はてなキーワード: 自己分析とは
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
小中は地方の公立に通った。自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、いわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、5年目くらいにはやりたい仕事もポツポツできるようになった。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
一瞬で頭にたくさんのことが浮かんだ。残業、満員電車、責任、会社への帰属意識。どれも人生で楽しくない要素ばっかりで、急になんでここにいるのかわからなくなった。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかよくわからない。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、地元に帰ったり、地方に移住したり、外国に行くことだってできる。
レールの外歴3ケ月の自分には選択肢が多すぎて頭がパンクしそうである。
【追記】
みんな想像以上に温かい言葉をくれて、泣ける。本当にありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20170822232213
さて、可能性はいくつかありますが、それを明らかにするには材料不足です。
胸の奥のどす黒いものが「もんもん」なのか「イライラ」なのか「ムカムカ」なのか
取りあえず「ありそうな可能性」としては、自分の体験と離れた恋愛話が、非常に作り物臭く空々しく感じられ、
しかし現実にそれを否定し批判するほどの材料も持たないから、そのギャップを生理的に怒りとして表出している。
先行する過剰な自己像と現実の自分とのギャップを、過剰な感情表出によって処理しようとする、と一般化すれば、
つまりそれが、すがすがしいほどよくある、いわゆる「中二病」というやつです。
ああ、別にけなしているわけではなく、それが成長の一過程というやつなので、盛大にイライラモヤモヤしてください。
つーか、するしかない。あきらめて。よくあることです。
ただ、その黒いものがあんまり(創作を読むときだけでなく)日常全般を覆い始め、なんか気力とかもなくなってくるようでしたら、
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、
地方の公立小中を出たけどいわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、
すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、最終的にいわゆる会社の花形部署に配属されて思いっきり仕事した。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
絶対嫌だと思った。今より残業が増えるし上層部に振り回されるしどんどんこの会社でしか生きられなくなる気がしたからだ。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、
自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかがずっとモヤモヤしている。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、
高校生の時は大人になるにつれて社会に飲み込まれ、純粋さ、鋭さを失うことを恐れていた
しかし、認めたくないけど大学も3年目になって大半は失ってしまった きっと年を重ねるにつれて忘れてしまったことも忘れてしまう
実際に今それを悲しいと思うこともだんだんと少なくなって、なんだかんだで友達と遊んだりデートしたりして楽しく生きている、
でも、昔の自分が、どこか、遠く、心の底で『そのままじゃダメだ、もっとどうなりたいか何者になりたいか、流れる楽しさに身を任せるのではなくてちゃんと考えろ。自分の行動の意味を、それがもたらす結果を、選んだ選択がその後の人生にどのような影響を与えるのかに自覚的になれ。』と叫んでいる。私はその声が聞こえているのに聞こえないふりをし続けてここまできてしまった。考えることは労力を使うから。自分の暗い部分と向き合って不確かな未来を考えるよりもその場その場で友達とか男の子と飲みに行って恋愛の話やらに盛り上がっている方がずっと楽で楽しいからな。
周りはなぜかありがたいことに、尊敬できる人間が多い。演劇で生きていくと決めてその夢に向かって夢中で頑張っている友人、私は普通でありたくないからと周りにどう思われようが映画やオーディションなど自分が楽しいと思ったことに躊躇なく飛び混んでいける彼女、私が作る服で目の前の人を100パーセント幸せにしたいと強い意志を持った目で夢を語ってくれた彼女、昔の自分を救ってくれた出版社で働いて同じように誰かを本で助けたいと語った彼、みんな軸があり目標がある。
私はそういう人たちに囲まれて、自分は何をしているんだろう、と思う。置いていかれている気がして、からっぽな気がして、でも追いつきたくて、日々を消費しているのが怖くて
*
何かになりたいけど何にもなりたくないなぁ
私はずっと、昔から空気になりたかったよ、夏の夕暮れとか、夜の濃くてずっしりした空気とか、海の粒子とか、淡い空の色とか、そういった生きているかよく分からないけどどこにでもいつもいるものになりたかった。どこか懐かしくて、涙が出るような、あたたかくて安心するものになりたかった。
卒業するまでになれるかな。
満たされなくて、死にたくて、不安で押しつぶされそうになりながら毎日を生きている。
最近は医師が書いたカウンセリング本を読みながら自己分析をして、なんとか社会人をやっている。
カウンセリング本には、大抵「あなたの父母(特に母)の愛情の与え方が悪く、子供であるあなたは生き辛さを感じている」と書いてあるものがほとんどだ。
でも、自分のように、アルコール依存症やDVなんて無縁のごくごく普通の子に少し無関心な父と怒る母がいる家庭から出てきた人間の場合も、親に責任があるのか?
