はてなキーワード: 住宅地とは
地域性なあ。。。
毎月家賃払ってるのに立ち退き求められるとか、設備の修理を一方的に借主に押し付けるとか、大家に結構問題がありそうだから、鎌倉のせいにするんじゃなくてしかるべきところに相談したほうがいいんじゃないか。
東海道沿線の鎌倉市だから大船だと思ってるけど、そんなに苦しいと思ったことはないな。あの辺は観光地というより、商店街の活気がある普通の都市って感じ。
駅前は深夜営業の居酒屋やスナックが林立してて、ラップバトルと無縁な閑静な住宅地ってイメージはないんだよな。駅前に住もうとするなら夜の騒音は覚悟決めないとダメ。
コロナ前はラップバトルどころかド深夜に若者の喧嘩 (後の抱擁) とか、サックスでハッピーバースデーを吹いてお祝いする輩がランダムイベントで出現するのでしんどかった。
テレワークが長引いたのを機に、生活が慣れてたんで同じ大船駅圏内で引っ越したけど、引っ越し先は自転車もバイクも駐輪場代は現状無料だし、回線も全く問題なかった。
クリーニングが終わってない状態の部屋を結構たくさん内見したけど、さすがに風呂トイレにヘドロ溜まってる物件は一つも無かった。もちろん内見時と入居時で部屋が様変わりしていることも無かった。
自分の感覚としては設備に不備があったら管理会社に連絡ってのが基本で、インターホンを自力で修理ってのも退去の時確実に揉めるシンクの水漏れを放置ってのもよく解らない。
マジで苦しくなったぞオイ。
その上、理不尽な理由をつけて賃貸を追い出されることになった!
結婚を機に引越準備を進めるにあたって、私の実家(横浜市内)からなるべく近い所に住みたいという夫の申し出があり、おなじ横浜市内か近隣のJR東海道線沿いの賃貸に絞って、最終的に鎌倉市にした。
決めた場所がたまたま、私の親友の家が徒歩圏内にある立地だったので、よく家に招待して夕食を振る舞っている。
「ウチは鎌倉で店をやってる家系だから仕方なく我慢しているが、他所の市から来たあなたは今からでも考え直したほうがいいよ。」
なのである。
時には呪うような感じで「ココカラタチサレ〜」なんて言う日もあった。
学生時代から喧嘩なんかしたことなくいつも優しくて、手土産なんか気にしないで来てと言ってもきっちり用意してくれちゃうような子が、こんなに口酸っぱく言ってくれていたのに、私はなぜ聞かなかったんだろうか。
本当にそうしておけばよかったと後悔している。
呪いの怨霊じゃなくても守護神さまかもしれないので、引越したらお礼のお供物が必要だろうか。
引っ越す前にうんちエピソードをいっぱい書き殴ってやる。
分別のルールが細かいのは慣れたが、制約が多くて分別品に入れられず、燃えるゴミにしなくてはならなくなる事があまりにも多い。
例えば、段ボール箱の表面にツルツルの加工がしてあったらダメで、資源ゴミにまとめられなくなるので燃えるゴミ行き。
これのせいで「鎌倉市民はなぜか紙ゴミを捨てる前に端っこを千切ってから捨てる」奇行が私も身についてしまった。
他の紙ゴミやプラスチック製品にも同じようなクソ制約があって、いつも1/3ぐらいの量が資源のほうへ出せていない。
そんなんでゴミが減ると思うな!増えてるぞ!!
