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デビッド・ライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章をブログ,SNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。
ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要な対立を生じさせたと私は考える。
両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的な言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代の言論界において重要な役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。
実際に両者がブログ,SNSに投稿した文章から,なぜ不毛な対立が生じたのかを見ていこう。
ライス氏は2022年11月2日,自身のブログ「道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトルの記事を投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について
“弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックスや差別を煽ったうえでnoteやYouTubeで言動を売って稼ぐ「商人」だ」”
と批判した。
弱者男性論者である白饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,noteや書籍を販売しているとい点では間違った表現ではない。
だが,アカデミシャンでないことも「商人」であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場と手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章を引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的に説明するべきだろう。
また,ライス氏は2021年4月3日に現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事を寄稿した。その中で,
“弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”
と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくその目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。
しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠や理論についての誤りを指摘するべきだ。
上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠や理屈についての矛盾を殆ど指摘していない。
ライス氏は上記の記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。
なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。
たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。
しかし,白饅頭氏の発言のほとんどは客観的な妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。
SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立・一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。
ライス氏は白饅頭氏のTwitterやnote上での発言を批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言が可能な空間では論理的に正しい意見よりも大衆の感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから白饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。
しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitterやnoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネス,プレジデントオンライン,BLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。
ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。
ネット上では素人の発言が可能だが,それに対して専門家が批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人がネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内で価値観を確認し合うことしかできないのが現実だ。
そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍を出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものであると判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。
それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。
ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術の世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定のコードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。
ライス氏は学術的であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。
2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイートを引用リツイートしこのように書いた。
“社会正義の総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”
