はてなキーワード: 唐突とは
私的には書いた人が悪い。
『甘える』というのは(関係性の近さに因り)許されるだろう、迷惑行為を犯すことである。
この時点で
という形式が確定する。
迷惑行為をする以上は『許す/許さない』の判断は被害者によるものであり、被害者は『許さない』を選択した。
感情というのはまず、受けた刺激を『快/どうでもいい/不快』のパラメータで認識する。
本能でその感情に直結した行動がデフォルトで設定されるが、経験や価値観、性格、総じて理性といったもので取る行動を設定しなおすことができる。
書き手はそれをするように求めている。
が、行動の再設定は『判断するリソースがある』時に限る。つまり正常な思考能力と考える時間がある時にしかできない。
状況は「眠くて寝落ちするほど眠たい状況で叩き起こされた」場合であり、また用件は「叩き起こされてまで聞くほどのことではない」ことだ。
(この「聞くほどのことではない」というのは典型的男性脳で思う「解決策を求めない話」「知っておくべき情報ではない話」という類のものである。今回の場合、痛み止めと医者以外に解決手段を持たないし、そもそも話し相手が自分である意味がないため価値を感じない)
ここで
(1)書き手の訴えを聞く(メリット:好感度アップ / デメリット:解決しようがない、睡眠時間が減る)
(2)自分の睡眠を優先する(メリット:充足 / デメリット:怒られる、または不明)
という行動選択になる。
直前まで睡眠を取っていた脳に、(1)のメリットもしくは(2)のデメリットを検討材料として挙げられていたかというと難しいと思う。
となると必然的に(2)を選ぶことになる。
なので私にとって、彼の選択はごく自然で全く非のないことだと思う。
だがお腹が痛かったら迷惑をかけたり法を犯していい訳ではない。
要望は迷惑行為であり受け入れられなかった。その現実を早々に受け入れた方がいいのではないだろうか。
というか『甘えたっていいだろう』という善意の強要をする姿勢(または自分の要望は全て通るものだと思う姿勢)を根本から改めた方がいいと思う。
要望を通すかどうかを決めるのは要望を通せる権限を持つ方である。
世の遍くほどこしを受ける全てに、ほどこす側の善意を強要する権利はない。善意は当たり前ではない。
(なお文句を言う権利はあり、文句を聞くかどうかの権利はほどこす側にある。)
それに世の誰が許しても彼が許さなければ有罪である。であれば罪は償うべきだ
書き手がまずするべきは「寝てるときに起こしてごめん。腹痛はもう大丈夫です」と謝罪することだったのではないだろうか。
もうとっくに手遅れのようだが。
なお、書き手の怒りは自分の要望が自分の思い通りに通らなかったことへの憤りであり、こちらも生理という肉体的苦痛により行動の再設定に割くリソース不足で怒り以外の選択ができなかったための残念な結果である。情状酌量の余地はあったと思う。
が、反省する意思はなく再犯の恐れが増大したため、情状酌量すべきではない(やっぱなし)との考えに私は至った。
書き手自身も、冷静になって考えさえすれば、自分の全ての要求が100%通るなんてことはないということに気付くだろう。(気付かないならそれはそれで。どうせ私に実害ないし)
また立場を逆転させてみて、夜中叩き起こされて唐突に自慢話(典型的女性脳が判断する「聞く価値のない話」)をされれば電話を切り睡眠を優先するのも分かるだろうと思う。
手遅れではあるものの、そういった時に本当は自分がどの行動を選択するべきだったかを考えるべきではないだろうか。
そして次回は受け入れられない甘え方をしないように、経験として蓄積するといいと思う。
なお当カップルが今後も交際を続けるのに必要なのは理解であると思う。
生理の痛みの理解ではなく、痛みを感じているときにとる行動と目的の理解である。具体的には
「生理の苦痛から逃避する手段として甘えたいと思っている。甘えるというのは好きな人に『大丈夫か』などと気遣ってもらう行為などのことを言い、心配されている・優しくされているというのは精神的な鎮痛薬になるため大変有用である。あなたとのコミュニケーションのみで成立するため、是非とも協力して欲しい」
ということだろうと思う。
まぁ共有のみならず理解までを求めるなどというのは大変な手間であり、つまりデメリットであり、それを差し引いてでも恋人でいて欲しいかどうかは当人たちの愛の強さ()によるのではないだろうか。
という訳で通りすがりの他人としては「とっとと別れろよwww」と感想を述べておく。
なお短絡的に『彼氏が己の罪を認めて土下座して謝り「二度と生理中のきみにひどい対応をしない、優しくする」と誓う』という対応が彼女の要望が通りかつ優越感も得られて単純明快だとは思うが、今後DV女になる可能性が高く、また彼氏が浮気か自殺をする要因になると思うので、老婆心ながら選択すべきではない行動だと愚考する。
オッサンです
ジンギスカンの曲が耳に残る、ってトゥギャッターで北海道のジンギスカンを聞いてショックを受けたついでに
昔の方の、皆さんご存知の方の、ジンギスカンをツベで久々に聞いたんだけど
あのメンバーの衣装ってコレ北斗の拳の元ネタになってますよね?
