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はてなキーワード: 唐突とは

2016-12-15

風俗に行ったけど同定こじらせた

会社同期でピザ食ってたんだよ。

そこまではよかった。

スポーツ女子が帰ったあと、唐突に始まったAV鑑賞会。

もう分かるよね?

...

気づいたときにはタクシーに乗っていた。

時間はもう遅くなっており、選択肢ほとんどなかった。

なんとか空いていた店に押し込められる僕。

「この子だったらすぐに案内できますが...」

ここまで来て何もしなかったとは言えない。

「じゃあそれで。」

正直に告白する。

この夜の街にちょっとした憧れを持っていた。

「どうぞお二階へ」

出てきたのは20代後半の体格の良い女性

うわっ思い出したくな

2016-12-14

かなしい

夢の中で好きな人が出来た。

その人は安アパートに住んでいて、私はそこへ通いつめていた。

セックスとかイチャイチャとかの前段階的な、隣に座っているだけでドキドキして幸せ時間だった。

ある日彼は唐突に会えなくなってしまった。引越ししまったのだ。

でも彼の足取りを追うヒントは残されていたし、簡単に再会できると思っていた私は行動が遅かった。

そんな事をしていたら起きてしまった。

微睡みながら夢の続きを見ようと目を閉じたけど、夢の続きはみる事ができなかった。

2016-12-11

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ

今回はマシな部類なんだけれども、アクション部分の描き方がまだぎこちないなあ。

ちゃんと言語化するのが難しいんだけれども、躍動感がないのもそうだが「間の取り方」がおかしいんだよね。

「走って相手に近づくシーン」とかがないのもそうだけれども、武器を投げるシーンとかも気になる。

武器を投げるシーン」の次のコマが「投げてきた武器相手が受けているシーン」。

離れている所から攻撃なんだから、「投げた武器と受ける相手との距離や、空間を把握させるためのコマ」を差し込まないと、すごく唐突感を覚えるんだよね。

2回目の投擲攻撃は二人の距離が近くなっているからあれでもいいけれども、だからこそ1回目の攻撃が同じ間の取り方になっているのがよろしくない。

コマ割やシーンの選出が問題なんだろうね。

映像コマ送りして、その静止画の一枚だけ無作為に切り取って1ページに繋げたみたいなぎこちなさというか。

漫画の大部分はある意味でそうなんだけれども、そう感じさせず動きの流れが出来て躍動感がある漫画も多くあるしなあ。

けれども後半のトガタのシーンは、その表現が上手くいっている。

省エネ目的での演出なんだろうけれども、一連のシーンがかなり綺麗に機能している。

まあ、これはトガタのキャラクター設定からくる、そのシーンでの緊張感の度合いも大きく関係しているから、「上手い」というよりは「功を奏している」といったほうが適切かもしれないが。

そういう目線評価するならば私は割と好意的なんだけれども、「あんなシーンでページを割かれるのを見たかったと思っている人がどれだけいるか」って目線評価するならば、ただの水増し手抜きシーンって結論なっちゃうかなあ。

ムッツリ真拳 第1話

これ連載しちゃうのか。

いや、『あの娘はヤリマン』という出オチ漫画すら連載するような少年ジャンプ+では今さらか。

内容自体は、読み切りとき世界観プロットはほぼ同じのエロバカ漫画だね。

なんか、ジャンプ打ち切り漫画といえばでほぼ確実に話題に出てくる漫画の作者が、あからさまに意図してフザけた作風で描いて、しかもそれがズレていないって結構スゴいことだよね。

画力向上も大きいけれども、まああの時代でも妙に女の子キャラは人気あったし、槍玉に挙がっていた設定やプロットの雑さを良い方向に昇華させたってのもあるかな

まあ、少年ジャンプ+エロ枠が非常に豊富なので、その中でどれだけ長く連載されるかは分からないが、この作者が描いてきた中では最も噛み合っているという印象。

フルチャージ!! 家電ちゃん 38話

凍結の理由が、如何にも現代的かつ「ありそう」っぽい。

本作はコメディから、あまり踏み込んで語られない(語られても趣旨がズレる)が、人型ロボット現代社会がどういう存在として認識するかってのは永遠テーマだなあ。

で、大抵の場合こういう「側面的な正しさ」は普遍的でもあり、ケイや絆を育んだ仲間たちといった「個人事情」を考慮しないんだよね。

紆余曲折を経てケイを取り戻す決心をするのだが、その方法がまたロボットならではな感じ。

ボディを変えて人格プログラムだけ同じという状態場合、それは本人なのかってのも空想モノで語られるテーマだけど、いや本作はそんな深かったり複雑なこと語る作品じゃないって我に返った。

