はてなキーワード: 小作人とは
半世紀近く農業従事する人に聞いた話が田舎の幻想をぶち壊すって話「農業は高度なコミュニケーションが必要とされる」など
https://togetter.com/li/1432461
農家はそれぞれが個人経営者なので、経営者として作物を売らなきゃいけないから、最低でも農協と色々掛け合ってお話する必要があるし、農協以外に出荷をしているなら、その出荷先とのお話も必要なのよね。農作業そのものには対人コミュニケーション能力はあまり要らないので、農業法人とかで小作人みたいに働くサラリーマン農家というものがあれば、それはコミュ障と馬鹿にされる人達にとってはそう悪くない選択になると思う。
あと、俺もそうだけど日常の雑談が苦手で近所付き合いが大嫌いだが、仕事の話なら何の抵抗もないし喧嘩腰の交渉も出来る、ってタイプのコミュ症なら、それほど問題なく農業できると思うが、俺が住んでるのが近所付き合いを執拗に求めてくるタイプの田舎じゃないからなんとかなっている可能性はあるなw
田舎は楽園などでは全然なく、そこにはそこなりの苦労があって、それ故に人が減っているというのは田舎暮らしを続けて(というかそう時間も経たないうちに)わかったのだけれども、事情をよく知らない田舎暮らしに憧れている人間を小馬鹿にしている人間の文章を見るとどうも面白くねんだよな。
そうだろうか。例えば、強国に攻め込まれた弱小国は遅滞戦術を基本的な方針として、ゲリラ戦と国際社会へのPRで抵抗するのが有効だ。これは歴史上の前例、例えばナポレオン対ロシアやアメリカ対ベトナムなどから分かる。
帝国主義国家の繁栄の仕組みを理解すれば、それが現代日本で興隆している派遣会社の仕組みと相似していることに気づく。
領民と領主、小作人と地主、従業員と創業経営者や株主。そういった関係を見れば、儲けるには労働所得ではなく資本所得が重要だと分かる。
メディアが個人にいかに力を与えるか、最新のメディアに精通して活用することがいかに重要か。ルターの宗教改革と印刷機、ヒトラーとラジオ・テレビ、アフィリエイターやYouTuberとネット広告、トランプの選挙戦工作とFacebookなど、数多ある事実から容易に理解できることだ。
どちらも個人事業主として「契約」してるわけだから、同じ1600円だとしても文句は言えないわけだけど、やっぱ外資系ウーバーイーツは巧みなんだよね。腹の中に不満を溜め込ませない感じ。
日本企業はなんつーか、農耕民族というか「地主と小作人」から抜け出せないよね。なにかにつけて搾取する側とされる側をつくっちゃう。「どんなに努力しようと作物の採れる量は天候で決まっちゃうから、利益を増やすには小作人を安く使うしかないよね」感。
「広告では2500円で募集してましたが、はい、あなたの査定金額は1600円です」
どこのだれだかに査定された時給。胸糞わるいし、腹の底に不満が残る。ウェットでジメジメ!
狩猟民族っぽいというか、ぜんぶ明らかにして受け持った役割でもらえる割合が決まる的な、ドライ!
