はてなキーワード: ブランクとは
父、母ともに機能不全な家庭で育ち、当の両親も機能不全な家庭を作り、片方自死し、妹も精神疾患で施設入りがほぼ確定した
私自身も精神的に不安定になりがちなので、子供欲しいけど大丈夫かな…と悩んでたけど、これで諦めがついた
うちの血筋はここで終わらしたほうがいいわ
一応パートナーいるけど、パートナー自身も子供持てない可能性高くてほぼ諦めてたし問題ない
諦めついたら、年収あげるのが楽しくて仕方ない
大した大学に行ってないし、大企業に勤めてるわけじゃないけど、早い段階で役職付きになったこともあり、年代の平均より貰ってる
今期ベースアップしたので、30代女だけど、40代後半男性平均よりもらえてる
まあ、平均値だからね、同じ年齢の大企業勤めに比べたら低いんだろうけど、世の中の平均より貰えてるってだけで、こんな私でも社会に認められた気がして安心する
子供諦めたお陰で、出産育児のブランク発生しないし、老後のお金も稼がんといけないし、このままベース上げていきたい
今後のライフイベントってなんだろ、家族の葬式と結婚とマイホーム?
マイホームについては、死んだ後の家の処理困るんだよな、相続する人いないし
でも、高齢になるとフォローしてくれる親族いないと賃貸契約難しいかもと聞いて悩んでる
正直虚無感あるけど、忘れるくらい楽しく生きたい
キアヌの髭伸びすぎ問題で「あんなのネオに見えない」って意見が多いけど
あの髭のおかげでキリストっぽさが出て、救世主ネオの10年後感あって俺は結構好き
ジョンウィック3では明らかに太ってて「どうしたキアヌ」ってなったけどそこは改善してくれてるだろうか
キアヌはカンフー映画が好きで自分で自分が悪役のカンフー映画を撮ってたりもするんだけど
ジョンウィックの1もわりともっさりアクションをしていて「ブランクがある役だから」と思ってたんだけど
俺がマトリックスの1が好きなのはキアヌがめちゃくちゃ気合を入れて半年以上カンフーのトレーニングに励んだ甲斐があって
地に足がついたアクションになっているところなんだよね。ビシッとしてた。
動きもキアヌにしてはシャキシャキしていて「地に足がついたアクション」と「無重力な演出」が絶妙なリアリティを出してた。
リローデッド以降はもう全体にふわふわしちゃってて「VFXがあればもう肉体はどうでもいいんやね」って感じで、
両方映画としては好きなんだけどアクションとしては正直、あんまり好きじゃない。
その後もマッハ!!!!!とかザ・レイドとか定期的に命の値段が安い国の命知らずの肉体系の映画が来る。
ああいう映画の「うわぁ、痛ぇ」みたいな感覚ってアクションを見るうえで俺は大事だと思う。
マトリックスの4とジョンウィックの4が来年来るけどキアヌがしっかり鍛え上げてくれていることを祈る。
追記:
ブコメにボーンアイデンティティが上がってたけど、あれは静かだけど決定力のあるアクションでよかった。
たしかフィリピン原産の武術のカリを特殊部隊向けにアレンジした技術だったはず。
ただ、シリーズを重ねるごとに「リアリティ」演出でアクションが手持ちのグラグラカメラばっかりになったのは残念だった。
増田のするはずだった「父親として当然の振る舞い」が書いてないから第三者にはわかりかねるし、「努力目標」って何についてなのか嫁にも確かめてないからモヤモヤしてるんじゃないの。
そもそも、嫁に言われないと行動しないから嫁もストレス溜まってるんじゃないのか。率先して出産準備を主導しない、先読みプランを立てて提案しないって話かなぁと読んだけど。
だってこの後に及んで「生活支えてんのは俺だけど?」って出てくるか?嫁は問答無用で腰痛やむくみ、吐気、キャリアブランクに仕方ないって笑って耐えてるのに、女disが蔓延してる増田で味方探ししてるの子供すぎるよ。
このまま生まれても、夜泣きが始まったら睡眠不足でもっとイライラして家庭崩壊の危機一直線だし、そこで関係崩壊したら産後レス、嫁と子供に嫌われて居場所のないパパ一直線だぞ。顔がわかる身近で円満な既婚に相談しろ。
増田もしんどかったんだな。何も知らないのに嫁が産休って決めつけて俺も悪かった。
