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はてなキーワード: ボカロPとは

2023-07-04

anond:20230704093349

ラップJ-POPに馴染み始めたのはいくつか理由がある

一つはK-POPラップパート文化

もう一つはボカロにおける早口パート文化

そしてそれら2つの文脈をおさえた若手クリエイターの台頭

所謂ボカロPと呼ばれるクリエイターのうちでも

若手の子達はかなりK-POPフレイバー摂取してるし、それをアウトプットにも反映してる

アイドル」に限らず「神っぽいな」とかもそうだし、ラップパートが入るボカロ曲は最近多い

もちろんそれ以前にもしゃべりに近いパートを組み込んだボカロ曲は多かった

ただその流れと、若手クリエイターが感化されたK-POP文脈が合流してマージされた結果が今のJ-POP(というかボカロクリエイター)のラップパートということだと思ってる

2023-06-16

推し配信者が活動やめようかなとか言ってて萎え

推し配信者が、配信でやりたいこともうないか活動やめようかなとか言っていて萎えた。

 

活動やめますってわけじゃなくて、辞めてもいいかなみたいなニュアンス。こっちは配信を楽しみにしてるから、これから配信ないと思うと悲しいわまじで。はあ。

 

昔はリアルが大変だからこそ配信やろうって気持ちになってたらしいんだけど、最近はもう配信しようっても思わなくなってきたらしい。リスナー必要としなくなったようで、俺もそのリスナーの一人だからそれまた悲しい。

 

これはすべて俺らの気持ちだ。配信者の立場で考えれば見え方が違うのはわかる。配信の意欲がなくなってきたし、リアル忙しいし、ほかに魅力的な配信者いっぱいいるか自分がいなくなってもいいだろとか思っているんだろう。

 

いやいや、いいたいことはわかるけどさ。いろいろ配信者見て回ってるけど、ここまで好きになれるほどの配信者ってなかなかいない。

 

てかお前はそう思ってるの?俺はその人の個性感性に惹かれて、それは唯一無二だから代わりにはならないと思ったことないの?って聞きたいわ。

そう思ってるならまあそういうのは納得はするけどさ。

 

嫌ならほかいけばいいじゃんって?俺もそう思って、さっき言ったように配信見回ってるよ。でもかわりになりそうな人ぜんぜん見つからないんだが??

 

まあでもたしかに、他の配信者を見つけることで気持ちは少し軽くはなったよ。でも足りない。やっぱその配信者じゃないとそのピースは埋まらない。

 

イラストが好きでツイッターで気になったイラストがあったら保存してるんだ。そんでイラストレーターもたくさん知るわけだけど、毎日2年間漁ってるけどこの人の絵が好き!!!!と熱量持って言える人は、今のところ一人しかいない。

好きなボカロPは今までいろいろ聴いたのに二人しかいない。ネット自分意見を書いてるのもたくさん読んだけど一人だけ。そんな感じでいいなと思う人は経験上なかなか見つからない。

 

あと考えられるところで言うと、褒めてもらいたいみたいな、自己肯定感を上げてくれることを言ってほしいみたいな場合もあるだろうな。でもその点で言えばむしろ最近はそういうことを言う方がおおくなってきてるからなあ。

 

そんなこんなでイライラしてるんだまじで。ああなんかこれ嫌いになってるってことなんだけど、でも好きなんだよクソが。

 

俺はどうしたらいいんだ。

2023-06-07

anond:20230607183716

ボカロPってなんでどいつもこいつも似たような才能で競ってるんだろう

なんの悩みもなさそうなアホが哲学かじったよなゴミ歌詞書きちらしやがってクソ腹立つ

返信不要

Permalink | 記事への反応(1) | 言及する 18:37

変身!

変(なやーつと)心(からおもうわバーカ)!

2023-06-06

anond:20230606155612

元増田です 寝取られタイミングによっては増田と付き合ってる最中寝取られかけたことになるけどええんか…!?(;・`д・́)

社会人1年目で別れてボカロP寝取られ、その傷ついた子とまた付き合ってる、という時系列想像することで事なきを得た

一度お手つきになった子もそれはそれで良さがあるな…

anond:20230606155721

kemuじゃないぞ。

そういえばそんな事件もあったな…ボカロPクズ

anond:20230606143253

俺は高校大学社会人一年目まで合わせて7年間付き合ってた唯一の彼女だわ。

ボカロP寝取られてやり捨てされたけど、未だに好きなので彼女との生活妄想してる。

2023-05-21

MV(ミュージックビデオ)と音楽は別物の創作物じゃなイカ?

つい最近TwitterボカロP的な人が「曲を聴いてもらいたいだけなのにイラストやら動画やらでお金がかかって大変だよ😭」というようなツイートをしていた.

それを見て次の2つのことを思った

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画お金をかけなくても(ある程度は)聴いてもらえるのでは?

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは?

以下で,上記1, 2についてもうちょっと詳しく書く.

そして最後に『3. MV音楽は別物の創作物である』という個人的な主張について書く.

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画に金をかけなくても(ある程度)聴いてもらえるのでは? について

まず前提として,各種の動画投稿サイト上で"曲自体に魅力はないがMVが良いから高い評価を得ている音楽"ってあるだろうか?

全く存在しないことはないだろうが,少なくとも私は知らない.

一方で,"MV自体が高い評価を得ていなくても曲は高い評価を得ている音楽"なら比較的たくさんあると思う.

なんならMVと言いながらもイラスト画像を載せているだけだったり,曲に合わせて音の波形のようなものがうねうね動くだけの動画でも良い曲というのはごまんとある.

こういった事情考慮すると,自分が作った曲をたくさんの人に聴いてもらおうと思った時にMVが優れている必要はなく,ただ良い曲を作ることだけに注力した方がよくない?と言いたくなる.

もちろん,優れた曲を作った上で優れたMVが用意できれば,話題性が出てより多くの人に聴いてもらえるといったことはあるだろうが,それはMVが特段優れたものではなくても(もしくは,そもそもMVなんかなくても),ある程度の人に聴いてもらえるようなクオリティの曲を作れるようになってからでも遅くはないように思う.

しろ,明らかに素人感丸出しの曲なのに,お金の力を借りてMVだけクオリティの高いものを用意しても,動画視聴者はなんか違うな...となってしまうだけではないだろうか.