基本料金300円ね、それと受け渡し料金170円ね、そこに距離加算(150円/km)を足して、さらにブースト倍率。雨が降ってたし人手不足だったから倍率ドーーン! はいそこから手数料350円引きまーす、の結果「時給換算1600円」
各料金もブースト倍率も結局は「中の人」が決めてるわけだから同じことなんだけど、なんとなく「需給のバランス、マーケットが決めた値段だから仕方がないよね」と納得したうえで仕事ができる。
伝え聞く話なのであまり真に受けないで下さい。
これとは違う原因が存在しているようです
都道府県別出生率トップの沖縄は都道府県別所得最下位でもあります
という大原則があり
例として
札幌市民195万人中
ほかの地域と比べて低く
それぞれの人気はトップの2人に集中する
人気が集中するのは、やはりトップの2人
かりに100人を語るとしても
人気が集中するのは20人獲れるわけですが
頑張ったとしてもせいぜい5で、20人には到底及ばず
本当に少子化をなんとかしたいのなら
これはエシャラン(梯団)の定理といいまして
より近似の需要要素が比較されるので、結局のところ選択肢が狭まります
もう一つ注目すべき点は堕胎です
第1次ベビーブーム(と呼ばれる)
この時期にあったのが
じつに出生数の7割が中絶されました
この状況で農地改革を行うと
これを防ぐために、中絶解禁が実行された
それでも父母が存命である限り
とりあいさせることによって生み出された「高度経済成長」と言う名のバブルなのです
今後考えられるのは
まあ、テキトーに読み流してもらえるにはどうしたらいいかな?と考えた場合、「オッサンの雑談」ほどテキトーに聞き流されるものもあるまい、ということで、オッサンの雑談を書くことにした。
もう5年前くらいに田舎のお葬式に出た際、飲み食いの席で、遠い親戚の叔父さん達の雑談を聞いていた。
自分としては特に話すことも無かったし、叔父さん達は話を聞いてもらいたかったようにも見えたので、テキトーに眠そうにしながら彼らの聞いていたのだが、心の中では戦慄していた。
当たり前だが、「叔父さん達」と言っても、それは「血縁上の」という意味であり、他人から見ると、年齢的に「お爺さん」「お婆さん」である訳だが。
別によく増田で書かれているような「人間関係のドロドロ」とかそういう話では無い。
平和そうに話される会話の内容が、どう考えても、「時代が間違っている」訳です。
「お前ら、タイムスリップしてきたのか?」と。
なぜこの話を思い出したかというと、下の記事がはてブにあったからだけどね。
江戸幕府が終わってからまだたったの150年という事実…「進化の速度すごい」「江戸幕府は約260年続いた訳で…」「混乱する」 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1182953
まあ、そうなんですよ。
叔父さん達が若者であった時代は、「トラクター」や「コンバイン」なども無い訳です。
そして、「朝から晩まで働いて、鍬や鋤で畑を開墾した」みたいな話をされる。
島崎藤村の「千曲川(ちくまがわ)のスケッチ」みたいな話をリアルタイムで聞いていると、目眩感を感じる訳です。
学校の小使は面白い男で、私に種々な話をしてくれる。この男は小使のかたわら、自分の家では小作を作っている。それは主に年老いた父と、弟とがやっている。純小作人の家族だ。学校の日課が終って、小使が教室々々の掃除をする頃には、頰の紅い彼の妻が子供を背負ってやって来て、夫の手伝いをすることもある。学校の教師仲間の家でも、いくらか畠のあるところへは、この男が行って野菜の手入をして遣る。校長の家では毎年可成(かなり)な農家ほどに野菜を作った。燕麦(からすむぎ)なども作った。休みの時間に成ると、私はこの小使をつかまえては、耕作の話を聞いてみる。
(中略)
粗末ではあるが眺望の好い、その窓の一つに倚りながら、私は小使から六月の豆蒔(まめまき)の労苦を聞いた。地を鋤(す)くもの、豆を蒔くもの、肥料を施すもの、土をかけるもの、こう四人でやるが、土は焼けて火のように成っている、素足で豆蒔は出来かねる、草鞋(わらじ)を穿(は)いて漸(ようや)くそれをやるという。小使は又、麦作の話をしてくれた。麦一ツカ――九十坪に、粉糠(こぬか)一斗の肥料を要するとか。それには大麦の殻と、刈草とを腐らして、粉糠を混ぜて、麦畠に撒(ま)くという。麦は矢張小作の年貢の中に入って、夏の豆、蕎麦(そば)なぞが百姓の利得に成るとのことであった。
「戦前の農村」と考えると、まあ、似たような時代なんでしょう、工業化も農村までは行き渡らなかったと思いますし、ほとんど江戸時代のようなものですよ。
その一方で、「一歩間違えたら、自分も手作業で畑を開墾していたかも知れないな」と思い、「はわわ」と内心戦慄していた訳です。
さらに、論を展開させると、「実は明治時代に戻りつつあるのかも知れないな」とも思います。
「レールに乗っていれば、無事上がれる」みたいな時代は終わっている訳じゃないですか。
というか、「マスコミの敷いたレールに乗ると、食い物にされ、大抵は地獄に墜ちる」ということでしょうけど。
マスコミが「~に投資しろ」「~の時代が来た」という時点で、搾取のシステムは完了しており、それに乗った人はむしり取られるだけ、的な感じでしょうか。