2016-12-10

結局皆、お見合い結婚に憧れている。

 『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマ流行っている。

 要約すると最初便宜上契約結婚を交わして夫婦だんだんお近づきになり「本物の夫婦」になる話だ。

 こういう話は昔から日本人が大好きだ。男向け女向け問わず

 好きでもない相手同棲状態になったり、なかば無理やりお近づきになり、付き合っていくうちに本物の恋仲になる。

 そういうお話バリエーション含め、あなたはいくつも知っている。どれも人気作だ。

 少女向けコミックのそれ系統最近じゃ一月に一作は実写映画化されてるし、

 男性向けの場合は落ちものだとか、ハーレムものだとか呼ばれている(まあただハーレム場合、「好きでもない相手と〜」は一昔前の流行になってるかもしれない)。


 こういう系の恋愛物語がいったいなんで受け入れられやすいかというと、

 それは我々にとって(少なくとも概念的には)馴染みぶかい恋愛形態でもあるからです。

 見合い結婚メタファーからです。


 親や仲人から引き合わされて、ほとんど初対面の相手となんだかよくわからん結婚し、最初は家と家との結婚という感じだったのが、

 寝食を共にしていくうちに個人個人の「夫婦」になっていく。

この世界の片隅に』なんかもそうでしたね。

 あれが理想の「見合い結婚」、日本人の好きな「恋愛物語」のパターンです。


 日本人現在に至るまで実はアメリカ的な意味での恋愛結婚をよく理解していないのじゃないか、と思う。

 いやね、アメリカ人だってから自由恋愛バンザーイ!みたいによろしくやってたわけじゃないんです。

 50年代60年代あたりまでは、結婚相手なんて「ご近所さん」が普通だった。

 特に都市部では出稼ぎにきた移民労働者が、やはり移民であるお隣の娘さんをなんとなく良いな、と思って、デートを申し込んだり、

 あるいはいきなり「娘さんを僕にください」とやってきてそのまま結婚することも多かった(後新聞結婚相手募集広告出したりなんかしてた)。

 「結婚したあとで好きになっていく」パターンは実はわりと最近までアメリカにもあったんです。

 それが変わっていくのが60年代後半から70年代にかけて。

 カウンターカルチャーフリーセックス時代です。

 フリーセックスの方はエイズやらキリスト教保守派バックラッシュやらで廃れていくんだけど、

 自由恋愛のほうは残った。

 なぜなら自由恋愛が「技術的に」可能になったから。

 そう、電話の普及ですね。といっても、

 今みたいに個人につき一つってわけにはいかなかったけれど、約束を取り付けるのは楽になった。

 娯楽も増えたし、公民権運動余録女性地位も向上して女性選択肢もちょびっとながら増えた。

 なんたって50年代までは女性が単身で社会にでる手段なんて絶無に近かったわけですからね。

 やたら女性結婚を急いだのも実家という家庭から逃げ出したいところが大きかったんです。もっとも、結婚実家脱出したところで新しい「家庭」に囚われるわけですが。


 恋愛自由市場化が何をもたらしたかといえば、相手を「事前に」品定めできることでした。

 やはり恋人楽しい人じゃないといや。自分と合う人じゃないと。たとえば、音楽趣味映画趣味。本の趣味が合う人。

 食べ物の好みも重要服装センスも忘れちゃいけない。それに犬派か猫派かも……そうそう、絶対ウンコはもらさない人じゃないとね。


 こうして相手要求するリスト無限に増えていく。このうち一つでも「アウト」だとたとえその他の条件を満たしていてもバイバイさよなら、となりやすくなる。

 要求リストの細分化に貢献したのもやはり技術です。

 特にインターネット以後。フェイスブック以後。

 あなたは見知らぬ他人いくらでも知り合えるようになったし、その他人情報を一切会うことなしにいくらでも知れるようになった。

 メールSNSの発展は新しい人とのつながりを容易にもしたけれど、同時に既存のつながりの切断も容易になった。

 ネットで知り合ったあなたのカレの音楽趣味が最悪だと一分前にわかった? よっしゃ、ならメールを送るんだ。

あなたがそんな人だとは思わなかった。別れましょう」

 それで着拒すれば万事解決あなたは晴れてフリーだ。

 そういう人はまだやさしいほうだ。なかには、別れのメールすらおくらずに元恋人一方的ブロックする人間もいっぱいいる。


 アメリカではカジュアル出会えるマッチングサイトが普及しているけれど、

 日本ではまだ「出会い系」には抵抗がある人が多い。

 でも、なぜかアメリカ式自由恋愛マインドだけは心得ていて、相手への要求レベルは格段に細かく、高くなっている。

 知り合う手段は相変わらずインターネット以前のもの限定されているのに、意識だけはポストフェイスブックと化している。

 この齟齬は、なんだろう。

 といえば、おそらく日本人には「運命の人信仰があるからだと思う。

 「運命の人信仰とは、趣味が全部合うとか食べ物の好みが一緒だから好きなんだとか、そんなんじゃなくて、

 理屈抜きで前前前世から結ばれるべき運命だった人がいるんだよ、という幻想のことだ。


 そう、『君の名は。』だ。


 あの映画現代日本人の恋愛観が非常によく出ている。

 なんだか理屈はよくわからないが唐突に異性と結ばれて、

 わけのわからないまま同居生活を続けるうちに相手のことがなんとなく好きになって

 いつのまにかそれが運命だったということになっていく。

 実は構造的には『逃げ恥』と同じ話なのだ

 お見合いを引きずった現代日本人の恋愛観において重要なのは

 自分の好みと相手の好みが一致することではない。

 自分の好みを相手が事後的に受け入れ、相手の好みを自分が事後的に受け入れることだ。

 それは家父長的な家庭であれば、夫の好むを妻が一方的に受け入れなければならず、逆はないという非対称な関係であったけれど、

 現代恋愛物語ではそれがアップデートされて「お互い様だよね」ということになっている。

 理想論ではあるだろうが、まあ、理屈としてはそういうことだ。


 日本恋愛では、まず運命が先にあり、個人人格はあとからついていく。

 それはおそらく個人人格を認め合う自由恋愛の本義からは外れた思想なのだろう。

 でもまあ、なぜか日本人はそういうのが好きだ。

 結局、皆、自由恋愛最高!を謳いながらも、心の奥底ではお見合い結婚に憧れ、理想化しているのだ。

 

 

2016-12-08

どうやらアスペですわ

何かの作業中、唐突に声をかけられると大体の場合、びくんっ、と肩が跳ねるように驚いてしまう。そのせいで家族に非常に嫌な顔をされ、うんざりしながらこの症状で検索してたら「アスペの特徴」だってよ。ほかの症状もあれこれ見たけど、「温痛覚が鈍い」はまさに当てはまってた。

社交的なこと好きだし、小説読むの好きだし、なんなら人の気持ち理解できるほうだと自負してたけど、体の反応のほうは完全にアスペだわー。知ってた。知ってたよね。くっそー。家族に分かってもらえんもんかなあ、これ。

2016-12-06

唐突帰結できた

しかしその内容が到底、人には話せない内容で新たなジレンマを生みそうである

ヒッヒッ フー

 

あぁんもう

2016-12-05

日本死ね」はなぜ燃えたのか

結論から言うと、ウヨとサヨの対立から

言葉遣いが悪い」「子供に真似してほしくない」といった否定の声が上がっているけれど、言葉遣い問題なんてたいした可燃性はない。実際今回の流行語大賞では「ゲス不倫」というとても綺麗とは言い難い言葉が選ばれているけれど、それが言及されるのは「日本死ねはいかがかという話題のついでに触れられる程度で、まったく燃えていない。反発を招いている根っこは言葉遣いにはなく、わかりやす攻撃できる箇所として言葉遣いの汚さが選ばれていると見るべきだ。

