はてなキーワード: 住宅地とは
https://note.com/dadasp/n/nf0deab7c28e4
純粋な住宅地には無いだろうが、工業地帯と住宅地の隣接地帯、古い商店が点在するくすんだ住宅街の商店や町工場なんかに共産党のポスターが貼ってあるのを見ないだろうか?
個人商店、自営業、町工場っていうのは30年前は自民党のガチ票田だったんよ。その票田を共産党が奪取してるって事なんよこれは。
この人はそういう変化を見てないんじゃないの?給与生活者で綺麗に計画された住宅街に住んで上辺の知の世界に生きてるだけなんじゃ?
票田かっ攫うって言っても自民党支持者が甘言だけで革新に転ぶわけがない。困窮した時に救済制度を知っていたり行政との橋渡しが出来なきゃ信頼されない。それ以前に経営に就いて理解していなきゃ話も聞いてもらえない。
その背景には90年代の金融の再編があって、不良債務を抱えるリスクを減らす為に銀行が中小零細の債務をノンバンク子会社に付け替えてる。銀行から借りてない会社なんて経済的信用が無いって事だからそのせいで取引先も減ってしまう。まともに扱われてないのだな。
なのに「革命が」とかいつまでも浮ついた事言って「地べた這いずって生きてきた人たちのほうがよっぽど偉かったよ」とか言ってる。自分が地べたはいずりゃいいでしょが。
ATMで金下すだけで今は銀行がただで両替してくれないとかも知らないんだろうな。ただで両替しないのは店舗経営者が客じゃなくなったからだ。
ずっと以前は共産党は悪しき前衛主義で頭でっかちのエリート組織だった。東側陣営の崩壊後、宮本顕治失脚後は党勢を維持できずに無くなるだろうと目されていた。都市部の給与生活者と環境問題などに軸足を動かした新左翼が生き残ると思われていた。国鉄解体でもJRに参画出来たのは転向した嘗ての超急進派の革マルで穏当な日共系はパージされるという憂き目にあった。
だが実際には党勢が風前の灯となっているのは新左翼政党となっている。何故か?
それは小泉以降の自民党が「改革的でイデア的な」な世界観の競合となっているからだ。ゼロ年代に帳簿も読めないどころか複式簿記も知らないのにやれ金融だM&Aだと言い立てて経済通の気分に酔うのが流行ったが、あれと90年代社会党の気分は似ている。競合関係なのだ。
文中で出てくるキクマコ先生はその判りやすい例で、アベノミクスで素養の無かった経済問題に触れるや「社会の全ての事象が設計的に読めるように」なり、「全ての事象の評価軸」を得てしまった。それでその中から出て来なくなったんである。キクマコ先生がこうなったのは彼がリベラルだったからに他ならない。世間知らずさがその本質主義を担保している。私だってこういう風になった事はあるが普通は18~20歳あたりで通過するものだ。
こういうのと競合しない路線を進んだので共産党はニッチを得た。
だから大家なんかには自民党と共産党交互に投票する人もいる。普通にいる。ここにもいる。
健保保険料払わず病気になった店子の面倒みて貰った先生に入れて、冠婚葬祭に来てくれた先生に入れて、とそういう感じだ。
筆者とキクマコ大先生はシラケ世代の還暦なんだろうがアリバイの自覚はあるのに自分が殻に入っている事も気づかないのだな。
東京の高級住宅地、白金でおきた“硫酸事件”。8月27日、傷害の疑いで全国に指名手配をされたのは、静岡市葵区に住む大学生の花森弘卓(ひろたか)容疑者(25)。
「捜査本部は事件発生当初から顔見知りの犯行の線で動いており、花森の行方を防犯カメラなどの画像から追っていた。花森は事件後、JR品川駅から新幹線で静岡に戻った後、中部国際空港から大学時代に過ごした沖縄へと飛び立った」(社会部記者)
花森弘卓容疑者
花森弘卓容疑者
静岡県の自宅の近隣住人によると、幼少期から「おとなしい性格だった」という花森容疑者。一人っ子で両親が既に他界したため、現在は実家で1人暮らしだという。
「父親は地元では有名な整体師で、母親も医療関係の仕事についていました。母親が中国の血を引いていてとても美人で目を引く存在でした。家族はとても仲がよく、夏休みなどに3人で中国へたびたび旅行に行っていた」
ええかげんにせいよこいつら
テレワークになってからの筋力の衰えに危機感を持ったので、少しでも運動の足しになればと思い最近終業後にウォーキングを始めた。
終業後の時間だと、自宅周りの住宅地には仕事から帰ってくる人がまだ多いので、本当ならばもっと深夜に歩きたいところだけれど、そこまでこの地域の治安に信頼を持っていないのでそこは断念している。
本当はそこそこ大きい犬でも連れて、誰もいない深夜の街を歩きたいところ。
話が逸れた。
現在私は実家に住んでいて、前述の通りテレワークなので外出して誰かに会うこともない。
そうすると、顔を合わせるのは家族だけという状況が長く続く事になる。
24時間365日、娘であり続けているのはなかなかに辛いことだ。
夜のウォーキングをしている時だけ、私は娘であることから解放されて、ただの一人の歩いているおばさんになることができる。
とんでもなく自由な気持ちになる。人のいない小道を歩けば、まるで街がすこし自分のものになったような錯覚をおぼえる。
テレビはほとんど見ていなくてネットのニュースでメダリスト誕生!!みたいな話題だけ見てるけど、スケートボードとかサーフィンとかの新競技で日本の若者、特に10代前半とかのメダリスト誕生のニュースを見て日本人なのでそれはそれでうれしく思う反面、マスコミが流すメダリストのサイドストーリーを読むと「スポーツもある程度裕福というか、余裕があって、家族が支援してくれる環境にある人しか上に上がれないのかな?」とも感じる。親が家や家の近くに専用練習場作ったとか、練習がやりやすい所に家族で引っ越したとか。地方の状況は良く判らないけど、首都圏の普通の住宅地だと、子供がサッカーボールを自由に蹴って遊べる場所すら少なく、昔からの野球とかサッカーとかのスポーツも幼少時から地元のスポーツ少年団とかに入れて、親があれこれ参加しないと強くなれない。昔、キャプ翼とかで描かれていた、ブラジルとかイタリアとかの少年が貧困からサッカー一つで成り上がるみたいなストーリーは、日本だとかなり限定されたスポーツでしか有り得なくなっているのではないだろうか?