たしかに,社会正義を定義しがちなアカデミア出身のライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。
しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。
ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。
“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”
白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。
“インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本的問題があるんだよな。
おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売が破綻するなんて当たり前でしょ。
「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやすく説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“
これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。
だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。
白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり,不適切な言動をしてしまっている。
“ 世間知らずのインテリくずれがパソコンカタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”
“世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログを執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程を卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。
白饅頭氏はライス氏を頭でっかちで世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。
しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤に出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。
白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章はライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。
白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章は批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。
白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。
白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり,学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章は新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。
また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。
しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。
これまで書いてきたことからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的な姿勢を取るようになってしまったのだろう。
くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチとエンタメは対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。
ここで,格闘技の興行を想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規のファンやライトなファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手の試合も組まなければならない。
実力のあるガチの選手と知名度のあるエンタメの選手,共に興行を成り立たせるために必要な存在だ。白饅頭が朝倉未来なら,デビッド・ライスはヴガール・ケラモフだ。
ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論の世界を成り立たせるために必要な存在のはずだ。
両者は現在のリベラルやネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。
ライス氏と白饅頭氏はこれから日本の言論界をリードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。
お金を配って1000万人のフォロワーを手に入れた前澤さんが月に行くようですが、少年漫画に出てくる成金趣味のお金持ちを体現している感が強くて、ものすごい嫌悪感を抱いている。
最初は期待したんだよ。ZOZO SUITが出てきたときには革新的なものが来たと思ったね。
俺は体型が標準からずれててフィットする服が見つからないという経験がよくあるので純粋に助かると思ったし、試着しないとサイズ感がわからないというアパレル通販の弱点を克服するどころか、ネット上の何万点もの衣類データを自分の体型の3Dデータと重ね合わせてコーディネートを確認できるようになれば実店舗に対する強烈なアドバンテージになるよなとか想像が膨らんですごくワクワクした。
だけど彼は一度の失敗でZOZO SUITに見切りをつけて辞めてしまった。彼の資金力なら十分やれたと思う。世界を変えるチャンスがあったのにそれを生かさなかった。
アメリカの起業家みたいに、執念深く事業化に突き進めばAmazonのようなITを駆使した革新的な小売業が日本から生まれていたかもしれないのに。
日本の起業家にありがちだけど、おそらく彼も技術に興味がない。俺は技術職なのでそういう経営者の意識が透けて見えてすげー悔しい。自分が彼と同じくらいの資産を持っていれば、間違いなくZOZO SUITをものにしようともがくだろうし、数百億~1000億ともいわれる月旅行の費用を払えるなら、イーロンマスクのように宇宙ベンチャーを自分で立ち上げるだろう。もしくはインターステラテクノロジズやアクセルスぺースといった国内の宇宙ベンチャーにお金を出しているかもしれない。