MVが曲の評価を高めるという側面はあれど,それはあくまでも曲そのものが魅力的である場合に限られると思う.

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは? について

最近ボカロ音楽は,音楽動画のセットで話題になるという傾向が顕著である,というよりむしろMVがないけど話題になるような曲の方が少数派なのではないだろうか.

それゆえ,特に最近ボカロリスナーであればあるほど曲にはMVが付随しているのが当たり前であるという認識一般的になっているように思われる.

そしてそれに伴って,ボカロ曲の作り手たるボカロP創作欲求の源泉として,"作った曲を聴いてもらいたい"よりも"作った曲のMVを観てほしい"というものの占める割合が増えてきているのではないだろうか.

もちろん,純粋ボカロで曲を作ってそれを聴いてもらえることが第一であり,別にMVなんか必要ないという作り手も大勢いるだろうことは承知している.

しかし,仮にツイ主がそういった考えであれば,そもそもお金を払ってまでMV制作を依頼することにそこまで固執することはなかったのではないだろうか?

3. MV音楽は別物の創作物である について

まず,前提として私は音楽をよく聴くが,MVを観ることはあまりない.

その理由を端的に言うと,私は音楽を聴きたいのであり,動画を観たいわけではないからというのに尽きる.

個人的な話だが,つい先日私の好きなバンドが数年ぶりのアルバムを発売するにあたり,YouTubeでそのアルバム内の1曲についてMVを公開した.

公開時にはアルバムはまだ発売されておらず,私は早くその曲を聴いてみたかったのでMV動画再生した.だが,あくまMVを観てはいない.

その時はPCブラウザYouTubeを開いていたのだが,動画再生ボタンを押した瞬間にブラウザから別のウィンドウに切り替えることで,あくまMVは観ずに音楽を聴いただけであった.

こんなことをしていると,なぜそこまでしてMVを毛嫌いしているのかと言われそうだが,私はMVが嫌いなわけではない.

優れたMVを観て良いなぁと思うことも感動することもある.ただ,それは純粋音楽を聴いて良いなぁと思ったり感動したりするのとは,情動の発生要因に違いがある.

具体的に言うと,MVを観ながら聴いた音楽には,その音楽についての印象に視覚情報が関わってくる.一方で,MVがなければ,音楽を聴いた時に及ぼすのは純粋にその音楽聴くことで得られる聴覚情報のみである.(厳密に言えば音楽を聴いている時に目を開けていれば視覚情報シャットアウトできないがそれは無視する)

それゆえ,私はMVを観ることによって,音楽を聴いたときイメージ視覚情報が含まれしまうことが嫌でMVを観なかったのだ.一般的人間にとって視覚情報聴覚情報よりも強い影響を及ぼすため,MVを観ながら音楽を聴けば,次に同じ音楽を聴いたとき,その音楽イメージには少なからMV視覚情報から得られた印象が含まれているはずだ.私にとってはこれが好ましくないのだ.

音楽を聴いた時に音楽の全体的な印象として,または特定音色に関してそこに色彩感覚を知覚する"共感覚"というものがあるらしい.例えば「この音は薄い紫色」だとか「この音楽は白っぽい感じがする」だとか.

私はこの共感覚を持っているとは言えないが,でも曲の中にはなんとなく,本当になんとなくだが色彩感覚であったり,風景(薄い緑色草原の中を風が吹き抜けている様子だったり,石畳歩道教会のある中世の街並みをセピア色のフィルターを通して見た景色だったり)を連想したりするものがある.

これは本当にボンヤリとしたものであって真に共感覚を持っている人の感じ方とは全く異なるものだと考えている.しかし,ボンヤリとした形であれ,音楽という聴覚情報から視覚情報が想起されるという人は自分以外にも少なから存在するものだと思っている.(具体的な根拠はないですが...)

このような,音楽を聴いた時に何らかの視覚情報が想起されるというのが私が音楽聴くことが好きな要因の一つであり,また私の好きな音楽というのは,聴いた時に頭の中にイメージ風景が浮かぶものが多い.こういった感性を持っている人がいたら多分共感してもらえると思うが,MVを観て音楽を聴いてしまえば,その音楽の色やイメージのようなものは間違いなくMVで使われていた色やイメージにひきづられてしまう.

まりMVを観ることによって,MVを観ることによって得られる視覚情報からの楽しさが得られる代わりと言っては何だが,今後そのMVの曲を聴いたときイメージ視覚情報から得られたイメージに大きく影響を受けるという代償を負っているとも言える.少し大袈裟な言い方な気もするが,事実である

よって,私にとってMVというのは視覚聴覚の両方を同時に刺激する存在であり,音楽というよりはアニメ映画といったものに近い創作物であるという印象がある.

例えば,映画音楽という創作物について考えてみると,音楽映画構成する一部分ではあるが,これら2つの創作物を同じ土俵評価議論したりするのは違和感があるだろう.

それと同様に,MV音楽という創作物そもそも別種のものと捉え,区別するのがより自然見方ではないかと考える.

にも関わらず,現状では多くの人がMV音楽というものをあまり区別することなく,「音楽の良し悪しや評価 = そのMVの良し悪しや評価」と考える人が多いように思えて違和感を感じている.

YOASOBIの「アイドル」の良さがわからない老害

私は40代おっさんで、長いことDTMをやっていて、ボカロ初音ミク発売日に買って、オリジナル曲ニコ動で「殿堂入りしたことあるし(野尻抱介氏の「南極点ピアピア動画」でもタイトルをぼかして取り上げられた)、自主制作アルバムを作って即売会で売ったこともある。

さて、タイトルだ。

私も分からんのだ。分からんというかピンとこない。

でもめちゃくちゃバズってるのでモヤモヤするのだ。

日5chのDTM板のSynsisizer Vという合成音声のスレを見てたらこういう流れがあった。

Synthesizer V Part5

https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dtm/1678885927/

625 05/17(水) 04:49:24.81

推しの子主題歌のYOASOBI『アイドル』のテトSVカバー100万再生超えてるんだが…

もしかしてSynthVの楽曲100万再生超えたの初めてじゃね?

https://youtu.be/qObmE2YRA7s

---

634 05/18(木) 15:29:34.31

1億再生っていうから聴いてみたけどここのと同じようなゴミゴミ歌だった

なんであんなのがウケてんの?