間違いない。
更に、ラブホみたいな妖しいピンクにライトアップされている日がある。
余計にそれにしか見えなくて困った。
某キャンペーンの一環らしいけれど、風情ある建造物に対してどピンクにするっていうのはいかがなものかと思うのだが……。
ひょんな事から足を骨折してしまい、短期間ではあったが車椅子を使う事があった。
その時に痛感したが、一人で漕いでいても、夫に押してもらうにしても、歩道がないか狭すぎるかガッタガタのままになっているせいで、うまく通る事ができなかった。
古くから老人が数多く住む地域であるにも関わらず、いかがなものかと。
その後、議員選挙では麻痺を患っていて道路の改善を要求し続けているという政治家さんに投票した。
夫の仕事の都合で、通信速度とセキュリティの観点から個別にネット回線を引かなくてはならない。
そこで、物件を管理している不動産屋に確認を取ってから、入居する数日前に光回線を引くための工事の立ち会いをしていた。
すると大家さんが現れて「光回線を引くとトラックが引っかかるからダメ」とのことで注意を受けてしまったのだ。
ちなみにその位置にトラックはなかなか入って来ることはなく、運送屋さんなどは違う場所に駐車している。
「そもそも、マンション全体にワイハイ(言えてない)が使えるようにしてあげているのに、これ以上必要あるの?贅沢ねえ」と言われたが、結局私の代わりに工事の業者さんが説明してくれて、事なきを得た。
それにしても不動産屋から連絡が入っていない事に驚きを隠せない。
内見に行った際はそうでもなかったはずなのだが、いざ入居して見たら部屋の中は飛ぶ虫や壁にも小さな這う虫だらけ。
網戸は破れていて即交換。
特にトイレや風呂場といった水回りのヘドロがあまりにもひどく、掃除にかなりの時間と金額を使ってしまった。
現在シンクが絶賛水漏れ中だが、もうすぐ引っ越さざるを得なくなったので見て見ぬふりをしている。
チャンバラなんかしないでごく普通に下校している小学生が「ここを通るな!」とおじいさんに怒鳴られている姿を見たことがある。
私やその他自転車などが同じ場所を通過しても何も言われていないので、理解に苦しむ。
一方で我が家では、隣り合う住人がほぼ家を空けているのに、騒音の苦情が入ってきた。
私の夫はシステム開発屋で最近はテレワークの現場が多くなり、なぜか本来の業務よりも無駄な通話会議ばかりに参加させられている。
私はほぼ専業主婦だけども、単発の仕事を家で引き受けることがあり、声を出すものだ。
そう言う事情から、仕事がある日については大家さんには入居前に時間帯の相談をしてあるはずなのだが、不動産屋を経由して注意されてしまった。
いやいや、仕事って言ったじゃん。
一人暮らしがの中高年が多く住むマンション内でうちが唯一の夫婦らしいので、嫉妬でもしているのだろうか。
少しの音も出さずに生活するなんてできっこないと思うのだが、他の部屋の皆様はまるで忍びか何かのように静かだ。
「も〜頭に来た。あなたたちね、他の住人より振込タイミングがズレてるのよっ!」
は?
我が家以外は〇〇日に揃っているとのことなのだが、初耳である。
一度でも勧告があったなら納得できるが……。
そんなわけで引っ越さざるを得なくなった。
上述の我が家以外にも、3部屋も引っ越す事になったと耳にした。
既に我が家より早く一部屋引き払ったようなので、該当する物件情報を覗いて見たら、現在の家賃より2万円も高い値段が設定されていた。
安いままの家賃でいる住人を「わざと」追い出している説が濃厚かもしれない。
親友曰く「この辺りの地主はイジワル」とのことで、諦めて平和な隣市へ帰りなと諭された。
以下翌日の追記。
予想以上に賛否両論の反応があって驚いています、さまざまなご意見ありがとうございました!
仰る通り、鎌倉に住む地主さんたちだけがタチが悪いという感じで、街は悪くないかも。すみません。
気になったコメントへの返信と、エピソードが増えたので、書きにきた次第です。
ちょっとフェイクを入れるけど、出身地は私が横浜市の海沿いで、夫が北海道の港町。
今住んでいる物件は、どこぞの車道沿いにあるSRC造マンションの角部屋2LDKで、家賃は共用費込みで約10万円かな。
一番迷惑がかかるかもしれない隣と真下の住人は年単位の長期出張&退去済で、まったく居ないも同然。
多分、飲み屋さんのバイトだと思うんだけど、クッッッッッッッソ愛想悪いな!!!!!
地雷系ファッションのバイト仲間と一緒にティッシュの入ったかごを地面に置いてただただスマホ弄ってるだけの日が多く、見ているこっちが不安になる。
殆どのティッシュは自分で持ち帰ってノルマ達成としているのか……?
夫も私もそこを通り掛かる機会が多いけど、ちっとも貰えない。
カモになりそうな中年のおじさま以外には目もくれず…というか、まともに配っている姿を1度しか見たことがないんだけど。
私がティッシュを貰えたのはそれ以降全くない。
公園と駅前で、お酒を飲みながらあんちゃん達がディスりあい闘っているのを見た。
こういった集まりって、都会の繁華街でやってるんだとばかり思っていたが…閑静な住宅地にもあるんだね。
大家さんにしてみたら、この人よりも私達のような一般家庭の方がうるさいのか?
