はてなキーワード: 住宅地とは
東京の高級住宅地、白金でおきた“硫酸事件”。8月27日、傷害の疑いで全国に指名手配をされたのは、静岡市葵区に住む大学生の花森弘卓(ひろたか)容疑者(25)。
「捜査本部は事件発生当初から顔見知りの犯行の線で動いており、花森の行方を防犯カメラなどの画像から追っていた。花森は事件後、JR品川駅から新幹線で静岡に戻った後、中部国際空港から大学時代に過ごした沖縄へと飛び立った」(社会部記者)
花森弘卓容疑者
花森弘卓容疑者
静岡県の自宅の近隣住人によると、幼少期から「おとなしい性格だった」という花森容疑者。一人っ子で両親が既に他界したため、現在は実家で1人暮らしだという。
「父親は地元では有名な整体師で、母親も医療関係の仕事についていました。母親が中国の血を引いていてとても美人で目を引く存在でした。家族はとても仲がよく、夏休みなどに3人で中国へたびたび旅行に行っていた」
ええかげんにせいよこいつら
テレワークになってからの筋力の衰えに危機感を持ったので、少しでも運動の足しになればと思い最近終業後にウォーキングを始めた。
終業後の時間だと、自宅周りの住宅地には仕事から帰ってくる人がまだ多いので、本当ならばもっと深夜に歩きたいところだけれど、そこまでこの地域の治安に信頼を持っていないのでそこは断念している。
本当はそこそこ大きい犬でも連れて、誰もいない深夜の街を歩きたいところ。
話が逸れた。
現在私は実家に住んでいて、前述の通りテレワークなので外出して誰かに会うこともない。
そうすると、顔を合わせるのは家族だけという状況が長く続く事になる。
24時間365日、娘であり続けているのはなかなかに辛いことだ。
夜のウォーキングをしている時だけ、私は娘であることから解放されて、ただの一人の歩いているおばさんになることができる。
とんでもなく自由な気持ちになる。人のいない小道を歩けば、まるで街がすこし自分のものになったような錯覚をおぼえる。
テレビはほとんど見ていなくてネットのニュースでメダリスト誕生!!みたいな話題だけ見てるけど、スケートボードとかサーフィンとかの新競技で日本の若者、特に10代前半とかのメダリスト誕生のニュースを見て日本人なのでそれはそれでうれしく思う反面、マスコミが流すメダリストのサイドストーリーを読むと「スポーツもある程度裕福というか、余裕があって、家族が支援してくれる環境にある人しか上に上がれないのかな?」とも感じる。親が家や家の近くに専用練習場作ったとか、練習がやりやすい所に家族で引っ越したとか。地方の状況は良く判らないけど、首都圏の普通の住宅地だと、子供がサッカーボールを自由に蹴って遊べる場所すら少なく、昔からの野球とかサッカーとかのスポーツも幼少時から地元のスポーツ少年団とかに入れて、親があれこれ参加しないと強くなれない。昔、キャプ翼とかで描かれていた、ブラジルとかイタリアとかの少年が貧困からサッカー一つで成り上がるみたいなストーリーは、日本だとかなり限定されたスポーツでしか有り得なくなっているのではないだろうか?
メダリスト当人の努力は尊いものだと思うけど、やっぱり環境に恵まれた運の良い人たちという感覚が拭いされない。
ちなみにうちの息子は近所のスポーツクラブで水泳習わせているけど、週1回で、学校の授業で落ちこぼれなければ良い程度に泳げればという感じで続けていて、水泳選手になるとかそういうレベルではない。週3,4回とかで徹底的に鍛えてくれるスイミングクラブも探せばあるだろうけど、費用・送り迎えの負担とか考えるとやはり厳しい。(もともと職業アスリートになって欲しいわけではないけど)
こんな感じで、五輪が有る度に、メダリスト達を凄いなとは思うもののと、どこまでの別世界の人たちという印象が拭えなくてそこまで熱狂できないのだけど、みなさんはどうですか?