今のJ-POPって低質すぎだろ

音楽的じゃなくゲームのやつみたい

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636 05/18(木) 15:32:33.79

>>634

じいちゃんあんたの時代は遠に終わっとる

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637 05/18(木) 15:39:54.92

>>634

悲しいけどこういう感覚になったら音楽なんてやめた方がいいんだろうな

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639 05/18(木) 15:56:29.05

>>634

反面教師

こうなったら音楽人生本格的に終わりやね

5chの専門板なんて私含めて全員老害だと思うんだけど老害老害老害だと罵倒する非常によく見る光景・・・それはおいておいて、私はこの634ではないしゴミ曲とまでは思わないが、なんでウケてるのかは本当にわからない。

からいか理由しりたい。

その後こういうレスがあった。

656 05/20(土) 11:01:10.86

オリコンストリーミングランキングでは先日既に1億回を超えていたYOASOBI「アイドル」がYouTubeでも1億再生を超えた

この曲のどこがいいかからない、なぜこれほどまでにウケているのか理解出来ないと言ってる人がいたけど

自分が見た範囲ではこの曲のヒットを裏付けるように作曲家ライターはこの楽曲の作りに驚嘆してるよ

そのうちの一つを紹介

https://popnroll.tv/articles/32989



上記リンク記事より抜粋

これほどまでに世界中で恐ろしいほど聴かれている「アイドル」の何がすごいのか。このコラムをずっと読んでいただいている熱心な読者様ならおわかりだろう。“イントロと間奏らしいものがない”、“中低音ブラス”、“語尾をキュッと締める歌唱”……といった、“ポピュラーミュージック世界トレンド”や“K-POPの魅力”として取り上げてきたものが数多く入っているのである。いわば、ポピュラーミュージックダンスミュージックアイドルポップス、アニソン……、J-POPセオリー海外ポップトレンド要素がすべて詰まっているという、掘れば掘るほどよくできている怪曲なのだ

BLACKPINK的なアラビアン雰囲気メロディと、『カルミナ・ブラーナ』的な、いや、Linked Horizon的と言った方がわかりやすいか。迫り来るのはアラビックスケール使用した不穏かつ荘厳な合唱パートリズムと音が緻密に練られたAメロからの、REAL AKIBA BOYZによるPPPHを入れたBメロからの転調サビ。ダブステップ的なダウナーラップパート。落ちサビを挟んで、半音下げに転調するという暴挙。と思えばそこから一気に1音上がってラスト昇天。ようやく現れた後奏はそのままハッピーにと思ったら、冒頭の不穏な合唱パートクロスしていくという最後まで息つく暇ない展開。これだけの情報量があるのに3分ジャストというコンパクトにまとめた恐ろしい手腕。最初はあまりの性急な展開についていけず、ついついリピートしてしまうのも現代トレンドだ。

世界流行に乗った構成歌唱

・不穏かつ荘厳な合唱パートを最新の手法アニソンに取り入れるセンス

暴挙に近い転調を繰り返す

この辺がポイントらしい。

なるほどな。

合唱部分(後述)含めてアレンジメロディが斬新か、と言われるそうでもないように思うのだけど

「繰り返される転調」

どうもここがキモじゃないかと思うのだ。

米津玄師の「KICK BACK」でも突然3度上に転調したり戻ったりを繰り返すんだけど、若い人がそういう転調の箇所ですげーみたいな反応する動画結構たことあるし、効果は抜群ぽい。

この転調の多様、2010年以降のボカロP中心に流行りだした手法なんだよな。

ふつう転調はきっかけを綿密に作るんだよ。

AからBに転調するときは両方の調に共通するコードを挟み込んだりII-Vという安定したコード進行の「型」を使って転調したりする。ガチガチお約束を駆使して繰り出すのが「あるべき転調」だった。

でもそういうお約束を一切しない転調を突然繰り出して、しかも何度も繰り返すのが最近流行り。

この脈絡ない転調は実は小室哲哉がヒット連発してたころにもやっていて、作りためたストックコピペでつぎはぎしただけ、みたいな言い方されてたこともあり、音楽をやってる人からはウケがとても悪かった。特にテクニック知識がいらない手法なのでプロっぽくなかったのだ。

でも実はそれこそ、プロ敬遠するからこそ新しいサウンドだった。

2010年以降のボカロムーブメント若いアマチュアクリエイターが牽引したこともありその新しいサウンドに気づいためざとい若手がこぞって使い始め爆発的に流行る。

それがYOASOBI「アイドル」でも多用されている。

他の要素、例えば不穏なコーラスだってアニソンレジェンドの「残酷な天使のテーゼ」でもやってたし斬新かと言われると?だ。斬新であるとするとこの転調手法しかないと思う。

ちなみに「残酷な天使のテーゼ」のこのコーラスアニメ中の「使徒が敵」ということからグレゴリオ聖歌風というか、宗教風のモチーフを借用してきたんだと思う。この曲はどうもあんまりアニメの内容しらされない中作ったぽいので数少ない与えられたモチーフだったんだろう。

一方、「アイドル」のほうは、この不穏のコーラス作品脈絡がなくちぐはぐに感じる。

この曲は【推しの子】という作品を深く理解して合致した内容がウケてる理由でもあり、歌詞原作を読み込んだ上で作り込んだと思わせるものなんだけど、このコーラス作品とさほど脈絡がない。

サスペンス展開の不穏さあるし、一応曲中でこのコーラスの声でヲタ芸っぽい合いの手を打ち出す箇所もあるので繋がりは出来てはいるけど、この合唱コーラス必要性はあまり感じない。あきらかに浮いている。