住んでいるマンションには全戸分の貸し駐車場があるのに、駐輪場はなくて、すごく不思議だ。
立体駐車場じゃないし、スペースには空きがあるのにも関わらず、仮に利用料を払ったとしても自転車やオートバイはこのマンションでは禁止と言われている。
うちは車を持っていないから契約していないが、車を持っている住人はなぜかみんな高級車ばかりなので、ぶつけたりしてトラブルが起きたら困るからっていう防止策なのだろうか。
後日もう一回食い下がって聞いたら、「近くレンタルチャリがあるからそれを使えばいいんですよ」って…癒着説もある?
なんらかの理由でトラックが一時的にそこに停めるのも許さない姿勢で、運送業者とかコープのドライバーさんが困っている様子だった。
しかも「どこかの住人が通販しすぎたせいだ(多分引っ越したての我が家)」「コロナで外出を控えているからといってスーパーも宅配なんて」という糾弾まであり、ついにはコンクリートブロックが置かれてしまった。
それからは近場のよそのパーキングに避難させるようになり、ちょっと回り道をして当マンションに来る。
私達夫婦は車を所有していない。
新しい家具やキッチン用品などをまとめて買いに行くためにレンタカーを借りてきた。
上述の通りマンションの空き駐車場が一時利用すらブロックされてしまうようになったため、コインパーキングに停車するのを覚悟して借りることにしたのだが、鎌倉市のパーキングの看板があっても全然わからない。
ネットで確認したらいくつかあった筈だが、知らぬうちに全て通り過ぎてしまったようなのだ。
こんなにあって気付けないわけがない!と思って目を凝らしつつ近隣2Lap目に突入。
タイムズや三井のリパークの看板の色がやけに薄くて見逃しが多かったと気づく。
派手な色にすることを禁じられているせいで特殊カラーすぎて、全く気が付かなかったらしい。
停められないのも厄介だが、それ以上に歩行者とすれ違うのが怖すぎる。
駅前近辺の大きな車道以外はあまりにも道が狭く、動かしづらい。
自転車も車も無理、と慣れば残された道は、手押しの台車しかない。
同じマンションに一部屋、我が家とは反対側の角部屋に、大家さんのご家族(長男さん)がひとり住んでいる。
他の兄弟たちは結婚して別の家を持っていると話していたので、ここに住んでいる家族はこの長男さんだけっぽい。
これがまた厄介で、大家さんは私達住人から来たクレームを長男さんにしょっちゅう相談しており、その度に変なアドバイスを貰って私たちの元へ舞い戻ってくるのだ。
入居はじめの頃に虫が大量に入ってきて困っているという話をしたが、それも長男さんに意見を求めに行って、「俺も含めて他の住人からそんなクレームが来た事は新築の頃からなかったし、あの家族の思い過ごしだ」で終わらせてしまったため、駆除業者を呼んでくれず悪戦苦闘した。
我が家のインターホンが故障して直させてもらう時も、「あの部屋だけインターホンの音量がいきなり小さくなるなんておかしい、難癖をつけられている」と言ってたわよ!と怒鳴られた。
ひょんなことから最近知ったのだが、大家さんは住人に「個別にネット回線を引くな」と言ったくせに、長男さんはなんと昔から個人で契約した回線を引いていたことが判明。
あとマイ自転車も持ってる。
悲しい。
我が家にはパソコン用モニターはいくつかあるが、テレビは持っていない。
ワンセグの機器も、レコーダーも持っていないので、NHKとは無縁の生活を送っていたのだが……。
大家さんがケーブルテレビ局のWi-Fiを契約しているせいで、テレビを持っていない家庭が入居している場合、強制的にJCOMのチューナーを取り付けさせられる羽目になった。
突然手紙が来た時はただのDM営業かと思って丁寧に取り付けをお断りしたが、後日後出しで全戸設置が判明して、もう一度連絡しなくてはならなかった。
「モニターがいっぱいありますね…それでは、こちらの一番大きいモニターのほうへ4Kチューナーを取り付けさせていただきますね!」
本当に容赦ない。
しかしJCOM自体の料金は大家さん名義での契約のため、こちらは機器の利用料を負担しなくて済むことになったのでこれだけは救いかも。
だけど、NHKの放送受信料は負担してくれず、各家庭へ襲い掛かってくるのだった。
全く使っていなくても年に2万円も余計な出費をさせられる計算となる。
他の部屋の住人もテレビを持っていなかったら大変迷惑しているのではなかろうか?
