はてなキーワード: 卑下とは
失言なんて誰にでもあるだろ?意図していてもしていなくても傷つける事くらいあるだろ?
それじゃあ何かい?死ぬまで一度たりともミスしない人間がいるとでも?
問題はその後。素直に謝れるかどうかだし、そこは素直に謝り、許してもらったのだからもう仕舞い。
お前の問題は父親のせいにしていることでなく、自分の事を「底辺」と卑下して逃げている事だ。
仮に父親が底辺なのだとしても、お前の今の環境は底辺か?努力して登ってきたんだろ?
お前の理屈だと親が立派じゃない奴は努力しても登れないって事だよな?
お前に限らず、現状を打破しようと歯を食いしばって頑張っている人は沢山いるんだ。
俺だって毎日深夜残業・休みなしで働きながら、次に行く努力をして抜け出すチャンスを狙っているんだ。
努力して良い大学入って、ちょっと躓いたら落ち込んで親のせい?甘ったれるな!
いいか?今いるお前のその位置はお前が努力で勝ち取ったものだ。もう少し自分に自信を持て!
「底辺」とか言ってイジイジして暇あったら、同じ間違いを繰り返さないように心に刻めよ。
…なんてねw
まあ、そう思う奴もいるってことで。
非モテはふたつに分けられる。左翼的非モテと、右翼的非モテとにだ。
女性との接点が極端に少なかった俺ら非モテにとって、女性とはまさに黒船であり、異星人であり、つまるところ恐怖の存在でしかない。
その恐怖と立ち向かうために、非モテがとれる手段はふたつ。ひとつは、(過激な)フェミニズムなどの女性側の価値観に過剰に追従し、自らを「生きているだけで女性を傷つける存在」だと卑下するパターン。ふたつめは、女性に対するアレルギー反応から、ミソジニーをこじらせるパターン。前者を左翼的非モテ、後者を右翼的非モテと呼びたい(なんとなく、雰囲気的に)。
当然ながら、どちらを選んでも、非モテが女性とうまくやっていくことはできない。左翼的非モテは一見悪くなさそうに見えるが、相手を傷つけないという考え方と、恋愛というものは水に油である。相手を傷つけるリスクを負わずに他人を愛することはできない。
長くなるが、書き殴る。本当にチラシの裏のようなくだらない話。
5年付き合った彼にプロポーズをされた。
長年、遠距離恋愛を続け、ようやく掴んだ幸せだ。そんな彼にプロポーズされ、幸せだなと思うと同時に、恐怖を感じる。
私と彼は何もかも正反対だ。
親から愛情を受け、自分を卑下することなくすくすく育った、人に愛される彼。
一方私は、所謂毒親に育てられ、生きている価値がないと言われ続け、死ぬ気で大学を出た。
幼い頃から転勤だったため、長く付き合いのある友人もほとんどおらず、新卒で入った会社を病気で退職し、今の職場では同年代の人がいない。結婚式に呼べる人はもちろんいない。
彼は親のため友人のため、盛大な結婚式を挙げたいという。披露宴に呼びたい人は友人だけで80名を超えるという。
私は呼べても10名もいない。お酒が飲めない子が多く、二次会は皆たぶん不参加である。
親も親族もあまり呼びたくない。体裁のため呼んだとしても、感謝の手紙なんか読めるわけもなく、ただ席を埋めてもらうだけになりそうだ。
友人代表スピーチを頼める友人がいない。結婚式に話せるような友人とのエピソードがない。流せる写真もない。
その時その時をそれなりに生きてきたとは思うが、人と長期の関係を築くのを怠ってきたツケが回ってきたとしか思えない。
彼は子供が欲しいという。だが、私は子供が欲しくない。両親が私にしてきたことをしそうで怖い。子供と笑顔で笑っている自分が全く想像できない。ヒステリックに怒鳴りつける自分しか想像できない。
子供は欲しくないと彼に伝えたが、「そのうち変わるって、子供は可愛いよ」と本気で取り合ってくれない。
外面のいい両親を見て、なんでそんなにトラウマを抱えているのかわからないと言われた。