増田が怒る気持ちもわかるんだ。でも、どっちが正しいとか間違ってるって話じゃなくて、それぞれ不満を不満のままにしないでお互いwin-winになるような、第三の選択肢を見つけて欲しかったんだ。良い相談相手が見つかるよう祈ってるよ。
妻に言われたことなんだがな。
最近妻が妊娠しまして。なんというか、彼女基準の「父親として当然の振る舞い」をしなかった俺に対して妻が放ったんだ。「男の人は所詮努力目標」「私は妊娠で色んなことを我慢してる」「あなたはずっとそう、結婚しても子供ができても何一つ我慢していない。所詮努力目標だもんね。」
きっかけに関してはまあ自分が悪いのだが。結婚してからここまでやってきたことが無かったことになってて努力目標なんていう言い方されたのがモヤるのだ。
結婚を機にネトゲ始め趣味の時間は大幅に減らした。趣味の中でも、なるべく妻が嫌がらないものだけにした。コロナ前からも突発飲みはしなくなったし行く回数自体も減った。妻は働いてないので家計は俺が担うわけで、使えるお金も減った。
当たり前かもしれんが、「何も我慢してない」と言われるのが心外なのだ。無かったことにするなよと。
私ばっかり我慢させてとかいう割には、ひとの仕事中に家事ほっといて趣味の教室行ったりしてLINEに写真送ってくるしな。
あと努力目標て。
そーですか。あなたが働けないから、俺は何があっても収入守らないといけないのだけど。努力目標でよかったの?頑張ったけどだめだったごめーんっていえばあなたが補填してくれるの?
妊娠前の妻は、明け方までソシャゲ、夕方まで寝ててようやく家事始めるみたいな専業主婦。働かないのは妊娠によるキャリアブランクじゃなくて元々。朝昼のメシくらいは俺は自分で作ってた。平日妻が家事ほっといて遊びに行くのも別に何も言わなかったし、なんかパートの口見つけてきたけど、働くことにポジティブになって欲しかったから全額妻の小遣いで良いとも言った。(俺はお小遣い制である)
妊娠してからは洗濯と風呂掃除と夕飯あたりのルーチンワークを引き受けた。
一応やることやってたつもりではある。足らんという指摘もあるとは思う。
そんなに長く生きたいと思えないので、もしものために遺書代わりで投稿します。
どうせすぐには死ねない。
今は転職して2つめの会社に所属してるが、生きることが辛く感じてしまっている。
ITから流れに流されITに転職したが、職場に行くのも辛いし、そもそも働きたくない気持ちが増すばかりだ。
前職は1年ちょっとで辞め、1年もブランクを空けて結局IT。入社して2ヵ月、現場配属されて1週間でこの様だ。
強いて言えば今はシフト夜勤勤務であるが、そうなる以前から苦しかった。
とにかく原因がはっきりとしない。
お医者さんに訪ねる事も考えたが、現住所から行ける場所だと予約で溢れている。
行きたくても負担ばかりかかる。
趣味はある。でもそれが生きる気力になれていない。
やりたい仕事もある。そう思っていたが、いつの間にか何も無くなってしまった。
転職活動してもIT経験者に該当されるからか、次の就職先とIT絡みになってしまう。
直接はいわないが、IT以外はブラックだと脅されているようにも感じる。
その癖、まだ若いから大丈夫と言ってくる。(今は24歳、早生まれ)
いまは早くこの世を去る事ばかり考えている。楽になりたい。
少なくとも40代50代まで生きていたいと思えない。
安楽死があればいいのにと常に考えている。
誰かに助けて欲しいから、こうしてネット上にあげているのだと思う。
ただそれが叶わないのが現実でもある。
知らない一人の為にできる人はいない。
何かを宗教している人が羨ましく感じる時がある。
何かに狂って縋りたい。
それだけで救われるかもしれないから。
とにかく客先配属は向いていない。衝撃だったのが配属先面談の時。経歴のシートを用意する必要があるが、1年のブランクを無かった事にして、前職に2年勤めたことになっていた。この業界では良くあることだそうだ。
正直それが本当にキツい。ずっと嘘をついていることになる。
