はてなキーワード: 自己分析とは
http://anond.hatelabo.jp/20170125191935
これを読んだ雑感。少々長いので要点だけという人は「学歴教の信者として」という小見出しから読んでもらいたい。
俺は山の上の村落で育った田舎者で、最終学歴は高卒。家から徒歩15分のところにある商業高校を卒業した。つまりこの増田の言っている田舎高卒に当てはまる人間だ。
率直に言うと、底辺呼ばわりには腹が立った。なんとかしてこの増田に反論を書いてやろうと思って昨日は色々調べたりした。しかし、増田の言っていることは大筋では正論で、この調査は徒労に終わった。
そりゃそうだよな。大卒と比べられちゃ高卒なんて屁の突っ張りにもならない存在だよな。底辺であることを受け入れるしかないよな。そんな諦観が胸を占めた。
でも、どこかに引っ掛かりがあった。確かにデータでは高卒は経済的弱者で社会的弱者だ。大卒には背伸びしたって勝てっこない。増田の言う通りかわいそうな存在なんだろう。しかしどこか納得がいかなかった。このもやもやした感じは、増田を何遍読んでも、自分の状況を何遍顧みても、消えなかった。
ぐるぐる考え続けて俺が行き着いた答えはなんとも陳腐なものだった。自尊心を傷つけられたから呻いていた、ただそれだけだ。高尚な思想なんてものはありゃしない。犬に食わせておけばいいようなプライドと大卒者への劣等感で疼いていただけだ。
悲しいかな、俺は底辺なのにそれを心底では受け入れられずに必死で抵抗していたのだ。そんな不名誉な称号を貼ってくれるな! 俺をかわいそうがるな! 俺を不幸な人間だと言うのはやめろ! 俺は胸底でそう叫んでいたのだ。
この自己分析を進めるうちに俺は俺の醜い部分を再認識させられた。俺はなんてみみっちい人間なのだろう、事実を事実として受け入れられないなんて。自己嫌悪に陥って俺は頭を抱えた。苦しさ、悲しさ、悔しさ、それらで一杯だった。
俺は頭を上げてパソコンの画面を見た。俺を散々悩ませる原因となった増田が目に入った。俺はそれをもう一度読んでみることにした。読み進めていくうちに、前述したもやもやが、自尊心だけでは説明し切れなかった部分が晴れはじめた。読み終わったとき、俺は一つのことに気が付いた。すごく当たり前でつまらないことかもしれないが、俺にとっては重要な気付きだった。それは俺が増田の言うことを丸っきり盲信しているということだ。
増田の文章には大きなポイントがあった。それはこの部分である。
事実、田舎高卒は東京大卒に経済力でも社会的立場でも劣る。しかし、確証されていないものが一つある。それはこの引用文で言及されている「幸福さ」である。
増田も俺も東京大卒が属している世界は幸福であるという無条件の信仰があった。引用文から増田が学歴と幸福さを結び付けて考えているのは明らかだ。たしかに東京大卒の給与は多く、社会的身分も高い。しかしそれが幸福につながっているのかは疑わなければならない点だろう。
果たして本当に田舎高卒は東京大卒よりも不幸なのだろうか? 田舎高卒の幸福は東京大卒の幸福よりも程度の低いものなのだろうか? 俺の学歴信仰にひびが入りはじめた。
幸福は数量化できないし、ましてや比較してどちらがより多いとか、より質が高いとか、言うことはできない。そのような方法を人類は持っていない。そうであれば田舎高卒が低級な幸福しか味わえず、東京大卒が高級な幸福を味わえるなんて意味の断定はできないし、するべきじゃない。
最後に俺の私生活で起きた変化から学歴と幸福について書くことで終わりとしたい。
今年、つまり2017年に俺の姉が出産をした。生まれたのは女の子だ。入院から数日して姉が実家に帰省してきた。出産して数日は実家に帰るのが常識だそうだ。初耳だ。
俺は求職中だったので、ほとんどの時間を家で過ごしていた。そこで姉と姉の子の様子を長い時間見ることができた。姉は授乳、オムツ替え、赤ちゃんの入浴など、甲斐甲斐しく世話をしていた。それは以前の姉を知っている俺からしたらなかなかの驚きであった。
昔の姉は子供が嫌いだった。そんな姉が子を産み、そして育てている。しかも愛おしそうに。夜中に赤ちゃんの泣き声で起こされても嫌な顔一つせずあやしている。俺はその姿を見て、本当に姉は幸福なのだと感じた。
姉も姉の夫も高卒だ。大学には行っていない。それでも幸福そうである。俺は彼女らの幸福が階級分けされて、なおかつ下級なものに分類されるとは思わない。大学に行かなかったからといって幸福を得損なっているとも思わない。
もちろん、東京大卒の幸福も見下してはいない。中央省庁や大企業で成果を上げる幸福もあれば、田舎で静かに子育てをする幸福もあるだろう。人間の幸福はそれぞれであり、等しく価値あるものであろう。人類が幸福を数量化し、比較する方法を得たときに増田が当たっているか、間違っているかが分かるが、その方法がない今はそう考えるのが妥当ではないだろうか。
紅白を見ててふと思い至った。
メンバーが48人(それ以上?)もいて、その皆が同時に狭いところで同じダンスをしている姿が好きになれないからだ。
なぜその姿が好きになれないのか? あまりに沢山の人が密集していて気持ち悪いからか?