繰り返しになるけど、彼が世界を変えられたチャンスを諦めたことに失望しているし、有り余る富があるならば、浪費するだけで終わらずに未来のために産業振興を図ってほしいと思うのだ。もっとも、このあたりの不満は孫さんや三木谷さんをはじめとする他の日本の富豪にも思うところである。SoftbankがArmを買収するのに使った3.3兆円があれば政府がやろうとしている半導体業界の振興を自前でできただろう。楽天も球団を買ったり目玉になる外国人選手に大金を積むくらいなら、得意の二番煎じでAWS的なクラウドサービスを立ち上げてればよかったのにとか思う。そうすれば日本政府が使うクラウドサービスに日本企業が選ばれないっていう事態にはなってなかっただろう。(余談だが、中国だとAmazonポジションにあるAlibabaが自前でクラウドサービスやってたりする。)
なんていうか、みんなお金で買って事業を増やすことには関心があっても自前で技術開発して事業を育てることにあまり興味がなさそうなのがすげーもどかしい。富豪の意識がこんなんだから日本からAppleもMicrosoftもIntelも生まれないんだよ。本当にすげー悔しい。
あれもウンコいじって遊ぶのが好きなフォロワー/フォロイーがいるからお前もウンコ好きなんだろっていう理由で機械学習が気を利かせて表示させてただけだと思うんだよなあ。
「トレンドのニュースタブはモーメントを作成しているニュースサイト公式アカウントからキュレーションしていた。朝日とハフポストとBuzzFeedが多かった」
日本人Instagramフォロワー数ランキング2022年12月
1位 渡辺直美 9,897,306人
2位 モモ 9,164,498人(TWICEメンバー。K-POP)
3位 中本悠太 8,774,690人(NCTメンバー。K-POP)
4位 ローラ 8,344,420人
5位 サナ 8,242,789人(TWICEメンバー。K-POP)
6位 水原希子 7,195,430人
7位 ミナ 7,104,670人(TWICEメンバー。K-POP)
8位 Joji 6,742,422人
9位 恋愛ととさん 6,037,434人
10位 大﨑将太郎 5,764,786人(NCTメンバー。K-POP)
K-POP強すぎ
https://anond.hatelabo.jp/20221207221715
わいもや。
逃がさん・・・♥お前だけは・・・♥って思いながらウォッチしてる。
オタク君が失言しても増田やはてなブックマークと違って誰にも相手されないのを見て
「オタク君がイキっていられたのははてなの中だけだったのになあ♥
ざ~こざ~こ♥
って思いながらニコニコしてる。
やっぱりこの発言叩かれるよねー♥
それでもTwitterではオタク君には誰も興味がないんだねー♥
って答え合わせしながらニコニコしてる。
「からかいがいがある」と思って餌に嬉々としてくらいつくピラニアたちの間抜けさを見てる。
「ざーこざーこ♥
本人が書いたのかコピペなのかも見切れないやつがイキってコメントしてる♥
って思いながらニコニコしてる。
リンディ栄養学 (Lindy nutrition) とは、「リンディ効果」と呼ばれる法則に端を発した栄養学。リンディダイエットとも呼ばれる。
古くから受け入れられてきた知識や習慣はそう簡単には途切れないということは、誰しもが経験的に知っている。そこには、長く使われれば使われるほど、つまり長生きすればするほど寿命が伸びていくという一種のパラドックスが生じているわけだが、これを科学的に説明したものがリンディ効果である。
リンディという名称はニューヨークにあるリンディーズという飲食店が元になっている。そこでは、毎晩コメディアンたちが集まり公演したステージの反省会を行っていたのだが、その会話の中でリンディ効果の原型とも言える仮説が生み出されたという。その後、大学教授によって現在の形に洗練されたこの法則は、リンディダイエットの提唱者であるPaul Skallas氏の手によって食事、健康、運動などあらゆる分野に応用され、一種のライフスタイルへと昇華された。
リンディダイエットの根幹にあるのは「時間こそが最も優れた判断基準」という思想であり、時間という試練に耐え、古来から生き延びてきた食生活ほど健康上の利点が保証されるとしている。リンディ効果に照らせば、そのような伝統的な食生活は今後も長きに渡って存続することが予想される。これはSkallas氏によれば、人間の消化器官は昔ながらの食生活に適応しているためであり、人間が慣れ親しんでいない加工食品が消費の中心となった西洋社会では、心臓病や糖尿病の罹患率が高まっているという。そのような訳でSkallas氏は、過去500年以内に発明された食べ物や飲み物を口にしないよう勧めている。
Skallas氏によれば、最もリンディな飲み物の一つには「紅茶」があるという。数千年の起源を持つ紅茶は、「ディープ・リンディ」な飲み物なのだ。一方で、コーヒーについては、「比較的新しいが、400年という時間のふるいにかけられたものであり、恐らく身体にも悪くないでしょう」と語っている。
また、20世紀に発明された紙巻きタバコはリンディではないため、リンディな形で喫煙したい人にはパイプタバコが勧められている。運動についても、現代的なエクササイズマシンではなく、ギリシャ神話に描かれたようなシンプルなウェイトリフティングこそがリンディな運動の仕方である。Skallas氏によれば、「ボディビルカルチャーは近代によって生み出されたグロテスクなサブカルチャー」であり、「運動の目的は筋肉増強ではなく、体の中で関わり合っている様々な仕組みの調整にある」のだという。
Skallas氏は、ヨガについても懐疑的な目を向けている。というのも、現代のアメリカ人が行っているヨガは20世紀に発明されたものだからだ。「ヨガは体に良いのか悪いのか、それはわかりません」「リンディは『それをするな』とは言わない。『何が起こるかわからない』と言うのです」
「ビデオゲームは?」
「リンディではないですね」
「大人のおもちゃは?」
「あちこちで犯罪を犯したり虐待する金持ち?とてもリンディです!」
エプスタインの例が示すように、リンディは道徳的な基準を内包しない。それが良いものであれ悪いものであれ、古来から連綿と続いてきたという事実には重要な本質が隠されているということをリンディは教えてくれるのだ。「人間の本質は変わりません」「古代の人々は人間の身体や行動について深く研究していましたが、それらは今でも有用です」
リンディ・ドリンクやリンディ・エクササイズなど様々な造語を作ってきたSkallas氏だが、隔離生活の閉塞感から逃れるために考案した「リンディ・ウォーク」は、中でも最も注目を集めていると言えるかもしれない。