客先配属は週行場所がコロコロと変わるのも辛い。落ち着いて過ごせない。
息が詰まる。
楽になりたい。
Twitterにも全く同じ文面を投稿したが、かまってほしいんだろうな。
面倒な人間だよ。
こんなハメにならないようにと思って書く。
でも実際はもう時間いっぱいで他の事やる余裕がなかったり。
TOEIC LRは5年くらい受けてない
たぶん向上しているが、ペラペラには程遠い
一年経って、母娘がお料理している写真の写真描写をしようとしたら
なっかなか英語が出てこなくって、とても落ち込んだ
今まで一体何やってたんだろと
1. 瞬間英作文 538時間
1. 瞬間英作文 365日
2. 単語 365日
3. シャドーイング 365日
4. 速読 245日
6. オンライン英会話の予習 241日+ブランク+41日(更新中)
7. オンライン英会話 357日(数日ブランクあり。予約してた時間を覚え間違えたり)
9. 多聴 182日
●トレーニング別やった(完遂した)教材(同じ順)
瞬間英作文:どんスラポンバン計4冊+どんスラのおかわり計2冊
単語:金フレ、キクタン800、DISTINCTION1、キクタン4000の計4冊の見出し語、例文全て
シャドーイング:TEDtalks4本、JapanTimesのスピーチ3本+インタビュー4本
速読:TOEIC超特急スピード強化編+ダブルパッセージ編、OPINION1100(Z会)、
多読:ラダーシリーズ61冊、2周読んだ本入れると67冊分相当(89万文字)
オンライン英会話:毎日1レッスン(初期の頃は一日3レッスン)、テーマ別ディスカッション
スピーチや独り言:NHK WORLD から一記事を選んで、原稿作って、1分間暗唱できるまで練習、録音、セルフフィードバック
(初期の頃は、TOEFLやIELTSのサンプル問題から原稿作って、セルフトーク)
ライティング:初期の頃はnoteにジャーナリング。その後、TOEFLやIELTSのライティング問題を解く。220本辺りでやめる。
1. 瞬間英作文 やった教材の復習
2. 単語 TOEIC系の英単の定義(definition)を英語の文章で説明(英英辞典っぽく)
3. シャドーイング 遺伝子編集と生命倫理のインタビュー記事を使用
スピーチや独り言:オリジナルなことを作って喋る、リスニング以外の全スキル向上
多聴:たくさん聞く
ライティング:使いたい表現を使う、混文や論理的な文章を書く練習
1. 速読、多聴のつもりで始めたが結局、精読、たまにシャドーイングしたり、ボキャビルだったりする
3. 体系的に勉強することが科学的のように見えるが、なんだかとっ散らかった感じもする
4. テストの公式問題集は一切やってない。これに集中した方が効率良かったかも、と思う未練があったりする。
5. でも多言語話者なんかは「ドリルなんて要らない」って言うので核心は不明
7. 法則性を理解することと、自分の口で再現できることは全然別
9. YouTubeなどで〇ヶ月でマスターしたみたいな動画のサムネイルを見ると辛くなる
10. ってか日本人YouTuberの動画は見てて辛くなる、美男美女多めだし
11. 結局ネイティブや非ネイティブ且つ非日本人の英語学習(多言語学習)YouTuberを見るようになる
13. でもこういう映画やバラエティ番組を使ってゆるーくやる勉強の方が効果的だったのかもと未練がある
14. 実際のところは不明
2. 言語はインプット量と言うが、使わないまま忘却する知識も増えてしまう
3. たくさんインプットするほどアウトプットする場面は多くない
4. でも忘れてしまうのはもったいないので、またやりお直して覚える→忘れる、の繰り返し
7. 瞬間英作文は自作できる英文もあるので全滅することはないが、結局あらかたサビる。
8. 未来完了などのレアな文法を使う場面や、shall weなどの疑問文は使う機会がない
11. が、おそらくやり過ぎだと思う。リターンが乏しい。
12. シャドーイングの教材の難易度が適切かよく分からない。
13. 特にインタビューものは、アンフォーマルな英語なので難しい。