じゃあなぜこんなコーラスを?と思うんだけど、Ayaseは今回どうも本当に狙ってアニソントップを取りに来てる野心があるっぽいのだ。

からこそトップ・オブ・ジ・アニソンの「残酷な天使のテーゼ」をモチーフにして、あえて取り込んだんじゃないかと思われる。

ここまで自分流にアナライズしてようやく腑に落ちた。

まあ今更そんな転調なんて当たり前ですよ、と言われるんだろうけど。

そういう老害おっさんが見逃してる、ちょっとした「新しいこと」の膨大な積み重ねが「斬新さ」を生み出しているんだ。

他に私が気づいていなさそうなこの曲の新しさを指摘してもらえればありがたいです。

2023-05-18

今日世界はクソだ 「もう終わっちゃうんだよねー」と言いあって別れた世界 もう終わっちゃうんだよねーと語り合って終わっちゃう世界 あたしがボカロpをやめてしま世界 もうやめるんだよと語りあって終わる世界 最後スマフォを手に取る世界 もうあたしは新しい誰かを好きになるのをやめることをあきらめるんだよって、声に出してさよならを言う世界 もうあたしは新しい誰かを好きにならないといけないんだ

Anond AI作成

ヨルシカコンポーザー:ナブナが紡ぐ歌詞マジで良い

俺はヨルシカコンポーザーであるブナが大好きで、中でも特にその歌詞が好きだ。特にボカロ時代歌詞が好きだ。なので、俺が良いと思った歌詞ランキング形式で紹介する。

ヨルシカコンポーザー:ナブナについて

ヨルシカボーカルのsuisとコンポーザーはn-buna:ナブナ構成されており、もともとナブナボカロPだった。Pだった頃から”ウミユリ海底譚”や”夜明けと蛍”などの曲で人気を博していた。ヨルシカ代表曲は”僕は音楽をやめた”や”花に亡霊”。

第5位

背景、夏に溺れる(2013/8/20発表)

夏の終わりを歌った曲だ。歌詞は情景描写に終始していて、極めて抽象であるのにも関わらずびっくりするほど切ない気持ちにさせる。歌詞に時折現れる「君」との……これは何だろう? 別れではない、まるで夏の間だけ現れる神秘的な何かとの出会いと別れ? かな? 

こんな風に、よくわからないのになんかよくわかりそうで、聞き手想像余地を多分に与えている点がこの歌詞のよいところ。

“君の声が響く 夏の隅を

街に泳ぐさかなのように”

一番のサビの締めくくりの歌詞だ。この歌詞センスヤバい

君の声が響く 夏の隅を

の”隅を”のワードチョイスがすごい。通常”夏の”に続く言葉ではない。

“街に泳ぐさかなのように”の”街「に」”の”に”がすごい。普通なら”街「を」泳ぐ”としてしまいそうなところを”に”にしている。ほんとすごい。ほんと良い。

原曲と、俺が一番いいと思う歌ってみたリンク(りぶが歌ったやつ)を掲載しておく

原曲

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21638600

りぶが歌ったやつ↓

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24409321

第4位

始発とカフカ(2015/8/31)

 カフカの「変身」をモチーフにしたリズミカルな曲だ。しかしその陽気な曲調と歌詞のどことなく闇を感じる歌詞が独特の魅力を生んでいる。

“伝えたい事しかないのに何も声が出なくてごめんね”

“見返すには歩くしかないのに上手く足が出なくてごめんね”

これは毒虫になってしまった歌詞主人公言葉であるのは間違いない。とりあえずこの歌詞はなんかいい。すごくいい。

興味深いのは”見返すには歩くしかないのに”の”見返すには”という部分だ。ここに歌詞の中の主人公、あるいはナブナ自身の何かに対するコンプレックスや、攻撃的な意思の顕れを見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=j-cQ97A0OPM

第3位

メリュー(2015/5/12)

リズムの感じはウミユリ海底譚と似ているような気がする。なんか良いんだよな……(語彙力の消失)。この曲の歌詞マジでいい。

灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ

もう声も出ないそれは僕じゃどうしようもなかったのだ”

心臓が痛いから死んだふりの毎日を見なよ

もういっそ死のうと思えたなら僕はこうじゃなかったのだ”

“どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか

俺のお気に入りはこの中の”どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか”という歌詞だ。生きるのも死ぬのも嫌だった高校時代めっちゃ共感したのを覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=Jak2qiq_jJo

第2位

ウミユリ海底譚(2014/2/24 発表)

独特なテンポが特徴的な、900万回再生された大ヒット曲である

この曲は……アイデンティティ確立ができていない、モラトリアム期間にある少年少女が抱く不安の歌と考えればいいのか? わからん

サビで繰り返される”僕の歌を笑わないで”という歌詞がナブナ自身の思いだと推察するのは妥当だと思われるが、初音ミクが歌っているのに胸に迫るような感じがするからすごい。

“僕を殺しちゃった 期待の言葉とか

聞こえないように笑ってんの”

Cメロにあるこの歌詞を初めて聞いた時、やば!!!! と思った。人をほめたり期待したりすることも罵倒否定と同じように、その人を縛り付ける呪いになってしまう……みたいな。そういう感じ、な気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=7JANm3jOb2k

第1位

ラプンツェル(2016/7/6)

つい最近、偶然町田ちまというvtuberが歌った「ラプンツェル」がランダム再生で流れてきて、歌詞ものすごくいい、誰が書いた歌だろう? と思ったらナブナだった。ガチビビった。

以下この曲のネタバレを含む。

この曲は童話ラプンツェルモチーフとしており、そのテーマ性はラプンツェル物語を知っていればそれほど難解ではない。すなわち、叶わない、あるいは叶ってはならない恋の歌……であると思われる。一見童話世界の歌だと思わせておきながら、Cメロ

“空いた灰皿やビールの缶が示した心象風景は”

という歌詞差しまれる。これによって舞台現代であることが明らかになり、一気に物語が具体的な様相を呈してくるのはこの歌詞の興味深いところだ。

さて、第一位にふさわしい、俺が最も好きな歌詞は二番のサビにある。

“僕の目に君が見えないなら

何が罰になるのだろう”

この歌詞を聞いた時、戦慄した。こんな日本語があっていいのか? 夏目漱石I love youを「月が綺麗ですね」とか訳したらしいが、もうそんなの比にならないレベル天才的な表現だ。この言葉意味を俺自身説明するのはあまりにも無粋なので、ここでは控えておく。

短歌でやり取りして恋情を婉曲に表現しまくってた平安時代貴族でも卒倒するくらい良い言葉だ。主人公の痛ましい想いがこれでもかというほど伝わってくる。

原曲

https://www.youtube.com/watch?v=1okLHuZUftU

町田ちまver

https://www.youtube.com/watch?v=XlUhsBX2bLY

2023-05-17

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

2023-05-09

AI絵がどうのこうのってやつ

自己紹介絵描き&物書き&AIエンジニア画像系ではない)。アタリAIに通して下描きの助けにするのがめっちゃ便利で使い倒してる。)