「基本的にはただ散歩するという意味です」とSkallas氏は語る。「でも、多くの古代文化でも散歩は重要な伝統として扱われているでしょう。例えばキリスト教には『安息日の道のり』があります。ギリシャではヴォルタと呼ばれていて、イタリアにも同様の文化がある。これはただ歩くという目的のために歩いているだけなんです」
リンディ・ウォークでは、A地点からB地点へ真っ直ぐ向かうのではなく、目的地を決めず、手当たり次第に曲がることで心を刺激することが推奨されている。「歩いていたら面白いことが起きました。アイデアの波が次々と押し寄せてきたんです。考えようとしたわけでも何かを思いつこうとしたでもないのに、ただ現れてきた。魔法みたいにね」
現在ではSNSを中心にカルトな人気を集めており、大勢の人がリンディ・ウォークの最中に撮った写真をシェアしている。また、Skallas氏のツイッターアカウントも5万人を超えるフォロワーを擁しており、リンディの人気の高さが窺える。
Skallas氏は、リンディが人気を博した一因にはパンデミックの影響があったと推察している。氏によれば、これまで私たちは、人間を「不可侵の存在」だと捉えて楽観視していたところがあったのではないかという。しかし、パンデミックによって歴史上の出来事に過ぎなかった古代の大規模な危機が生じたことで、世界に対する人々の認識が一変。隔離生活の中で「欠乏」について考えるようになり、「人生において本当に必要なものはなにか」と自問するようになったことから、リンディに関心が集まったのではないかとしている。(ちなみに、500年前にも人々はマスクを付けていたことから、パンデミックも「ディープ・リンディ」なんだとか)
https://note.com/kazuto0606/n/n63d69a1b296b
正直言って、今すぐにでも全部やめてほしい。税金が若年被害女性の支援につかわれているならまだわかるが、秋葉原とお茶の水の間といった立地の一軒家で、女性がアロマや英語、音楽でゆっくりするのに使うのは、正直言って間違っていると思う。それは自分のお金でやってくれ。
若年被害女性の相談において、アイスブレイクとしてアロマみたいなフックを否定はしないけど、そんなことを相談件数としてカウントするのは、誰がどう考えても、水増しと言ってもいいことだと思う。
いや、あのさあ…・・・。この人絶対その手の支援活動やったことないだろ・・・。
他にもこういう人いるんだけど
「話題の暇空茜に便乗していいねを稼ぎたい」とかじゃなくて「暇空茜さんの活動が正しいと思ってるから応援したい」という気持ちでやってるなら黙ってたほうがいい。暇空茜さんは乱暴に見えて割と頭使って賢く立ち回ってるわけ。この人みたいに考えなしにデータ掘って、そのメッセージがどういう意味を持つかも考えずに騒ぎ立ててるわけじゃないの。そういうのを台無しにする行為をしてるわ。こういう人は黙って暇空茜さんのツイートをRTだけやってればいい。
だいたいこの手の活動ってツイフェミの方々やオープンレターもそうだったけど「自分がちやほやされたい」欲を抑えられない無能な味方が原因で崩壊するよね……。
私の知り合いのフォロワーさんも今この状態になっててうんざりしてる。
暇空茜さんの話題に便乗していいねもらったりフォロワー増えてもそのフォロワーはあなたのことどうでもいいと思ってる野次馬じゃん。定着しないじゃん…。何年SNSをやってるんですか。いまだにそんな計算もできないんですかと悲しい気持ちになる。自分自身が持ってるものが話題に関連するならともかく、話題を追っかけて後追いでRTとかやっても意味ないんだよ。どうしてそういうことがわからないんだろう。人参ぶら下げられた馬じゃなくてせめて人間としての矜持を取り戻しておくれ‥。偉そうなことをいってはてな村を飛び出したくせに、結局はてなブックマークやはてなスターを欲しがってたころからまるで成長していない…
話題に便乗してはてブとかいいねもらっても自分自身が提供できる何らかの価値がないなら何の意味もないんだよ。
一生けん命Colaboの話題に関するツイートRTしまくった結果自分は何が得られるのか、他の人に何の役に立ってるのかもうちょっと考えてくれ。頼むよ。
※TRPGと題していますが、正確にはクトゥルフ神話TPRGです。
胸糞の悪い話です。
もう終わったことなので、抱えていたくないので吐こうと思いました。
身バレの可能性もありますけど、今となってはバレた所で何も失うものがないのでいいです。
私が言いたいのは、
同卓者の「大丈夫」を信用するな
これです。
この日程大丈夫ですか?って聞いても、大概の人は大丈夫です!とかこの日なら大丈夫です!とか返すでしょう。
ここで、本当かな?って考えたことはある人はどれだけいるんでしょうか?
知らないのに長期日程を組むんですか。土日を卓で埋めるんですか。本人が平気だと言ったから?
みてみてこのバカ日程とか、愚かだ~ってTwitterで笑ってる場合じゃないですよ。
私の恋人だった人(以下Aとします)も、各方面に大丈夫と言いながら月のカレンダーに卓予定をびっしりと書き込んでいました。
実際大丈夫じゃありませんでした。
しかし診察の予約はおろか、だんだん検査のための通院までサボるようになりました。
もう一度予約を取るように頼み込んでも、だって卓が近いから。表情差分が揃ってないから。どうせ今回の結果も変わらないだろうし。といった調子です。
飼っていた猫の世話はおろか、ドアを閉め切って一瞥もしない日が多くなりました。
むかしは天職だといって意欲的に働けていた仕事も、ほとんど出勤もしなくなり、リモートで働いているように見せかけて、居眠りしていた姿を何回も見ました。
どんなに大変な事態が起こっても、今後の卓のリスケのことしか心配していない様子に、何度ぞっとしたか数え切れません。
そうこうしている内に、家庭内別居のような生活が続き、だんだんAと私は険悪な関係になりました。
ただそこにあるのは、卓予定調整、立ち絵ディスプレイ準備、卓本番、感想戦、ふせったーの投げ合い、FA量産、うちよそのリプ合戦。
Aの1日は、それだけになっていました。
生活が荒めば荒むほど、AのTwitterはキラキラと充実し、いいねもフォロワーも着々と増えていきました。
それしか居場所が、楽しみがないから、依存してのめりこむ。悪循環です。
でも止められない。そうこうしている内に周囲はチヤホヤ囲い込んで引きずり込んでいく。
同居者の私の事は一切省みずに、通話でうちよそ恋愛RPをして騒ぐのを耳にしながら耐えるしかない日々。
いつか一緒に回った思い出のシナリオも別のうちよそ相手に回すようになり、仲良かったPCを改変してまで他フォロワーのPCとくっつけたり、
一緒に回ったとある4PLシナリオで、私と同じHOだった別卓のフォロワーのPCを、このHOにおいて最高のPCだと褒めたり、
珍しく嬉しそうに話しかけてくれたと思ったら、自陣やうちよその自慢話、卓での武勇伝、表で出せない同卓への愚痴、悪口、お気持ち。
私にとっては地獄でした。
ただただつらかった。気が狂いそうでした。
いや、実際Aがうちよそで結婚シナリオ回ってた時は怒りで狂い死ぬかと思いました。
こんな背景を知っていたら卓に誘えますか?