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210709-OYT1T50079/
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210802-OYT1T50422/
上記のようにグラフ自体に問題があるが,「自粛率」「外出者数」も言葉を聞いて想像するものとはかなり異なると思われるため,注意が必要である.
https://cigs.canon/article/20200422_6369.html に,自粛率と外出者数に関する定義がある.
> 住宅地からの「外出者数=昼間人口-夜間人口」を見積もり、各地域の住民の「自粛率=1-(ある日の外出者数)/(平常時の外出者数)」を見える化する
> モバイル空間統計に収録されている、深夜0時から5時までと、朝9時から夕方17時までの500mメッシュ流動人口から、東京都の各500mメッシュについて、2020年1月(6日から31日まで)の平均的な昼間人口と夜間人口を算出した。
> 各住宅地(500mメッシュ)の「外出者数=夜間人口ー昼間人口」を見積もり、そして、地域で合算する。例えば、東京都の住宅地の夜間人口は約530万人、平常時の平日では昼間人口は約360万人となり、外出者数は約170万人である。
> 本稿では、平常時に「昼間人口<0.8×夜間人口」となる地点(500mメッシュ)を住宅地と定義し、そこからの流出の様子を観測する。
重要なところでtypoすんなやと思うが,住宅地では夜間人口が昼間人口より多いのだから,「外出者数=夜間人口ー昼間人口」が本来意図しているものだろう.
定義上,通勤・通学で住居のエリアを離れると,外出者としてカウントされやすい.つまり,自粛率を下げる要因になる.リモートワーク・遠隔授業が実施されていない会社・学校に通う人が「自粛」するには休むしかないのだが,これは新聞の読者が思い浮かべる「自粛」と一致しているだろうか.
また,7/9のグラフでは,2020年8月では自粛率がマイナスになっていることから,「お盆時期にはコロナ禍前を上回る人が外出したとみられる」とコメントがついている.定義に照らし合わせれば,この時期の外出者数が平常時の外出者数を上回ったことを意味する.ここで,外出者数は夜間人口が昼間人口に対し多くなればなるほど増加する.つまり,1日中家にいない場合,たとえば帰省中は「外出者」としてカウントされない.一方,例年であれば帰省するところ,家に残って昼間は出勤を含めた外出を行えば,「外出者」としてカウントされる.すなわち,「お盆時期にはコロナ禍前を上回る人が外出したとみられる」はミスリードであり,例年は帰省していたところ,帰省しなかったため自粛率が低下した,とみるのが妥当ではないだろうか.
事実,全国1,100名を対象とした2020年のお盆に関する調査では,78.2%が「帰省する予定はない」と回答している.
https://www.cross-m.co.jp/news/release/20200716/
出典となる論文における言葉とその定義はより良いものが思いつかないし,妥当だと思われる一方で,新聞記者はもう少し慎重に記事を執筆すべきではないだろうか.グラフについては『統計でウソをつく法』を熟読して欲しい.
私立のボンボン学校に通い一流と呼ばれる大学を出て就活もお祈りされることなくあっさりと大企業に入り一般年収よりも遥かに高い給料を貰いながら生活している。
確かに金に困ったこともなければ何かを諦めた経験もほとんどない。家庭環境もすこぶる良好だ。
だが「増田君は人生イージーだよね」と他人から言われると何かシャクにさわる。別にこちらがマウンティングをしたとかではない。そもそも他人の生活に興味が無い。こちらの素性を聞いておいて噛み付いてくるのは何なのだろう?どう答えれば満足してくれるのだろう?