根っこにあるのは党派対立であり、右翼たちの反発を招くポイントが含まれているがゆえに右翼たちによって燃やされているのだ。

では右翼たちの反発を招く真の炎上ポイントはどこか。

ひとつめは死ね対象日本であること。

そしてふたつめは野党に利用されたという点だ。

右翼たちは愛国を掲げている。日本は素晴らしい国であり、日本攻撃されることは許せない。

そんな右翼たちにとって、「日本死ね」は感情的に反発せざるをえないフレーズだったのだ。

石原慎太郎氏は件の増田に対し「こういうこと言うんだったら韓国でも中国でも行ったらいいんだよ」と発言している。また、流行語に選ばれたあとのネットの反応に「日本死ねがいいんだったら韓国死ねもいいのか」というものが見受けられた。

元々の話題日本の保育行政待機児童問題であったはずのものに対して韓国名前が出されるというのはかなり唐突に感じる。

しかし、日本死ね反日韓国という連想ゲームがなされたのだと考えると非常に自然理解できる。

元は単なるネット上での話題に過ぎなかったもの民主党(当時)の山尾志桜里氏が国会で取り上げたことで全国区話題となり、流行語大賞において受賞者に選ばれたのも山尾志桜里であるというのも重要ポイントだ。

右翼たちにとって民主党民進党)は敵である。敵が手柄を上げてニコニコしているというのはこれはもう大いに気に食わない。少しでも攻撃できる箇所があるなら叩かずにはいられないだろう。

ここで議論の発端となったつるの剛士氏のツイートを見てみよう。

@takeshi_tsuruno

(´・ω・`)oO(『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。

皆さんは如何ですか?#流行語大賞

2016年12月2日 08:18

ここで批判対象となっているのはまさに山尾氏である。これは「民進党叩きツイート」であり、であるがゆえに民進党を叩きたいネットユーザーたちが共感を示し「炎上」に至ったのだ。

と、ここでこう疑問に思う人がいるだろう。つるの剛士別に右翼じゃないし、党派性から民進党叩きしてるわけじゃなくて素朴な感想を書いてるだけでしょ、と。

確かにつるの剛士氏は右翼として認識されているタレントではない。しかし、彼は右翼言説の影響を大いに受けているはずだ。

以下に彼がツイッターフォローしているアカウントの一部を列挙する。

百田尚樹

櫻井よしこ

高須克弥

WiLL編集部

西村幸祐

山際澄夫

石平太郎

石井孝明

三橋貴明

竹田恒泰

KAZUYA

青山繁晴ファン「淡交」

青山繁晴有本香語録

青山繁晴BOT

武田邦彦bot

この他に自民党維新の会議員も多くフォローしている。

はっきり言ってこいつをフォローしてるのは一発アウトだろと思うような偏った人物が何人もフォローされており、表に露骨に出さないだけで相当に右翼言説の影響を受けていると推測されるし、彼が中立立場からモノを見ているとみなすことは難しい。ツイートにわざわざ「日本人としても」などというフレーズ差しまれているのは右翼言説の影響なのだろうか…と穿った見方もしたくなる。

そして、左翼たちからすると関心の重点は待機児童問題にあり、言葉遣いが悪いだのなんだのいう論点はまったく本質的でない、もっともらしいだけのただの難癖に感じられる。件の増田の怒りに対して共感を覚えるがゆえに言葉遣いがどうのといって怒りが相対化されることが非人間的に感じられる。例えばいじめ被害者加害者を殴ったら暴力はいけないと言われる場合のように。

から左翼左翼で「日本死ね」叩きには反発をするし、左右で殴り合いになるのだ。

俺はネットでのクソの投げつけ合いが大好きだからこういうガソリンみたいなエントリを書いてるけど、建前ではこんな話はくだらなくて待機児童問題解決こそが大事だよなーと思います

来年はい一年になるといいねハム太郎

2016-12-04

SMAPに関するたたき合い

12月になった。

SMAP年末を持って解散するという。

SMAPのことを語ることは、すでにちょっとしたタブーとなりつつある。

事情も知らない部外者がなんか言ってるんじゃない」という批判を受けるからだ。

この初めて使う匿名ダイアリーも同じように怒られてしまうかもしれない。

  

署名運動が盛んになったり、新聞掲載都電ばんえい競馬TV局へのメッセージなどいろいろなところで何とか解散しないようにと活動するファンがいる。

彼女たちの活動に関して批判するわけではない。

自分の好きなアーティスト活動もっと見たいという署名

彼らが出演するメディアへのメッセ―ジ。窓口が設けられている以上悪くはないと思う。

ただ、「彼らが解散したくないといっている」「事務所解散させられる」「これはパワハラなんです」

こうなるとちょっとどうだろう?申し訳ないが気持ち悪さを感じてしまう。

それは事実かもしれないし、事実ではないかもしれない。それを憶測だけで書くのはどうなのか。ここは間違っていると思う。

「彼らの発言をみればそんなことを考える人ではないことがちゃんとわかる」

人の気持ちは変わるし、気持ちだけではどうにもならないこともある。そして、他人気持ちは変えられない。

彼らがもし、「解散したいか解散します」と発言したならば納得する人も多いかもしれない。

それがはっきりと示されていないことで混乱を招いたのはよくわかる。私の好きなもの活動が終わるとして、こんな終わり方で納得できないのもわかる。

もし彼らが本当に「解散したいんだ」と思っていたとしたら、存続を願うことは酷ではないだろうか。

でも「彼らが本当に解散したい可能性」を取っ払って考えたら、暴走ちゃうよなぁ、と思う。

  

一方でこうしたファンツイッターで裏アカウントだの愚痴アカウントだのを作ってたたいている人。

こちらも気持ち悪さを感じる。

グループファンを名乗りながらそのような発言をすることでファン自体、またタレントマイナスイメージが付くことがわからないのだろうか?