恐ろしいことにこんな状況の人でも、まともに卓だけは出来るみたいなんですよ。すべてを犠牲にしているから。
同卓者には朗らかで愛想良く振舞いますが、同居者には思いやりのかけらもない態度ばかりです。
参加するかは個人の自由、個人の責任。揉めるのは家庭の問題。と言ってしまえばそこまでの話でしょう。
ただ、Aはどちらかというと身内の輪の中で卓を回すタイプでしたので、卓にはいつも似たようなメンバーが参加していました。
だから、私は誘った誘われた同卓相手についてどうしても物申したい気持ちがあるんです。
なんで大丈夫だと思ったんですか?
同卓は悪くないじゃん?と思った方は、TRPGをそのまま煙草とか酒とかギャンブルに置き換えて考えてみてください。
卓を重ねてどんどんおかしくなっていく恋人を、どんな気持ちで支えていたか分かりますか。
心配をよそに毎日のようにお祭り騒ぎをしているのを見るのが辛くて、誰にも相談出来なくて。当時は私も心身の調子を崩し、輪を抜けて卓を引退しました。
再三言いますが、
卓予定を立てるのをやめてください。少なくともゆとりのある日程を立てるようにしてください。
卓を詰め込んでいる人間が、まともな生活送れるわけがないという前提で疑ってください。
ただ拘束時間が長すぎるんです。真面目にやろうとすればするほど、特に働いている人間にとっては致命的です。
その人と一緒に住む人たちは卓参加を歓迎していますか?聞いてみてください。
ひょっとしたら知らない所で誰かから激しい憎しみを向けられているかもしれないです。
私たちの生活はすっかりAの卓予定を中心に回るようになり、卓のない日もAには卓準備あるいは感想文FA作り等があるせいで、二人で今日は何しようか?と考える日なんてありませんでした。
Aの中ではすっかり、卓のある日は楽しい日、無い日は楽しくない日となっていたらしいです。
プロポーズの可能性なんて夢のまた夢、どちらからともなく結婚に関した話題を避けるようになりました。本当に冷めた関係になりました。
卓参加を引き止めるのは難しいんです。
本人が納得できるように説得して止めるのは、本当に、本当に難しいことなんです。
ですが、TPRGというものは私生活も体調も、人間関係も、いともあっさり簡単に壊します。
誘われる側も、もっと考えてください。自分さえよければいいという考えをいますぐ捨ててください。
一緒に暮らす人間の私生活も、削って捧げていることにどうか気付いてください。
迷惑なんです。
Aと私の同居を知っていても、うちよそを組んで毎週のようにタイマンシナリオを回して、卓でもTwitterでもいちゃつきまくってたあの人。
人数が足りないけどいける?と突然卓をねじ込んできたあの人。
Aさんの絵最高~!もっと見たい!という風におだててFAを催促しても、自分からは一切描かなかったあの人。
許せない人ばかりです。
一緒に過ごす時間を、卓よりも楽しいとAに感じさせることが出来なかった。
何より本人が楽しいと心から喜んで、夢中になっているものを、取り上げることなんて、ついに出来ませんでした。
当時のことを思い出すと、今でも悔し涙が出ます。
ただ、卓さえなければ。
卓さえなければ、もっと幸せになれたのにという思いにこれからも苦しめられるんだと思うと、最悪です。
かれこれずっと長い付き合いで、この先だっていくらでも一緒に暮らせると思ってたんです。TRPGにハマる前は。
積み上げてきた年数よりも遥かに短い期間のうちに、笑えるほど全てが壊れました。
卓で埋まった生活が続いた後、Aは入院しました。それをきっかけに色々と揉めた結果、別れるに至りました。
向こうの主張としては、人の唯一の楽しみを奪って思い通りにコントロールしようとしているのが気に入らなかったと。
個人の楽しみや趣味を一方的に否定して、奪うのは間違い。それも当然だと思う。
しかし、それは周囲に迷惑をかけず、やるべきことをこなし、自分で自分を支えている人だけが主張出来ることではないか?