いつまでも荒れてますね。

絵描き視点だと

自分の絵を学習の素材にされるのが嫌

自分の絵をAIに通して改変されるのが嫌

AI絵そのものが嫌

AI絵で金を稼いでる奴が嫌

AI絵を出力する人を絵師と呼ぶのが嫌

pixiv運営の態度が嫌

ってところですか。

自分の絵を学習の素材にされるのが嫌

嫌だと思う人の数や声のデカさによっては今後何らかの対応法律なりシステムなり)があるかもしれませんので、声を上げること自体大事だと思います

法律が追いついていない、確かにそれはそうかもしれません。

…で、一応聞きますけど、そういう人ってまさか何も考えずGoogleとかTwitterとか使ってたりしないですよね?

絵どころか写真やら文章やら個人情報やら、なんでもかんでも学習素材になってますけど。何年も前から

今どきインターネット使ってて「学習素材にするな」は正直かなり無理があると思いますよ…。

(良いかいか好むか好まざるかはともかくとして、あくま実態として)

そしてそれによって、誰しも普段意識すらしていないところでAI恩恵を受けているはずです。

AI技術がここまで進んできた現代で、絵だけは収集するなっていうのはだいぶ無理があるんじゃないでしょうか。

著作権作風がと言う方もいらっしゃいますけど、それ、別に絵にしか発生しないものではないですし…。ほんとになんで今更?しかも絵だけ?

すみませんが正直、これが嫌って言ってる方のことは「これだから絵師自分特権階級だと思ってるとか言われるんだよ…」という目で見てます

「絵だけは収集するな」と同義意思表示が大半ですもん。絵以外の著作物は軽視されてるな、という印象です。

嫌だと感じる気持ち否定する気はありませんが、もうちょっとAIのことを理解した上で嫌ってほしいです。

自分の絵をAIに通して改変されるのが嫌

これは本当に嫌すぎる。わかる。

ただ、オールインターネッツ時代から何故か勝手に絵を改変する輩はいました。

あくまAIはただのツールであって、それを叩くのはおかしいのではないでしょうか。

アナログ画材で苦労して改変」「デジタルフィルター乗せてパパっと改変」「AI通して改変」に違いあります

アナログで頑張ってくれるなら自由に改変オッケー!とはなりませんよね?

AI絵そのものが嫌

個性のなさとか手指が変とか癖(へき)が感じられないとかいろいろ聞きますけど、まあそこは好みの問題なので嫌なら見るなですね。

好きだと感じている方々がいらっしゃるからこそ、↓の問題もあるわけで…。

AI絵で金を稼いでる奴が嫌

他人の絵を改変したもので稼いでる奴についてはギリ死なない程度の不幸に見舞われないかな~と日々祈っていますが、

自分プロンプト組み立てて生成した絵については別によくないですか…。

アレ、思ったような絵を出力するのは結構難しいですよ。さらっと出せたけど?って方は一種の才能があると思います

何度か挑戦してみましたが全っっ然自分の癖に刺さるものが出てこず、結論は「自分で描いた方が爆速な上にシコい」でした。

正直、普段見かけるAI絵は「こんなの出せるのかすごいな~!!」と感心して拝見しています

自分で描くのもプロンプト組み立てるのもそれぞれ別の技術だと思いました。

AI絵を出力する人が絵師と名乗ってるのが嫌

そもそも絵を描く方でも絵師という呼称が嫌いなケースもありますし、名乗りたいもので名乗ればよくないですか…

例えばタクシー運転手さんいるじゃないですか。

この先自動車自動運転(=AI)の導入が進んでいって、タクシーにも組み込まれて、とはいえ完全自動はまだ怖いのでってことで人間運転席に座っているとします。

その人はほぼハンドルに触らないとしたら運転手さん(AI運転手さん?)とは呼ばないってことですか? わざわざ新しい呼び名作らなきゃだめです?

…ところでTwitterで「作曲界隈でのボカロPみたいに独特の呼称があったら受け入れられやすかったかもしれないな~」的なツイートをお見かけしてなるほどと思ったのですが、

作詞作曲指導って明らかに一般的プロデューサーの仕事ではないですし、これは逆にだいぶ慎ましい呼び名ですよね。もっと自己主張してもいいのよ。

pixiv運営の態度が嫌

それは今更すぎる

ただ、「具体的にどうしてほしいのか」を一切言わずただただ叩き続ける人は一旦落ち着いてほしい





で。

そういう『嫌だと思うポイント』が人によって違うのに、論点違う同士の謎口論がそこかしこで見られてきっついな…というのが最近感想です。

それがエスカレートして、AI憎しで滅茶苦茶言ってる奴やAIなんでもかんでも正当化する奴が出てくるし。

もうちょっと冷静になれないものですか。お互いに。議論になってないのが大半。お気持ちバトル。

…で、そのお気持ちバトルTwitter会場にうっかり乱入しかけたので、ここで自戒というか、自分に特大ブーメランぶっ刺して去ります

どの項目も「絵描きで物書きでAIエンジニア自分からお気持ち表明なので、別にどれが正しい正しくないと言う気はないし、全部嫌だと思ってる人もそれはそれだと思うのですが、

AI全部憎いになってる人は一度立ち止まってもうちょっと問題を切り分けて考えてみてほしいです。

2023-03-18

匿名Mの歌ってみたが聴けない

 匿名Mの“歌ってみた”が聴けない。

 投稿初日に聴いてそう思った。本家リスペクトのある歌ってみたは嫌いではないし、好きな歌い手やVの歌ってみたは好き好んで聴くしかし、インタビュアー淡々とした声と、匿名Mの「人間じゃないので。」「16才です、永遠に。」「まあ全部、言わされてるんですけど。」という掛け合いで紡がれるメロディーが素敵だと思うと同時に、この曲は匿名M以外が絶対に歌ってはいけない曲だと思った。

 ある歌い手が、匿名Mの歌ってみた投稿していることを、Twitterリツイートで知った。ああまた歌い手が何も考えずに歌っているのか、と思ったが、それをリツイートしていたのは、ある歌い手が招いた、あるインタビュアーだった。

 その歌い手概要欄には、「歌わされてるやつの曲を歌わせていただくから歌詞は改変したくない」というようなことが書かれていた。そこまで考えられているなら、なぜ曲の趣旨無視して“歌ってみた”を投稿できるのか、が理解できなかった。匿名Mの投稿から1ヶ月経ってから投稿。その辺の当日や翌日にそのままの歌詞だったり歌詞を改変したりして投稿していた歌い手と何が違う?