マッドマックスは知ってたけれどもこっちは当時も近年もさっぱり気が付かなかったぜ
考えてみたら蒙古覇極道とかわりと唐突に出てきた感じはジンギスカンオマージュですよと
知ってる人に伝わればいいということだったのかなあ
主要人物たちが、わざわざ盛大な茶番を能動的にやって、それで1話使うってとんでもないな。
サトミの下りとか唐突な上、構成上全くの無意味だし、意図的なんだろうけれども完全にコントだね。
ちょくちょく姫が弄ばれているが、全く同情する気が起きないほど最後の最後までブレない性格なのは感心する。
このテのキャラって、いざというときは僅かな良心に目覚めたりするパターンも多いんだけれども、だからこそ逆に清々しさを覚える。
オチは脱力モノだが、記憶を思い出す方法がサラりと書かれていて、それに何ら疑問を持たない程度には私も本作に慣れてきてシミジミとした。
一つ間違えばただの自惚れにもなりやすいから、ああいう形で自覚させるのってレアだ。
懇親の告白なんだろうけれども、信じてもらえるであろう筈もなく。
追い詰められると、客観的に見て無茶なものを材料にして自己を押し通そうとするのは、結構あるあるかもしれない。
ああいう部分で親からの信頼を徐々に失った結果、熱中していた娯楽を禁止されるってことはあるだろうからね。
全ての保護者たちがそうだとは思わないけれども、普段の行いで印象悪くしてなければ、自身に纏わる多少のことは許容されたり理解はしてくれる余地があると思うんだよね。
今日の17時頃ニコニコ実況というサイトでNHKの大相撲を見ながら実況してた。
そこでアナウンサーが
「待機児童の数を都道府県別に見ると、東京都が3417人で最も多く、次いで埼玉県が~」(上記記事から抜粋)
と喋った「数秒もない」うちに次のようなコメントが唐突に流れてきた。
(2017/01/16 17:04:37 http://jk.nicovideo.jp/log/jk1/201701161704-201701161705)
ただそれだけのことなんだけど
”ニュースに出た何の変哲もない4桁の数字をものの数秒で素因数分解して書き込んだ人間を見た”
え?これ何?超人じゃね?数学の天才?リアル『博士の愛した数式』?現代のラマヌジャン?え怖い怖い
俺はとても驚いた。と同時にいろんな疑問が出てきた。
そんなことするやついないだろ、と思いたいが、NHKのニュースが発表されたのは上記のURLからわかるように今日の16時43分
おそらく5時のニュースが初出。まじかよ…(他局、BSで放送してた可能性もあるかも)
例のコメント以外はごくまとも。逆に数字だけのコメントが浮いて見えるっていう
こわいこわい
にしちゃあ過去ログの内容が人間すぎる。それにBOTにする意味が分からん
そうだな、きっとそうだ
お、おれだって51 = 3 * 17 だってことぐらいわかるさ
今日は寝れそうにない
今年87歳になった婆ちゃんに、
当時「この世界の片隅に」のすずと、
どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。
婆ちゃんは7人兄弟の三女。
婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて
物心ついたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。
婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく
家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、
家は途端に貧しくなったらしい。
婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。
当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、
本当に熱心に動いてくれたらしい。
結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて
全寮制の女学校に行けることになった。
戦争が始まる前、日本は満州での事業で盛り上がっていたそうだ。
とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。
近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。
婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、
子供心にショックを受けたそうだ。
天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだからしょうがないと言っていた。