生まれてこなければよかったのにと毎日言われ、一人で暮らそうとすると自殺未遂をされる私の苦しみは彼には一生わからないと思う。
わかって欲しくないとも思う。私は彼の屈託のない、誰も疑ったり、誰かに怯えたりすることのない、自由な姿に憧れたから。
ただこの先、この違いを受け入れたり、乗り越えたりしていけるのか自信がない。
ほめてもらいたい、乞食って自分を卑下してそんなこと言ってるから、もしこれで、ほかのパターンで、なにかして感謝されなかったとしたらすごく傷つきそうだなーとかさ
まあ通りすがりの戯言です
日本人が顔を黒く塗るのはアフリカ系人種差別か?という論争が巻き起こっている。
1人だけ映画「ビバリーヒルズコップ」のエディマーフィーのコスプレをさせられるというシーンだった。
この番組ではダウンタウンの浜ちゃんが1人だけ番組の趣旨から少しだけ外れた仮装を行うことが恒例となっている。
つまり「番組のテーマをしっかり理解していない」という体のボケであり、
番組が仕掛けたくだらないギャグに浜ちゃんが巻き込まれる不条理さも相まって独特な可笑しさを楽しむ風景なのだ。
この番組は無論アフリカ系人種(以下「アフリカ人」)を卑下する意図はなく
単にエディマーフィーのコスプレをさせただけのつもりだったが
「ミンストレルショー」のトラウマが根深い欧米人から非難があがり問題となっている。
僕が言及したいのはなぜアフリカ人のコスプレ、テレビ番組的に言えば物真似をするときに、日本人は黒塗りをしてしまうのか、
そして「ミンストレルショー」の存在を知ってもなおここまで非難されることに日本人は納得できないのかということだ。
日本人は物真似を形態模写という職人芸として捉えているのに対し、
欧米人は物真似を風刺の手段だと認識しており、そのギャップが今回の問題の噛み合わないところなのではないだろうか。
白山雅一や江戸屋猫八等に代表されるような寄席演芸で培われた職人芸の延長線上にある。
なので似ていればいるほど賞賛され、
鍛錬の成果や手間暇が垣間見えれば
それは「対象への憧れからくる興味の現れ」として敬意の証とされる。
何かに対する批判を風刺で表現しているという感覚が根底にあるように見える。
その文脈の中で物真似とは対象を揶揄する行いであり、対象を貶しているのである。
今回の騒動に当てはめれば
エディマーフィーに好意的感情があるからこそ物真似のモチーフに選び
しかもわざわざ凝った黒塗りの扮装までしていると日本人は捉える。
しかし見下げる感覚があるから表層を真似るのだという前提が欧米のステージショーには存在するため
欧米人は180度違う意図があるように感じてしまったのではないだろうか。
もはやこれは文化的断裂でありどちらかが折れれば済むことではないと僕は思う。
この騒動で指で目を釣り上げる行為を引き合いに出す人もいたがズレていると思う。
罪の文化だと卑下しないで済むかどうかは知らないけれど、恥をモチベーションに頑張ると限界を越えて折れた時にどうにでもなれと思ってしまいモチベーションがだだ下がりするらしい。
何かのベストセラーに書かれていた。
コンプレックスが自罰型にしろ他罰型にしろそのままでは何も変わらずただイライラするだけ。
治すには一人でいる時間を増やし、違う世界に目を向けることが重要である。
手軽なのは普段読まないような本を最初から最後まで一気に読むことを何回も続けることだ。
そうしていくうちに、自分自身のコンプレックスは案外どうでもいいこと、
自分だけそういう思いをしているわけじゃないことに気づく。
冷静に考えたら気にしなくても良い事で、気づかなかったときより余計恥ずかしくなって、
その後、人間そんなもんかと呆れる。
でも、後悔しなかったときより清々しい気持ちで時間を過ごせる。