 そして、その招かれたインタビュアーのことは、Twitterフォローし、記事日記を読み、書籍を買うくらいには、その人の考えや言葉が好きだった。そのインタビュアーアイドルゲームオタクでその“解釈”を大切にする人で、その人の言葉が好きだった。

 ジャンルは違っても何かのオタクであって、その解釈が美しくて素敵な人が匿名Mの歌ってみたに協力したこと、が、つらい。匿名Mを匿名M以外が歌ってはいけないことなんて、一回でも曲を聴けば理解できる簡単なことではないか、と思うのだが。最近初音ミクに歌を歌わせてくれないけれど、曲がりなきにも“ボカロPである同僚の参加した“初音ミク”の作品に、そういう世界観をぶち壊すような乗り方をしたことが、何かのオタクとして、つらい。ひとまず、そのインタビュアーフォローは外したままだ。

 ただのオタクひとりがこんなことを言っても仕方がないし、ピノキオピー歌ってみた許可していることはわかっている。その歌い手オタクも、そのインタビュアーオタクも喜んでいることはわかっているのだけれど、気持ちの整理がつかずに書いてしまった。匿名Mは、匿名Mのための、ピノキオピーの曲だ。そのインタビュアーたちの曲じゃない。歌い手のための曲でもない。個人の感想です

最後初音ミク以外が歌ってはいけない曲を発表します。

ODDS&ENDS

愛されなくても君がいる

匿名M

さようなら

2023-03-16

千本桜/Adoに怒ってるオタク、一旦落ち着いてほしい

「こんな表記をするなんて逆に炎上を狙っているのでは?」という意見を見かけたが、それだけはないと思う。

自分小学生の頃からからボカロが好きで、今はボカロ曲を投稿している知名度ゼロのP。本職はテレビ業界の下っ端である題名の件について「せめて黒うさP初音ミク表記だったら許せた」という気持ちは、めちゃくちゃわかる。でも一旦落ち着いてほしい。

最初に一番言いたいことを書くと、自分が憂いているのは、「ボカロ曲は表記がめんどくさくてオタクが煩くてすぐ炎上するからテレビで使わないほうがいい」という風潮が生まれることである

これより下は「オタクが面倒くさいんじゃなくてテレビ表記を怠っているんだろ、いいかげんにしろ」と思っている方にわかってもらいたくて書いた文章なので、暇だったら読んで

番組で流れていたのはAdoさん歌唱カバーで、「Adoカバーした千本桜にのせて演奏しているよ!という意図だと思う」ということを元ツイの方がツリーで言っている。自分同意である

「せめて原曲歌唱初音ミクであることを書いてほしいが?」という気持ちは、わかる(小学生の頃の自分も同じこと言うと思う)。でも業界に入った今、テロップでは最低限の情報しか出したくないという制作側の気持ちもわかる。

VOCALOIDへのリスペクトがないのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかし、テレビ番組Whiteberry夏祭りを流すときにJITTERIN'JINNのカバーであるという注釈を出すか考えてみてほしい。例えが下手くそかもしれないけど、番組としてはその画面に最低限の情報以外を増やすことは避けたいのだ。

そもそも原曲を流せよ」

その気持ちも、わかる。しかテレビというのは沢山の大人の事情が積み重なってできている。出演者さんが使いたい音源指定したのかもしれないし、原曲権利関係で使えなかったのかもかもしれない。もしかしたら誰が歌っている千本桜でも良くて、偶然これになったのかもしれない。どういった事情原曲を使わなかったのかは憶測で語ることしかできない。でも、「機械音苦手な人もいるし…」とか「Adoさんのほうが有名だから…」とか思った人は、偏屈に捉えなくて大丈夫やで 制作の人たぶんそこまで考えてないよ

自分小学生の頃よりもVOCALOID初音ミクは随分有名になった。自分毎日聴いているし、今はボカコレに出す曲の進捗がヤバいのにこんな駄文を書いてる場合か?ということで頭がいっぱいだ。でも忘れてはいけないのは、初音ミクを見たことも聞いたこともない人や、なんとなく絵は見たことがあるけどどういうものかは知らない、もしくはアニメだと思っている、という人が沢山(もしかしたら初音ミクを正しく知っている人よりもずっと多く)いることだ。

この件に怒っている人がVOCALOID文化を愛していることはわかる(乗っかって燃やしたいだけの人やバズりたいだけの人も混じっているかもしれないが)。

テレビボカロ曲が流れるというのは、今までボカロを知らなかった人に「この曲いいかもしれない、孫に知ってるか聞いてみよう」とか「こういうのがあるのか、調べてみよう」というきっかけを与えてくれるかもしれない、大きなチャンスなのだ。平日昼間の番組なら尚更だ。自分はこんなことでその機会が奪われては勿体ないと思い、これを書いた。まとまりのない文章だが、伝わってほしい層に少しでも届けば幸いである。

正直、最初にこの件を目にしたときボカロ好きの自分は「えぇ…間違ってはないけど寂しいものがあるな…」と思ったし、社畜自分は「大人の事情があるってちょっと想像すりゃわかるのに燃える!?幼稚かよ…」と思った。ボカロPの自分は「ちゃん許可とって著作権料払ってるならそれでいいんじゃない?」と思う。おわり。

2023-01-25

もし米津玄師ボカロになったら

ハチだったからはちっぽいど?

ボカロからボカロPが生まれる。そしてボカロPがボカロになったらそこからまた新しくボカロPが生まれからマトリョシカ的な構図になるね。

2022-11-04

Pogo、in the blue shirt、古川本舗のmugs

みたいな曲を探しているんですが、おすすめないですか?