いや、恵まれているのは環境のおかげであって自分自身が有能なわけではないのかもしれない。
幼少期から周りもハイスペックな奴ばかりなので自然と競争が当たり前の社会に身を置くことになる。周りの子供が鼻を垂らして遊び呆けている間自分はひたすらに勉強や習い事に打ち込んできた。その投資を無駄にしない様常に人より優れた結果を出さねばと子供ながらにプレッシャーを感じていた。
社会に出て、自分と周りの目線が違うことに戸惑うことが増えた。「それは恵まれた人だから言えるんだよ」と指摘を受けた事も何度かある。
三十年近くこの価値観で生活してきたので、今更競争や社会的な地位と無縁な生活を送ることは恐らくできない。自分にはそれ以外何もないからだ。
空っぽな自分をスペックで誤魔化すことでこれまで生きてきた。恐らく今後もそうなのだろう。
それでも、いくら取り繕ったところで周囲には透けて見えているんだろうな。
https://anond.hatelabo.jp/20210606090832
建設行政やらせてもらってる交差点オタクとしてはちょっと看過できまへんな~。ラウンドアバウトを意識高い系交差点やと思って叩いてるんやろうけど、本物の意識高い系交差点を見たければ最後だけ読んだってや~。
間違い。日本では渋滞の解消を目的としておらず、もっぱら安全性に着目して導入された。ただし、交通量の多い交差点には適さないというのが正しいかは別の話で、FHWAのTechnical Summaryによれば
https://rosap.ntl.bts.gov/view/dot/42603
二車線ラウンドアバウトの標準的な容量は45000台/日であり、日本で導入されている1車線ラウンドアバウトやミニラウンドアバウトは15000とか25000とか書かれている。これは意外と大きな交通量なので、日本でもかなり高い割合の交差点に導入することが可能であると思う。日本でも二車線ラウンドアバウトは実力のある交差点なのでドシドシ作るべきだと思う。
そしてラウンドアバウトは特定のタイプの渋滞を解消し得る。多分みなさんの近所にも、右折車が詰まってしまい直進車・左折車が後ろにずらっと並ぶような交差点があるはずだと思う。このような交差点でラウンドアバウトは非常に有効。
右折車も直進車も左折車も同じように交差点に進入出来るという点が、ラウンドアバウトの効率性が高い理由のひとつ。松本伊予も乱暴な運転をしなくなるはず。
右折車の多い交差点で機能低下しにくいというのはラウンドアバウトの大きなメリットで、270度回らなきゃいけないなんて大した問題ではない。右曲がりが最低の人間として扱われるのは日本の交差点でもはてな村でも同じである。右曲がり諸君もラウンドアバウト化すれば平等で公平な扱いを受けることが出来るので、是非とも推進しよう。
次に、ブコメにあるような都心部には向いていないという考え方も誤り。都心部にも交通量の比較的少ない交差点は存在するし、郊外にも交通量の大きな交差点は存在する。向き不向きは完全にケースバイケース。
郊外に多いのは70年代以降の欧州や90年代に入っての米国においてニュータウンの建設とともに大量に新設されたのが最大の要因。だからドバイやアブダビでは都心部に多くのラウンドアバウトが存在する。既存交差点の改修についても、都心よりも郊外の方が様々な面で事業を行いやすいからであって、適地が存在するかどうかとは別の問題。優先するなら安い方から。
ラウンドアバウトには大きな用地が必要であるというのも正しいとは言えない。ラウンドアバウトでは右折車線を付加する必要がなく全体的にコンパクトに作ることができるため、どちらが優位かは場合による。特に右折車が多い交差点では右折車線を長大にする必要があるから、そういう意味でも右折車が多い交差点に向いているということになる。
信号はないため、入ってくる車が各々のタイミングでラウンドアバウトに進入する。中では何周してもいいようだ。たまにいたずらに3周くらいする車がいて危ない事この上ない。
ラウンドアバウトそれ自体は侵入する車たちが呼吸を合わせるという事に依存しており、何故か交通整理の方策を立てることは絶対にしない。信号をつけるだけで渋滞は秒速で解消すると思われるが、ラウンドアバウトか進行付き交差点かの選択肢しかニュージーランドにはないようだ。
右から車が来なければ進入するだけのことで、呼吸を合わせる必要などどこにもない。また、3周する車は迷惑だが危険ではない。侵入しなければメリーゴーランド眺めてるのと変わらない。
ところで「ラウンドアバウトは流れに乗るのが難しい」と主張する一部の論者にお伺いしたいのだが、あなた方は普段どうやって右折してるのだろうか?もしかして「後ろの流れが詰まってるから対向の直進車来てるけど流れを読んで無理矢理右折してやろう」とかやってないよな?