14. 普通にTOEIC L や TOEFL でいいような気もする。
●将来
1. 5000時間は余裕、10000時間もたぶんいけると思う。
2. しかし、継続日数や量とかじゃなかくて、そろそろリターンが欲しい。
3. 50歳までにバーでネイティブとビア飲みながらワイワイお喋りしたい。
5. ってか仕事したくない。
1. 一年記念に英語学習YouTubeを始めた。まだ全然下手だけど
2. インフルエンサーみたいに教えるスタイルではなく、「実際にやっている」動画を主にアップしている
5. でも結局一つもヒットしてないけど
6. ゆっくりやっていく感じ
●さいごに
なんか書き忘れたことがある気がする。
追記していくかも。
https://anond.hatelabo.jp/20211103073410
・育児で休んだら同じキャリアに戻れないのでそのまま専業主婦派
一番多そう、なんか恨みがましい
ブランクや労働時間の制約あれば違いが出るのは当然だと思うが、安い給料だったら働きたくないという訴えが多い。
仕事復帰しなくていいことへの体のいい言い訳にしている人もいる様子。
そもそも専業主婦をやりたい人間に対しての質問に、やりたくない人間がズレたコメントをしている。
・働きたくないなんて当然の欲求でしょ派
二番目に多そう。
だからといって労働を完全放棄すると、子供が学校に行きだすと大分暇じゃないのか?
30、40台とかでそれは怠惰すぎない?
そういった家庭があるのは理解できるが、この少子化の現代、子沢山の家庭は多くはない。
また、自動化できない家事は残っているにせよ、以前と比べ家事労働時間が著名に減少していることも確か。
多くの家庭では家事労働時間も子供の数に伴う育児時間も昭和より減少していると思うんだが、それでも専業が望ましい状況なの?
・子供に全てを注ぎ込みたいよ派
・子供と一緒にいたいよ派
高校生ぐらいになったらフルタイムで働いていても一緒にいる時間そんなに変わらなくないか?予備校行ってたら子供の方が遅いまである。
・夫の転勤、親の介護のせい、なりたくてなったんじゃない派
大変だとは思うが、夫婦で話し合って自分で選択したのであれば、その言い訳はどうかと思う部分も。旦那の単身赴任、親を介護施設に入れるなどの選択肢もあったはず、取捨選択の結果ではないのか。
納得できていないなら自分の旦那さんともう一度よく話し合ってみたら?
これもそもそも専業主婦をやりたい人間に対しての質問に、やりたくない人間がズレたコメントをしている。
育児以外の家事は一人暮らしでも仕事しながらやっていると思うが。
・だったらお前がやってみろ、お前は家事のことを何も分かってない派
自分が経験していない職種に対する疑問は全部やってみろで終わってしまうだろ。
別にやれともやめろとも言ってないですよ。
だけど、そういう呼び方はどうも馴染まない。
彼女は、僕らが小学生の頃から知り合っていたと主張していたが、その頃の僕は彼女をあくまでも集団の一部として捉えていた。
そういうわけで、僕が初めて彼女のことを個として認識したのは高校一年生の時だった。
彼女とは、ある授業がきっかけで近しい関係となった。その授業は、どこの学校にでもあるような、他の人と相談しながら進行する授業。
そうは言っても、彼女と積極的に話し合うことで親交を深めたというわけではない。まずもって、彼女はカモクなのだ。
僕と彼女のコミュニケーションは、会話というよりは問答に近かった。それでも、授業を通して彼女に一歩近づける、それだけで彼女の魅力を知るには十分だった。
後に続く彼女との関係の基礎はこの時期に形成された。一年間にわたる彼女とのささやかな交わりを経て、僕は彼女のことを意識するようになった。
しかしながら、その後1年にわたって、彼女との関係は進展しなかった。
高校2年生という期間は、他の生徒にとってもそうであるように、高校生活の中でもとりわけ忙しい時期だ。
授業のような特別な機会が与えられなければ、彼女を顧みることさえ忘れてしまうほどに。