そのあたりはちょっと頼りない自己分析でしかないけど、とにかく沢山いてそれが歌って踊ってしてるのが嫌なわけだ。
清楚なメイクをしたまゆゆは好きだし、ぱるるの困り眉はたまらないと思うし、今度引退してしまうななみんの美しさは画像を何枚保存してももの足りないくらい。
たくさん居てその中から好みの子が絶対見つかるっていうコンセプトはいいけど、歌って踊るのはもう少し少人数にしてくれないかなあ。
なるほど。ありがとう。ある程度わかった。
女の代表ヅラして性欲について語るのが気持ち悪いのだろうね、きっと。
一応念押ししておくけれど、匿名でもなければ性欲についてなんて語りませんよ。
でも、性欲をキモチワルイものとして忌避する人は私から見ると辛そうだ。理性的なつもりかもしれんけれど、単に怖がってるだけでしょ?って思う。
自分の性欲もパートナーの性欲もキモチワルクなんかないよ。パートナーでない人から性的な目線で見られることを表明されるのは嫌だけど、表明しないで影でやってくれるだけだったらそんなに怖くないというか、仕方ない。それこそ理性で対処する範囲。
でも重ねて言うけど、匿名でもなければこんなことは言わない。だから、匿名でも言えない人からすると、とても気持ち悪く見えるのは理解した。
自分も遅刻魔で、他人を苦しめて自分も苦しめてきたから分かる。
私の場合だけど…考え得る原因はいくつかみつけたので紹介する。
まず私の症状は、昔からギリギリだったけどとくに大学時代は遅刻欠席常習犯だった。しかし遊びなどは間に合うことが多かった。
社会人の今は、ふたたびギリギリながらセーフを保っているタイプだ。
それから、遅刻癖が顕著なのは家から出るのだけで、出先から別の場所へ移動するときはとくに問題なかった。
●慢性的な罪悪感
他のトラバにも挙がっていたが、自己肯定感が低く、無意識下で罪悪感を感じていたい欲求を抱えている。
●愛情の試し行動
それから、低い自己肯定感ゆえに、「こんな自分でもほんとに付き合ってくれるかな?」と試し行動をしてしまう。これは何度も許してくれる友達に対してやりがち。
●怒りの試し行動
幼い頃のことをよーく思い出してみた結果、数年の長期間にわたり自分の時間を意図的に奪われ続けた経験があった。
それに対して無意識の怒りをずっと抱えて生きていて、持て余した結果、自ら遅刻をすることで他者の反応を見たがってしまっている。無意識に。
この気がある人は、最短時間で計算してしまうらしい。たしかに…
私は効率を考えてるつもりで、最短でいけば家に何時までいられるという計算で考えてるし、支度が早くできないので結局おそくなる。
既に間に合わない時間を越えるとき、それから今まさに待たせているとき、強烈な絶望感におそわれる。
こんなクズで私どうなっちゃうの?!しね!!みたいな考えを至って真面目に行ってしまう。負の感情におぼれ、自分の魂に自分で傷をつける感覚がある。
それはそれで、スリリングで、たしかに自分は生きてるんだという感覚を伴う。
たまに普通に早く行くと周囲に驚かれるのも、普段の自分の行いを攻められる気がしてしまいまたギリor遅刻に戻ってしまった。
遅刻をすれば、周囲の冷ややかな視線を浴びることになるが、そうして「やっぱり私はクズなのだ…」と再確認する作業は自分に必要なものであるきがして、もはや日課になってしまった。
とにかく、このセルフイメージを無理矢理にでもかえるしかない。
私による私のための分析に寄れば、アダルトチルドレン的な要素を持つ私は「不成功防衛」に囚われていて、遅刻癖もその一つなのだと思う。
なぜ遅刻をするのか。
遅刻をすることで、直接的間接的に何かしらのメリットが、ほんの少しでも生じているからだ。
遅刻癖は、「クズで欠陥のある私」のセルフイメージを保つのに役立つ。
たとえば親と共依存関係にあるばあい、自立しないことは大いなる貢献につながる。
そして周囲から過度な期待をかけられることもなくなり、後からがっかりさせて傷つくより先にわざと裏切っておけば、自分は傷つかないはずである。
こんな感じな考えに、実は囚われていたことにきがついた。
対処法はよくわからないが、とにかくおもいつく限りの無意識をひっぱりだして、一つ一つのエピソードに泣いたり怒ったりして向き合って、自分は世界でただ一人の生きた人間であることを自覚するということがいま一番効果があった。
何言ってるんだといわれそうだが、いままでどこか他人事で、自分はどこにもいなかったから傷つこうが傷つけようがかまわなかったのかもしれない。
恋をしている女性が光って見える、と考えている男子大学生が、光の正体を探りつつ恋とは何かについて考えていく話
自分には合わなかった
端的に言えばつまらなかった
キャラがあまりにもみんな理性的で自己分析できていすぎて、優等生すぎるのが大きい
ドラマがない
理屈っぽいキャラが二人いるせいだけど、文字がやたら多くてこれ漫画である意味ねーじゃんって感じ
とりあえず全部読んだけど、驚くほど話が進んでなくてびっくりする
だらだらだらだら起伏なく続いてる感じ
なんで打ち切られずにこんな続いてるのかわからん
続き出たのたまたま見つけたら読むかも(とりあえず光の正体は気になるから)だけど、積極的に続きを待ち遠しく待つ漫画ではない
高校時代からプログラミングに興味を持ち、ショボいCGIなんかを書いていた。
んで、大学時代はバイトと学業に勤しんでいた(情報科には行かなかった)。
就活は自己分析してやっぱり自分はITだね!とか思ってSIerになった。
Ajax、関数型言語、クラウド、モバイル、統計、機械学習色んなトレンドが来たが、自分で何かをやろうとしたことはほぼなかった。
やろうとしたが、マシンスペックがしょぼいと言って何もしなかったり、失敗したり、身につかなかった。
致命的だったのは何かを作ろうという意欲が自分には全くなかった。あんなツールがあったら便利だなとか、こんなサービスがあったら楽しそうだとかという気持ちがまったくなかった。
人見知りの性格と、何も作れていない自分が惨めでSNSにも勉強会にも参加できなかった。
この10年、仕事でやっていたプログラミングの技術は少しは向上したけど、ただそれだけだった。
娘との付き合いでハピチャから観始めた父親だが、正直なところ、ネット実況をしてる大友みたいな、ストーリーに真面目に入り込むような観方はついていけない。
(いや、ゴープリのゆいちゃん&シャット回とかは良かったけどね。でもあの展開は大人向けの演出で、幼児には別に要らんと思う。実際娘はなんもわかってなかったし)
「プリキュア・メモリ」を一見して虜になり、youtubeで他プリキュアのEDやオールスターズのダンス映像を漁りまくった。
どれも良いが、あえて言うなら「ハートキャッチパラダイス」と「夢は未来への道」が特にお気に入りだ。
実際、アイドルのPVやアイカツのダンス映像とかは、観てもピンとくるものはない。
(細かくいうと、数年前紅白でももいろクローバーZが出てたのを観たとき、あのパフォーマンスはいいな、とは思った)
そうではなくて、なぜかプリキュアというコンセプトで繰り広げる歌と踊りのショーが、自分の琴線にビンビンくるらしい。
亡母が宝塚ファンで、けっこう舞台に連れてってもらったり、ビデオを一緒に観たりしてたので、その延長なのかもしれない。
娘は今はまだ毎週プリキュアを楽しんで観てるが、たぶん次回作の辺りで卒業だろう。来春のドリームスターズくらいまでは何とか一緒に観に行けるかもしれないが。
ミュージカルショーを観に行けなくなるのが残念だ。
下手に自己分析とかし始めると
と無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしまう可能性もあるよ。
まあ自分のことだけどね。
ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代、全然顔は似てないよ)で、
大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。
教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。