「だからマスコミが悪い」と言いたい訳でもない(言いたい部分もある)が、構造的に、「すでに先端から一歩遅れた話」をマスコミは報じる訳です。
「自分のリアルタイムのメシの種の秘密」を教える人なんていない訳ですから。
全然関係無い話ですが、「iTunes Storeでの音楽ダウンロード販売を終了」という話がありました。
で、ビジネスの中心をSpotifyやApple Musicなどのストリーミングへと移行する、と。
(さらに関係無い話をすると、「ビットコイン資金洗浄の最新手口はiTunesでの楽曲販売」みたいな話もありましたね)
何が言いたいのかというと、「App Store」でiPhone用の買い取りのゲームなんかも毎度セールをしている訳ですが、240円くらいで世界の才能のあるアーチストの作った美しいゲームが買えたりしますが、一方で、まだ「iTunes Store」では、シングル曲を250円くらいで販売している、もう、値付けが何が的確なのかよく分からない印象があります。
(その一方で、未だにAKB系のシングルCDが1500円くらいで売られている。まあ、「握手券」や「アイテム的価値」というのはあるかも知れないが。またさらに言えば、アイドル系以外の音楽のアーチストが「CDを買ってください」と頭を下げている)
「格差」「格差」と言いますが、「格差」を利用して儲けるのが商売というものだと思います。
現に、上のような矛盾するシステムが共存する訳で、その隙間を狙えば、多少は良い思いが出来るんじゃないでしょうか。
必要なのは、多分、「認識を適切に変化させること」であって、「相手の認識を時代遅れにすること」だと思います。
体制を打倒したいのならば、「体制の認識を時代遅れにすれば良い」訳ですが(体制の認識が時代遅れになれば、江戸幕府のように倒れるんじゃないでしょうか?)、例えば、リベラル系の重鎮の人達は、「自分達が時代遅れになっていることすら気がついていない」気もします。
今の状況を「ピンチ」と見るか、「チャンス」と見るかでかなり人生の見方は変わると思います。
そして、「認識を適切に変化させること」については、多分、日本人が一番アドバンテージがあるんじゃないでしょうか。
現に、アメリカは国がまとまらないほど、容認出来ないほど認識格差は広がっていると思いますし、例えば、最近、地球平面説信者が勢力拡大しているらしいです。
その上で、以下のようなパロディがある。もはや訳の分からない状況にある。
参照:地球の萌え擬人化が海外でブームに! 地球平面説信者の勢力拡大が原因かwwwww
http://yurukuyaru.com/archives/74181806.html
参照:北京から「底辺住民」を追い出す中国の不条理 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/post-9150.php
まあ、こんな分析はどうでも良いんですが、結構安全地帯はないと思いますので、早めに変化の苦しみを味わっておいた方が良いんじゃないでしょうか。
ここ数日のxevra御大へのバッシングに本当に心を痛めている信者の一人だ。
御大を崇め奉る信者として、その心境を率直に語りたい。以下は教義のPRです。
どこにでもある、ありふれた話だ。
そんな自分がまた社会に復帰できるようになったのは、運瞑睡野のおかげだと間違いなく確信している。
仕事に全力投球するのはもちろんいい事だが、しかし同時に自分の体も脳も心も、休めるべき時には全力で休める。
ヘトヘトに疲れているのにオフタイムに運動なんて勘弁してくれよと思うかもしれないが、これが驚くほど効果がある。
運動すると妙に気分がよくなり、くよくよ悩んでいた事がバカらしくなってくる。
肉体を意図的に疲れさせる事で、逆に肉体が頑張らねば!と元気が湧き出てくる。
瞑想もいい。
過去の嫌な経験や、やり直したい事について延々考えてしまう負の思考ループ、鬱病はこうした反芻思考に陥る病気である。
あるがままの自分の状態を見つめる。浮かんできた感情を客観的に眺める。
負の思考ループに陥りそうになったら瞑想していた事を思い出す。心を鎮めて、また自分を見つめる作業に戻る。
瞑想については色々なやり方があるから、各自に向いた実践方法を探すといいと思う。
書く作業に飽きてきたので省略するが、これらは全て自分を癒し、いたわり、
また明日から元気に楽しく日々を送る上で非常に有用なライフハックなのだ。
瞑想はまだデータ不足ではあるが、運動と睡眠、野菜の効果については科学的なエビデンスも多い。
オカルトと思うかもしれないが、何より自分自身、本当に効果があると実感している。プラセボでも効果があるなら上々だ。
もちろん御大に思う部分もある。野菜は350gでは足りないと思うし、もっと全体の栄養バランスについて考えるべきだと思うし、最適な運動量の考え方についても自分とは違う。
だがそれでいい。運瞑睡野をどう実践するかは各々考え、自分のライフスタイルに落とし込む作業が必須だ。
自分はブラック企業でうまく立ち回れず、大脳が壊れたメンヘルになってしまった。
当然至らない部分があったのは自分の未熟さ故だ。
だが、自分のような大脳の壊れたメンヘルを量産するようなブラック企業、歪な社会構造、
立場の弱い小作人が一方的に搾取されるような権力者中心のビジネスモデルは、
果たして看過されていいものだろうか?大脳の壊れたメンヘルの末路を、自己責任で終わらせていいものだろうか?
