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2024-01-18

三国志の各勢力ピー

後漢・・・光武帝時代

・・・樊城攻防戦で于禁とホウ徳が関羽の足止めする所まで

・・・黄忠夏侯淵ぬっころして漢中を奪った直後、関羽北上直前

・・・呂蒙が都督として荊州を奪還した直後、関羽処刑前後

・・・司馬炎誕生まで

以降はどの勢力も衰退期

2021-11-20

anond:20211119172629

 阪神大震災とは、世界中ダム地震と同じく、山を削って住宅地にして、その土砂を使って人工島を二つも作り、淡路島から渦潮のど真ん中に目釘を置いて行き、瀬戸内海太平洋の海流を邪魔すると、あ~ら不思議岩盤割れて新しい活断層が出来て、淡路島から宝塚に至るまで、800ガルを超える浅い震源での直下大地震が起こり、既存土地木造住宅が倒壊して、7000人の貧困層とか若年低所得者とか高齢者木造アパートに住んでるのを全員計画的抹殺しましたと言う人災

 熊本震度7大地震と言うのは、トヨタとかホンダなど世界中の中心となる基幹工場九州建設し、東南海地震心配がある危なっかしくて手狭な中部地方から企業城下町ごと九州移転させて、稼働するところまで行ったのに、建設地震で全て崩壊して、基幹工場移転計画までおじゃんになったバカ丸出し人災

 阿蘇山溶岩ドームを割って、中央構造体と言う九州から和歌山に至る日本最大の活断層沿いに震源が移動して行き、日本滅亡フラグが立って大爆笑。もし東南海地震が起こるか阿蘇山が終局噴火すると、富士山の600倍のエネルギー日本が滅亡し、7300年前に終局噴火した九州南方の海底火山、鬼界カルデラが(富士山の400倍)噴火した時以上の破滅がもたらされる。

 当時山口県まで火砕流が到達して、勿論九州全滅で焼けただれて窒息死、縄文時代の栗の木などを中心とした集落とか、東北まであった巨木信仰集落がすべて消え失せ、太陽である天照大神がお隠れになると言う伝説が残り、相撲の神とされるタジカラオ神が岩戸を投げたという伝承通り、長野県奈良県まで巨大な噴石大気圏突破して飛び、今も天岩戸神社として信仰されている。

 三渓ダム建設した時のダム地震は、四川省大地震と、多分アンダマン海で起きたマグニチュード9.1の地震で、インドネシアインド洋に面するアフリカまで到達する大津波で、数万人の犠牲者を出して、衝撃波地球を三周した大地震

 三国志でも、「諸葛孔明もまた書生であった、寒い漢中では暖かい南方から持ち込んだ麦は穂を付けなかったのだ」のと同じく、自然のしっぺ返しを一切考えない書生で子供戯言

2017-10-16

anond:20171014202631

竜虎相搏つ」の出典とされる『戦国策』を見ると、

楚嘗與秦構難、戰於漢中。楚人不勝、通侯、執珪死者七十餘人、遂亡漢中。楚王大怒、興師襲秦、戰於藍田、又郤。此所謂兩虎相搏者也。

適当訳)楚はかつて秦と事を構えて、漢中で戦った。楚は勝てず、身分の高いものが七十余名も死んで、とうとう漢中を失ってしまった。楚王は大いに怒って、軍を起こして秦を襲い、藍田というところで戦って、また敗れた。これがいわゆる両虎相打つというものだ。

みたいな感じで、つまり元は「両虎」なんだけど、まあ竜と虎が古くから対比して語られてきたのは確かだし、あんまり本質的な答えではない気がするね。

2016-02-05

anond:20160204010018

日本戦前だと現代中国と同じく史記のほうが人気があって三国志なんてマイナー過ぎて関羽以外は知らなかったのに吉川英治三国志きっかけで認知されるようになり10年前に出た三国無双から一気に三国志の知名度が上昇してマイナー武将まで知られるようになったから。

一方で日本での史記の人気が無くなり中国では何度も項羽と劉邦ドラマ映画化してる一方で日本では韓信匍匐なんてことわざドラマに出ただけで何故か韓国を使うなと批判殺到するという。

呂布が強いって言われても項羽の足元すら及ばんし、諸葛亮天才だって言われても漢中に追いやられたのに中原進出した韓信に及ばんのに…。

2015-09-22

三国志219年時の蜀ってさ

漢中あって荊州あって蜀もあって武将文官過去例に見ないほど最強だったのに

何で天下統一出来なかったんだろうな。

コーエー三国志プレイすると大抵蜀が圧倒的強さで十中八九天下統一果たすんだけど

実際はどうだったんだろう。

2014-10-12

何故魏延孔明に殺されなければならなかったのか、いまだに理由が分からない

明確に裏切るだろうっていう根拠がないし、ましてや張飛さしおいて漢中太守に任じてくれた劉備

魏が来たら必ず防ぎ、機会があれば戦線を押し上げ劉備の夢に全力を尽くすって宣言した魏延

攻略戦以降ずっと劉備に附き従って大いに戦功を挙げた叩き上げ軍人で、これは孔明も非常に認めてる。

でも孔明遺言魏延は裏切るから殺せと遺したのが解せない。

実際は当時敵対してた同僚楊儀何だかんだ理由付けて誅殺したのが正しいんじゃないかと思う。

その理由自分が実権を握りたいがため。

それが適わなかったので今度は自分が裏切ろうとして最後流刑になったのを踏まえると

どう考えても魏延が殺される理由というか彼は確実に冤罪だった。

そしてこれは孔明魏延を何度か庇ってる生前を見ても遺言魏延殺せと命じたとは考え難いんだよな。

一体全体何が起こったのか、三国志に詳しい人教えて下さい。

2012-09-02

諸葛亮は稀代の詐欺師

孔明は嘘を吐かせると右に出る者はいない。

かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。

実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備孔明両名のお墨付きであるしかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである

孔明は人を見る目が皆無。

嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。

後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである名前李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しか性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である孟達面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しか曹丕死ぬ冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか

結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである

孔明は内政は超一流だが外交軍事も他国どころか身内にも劣る

漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才普通な孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタク陸遜孫武に勝るとも劣らないと称された天才孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州益州では無双だった孔明長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐であるしか孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだからしかも北伐にかまけて劉禅教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官劉備提案かもしれないが)。

結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷ちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう政党も流石だとは思いますけどね。

以上、孔明歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。

 
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