親から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。
進研ゼミを暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル。
学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?
本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。
だから2年生の2学期からはテスト対策だけはそれなりにするようになった。
それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的な指標だった。
提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。
三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。
自分の決めたあの偏差値のラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。
それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。
その時はそうとしか思えなかった。
なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ。
そんな人間が努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。
そんな風に考えていた。
俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。
勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校に合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。
高校受験で自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快な体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力で情緒不安定な鬱屈した高校生活を過ごした。
高校は地元町からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。
彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。
幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。
ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。
今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。
そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。
俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分を分析なんかするなと言いたい。
自分が思っている以上に社会には様々な価値観や世界があって、君たちが見て来たものだけで自分を規定してしまうのは勿体無いと。
君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。
分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。
自分のことは自分しかわからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?
分析なんかしなくていい、ただ自分の気持ちを自分で否定することがないよう努めればいい。
中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分の気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。
そして大人は10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。
(わたし、タイトル考えるのめちゃくちゃ下手くそなのでは?まあいいや)
褒められた人生を送ってきたつもりは無い。
実際、頭いいねと持て囃されたし、学校と塾の授業は比較的真面目に受けていたものの、自ら机に向かった覚えは無いし、自分の実力を過信しすぎたところはある。
ちなみにわたしの学校は(市内では頭が良かったとはいえ)学年60人の田舎の公立中学である。
わたしの高校は所謂「自称進学校」で、田舎だから地区トップ校と言えたような公立高校である。
相変わらず授業以外で机には向かわないし、部活もしなくなり気の向くまま生きていた。
中学の時と大きく変わったことといえば学校の中で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られたこと。
うちの高校ではテストの結果が著しく悪いと特別講座を受けなければならない。
「さすがにそこまで頭悪くねえわw」とタカを括っていたら数学で赤点を取りまんまと引っかかった。
また、勉強する習慣が無いものだから毎日のように実施される小テストも落ちまくり、追試の山に追われた。
追試に通いすぎて、数学教師と仲良くなった。
そんな生徒だったが、模試では数学以外まあまあの点数を取るし、まあまあの大学の判定なら出るし、校内順位も何故か上がっていった。
何故か、上位1~2割には居た。
で、また、性懲りも無く、自分の実力を過信したのであった。
まだまだ若輩者のクソババアですが、取り敢えず大学まで進んだ者なりに書けることを書きたいと思います。
ここまで読んで、「お?自慢か?自慢なら他所でしてくれ」と思った君も、「その程度で何調子乗ってんだ黙れブス」と思った君も、取り敢えずこれだけは聞いてほしい。
中高生の間にしておくべきこと、それは、
このフレーズだけ読むと誤解されそうだから補足すると、勉強をするなという意味ではなく、勉強するより先に自己分析した方がいいぞ、というくらいの意味合い。
当たり前だが、自分のことをよくわかっていれば、この先の人生をよりスムーズに生きられるのかもしれない。
そして何より、限られた若い時間を有意義に生きられるかもしれない。
順番を間違えないでほしい。
でないと大学で詰むぞ。
地獄を見るぞ。
「自分が何をしたいのか」
を確立すること。(全然自己分析じゃねえぞとか言わないでくれ)
「何をしたいのか」に適った選択をすること。
これができないと人生のハンドル操作を大きく誤るし、わりと簡単にドブに突っ込む。
上手く操作する人もいるけどね。
例えば、「私は料理人になりたい!」という人。
専門学校に進むことになるだろう。
この人の「何をしたいのか」は「料理人になりたい」で、進路もそれに合っている。
自分の意思で学校に行くし、辛くてもきっと「料理人になりたい!」と目を輝かせていた日を思い出してなんとか頑張れる余地がある。
そして、これはわたしにはまだ言い切れないけれど、おそらく、料理人として就職ができれば、おそらくだが、仕事も苦痛ではないだろう。
もう一つ例えを。
「私は別に何になりたいとかは無いけど、昔から日本の文学が好きだから文学部に進学したい。」って人。
この人も大丈夫。
この人の「何をしたいのか」は「文学の勉強をしたい」だから、大丈夫。
就職に関しては知らないけど、その後の仕事についてもコメントはしないけど、学生生活は好きなものに囲まれてそれなりに幸せに過ごせるはず。
最後に、こういう人がいたとする。
「今の実力で十分行けるし就職余裕だから看護学校志望してる〜」
こういう人、待って、マジで待って。
ほんとに待って。
一旦落ち着いて考えよう。
読者の皆様には、この人が何故前述の2人とは違うのか考えてみてほしいのです。
何故違うのか?