いきなり名指しで、上から目線で批判されたら反発するのが人情というものだろう。
だが、御大の日本や社会への批判は、大脳の壊れたメンヘルをこれ以上生み出すなという強いメッセージ性が根底にある。
メンヘルに陥りかけている人間に手を差し伸べている。おせっかいと言われようとも目の届く範囲でも救いたいという意思を感じる。
それが、大脳が壊れてメンヘルになってから知った、世界。自分が一度挫折していなかったら決してそうは思わなかっただろう。
だから罵詈雑言を浴びながらも手を差し伸べ、メンヘルを生み出す社会構造をひたすら批判する御大の事が好き。
マスターキートンの中でも印象に残っていると言う人が多いであろう砂漠のかーリマンの話。
新疆ウイグル自治区、崑崘山脈から流れ出る2つの大河に挟まれ水の豊かなコータンは紀元前からシルクロード佐伯何度のオアシス国家として栄えていた。こーたん近くタクラマカン砂漠の下には東西交流の後を示すオアシス遺跡が数多く眠っている。その降誕北方110キロにある車は累積ここが舞台になっている。
遺跡の発掘と保険とは味切な関係がある。発掘参加者の紹介保険の丘後から発掘品の盗難破壊に保険をかける場合もある当然発掘されたものが保険の契約内容にふさわしい考古学的価値を持つか否かを鑑定する必要も生じてくる。故に保健委員の仕事も大いに関わってくる。
ウィグルと呼ばれる人々はトルコ系の遊牧騎馬民族で8世紀には中国北西部を支配する大帝国を形成したしかし9世紀後半キルギス人により滅亡現在は中国北西部の各州の民族自治区に分かれて生活をしているウィグル族は15世紀以降イスラム化した会長とはいちにち誤解目回の礼拝を欠かさない。
我々をイーグル足の上に立つの新の神のみであるだがかつてオアシスが水を持つ者が支配者だった私のように小作人として生を受けたものは様子吉田吉田の拍子に告示され続けた私はこの地にとどまった子後はマホメットに最も近い伝説の英雄さリコの生地とされていたからだ私が毛沢東の軍隊のために戦ったのも我々老いぼれ側の信仰の自由のためだ英雄サーディクのように。
われわれはついにあれを発見した。あれこそが1000年の昔この砂漠で戦ったauサービックの聖なる量の上に立った礼拝所の後だ。中央の壁の凹みは聖なる印だ。
「よくわからんが世界中にはよそ者がつかつか踏み込んでけない場所がたくさんあるってことです最近の日本人は平気で工夫を壊しちゃいますけれどもね。」
まず日中そこに下差し込まない東西方向に穴を掘って直射日光を避けるもちろんそれだけで脱水症状しているわけではなくこの時点でミスターハニーがほぼ助からない状態になる。
まず日中そこに下差し込まない東西方向に穴を掘って直射日光を避けるもちろんそれだけで脱水症状しているわけではなくこの時点でミスターハニーがほぼ助からない状態になる。
次に石をしゃぶったり音を掘り出して水を吸ったりと言う行動とる。
われわれは全員おそらく体重の10%位の水分は既に失っています。昼の朝から考えて後5パーセントでも水分をしなれれば我々みんな死んでしまいますまず水できれば塩分が確保できるまではここを動くべきではない。
我々の現在地およそ北緯37度50分タクラマカンの中央よりもずっと南にいます佐伯何度まで少なくとも60キロ2万はかかります北半球の北緯10度位北では北極星のコードから現在地が分かるまず本滝ノ町2開けた何お守りのついた糸を垂らすそして北極星を除く人が分度器で示した角度90度から引くと北極星の行動=色となる言時がない場合は指でも代用が可能である。
さらに花を用意してねずみ男捕まえネズミの血液を飲んでなんとか生きる。
さらに小便を濾過して水を用意する。
人間の体は脱水症状が進むほど帰って頻繁に名が出るもんなんですよ。
砂漠に穴を掘りその上をビニールで嘔吐、太陽熱で、ビニール布の下の空気は温められ血中の水分が蒸発し水滴となる。水滴は、穴の中央のビニール袋に落ちてた。。つまりこれは1種の天然蒸留器である。
彼は新の教えを伝えるために多くの仏教と戦い開始を迫ったが、女子供だけは決して傷つける事はなかった。しかし仏教徒にはとの戦いで彼の部下が誤ってこども園12を処刑してしまったことがあった彼は自ら新の裁きを受けるために腰6-101砂漠の中に身を置いた。生きて砂漠から戻れるか田舎上に撮ったのだそして4日後彼は生還した砂漠の帰りマンとして。