徐々に女学校の日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、
戦争はずっと勝っていると思っていた。
新聞もラジオも毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。
そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。
芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。
炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。
花火のように火を吹き上げるんだそうだ。
婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。
ただ、ただ、山の上に逃げた。
当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、
一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。
結果、それが婆ちゃんの命を救った。
そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。
川に逃げた人はみんな死んだ。
その後、近くで何度か空襲があったらしいが
運良く婆ちゃんの所には直撃せず、
戦争に負けた悲しみよりもなによりも、
もう、爆弾が降ってこないんだ。
と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて
本当に本当に辛かったんだなあと、
聞いてる俺も泣きそうになった。
食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、
だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。
戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと
心から恐ろしくなるし、
強く言っていた。
何度ジョナサンにシーザーのバンダナを巻くんだよ、シーザーが命懸けで託したのはジョセフだよ思い出せ。
荒木はタルカスとブラフォードとかペッシとプロシュートみたいな高潔な敵の後にはゲスな相方敵を倒してバランスをとるみたいなとこがあるけど、ゲスになる前にいい人そうな描写を挟んだりペッシ覚醒させたりする必要なくね?いや、高潔な敵を連続して殺すのは気分が悪いし、面白いんだけどさラスボスまで雑に扱わなくてもいい。
ラスボスの豹変と言えば七部が酷すぎる、不細工からの唐突なイケメン、最初絶対にラスボスにするつもり無かっただろこれ。
それにサンドマン、最初に主人公のような内面描写もあったのに適当に駄洒落のような能力つけられて雑魚敵として消すなんて酷いにも程がある。
体型や顔が変わったキャラは山ほど居るが、何で急に等身下がるん。
あと強すぎる味方はとりあえず雑に消すとこも、フーゴとかあれで退場はないわ。
CMを見て能年玲奈の演技がお世辞にも上手いとは思えないし、本人の顔が思い浮かんでしまってちょっとなぁと思ってた。でもキネマ旬報ってやつで1位になってるし、まぁ面白くなかったら寝てもいいかってぐらいで1人で見に行った。めちゃめちゃよかった。
自分と同じように思ってる人は騙されたと思って見に行って欲しい。
以下ネタバレ含む。
素晴らしい所は山程あるし、色んな所で語られてるから、今更自分があれこれ言ってもとは思うけど、語りたいという欲求には逆らえない。振り返ってみると、この作品の設定のユニークさに改めて感心したので、その事を書いていく。
一般に、映画や小説、ひいては音楽というのは非日常を描くものだと思っていた。例えば、君の名は。は体が入れ替わる。この作品も、戦争と言う非日常を描いている事に変わりはないが、日常と非日常のバランスが異なるように思う。初めこそ童話的なエピソードから始まるが、すずが北条家にお嫁にいってからは、炊事などの日常が主に描かれる。そこから戦争という非日常が始まる。場合によっては、日常を描く事は、非日常を際立たせる演出上のテクニックのようにも感じられてしまうこともある。しかし、この作品では、日常を描く事自体が1つのテーマとなっていると思う。つまり日常を際立たせるために非日常を描いている、とも言えるのだ。それほど力強く生き生きと日常が描かれている。
能年玲奈がクローズアップ現代+のインタビューで「ご飯を作るのって楽しいんだとか、洗濯をすることがとても誇らしいと思えるようになった。」と言っていたことがこの事を上手く表していると思う。