「一切生き辛さを感じない、毎日生きてて楽しい、やりたいことたくさんある」人間って僅かしかいないと感じるが、だとしたら日本全国欠損家庭だらけなのか?
もし意味があるとするならば、それはそいつがどんなポジショントークをしているか、
あるいはどの程度自身を客観視する能力があるかを測ることが出来るという程度のものだ。
就活に必要なのは「誘導性のない客観的な情報」と「自分を客観視するためのほんの一部の利他的な助言」であり、
必勝云々だの絶対云々だの面接官に響く云々だのには目もくれないことだ。
そして無論、このように聞かれてもいないのにアドバイスを始める胡散臭い輩も冷静に見つめ、
その行動で誰にどんな利潤が生じるのか、その利潤の対価は何なのかを常に意識しておくことだ。
就活というイベントはおおよそ考えられる人間の闇をせっせと集めてくったくたになるまで煮込んだ汚泥のようなもので、
そこに群がり、それを積極的にかき混ぜようとするやつらも当然その汚泥の一部である。
自分のスタンスをわきまえ、真に学生の力になろうとしているほんの一部の人種はまだいい。
しかしそうした人たちは自分にとっての利得にならない範囲で主観と客観を切り分けた情報を提示してくれる稀有な存在であり、
大半の汚泥は耳障りの良い言葉で阿呆な学生を鼓舞し、金払いの良いベンチャーやブラック企業にせっせと学生を斡旋していくのだ。
そもそも就活というのは大半の学生にとっては今までの人生の中で最も大きな意思決定の場でありながら
今までの人生の中で最も激しい情報の非対称性に投げ出される場でもあるのだから、人の人生を斡旋して飯を食う汚泥に捕まるのも無理はない。
「あのおじさんは色々なアドバイスをしてくれるし、企業まで紹介してくれる素晴らしい人なんだよ!」などと
そうしたイメージを与えておきながら裏で儲けを数えてほくそ笑む汚泥のなんと醜悪なことか。
更に性質が悪いのは就活を終えたのち、こうした立場へ身をやつす学生が一定数存在することだ。
彼らはそうした資本主義の搾取構造を理解したうえで、それを再生産するシステムに自ら身を投じていく。
後輩の夢を後押ししたいとか何とか言って一般性に限りなく乏しい成功体験を饒舌に語り、承認欲求を満たしていくのだ。
就活は恋愛のようなものなどという手垢でべとべとの、しかも的を射てもいない持論をぶちまけ、
自らの利己的な動機にすら気づけないレベルの自己分析をもって感覚的なアドバイスを繰り返す。
全ては説明会に学生を押しこむことで貰える報酬と、人脈作りという名のセフレ探しのためだということに君は気付いているか。
そんな汚泥どもに、利己的でありながらそれをひた隠そうとする汚泥どもに、一度しかない人生をふいにされていいのか?