彼は新の教えを伝えるために多くの仏教と戦い開始を迫ったが、女子供だけは決して傷つける事はなかった。しかし仏教徒にはとの戦いで彼の部下が誤ってこども園12を処刑してしまったことがあった彼は自ら新の裁きを受けるために腰6-101砂漠の中に身を置いた。生きて砂漠から戻れるか田舎上に撮ったのだそして4日後彼は生還した砂漠の帰りマンとして。
水をやれ。水を飲ませてやれあいつわかり万だ。
私はAmazonで物を売っていた。
そう、残念なことに過去形で。
一方的に停止させられてしまったのだ。
Amazon.co.jpにより一時停止されています。]
正直なところ、理由はよくわからない。
メッセージの詳細を見ると
「以前当サイトにて
関連があると判断しました」
と書いてある。
警告をもらうようなことは、しているつもりがないし
本当に心当たりがなかったので
それはわかってるけど、理由がサッパリわからないことを伝える。
「申し訳ありません、それはこちらでもわかりません」
全く連絡手段を持たないらしい。
どんな企業だよとか心のなかでは思いつつ、
そこへの連絡先を聞くと
「公平性を保つため、メッセージでのやりとりのみとなってます」
末端オペレータをチクチクやっても問題は解決しないので
なにかマズイことがあるなら、改善しなければならない。
・勝手ながら一方的に判断して閉鎖したよ。
・残ってる注文の処理はそっちで勝手にやってね。
・FBA倉庫(Amazonに委託販売する時に使う倉庫)にある荷物は
・販売客からのクレーム処理のため、売上金はしばらく返さないよ
そんな内容だった。
その内容の下に、問い合わせ用のボタンが付いている。
早速、こんな内容で送ってみた。
「全く心当りがないので、
なにかマズイことがあるなら教えて欲しい。
ぜひ改善してストアの再開をしたい」
調査内容はセキュリティの問題上開かせません。
アカウント再開はできません。」
なん・・・だと?
こちらはアカウント(ストア)が再開しないと
飯の種がなくなるので、当然必死だ。
これを受けてamazonに返信してみた。
「ご回答、ありがとうございます。
どのような規定に触れたのか知らないことには、
二の轍を踏む可能性がございます。
今後の改善策として教えていただけませんでしょうか。
どうぞよろしくお願い申し上げます。」
正直、内心ムカつきながら書いてるけど
ここは我慢我慢。
で、返事が来た。
再開はできかねる旨、ご連絡申し上げます。
ご了承ください。」
正直なところ、かなり避けたい事態だった。
だが、このメールには続きがあって
要約するとこうだ。
・Amazon内で行われる活動をモニタし、調査する権利があるが義務ではない。
・Amazonが不適切だと思った行為に対して、あらゆる処置を行います。
(Amazon内での出品停止などにとどまらず、財産の差し押さえとかもやれるらしい)
・これらの規約違反について、Amazonは絶対的な裁量を保有します。
なんとか関係改善の糸口がつかめないかと三度目メールを送ってみた。
正直、自分でもしつこいとは思っているんだけど
これがないと収入が消えるのでどうしようもなくなる。
「申し訳ありませんが教えてください。
どういう意味なのでしょうか。
私個人に対して、なにか重大な規約違反があったのでしょうか。」
「アカウントも2度と作らせねーよ?」
と言われると、一体どんな恐ろしいことをしたのか不安になる。
今度の返信は早かった。
及びその関連アカウントについては、
総合的な判断より閉鎖の処置を行わせていただく場合がございます。
同様の処置を取らせていただく可能性がありますことをご理解ください。」
そもそも、関連アカウントって何?みたいな感じですが
試しに、隣にいた親戚の人に頼んで
新しいストアを作ってもらうことにした。
が。
理由は聞かないでください」
という内容の赤文字とともに、申請が途中で止まる。
ここはレンタルオフィススペース。
おそらく・・・と思ってダメ元でアカウントスペシャリストにメールを送ってみた。
アカウント停止を解除していただけないでしょうか。
何卒、ご検討ください」
一番最初のメールが帰ってきた。
一行だけ「重ねてのご案内となりますが」と付け加えられて。
次々とアカウント閉鎖に追い込まれているが
もちろん最初の一人以外は心当りがないに違いない。
先週、オフィスを逃げるように引き払った。
自分にとって唯一の救いは、
他のオフィス仲間も、なんとか立ち直って欲しいと本当に思う。
私はともかく周辺の人間だけでもなんとかならないかと思ったから。
だが。
何回か言葉のやりとりを交わした後