映画や小説では非日常が語られる故に、主人公は、人並み以上の能力持っていたり、特別な立場であることが多い。例えば、風立ちぬでは、零戦の設計者だった。一方で、この作品では、絵が上手くて、すこしとぼけている、どこにでもいると思わせるような女性である。第二次世界大戦という歴史的な出来事を、どこにでもある視点から、描くという点が非常に新鮮だった。戦争は、主人公が全くあずかり知らぬ所で起こり、理不尽にやってきて、そして唐突に去っていく。状況も殆ど理解できないし、ただただその状況に身を任せ、やれるだけの努力をするのみである。そのどこにでもある視点は、すなわち自分が、もしその時代に生きたらという視点であった。
3.物語への没入感
物語や演出の素晴らしさに加えて、上記の2点の設定上の妙により、物語へ没入してしまった。物語への没入感は、本当に面白いと思える作品の条件だと思うが、日常をどこにでもある視点で描く、ということはこの条件を成立しやすくしている。戦争といった非日常的なものは、非日常的に語られる事が多い故に、他人事だと思ってしまいがちである。例えば、歴史の授業で心を傷める人は稀だ。この作品では、日常をどこにでもある視点で描き物語へ没入した状態で、非日常が起こる。その当事者意識や衝撃度は凄まじい。
日常をどこにでもある視点で描き、そこに起こる非日常を追体験させる。こういう手法って今まであったのかな?自分では思いつかなかったので、映画でも小説でもあれば見てみたいので、教えて頂けると嬉しい。シンゴジラが、現実の中に虚構(ゴジラ)を描いたっていう点は非常に面白かったし、ちょっと似ていると思う。でもそれは虚構を際立たせるための現実であったし、視点も特別なものである。
最後に、映画を見終わってからテレビで、能年玲奈のセリフを聞いたけど、やっぱり違和感があった笑
でも映画を見てる時は、全く気にならなかったし、寧ろハマっていたのは間違いない。それ程物語に没入していたということであると思う。
◇「シンポジウム」がところどころ「ツンポジウム」に見えてわろた
◇同一取扱いはそもそも「区別」なの?ってところは反論で書いてる答案が多かった。
◇審査基準に大きくばってんされてるんだけど、残しておいていいと思う。というか残さないと規範定立が無くなってしまって(=大前提が無くなってしまって)三段論法になってないのか?という余計な疑念を持たれるかも
◇あてはめは誘導に乗っていて良いと思う
◇「信条」による区別なので審査基準を厳格にという議論はしても良いと思う
◇あてはめで、目的と区別の関連性が論じられてないのが気になった。目的達成のためにはDらよりBの方がふさわしい⇒Dらを採用してBを不採用とするのは目的との(合理的・実質的)関連性を欠く、等。
◇「反対意見に刑罰や命令を課された」という事例ではなく、「反対意見を述べたせいで職員の地位を与えられなかった」という給付の事例なので、保護範囲ないし制約の議論でやや工夫が必要。
例:「意見表明を理由に不採用とすることは、直接的に意見表明を規制するものではないが、不利益な扱いを受けることによって将来の表現行為を委縮せざるをえず、間接的にBの表現の自由を制約している」(139.90点、94位)
◇「『意見・評価を甲市シンポジウムで述べたこと』・・・により正式採用されないことは、Bのみならず、一般に当該問題について意見等を述べることを萎縮させかねないこと(表現の自由に対する萎縮効果)をも踏まえた検討が必要となる。」(H27趣旨)
◇手段審査で裸の利益衡量論が始まるんだけど、利益衡量論を避けるための違憲審査基準なので、あんまり好ましくない?かも?(こういう説だったら申し訳ない)
手段審査は基本的に①目的達成に役に立つのか、②同じ目的を達成できる他の手段はないか、という視点で当てはめていくとうまくいくことが多い。
例:「仮にBがY採掘事業に反対していたとしても、業務中は自分の意見を表に出さないことを誓約されれば行政事務に支障はないにもかかわらず、Bを不採用としたことは、必要最小限度の手段とは言えない」(139.90点、94位)
◇BC間の点についての反論がよく分からなかった。無理筋の反論?
◇BC間、BD間の議論が、唐突に当てはめが始まる感じで最初何の話をしてるのか分からなかった。軽く一行規範を書いてあげるといいと思う。
◇BD間の当てはめはその通りだと思う。
□
ヴェルサスから10年、やっとの思いでプレイできたFINAL FANTASY XV(FF15)に裏切られたような思いを感じた年末から年が明けて、なんとか自分を納得させられるようになってきた。
□
オープンワールドで仲間と過ごすのはとても楽しかった。いつまでも遊んでいたい、この時間がずっと続いてほしいと思った。事実それで3章までずっと進められなかったし、6章をいつまでも越えられなかった。
これから自分がゲームをプレイできなくなるから、もうクリアしよう、と思って、やっと年末年始に猫の手を借りてクリアした。