(こうしてここで匿名で書く私も同じかもしれないが、何をどこで書いてもたたかれるので。

私はSMAPファンでも、そのとあるほかのジャニファンでもないが、インターネット上でたたき合いをするいい大人たちのよくわからない争いは、もう見るに堪えない。)

何をしても事務所のせい、何をしてもI氏のせい。どちらもしていることはおなじではないか

もちろん良識あるファン存在することも知っているが、タグをつけてつぶやいたり、

プロフィール応援する人の名前を書いているということがどういうことなのか今一度考えてほしい。そういう人の発言が、一番目に留まりやすいのだから

  

私はとあるグループファンだった。

事情は違えど、彼らは唐突事実上解散した。解散というのは、メンバーが全員揃っていないこといいたい。

数名はグループ名を変えて活動した。国内国外いろんなところで。

残りの数名はグループ残留するかたちをとり、以前と同じグループ名で活動した。

ただ純粋に彼らの音楽を、彼らを応援していた人たちは突然スタンスの違いで攻撃あい、二度と分かり合えないような状態になった。

どちらも応援する人。

どちらかだけを応援するひと。

どちらかだけを応援して、もう一つのグループのことはファンタレントも徹底的に批判する人。

過去の姿が好きだっただけで、今はもう応援していない人。

そして、元のメンバーでの活動を望む人。

望まない人。

過去楽曲について、過去グループについて語ることはできなくなった。

当時の曲をいいよねといえば、「いまだに全員での活動を望んでいるお花畑一生懸命活動している彼らに失礼だ」と攻撃を受ける。

皆ただの一ファン芸能人にとってのなんでもない。過去楽曲を聴こうと、彼らの作りだしたコンテンツひとつにすぎないのだからいちファン糾弾されるのもおかしい。

事実上まだ作品流通しているのだからいいじゃないか

スタンスの違いなのか、いったいなんなのか。

私は心底疲れてしまい、彼らのことは全く応援しなくなった。たまに過去楽曲聴くが、名曲ぞろいだったなと思う。

  

話がそれたがSMAPファンも今こうなりつつあるのではなかろうか。

年末までの活動と割り切って応援する人。

そもそも一人のメンバーしかきじゃなかったという人。

5人でのグループ存続を信じて活動する人。

活動する人を否定する人。

25年も活動してきて、名曲もたくさんある。

当時の楽曲について話せなくなるのはおかしいし、5人または6人の話をする人は皆復活を望むお花畑だとたたかれないでほしい。

曲に罪はないし、過去に罪もないのだから

存続を願って活動する人。

それを批判する人。

どちらも今一度冷静になってほしい。

メディアに踊らされているのにメディアに頼る矛盾に気付いてほしい。

何の生産性もないたたき合いに何の意味もないことに気付いてほしい。

単なる一般人の私だが、SMAP報道が出た夜中にはびっくりしてしばらく眠れなかった。

当たり前にテレビに出ていた人にも当たり前はないのだと。

  

泣いても笑っても、おそらく今月末までというのは変わらないのだろう。

この残された一か月ですべきことはたたき合いだろうか?それとも根拠のない陰謀論を流すこと?同じCDを買いあさること?

本当に彼らのために何かをしたいと思うのならば、すべきことは何だろう?

http://anond.hatelabo.jp/20161130090016

この世界の片隅にネタバレ含みます

元増田とは少し考え方が違いますが、選ばれなかった過去という話を明確に打ち出しているので、「あり得たはずのもうひとつ世界」というのは重要な要素だと思います

原爆で母を失ったヨーコは母の左手を握っていたために助かりましたが、すずさんが「晴美ちゃんのことを左手で引いていたら…」と後悔する際に出てくる映像と重ねることができます

終盤にあの凄惨な親子のシーンを唐突に挿入する演出も、かなり意図的ものと思います

もしすずさんが左手で手をつないでいたなら、晴美は助かっていたのかもしれません。

分岐ということで考えるならば、北條周作の求婚以前に水原哲とすずさんが結ばれていたら娘が産まれ、もしかしたら親子は広島被害を受けたかもしれません。

ヨーコはそうした「ありえたはずのもうひとつ世界」の住人のようにも思えます

そして、おりんさんという人も、すず=りんという名前から、すずさんのもうひとつのあり得た姿だったのかもと考えられます

また、もしかしたら兄要一も南洋で生き延びて、ワニのお嫁さんと暮らしていたかもしれません。

それらのあり得た世界が選ばれなかったのは時代や状況のせいで、ただの偶然にすぎません。

無数の可能から偶然選んだひとつの結果をどう受け止め生きるのか、ということを語った作品なのだと思いました。

そして最後にヨーコという(どこかの世界ですずさんの娘だったかもしれない・もしくは晴美のような)少女がすずさん・周作夫婦出会います

昔おりんさんがすずさんから西瓜の赤いところをもらったように、ヨーコはすずさんから海苔巻きをもらって、無数の世界収束し重なり合います

このラストは、冒頭で「海苔を巻いた望遠鏡」を覗いて眠ってしまったバケモノ、失くした右手が描いた鬼イチヤンが結んでくれた縁かもしれないね、と考えるととても素敵な結末に思えます

2016-12-03

姉の結婚式で

私:弟

結婚式当日にサプライズスピーチをするように言われました(言われたというか、「それでは新婦の弟さんからスピーチです」と唐突に言われました)

前もって姉にスピーチがあるのかと聞いたところ、ないといわれていたので完全にスピーチ内容を考えていなかったので真っ白になってしまい変な内容になってしまいました。

結婚式後に姉になんでスピーチがあるならあると言ってくれなかったのか、というと、式場スタッフサプライズしましょうと言われたとのこと。

普通スピーチサプライズにするってありえますか? 誰も得をしないサプライズだと思うんですけど、しかもそれをスタッフが薦めるなんて意味がわからないんですが。

される側がサプライズならわかりますが、する側がサプライズされるなんて意味不明です。

2016-12-02

実は極左には評判が悪い「この世界の片隅に

一般的には悲惨戦争体験の新しい表現として評判のこの映画だがガチ左翼、とくに朝鮮シンパにはすこぶる評判が悪い

そもそもこうの史代の「夕凪の街 桜の国」が日本人被害者ぶって戦争体験だけ美化されてるニダとかなんとかで受けが悪く、

こうのが「この国に生まれながらこの国のことが嫌いな人たちがいるようです」みたいなことを口走ったおかげでド極左に敵視されてたようだ

「この世界の〜」原作では例の太極旗のくだりでこうの自身批判落とし前をつけたようだが、今回の映画版ではそのへんをわりとサラッとやってしまったのがいたく朝鮮シンパの気に食わないらしい  片渕須直監督の「あの場面ではすずさんに唐突国家を背負わせる必要もなかったのでは〜」的な発言も心象が悪いらしい