「どうにもなりませんね。
どうもお疲れ様です。
スーツなんて作業着、コードに服装は関係ない、と普段は無知を誇って言ってても、給料を出す側の論理で着とかないといけない状況もあります。小作人は辛い。
で適当に買うわけですが、この時期なら都内デパート各店の紳士服セールがありますね。
この紳士服セールへ行く時に、勝手のわかっていないギークあるいはモヒカンさんでも、1つだけやっとくといいことがあります。
それは、売り場のおばちゃんを無視すること。
彼女らはただのパートで、商品知識も客の体型を見分ける眼も持っていません。
ツーパンツだノータックだイタリー製だ、とどうでもいいことしか言って来ません。
出したハンガーをかけっぱなしにしたりして、客が自分でスーツをみることを想定した動きをしません。
デパートで働いているくせにコンビニ店員より気が利かない、ただの木偶の坊です。
特にO田急と京Oはひどいです。
売り場のおばちゃんに聞かないで値段の割に良いスーツを見分ける方法?
そんなの教えたら私が掘り出し物見つけるのが大変になるじゃないですか。
あ、すみません一点忘れてました。
読んだ↓
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20130416/p2
以前いた会社の話をしたい。
簡単に言ってしまうと
・トップが3代目
オーナー企業って悪いことばかりじゃなくて、
短期収益を気にする株主に左右されずに、長期的な視点で経営できるとか、
良い点もあるとは思うんだけど、ひどいとこはひどい。
なんて言うか、空気が。
ちなみに創業50年以上の会社だったと思う。
「オーナー企業」と言ってしまうと日本の中小企業8割が個人で株式の大半を所有しているオーナー企業なので、
株式公開してれば、まだ株主の目もあるし、いいんじゃないかな。
創業者は自分が起ち上げて成長させた「自分の会社」や「その仲間たち」に愛情があるだろうし、
二代目三代目になると、その愛情も才覚もない、若いアホ坊(ぼん)が社長。
自分に自身がないからワンマンにはならないけど、経営の才覚もない。
その下のマネジメント層も指揮命令しない。命令しちゃうと何かあったときに自分の責任になるから。
もちろん報告や連絡も受け取ってもらえない。報告や連絡を受けちゃうと何かあったときに自分の責任になるから。
やっても思惑から外れると責任を取らされる。「なんで勝手にやってるんだ!俺は聞いてない(から俺の責任じゃない)ぞ」
その結果、実績や青果よりも、パフォーマンス合戦、媚び売り合戦、責任のなすりつけ合い、社内政治。
成果主義の名のもとに給与を落とし、親族とその一派(腰巾着)にどれだけ媚を売ったかで給与が上がっていく仕組み。
「それは違うんじゃないですか」と正論を言おうものなら「お前は俺を馬鹿にしてるんだろう!」と始まって、
もちろん労働基準監督署に駆け込む人もいたけど、彼らもお役人だからね。
ちょこっと来て、就業規則みて、「ここは直してね~、直したら提出してね」でおしまい。
まぁ、法に触れてるわけじゃないからね。経営モラルの問題だし。
残業時間(サービス残業)や離職率といった数値に出ないとこでひどい。
国民は食うや食わずで食料を取り上げられるけど、将軍様とその一派は肥えてぶくぶく。
社長は1500万円のカスタマイズBMWを経費で乗り回してる。
社長のお母さんはその辺にいるような「スーパーでレジ打ちしてるうようなおばちゃん」だけど、会長。
残業とかほとんどない。繁忙期にちょこっと増えるけど、常識の範囲内。
っていうか、仕事が無い。
儲かってない訳じゃなくて、ニッチな分野でシェアの高い商品なので、仕事しなくても勝手に売れていく。
離職率も一時期高かったけど、そんなに高くない。
なぜなら「やめたくても辞められない人」を残すから。
例えば、要介護状態のご両親を抱えた人を見つけては、役職も手当も剥ぎとって低賃金で働かせる。
例えば、高校生になるお子さんを三人抱えて住宅ローンも抱えてる人。
役職も手当も剥ぎとって低賃金で働かせる。
「どうせあいつはやめたくても辞められないんだからな。あはははh」ほんとに言ってた。
新卒採用もするけど、「採用にあぶれてどこにも採用されなかった奴」を低賃金で拾う。
創業50年以上続いてる会社だけど、無事に定年退職出来た人は2~3人しかいないとか言ってたかな。
まともな人は入ってきても、まぁ中続きしない。やばい臭いをちゃんと嗅ぎ取る。