高校3年になって再び出会った彼女は、少しばかり気難しくなっていた。それは、1年間彼女に見向きもしなかった僕に対するささやかな反抗であるようにも感じられた。
僕らは1年に渡るブランクを埋め合わせるために、2人で過ごせる時間と場所を求めていたが、快適な居場所は多くはなかった。
学校には僕らの関係を冷やかすような人間はいなかったが、それでもやはり居心地が悪かった。また、駅前の喫茶店などといった場所では、僕らのような客が長居すること自体が歓迎されていなかったし、僕としても周りの目があると純然たる彼女との時間に集中できなかった。
そういった理由から、必然的に彼女との時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。親も僕が彼女を引き連れて自室に籠っていることを容認していたし、ともすれば応援していたように思う。僕らの関係は親にとっても都合のいいものだった。
彼女と長い時間をかけて向き合うと、段々と彼女の心の内が見えてきた。
例えば、彼女はムキになると素っ気ない態度を取るようになった。今になって考えると、彼女のそういった部分にも理解を示すべきだったのだが、当時の僕はそれができるほど賢くはなかった。
彼女の新たな魅力にも気づかされた。それは、彼女のユウキだった。僕が見向きもしなかった間に彼女が手に入れた新たな武器。それは僕にとって、彼女の全てのように感じられたし、それはまさしくCそのものだった。高校生という多感な時期に彼女と毎日のように向き合うことができたのも、彼女のそういった部分が僕の心を引き付けて離さなかったからだ。
高校3年の冬に、僕らは一度だけ同衾したことがあった。あの時は単純な好奇心から彼女をベッドに連れ込んだのだが、どうにもやる気が出なかったのでそのまま寝てしまった。僕らにとっては、机を挟んで向き合う方が遥かに適していたのだ。そういう観点から言えば、僕らの関係はどこまでもプラトニックだった。
それからほどなくして、僕らは高校を卒業して、そして同じ大学に通うことになった。
長い春休みが明けて久しぶりに彼女に会いに行くと、彼女はすっかり変わり果てていた。
知り尽くしているとさえ思っていた彼女はすっかり豹変してしまった。
大学に入ってからは、彼女の真意を読み解くことが途端に難しくなった。
彼女のことをより深く知るにつれて、以前にも増して彼女のことが分からなくなった。
僕は、高校時代のように彼女と真摯に向き合うことができなくなってしまった。
彼女と長い人生を共に歩んでいたら、自分がどうなっていたのか知る由もない。
彼女に関する記憶も日々薄れていくのだが、今日のような記念日には彼女のことを思い出す。
受験でお世話になった化学を恋人に見立てて恋愛話をでっちあげようと考えたけど、青春というものを一切知らないので上手くいきませんでした。
と書いたが、ジャンプ+の公式アカウントらしい b:id:jumpplus というアカウントが存在した。
ジャンプ+がはてな製GigaViewerを採用する以前の2015年7月から存在し、GigaViewerに切り替わった2017年1月以降も活動していた。2015年ごろは漫画の煽り文のようなブコメ付きでブクマしていたが、丁寧にブコメしていたのは2016年7月までで、GigaViewerに切り替わる頃には無言ブクマしかしなくなっている。その後も1年9ヶ月無言ブクマを続けていたが2018年9月を最後に活動を停止したようだ。ジャンプ+のブクマが低調な時代において2017年11月には最多ファーストブクマカだったこともあるようだ。
しかし b:id:jumpplus がジャンプ+ブクマのムーブメントを起こしたかというとそうは見えない。せいぜい三番手のブクマカというポジションだった。その時代は誰がファーストブクマをしていたかというとyarukimedesu氏とmorobitokozou氏で、2人合わせると6割以上のファーストブクマをしていた。2019年により精力的な三人目、四人目のブクマカが登場するもyarukimedesu氏が離脱。1年のブランクをおいて2020年秋にyarukimedesu氏が復帰してからはてブにおいてジャンプ+は成長軌道に乗り始めた。もう一方のmorobitokozou氏は2020年以降徐々にブクマ量を減らしている。