先日は難癖つけてくるおじさんと出会った。
私はピンクが好きなのでパステルピンクのブルゾンを着て買い物へいったら、通りすがりにうるさいって言われた。
個人の服装は条例違反じゃないだろ!風俗派手派手看板サンドイッチマンじゃねえんじゃ!!
大家さんは自動車免許を返納するぐらいのお年を召したおばあさんで、家賃収入のみで暮らしている。
支払いきれなくなったら最悪売却されることになり、全住人が退去しなくてはならなくなる…と不動産屋に言われた。
築年数は30年程でまだ超古いと言う感じではない。
ああ、だから賃料値上げのために今の住人たちを追い出すのか……。
隣にコインパーキングが有る状況が嫌すぎて引っ越した過去がある。
「一階が店舗は嫌だ」
と、似たベクトル。
不特定多数が24時間出入りするし、夜でも明るいので位置によっては寝室にまで明かりが入ってくる。シャッターとか遮光カーテンとか、こっちが気を使うのがしんどいんだってば。最初からパーキングが有ったわけじゃないので、好きなときに好きなように使わせろ、という気持ちがデカい。
あと煩い。
田舎なので暴走してなくても排気が煩い車多い。よく車検通りましたねみたいな年季入った車多い。
月極駐車場はライトとか常設じゃないし近所の住人が出し入れするだけなので、駐車場付きの集合住宅に住んだら、こんなもんか程度。
住み始めた当時は月極駐車場で、近所の民家と物件の住人が契約してて、管理会社が同じとの事だったので、将来的にデカイ箱物が建ったら嫌だなぁと思いつつ、諸般の事情で住むことにした部屋。
箱物どころかコインパーキングが建ったので我慢できずに引っ越した。
そして今の部屋の隣にもパーキングができそうで震えている。
住宅街で、隣接する道路も1車線道路の要件満たすのか微妙な感じの道だったので、まさかコインパーキングは無いだろうと思って引っ越したのにな。
そも、隣のアパート取り壊しになるとは思っていなかった。空き部屋無いって聞いたし。古いけど、もっとボロいアパートなんかいくらでも有る場所だったので。
たぶん、中途半端に古くてメンテが面倒になったか大家が高齢かの、どっちかな気配がしている。
工務店だか何だかしらないが、住宅街の屋外でそういう話すると聞き耳立ててなくてもモロ聞こえる家、わりとあるよ。風向きとかもあるし。うかつだなー。
そんで、取り壊し工事しますのお知らせペラが郵便受けに入ってたので「隣のアパートか!」ってなった。
そのアパートの大家は目と鼻の先に別の土地持ってて、そっちは月極駐車場なので、アパート潰したあとは売るか駐車場の可能性が高い。月極なら許容範囲だけどコインパーキングだったら嫌すぎる。
大型車両は入れない雰囲気の、この立地で初期投資を回収できるのか首をかしげるけど、そこの大家、あたま弱そうか工務店がイケイケっぽいので怖い。
月極駐車場にした方が安牌なのでは。
というか、郵便局が小銭両替に手数料を導入でわりとザワついたこの時期にコインパーキングって勇気あるな。長時間駐車で札とかカードとか電子マネーの率が高いのかもしれないけど、実際どうなるかわかんないのに。小銭のやり取りが発生する事業に新規参入とか、しかも規模小さいし大家って高齢っぽいのに。騙されてない?大丈夫?ってなる。
いや駐車場が隣なのは好ましくないので普通の民家が建ってほしいだけなんだけども。
でも隣で建築工事されると煩くて発狂するので、やっぱり駐車場がいい、月極の。
一人一車がデフォなのに駐車場が足りない建売住宅をぎゅうぎゅう建ててしまった中途半端な田舎の住宅地なので需要あるよ。公道に駐車して洗車しても悪びれない精神性の人間が月極の料金を支払う選択をするかはともかく。
引越し後に住環境が変わるのってしんどいよなー。これは賃貸じゃなくて一軒家だったとしてもなー。
山とかの広範囲とか押さえて住まない限り有るもんなー、こういうの。
田畑だったとしても条件クリアして宅地転用とかすれば何でも建てられるから廃品処理とか金属をやたら積み上げて保存しておく場所的なもんが出来たりするんだよな、排水が鉄の色。近場に田んぼ有るのに。
昼過ぎ、2階の自室でボケッとネットサーフィン(死語)してたら、不意に車の急ブレーキの音と「ガシャン!」という音が。
