の練習をし、描いたもの毎日必ず一枚以上はついったーにアップし続けた。

絵を学ぼうというその前向きな姿勢と日々少しずつ上達していく様に誰もが感動し、フォロワーも日に日に増えていき、本人もたくさんの人に見てもらい褒められるのが嬉しいようで、その日から絵を一枚も上げなかった日はなかった。

もちろんプロからすればまだまだだけど、描き始めてから今までの過程を見届けてきた自分も他のフォロワーさんも、その人の画力の向上ぶりには驚かされている。

ネット書物でたくさんの技法を学びながら実践し、自分なりに昇華して、着実に表現する力を身につけている。

そして、どんな時も後ろ向きな発言をしない。

子供を叱ったりした日があっても、それがあったということだけをつぶやき絶対愚痴は零さない。

「嫌なことがあったけど、フォロワーさんの絵で癒された!」とつぶやいたりはするけれど、絶対に「何がどう辛い」みたいな話はしない。

うまく描けなくて落ち込むことがあっても、「楽しく描ければそれが一番!」と、絶対自分否定しない。

そんな人柄も他人を惹きつけて、今やプロ絵師とすら相互で繋がっているほど。

毎日楽しそうに絵を描いているその姿が、私は羨ましかった。

そして、それが日を追うごとに、嫉妬劣等感嫌悪感に変わっていった。

自分とその人との違いは明確だった。

「今すぐ上手くなりたい」か、「1年後にはきっと今より上手くなってるはず」。

前者が自分。そして、確実に上達するのは後者

いつから自分自分画力のなさが嫌になった。

何を描いてもすぐに気に入らなくなるし、どんな技法書を読んでも身につかなかった。そもそも勉強する気がなかったのだから当然だけど。

けれど、この人は最初から自分技術がないことを認めているから、とても強い。

今は下手だけど、ずっと学んで描き続ければきっと上手くなると信じ、決して他人との差を卑下することなく、描くことそのものを楽しんでいる。

自分はそんな風には考えられない。

すぐに他人との差を卑下して、超えられない壁ばかりを見上げてはそこに留まっている。

そんな自分も嫌だった。

けれど、もっと嫌だったのは、どこまでも前向きで愚痴も零さずひたすら好きなことを表現しようとする姿勢他人を惹きつける、その人。

私とは何もかもが正反対すぎて、いつしかつぶやきを読むだけでイライラするようになってしまった。

そしてある日、「公共の場から愚痴を言わない」的なつぶやきを見て、ああ、やはりこの人とは生きている世界が違うのだ、と気付いた。

自分リアル他人愚痴をこぼすことができない。物理的にそういう話ができる人間がいないのではなく、言えない。

数分熟考し、脳内言葉パズルを組み立ててから口にしないと、思ったことを話せない。

そうして出てきた言葉でも、相手が嫌な思いをするのではないかと考えると、口に出せない。だから言わない。

これはおしゃべりな人間には理解できないだろう。

からついったーで誰に言うでもなくぶちまけているだけで、別に誰かに拾ってほしいわけではない。そうでもしなければ精神が保てないのだ。

王様の耳はロバの耳的な感覚なので気が済んだらすぐ削除するし、差別的表現絶対に使わない。

その人にそういうことを否定する意図が一切ないのは知っているが、否定された気分にならなかったかといえば嘘になる。

私はついったーアカウントを削除し、ぴくしぶのアカウントに上げたイラストも非公開にした。

もうすっかり自信が持てなくなってしまった。ペンを持つことも億劫になってしまった。

これ以上公共の場で荒れる自分を見られたくないし、その人には私のことなど気にせず楽しく絵を描き続けてほしいし、何より私がその人のことや絵を見ていたくなかった。

その人との関係に溝ができることは避けたかったので、その人だけをブロックすることはしなかった。

自分が消えれば(周囲にとっては)すべて解決するのだから、それでいいじゃないか

そして1週間ほど経った今、ここでこれを書いているわけだが。

別に誰に共感されたいわけでもない。ただネットの片隅に書き留めておきたかった。

くだらない理由で筆を折った『自称絵描き』のつまらない話を読んでくれてありがとう

異論反論は読まないのでご自由にどうぞ。

2017-07-24

好きだった生徒会長

中学生の時、生徒会長が好きだった。

ショートカットで活発で誰にでも優しくて。

そんな生徒会長が好きだった。

俺みたいな人にも優しくしてくれた。明るく喋ってくれた。

好きになった。

でも告白はしなかった。

俺は生徒会長の様な人間とは絶対に付き合えないし、そもそも友達にすらなれないと分かっていたから。

これは卑下ではない。


その生徒会長と20年ぶりに同窓会で会った。

昔と変わらず明るく輝いていた。子供写真も見せてもらった。とてもかわいい

旦那は超一流企業に勤めていた。

私は心の奥底から彼女幸せ人生を歩んでいることに幸せを感じた。


それなのに私の人生ときたら。

全く冴えない。

しかしそれは自分のせいなので、そのことで特に落ち込むことはしない。

溜息と一緒に満員電車に乗り、最寄り駅のスーパービールと半額の刺身を買って帰る。

そしてメイドインアビスを見る。

2、3話今日帰ったら見る!