憧れと好奇心が殺すのは決して猫だけではない。
ごめんなさい、このサイトを使うのが初めてなのもあって先程間違えて書きかけのままトラックバックしてしまったのですが、もう一度頭から投稿させて下さい。
エントリを読んで、自分とすごく似た大学生活だと感じました。私も、1年間の休学を挟んで4月から3回目の1年生をしています。
双極性障害(躁うつ病)も精神科の診断でついたもののひとつで、連絡を放棄して家にこもりひたすら寝ていたこと、死ぬことばかり考えてしまったこと、その中で夕焼けがとてもとても綺麗だと強く感じたこと、新学期に教務で挫けてしまったこと、家にいて怠惰な暮らしをしているのに、出席できているときよりずっと苦しいこと、その他もまさに自分が体験して来た気持ちが書かれてあり驚いています。
まず、4月の出席率が9割を越したということ、本当におめでとうございます。
今まで一番にしなければならないと分かっていても、どうしてもできなかったことを踏ん張ってひと月目を終えられたのはとても凄い。あなたの中でも、そのことに関して自分で自分を認めてられているようでそれが何だか嬉しいです。
似た状況が沢山ありながらも、あなたは私よりずっとずっと頑張り屋で前に進もうとする意志を感じます。
合わない医師にかかり通院をやめた経験は私にもありますが、その後あなたのように自力で細かな自己分析はできませんでした。そのあと大学の心療サポート機関に自力で頼ることも。
あなたがとても眩しく映るし尊敬します。エントリにどうしてもコメントめいたものを残したかったのは、私自身が今まで、大学生活や病状に限らず似た状況や感情を持つ人の存在に励まされてきたからです。
そして、このエントリでまた明日から学校へ行くための後押しが増えました。あなたがいるから私ももう少し頑張れそうです。
読んでくれた人がいるなら嬉しいと言っていたあなたは、もしかしたらその文章で救われた人がいることも喜んでくれるんじゃないかと思ったのです。
この記事が届かないなら、それはそれでいいかなとも思っていますが。
私はあなたが生きていてくれて、エントリを書いてくれてとても嬉しい。ありがとうございます。
勝ち。
私も4月から挫けそうになるとそう思うようにしていました。家事もお化粧も、他の何一つ出来なくっても、今日授業に出さえ出来れば私の勝ち。
今週もお互い勝ちましょう。きっと大丈夫です。
去年著しく心身の健康を損ない、寝ると泣く以外には何も出来ない日々を過ごしたあと、以前よりもっと出来ることが減っている自分に気付きました。精神はある程度回復しているのに、必要最低限以上外に出たり、人と関わる体力がないし、こう工夫したらもっと生きやすくなるとか、前進するためになにをすればいいかが分かっていたとしてもそれを始めたり成し遂げるイメージが持てない。
勇気をもらう
10年前に地方で就活した文系。時期はともかく、流れは今と一緒なんじゃないかな?
3年生になると、インターンとか行きだす。
夏~秋に、みんななんとなくリクナビやマイナビあたりに登録し始めて、みんななんとなく業界研究や企業研究、自己分析なんかをはじめる。俺はしなかったけど、OB訪問をする奴もいた。
冬くらいになると企業の合同説明会なんかが始まるので、気になる企業の説明会に参加しだす。
年明けくらいに、取り合えず唾つける気分でエントリーしまくって、企業単独の説明会に参加しだす。エントリーした企業から会社説明などの書類や選考書類が郵送されてきて、うんざりする。あとは、エントリーシートに備えて志望動機をや自己分析を練るのにも、うんざりしてたな。
2月くらいになると、企業ごとに志望動機とかを書くエントリーシート(今もあるのか?)を提出する。たぶん30社前後?Webで出すとこもあれば、郵送のところもあった。この辺で、リクルーターから携帯かメールに連絡が来る。
3月になると、面接が本格化して、既に内定が出てる同級生なんかも出始める。
『泣いた』なんて表現は安っぽさというかミーハー感があって好きじゃないから、多分おそらくきっと『泣いた』は、この22年間で一度も使ったことのない言葉なんだけど、今日は初めて使うことになりそうだ。
大学4年生の僕は、だいたいの人と同じように年明けくらいから就職活動を始めていて、だからそろそろ半年を迎えようとしている。リクルートスーツもそれなりに様になってきたし、おかげで春服も夏服も、もしかすると秋服まで買い足さなくて良さそう。
こんなはずではなかったというのが本音で、3月末にはそれなりに大きなIT企業の最終面接にいくつか呼ばれていたから、わりとすんなり内定は取れそうだしGWはどこに行こうかなんて考えていたんだけど、その慢心というかもともとの人間性が正当に評価された結果だろうか、結局ことごとくお祈りを喰らい今に至っている。
はっきりいってヤバい。5月の大型連休は明け、依然として『無い内定』だ。
就活解禁の3月に余裕をかましすぎて学内説明会を始めとした企業研究を一切やってこなかったし、自分なんか一生かけても見つからないだろうというどこかで聞きかじったような知識で自己分析を疎かにしているから自己PRなんてできないし、そもそも中学校受験ぶりのテスト勉強(SPI)に四苦八苦している。
