およそ6年前、家族との共用パソコンではない、自分用のインターネットに接続できるデバイスを持ってから、私は少しずつ闇に侵されていった。中学生という思春期の真っ只中、なんとなく好きな子がいたり、部活の同級生の高身長さわやかスポーツ万能モテモテイケメンと一緒にいたりするうちに、というよりはそんなことは大して関係なく、中学校のあの雰囲気の中で生活しているうちに自然に「モテたい」という思いが芽生えた。いつでも自分の部屋でインターネットにアクセスできるようになった私は、モテるためにはどうすればいいかということをインターネットで検索するようになった。いろんなサイトを見ていくうちに、たしか横山建という名前の、恋愛商材やらセミナーやらを扱っている男のサイトに出会った。彼の無料メルマガに登録したり、ほかの恋愛商材を扱っている人のサイトを見たりして、とにかく無料で手に入るものはどんどん手に入れていった。中学生からしたら素晴らしい情報を見つけたという感じであった。そしてとうとう商材をお金を出して買うことにし、個人ではなく恋愛商材を扱っているその界隈では割と有名な会社から25000円という大金を出して買った。中身は調べればその辺に転がっているような情報しかなく、とても後悔したのを覚えている。もしこれを見ている学生がいたら、ぜひとも恋愛商材なんぞ買わないようにして頂きたい。恋愛商材のサイトを見ていると、まるで自分はとんでもない無知で、この商材を買わなければ自分はこの貴重な情報を一生知らず、つらい人生を歩むというような考えに陥りがちだが、全くそんなことはないし、そもそも恋愛商材なんていうものは基本ゴミで、たとえうまくいったとしても幸せにはなれないと思う。最近の恋愛工学などと一緒で、ある種ホスト的なモテ方しか結局はできないのではないかと思う。つまり、自尊心が低い女性をだますことでの付き合いしかできないというような気がする。
恋愛商材の非モテを卑下し、恋愛のない人生を強く否定する世界と触れたことで、私は少しずつ、モテなければ恋愛をしてもいけないし、好かれなければ自分の人生を歩んでもいけないというような思い込みが形成されていった。
人は自分の幸せのために生きていいし、自分に都合のいいように生きていいし、自由に生きていいし、自分の心を大事にして生きていいし、したいようにしていいということである。
それがすべての前提なのだ。
相手のことを考えるということも、その結果自分が幸せになり、心地いいコミュニケーションが取れるからそうするのであり、好かれなきゃ生きちゃいけないからそうしなければいけないのではない。
モテるためにすること、いい男でいることも、その結果(好きな人が幸せになったり、いい恋愛ができることで)自分が幸せになれるからするのであり、完璧な男でなければ恋愛はできないし、恋愛ができない男は自分の人生を歩んではいけないからそうしなければいけないのではない。恋愛をしたくないのであればしなくてもいいのだ。
こんなことはほとんどの人にとって当たり前であるし、いろんなことを端折っているので無意味な文章かもしれないが、なんとなく書き留めておく。