滋賀で園児の列に突っ込んだ事故がどうやって起きたのか考えれば、ラウンドアバウトがどれだけ安全なものか分かりそうだが。下手すりゃ当局にも流れ論者が結構いるから仕方ないのだが、こういう流れ論者が過激化すると「あのクルマは空気読めないから制裁してやる」とかいって煽り運転を始めるのだからタチが悪い。今のうちに免許返上しとけ。
ちなみにラウンドアバウトに信号機を設置することで流入量をバランスさせることは理論的に可能だが、信号付けても制御は複雑で面倒、間違いなく事故が増えるから普通はそうしない。無信号で止まるか信号で止まるかという理由が変わるだけで、渋滞も解消しないと思う。
内部は、すぐに止まれる速度で走ることというルールがあるが、実質有名無実のルールになっており、たまにドリフトで駆け抜ける車もいて非常に危ない。
ドリフトで駆け抜ける車がいても安全だと考えるのが工学的。普通の交差点でドリフトで駆け抜けるバカよりもラウンドアバウトをドリフトで駆け抜けるバカの方が安全。やばい車がいたら進入しなけりゃいいんだから。ラウンドアバウトの安全性は半世紀近くもの長い間、理論的にも統計的にも実証され続けている。反ラウンドアバウトは反ワクチンみたいなもんだな。なんだったら長期的な結果も出てるから、新型コロナワクチンよりは安全性が高いと思うよ。知らんけど。
ほんでこの話、結論言うたら「個別の事案には回答できません」なんやけど、ラウンドアバウトが原因とみる理由がよくわかりまへんわな。急激な都市化の進行で交通量が急増してるのが原因やろ。それでは普通の信号交差点でも同じこと起きまっせ。
最後に、冗談か本気か区別がつかないので書いておくが、Citiesのラウンドアバウトを本気にしてはいけない。ブコメにあるからCitiesのラウンドアバウトがどんなもんか見たら環道内で加速してる有様のもので、設計思想のレベルで間違っている。ラウンドアバウトは車速を低下させる機能が安全性の一部を担保している。特にミニラウンドアバウトは車速を低下させることのみを目的として設置されることすらある。非常に交通量の少ない住宅地等で、近接・連続して小さいラウンドアバウトが設置されている場合はこのパターンだとみておくとよい。ゲームでは不要だが。
そんなことより、おいらっちオススメのイカしたCFIを見ておくれよ~ということで紹介したい。あんまり語ると長くなるから簡潔に書いとく。
CFIはDDIと並んで第二世代(勝手に定義)のAIなんだけれども、DIの改修というピンポイントなニーズに対応したDDIとは違って、他のAIとの組み合わせという可能性も秘めていて拡張性が高いという強みがある。ああ、AIってのはAlternative Intersectionのことね。
https://www.youtube.com/watch?v=By-clFzyHO4
https://goo.gl/maps/XUm6yeXSPWdmFtz4A
ショッピングセンター・大学・インターチェンジ・超多叉路という極悪条件を平面で解消するために設計された、CFIとラウンドアバウトを融合させた交差点。ラウンドアバウトは交通量が多いところでは使えないとか言ってる輩息しとるかー?なんでも使い方やで?