単純です。
前半二人はそれぞれ「料理人になりたいから調理師専門学校に行く」「文学の勉強がしたいから文学部に行く」と、「何をしたいのか」と「手段」が合致している。
一方で、三人目はどうだろう。
最後の人の「何をしたいのか」はおそらく「看護師になりたい」でもなく、「医療職に就きたい」でもなく、「楽をしたい」。
最後の人は、今から頑張って勉強しなくても進学できるだろうし、確かに看護師免許さえあれば就活に苦しめられずに済む。
なんて思ってるだろうから、結局のところ「楽をしたい」んだろうなと言える。
「楽をしたい」と「看護学校に進学する」はとてもじゃないけど合致しない。
これは中高生のうちは想像できないかもしれないけど、専門学校や大学にもクソみたいに忙しくて、クソみたいに遊べない学部がある。
そして資格を取ってすんなり就職が決まったとしても、その先にあるのはちっとも楽じゃない仕事…
きっと画面の前にもいる「楽をしたい」そこの君!
頼むからもう1度考えてみてほしい。
進学、就職、と将来のコースを考えると「楽をしたい」に合致する進路はほぼ無いに等しいけど、だからといってそこで進路を適当に決めてはならない。
「楽をしたい」が認められないからといって、正当な他の理由を言い訳のように使ってもいけない。
というかそれが一番良くない。
中高生の諸君はおそらく行動範囲が通学路くらいだし、わたしに言えたことではないが世界がまだ狭いんだと思う。
学校で配られる予備校の進学ガイドみたいな冊子を通してしか将来が見えないと思う。
それでも、というか、だからこそ、わたしは、あなたたちに、世界を広げて、と願う。
通学の電車の中でLINEじゃなくてネットのニュースを見てみるとか。
「何をしたいのか」に直接的に繋がることはないかもしれないが、少なくとも知ってる世界が広がって、考え方に変化があるかもしれない。
本当は行動範囲をブチ破って旅にでも出れたらいいけど、それはちょっと難しいだろうしね。
説教みたいになっちゃったけど、大学生のクソババアから言えるのはこのくらいです。
進路を間違えた自覚があるし、大学生活も授業もつまらないし、単位は取れないし、もう散々。
だが、失敗したからこそわかることも沢山あったし、人生誰しも一度は失敗するだろうし!って、ちょっと開き直ってきてる。
そんな現状。
歳をとると、自分の成功や失敗を語っては若者に言い聞かせたくなるものです。
みんなはこうならないでね。
是非とも、「何をしたいのか」はっきりさせてから進路に向けて勉強してね。
困ったら手当り次第に色んな人に相談するんだぞ。
価値観が固定されないように、できるだけ沢山の人にね。
ちなみに例に挙げた三人目はわたしのことです。
クソ辛い。ウケる。
□追記□
自称ババアとはいえまだまだ尻の青い者が書いた稚拙な文章にこんなに反応が貰えて嬉しい限りです。
投稿した時に気づきましたが、よく考えなくても中高生はここ見てませんよね。
もはやギャグですね。
まだ人生に対するバイタリティは死んではいないと思うので、納得できる答えが出るまでガキらしくもがいて、ババアらしく執着したいと思います。
お疲れ様です。
顔は悪くないはずだし、胸もある。どっちかというとグラビアアイドルに近い体型で、男受けも悪くはないはずだと信じたい。
誤解を恐れずに言うと「連れて歩くにはピンとこない」タイプ。
私じゃだめだといつも振られる
これは深刻なミスマッチを起こしている。
今まで目を向けなかった方面にも目を向けるべき。
まあ普通ですそれが。
元増田を連れて歩くのにピンとこない奴らだよ?