コントロールされるされないの話じゃない。そっちが自分で自分の欲望をコントロールすることが出来てないから私は困っているんだ。
TRPGにはまるのは自由だけど、何よりも優先度を高くして、他を蔑ろにするのはおかしいんじゃないか。
そんな調子で話してみても、結局は最後まで分かり合えず、平行線のままでした。無駄な努力でした。
資金が貯まったら結婚式しようと話していたのに。もう何も考えられなくなって、自分の家族にも事情を正直に説明できませんでした。
別れる際に猫についても散々争いましたが、世話を放棄して卓で大笑いしていたような人に任せたくない一心で私が引き取りました。
今現在もとっても元気で、とってもかわいいです。人の諍いに巻き込んでしまって、申し訳ない。
結局Aはアカウントを消し、残った別垢も鍵垢なのでもう私には何も分かりません。(消すに至った理由は他にもありますが長くなるので割愛します)
あの頃あんなに仲良くべったりだった卓仲間たちも、どうやら今現在はAと全然関りがないみたいです。
Aが消えて少し経ちますが、その人たちはすっかり平常運転に戻って、くる日もくる日も別のTRPG仲間と卓報告をあげていたので、モヤっときて日記にしました。
そういえばあの人たち、私が卓引退した時もろくに反応なかったですね~。
楽しい話題に溢れ、何事もなかったようなTLを眺めていると、自分たちの苦しい日々は何だったんだろうとただただ虚しくなりました。残酷ですね。
あの人たちも何かを削って卓を続けているんでしょうか。
そこまでして遊び続ける意味が分からない。何もかもすり減らす趣味なんてろくでもない。
もう、いい加減にしたらどうですか。
結局何も残らなかったし、何にもならなかった。Aが積み上げてきたものも、仲間も、全部虚像だったんです。
責めても仕方がないことに対して嘆きたい気持ちばかりが渦巻いています。
どうか、こんな思いをする人がいなくなるように願うばかりです。
誰もかれも楽しく遊びたかっただけ。どこにも悪意なんてなかったと思います。それでも地獄は生まれました。
あのとき私は、どうしようもない怒りをどこに向ければよかったんでしょうか。
《追記》
まさかこんなに拡散していただけるなんて思ってもいませんでした。冷や汗が止まりません。
数々の反応、ご意見、ほんとうにありがとうございます。
私も視野が狭かったですし、ずいぶん身勝手な主張をしてしまった自覚はあります。一つ一つ反応を読みながら、勉強させていただいております。
私のような人がこれ以上生まれずに、皆さんがトラブル無く楽しい卓生活を送っていただけたら何よりの本望です。
最後に追加で吐かせてください。
Aへ
ずっと心から愛していました。
ひどい人間でごめんなさい。
Twitterでフォローしてる相互フォロワーが見ててきつい。キツすぎる。
相互フォロワー(以下Sとする)は30代に突入した女オタクだ。個人的には30代の女と言ったら結婚したり、結婚しなかったとしても年相応の言動で人付き合いをするものだと思っていた。
だがSは違った。アラサーになっても「自分は幼女だ。アイドルだ。」とネタなのだろうが自称を続け、いきなりにゃーにゃーと猫の真似事を始める。挙句の果てに私服は幼稚園児〜小学校低学年の女の子が着ていそうなふりっふりのロリータ服をすっぴんメガネで身につけている。正直イタいしダサい。
一応自分の服装が年相応では無いことは自覚しているらしく、好きな服を着せろ!人の服に文句をつけるな。と特に批判もされていないのに勝手にキレている。
好きな服を着せろ!と言う割には年相応のファッションをしだした同年代には社会のレールから外れられない人 とか高校生のファッションには攻めすぎてる。ダサいなどという高い棚をお持ちなご様子。自分がそう言われるとブチギレるのになんともまあ都合のいい年上だと思う。
100歩譲って服装は目をつぶろう。ただ腹が出ている肥満体、脱色しっぱなしのパサパサの髪を漫画に出てくるツインテキャラのように高い位置で結んでいるくせにノーメイク、眉毛も整えてない人間がフリフリの服を着るのは見るに堪えない拷問である事を知らないのだろうか。
しかもSは何年も前のインターネットに取り残されているのか「((」とか「←」とか「(おい)」などを今も乱用している。私も昔はセルフツッコミしていた人間なので自分の黒歴史を常時抉られているようで気分は良くない。