なんとなく東京のキレイなオフィスでなんとなくカッコいい仕事をなんとなくするんだろうなあと漠然に描いていた人生設計は早くも崩れそうで、ときたま深夜に『みん就』を見ていると将来の不安と、将来の不安と、将来の不安で本当に切なくなってくる。
そんなときに見つけたのが、マガジンハウスという出版社の新卒採用ページ。
各部署の所属長たちが未来の新入社員に向けてメッセージを送っていて、僕は毎月欠かさず買っている雑誌『POPEYE』の編集長である木下孝浩さんの言葉に文字通り『泣いた』。
少しだけ引用させていただく。
“大切なのは、学生時代、何かをして満足するのではなく、それを経て、今何がしたいかだと思う。人生のピークはハタチじゃない、これからもっと楽しい事が待ってるよ。”
かっこいいなよなあ、ほんと。
はあ、就活がんばろ。
長文注意
30社以上応募したが、なかなかいいご縁がない(1月辺り約5社だから少ないけど。前半は精神がやられてたので休んでました)
やっぱり自己分析が足りないのか、やりたい事が何かを考えるのが足りないのか、というか考えすぎなのか
やりたいと考えてもほんとうにそれがやりたい事なのか、本当にやりたいことでもタイミングよく募集があり面接も上手くいってその後も仕事が続けられるのか、というか考えすぎなのか
面接で上手くいかないのは準備不足か、念入りに準備しても上手くいかないのは準備のしすぎなのか、面接官が初めから歓迎ムードじゃないのは何かいやな事があったのか、いやいや面接するのか、じゃあ書類選考でさきに落とさなかったのか、期待できないけど会うだけあってみような気分なのか、最初からそんな気持ちだからいい印象にならないのか、こちらが明るく振る舞えばいいのか、明るく振舞ったらヘラヘラしてると思われるのか、やっぱり考えすぎなのか
普通の人はいつでも面接でハキハキとちょうどいい具合に話せるのか、そんなにメンタルいい人がやっぱり普通なのか、自分に自信が無いだけなのか、自信とは自信持てと言われてすぐに持てる物なのか、普通に友達感覚で話せばいいのか、そんなわけ無いだろと読んだ人は思うのか
相手の様子を見て態度を変えてるのがいけないのか、じゃあ切れてもいいのか、嫌味を言っていいのか
うまくやれる人はそだちがいいのか、努力してきたからなのか、単純なのか、適当な人の方が上手くいくのか、適当なひとは社内で適当な事ばかり言って迷惑はかからないのか
面接官もそんなに出来る人なのか、転職者を見下していい気になっているのか、失敗したく無いからそんなに採用に慎重なのか
自分の勢いが足りないのか、スキルが評価されないのか、基地外なだけなのか、社会不適合なのか、死ねというのか
転職回数多めでも職歴を褒めてもらったけど、面接で覇気が足りなかったのか、隠し切れない不安を押し殺せというのか
転職回数多いのはそんなに悪いのか、最近はむしろあるていど普通じゃないのか、全体からみて非正規も半分近いんじゃないのか
全体の景気が悪いせいなのか、就職氷河期からこんな感じなのか、派遣で探すべきなのか、また転職回数増えるのか
正規で威張ってるやつは何なのか、仕事渡して自分は定時で帰るやつは何なのか、俺も正規になるとそうなるのか
それでもやっぱり考えすぎなのか
考えすぎなのか
もうだめなのか、もう寝るのか、まだ早いのか、飯食うのか、どうでもよくなってきたのか、終わりにするのか、オチはどうつければいいのか、就職できる奴はオチも上手くつけられるのか、俺にはむりなのか、やっぱりむりなのか、どうなのか
死
なないで
頑張ってれば上手くオチがつけられるようになるのか、やっぱりオチがうまくつけられなかったのか、無理してオチをつける必要は無いのか、もはや怪記事になってしまったのか
○朝食:ヨーグルト
○調子
はややー。
相変わらず本調子じゃない感じ。
とはいえ、例によって仕様バグの歴史的経緯の資料を作ったり、テストデータを作ったりと、あんまり頭の中の疲れる部分を使う仕事じゃないから、なんとかこなせた。
どうして体調が悪いのかを自己分析したんだけど、多分この「バグが起きたら直す係」って仕事が妙な緊張感があって疲れるんだと思う。
今までは一作業員として選評通りに作業をこなす仕事だったのに、こういう遊撃部隊みたいな仕事になったのがしんどいんだな。
GW明けるまではこの仕事なので、自分にとって疲れる仕事だって認識をもって、はややーしていこう。
●3DS
リザードンでフィールドスマッシュを三週。
なんか妙な中毒性があるな、ただ課金するぐらいなら、元ネタが収録されているロボボプラネットの方を買いたいかな。
○ポケとる
ログボのみ。
イベントです。
目標は26日までに、累計25勝。
これ、無理なきがする。
えーっとね、就活っていうのはね、「自分を買ってくれ」っていう営業活動なんだよ。
手取り20万の求人だったとして、会社が支払うのは、税金だったり、設備だったりなんだりで、その倍額とかだったりするわけ。
「月額40万の商品を買ってください」って営業に来られたら、まず「求める条件」に見合った商品かどうか、検討するでしょ?見合わなかったら、買わない。ただそれだけでしょ?それが、会社側の都合。
営業活動をして商品を買ってもらうには「この商品はあなたのニーズにマッチします」もしくは「この商品は、あなたのニーズ以上のものを提供できます」って言うことを、示す必要があるよね?