同年代の男からすると元増田は持て余す感じ。受け止めきれない。
上記の通り「需要がない」という状況。
だから5歳以上年上とかを狙う。
おっさんは嫌い?男からすると5歳下の彼女だったら大体可愛い。
この方針転換は、アベノミクスで言うところの需要創出型イノベーションのようなもの(嘘です)。
年上の男には年下の女を愛でる習性がある。ここを狙う。
逆に3歳くらい年下とかに行って自分が受け止める側になる。
クソガキから見ても3歳年上くらいの彼女だったらギリギリありでしょう。
本件の場合、自分自身を中心に据えて思考すると、どうしても供給側の理論に陥りがち。
もっと需要者側の気持ちに沿って、自分がどうあるべきか考えると良いと思います。
考え方を変えましょう。
年齢的な切り口以外にも突破口はあるかもしれない。
即日中か、翌日に電話がかかってくれば次の選考を案内されるからだ。3日後までに何もなければ、まず見込みは無い。1週間後、メールが届く。選考への参加のお礼と、「貴殿の今後のご活躍をお祈りします」という空虚な文章。返事すら無いことも勿論ある。いわゆる「サイレントお祈り」。
厭なことは沢山ある。
今日、初めて会った人にさも当然のように「自己PRしてみろ」と言われること。
問われたことに馬鹿正直に答えれば怪訝な顔をされること。
素朴に疑問に思ったことを伝えると、機嫌を損ねられること。
自己分析という単語がいつから多用されるようになったのかは知らないが、今の用語法は恐らく就活ビジネスの暗闇で生まれたに違いない。
やりたいことは無いし、ライフプランもキャリアプランもない。自分に何が向いているのかもわからない。中二病を発症する時期でなくとも、自分の将来の夢を描けないことは、別段特別な悩みではない。今の時点で自分に向いている仕事を確信していても実際にやれば嫌になる、ということも大いに有り得る。「向いていない」と思っていたことが案外楽しいと思えたりすることもある。そもそも配属を決めるのは会社であって社員ではない。
だが、「どんな仕事がしたいか」と面接官に問われれば答えねばならない。そんなの知ったこっちゃない、会社が決めることには何でも従いますからとにかく入れてくれ、と言うだけでは不採用だ。
“あなたはどんな人間なのか”、と問われ、必死に答えた挙句、自分を否定される。
「お祈り」が来ても、自分には何が足りなかったのか、一切わからない。採用基準に達していても自分の他に評価の高い人がいたのか、達していなかったのなら何処が何点足りなかったのか、学生には教えられることはない。だから就活では皆不安になる。
根本的に変えるべき時が来ていると思うし、いつか変わるだろう。しかし、今すぐには変わらない。就活に疲れ、絶望し、リ○ルートの本社の前で白昼堂々焼身自殺しようとも、世の中は変わらない。文句を言っても今すぐ内定は出ない。正社員になりたいのなら愚痴を言うのは一旦止め、とにかくやるしかない。
やるべきことは単純だ。とにかく選考に出来るだけ早期に、沢山参加する。行きたくない企業でも面接を受ける。これだけだ。
早めに内々定を貰って就職活動を終えることが目標なのではない。自分の納得できる会社に行くために、早めに選考に参加することが不可欠なのだ。
面接は数をこなせば必ず慣れる。馬鹿げた質問への答え方がある程度は分かるようになる。言ってはいけないこと、言うべきことを察知できるようになる。面接官とのやりとりのうすら寒さが気にならなくなってくる。
「親しい友達は多い?何人いる?」「幼い頃はどんな子供だった?」などと滑稽極まりない質問をしてくる面接官に対して、馬鹿正直に答える必要はないと気が付く。面接官が納得する答えを考え、それを表現する。演じ切る。時には嘘も吐く。それが苦にならなくなる。選考に落ちても逐一気にしないようにする。
自画自賛するような歯の浮く文章を書いたり、話したりするのはただでさえ嫌なものだ。あまつさえ沢山の会社にお祈りメールを送りつけられ、自分の存在を否定され続ける中で、自己PRの文章を一人むなしく考えていれば鬱にもなる。自分で自分を肯定できない時は、他人に自分を肯定してもらうことが必要だ。他人に文章を書いてもらうのも良い。家族、友人、先輩後輩、大学のキャリアセンター、頼れる人は誰でも頼るべきだ。一人でマジメに頑張る必要はない。
“あなたはどんな人間なのか”という問いで自分を苦しめるべきではない。真剣に考えても答えなど出るはずもない。ただ、面接官の求める話をしに行くだけだ。それが就活だ。
実際のところは、4月から働いてみないとわからない。わからないけれど、それでも4月から挑戦しても良いと思える会社を見つけるまで続けるしかない。
当たり前の話と笑われるかもしれないのだが、9月に入りようやく就職活動を終えた今、1年前の自分に言ってやりたいと思うことを書いた。就活が嫌になって何もかも投げ出したくなった人が読んでくれたらいいなと思う。
そうだな、大学生活初めの3年間は色んなトラブルはあったし、いっぱい苦しんだことはあったけど、
まぁトータルで見たら自分でも納得のできる道のりを歩んできたとは思う。
何の努力もしてないとは言わないが、やっぱりそれでも足りないものは足りなくて。
自分の持ってる才能って何だろうって色々考えてみたし、一応持って生まれた見た目でも勝負はしてみたけど
お話にはならなかった。ショックは受けたけど、それはそれなりに吸収できるような状況にはあったかな、って思う。
でも、大学4年生から今までの4年間を考えてみると、それはもう暗鬱たる結果というか、
多分全てが自業自得、自分の蒔いた種が今芽吹いて一斉に俺を攻撃してるんだと思うんだけど。
研究では何も成果が出ず、それも相まってどんどん堕落してしまった。
後輩にはきちんとしろと怒られるし、きっと今でも許されてはいないのだろう。
正式な学会には1度も行っていない。B4の後輩が学会に出ているのを尻目に見ていて悔しくないわけがないが、
そういう事もあるよな、と思いながら続けるしかなかった。続けられていたのか?