我慢して「会社を良くしよう」と頑張ってた人もいるけど、
社長が二代目三代目で自分に自身が無いものだから、批判(提言)に弱い。「お前は俺を馬鹿にしてるんだろう!」
その腰巾着も「社長がこう言っている」「社長がああ言った」「社長が・・・」「社・・・」
いつだっけな、腰巾着が忘年会のスピーチで「ボクは社長のことが大好きなんです」とか言ってんの。
「従業員はみんな社長とこの会社のことを愛してるんです」とか言ってんの。
社長は涙を拭っちゃってんの。
なんかすげーって思った。
まー、それでヨットも買えるし、娘にブランド服を着せて芸能学校にも通わせることが出来てんだから。
数字に現れるブラック企業(軍隊式ブラック)もやばいけど、この手の隠れブラック(北朝鮮系ブラック)もやばいんじゃないかな。
軍隊式ブラックは殺しにくるかもしれないけど、北朝鮮系ブラックは生かさず殺さず吸い取られる。地主と小作人。
就職活動してる人は本当に気をつけたほうが良い。
この手の会社は外っ面はいいからね。入ってみないと見えないし。
オーナー企業にしても親族経営にしても、企業文化はちょっと偏りやすいし、ちょっと宗教ぽくなりやすいよね。
んでさ、結局。
高度経済成長期から50年ぐらい経って、この手の二代目三代目の同族経営中小企業って、日本全体で見たら結構多いんじゃないかな。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/01/egypt-tunisia-revoltを和訳しました。
チュニジアとエジプトにおける叛乱では、イスラム原理主義の姿をまったく見かけない。これは注目すべきことだ。民主主義というもっとも非宗教的な伝統にのっとって、エジプトの民衆は、抑圧的な体制や体制の腐敗、そして貧困に対して叛乱をおこしたのだ。そして、自由と経済的な見通しを求めたのである。「アラブ諸国にあっては真の民主主義的センスは少数のリベラルなエリートのみに存在し、それ以外の膨大な数の大衆は、宗教的原理主義か、さもなければナショナリズムによって動員されるだけである」という西洋のリベラル派が持つシニカルな知見は間違っていると証明されたのだ。しかし、大きな疑問は残る。次に何がおこるのか?政治的な勝利者として、誰が登場するのか?
チュニスにおいて臨時政府が成立したとき、臨時政府はイスラム主義者と急進派左翼を排除した。これに対する独善的リベラルの反応はこうだ。「よくやった。奴らは基本的に同類なんだよ」。同類、すなわち両者とも極端な全体主義者だということだ。しかし、それほど単純なものだろうか?イスラム主義者と左翼との間には長年にわたる反目が存在しているが、それは存在しなかったとでも言うのか?もし仮にイスラム主義者と左翼が体制に対抗して一時的にせよ団結したとすれば、彼らはひとまず勝利するだろう。しかしその団結はすぐに元通りに分裂し、彼らは死闘に身を投じて、より残虐に振舞うのだ。
去年のイラン大統領選で、我々は今回のような戦いを目の当たりにしなかっただろうか?ムサーヴィーを支持して立ち上がった何十万の人々は、自由と正義を掲げたホメイニ革命はまだ継続中であるという人々の夢を表していたのだ。たとえその夢が非現実的なものであったとしても、それは政治的・社会的構想力の息をのむような爆発や経験の組織化、そして学生と一般市民との間の討論を導いたのだ。こうした社会を変容せしめる法外な力の解放のはじまりは、体制派のイスラム主義者が統治権を奪ったことで、次第に抑えつけられていった。
原理主義者による運動だと明らかな場合でも、その運動の社会的構成を見落とさないように注意すべきだ。タリバンは普通、テロにより支配を押し付ける原理主義的イスラム主義者の集団だと表現される。しかし、2009年の春、タリバンがパキスタンのスワット渓谷を占領していたころ、ニューヨーク・タイムズはタリバンが「富めるわずかな地主とその小作人たちとの間に広がる深い亀裂につけ込んだ階級闘争」を工作したと報じた。タリバンは、農家の困窮という「アドヴァンテージを得て」、ニューヨーク・タイムズが言うように「広範にわたる封建制を温存するパキスタンに対し危機を警告した」のかもしれない。もしそうだとするのなら、パキスタンやアメリカのリベラル民主主義者が同じように困窮という「アドヴァンテージを得て」、小作農を助けようとしないのはなぜなのだろうか?パキスタンにおける封建的勢力こそが、リベラルデモクラシーにうってつけの同盟相手ということなのだろうか?