例えば、優秀な営業マンなら、Aというものを求めているけれど、潜在的にはBの方が必要な顧客を見つけた時、その顧客にはBが必要であることを認識させた上で、Bを顧客自身に「選ばせる」。
「性格」で落とされたのなら、あなたの「性格」が会社側にとって有益な点を探してみたら?
例えば面接において「入社したら、君は(実際やってみないとわからない)○○できるか?」と、問われた時に「やります!」とか「出来ます!」と答える性格の方が採用されやすいし、「出来るかどうかわかりません」と答える人は落とされやすい。でも、前者と後者では、出る成果は変わらないことがわかっていて、むしろ後者は「正しい自己分析をし、冷静に判断することが出来ている」ということだから、実は「マイナスな性格ではない」んだよ。要は、マイナスと思われがちなものを、どうプラスにアピール出来るかっていう発想の転換だね。何度もやって手応えがないならやり方を更新してみる。とにかくいろいろ試してみなさい。
で、営業活動上成約に至らなかったところで、ダメだった理由を教えてくれる親切な顧客はいないよ。強い言い方をすれば、「甘えんな」。でも、聞けるタイミングがあれば聞いてみてもいいかもね。教えてくれる人も、中にはいるから。教えて貰えたなら、絶対後に活かせ。
それから、就活って素人が単独でやって簡単に成功するようなもんじゃない。新卒生向けの就活エージェントがあるのかどうかは知らないけれど、あったら活用してみるといい。
学生時代に頑張ったことが書けなくて悩んだ。それが公の場にふさわしい物語ではなかったからだ。
サークルの役職やボランティアに参加した経験はあるが、いまいち熱が込めて書けない。
私が本当に、それこそ中学時代から「頑張ってきたこと」は親との確執に関するもので、今までの人生のうち多大なエネルギーを使ったものであった。
家庭でいつ親が爆発するかわからない、地雷原を歩く心境で息を殺していたのに比べれば、サークル程度での人間関係や運営の困難など鼻で笑える。
一応大学から親との関係は落ち着いていて、今更グダグダいうつもりもないけれど、学生時代に頑張ってきたことで、それらに比べたいして苦しむこともなかった活動を語るのはどうにも難しかった。
だが、就職活動が進むうちにエピソードなど所詮仕事につかえるか示す道具に過ぎないと割り切るようになった。
主体性、チャレンジ精神、コミュニケーション能力など求める人材の文言によく登場するが、結局「教えなくてもある程度勝手に仕事を覚えて、仕事をお膳立てする手間がいらず、かつ会社内を波立たせない安全パイ」として使えるコマを企業は欲しているのだと思う。
それならそれを示せばいい。口では何とでもいえるから、真実味をもたせなければならない。主張を補完するのが「学生時代頑張ったこと」なのだ。
使い勝手のいいコマと示せるなら、エピソードなどなんでもいいのだ(難関企業は小手先では太刀打ちできないとは思うけれど)。
※元増田の意見を否定しようとか、なってない! と怒りたい意図はなく、ただたんに元増田の文章を読んでの自己分析です
これは僕がコードを書くことが主な仕事だからそう思うだけかもだけど、
元増田の会社が要求すれば開示しますけど? という態度は、僕にはちょっと信じられない。
元増田にとっては「それらもやった上で今があるんだよ!」となるかもだけど、
書いたプログラムの仕様や使い方を自分から誰にも説明せず、説明するだけの資料も作らずに
自分だけのものにしちゃうその行為は、僕にはとても不快で、とても居心地が悪く思えて仕方がない。
元増田のいう「自分を評価しない」とか「前任者の方が優れていたと噂を流す」とか、そういう不快なことをされたことと、
自分のプログラムの仕様を誰にも自分から説明しないことに因果関係を結ぼうとするのが、どうにも僕には収まりが悪い。
「コンビニで割り箸を付け忘れた店員がいたから、子供を小学校に行かさない」ぐらいの突拍子もない出来事に思えてしまう。
もちろん、元増田にとっては、同じ仕事の中なんだから因果関係があるのだろうけど、
どうにも、そこがしっくりこない。
聞いてきたら教えますけど? っていう態度をとっていいわけがないと思えてしまうんだよね。
たとえ自分が評価されてなかろうと、自分にとって不愉快な噂話をしていようと、