敬愛する父親は死んでいた。笑って送り出してくれたあの日にもう死ぬ覚悟を決めていたなんて、そうまでして自分を守ってくれたこと、そうまでしなければ守れないような無力な自分に憤った。
仲間にいきなり怒鳴られて意味がわからなかった。仲間が突然失明して、それについて聞けることのないまま時が過ぎた。敵の策略で、仲間を電車から突き落としてしまった。次に再会したとき、唐突に二フルハイム出身であることを明かされた。
ずっと会いたくて仕方なかった婚約者と触れ合えた時間は本当に短かった。守ってやれなかった不甲斐なさに歯噛みした。
それでも故国を歩むために進んできた。光の当たる世界を目指した。その結果自分の命を差し出せと言われた。失い続けて、最後に自分の命すら奪われなくてはならない。でもそうしたら愛した人のところにいける。信頼した仲間をすべて残して。
仲間に別れを告げて未来を託した。先祖の残した負の遺産を倒した。六神と歴代の王の力を借りて、代償に自らの命を差し出して。
プレイヤーがノクトの気持ちに寄り添うためにわざと情報を排したのだと聞いた。
ノクトはしかしプレイヤーの思いの通りには動かない。つらい運命を受け入れてしまった彼を私は受け入れられなかった。どうせなら、もういっそのことすべて自分にはどうにもならない運命だということにして欲しかった。
あと少し、あと少し何かが違っていたら。あと一歩のところでノクトの手をすり抜けていくハッピーエンドの可能性を呪った。
□
多分、これはFINAL FANTASYすらもドラゴンクエスト化しかねない思考なんだと思う。
なんだかんだと理由はつけるが、結局のところ私はFFに「安心感」を求めていた。素晴らしい技術力で美しい世界を、一歩先のゲームの未来を描きだし、そしてその終わりには誰もが認める大団円があるのだと。
そこを裏切られて腹が立った。掘り下げられないキャラクターたちにもどかしさを感じた。全ての情報は神視点であるプレイヤーには開示されるものだと。
でも、その手法を守り続けていたらFFのストーリーはガラパゴス化する。何があっても結局はハッピーエンドだとたかをくくられてしまったら、あとはもう進化を許されないブランドになる。
FFがいままで築き上げてきた信頼、とかいうものを語ろうとする時点でFF病になるだろうか。
□
なんだろう、FF病って。
ガラパゴスだろうか、FF病だからキャラクターのハッピーエンドを求めようとするのは。
プレイヤーは神の視点だからキャラクターすべてのバックグラウンドまで知りたいと思うのは奢りだろうか。
仲間とは皆腹を割ってすべて話せるほどの信頼感を得ていると思うのは傲慢だろうか。
そういう、プレイヤーの「甘え」に対して田畑ディレクターの出した答えがFF15だったというなら、正しく私は思い上がっていた心をこらしめられたのだと思う。
思うけれど。
どんなにピンチでもそれをひっくり返して強引なまでにハッピーエンドに持っていって評価されるFateシリーズ、プレイヤーに情報を開示することを許さずひたすら世界に翻弄され、最後にはそれ故に世界の破滅すら導くニーア、そもそもが仲間とずっと旅を続けていたいというワガママからはじまるFF10、魅力的なキャラクターたちのかっこいいエピソードからちょっと間抜けなエピソードまで楽しめるFF9、なんていう先達をあげて、FF15をなじりたくなってしまう私は、やっぱり己の描いたFFに固執しているんだろうな。
エムラはガチャだと4ターン目で除去他耐性持ちの13/13飛行出てプレイヤー乗っ取りで除去スカされてゲーム終了とかあるしまぁわかる
ただ昂揚とかだと1枚挿しのフィニッシャーみたいな感じで禁止しろってほどでもなかったし、霊気池が悪いんだろうな。アーキタイプとしては好きだけど
ヘリはとりあえず4枚積みしとけって感じだし、ハゲも色さえあえば必須って感じだしハゲのために色合わせるみたいなところもあったし環境もだけど構築自由度も下げてたからまぁ禁止やむなし
カードパワーも頭一つ抜けてたし。ただヘリは霊気紛争で対策カードもでてたし、そもそも使用率とかで言うならサイとかその前の環境の白青のあれこれとかも禁止制限でよかったんじゃ…とは思う
でも神ジェイス以来禁止がなかったのに今になって突然禁止されたわけだし、ある意味画期的ではある
事前リークがあると売り逃げとかシャレにならんから唐突な発表になったとか言われてるけど、個人的にはカードパワー的にも環境的にも禁止はまぁ仕方がないというか、これで環境の多様化につながればいいナ~とは思ってます
エムラとかヘリ買っちゃった人は気の毒だけど
あと反射ハゲ禁止はサヒーリコンボデッキへの牽制じゃないのとか言われてたけど、そっちも二枚コンボで最速4ターンキルだからヤバゲなんだよなー
昨日さ、そろそろ古希を迎える叔父に「家のパソコンが壊れたみたいで全く使えない状態だから診に来てくれ」といわれて行ってみたら真剣に切なくなった。