わざわざ現地まで行って10回くらい意味もなく通過したが、余りにも最高だった。米国では単にCFIを設置して満足する時代はもう終わった(出羽守)
次はバージニアのCFIとMUTの組み合わせ。
https://www.youtube.com/watch?v=yUViI-wPH0U
https://goo.gl/maps/K3XyBSQFohn1Z1YH7
4叉のCFI化ではなく2叉のCFIとMUTを組み合わせるというファインプレーによってコストの削減を可能にした。供用は開始されているはずだけど、googlemapでは反映されていない。こんど行きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=TgL47KAkXPI
https://www.youtube.com/watch?v=kOtq2IWrN58
https://goo.gl/maps/oRrB8DuK7TMZm3Bk9
元々は対症療法的にMUTが用いられていたようだけれども、アプローチの短いCFIを1叉で採用することで改善したという凄い交差点。高架下ってとこも含めてポイント高いわ。おいらっちも海外で交通コンサルになってこういう交差点作りたいんよな~
酒飲んでるときの雑談みたいなノリで、ニュース見てあそこの自治体ヤベえなwwwって指差しながら笑ってたら自分が住んでる自治体だった
ってぐらいのやつなんで市政批判とかの意図は無いけど、笑うに笑えない
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先週ぐらいに身内の雑談チャットで都内で年寄り以外のワクチンが始まりそうという話を聞いたので、自分が住んでる市川市(千葉県)はどうなのかと思ってニュース(千葉日報のHP)を見てみたら
・<市川・市長室にガラス張りシャワー問題>災害時、市長・女性職員が利用 会見で方針公表 平常時は「封印」
https://www.chibanippo.co.jp/news/national/797383
・市川市長の事務所捜索 虚偽登記疑いで「秘書」逮捕 公務口出し、市職員を威圧も
http://www.chibanippo.co.jp/news/politics/797763
「こんな記事出てきても年寄り以外のワクチンの話出てこねえ」「就任当初から公用車を高級電気自動車にして揉めたりあった」みたいなことをチャットに書いたら
「絵に書いたような汚い小物権力者ムーブ」と返ってきて、これまでどんな小物権力者ムーブやらかしてきたのか検索することに。
・「市川市長選挙」で検索しようとするとサジェストに「市川市長選挙 やばい」って出てくる(※)
・↑でヒットした調べてみましたいかがでしたでしょうか系クソブログに都内の高級住宅地に住んて市川まで出勤してることが書いてある
・市長個人のwikipedia記事に本当に絵に書いたような汚い小物権力者ムーブについて書かれてたりきれいな左巻きのお方だった(知ってた)
https://www.chibanippo.co.jp/news/national/798140
他所の話なら笑って終わりだけど、ウチの話だから笑って終わらないんですよね
終わってくれるの待ってる以外なにもやってないけど
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再投票が行われて就任したのしたのは覚えていたのでなんとなく検索しようとしてた
詳しいことはWikipediaに書いてあるけど、ざっくりまとめるとこんな感じ
民主系・共産・自由・社民(+地元左派)推薦の現在の市長が自民推薦の候補に僅差で勝ったけど有効票の25%割ったので再選挙
↓(1回目は面倒だったから投票行ってなかったけど、これやべえなって思って再選挙は投票行った)
再当選
↓
即例の高級車問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/2017%E5%B9%B4%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%B8%82%E9%95%B7%E9%81%B8%E6%8C%99
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
出退勤時間(8:00-9:00、17:00-18:00)に犬のお散歩させてる飼い主さんは、もうその時間帯を避けてお散歩は出来ないのかな?
通学路にもなっている住宅地を徒歩通勤してるんで、学生や会社員に混じって歩くんだけども、その時間に犬の散歩は正直邪魔だなあと思ってしまう。
そこそこ距離があっても、マーキングやら縄張りの確認?で都度止まる犬のほうが遅いのでこちらが追いついてしまう。
そこで犬が満足するまで嗅がせたりマーキングさせる飼い主はいいんだけども、問題は背後から迫る人間に追い抜かれたくないと犬のリードを引っ張ってストップアンドゴーを繰り返す飼い主。
なぜだ? なぜ犬がフゴフゴしてる間に止まって待ってくれない?
何度も追いつきそうになり、その度にチラチラと振り返りこちらを伺いながら犬のリードを引っ張り追い抜かれまいと歩き出す飼い主。行き先同じなので付いて行く自分。
別れるまで嫌でも視界に入り意識してしまうなんとも気まずいあの空気。
他の飼い主と出会うために人の多い時間帯を選んでいるのだろうか?