就活に関しては自己分析が出来ていなかった。結果、ほとんどの企業に落ちて、
一応推薦を出していた今の会社に受かる。試験を全部受けさせてもらえるという推薦なのでかなりギリギリの橋を渡っていたように思うが、
結局渡ったところで"渡らせてもらった"感が強くなってしまって、すっきりした終わり方というわけにはいかなかった。
でもそこをけってもう1年やるっていう決心も出来なかった。不安だった。就活以上に、研究をこれ以上続けたくなかった。
3年間ゴミのような試料を作り続けてきたために、時間を無駄にすることになってしまうのがどうしてもいやだった。
未だに自己分析がよくわかんない。やりたいことってなんだろう。
会社に入って何がしたいかもよくわかんない。何をしているのかも一応は説明できるけど正直詳細まで言えるかっつったら怪しい。
多分本当はやりたい事なんてなくて、ただただ生きていたいだけなんだと思う。生きてるだけで儲けもんだって言う言葉もあるけど本当にその通りで、
ただただ生きているだけの事をまず肯定してもらいたい。そんな事、肯定してくれる人なんて昔の祖父母くらいしかいないんだけどな。
豆腐メンタルだと人は言う。
まずやってみなきゃわかんないだろって声は多い、確かに俺もそう思うしどうやったってそうすることでしか抜けられない
でもガソリン欲しいもの 心奮い立つようなガソリンが欲しいんだって ああ生きててよかった、次の目標に向かって頑張ろう、
よーし次は○○目指してみるか とか思いたい
ガソリンの供給が無い状態でそういう精神状態まで持って行かなくちゃいけないのか?
タフでストイックでなくちゃいけないのか?みんな本当にそうなの?本当に?ねえ強すぎない?
何だよ豆腐メンタルって 言う側は放言しときゃいいよな別に俺の内心なんて推し量る必要もないだろうから
勝手にマウント取ってボコボコにしとけばいいし、そういう役回りかもしれねぇな
なんだ「まだ仕事辞めてないの?」って オメーラ冗談のつもりかもしんねーけど俺以外にその言葉使ったことあんのか?
安易に社会性が無い事を示唆して悦に入ってんじゃねーぞ殺すぞマジで
あと確かに今の会社はブラックかもしれないっていう話はまことしやかにささやかれてはいるが、
人の働くところにたいしてオメーラからブラックブラックいってんじゃねえ殺すぞ
働く意欲を入社前に挫くんじゃない
あんなに安堵した事は今までないってくらい安堵してようやく得た仕事先で、収入先で、
もしかしたらまた俺が心機一転できるようなところになるかもしれない組織
そんなところを簡単にやめると思うのか?とりあえずはやってみるだろ一応さぁ
俺は自分勝手だと人は言う 他人に対する思いやりが無いと人は言う
今までを思い返してみると、トラブルの元は確かにそういう所だった。的を射ている。
本当に人の事を思いやる気持ちさえあれば、きっと色んなトラブルが回避出来て今頃上手くいっているのかもしれない。
正直、人の気持ちを推しはかるのはとても苦手だ。自分なりに気を遣う事はある。
ただ、それはあくまで自分なりだからわからない事も多い。言われて初めて気づく事も多いし、それで以前の彼女は別れた。
他人の指摘を受け入れる気持ちが無いという指摘がある。そんなことはない・・・と思ったが、
上でいう仕事関連の冗談やら、人への思いやりが無いというところに非常にショックを受け、色々考えて傷ついたフリ?をしているあたり、
本当なのかもしれない。多分本当なんだ。
だったらどうすればいいんだ。25になって社会性も無い状態で。人への思いやりが無いから仕事でも失敗すんのかな。
するんだろうな。でも親父はそろそろ定年だし、"社会人だから"自分の事は自分でしないといけない。
何をすればいいんだ。誰か教えてくれよ。ワガママか。ワガママなのか。ワガママしか言ってねーのか俺は。
俺への指摘をするなら本当にそこも含めて教えてくれよ。わかんないよ。何すればいいんだよ。
よくわかんねーやグチャグチャだ。死ぬという言葉は軽々しく使うべきではないが、
元々無かった思考能力が度重なるブラックアウトでどんどん低下している今、すべてをリセットするという意味で一考してしまっている自分が嫌だ。
家計を圧迫しながらも続けたサークル2つが俺に残してくれたものはなんだったのか?
楽しい思い出と、その裏に潜む強烈な劣等感と嫉妬と、それと自分でぶち壊していった人間関係。
7年間で、一体俺はいくつの物を生み出して壊して、自分を血まみれにしていったのかはわかんないけど
とりあえず今そのすべてをなげうってどこかに行ってしまいたい
唯一歌だけは上手いって言われたけど、それだって、それだってさ。
結局今何も残ってない。
前に進むのってどうやるんだ。
何すればいいんだ。
ひょっとして何事にもやる気が起きないのを人から肯定されてないからっていう言い訳でごまかそうとしてるのかな
そうしたら俺の本当の気持ちってなに?よくわかんない
すげぇ落ち込んでるけどこの気持ちも誤魔化しなの?全部いいわけなの
じゃあ俺の本当の気持ちってなんなの
何がしたいの
どこに行きたいの
誰と生きたいの
自分で考えるってどうやるんだ
同期が、周りがまぶしすぎる
でもきっと俺よりつらい体験をしてたり、考える事をしてるからきっと俺より精神的に立派で、
じゃあ勝てないや
勝てないからってあきらめるのかって言われたら諦めないけど、諦めないなら諦めないだけのスタミナをつけなきゃ
でも結局周りにクソ迷惑かけて生きてきたのは周りからの証言でも確かでさ
こういうことをしゃべることも迷惑に繋がると考えるともう誰にもしゃべれねーよ
どうすればいいのかなー全部もみくちゃにして忘れてしまえばいいのかな
あーでも忘れたらまた思いやりを忘れてしまう
思いやりを忘れないようにしたら今度はこの悩みが芋づる式で出てきてしまう
結局精神性としては何にも変わってないんだろう
子供のころからずーっとこうだ いつからこうだったかはわからないけど、
多分おちゃらけて隠す事が少し上手くなっていただけで元の人間性は最悪なんだなと改めて感じる
セックスは俺にとって救いだったのかもしれない
一晩とはいえ、体を許す事は圧倒的な優越感と達成感を俺に与えてくれたような気がする。
だからこそそこに価値を見出してしまったが、結局その過程で人をたくさん傷つけてしまっている。
酒も絡んでの話ではあるが、抑圧された本来の人間性が出ちゃっているんだから世話無いね。
もし俺が今後の人生でまた優越感を見出すためのツールとしてセックスを用いるようになるんだとしたら、
もうセックスはしないほうが身のためなのかもしれない。
でも死んだ方が身のためなのか?俺が死んだ事で悲しむ人がいるかどうかはさておき、
死んで迷惑がかかるってのはほんとなのか?