窓の外を見ると俺の家の玄関前で軽自動車と自転車の接触事故が起こったようだった。中学生か高校生らしい二人組の男子生徒が脛を抱えて道路の真ん中にうずくまっている。
俺はすぐさま携帯電話で119番に通報。そして110番にも通報した。
家を出て様子を見に行くと、どうやら自転車は二人乗りだったらしい。中学生にしてはやたらと長い髪型からして、あまり真面目な生徒ではないようだ。
平日の昼間に住宅地の中を自転車で二人乗りしてる時点で普段の素行の程も知れる。
軽自動車に乗っていたのはごく普通のおばちゃんだった。しきりに悪ガキ二人を心配しているが、肝心の悪ガキ二人は「大丈夫だから」「もう痛くない」と繰り返してそそくさとその場から離れようとしていた。
冗談じゃない。
思わず俺は彼らに割って入り、悪ガキ二人に今すぐに救急車に乗って病院で検査を受け、保護者に連絡を取れと迫った。
二人はさんざん抵抗したが、渋々携帯電話を取りだしてそれぞれの母親に連絡を取り始めた。
救急車が到着した。
二人は乗車をかたくなに拒否したが、集まってきた近隣住民が口々に乗りなさいと言い始めたので悪態をつきながらも乗り込み、救急車はサイレンを数秒だけ鳴らして2kmほど離れた総合病院へと走り去っていった。
その後警官がバイクで現れ、軽自動車のおばちゃんへの聴取が終わった頃、悪ガキ二人のうちの一人の母親が現場に現れた。
息子はどこかと尋ねられ、病院名と大まかな場所を伝えると、母親は信じられない事を俺に言ってのけた。
「息子に余計な事をさせないでください!」
さすがにこれには俺のみならず、軽自動車のおばちゃんも近隣住民も驚いた。
母親曰く、悪ガキが電話した際、すぐに家に戻ってこいと厳命していたらしい。
「あなた、我が子が車にはねられたのに病院に行かせないつもりですか。」
「行かせないとは言ってないでしょ。行かせる必要もないのに無理矢理行かせた事に怒っているだけです。」
「必要がないとどうして分かるんです?」
「電話で本人がそう言っていました。」
「車とぶつかった際に頭を打っているみたいだし、骨も折れてはいなくともひびが入っている可能性もある。医者じゃなければ大丈夫かどうかは分からないでしょう?」
と、こんなやりとりを5分かそこら続けていたわけだが、次第にこっちも疲れてきたので、
「とにかく息子さんの所に行ってあげてください。」
と切り上げようとしたら、「私は息子に病院に行けと言った覚えはありません。だからあなたに迎えに行けと言われる義理はありません。息子は勝手に帰ってくるでしょう。」とまで言い出す始末。
もう何がなんだか…。
ここで俺なら「じゃあ勝手にしろ!後は知らん!」と吐き捨てて家に引っ込む所だが、近隣住民(のおばちゃん達)は違った。
母親を取り囲んでの大説教大会である。それは、加害者であるはずの軽自動車のおばちゃんがいたたまれなくなる程に苛烈なものだった。
もう出る幕じゃないと悟った俺はそそくさと自室に戻り、ヘッドホンを引き出しから引っ張り出して装着し、音量を最大近くまで引き上げてネトフリを観始めた。
出かけるの大好き人間の気がしれない
都心に住んでた頃は用事のついでに買い物であれこれ見て回るのは好きだったが
わざわざ家から出かけるために出かける、みたいなことはしなかった
平日は会社と家の往復
くらいのもんだった
もう出かける気力とか微塵もない
周り家しかない
駅も遠い
15分歩いてスーパー、反対方向に20分歩いてドラッグストア、駅まで30分
なんのために外に出るのか意義を見出せない
散歩ぐらいどこでもできるもんだろうと思っていたが違うんだよ
景色のうちに興味があるものが多い場所とただの住宅地アンド畑では
道も細くて古い歩道で人一人やっと歩ける程度
すれ違う人とギリギリの道幅を肩窄めてかわすこと数分に1回の頻度 もう息が詰まる
都心じゃ徒歩ベースなせいか歩くのにここまで窮屈な思いをした記憶がない
ここはクソ
あと出かけるのだるい
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