そもそも呉みたいな軍都に住んでて無垢にひたむきに生活を営み、彼らの産業植民地三国人どもを抑圧してることを見ないようにしてるようなほんわかした生活描写朝鮮シンパ的にはありえないみたいだ

まあそんなこんなで日本人としての加害性を無視した本作も戦後民主主義左翼に言わせれば大政翼賛映画になってしまうようだよ

最近増田でなんか見る気がしない的なネガキャンがさかんに行われてるのもその辺の事情もあるのではないか

単にインターネット接続料以外はビタ一文コンテンツに金を落とせないというクソネット貧民ニートであるだけという可能性も大きいけど

2016-12-01

この世界の片隅にバケモノ(人さらい)は結局何だったのか

ネタバレを含んでいるであろう考察です。

A.バケモノ

そのまんまバケモノです。

あの世界には妖怪が出没します。

なんのためにいるのかは謎です。

見てる人が座敷わらしちゃんKAWAIIするためなのかも知れません。

B.想像産物

怖いおじさんにあったという思い出が改変されてバケモノになりました。

一番筋が通ってる気がします。

夜空は脚色です。

実際はただ逃げたです。

ラストの橋のシーンはそれのネタバラシです。

なんで唐突ファンタジー要素が登場するのかをもう考えなくていいのが魅力的です。

C.戦争メタファー

戦争に巻き込まれていくという様子をバケモノ誘拐される形で表現しました。

「夜」は戦争の終わりを意味していてます

カゴから脱出は2人の今後を暗示しています

「夜までに帰らないと」はバケモノ出会った場所終戦直前に何が起きたかを考えれば明白です。

物語構成としてはこれがしっくり来ます

実際どれなんでしょうかね。

あのシーン以外の部分にヒントが紛れているのかも知れません。

自分NTRれボーイが幼少期にフラグ立てに来た辺りで既にバケモノ存在を忘れていたので見落としがあってもおかしくないです。

2016-11-30

日本政府観光局外国人向けページって大丈夫

調べ物をしていてたまたま日本政府観光局外国人向けページを見た。

特集記事の中にアニメキャラの瞳アップを並べたヘッダー絵の「箱根フューチャリングアニメロケ地」みたいなのがある

http://japan-magazine.jnto.go.jp/en/special_santen02.html

箱根アニメと言えばエヴァだよな。最近だと弱ペダも舞台になったし」と思って読んでみたが「箱根アニメでも舞台になった」とは書いてあるが具体的な作品名は無し。

まあ権利とかの処理が面倒だから具体的な作品名をあげてないのかな~。でもあの作品のあの場面はココ!とかやった方が訴求力あるのにな~などと思いつつ読み進めていくと唐突に「アニメ制作者は目の疲れに苦しんでる」との表記

そこから参天製薬の目薬の成分がキャラクターになったオリジナルアニメ「アイドロップス」の紹介へ・・・

うん、箱根と全く関係ないよね?

日本観光案内で日本製品を紹介するのはアリだとは思うけど、記事の内容と全くリンクしてないんですけど。

なにコレ、ネイティブアドなの?

日本政府観光局のページはスポンサーさんの協賛でできてるの?

アニメ観光資源の一つとして外国人向けにPRするのは良いと思うけど、記事広告はきちんと切り分けないとアカンだろと思いました。

他にもプリンスホテルグループの会員カード広告記事もあるし。

広告記事ダメだとは思わないんですが、他の一般記事区別なく一覧表示されているのはよろしくないのでは。

PRとかAD表記をするべきじゃないですかね。

山本一郎氏にでも突っ込んでいただきたい案件

この無数に重なり合う世界の片隅に。

終盤唐突差しまれる、被爆したとおぼしき、右手がずたずたになって、左手少女と繋いで焼け野原を歩く女性

これは、すずだ、と。

これは、本当の、すずだ。

すずさんは、広島で、子供かばって、被爆したのだ。

普通に、当然のように、そう思った。

始めに言っておくんだけど、多分こういう解釈はあちこちで出てて、多分「原作読めば分かるけど、それはこうだよ」って否定されてると思う。実際、原作を読めばそれだけで氷解する、阿呆みたいな、とんちんかんな、暴走妄想なのだと思う。

別にそれでいい。

ただの、原作未読で、映画も一回しか見てない僕のモウソウだ。「トトロで、サツキとメイは実は死んでました」のたぐいの話だ。

ただ、僕には、そう見えてしまった、ということをメモっておきたかった。

終盤に唐突に現れる、焼け野原を歩く女性は、すずだ、と思った。

本当のすず。

現実のすず。

今、そうであるすず。

じゃあ今までのは全部夢だったのかな。すずの妄想だったのかな。彼女はとても夢見がちで、どこかぼんやりしているのだ。

でも、思い返すと、すずが妊娠したんじゃないか?ってなった時、医者から出てくる様子が映されたのみで、どうなったか結論が何も出てこない。

勘違いだったのか?

食べ過ぎとかか?

生理不順か?

それとも……流産した?

それは、劇中では語られてない。まるで、触れてはいけないことのように、一切触れられない。

世界はこの時、分岐していたのではないか

流産した世界と。

無事に月を重ね、広島に帰って出産し、育て、そして……そして原爆に遭い、子供かばい、右手を失い、ほどなく死に、ウジに、ハエたかられる世界と。

たとえば、お義父さんがすずと晴美を米軍機の銃撃からかばったあとに、ばったり倒れたまま起き上がらないシーンがある。直後、徹夜してたために爆睡しちゃったのだ、と笑い話になる。

たとえば、すずが海と軍艦を絵に描いてると、憲兵に目をつけられ、手帳は取り上げられ、家まで押しかけられて家族皆が詰問される。直後、このすずさんが間諜って、そんなあほな!と笑い話になる。

シリアスになると、直後にお笑いオチになる。

本当の未来は違ったのではないか。あの時、お義父さんは米軍機の銃撃で死んでいたのではないか憲兵に目をつけられたすずは、そのまま連行拷問の末、獄死したのではないか

そうなった未来をすずは、棄却し、そうでない未来選択し直していたのではないか

どうやって?