元増田です。こんなに反応があるとは思わなかった。コメントも、Twitterでの言及も色々読みに行った。「生きろ」と言ってくれる人が多くて驚いた。本当にありがとう。もうダメだなと思ったら、ここのコメントを見直しに来るよ。
実際にも多くの人が(特に医療関係者はそれが仕事とはいえ)自分を生かす為に動いてくれているんだよな。それだけでも生きないとならないのかもしれない。
ここに書いた話は友人知人にはしていない。癌になり、治療中だということだけを一部の人に告げたに過ぎない。こちらの希死念慮がずっとあることに気づいている奴はいるんだろうが、敢えて話題にはせずにいた。こんな話を一対一のメッセージでわざわざやり取りするのは、相手への負担が重たすぎるから。
それでも自分の中では、どうしてもどこかで吐き出しておきたかった。「転職活動より癌治療のほうが人扱いされるだけマシ」なんてリアルでは言えないからな。癌だとわかった時、転職活動をしなくて良い理由が出来て、ほっとした自分すらいる。そのくらい辛かった。
いずれは戻らないとならない。また履歴書にブランクがひとつ空いた。その理由を話せば企業はいい顔をしないだろう。これまでだってそうだった。
そうそう、会社員じゃなくても、健康診断や癌検診は自治体のものがあるからな。同年代のフリーは気にしておくと良いと思う。
自分は寛解まで何年かかるのか、たどり着けるかもわからない。それまでずっと癌とは付き合って行くのだろう。その度にこいつは自分に問うんだろう。「もう楽になりたくないのか」と。本当に自分の中の悪魔なんだな。
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
ちらほら日本の産休育休に関する問題をはてブで見るけど、やっぱり第一線の技術職であればあるほどブランクが厳しいのはどうにもならないと思う。
私はIT分野の第一線どころか第四線くらいの仕事ではあるけど、毎日のように新しい情報が入ってくるから、1週間休んだだけでもちょっとした浦島太郎になる感覚がある。
だから肉体的に産後は休まなきゃならない女性が嫌厭されるのはある程度仕方ないと思うし、男性であってもガッツリな産休育休とったら厳しい世界な気がする。
だから、やっぱり可能な限り産休を短くして子育て家事を外注するしか方法はないんじゃないかなって私は考えるけど、どうなんだろう。海外の先進国はそういう文化のところが多いし、日本だって古来は殿様の家は乳母が子育てはしてたよね。
私は独身子なしだけど、誰かが産休育休で休んで復職するたびにやっぱりその人とのスキルや知識の差は実感するし、ずっと走り続けてる人にやむを得ず止まった人が追いつくのはなかなか厳しいよ。そんなこと関係ない天才もいるけど。
だから組織改善がどうこうとかではなく、解決するためには金が必要なんだろうね。もっとちゃんと日本の技術を支える各分野に正しくお金が払われるようになるしか未来はないだろうな。
起床、起きづらい。
朝から勉強しようとし、考え事が止まらず、ぜんぜん進まなかった。
昼食は好物。
昼からも同様。最近マンガの読みすぎかな。エロい考え事が止まらなくて。
エロいこと考えてる時は大抵暇な時。目の前の勉強に集中できず脳が「暇だ」と錯覚している。やり続けなければ。
仕事を辞めて嫌な人間から離れて2年も経つのに未だ過去のことに囚われた考え事をする。それもやめたい。
レジ打ちのバイトでもちょっとしたことに過剰反応してしまいストレスを溜めている。でも、1年以上働いてるのにまだ新人みたいな失敗をしているのも事実。
将来に向けて行動したり考えを改めなければいけなかったのにこの2年こんな体たらくで生きてる。
職場を辞めた理由は人間関係、ブランクにしていたことはレジのバイト。
就活やる前から絶望的なの分かってて、でもやるしかない、でも何もしていない。
3年で辞めた前職では何のスキルも身についてないし、そろそろ仕事内容忘れてきた。
日記じゃなくなってきた。寝よう。