誰に迷惑がかかるんだ?親か?周りの人はむしろ迷惑がかからなくなるだろ
あーでもあれか、無駄に罪悪感とか抱かせちゃうもんな、確かにダメだ
きっと爺ちゃん婆ちゃんも悲しむしなぁ
今回は裏サンデー
忘れていたけれども、あんまり要領のいいキャラじゃないってことを今回のインターンで思い出した。
それにしても、「裾上げ」をここまで重要な事柄だって作中で何度も描くって珍しい。
まあ実際、一般人の認識だと「たかが」って思われがちなことだから、念を押してるんだろうな。
今回のやり取りが顕著だと思うけれども、とにかく懐疑的なんだな。
自分自身の心理に対して分析して、納得できる理屈が欲しいんだ。
彼らの言動はその答えを求める手段でしかなく、よく分からないことをそのままにして行動できない。
とても理知的ともとれるけれども、悪く言えば臆病ともいえなくはない。
今に始まったことではないけれども、理性と感情の境界を曖昧にしたり、こういいうことを自己分析して言語化することにそこまで興味のない生き方をしている人にとっては、理解に苦しむかもしれないなあ。
敵として出てきたときは、相手に能力が使えることや、発動の条件さえ知られなければかなり強力だと思ったけれども、こうやって見ると中々に厳しい条件だな。
しかも、それを上位互換に近い能力者相手に、かつ不利な立場からやらなければいけないとは。
その言動に至る理由は分かるんだけれども、最後のシリアスな絵面で「私の特技は「ダジャレ」です」がシュールで、こっちが笑いそうになるわ。
ほぅ、給食のグルメ漫画と思ったが、読んでみたらちょっと違うっぽいのかな。
どちらかというと、給食をテーマにしつつ、小学生たちを中心に繰り広げられる人間ドラマこそが主体っぽい。
読む前の印象とは違った作風だが、私はこういうの嫌いじゃないよ。
何気に、最近は小学生を中心にしたドラマとか、漫画で読む機会があまりなかったしね。
ちゃんと給食に関連してコミニケーションやドラマが生まれている構成も私の中でポイント高い。
ドラマ部分と食事部分が、ほぼ分離して描いているグルメ漫画とかも少なくないからなあ(グルメ漫画としてある意味で潔い構成なので、それはそれで嫌いではないけれどもね)。
どういう感じで描いていく、ストーリーを進めるんだろうと思ったが、今回で方向性が見えてきたね。
まあ、やや肩透かしというか、あんまり期待していない展開、作風だが。
まず、4話のラストのセリフはまさかの想像通りの行為を指す言葉だったが、その行為の意味する所が恋慕だとかではなく、友愛の確認というね。
それは僕です。
ネットを検索してみると、「自分が自己中心的な考えをしているかどうか」のチェックリストがありました。
以下のようなものです。(http://www.career-rise.info/blog/selfishness/ より)
みなさまも良かったら、チェックをしてみてください。
・誰かに指図されることが嫌い
・他人が困っていても気にならない
・失敗した時は他人のせいにする
・人の話を聞くのは苦手
・気分がコロコロ変わりがち
・目立ちたがり屋である
皆さんはどうでしたか。
僕は
・失敗した時は他人のせいにする
以外のすべての項目が自分の性格に良く当てはまっていると自覚しています。
自分が自己中心的だと思ってはいたのですが、こうやってハッキリと明文化されたリストに従って
チェックをしてみると、とてもショッキングな結果でした。
思えば、幼少期の家族・友達関係がルーツのような気がします。(ちっぽけな話です。)
姉はとても甘え上手な性格で、長女ということもありわがままを言っても両親は、聞き入れていました。(モノが欲しい・習い事をしたい等々)
弟は末っ子とということで、両親にとても可愛がられていました。
僕は両親からの愛は受けていたのだと思いますが、姉弟と比較してしまい、ほとんど幼少期愛されたという実感がないのです。
また、僕が小学生になる時、引っ越しすることになり、隣町の学校に行くことになりました。
両親は、3兄妹を養うために共働きをしており、僕は1人慣れない土地でいつも1人でいました。(姉と弟は人懐っこいので友達がすぐ出来ました。)
どんどん、1人の世界や考え方を構築していくようになり、小学校高学年ぐらいの頃には、完全にひねくれ、大体こんな感じの考え方・行動習慣が染み付きました。
・初対面の人、目上の人には真面目に接し、ある程度評価されるが、面白みがないと思われる。
・同年代や知り合いとは他愛もない話はできるが、自分の話をどうしたらいいのかわからない。
・自分の話が苦手で別に伝えなくてもいいかな、と思ってしまう分、他人の話も染みこんでこない。(あまり覚えられない。)
・自分自身の力でなんとかなる、と考えているくせに肝心な部分を人に頼る。
・他人に何一つ与えることができない。(自分が損しないのが肝心)
まあ、本当にクズなんですよね笑
「知り合い」は居ますが、心から「友達」と呼べる人は全くいません。
こんな薄っぺらいやつ、僕だったら付き合わないでしょうね・・・。
駄文垂れ流して、勝手な自己分析を続けてきましたが、もちろんこのような性格を直したいと思うのです。
まず、他人に優しくする、自分から与えるという行動を取りたいのですが