そりゃあ、右手で。

すずの想像力の源、生きる力、癒やしの力、生み出す力で。

から、晴美の事故を、やり直せなかった。一緒に右手を失ったから。もう、左手でいがんだ世界しか描けなくなったから。

から原爆も。

でも、じゃあ、あれは、一体なんなのか。原爆焼け野原で、「本当のすず」が連れていた少女は。その子と「すず」が出会い、引き取るのは。

どうともしようがない。合理的な上手い説明など思いつかない。ただ、いくつか思うのは、もう世界線というか、時空は入り乱れてるように思う。原爆エネルギーなのか、なんなのか。

すずは幻想右手を取り戻して、いがんだ左手風景は消えて、そして鬼いちゃんは南方で毛むくじゃらの化物になり、ワニの嫁さんをもらって、過去の人さらいとなって、すずと周作を出会わせる。

貧しい生家から裕福な家に奉公に出され、奉公から出奔し、草津の家で座敷童になり、遊郭に拾われ、遊女となった、(そして「今」は空襲で死んでしまった)ひとりぼっちのりんの隣に、すずの幻想右手は、自分の姿を描き入れる。

ならば、もうひとつ世界の流れの、原爆惨禍に遭ったすずは、そうならなかった世界の流れのすずに、自分の娘を託すぐらいの事は出来たのではないだろうか、と僕は思うんだ。

その程度の奇跡は、起こせてもいいんじゃないかと思うんだ。

[] H23民訴コメント(アンサー)

H23民訴

・全体としてとても読みやかった。

設問1

よく書けてると思う。論理の流れも読みやすいし、俺が言えることはないです。

設問2

権利主張参加については、参加人の請求と本訴請求とが論理的に両立しない関係であることが必要だが、独当参加の場合には、いずれかが当事者適格を充たさないという関係にあることから請求の非両立性が認められる、として、独当参加を認めてよい、らしい。

・二1(2)の、あてはめ部分は、もう少し具体的な説明があった方がいいと思う。なんとうか思考過程とかがわかりにくいかなと感じた。「さらに~」の部分が唐突な感じがしました。「さらに」ではなく「それにより」とか?(もしかしたら俺の理解不足かも)

債権者代位の反射効は、加藤いわく以下のような感じ。

債権者代位訴訟は法定訴訟担当からBFの受けた既判力は債務者Aに拡張される(115条1項2号)。すると、BFが別々の債権者代位訴訟判決が確定した場合、AのCに対する移転登記請求権という同一の訴訟物の存否について異なる内容の既判力がAに拡張されることで、既判力の矛盾抵触が生じる。そこで、このような事態回避するために、ある訴訟担当者が受けた確定判決の既判力は、それが拡張される被担当者を経由して他の原告適格者に反射的に及ぶと解する、とかそんな感じ。

設問3

・1(1)イのあてはめについてだけど、単に不可分債務と述べるだけではなく、不可分債務から民法430条432条に基づき、相続人各人に対して順次義務の履行を請求できる、ということまでいったほうがよりよいかも。ただここまで書かなくても合格レベルではあると思う、けど上位を狙うならかけた方がいいかも?

・(2)イについても上に書いたのと同様に、共有権は数人が共同して有する一個の管理処分権であり、それが紛争対象となっているから、とか書いた方がより良いと思う。

なお、結論妥当性のところで加藤が言ってたのは、NはMの認諾調書のみではLMに対して建物収去土地明け渡しを強制執行できないから、現実的不都合はない、ということだった。

2016-11-29

初めて芸能人に会った日の話

土曜日の朝、小学3年生の僕らは大いに興奮していた。

まだ週休2日制ではなく、土曜日学校に通うのが当然だった時代。朝、突然に級友のしんちゃんによってもたらされた衝撃的なニュースに、クラス中が騒然となった。

  

今日公民館テレビに出てる芸能人が来るんだってよ!お笑い!!!

  

大事である人口1万人にも満たないこの小さな町に、演歌歌手以外の芸能人が来るのだ。帰ったら急いで家族にも伝えないと!あと、色紙だ!色紙以外にサインを求める事はマナー違反だというのは田舎小学生でも知っている。家に色紙があるか確認しなければ。その日は授業の内容など全く耳に入らなかった。僕としんちゃんは開演時間も入場料もわからないそのイベントに、何故か参加出来るという確固たる自信を持って、下校後のミッションを練り上げていた。

  

「じゃ、30分後に公民館前に集合な!」終業のチャイムと同時に僕らは散開した。

  

公民館前に到着すると、そこはもう沢山の人であふれ返っていた。昼間からこんなに人が集まるなんて、芸能人ってやっぱりすげー!!興奮する僕の横で、しんちゃんがぽつりと言った。

  

「あれ?何か大人ばっかりじゃね?」

  

言われてみれば確かに大人がずいぶん多い。大人8に対して子供2くらいの割合だ。しかも、中高生ほとんど居ない。子供小学生幼稚園児が大半だった。そして次の瞬間、唐突に思った。

  

「これ、僕たち中に入っていいのかな?」

  

今更である。もちろん入場料やチケットの類は持っていない。田舎小学生現金を持ち歩く習慣など無い。持っているのはマッキー1本と色紙1枚のみ。少しずつ不安が大きくなり、入り口から中の様子を伺っていると、親戚のおじさんと目が合った。おじさんはこちらに気付くと手招きした。どうやら入っていいらしい。

  

「早く場所とれ!座るところ無くなっど!(笑)

  

おじさんの明るい声に背中を押される形で僕らはホールに足を踏み入れた。

  

暗いホールにぎっしりと並んだパイプ椅子。席はほぼ埋まり、少し蒸し暑かったステージには演台と大きな花瓶。左手司会者と思われる女性資料を持って立っている。

  

「何か校長先生とか出て来そうだなw」

  

しんちゃん言葉クスクスと笑いながら、僕達はその時を待った。これからここにお笑い芸人が来る!面白い事が起こるんだ!!!