叔父は、俺からみると亡父の弟なんだが、子のいない男やもめで、小さなアパートにバイトみたいな仕事の収入と年金と爺さんから相続した預金で一人暮らししている。
性格はなんて表現すればいいか悩むが、まあ極力よく言って「お人好し」で、若い頃から社会的に食い物にされるようなことが多く、身内はその尻拭いで相当(主に経済的な)迷惑を被ってきたらしい。
親父の生前は、親父が貯蓄用口座の通帳を預かり(叔父本人の合意あり)、定期的に生活費用の別口座に振替をしていた。本人の自由になる金があると危ないということらしい。
亡親からは自分ら兄弟姉妹に「資産管理を叔父本人に任せないよう」と申し送りされており、今は長女の姉がそれをやってる。
まあそんな人だ。
さて、パソコン復旧の話だが、電話ごしに症状を聞いても要領をえないのは過去の経験からわかりきっていたので、とにかく現場現物を本人の目の前で実演確認することから始めた。
まず電源は入るか。入る。
ここで叔父に質問。パソコンが使えないと言っているのは、何ができないのか→この画面の先に進めないとのこと。
とりあえずログインID、パスワードを訊き、入力。ログイン成功。
「できるじゃん」
「あれ?」
なんかよくわからん状況なので、一度電源を落として本人に実演させてみる。あー・・・。
「おじさん、テンキーはNumLockキーのランプ点いた状態じゃないと入力が効いてないよ。起動した直後はランプ消灯してるから、NumLockキー一度押してね」(という趣旨のことをかみ砕いて説明。後で備忘メモを作って渡した)
これで問題は解決かと一瞬思ったが、どうも状況が腑に落ちない。
そもそも今まで毎日使っていたはずなのに、なんで唐突にログインなどという超基本操作ができなくなったのか。
「これって、ログインできなくなったのいつ?」
「うーん、去年の夏くらいかなあ」
「ファッ!?」
イヤ確かに去年春の法事の以来メールした覚えないけど。それで日常に支障はないのか。
というか半年以上無駄に通信費払ってるわけだがそれでいいのか。
などとモヤモヤが頭を去来しつつログイン後の状態を確認したところ、問題の原因はすぐ判明した。
というのは、タッチパネル搭載機種でもないのにタブレットモードになっている。
はい、どうみてもWindows10への強制アップグレードです。本当にありがとうございました。
起動時のNumLock状態が変化したのもこの影響だろう。
これは果たして、叔父さんのロースキルぶりが悪いのか、Microsoftがクソなのか。まあ後者だな。
とりあえずデスクトップモードにしないと、ログインできたところで操作も覚束ないだろうから切り替え。
無線の設定もなぜか切れてる。当然認証情報など控えられていない。AOSS使うにもクライアントマネージャーのダウンロードが必要なので、とりあえずルータと有線接続。LANケーブル持ってきといてよかった。
これで一応ネットは復旧した。
次にメールはどうか。Windows10標準メーラには過去のメールが引き継がれているようだ。叔父さんが非標準メーラのユーザじゃなくてよかった。
あー、でも送受信ができない。面倒な。
「え?何それ」
部屋を小一時間漁ってそれらしき紙を発見。でもこれ、なんかメールアドレスとドメインが違う。そういえば去年変わったとか言ってたのを思い出す。
「これ多分以前のプロバイダだね。去年プロバイダ変えたとき書類一式渡されてると思うんだけど」
「うーん知らない。安くなるからと言われた」
・・・得体のしれない代理店から「消防署のほうから来ました」方式の営業かけられて、言われるがままに乗り換えしたんだろうなあ。じゃなきゃメールアドレス変えるような面倒なこと叔父さんはしない(そもそも発想がない)だろう。切ない。
仕方ないのでプロバイダに電話で問い合わせ。本人確認以外は全部自分がしゃべって情報収集完了。メールは復旧した。
というかその一つ前のプロバイダがあくどすぎる。叔父さんが200%利用しない月5000円くらいのVOD動画サービスに加入していやがった。
そりゃ普通の契約し直すだけで安くなるわ。まあ現プロバイダも、叔父さんが活用できるわけがない機器破損保証とリモートアクセスサポートのオプション計月1000円に加入させてやがったけどね。
叔父さんが勝手に書類無くした可能性も低くはないが、契約内容渡していない疑惑もあるしなあ。非常に微妙だ。
一応叔父さんに状況を説明して(おそらく理解はしていない)、同意の体をとった上でオプションは解約した。
後はプリンタの再設定だが、長期に動かさなかったせいでインクタンクが劣化し使えなくなってた。
時間的な制約もあり、半日やそこらでそこまでは面倒見切れないので、新しくプリンタ買いなおした方が安くて手っ取り早いとアドバイスだけして帰宅した。