仕事で遅くなった時(19:00~)はさっぱり居ないんだよね。
■挨拶がコラァ!だったおじさんの話
私の地元は地方都市の都市部から1時間ほどかかる、まあそこそこの田舎町で、住宅地を少し外れると田んぼや放置された畑が広がっているような土地柄だった。田舎特有の濃い人間関係や噂話は大嫌いだったが、むせ返るほどの草木の緑や、稲穂が金色に輝いて風に揺れる様を見るのが好きだった。
私の実家周辺は1人の地主が土地を抱えており、そこの地主はコンクリートミキサー車の運転手と、稲作農家の兼業農家だった。父の古い知り合いで、安く土地を譲ってもらったと聞いた。丘の上で見晴らしの良い実家を家族は全員気に入っていて、仕事のことや人間関係の面倒ささえなければ、今でも私はその周辺の土地に家を建てたいくらいだ。
土地を買った時私はまだ幼かったので、地主のおじさんのことを、私は「タロのおじさん」と呼んでいた。タロというのは、地主の家で飼われている犬の名前である。このタロのおじさんというのが中々にファンキーな親父で、幼い頃から度肝を抜かれてきた。
まず、小学校からの帰り道、農道をぼんやりしながらひとりで帰っていると、後ろから「コラァ!!」と声がする。「コラァ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれない。「グォラアア!!」とか、そのくらいの勢いがあった。気がついたら後ろに馬鹿でかいコンクリートミキサー車があり(移動音に気づかなかった私も大概だが)、その窓から、タロのおじさんが強面でニヤついている。なおこれが彼の精一杯の笑顔である。いつも目は笑ってない。
「なんしよっとかぁああ!!帰りよっとかあ!!」
乗っていくかぁあ!と続いたので、私は大慌てで首をブンブン振って走って逃げた。
タロのおじさんは近所の至る所に出没した。しかし必ず声かけは大音量の「コラァ!!」だった。至極ビビりで大人しい性格だった私はその度に心臓を震え上がらせた。タロのおじさんは大抵、ミキサー車か軽トラかトラクターに乗っており、腰に鎌を携え、作業着か肌着に麦わら帽子をかぶっていた。考えてみてほしい。ビビリの小学生女子がそんな戦車に乗ったモンスターの様な佇まいの親父に毎度コラコラ言われるさまを。第一、何も悪いことなどしてないのに、何故コラから入るのだろう?普通、こんにちは、とかじゃないのか?と幼心に理不尽を感じ、タロのおじさんに会うとすぐ逃げまくっていた。
タロのおじさんは私の実家にも時々出没した。
気がつくと、大きな梯子と枝切り鋏を抱えてやってきて、庭木の剪定をしているのだ。
「庭木が伸びきっとるのが下の道から見えたけぇ切っちゃっとるぞ!!」
母と私はザクザクと切られていく庭木を唖然として眺めていた。帰ってきた父が、若干ハゲになった庭木と庭に散らばった切られた枝葉(ちなみに片付けはしない)を見て驚いている。
それから、父が頼んだわけでも、もちろん母が頼んだわけでもないのに、タロのおじさんは嵐のようにやってきて、勝手に剪定していった。今やったら住居不法侵入罪とかの結構重めの罪になるのでは?と思う。でもタロのおじさんは純粋に親切でやっていたのだと、今なら多少無理矢理だがわかる気がする。
そう、タロのおじさんは基本的にめちゃくちゃアクティブな善人だったのだ。
付近の山に害獣の猪がでれば罠を仕掛けて仕留めるし、子供を見れば怖がられても声をかけて様子を見ているし、隣の土地の雑草や田畑の世話をし、犬も猫も鶏も沢山飼って可愛がっていた。
あの土地のことが好きだったのだろうと思う。多分私も、その一部だったのだ。
今、私は母親として都市と言われる場所で暮らしていて、地域の人との関わりといえば本当に限定的なものでしかないし、そんなおせっかいすぎるほどおせっかいなおじさんやおばさんは居ない。上品で物腰の柔らかい、決して私たち家族に深入りをしない、好ましい距離のとりかたを分かっている人達ばかりだ。田舎者の私はその上品さにたじろぎながら、ここでの人との接し方を学んでいるところだ。
別にタロのおじさんみたいな人になりたいわけじゃないし、私の娘がタロのおじさんみたいな人に会って、「コラァ!」と声をかけられたら、絶対警察に連絡する。絶対にだ。
それでも、タロのおじさんのことが時々懐かしくなる。あの乱暴なおせっかいが懐かしくなる。
タロのおじさんは、マムシに3回噛まれて呆気なく死んでしまった。だから最期に会ったのは、初盆の遺影の前。天国でもミキサー車で乗りつけて、乱暴なおせっかいを焼いているのだろう。
また会う日まで、タロのおじさん。