何を持ってその行動が自分のためになるか、上手くいったかという尺度がわからないのです。
もし、同じように自己中心的な考えや習慣を改善した方がいらっしゃったら、教えて下さい。
・どのような行動を起こしたか
・どのような考えを軸にしたのか
色々物欲で買いそろえてきたけど結局何かを獲得してもそれで何かが満たされるわけでもなかった。
実際に手に入ると同時にほぼ無関心になる。
そしてそうなることが学習できているのに、
欲しくなるとどうしても手に入れなければという欲求が爆発的に膨らむ。
けど今なら分かる。
まだ自己分析、ハッキリできていないが、たぶん既に趣味物そのものに対しての欲求はとうに霧散しているのだろう。
しかし、それを認めてしまってはアイデンティティの崩壊を招き、ひいては生きる活力を失うと暗に恐れている状態なのだ。
そしてそれをごまかすために趣味を消化するのではなく、さらに招集することで仮初の欲望を満たそうとしている。
本当に時間が足りないかもしれないが、そう思い込んでいる可能性もあるだろう。
つまり、もはや生きる楽しみを失っているのだ。
アジカン風にいうと「情熱 燃やしたあの頃を金銭注いで取り戻すんだ」ってとこだろうか。
実際には帰ってこないから乾き続けているのだが…
それを認められないのだ。
これも人工的にβエンドルフィンの化合物を脳に注入することができれば解決するはずだが、現代医学では不可能なので諦めるしかない。
自分は就活中の大学4年です。国立大学の文学部に通っています。
志望した業界、企業は全滅して、今はあまり興味のない企業から内定をいただいています。
バックパッカーをしていてエピソードには困りませんが、聞いてもらう機会すらなかなかもらえません。
そう、面接まで行けてない。多くの企業でテストの段階で落ちています。
学力は問題ないと思います。例えば難関といわれる大手出版の試験は通っています。
立ちはだかるのは性格診断というやつです。個性を定量化できるすごいやつ。
自己分析をしていたら、反社会的人間だということがわかりました。
結構平然と嘘をつけるし、悪いことでも何でも法に触れなければ構わないと思ってます。
周囲にはなじめない、仲良くすることができないタイプの人間ですが、第一印象は普通の人間だと思われます。
昔、一生懸命勉強したのに単位をくれなかった教授に逆上して、彼の講義が始まる前、椅子にペースト状の味噌を塗ってやりました。
彼の茶色くなったズボンの後ろを想像しただけで、今でもワクワクします。
社会人なんか糞くらえ、仕事なんかしたくねえと思いつつ、就活が始まる前まではそれをうまく隠せると思っていました。あの性格検査の存在を知るまでは。
まさかあんなものを企業側が信望しているとはつゆ知らず、馬鹿正直に答えていて、落ちていました。
今では自分に嘘をついて答えるようにしていて、段々と面接まで行けるようになっています。幾分か罪悪感はありますが。
自分が一つ危惧しているのが、この性格審査が浸透して、中小企業もどんどん採用して、さらに精度まで上がっていくようになると、
自分のような反社会的人間が大勢社会からあぶれ、漂流してしまうことです。治安だけでなく、色々なところで不具合が起きると思います。
せめて、嘘をつける余地を残しておくべきです。「自分をよく見せた人間はわかるようになっています」という注意書きは、やめてください。
http://anond.hatelabo.jp/20160705180351
年収○○○万円以上の男と結婚するために自分磨きなんて虚しさしか生まないんじゃないか?
男に気に入られるために買った服がクローゼットに溜まっていく度に自分の意志が薄まっていかないか?
言動や行動、思想までもが他人の視線を意識したモノになってしまっては生きていく意味が無いんじゃないか?
「年齢が年齢だから・・・」といつまでも好きじゃない人と付き合っていても、その先には幸せなんて無いんじゃないか?
年を重ねる度に結婚相手に求める条件を下げるのって、スーパーのお惣菜に貼られていく半額シールみたいでみじめじゃないか?
同い年のあの子が結婚したから「私もそろそろ結婚しないと・・・」と焦りだし、体を許すハードルを下げたってただの都合のいい女になるだけじゃないか?
企業の人事に気に入られるために,当り障りのない無個性な就活スーツがクローゼットに溜まっていきます.
「年齢が年齢だから・・」就活をやめて夢に走ることも叶いません.
面接に落ちる度に,企業や自分の未来に求める条件を下げて,本当に半額シールみたいですね.
同期が内定したから「私もそろそろ内定しないと・・・」と焦りだし,内々定のハードルを下げています.
親からのプレッシャーなんて気にするな。孫の顔とかどうでもいい。あなたは生む機械じゃないだろう。
世間体なんてクソ食らえ。結婚という物差しでしか人を図れないつまらない人間のコミュニティーにはサヨナラを告げろ。時間の無駄だ。
経済的理由から結婚相手探しに躍起になっているなら、そんな弱い自分に唾棄しろ。身売りして専業主婦になった先に自由や幸せはない。
世間体が大事です.一人前の社会人という物差しでしか人を図れない人間が大多数です.
独身者は負けていない。
無理矢理にでも働かなくては.