Pogoはyoutubeに多く投稿しているRemixが得意なアーティストAliceやForgetが有名どころ。ミュージカル映画Remixした曲が多い。歌詞はあるが、意味はない。

in the blue shirtは歌詞のような歌詞じゃない音声を乗せた音楽が得意。何か歌っているように聞こえるけど、実は何語でもない音声でもないものが流れている。自分はMellow outお気に入り。この音楽説明が難しいので一度聞いてみてほしい。

古川本舗はもともとボカロPだが、ボカロP時代のmugsは面白い歌詞がきちんとあるのだが、初音ミクにわざと歌詞が分からないように歌わせている。当時は歌詞当てゲームが開催されていた。

もともと古川本舗のmugsが好きで、同じような「歌詞があるけど何と言っているかからない曲」を探し続けた結果、in the blue shirtに行きついた。

これには歌詞がないが、歌詞の内容は関係ないので大変良いアーティスト出会えたと思っている。

さらに時は過ぎて、Pogoを知った。Pogoのリミックス系は元ネタのツギハギなので歌詞はもちろん存在する。しかしツギハギ歌詞なので意味はない。

つまるところ、「音声の乗った音楽が聴きたいけど、歌詞理解したくない。音声がただの楽器として使われていてほしい」というのが求めるところである

何かおすすめないですか?

2022-10-27

[] 筆力が高いと人間観察力や構成力が高いように思えるけど別にそんなことはまったく無い話

勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・

 

語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、

今回は別の方

 

語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、

まり人間観察力や構成力が難があってびっくりした話

・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・

おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家ぶっちゃけ少し似ている

ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズ言葉が入ってくる

『え?今なんて言った?』と全くならない

おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どお話には大抵お約束があるよね?

だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・無視・・・なのか?

これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない

合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁映画みたいな話でも、

プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・

うん、令和の言語IQクソ高ボカロPだったのかも知れない

 

でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、

情報作品に触れた数とアウトプットには何ら関係がないのかなと思いました まる

2022-10-08

ボカロ厨の十年以上に及ぶ自浄作用の無さ

タイトル通り。

「○○を知らない奴はにわか」

友達自称ボカロ厨が○○?知らないとか言ってて(^ω^💢)」

新参「ねえボカロ曲何が好き?私ボカロ厨だからなんでもわかるよ!フフン」

古参「うーん、○○かな」

新参「えっなにそれ知らないwww

古参「」

みたいな自称古参ボカロ廃による発言がかれこれ十年以上も繰り返されてる。

れいつまでやるんだ。そしてその自称ボカロ厨の友達実在するのか。

カ○プロ、脳○炸○ガール、その他新しい"爆発的な流行り"が出てくると必ず湧いてくる。

実際にどのジャンルにも、知ったかぶって人を不快にさせる新参がいるのは紛れもない事実だと思う。

また同様に、そういった"仮想敵"を作って排除しようとする古参ボカロ厨に限った話ではなく、どこにでもいる。

なので主語を大きくしすぎるのはよくない、よくないが。

それにしてもボカロ厨は酷すぎると思う。

ずっと何年も何年も繰り返してる。流石に異常だ。

声高に主張する人、自ら発信はしないが静かにその意見に乗っかる人。そういった数があまりに多すぎる。

この十年で全く同じ人物けが残っているのかと思うほどに、驚くほど同じことを繰り返しているのだ。

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そもそも乱暴な言い方にはなるがボーカロイド音声合成ソフト。いわば楽器なのだ

勿論私は初音ミクをはじめとしたボーカロイド達もキャラクターとして大好きだ。

でも、彼女らが歌う曲は何百何千といった"ボカロP"と呼ばれるクリエイター達が作っている。

同じ「ボカロの曲が好き」でも、ロック系好きな人と落ち着いた曲が好きな人では当然聴きたいと感じる曲が変わってくるわけで。

それが特定ボカロPの曲だけを聴くとかもあっていいと思う。

何が窓口であってもいい、偏っていてもいい。その選択肢の多さも魅力のひとつではないんだろうか。

何故「○○を聴いていない奴はにわか」だと断言してしまうのだろうか。

最近だとプロセカの登場が余計にこれに拍車をかけている。

かにから存在するボーカロイド達を「プロセカの」と言われるのは不快だろう。ただ、プロセカで各セカイ毎に味付けされたバーチャルシンガー好きな人もいて当然なのではないだろうか。(例えば私はニゴミクやダショルカが好きだ)

もう少し大人になったらどうだろうか。

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あとこれはボカロ厨に限った話では無いが、「○○は××の曲!」みたいなそういう目立つお馬鹿さんは果たしてほんとに盲目新参オタクなんだろうか?

それ、ただのアンチ愉快犯じゃないかとか疑わないのか?

少し前に、某事務所所属VTuber卒業配信

あなたのせいでAちゃんやBくんが配信を始められないから早く終わってくれないか?」といったコメントをする者がいた。

当然、AやBの視聴者非難される。

が、蓋を開けてみればそれは別事務所VTuber視聴者だったということが過去コメント履歴から判明した。

こんな風に、ネットでは簡単に誰かを装って、別の誰かを貶めることが出来てしまうのだ。

少しはその頭で考えてみてほしい。

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ここまで読んで、「じゃあお前が非難していた"ボカロ厨"はどうなんだ」となるかもしれないが、確かにそれも言えるかもしれない。

が、そうだとするにはあまりにも数が多すぎる故に、例えばTwitterに絞ったとして、その発言をする者、またそれに賛同する者、それらの該当アカウントの日頃の発言を見ても120%しっかりボカロ厨なパターンが多すぎるのだ。

なんだったら「○○はプロセカの曲!」みたいな発言をしているアカウントの方が正体不明新規垢だったりしてしまうのだ。なぜそんなアカウントを本物の害悪だと信じてしまうんだ。

何年ものボカロ厨に擬態しているアンチが何百人もいるとかならわからないが、果たしてそれは現実的だろうか。

一度、「そんなことない!」と思考停止せずに考えてみてほしい。

それでもう少しマシな世界になってほしい。

2022-08-22

底辺バンドマン底辺ボカロPに転生した話

転生は違うかもしれん。バンドも続けてるから

いろんなバンド転々としながら、趣味バンド活動をずっと続けているんだけど、バンドに縛られずに自分の曲を形にできないかな、と思って軽い気持ち初音ミクNTを買って、自分の曲にボカロ(広義のボカロな。NTVOCALOIDではないというツッコミはいらん)で歌をつけてみた。