運動でも絵でも音楽でも哲学でも英語でも、読書を続けても良い。
続けていくうちに人とのつながりが増える。
またそれ以外でも深く語り合うことができる。
散らかった部屋に慣れきっているのか、なかなか掃除をしようとしない。いざ掃除をしても、埃や髪の毛があちこちに残ったまま。
洗濯物を回すだけでもいちいちあれこれ聞いてくる。普通に頭使って、適当に放り込めばいいのに。干し方も雑だから、皺が大量に残ってる。
野菜を切るのが下手すぎて、簡単な料理を一品作るのに平気で二時間以上掛かる。しかも、自分が不器用なのに勝手にイライラして不機嫌になってるし。料理のあと、フライパンとか鍋もほったらかし。調理しながら洗えばいいのに。
あと、食器を洗うのも下手。やたら時間がかかる割に、乾いた後で臭いが残ってるんですけど。
こんな有様なのに、「性別で役割が決まるのはおかしい」などと戯言をぬかす。理念はご立派かもしれないが、そういうことは家事ができるようになってから言ってくれ。
……という風にいわれても何も言い返せないほど家事能力に欠陥のある僕に、うちの妻は
「おしゃれ着は分けてるから間違っててもいいよ。気になるなら、やり方を紙に書いて貼っておこうか?」
「一生懸命作ってくれたんだね!すっごく美味しい!ありがとう!」
「食器洗ってくれたの!?うれしい!やってもらって助かるよー」
と、ひたすら褒めちぎってくれる。
能力が低すぎて大して役に立っていないのではと僕が卑下しても、
「でも、やってもらった分、ちゃんと私の仕事は減ってるんだから。ほんとに助かるよ!」
と全肯定。甘やかされすぎかもしれない。
・夏になって、「夏休みとった?」って聞かれたらどう答える?
夏休みない契約なんだけど、毎年誰か正社員さんに聞かれるんだ。夏休み無いの知らないみたい。で、
生真面目に、「夏休みという制度はないけど、休みたかったら有給を使う。だから夏休みと言えるかわからない」というのが本当の気持ちなんだけど、聞くのはただの社交辞令だろうし、相手にとってはどうでもいいと思うので、「もうとった」と言っている。(これからとる、というとその方が面倒そうなので)ある意味、嘘ではない。休みの日だってあるし。
仮に、「どっか行った?」と聞かれたら「行ってないなー」で話終了。
夏休み期間前で「夏休み決めたー?」と聞かれたら、「まだー」で済む。
というのも、やっぱり聞かれる度、なんとなく悲しくなってしまうから(正社員さんとは違うのよ…)な感じ。そして、それに続いて自分の卑下が始まってしまう。ただの社交辞令の質問なんだろうけど、毎年勝手にこっそり虚しい。
でも夏休みが無いと言っても、そんな事相手にはどーでもいい事だろうし、話のコシをおりそうだし、そんな事忘れると思うし(実際1度言った人からも、聞かれる)。自分が一瞬我慢すれば、丸く収まるんだけど、でもとにかく毎年むなしくて、性格がアレだからこのようにしつこく思い出したりする。だから、ここにこんな事書いたの許してほしい(って誰に了解とってるの)
心が広い狭いという部分については、君の杓子定規で測られているから私は分からないけど、
相手に意見を述べるのであれば、堂々とした方が通じるよって話だね。
君のように逆撫でうんたらかんたら言うことで怒ってるんだよみたいな表現されても、なんで怒ってるかわからないよ。
意見を言うなら自分を卑下せずに堂々としてたらどうか?と言っただけなんだよ?
何を君は怒っているのだろうか?自分を卑下しない事には、その場で意見を述べることも出来ないのかな。
少なくとも増田同士だから、上も下も無い立場同士だと思ってるんだけど、君は下に見られたい人なのだろうか。
そうだとしたら、それは私が君を「下に見てるんじゃなく、君が勝手に下に見られようと意味のわからない努力をしている」のだと思うよ。