自分が業務時間に作った成果物の仕様を正しく皆に説明しなきゃいけないという使命感を超える不快さじゃないんだなあ、僕にとって。
けっきょく、なにに重きを置いて生きているのか? みたいな価値観の話題になってしまうけれど
僕にとっては自分自身の評価よりも、自分が作ったコードの評価の方が大切なのかもしれないなあ、
いやこれもバランスの問題であって、どちらに偏るのが良いとか悪いとかじゃなくて、程よいバランスをとるのが大事なんだろうけど、
以下引用
これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。
2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的な隣国の情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーなテレビ局は無かったわけですし、新聞は産経を除いて報道してきませんでした。
なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います。
日本の戦後教育や日教組の価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国や南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います。
いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社や学校、部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います。
日本は対外的な危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います。
今、家族は妻の実家に帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守の立場に立ったからだと思います。昨晩は2chの辻元清美関係のスレにものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。
言いたいことをまとめますと、
といったところでしょうか。
サークルの先輩に聞いた話だが、就活生に面接室でうんこをさせて、その外観・芳香・品格等によって選考をなす企業があるらしい。嘘みたいな話だが、これが本当なのだ。そもそもなぜ学生にうんこをさせるのかというと、そこには創業者の信念がある。その創業者は幼少時代、学校のボットン便所内に転落したことがあった。助けを呼ぼうと思ったが強烈な悪臭のため口を開けることができない。そうこうしているうちに同級生たちがやってくる。呑気に排便する同級生を頭上に望むこと十数分、彼は気づいた。良識あり頭脳明晰なる学友の便が美しい光沢を持ちまっすぐ決然と落下していくのに対し、最低にしておよそ褒めるべきところがない学友の便は表面が醜く爛れ、便槽に着地すると不愉快な音をたてる。そう、うんこと人間性は比例するのである。この大発見によって彼は陰謀渦巻く実業界中において成功を手にし、全学生の憧れるホワイト企業の創業者となったのである。以上は創業者の自伝による。
つまり、うんこによって当人の人柄はもちろん将来における成功ありやなしやまでをも判定することができる、というのがこの企業の言い分なのだ。これによって苦労するのが就活生であることは言うまでもない。なにしろ面接会場で当意即妙のうんこを放出しなければならないのだ。うんこ面接が学生の間で知られるにつれ、いろいろ対策がとられるようになった。就活生はまず自己分析の一環として自らの排便を見つめ直さねばならない。ワークシートに排便日時・場所・形状等を記録し、それを元に企業の求めるうんこを練ってゆく。そして、面接数日前からはコーラック・ビオフェルミン等によって排便を調節し、万全の態勢で本番に臨むのである。
このような方法論が積み重ねられれば、じきに内定へのセオリーが出来上がるのは当然といえよう。就活セミナーでは、理想的なうんこを出すための薬品使用法はもちろんのこと、排便に先立つ下着の脱ぎ方や、はては息むときにはどのような声を出すと好印象かといった問題までも詳細に指導されるようになった。こうして、就活生は志のある者ならば誰でも、面接室でバナナ形のほどよく光沢のある社会人として恥ずかしくない排便をなすことができるようになったのである。