お互いの家は電車で3時間近くかかるし、こちらも家庭持ちで暇じゃないので、次に面倒みれるのはまた数か月後だろう。
叔父さんはそれまでプリンタなしで過ごすだろうか。どっかの業者にカモられて変なプリンタを購入するだろうか。
パソコンに限らず、叔父さんの人生は一事が万事こんな調子だったのだろう。わかっていたことではあるが、改めてその人となりを実感すると親族として非常に辛い。
こういう状況に本人は不満も覚えず、疑問も感じずにいるというところが、なんか一番切ない。
「最近つくづく思うけど、サンタクロースっているよね」について、もうすでに散々書き散らされているだろうとは思いますが。
この「サンタクロースっているよね」の意味が、私にはわかりませんでした。
私自身「言葉の文脈的意味」を理解していない自覚は大いにあります。
たとえば、『カンターヴィルの幽霊』という話があって、高校時代、これが英語で書かれているのを日本語に訳して読みましょうみたいな課題があったんです。
詳しくはググってくださいという感じですが、この話のラストは「彼女は赤面した。」というような一文で終わります。
その前は、「僕たちの子どもに聞かせたいよね」みたいな男性の台詞です。
私はここでなぜ女性が赤面したのかがいくら考えても全くわからず、意欲的な姿勢を示すために英語の先生に質問に行こうかと思っていたくらいです。
(この男性と女性の関係を、私は「お似合いだけどカップル未満のふたり」と解釈していたのですが、調べたところ、すでに夫婦になっていたようで、このあたりの勘違いも大きく影響したと思います。)
数年後に、ものすごくかいつまんで言ってしまえば「セックスしよう」って意味だったんだなということに唐突に思い至り、感動のあまりわざわざ母に報告してしまいました。
で、これを読んで私のことを「バカだな」と思っていただいても構いませんが。
「言葉の文脈的意味」を理解していないからといって、「ことばが通じない人」扱いしてしまうのはいかがなものかと思います。
「言葉の文脈的意味」を理解していないのは『言葉の文脈的意味」を理解していない』のであって、「ことばが通じない」わけではありませんよね。
件の方のツイートではほかにも「ことばが通じない」例が挙げられていますが、それらも、たとえば、「語彙が豊富でない」とか「言葉の意味をはき違えている」のであって、「ことばが通じない」わけではありませんよね。
「ことばが通じない」のではなく「コミュニケーションが成立していない」のです。
それも、『「最近つくづく思うけど、サンタクロースっているよね」というような言い回しをするAさんの望む』コミュニケーションが成立していないだけです。
このようなディスコミュニケーションの場面で、相手に対して「この人ことば通じないな」と思ってしまうのは、あんまりではないでしょうか。
もっと言えば、「自分の意図したように自分の発言が伝わらなかったこと」を、「この人ことば通じないな」にすり替えて片づけてしまうことに、それをいかにも「ことば」に詳しいですみたいな方が「こういう人はことばが通じないから仕方がないのです、こういう人には近づかないようにしましょう」と推奨してしまうことに、恐れを感じています。
まあ、私も「ことばが通じない」の「文脈的意味」を理解していないということで「ことば通じないな」で片づけられてしまうのでしょうけど。
チンコの皮剥いてる状態で生活してるとなんかあると擦れて感じたりするし前の日オナニーしすぎてヒリヒリしてると今度は擦れたら痛いじゃん。
でも皮被せておけば擦れて感じるとか痛いとか無いわけよ。
チンゲ巻き込んでダメージ受けることはあるけど擦れる頻度に比べたら問題ない方じゃん。
思うんだけどチンコって皮があるのが正しい姿なんだよね。
野生の世界だったら木の枝にチンチン擦ったりしかねないって事考えれば皮あった方がいいに決まってるじゃん。
でもそれが時代の変化で必要なくなってそこで唐突に今まで虐げられてきたズルムケ族が屁理屈こねて復讐を始めたんじゃないかなって思うわけよ。
たとえば奴らがいう蒸れて変な臭いするとかあんなのソイツがそもそも朝晩ちゃんと洗ってないだけでしょ。
前の晩オナニーしたのを雑にティッシュで拭いてそのまま寝て朝シャンもせずに家を出たとかどうせそんなのでしょ。
虐げられてきた側の反乱って実際歴史の中でたくさん起きてるしね。
おもんなかったっす
つまんねー金返せ!ってなるレベルの駄作じゃなかったけど、ただただ普通に面白くなかった
絵はねー、良いんだよ
何か知らん間に仲良くなっとるというか、
シナリオ通りに動かされてるだけ感?っていうのかな
最後までキャラが脚本の奴隷でしかないように感じられてちっとも感情移入できんかった
とはいえクソってほど酷いわけじゃないんだよね
もしこれが1クールの深夜アニメだったらそこそこ評価してたと思う