阪神大震災とは、世界中のダム地震と同じく、山を削って住宅地にして、その土砂を使って人工島を二つも作り、淡路島から渦潮のど真ん中に目釘を置いて行き、瀬戸内海と太平洋の海流を邪魔すると、あ~ら不思議、岩盤が割れて新しい活断層が出来て、淡路島から宝塚に至るまで、800ガルを超える浅い震源での直下型大地震が起こり、既存の土地の木造住宅が倒壊して、7000人の貧困層とか若年低所得者とか高齢者が木造アパートに住んでるのを全員計画的に抹殺しましたと言う人災。
熊本の震度7の大地震と言うのは、トヨタとかホンダなど世界中の中心となる基幹工場を九州に建設し、東南海地震の心配がある危なっかしくて手狭な中部地方から、企業城下町ごと九州に移転させて、稼働するところまで行ったのに、建設地震で全て崩壊して、基幹工場移転計画までおじゃんになったバカ丸出しの人災。
阿蘇山の溶岩ドームを割って、中央構造体と言う九州から和歌山に至る日本最大の活断層沿いに震源が移動して行き、日本滅亡フラグが立って大爆笑。もし東南海地震が起こるか阿蘇山が終局噴火すると、富士山の600倍のエネルギーで日本が滅亡し、7300年前に終局噴火した九州南方の海底火山、鬼界カルデラが(富士山の400倍)噴火した時以上の破滅がもたらされる。
当時山口県まで火砕流が到達して、勿論九州全滅で焼けただれて窒息死、縄文時代の栗の木などを中心とした集落とか、東北まであった巨木信仰の集落がすべて消え失せ、太陽である天照大神がお隠れになると言う伝説が残り、相撲の神とされるタジカラオ神が岩戸を投げたという伝承通り、長野県や奈良県まで巨大な噴石が大気圏を突破して飛び、今も天岩戸神社として信仰されている。
三渓ダムを建設した時のダム地震は、四川省大地震と、多分アンダマン海で起きたマグニチュード9.1の地震で、インドネシアやインド洋に面するアフリカまで到達する大津波で、数万人の犠牲者を出して、衝撃波が地球を三周した大地震。
三国志でも、「諸葛孔明もまた書生であった、寒い漢中では暖かい南方から持ち込んだ麦は穂を付けなかったのだ」のと同じく、自然のしっぺ返しを一切考えない書生で子供の戯言。
キムタクが言っていた、「メンズエステはTBC」のメンズエステ。
ムダ毛、ヒゲの脱毛や、マッサージによるスキンケアなど、まさに字の通り「女性がよく行くエステの男用のやつ」
基本的に着衣の女性が、全裸もしくは紙パンツのみの男性に、オイルマッサージもしくはパウダーマッサージで全身愛撫する。
うつぶせ(背中側)からはじまり、鼠蹊部(デリケートゾーンきわきわのエリア)などを集中的にマッサージ。
もちろん勃起するわけだが、その頃合いで仰向けになるように言われる。そして、フル勃起を見せつけながらまたマッサージを受けていき、、、、
そのまま散々エロいマッサージをうけて、特に射精なく終了。なぜなら、手で射精まで導くと風俗サービスになってしまい、風営法観点で違法だからである。
これを「健全店」という。
基本的にはAパターンの店なのだが、施術してくれる女の子に交渉することで、抜いてもらえる店。基本は追加でお金を要求される。女の子によってはフェラだったり本番までできる。お金を要求しない子もいる。
基本はAの店なので、女の子によっては断られる。
店としてはAにしておいて、従業員が勝手にしてることにして摘発を逃れたい店も存在する。
非合法だが店全体として抜きまでやっているタイプ。このタイプは、最初の料金に手コキまで込みの店と、追加料金をとる店の二種類ある。
もちろん女の子によっては手コキ以上もできる。
風営法に準じたルール通りの立地や設備、申請の下で運営され、「合法風俗店の一ジャンル」にすぎない店。
初めて行く店はサイトからではA〜Cのどれかわからない。だからこそ、施術中に女の子に交渉してみたり、徐々にきわどいところを触ったり、というドキドキ感を楽しむのがメンズエステなのである。
もちろん風俗ブログや、爆サイ、ホスラブなどの掲示板である程度事前に知ることも可能。
また何故人気なのかというと、基本は手コキまでなので性病になる可能性が少なく、既婚者や彼女持ちには安心。
また、立地や営業時間が風営法を守っていないので、会社の近くのオフィス街や住宅地でもやってて、朝4時までやってるのも珍しくないので行きやすい。
コロナ禍でだいぶ閉店したり入れ替わったらしてるみたいだけど、ここからまた盛り上がるだろう。
ちなみに