  

定刻となり、司会者挨拶からその会は始まった。何人かの偉そうなおじさんが代わる代わる話をした。その話は校長先生の話より退屈だったけど、僕達は芸能人への期待で何とか持ちこたえていた。子供の興味と集中が途切れそうになる間際、司会者が高らかに宣言した。

  

「さぁ、それでは皆様お待ちかね、本日スペシャルゲストをご紹介しましょう!!」

  

僕らは背もたれから背中を引き剥がしステージの右側を凝視した。

  

次の瞬間、そこにはスーツに身を包んだ一人のおばさんが立っていた。薄いピンクスーツ。左の胸にはブローチがキラりと光っていた。にこやかに手を振ってステージ中央へ進んで行くおばさん。挨拶をして、さっきまでのおじさんたちと同じような話をするおばさん。突然泣き出すおばさん。泣きながら微笑むおばさん。誰かに感謝しているおばさん。拍手喝采を受けるおばさん。深々とお辞儀をしてステージを後にするおばさん。

  

僕らは最後最後まで期待していた。笑っていいともバラエティー番組で見せる、女の人があまりしちゃいけない様な格好から繰り出すギャグを。トーク番組披露するような、面白いエピソードを。きっと、どこかで、必ず、会場を沸かせるギャグ披露してくれることを。

  

公民館を出てしばらくしてしんちゃんがぽつりと言った。

「…面白いこと、1っこも言わなかったな。」

「うん…。」

僕は手に持った色紙とマッキーを見つめながら何となく相槌をうった。

朝、学校で感じた胸の高鳴りは何だったのだろう。僕はどうしてあんなに必死になってお母さんに色紙をねだったんだろう。

横を見ると、しんちゃんの悲しそうな顔が目に入った。朝一番に「芸能人が来るってよ!」と教えてくれたしんちゃん。あのときキラキラした瞳の輝きを思い出すと胸がチクリと痛んだ。

  

「俺知らなかったけど、芸能人ってテレビに出てない時はけっこう普通なんだな!!」

しんちゃんは、この沈んだ空気を打ち消そうと、精いっぱい明るく言った。その明るい声が、なおさら僕を悲しくさせた。

  

しんちゃんさ…」

「ん?」

「今からしんちゃんちでファミスタやろうよ!!!

僕も精いっぱい明るく言った。

  

「いいよ!!でもピノ禁止な!!」

しんちゃんキラキラした眼で答えた。僕らは全速力で駆け出した。

  

これが、僕が初めて芸能人久本雅美に会った日の話。

2016-11-28

母と兄貴の嫁の静かなる攻防が怖い

母はシフト関係夕方から出勤し日付が変わる頃帰宅する。

料理のできない父の為におかずを一品作ってから家を出て行くのだが、

去年兄貴の嫁を家に迎えてから少し様子が変わってきた。

おかずの内容ではない。家の中の雰囲気がだ。

母の料理は不味くはないのだが、普通カレー唐突にちんげん菜を入れるなど

センスがあまりないので自分はあまり好きではない。

兄貴の嫁と自分はあまりそういう事を話さないので

どう考えているのかわからないが

きっと同じ事を考えているような気がする。

嫁は嫁で(兄貴の嫁というのが長いので以降嫁と記す)

夕飯の支度をし、父や兄貴自分にふるまってくれるのだが

食卓に母の作った料理が並んだ事はないような気がする。

自分自分で夕飯を外で食べてきてしまったりするので

絶対に並ばないという事はないのかもしれないが

少なくとも自分がいる夕飯の食卓には母の料理はない。

で、嫁は嫁で自分の作ったおかずを母の分だけ残しておくのだ。

遅くに帰ってくる母への気遣いと見れば美しい光景なのだ

いかんせん嫁の作る料理は肉っ気が強かったりなんだかヘビーなのだ

母は肉をあまり好まないし、深夜にそんな重い食事を食べたくないのか

ほとんど嫁のおかずを食べない。

全く食べないという事はないと思う。

何故なら、嫁がいない所で

肉のにおいが……などと愚痴っている姿を見るからだ。

今日も母はおかずを作って出て行ったし、

嫁は夕飯を作るために今台所に立っている。

昨日嫁が母のために作ったおかずは母からの指示により自分の腹のなかに入った。

表立っては仲の良い嫁姑なのだが、正直言って怖すぎるし面倒くさい。

これならしっかり喧嘩してもらったほうがまだ良い。

朝日新聞翻弄されるSMAPファンジャニヲタの最大の弱点・盲目

現在Twitterトレンドに「#SMAP存続署名37万3515人」というタグが踊っている。

なるほどSMAPの熱心なファンが、存続してくれと自発的署名を集めたというのだ。

しかし、その署名を集めた発起人とされるアカウントツイートを見てみると、

📎 🖇5☆SMILE 📎 🖇 ‏@cantstop_susume 5時間5時間

🌟SMAP存続署名 37万3515人🌟

続きまして本日朝日新聞の夕刊に

掲載をして頂ける事になりました‼️

朝日新聞様には感謝しかありません!皆様是非お求め下さい!