しかし、誰もが似たようなうんこをしてくるようになったので、人事担当者は辟易した。なにしろ面接日となれば朝から晩まで皆一様にバナナ形でほどよく光沢のあるうんこをアピールしてくるのである。時々は向こうを張ってあえて下痢便を大噴射させてみたり、肛門まわりの剛毛を剃らぬままやってきたりする者が現われたが、そういう人間はむしろ不評で、結局は光沢バナナ形の中からわずかな差、たとえば尻のほくろがキュートだったとかうんこにコーンが混じっていたとか、そういう些細な差によって内定者が選ばれることの方が多かった。そういう現状を嫌い、ためしに細いうんこ出してみてよ、などと無理な要求をなす面接官まで最近はいるようだ。
こういう旧態依然とした面接に対しては、社内でもしばしば批判されている。うんこ面接はもう限界なのではないか、そもそも東大卒でうんこが理想的でも働かせてみると無能だったりするではないか、と主張する重役もいる。しかしうんこ面接を支持する声は根強い。言葉はいくらでも誤魔化すことができるが、うんこだけは当人の人間性を証するものとして否定しがたい説得力を持っている。就活を通じて自分のうんこを見つめ直せるならばそれもまた成果ではないか。というのがうんこ面接支持派の挙げる主たる理由である。しかし本当のところは違う。自分が過酷なうんこ面接をくぐり抜けて入社してきた、それが今の自分に繋がっている、という社員の思いが、うんこ面接の否定を避けさせているのである。
ダメ人間なのだが、就活をしないと行けない。しかしダメ人間はプライドが高い。どうやっていいかというものを人に聞くことがとても怖い。馬鹿にされそうだからである。
また引きこもりであったため人目に触れることを極端に恐れている。自己分析など行えば自分のつらい過去や汚点ばかり出てきてまったく仕事ができるような気がしない。
こんなダメ人間はどうやって就活を進めてゆけばいいのかわからない。ネットを覗けば「仕事がつらい」という文章ばかりが見えてきて未来にも希望が持てない。
たぶんこのままどこも受けず消えてゆくんだろうという思い込みが日に日に支配して来ていてとてもつらい。どうやって勧めたら良いんだろう…
まず始めにこれは作文ではない。ましてや作文に対する御大層な解説でもない。本来のはてな匿名ダイアリーの使い方だろうと思う。戯言だ。そして、作文をアップした私の逃げ道だ。
ここ数日で2つの作文をアップした。どちらもなんてことない日常だ。私は今までここ(どうやら増田というらしいですね、なんででしょう)の存在は知りつつもアップすることはなかった。なぜ作文したのか、する意義は何なのか、そして公開する意図は、おっさんの創作だろう、すべて分からないままだ。多分それがここの面白いところだと私は思っている。
1つ目の作文をアップした深夜、ここは全くと言っていいほど閑散としていて、URLを付けてナメクジと書かれ、まあねと思いながら寝た。翌々日、ナメクジの作文に300以上のブックマークが付いていた。ドキドキして困惑した。(このフレーズは追記した後ダサいなと思って消した)コメントも1つ1つ読んだ。引用しているブログも読んだ。ついでにツイッターのRT先まで回った。気持ち悪いでしょう。嬉しかったんだね。
その中のコメントでおっぱいと私との和解だと評されていた。確かに。シャツ問題など眠くなったのと飽きて仕上げきれなかった(コメントで見抜かれていた)分も含めて、おっぱいと私が折り合いをつける過程をタラタラと打ち込んだに過ぎなかった。私はこの客観的な意見に対して、正しさの違和感を勝手に持った。
私の中で、おっぱいとの雪解けはもっと後のことだったからだ。ここからは自己分析に過ぎないのだけれど、1つ目の作文は物理的問題に対する和解であったのだろう。精神的問題に対する和解は自分では良さの分からないおっぱいを、自分が好いとする人に良いとされるまでなかったのだと今更わかった。作文の言葉を借りるとすれば、物理的問題に対するサポートメンバーはブラジャーであり、精神的問題に対するサポートメンバーは彼であったんだと気づいた。
2つ目の作文をアップするときこれは読まれないだろうなと思った。2番煎じは好まれないし、自意識過剰に文を教科書的に作り上げたからだ。なぜかといえば、恋愛話をするのが好きではないからで、ダブルミーニングや状況で彼の変化、「この時の作者の気持ちを答えなさい」的文を入れ込んだためだ。