でも千円二千円払って映画館で見るのはね……正月から若干もったいない気分にはなった
何かほんとこう、惜しいんだよなあ
シナリオ以外は良いんだからもうちょっとこう、どうにかして欲しかった
エンドロールのあとに高校編ダイジェスト予告みたいなのがあったけど、それをテレビでやってくれたら見ると思う
でも映画なら行かない
それくらいの評価ですね
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……
◇ 3(1)で「直接」の当てはめをしてるのはいいんだけど、「直接」に直接当てはめる(ダジャレ事故)と、やや唐突な印象を受けた。
そこで1回問題点を提示するといいと思う。上位答案(18位)は当てはめの前に以下のように書いてた。
「(C県職員の主張を要約した上で)これは本件認可が行政主体であるC県知事から行政主体である本件組合になされたものであり、外部性を有するものではないとして、要件を充足しないと主張するものである」
◇ あてはめ事実はばっちりっす。
◇ 条例のところもばっちりっす。
◇ 違法論適法論で結論だけ書いて、私見で詳しく検討というのは俺も今回やってるんだけど、やっぱり読んでる印象としては、「え?なんで?」ってなる。一言でいいから(被ってもいいから)理由を付けた方が良いのかも。
◇ ちなみに原田大樹先生は模範答案で、適法論vs違法論で、適法論の中に私見を滑り込ませてた。これもありかなと思う。
◇ 趣旨⇒規範定立⇒当てはめという形を守って書いた(白紙委任のところは意思解釈の問題なので違うけど)つもりだったんだけど、意外と上位答案も、原田の模範解答もそういう形ではなかった。
あの記事のURL貼って4℃に御社のブランドイメージを損ねてる人がいますよと通報したからニヤニヤしながら見てる
たとえ一社からでも嫌われるまたは嫌われてる印象がつくとどういうことになるか、初心者ライターは知らないんだろうなぁ
追記:何言ってんだこいつみたいな感想多いけど、ライターにとってこういう地道なイメージダウンは後々まで効いてくるからな
あの文章の影響を想定できてないなら無能だし、想定できてアレを書いてるなら自分の言いたいことのためなら唐突に喧嘩売ることも厭わないヤバいやつっていう事実が残るわけで、
まぁどっちにしてもアレな人扱いされて仕方ないよ
H24行政
設問1
本件は上のような比較ができると思うんだけど、会議録の判例の事業計画決定が事業認可に相当する、っていう部分に言及できたらよかったかなと思う。
判例の射程との比較に尽力しているせいで、処分性の法効果についての論述ができてないのが残念かも。判例との比較はすごくよくて、しかも読みやすかった(規則9条2項の使い方とか参考になりました)だけに、そこが残念かも。①の部分で書かれてはいるんだけど、ちょっと不足かなと思う。
加藤も言ってたんだけど、この判例が法効果を認めたのは、換地処分を受けるべき地位+建築制限を受ける、っていう2つが理由となっているから、そこを示せたらよかったかも。
設問2
・私見のところで、項目を「違法論」としているんだけど、ちょっと項目のタイトルとしてまずいかな、と思う。私見なのに適法論と違法論述べろってところとまざってない?って思っちゃうかも?採点委員は一回さっと読むだけ、っていわれている(辰巳講師)らしく、混乱を招くような書き方は危険かもしれないです。
・あと、1.適法論、2.違法論では、道路基準密度の話のみがされているのに、3.私見の(2)のところでいきなり本件区間の交通量の話が出てくると、適法違法で対比させてないのでちょっと唐突かな、と思いました。だから、違法論のところでもあてはめとかも書いた方がよかったかなと思います。
適法論違法論の書き方は俺が上手くできてなくてごちゃっとしちゃってるんだけど、加藤さんの答案はきれいにまとまってて参考になると思います。
・ちょっと思ったのは、行政事件訴訟法30条違反の要件が①裁量処分②裁量逸脱濫用って書き方はしてもいいのかな?と思いました。俺の勉強不足かもしんないんだけど、裁量処分にあたる、っていう文章を読んだことがなくて、法~条には裁量が認められる、って書
かれているのが多い気がします。ただ、ここはわかんないです。なんかあんま見ない書き方かな、と思っただけです。いいたいことはわかるから問題ないのかもしれないけど、答案であんま見ない表現だったので一応そのことだけ。
・私見の個別事情配慮義務のところで法21条の趣旨から考慮不尽のところは、なぜ考慮不尽になるのか説明できてて読みやすかったです。そういう風に書けると点が入るのかなと思います。
設問3
細かいけど、憲法29条3項で請求できるのは、根拠法に損失補償規定がない場合だから、一言そのことを書いてあげた方がいいかもしれないです。状況拘束性の話は知らなかったので勉強になります。それ以外は完璧だと思います。