#SMAP存続署名37万3515人

#朝日新聞を買いに行こうよ

#SMAP #5smile_project

#朝日新聞を買いに行こうよ というタグ唐突に付加されている。

そして案の定、それを拡散したジャニヲタの皆さまが「#朝日新聞を買いに行こうよ」のタグを使って熱心につぶやき朝日新聞の購入・応援に走っているのだ。


はっきり言おう。朝日新聞はこの署名が何の効力も産まないことだって分かっている。

それどころか、

SMAP解散騒動とは結局何だったのか。芸能マスコミ報道への疑問」 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20160123-00053721/

ジャニーズファンクラブ規約問題朝日新聞報道SMAP解散で山が動いた?」http://randomview.seesaa.net/article/444268368.html

の2つの記事を見れば分かる通り、SMAP解散騒動の時点では真っ先にジャニーズ事務所側の肩を持った報道を行い、

ファンクラブ規約問題炎上すれば今度は特集報道を行うなど、ジャニーズに対してある意味コウモリ的な立ち位置報道を行っていたマスコミ朝日新聞である

まり朝日新聞はここまでの時系列で「SMAP解散騒動を燃やし、ジャニーズ内に亀裂を作る一端をになった挙句SMAP存続署名のことを取り上げてジャニーズファンの支持(&新聞の売上とイメージアップ)をごっそり頂いていく」

というマッチポンプ状態になっているのだ。

現在朝日新聞ツイッターでべた褒めし、「SMAP存続署名を取り上げてくれた朝日新聞感謝の購入を」みたいな空気で盛り上がっているSMAPファンの皆さんは、

あなた達は朝日新聞の狙い通りに操られているということを一刻も早く理解するべきだと思う。


そもそも、この署名管理運営を行っている人物がちゃんとしたSMAPファンであれば、

朝日新聞取材を受ける」ということをここまで喜ばしく表現する事自体おかしいのだ。

何故ならSMAP解散騒動燃え上がったとき、そのど真ん中でキャンプファイアーをしていたのが朝日新聞なのだから

あんた達が燃やしたせいでこんなことになっているのに、今更取材しに来て恩を売ろうとするとは何事か」と激怒してこそSMAPファンではないのか。

そして、#朝日新聞を買いに行こうよ というタグをわざわざ作ってまで拡散しているところからしても、

「今回のSMAP存続署名は、もともと朝日新聞とつながりのあった人間企画した、朝日新聞イメージ戦略としての側面を持ったものであった」

といえるのは間違いない。


そして、それが実現されてしまったのはジャニヲタの最大の弱点「盲目性」のせいである。

パーナさん事件等でも有名になってしまったが、

自分たち自分たち応援しているタレントに都合のいい情報考察であれば、何でもかんでも拡散して支持してしまう」という盲目性を持っているのが多くのジャニヲタであり、

良識ある人が「いやそれはちょっとおかしいのでは」と冷静に動くことを促そうとすると、使命感や高揚感からかマトモな考えを経ずに「邪魔者・敵」だと判断してしまう人がとても多い。

パーナさん事件で嘘の避難所情報や「レイプ車」などの情報を、周囲の制止も聞かずに信じて拡散した人々のことを記憶している人も多いだろう。

そして、一晩で21人のパーナさんを(ツイートしている状況からしたらタコ部屋以上の殺人的な詰め込み方をしないと運べないし泊められないのに)

救助したと表明したジャニヲタ女性賞賛言葉フォロー殺到したという滑稽極まりない話もあった。

そういう人たちが今でものうのうと活動しているほど、ぬるいのがジャニヲタ世界なのである

そして、その人々の盲目性に乗っかって、過去自分が撒いた種で燃え上がった騒動の美味しいところを総取りしようとしているのが朝日新聞であり、

それに気づかずに両手を上げてありがたがっている盲目SMAPファンがこれを美談として語り継いでいく限り、ジャニヲタ盲目性を利用して美味しい思いをしようとする者たちは、

マスコミ企業個人、その他関係なく、今後も続々と現れるのであろう。

2016-11-27

80年代アニメでは常識だったこと

・顔の輪郭から口がはみ出る

少年タンクトップと短パン

駄々をこねたり否定をしたりするときに手足がエノキ状になって増殖する

・やたらと芸能人設定

・やたらとミュージシャン設定

唐突登場人物バンドを組む(組んでいる様子がジャケット採用される)

登場人物の一人は髪の毛直立+ヘアバンド+丸いサングラス

ケンカをすると後ろから頭を噛まれて血が出る

ギャグで血が出るとピューと水芸みたいになる

・人数が多いときに驚く発言があると、一コマ目が「・」になるワンテンポを置いてからコマ枠をつかむ勢いで全員が顔を寄せてくる

こんなとこですかね。

2016-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20161121154706

「やりたいことが見つかっている」という表現は、「『本当に』やりたいことが実はなく、自分楽しいと思える事を『これは自分がやりたい事なんだ』と自分を騙し欺し生きている」人から出てくる表現

『本当にやりたい事』そんなに生やさしい物では無い

本当にやりたい事は自分で見つける物では無いんだよ

つの間にか自分に寄り添っていて、あるいは唐突にそれにぶつかり、それを自覚したら最後、例えたまに死ぬほど嫌気がさしてもそれをやらずにはいられないんだよ

やらないと自分という個が死んでしまうと半ば本気でそう思っているんだよ

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161119214527

これ実際はどうかしら

邦画戦争を扱うとすぐ「戦争はよくない」とかい人物が出てくる

少なくとも戦中作品で「すぐ」に「戦争はよくない」というメッセージが出て来るようなイメージ自分にゃない。

朝ドラなんかも同じように批判されてるのよく見るけど、それだって主人公気持ち描写最初はだいたい何とも思ってないか何となく肯定してるところから、身近な者が戦地行ったり物品を供出させられたりして「あれ?戦争ってもしかして」と不安感覚えて、空襲激しくなったり身内が戦死するようになって「戦争はよくない」という結論に行き着く。唐突ではないでしょ。

そりゃ共産主義者活動家反体制として一貫して反戦活動してる描写はあったりするだろうけど、それとは話は違うだろ?

当時の反戦活動だって当時の理由や不満があって行われていたろうし。

2016-11-18

あの人に依頼したかった連載タイトル

わたしがまともなギャラを用意できるメディア編集者なら、あの人にいくつかの連載を依頼したかった。わたしはいまその立場ではなくて、あの人は唐突に早逝した。だからわたしはもう誰にもこのタイトルで書いてくださいと頼みに行くことはない。

「着替えるようなインテリアときどき来客または滞在者、あるいはその想定」

アクセサリという凶器ときどき狂気

「意外と広い東京の、どこが『わたし東京』ですか?」

トランジットルーム

「cosmetic's love and hate

香水とそのための場所(ただしあなたのベッドを除く)」

あなた禁じられた遊び

流行の波には乗らずひとつまみ」

「もう話しても差し支えない誰かの話」

「苺、バターチョコレート

「失敗した買い物についてたくさん話しましょう、それからみんな捨てましょう」

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