せっかく作ったものだし、この曲を誰かに聞いてほしいな、ということで「初音ミクならニコニコ動画やろ」というアラサーネット民の浅はかな先入観で、ニコニコ動画自作曲を軽い気持ち投稿してみた。それが2ヶ月くらい前の話。

その結果、まずびっくりしたのが、投稿してすぐにコメントや「いいね」が付いたことだった。底辺バンドマン諸氏なら共感してくれると思うんだけれど、音楽を作って発表したときに、ポジティブな反応をもらえるということはほとんどない。けど、ニコニコ動画投稿したらすぐにポジティブな反応がついた。正直めちゃめちゃ嬉しかった。

なんのネームバリューもないやつの作ったものを聴いてくれるだけでも相当うれしいのに、それに対してポジティブな反応をくれる。しか自分がこだわって作った部分に対して的確な(と作者が思うような)コメントが!

そんなわけで、投稿したこときっかけに、遅まきながらニコニコ動画日常的に使い始めた。その結果理解したのが、ニコニコ動画は、投稿者に対する視聴者ポジティブな反応を惹起するための仕組みがいろんなところに仕込まれているということだ。

そのひとつニコ広告がある。ニコニコ動画は、普通に使っていると運営からチケット」というものが配布されるようになっている。このチケットニコ広告というものに使える。ニコ広告ニコニコアドセンスみたいな感じで、視聴者広告枠を買って好きな動画をその広告枠で宣伝できるような仕組みだ。

そして、この広告に使えるチケットには有効期限が設定されている。有効期限があるというのがポイントで、これがあると「もったいない精神」で、せっかくもらったチケットが失効するくらいなら、気に入った動画広告するか、という心理が働く。しかも、投稿からは、誰がどれくらい自分投稿に対してポイントを支払ってをかけて広告してくれたからわかるようになっている。つまり投稿から見ると「あ、このひとは、チケットとかポイントという限りあるリソースを、自分作品選択的に使ってくれたんだ」とわかるようになっている。

投稿者となったことで、そんな「作る人が嬉しくなれるような細かい仕組み」が、いろんなところに仕掛けられていて、作る人を応援するためのコミュニティ形成成功しているということに気づいた。はてなブックマークマジでそういうところ見習ってください。はてなブックマークはうまく貶したひとが気持ち良くなれる仕組みになってて最悪のコミュニティ形成されてると思う。

じゃあニコニコ動画は最高の天国なのかというと、多分そうではない。というのも、ニコニコ動画の「ちゃん投稿を見てもらいやすい」というメリットは、同時に言い訳を奪う仕組みでもある。つまり、これが「投稿しただけでは見つけてもらえない」サービスなら、「俺はまだ見つかってないだけ」と言えるが、ニコニコではそれは(少なくとも多くの他サービスと比べると)難しい。だって視聴されてはいるんだから。そうなると、「評価されないのは見られてないから」という言い訳自分を誤魔化すことはできなくなる。

から、「誰かからポジティブな反応をもらえて嬉しい」よりも「あの人のあの曲はこんなに評価されているのに自分の曲はそうではない」みたいなことに注目しちゃうと、作り続けることが苦痛になって行くかもしれない。

そう考えると、ニコニコ動画は「誰に評価されるわけでもないのに、なんか音楽を作り続けるのがやめられないが、べつにそれで生計を立てたり有名になったりしたいわけではない。けど反応もらえたらめちゃ嬉しい」みたいなタイプのひとにとってはかなり最適なプラットフォームなんじゃないか、と感じた。

これからも楽しんで音楽を作っていけるといいな。

2022-08-08

音楽にもピンキリがあるの知った

例えばね、絵だったらPixiv小説だったら小説家になろうに行くと素人の酷い出来の作品に出くわすことがよくある。

でも今まで音楽ではそういうこと無かったんだ。

インディーズって言っても普通に聴けたし、地元オーケストラコンサートなんかも普通に聴ける出来。マイナーアイドル楽曲も、印象に残らなくても違和感を感じるまでではなかった。

それがね、この間ついにその曲とYouTube出会った。

その曲との出会いは偶然で、自分推してる作家MV作ってる歌のうちのひとつだった。その作家の作った新作の出来が良かったか過去作品も見たくなったんだよね。ところが、そのうちの1作の歌が最後まで聴けない。歌手無名で、音楽素人の俺ではうまく説明できないが、構成が変、としか言い様がない曲だった。音痴とも違う。だが明らかに、欲しいメロディが来ないという感じで気持ち悪くなるような曲だった。

それで俺はやっと、今まで俺の耳に入っていた音楽一定水準を超えていたんだなとわかった。考えてみれば、音楽というのは誰でも続けられるものではない。小さい頃から音楽教室に通って、楽器を弾けるようになり、正しい知識理論を身につけた選ばれた人間けが音楽を作れる。全身入れ墨ボカロPでもピアノを当たり前のように弾ける。それは英才教育によるものだ。

絵や小説とは、かけられている手間や金が違うのだと、俺は思ったね。

2022-07-29

ボカロにおける同担拒否って何?

曲を作るボカロP同担じゃん

もしかしてそれすら無理?

ボカロというコンテンツ自体、ほぼ公式から供給がないというか、設定がほぼ皆無でこれ以上の供給は全くない

それすら簡単に「公式勝手に言ってるだけ」状態になる

創作こそがボカロ文化と言っても良くて、それを公式が推奨してる

それがボカロの魅力だし

一番同担拒否に相性の悪い界隈だと思う

2022-07-19

anond:20220719190140

その世代の子供が影響を受けている現在若者文化を引っ張ってるのが現在の30代前後だってのを忘れちゃならんぞ?

ローゼン閣下とか言って盛り上がり、元ボカロPが作った曲を聞き、歌ってみた踊ってみた興隆させYoutubeInstagramTikTok若者から支持される大人現在の30代

もし就職氷河期世代青春時代に支持した大人へいまだに好印象を持っているとするのであれば、就職氷河期世代の子だって大人になっても好印象を抱き続けるだろう

就職氷河期世代は当時の憧れをいまだ支持するのに、その子供が例外的に憧れるのをやめるだなんてそんな都合の良い話はない

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