しかし、幸いにもどちらの作文もたくさんの人に読んでもらえたようで、こそばゆい感情をこそばゆく噛み締めている。正直もうネタはない。今冬、乳首に余ってるリップクリームを塗ったらモチモチになった話ぐらいしかない。そして今使ってしまった。オススメしよう。
おっぱいぶるんを越えるのは到底無理なので静かにアップすると思う。3つくらいコメントつくといいな。
今日は早めに寝よう。
ありがたいことに今年になってからはてぶコメントで星をもらい、数度人気のコメントにしていただいた。ありがとうございます。
ブコメを書こうとしたらすでに似たコメントを書いている人がいたらば頭を唸らせて気の利いたコメントを書くよりスターを付ける方が手っ取り早い。
これはすでに100ブクマついていた記事に対してだったけれど、自分と同じ視点のコメントがなかった。
例えば『ここ数日寒い』という内容に対して「わかる」「今年の寒さは異常」のようなコメントが並ぶ中、『だからこたつ最高!』という箇所を引用して「こたついいよね」とコメントを付けた。
みんな確かにそうだ、と思ったようで一気にスターが付いた。
すべらなかった。
けれど先日たくさん星を貰ったコメントは上記のどれにも当てはまらなくて頭を唸らせている。
そこまで早くブクマした訳でもなく、似たコメントがすでに付いており、大喜利もしていない。
就活目前に控えてるけど休学したい。
いままで散々企業研究とか自己分析とかインターンとか就活本漁ってみるとかなんかそれっぽいこといろいろしてきたけど
しっくりくるキャリアデザインが描けないままここまできた。
お叱りをうけそうなのだけど、はっきりやりたいことがあるから休学したいというわけではない。
じゃあどうしてかというと、このもやもやしてモチベーションもない状態で就活に繰り出して本当にいいのだろうかという不安があるから。
もう一つ、ここ最近やりたいことが次々と湧き出てきて、これらを経験したあとであれば、
興味の幅や考え方も今とは変わって就活に対してももっと積極的になれるんじゃないかという気持ちからだ。
(他言語の上達、登山、国内外旅行、専攻外の学問への関心、等今まで全然興味が無かったのにこの時期になってどれもちゃんとやりたくなってきた)
あともう一つモラトリアムを延長したい、働きたくないというのもあるけど。
親と話したら、後でネチネチ文句言われたくないから金出すから好きにしろと言われた。(後でネチネチ文句なんて言わないのに)
多分本人は覚えていないけど、とにかくこれが尾を引いて、わたしは高校を卒業するくらいまで自分なんかがおしゃれしてはいけないと思っていた。女の子じゃないから。
高校生にもなって着飾ることに興味も見せないわたしを心配して、母親はあれこれ服を買ってきてくれたけど、わたしはあまり興味を示さなかった。というか示せなかった。そうしたら母親はなんでそんなに無頓着なんだと怒った。
大学に進学して一人暮らしを始める直前の春、たまたま母親と二人きりで作業をする機会があった。
その時に、母親に子育てについて謝られた。なんだったかなあ、2つ年下の弟を優先して辛い思いをさせてごめんね、みたいな感じだった。半分泣いてた。
正直あんまりそんなこと考えたことなかったからびっくりした。そんなことより女の子じゃないって言われたことの方がずっと印象に残ってるんだけどなあ。
高校を卒業して、遅ればせながらわたしもメイクというものを習得した。メイクをしたら、わたしもおしゃれっていうものをしていい権利を得たような気がした。自分で服を買うことを楽しめるようになった。わたしが自分で買った服を着て帰省すると母は喜んだ。
ただ、たとえメイクをしていても自分の顔を見ていられなくて、写真を撮られるのは未だに嫌いだ。旅行に行っても自分の写真を撮ってこない私に母親は冗談交じりの恨み言を言う。
わたしにとって母親はある種の理想の女性だ。専門職についてバリバリ働いているし、家事全般も得意だ。
たぶん愛されて育ったと思う。わたしは母親を含む家族が大好きだ。
ただ、就活を控えた自己分析で小学校の頃の印象に残ったエピソードを書こうとしたら、「女の子じゃないみたい」と言われた日のことが真っ先に蘇ってきて、無性に悲しい。なんなんだろうなあ。