面白いから増田の皆も見てねっ!原作も中々面白いよ!

2017-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20170723050553

子供がいない理由難病からです」ってさ、難病患者女性に対する偏見を高めるだけだからやめてくれる?

私もあなたと同年代1983年まれ)で、しかも同じ指定難病患者ですけど、日常生活になんの問題もない軽症者が子供を産めないなんて聞いたことないですよ。

簡単に「難病から子供産めない」なんて言わないでほしいです。

たとえば、膠原病で適齢期の女性で、催奇形性のある免疫抑制剤とか飲んでても、みんな主治医先生自分の病勢と相談しながら必死妊娠出産子育てをしています

なかに妊娠出産すると症状が悪化フレア・アップ)する可能性があると言われてる病気もありますが、みんながみんな悪化するわけじゃないし、あくまでそういうリスクがあるというだけで、妊娠出産禁忌なわけではないです。

大昔は妊娠出産禁忌って言われてたこともあるようですが、増田さんと私は同年代なのでその可能性は低いでしょう。

今後は、子供を産まなかった理由難病を持ち出すのはやめてくださいね

あなたの書き方だと「難病=子供産めない=負け犬」と言わんばかりで、自己卑下のつもりなのかもしれないけど、同じ難病患者としては大変不愉快です

2017-07-14

嫌われまいと傷つけまいとわりとずっと理性使って自制効かせてたんだけど、

ある時いきなり他人存在承認されてから

安心しちゃったのか、

他人露骨比較するというか、

頭の中で他人を汚い言葉卑下したり罵るようになってしまった。

どうしよう。


ちなみに存在を認められる以前に、

自制を効かせていたのは悪口であって、

心無い一言は自制出来てませんでした。

2017-07-05

おばさんについて

30代くらいの女性の中にはおばさんを蔑称だと感じる人がいるそうな。

親になって子の友達と話したりするとき一人称はおばさん或いはおばちゃんになる。

私、お姉さん、○○ママなどと名乗るよりも話が早くて楽だからだ。

私とその周辺のには自称おばさんのお母さんが大勢いて、誰もそれを自虐卑下する意味合いでは使っていない。

からおばさん=蔑称ってイメージが定着するととても困るのだが。

2017-06-26

今、某声優ファンだけど「強火」になりたくない。

今日応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。

できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。

けど、送れた。緊張した。

沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。

けど、それでいいと思う。

それでいい、という事にしたい。

私は、その声優さんに関してはライトファンでいたいと考えているからだ。

私がその声優さんファンになってから、まだ1年も経っていない。

中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。



その、2次元から離れていた期間の事を少し話そうと思う。

私はとあるジャンル所謂「追っかけ」をやっていた。

ジャンルはぼかすが、お笑い舞台アイドルバンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。

元々高校生の頃からそのジャンルファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。

便宜上、その人をaさん、aさんが所属する団体をAとする。

Aの規模は決して大きくない。

「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。

aさんと出会うまでは同じジャンルももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。

距離の近さだ。

さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。

Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。

出待ちイベントで直接話すことができる。

そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手自分を覚えてもらえる。

自分存在相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。

そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。

当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。

私は、チケットを取るのが上手かった。

Aは規模が小さいのでチケット完売することはまずない。

なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。

まり、「より良い場所で見られるか否か」。

座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。

そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというもの存在する。

決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。

Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。

本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。

どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである

そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。

いじわるをされたりしないだろうか。

そんな不安は、当日公演を見たらすっ飛んでいってしまった。

遮るもののない視界。

手を伸ばせば届きそうな距離

しっかりと私宛と認識できるファンサービス

やっべちょうたのしい。

こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。

それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。

公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。

地方の公演にも行くようになった。

出待ちも毎回するようになった。

そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。

そうなるともうやめられない。

結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。

どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。

その頃の生活についてもさらっと触れてみる。

1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。

キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、

地方公演に行った後空港徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。

就活は一応した。就職を機に追っかけをやめようと思っていた。

しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格勉強をする道を選ぶことになる。

名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。

何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。

よく働いた。そして給料は全てaさんのために。

2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。

なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。

aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。

さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。

理由は色々ある。

誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。

それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。

しかし、まあ、そうなってくると問題も色々起きてくる訳で。

Aでは、最前列で見ている面子ほぼほぼ固定されていた。

その面子の中にはもちろんaさんの他のファンもいる。

中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。

それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌い性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。

しろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。

テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。

抽選販売保険をかけて何口も申し込んだ。

手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)

余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。

今でも実家掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。

もう使えない意味の無いチケットなのに、なぜか捨てられない。

一応金券だからだろうか。いや、多分理由は違う気がする。

私が100枚買ってもチケット完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。

おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。

まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。

その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。

詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。

話を戻す。

私はaさんから、他のaさんファン比較して1番良い扱いを受けていたと思う。

相対的に見てまとも」

「他のファンと揉めない」

「毎回来てくれる」

チケットを沢山買ってくれる」

「気の利いた差し入れ(時に高価なもの)をくれる」

これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。

当時の私も、その事は理解していた。

理解していたからこそやめられなかった。

やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたかである

私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。

チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。

差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者から評価も下げないように気をつけた。

他のaさんのファンとも積極的交流をもち、仲良くした。

出待ち自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。

全部、最初は打算なくやっていたこと。

たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。

たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。

私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。

でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。

それでも、自分特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。

けれど、

例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。

例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。

例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。

_______辛かった。苦しかった。しんどかった。

Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。

違うか。

私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。

(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からファンが離れていったから)

自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。

幸いにも、5年間の間にAの他の演者ファンで、私と同じようなスタンス応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたか孤独ではなかった。

これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。

1人でないことがどれだけ心強かったことか!

けれど、aさんはAで一番人気で一番ファン問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。

事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果

「みんなはいいよね、私なんか……」

と思う事も一度や二度ではなかった。

その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。

元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。

そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……

舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」

そう思って走り始めたはずだった。

それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。

けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。

道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。

手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。

同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。



そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。

他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所理不尽横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。

普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。

まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。

徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。

完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。

そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。

どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。

特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。

たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。

「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」

と言ったことがある。

しかし、そんなつもりはないと返ってきた。

それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。

そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。

最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。

そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。

こうして、私とaさんの5年間は終わった。




随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。

今私は、ある声優さんファンをしている。

去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。

その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。

なのだが、そのアニメきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんキャラに惹かれることが多いことに気付いた。

まりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものから、その人の他の出演作を見てみたくなった。

その人本人にも興味が出た。

そんな感じでなんとなくそ声優さんを気にかけるようになって、やがて

「もしかしたらファンなのかもしれない」

と思うようになる。

出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、

ついに自分がその声優さんファンだと認めざるを得なくなった。

そしてここから、この記事の本題である私の悩みが始まる。

(そう、なんとここまで全て前置きなのである)

私は、「強火」なファンしかファンの形を知らない。

普通の温度で応援するやり方がわからない。

けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。

aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。

嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。

もう、あんしんどい思いはしたくない。

更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合時間費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。

300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。

イベントチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。

リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。

この先その声優さんファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。

そう、つまり、あの頃と同じことは実際問題不可能

そんなことは私のスッカスカの脳みそでも理解している。

理解しているのだが。

では、どうやってファンをしたらいいのだろう。


ファンである自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。

元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである

正直悩んだ。

イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。

間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。

けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。

悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。

「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」

というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。

けれど、危惧していた悪い癖は案の定バドバ出てしまう。

その悪い癖というのは、他のファンを観察してしまうこと。

その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、

どの程度必死ファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないかファンサービスをされているか……など。

まりは、

「あっ、今あの人わかりやすファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」

というようなことを考えてしまうということである

Aを見に行っていた当時は、

見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……

と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。

観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。

aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである

そして、観察対象自分比較して不安になったり安心したりするのが常であった。

その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。

その声優さんファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。

けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手自分卑下して、勝手に傷ついてしまう。

そんな事をしても無意味なのはわかっている。

「好き」という感情を他人比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。

またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。

こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。

けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。

そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。

なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。

先日、同じ声優さんファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。

私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。

私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。

もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。

最近は二回連続イベント最前列を取ることができたし(これは指定席抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケット普通に取れた。

運による要素もとても多いのだが、つい「 Permalink | 記事への反応(1) | 10:08

2017-06-23

なぜハゲだけ悪く言われるのだろう?