実際に会った知り合い曰く「自分で喋ったことに自分でツッコミを早口で入れてる。ネットの話し方そのままだった」との事だった。
そんなSに「今度遊ぼうよ!」なんて言われたけれど考えてみてほしい。
肥満体のフリフリファッション。ノーメイクメガネツインテの言動が悪い女オタクの人間と遊ぶくらいなら一人で遊んでる方がマシだ。
「女性の権利を守る私達がこんなに攻撃されてるんです!!」ってアレだけぶち上げればそりゃ寄付増えるよ。
Colaboに寄付してるような人たちは暇空側の意見なんてまともに見るわけがない。
あれだけ左派にとって豪華なメンバーが揃ってデマだって切り捨ててるんだからそりゃ信じるでしょ。
身内の結束が固まって寄付が増えれば東京都の助成金なんて無くても大丈夫なんでしょうね。
一方で暇空もフォロワーが増えてYoutubeの再生回数も増えて暇つぶしになって良かったねという感じだし。
プロレスとまでは言わないけどお互いにとって良い事ずくめなのでは。
結局、あの人らが大騒ぎして会見した結果は週末までネットウォッチャーから政治クラスタから法クラまでColaboに言及することになって
特に最悪だったのが正義マン神原元の「リーガルハラスメント」を弁護士が一般人に向けて言う大失言で
法クラやネットウォッチャーといったフォロワーが多く影響力があるけど、Colabo問題から一歩引いて見ていた人にまで大きなインパクトを与えてしまった。
結局は大バズワードをきっかけにColabo問題自体が大きく拡散されて都議まで動き出す自体になったようだ。
ただでさえ注目度が高いのに、燃やしたい暇空は反論をすぐに出してColaboも再反論と
燃料を新たに追加することに余念がない始末。
炎上が大炎上になる王道を行ってて笑っちゃうよね。弁護団7人もいるのに何考えてるんだろうね。
以前BL同人誌なんて女しか買いに来ないでしょと思って同人イベントにサークルとして初参加したんだが、結構男も買いに来てビビった。
ゲイなのか腐男子なのか知らないが3割くらいは男だったかもしれない。自分の作品の内容が筋肉受けで男性向け表現多め(♡濁点喘ぎ、断面図、結腸責めなど)だったからかもしれないが、それにしてもちょっとギョッとした。今まではネット上ではフォロワーみんな女性だと思って思う存分エロ話をしてたのに、これからは好き勝手話せないなぁとも思った。昔は男お断りなサークルもあったらしいし、今のように男だろうとBLを楽しめるのは良いことなのかもしれない。ただ個人的にBLは男の目を気にせずに女性同士で性癖やら下ネタやらを自由に話せるという、いわゆる男社会からの解放が良さだと思うので、なんか今の男でもBLを読んでいいみたいなジェンダーレスな風潮がちょっと苦手だ。
あと自分は遭遇しなかったが、男の買い専の中には転売ヤーやセクハラ男もいるらしい。転売ヤーはともかくセクハラとはなんだ?と思ったが、どうやらエロい作品を描いている女性作家に粘着しているらしく、BLでも男性向けほどではないにしろそういう輩がいるらしい。怖っ!!
こういうのもあって女性専用の即売会があれば安心して参加できるのにと思ってしまった。こういうことを書くと「男性差別なんですが!?」って発狂するアンフェ男や「私は男に読んでもらえるの嬉しいけど?」みたいなアンフェ姫が湧いてきそうだな…。別に男も男で男専用の即売会でもやればいいと思うんだが。
理解ある彼くん・パパくんの登場をお待ちいただくか、本人が変わる気になるまでどーにも出来ないが、
特別美人・かわいいワケではなくて、そこそこ接客と勤怠そこそこしっかりしてる人なら、コミュ障だらけのITで無双出来るぞ
本業ではなく副業でやってるわけわかんね〜ヤツのレベルの収入なら速攻でITが上回るようになると思うよ
未経験でも売り方間違えなきゃ400万以上狙えるし、将来的には600〜1000万全然狙えるで
セックスが好きで好きで仕方なくて天職だと思っているわけで無いなら、無駄に自尊心削られるだけだしすぐにおやめなさい
例によって例のごとくメンヘラってるみたいなのでどこまでお話本当か知らんが(メンヘラ営業だったりして)、