これらから導かれる当然の結論は、次のようなものだ。すなわち、急進派イスラム主義者の台頭は、イスラム教国における世俗的左翼の消滅と常に関係がある。アフガニスタンは今は強固なイスラム原理主義の国と考えられている。しかし、40年前のアフガニスタンは強固な非宗教的伝統に則った国だったのであり、ソ連とは無関係に、独自に共産党が力を持っていたのだということを、誰か憶えているだろうか?そして、こうした非宗教的伝統はどこへ行ってしまったのだろうか?
こうした背景をふまえたうえで、チュニジアやエジプト(そしてイエメン、さらにはきっとサウジアラビアでも)で進行中の出来事を読み解くことが重要だ。もし現在の状況が、旧体制にリベラル風の彩りを付け加えるだけに終わり、結局は旧体制を生き残らせ、安定させてしまうとしたら、原理主義者による逃げ場のない反撃を生み出すことになるだろう。リベラルという遺産を生き残らせるためには、リベラル派は急進派左翼からの支援を必要とするのである。話をエジプトにもどすと、今回の件で最も破廉恥かつ危険なまでに日和見主義的な反応を見せたのは、CNNの中継放送に登場したトニー・ブレアだった。「変化は必要です。しかし、それは着実な変化であるべきなのです」。今日のエジプトにおいて、着実な変化とは、政府中枢の人数枠をわずかに増やすという目的にもとづいて、ムバラク勢力との妥協を図るということを意味するだけなのだ。このようなわけで、エジプトの平和的推移という語りは、鼻持ちならないのである。敵対者を押しつぶすことによって、ムバラクは自身に敵対することを不可能にする。抵抗する市民に対してムバラクが軍隊を派遣して以降、選択肢は明確になった。ほとんど何の変化もない中でのわずかな変化という見掛け倒しの変化か、真の破壊か。
ここが正念場なのだ。10年前のアルジェリアでは、自由選挙の容認によって権力がイスラム原理主義勢力へも平等に分配されたが、今回もそうなるというわけではない。もしムバラクが去った場合、体制を引き継ぐことができる組織的な政治勢力が存在しない、というのが、リベラルの一方の心配の種だ。もちろん、そんな政治勢力は存在しない。ムバラクは、つまらないことに対する反対意見であっても、反対意見であればすべてを却下することを通して、そうした政治勢力を始末してきたのだ。その結末は、アガサ・クリスティの著名な小説のタイトル、「そして誰もいなくなった」を思わせる。ムバラク自身やその混沌とした政治をめぐる議論は、ムバラクに敵対する議論なのだ。
西洋のリベラル派の偽善には仰天させられる。彼らは公然と民主主義を支援してきたのだが、宗教のためではなく、非宗教的な自由と正義のために人々が暴君に対し叛乱をおこすと、彼らは深く懸念を示したのだ。なぜ懸念するのか。なぜこの自由のチャンスが与えられたことを喜ばないのだろうか?今日、これまで以上に毛沢東の古きモットーが適切だ。「天の下に混沌、絶好の機会」(訳注)。
さて、ムバラクはどこへ向かうべきか。答えは明白だ。ハーグへ向かうがよい。ハーグの国際司法裁判所に着席するにふさわしい人物がいるとしたら、それはムバラクその人なのだ。
訳注:毛沢東のモットーについてはhttp://bit.ly/eSBrn9を参照。