さらに毛が生えている方に迎合したズラを付けた事で倍になるというロジックも謎

モッサモサの人が居てもモサーー!!!とか悪口言われる人は居ないよね。

今やスキンヘッドファッションとして認められているのに。

この記事を読んで、何故そこまで卑下しなきゃいけないんだろうとちょっと悲しくなった

『はげます会』豊田議員発言ハゲしく怒り ののしられた政策秘書ハゲましの言葉

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00000003-dal-ent

2017-06-18

偽善のススメ

実家リフォームするというので、

10年ぶりに物置化した自分の部屋の荷物を整理した。

高校の頃に買ったベージュの糞ダサいダブルジャケット

中学校体操服や履き古した上履き

図工の時間に作ったであろう謎の粘土の花瓶などなど。

まあ、よくこんなものを捨てずに取っておいたもんだと、

黒歴史の出土品の発掘を楽しんでいたら

使い古された小さなリングノートが1冊出てきた。

偽善のススメ」

子供の拙い字で書かれた、そのノートを俺はよく知っていた。

中学校1年生の時、女子から酷いイジメにあった。

もともと俺が鼻炎持ちで授業中に大きな音で鼻をかんだのがキッカケだった。

それから無視される、ものを隠される、汚物扱いされると

一通りのイジメを受け、そのうち男子も巻き込み、

最後葬式ゲーム。そして、学校に行けなくなった。

中学2年に学年が変わるタイミングで、俺の転校が決まった。

偽善のススメ」はその時に書かれたものだった。

1.自分の事ばかり話さない。

「俺は〜」「俺なら〜」という話し方はしない。

相手のことをとにかく聞こう。

2.褒める。とにかく褒める。

すごいと、とにかく言おう。すごいと言われて嫌な奴はいない。

とにかくすごい。すごいと言おう。

3.自分から積極的に話しかけない。

自分から動くのは目立つ。話に来てくれる人を待とう。

話してきてくれた人には、全力で感謝するふりをしよう。

4.優しい人を演じよう。

誰かが物を落としたら、率先して拾う。

落ち込んでる人がいたら励ます

優しい人のイメージ自分に貼り付ける。

5.女子には特に優しく。

クラスの評判を握っているのは女子

女子にはとにかく優しく接する。重いものを持っていたら、持つなど。

6.絶対に好きにならない。

女子に優しくしても、決して惚れない。

惚れたらそこから全てが崩壊する。絶対に惚れない。

万が一にも惚れられたら友達と言い続ける。

7.悪口を言わない。

悪口絶対伝わる。悪口同意もしない。

悪口を誰かが言い始めたら、できるだけその場を離れる。

8.親友は作らない。

学校に仲良すぎる友達を作るのは危ない。

全員とそれなりに仲良くなる事を目指す。

9.卑下しない

自分ができない事を愚痴らない。人を羨ましがらない。

情けない人間は好かれない。


10.勉強で1番をとる

自分クラスで1番勉強ができれば、人を褒めた時に喜んでもらえる。

できない人から褒められても人は嬉しくない。

11.誘いは断らない

誘われたら、できるかぎり参加する。

それも1番最初積極的に参加するのではなく、

人参加することが見えたら、俺も行くよ。というような自然な感じで。

12.汚いに気をつける

鼻をかむ音、くちゃくちゃ食べる音。

鼻をほじったり、トイレで大きい方をしたり。

「汚い」行動はしない。どうしてもしないといけない時は隠れてする。


13.見た目に気をつける

毎日髪を洗う。ワックスをつける。爪を切る。

制服にフケが落ちてないか毎日チェックする。

汚物にならないように気を使う。

などなど。最後の「ススメ」は59番まであった。

俺は中1の春休みにこれを何回も読んで、泣いて、

新しい項目を書いてを繰り返していた。

もう二度とイジメられたくなかった。

新しい中学校では、とにかく「偽善のススメ」を守った。

半年もしないうちに気づけば人気者になり、上位グループに入っていた。

イジメられない幸せを噛み締めていたのだが、

同時に学校にいる自分は「偽善自分」ではないかと思い始めた。

光が濃くなればなるほど、闇は深くなる。

本当の自分が見えなくなり「偽善のススメ」にのっとられていく。

そんな感覚に囚われていった。でも、いじめられたくなかった。

偽善を止める事はできなかった。

20年以上も前の事なのに、感覚が昨日の事のようだ。

すっかり忘れていたが、たぶん今も偽善のススメをやっている。

今の俺は本当の俺なのか、偽善のススメを演じる俺なのか。

59.自分は捨てる

新しい学校に行ったら、今までの自分は全部捨てる。

偽善のススメにしたがって生きること。

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170615125206

三多摩出身だけどみんな多摩地区東京じゃないって卑下してるよ。

携帯じゃないと03つけないと都内には電話できないんだから

うちの親世代東京市じゃなかったところは東京だと思ってない。

うそろそろ諦めなよ。

我々は生まれときから平等じゃないんだよ。

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