最近転職したフォロワーが「働き始めてまだ1週間なのに、会社の人に『もう慣れた?』と聞かれて困る、慣れたわけないじゃん」「そういうことを聞く人は私が本当に慣れたかどうかを知りたいわけじゃなくて、新人にいろいろ世話を焼いてる自分の努力が報われたかどうかを確認したいだけだから、『よくしていただいてありがたいと思っています』と曖昧に答えるようにしている」と言っていて、人の善意の質問をそんな曲解して捉えるなんて意地悪だなと思った。だいたい転職してから新しい環境に慣れるまでの時間なんて人それぞれなんだから「1週間で慣れるわけない」って人類普遍の真理みたいに言い切られても。慣れる人もおるやろ。この人は普段から非常に人権意識が高く、デモに参加したりホームレス支援団体に寄付したりしていて、それ自体は素晴らしいことだけど、一方でこういう底意地の悪いところもある(でも自分に性格の悪い側面もあるなんて思ってもいないと思う。だいたい人権意識高い人たちは概して自分の加害性に無頓着)。人間って不思議。
悩んでる話をしようとしたことがあるのを思い出した。
話し始めると、いきなり初対面の人に理不尽にきついことを言われた。「グジグジうるせー」的な感じだ。
しかしフォロワー数とか信頼のタイムライン的蓄積のないチャットというサービスの中では、
単に声が大きくて言い切るやつが幅を利かしがちだったのだろう、やたら雄弁で
「なんかあった?」なんて言う人に「うるさい虫を叩いた」なんて言って心配してくれるムードを一変させた。
今考えれば、典型的なネット弁慶みたいなタイプだったのだろうが、そんなふうに相対的に物事を見れなかった。
当時は10代とかだった。とてもいやな空気になって、出てしまった。
ただ、結構チャットにはまっていて、何時間も話したことがあったが、いやな人ばかりではなかったと思う。
だが、こういう高圧的な人が何の根拠もなく支配的になれるインターフェースだから、様々な選択肢ができた今となっては、廃れたのもわかる。
高校生の時、同じクラスの友達にイラストがプロ並みに上手い子がいた。
親友だった私以外にその子が絵を書ける事を知ってる人はいなかった。
当時の私はイラストレーターになりたいワナビーだったものの、色々コンテストやらなんやらに絵を送っても鳴かず飛ばずで
病んでた時期だったので、絵がとんでもなく上手に書けるのにろくに人に見せない親友に対して内心僻んでいたりした。
ある時、出来心でSNSにアカウントを作り、親友の絵を自分流に微妙に表情や細部を変えただけのアレンジした絵を上げてみたら、まさかのたった数日でフォロワーが4000人を超えた。
アホな私は大勢が私をフォローして絵師として慕ってくれた事にすっかり舞い上がって、その後もいけしゃあしゃあと絵師のフリをしてフォロワーや他の絵師と交流したり、
私のファンだと言ってくれる人に特別にリクエストを受けて(実際には友人にリクエストして書いてもらった絵のアレンジ)絵を送ったりしていた。
そんな馬鹿な事を暫く続けていたけど、所詮人の絵をパクってただけの自分は
高校を卒業して親友と違う大学に行くようになってからは絵を頻繁に上げられなくなってしまった。
表向きはフォロワーや他の絵師仲間(と呼ぶのも今となってはあれだけど)には「仕事するようになって忙しくて絵が描けない」という事にしていたが、
親友と会って絵を描いて貰えるタイミングが物理的に減ったので、更新もまちまちになっていたのだが
そんな中その親友が私に「実は最近、絵に自信がついてきたので絵をブログで公開した」と報告してきた。
親友は私よりネットに疎かった事もあって、卒業後も私のしている事に気付いてはいなかったのだが、
絵をブログに上げられたら恐らく私のしていた事が近い内にバレるだろうと思ってこっそり謝罪文の準備をしていた。
親友のブログは私のイラストからのパクリを指摘する声と暴言コメントでいっぱいになっていて、私宛にも親友の事をパクリとして報告してくるDMや連絡が相次いでいた。
確かにネットに先にイラストを上げていたのは私だったので、傍から見たら界隈ではそれなりの絵師となっていた私の絵を、
親友が後からパクってブログに上げだした様にしか見えなかったんだと思う。
私が慌てて自分の方が親友の絵をトレースした事を書いた謝罪文を上げようとしていた矢先に、友人は既にブログを閉鎖してしまった。
流石にそんな事態になって本当に馬鹿だと思うけど、今更過ぎる罪悪感でこんな事を続けてはいけないと本気で思ったので、
私も「こんな事になったのは自分が悪い」と責任を取る様な形でSNSアカウントやネット上に上げていた絵を全て消して、引退した。
その後、親友に何度も本当の事を伝えようとしたものの、親友と連絡が取れなかったりその内引っ越した事を人伝手で聞いたりで、言うタイミングがないまま完全に疎遠になってしまった。