メダリスト当人の努力は尊いものだと思うけど、やっぱり環境に恵まれた運の良い人たちという感覚が拭いされない。
ちなみにうちの息子は近所のスポーツクラブで水泳習わせているけど、週1回で、学校の授業で落ちこぼれなければ良い程度に泳げればという感じで続けていて、水泳選手になるとかそういうレベルではない。週3,4回とかで徹底的に鍛えてくれるスイミングクラブも探せばあるだろうけど、費用・送り迎えの負担とか考えるとやはり厳しい。(もともと職業アスリートになって欲しいわけではないけど)
こんな感じで、五輪が有る度に、メダリスト達を凄いなとは思うもののと、どこまでの別世界の人たちという印象が拭えなくてそこまで熱狂できないのだけど、みなさんはどうですか?
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210709-OYT1T50079/
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210802-OYT1T50422/
上記のようにグラフ自体に問題があるが,「自粛率」「外出者数」も言葉を聞いて想像するものとはかなり異なると思われるため,注意が必要である.
https://cigs.canon/article/20200422_6369.html に,自粛率と外出者数に関する定義がある.
> 住宅地からの「外出者数=昼間人口-夜間人口」を見積もり、各地域の住民の「自粛率=1-(ある日の外出者数)/(平常時の外出者数)」を見える化する
> モバイル空間統計に収録されている、深夜0時から5時までと、朝9時から夕方17時までの500mメッシュ流動人口から、東京都の各500mメッシュについて、2020年1月(6日から31日まで)の平均的な昼間人口と夜間人口を算出した。
> 各住宅地(500mメッシュ)の「外出者数=夜間人口ー昼間人口」を見積もり、そして、地域で合算する。例えば、東京都の住宅地の夜間人口は約530万人、平常時の平日では昼間人口は約360万人となり、外出者数は約170万人である。
> 本稿では、平常時に「昼間人口<0.8×夜間人口」となる地点(500mメッシュ)を住宅地と定義し、そこからの流出の様子を観測する。
重要なところでtypoすんなやと思うが,住宅地では夜間人口が昼間人口より多いのだから,「外出者数=夜間人口ー昼間人口」が本来意図しているものだろう.
定義上,通勤・通学で住居のエリアを離れると,外出者としてカウントされやすい.つまり,自粛率を下げる要因になる.リモートワーク・遠隔授業が実施されていない会社・学校に通う人が「自粛」するには休むしかないのだが,これは新聞の読者が思い浮かべる「自粛」と一致しているだろうか.
また,7/9のグラフでは,2020年8月では自粛率がマイナスになっていることから,「お盆時期にはコロナ禍前を上回る人が外出したとみられる」とコメントがついている.定義に照らし合わせれば,この時期の外出者数が平常時の外出者数を上回ったことを意味する.ここで,外出者数は夜間人口が昼間人口に対し多くなればなるほど増加する.つまり,1日中家にいない場合,たとえば帰省中は「外出者」としてカウントされない.一方,例年であれば帰省するところ,家に残って昼間は出勤を含めた外出を行えば,「外出者」としてカウントされる.すなわち,「お盆時期にはコロナ禍前を上回る人が外出したとみられる」はミスリードであり,例年は帰省していたところ,帰省しなかったため自粛率が低下した,とみるのが妥当ではないだろうか.
事実,全国1,100名を対象とした2020年のお盆に関する調査では,78.2%が「帰省する予定はない」と回答している.
https://www.cross-m.co.jp/news/release/20200716/
出典となる論文における言葉とその定義はより良いものが思いつかないし,妥当だと思われる一方で,新聞記者はもう少し慎重に記事を執筆すべきではないだろうか.グラフについては『統計でウソをつく法』を熟読して欲しい.
私立のボンボン学校に通い一流と呼ばれる大学を出て就活もお祈りされることなくあっさりと大企業に入り一般年収よりも遥かに高い給料を貰いながら生活している。
確かに金に困ったこともなければ何かを諦めた経験もほとんどない。家庭環境もすこぶる良好だ。
だが「増田君は人生イージーだよね」と他人から言われると何かシャクにさわる。別にこちらがマウンティングをしたとかではない。そもそも他人の生活に興味が無い。こちらの素性を聞いておいて噛み付いてくるのは何なのだろう?どう答えれば満足してくれるのだろう?
いや、恵まれているのは環境のおかげであって自分自身が有能なわけではないのかもしれない。
幼少期から周りもハイスペックな奴ばかりなので自然と競争が当たり前の社会に身を置くことになる。周りの子供が鼻を垂らして遊び呆けている間自分はひたすらに勉強や習い事に打ち込んできた。その投資を無駄にしない様常に人より優れた結果を出さねばと子供ながらにプレッシャーを感じていた。
社会に出て、自分と周りの目線が違うことに戸惑うことが増えた。「それは恵まれた人だから言えるんだよ」と指摘を受けた事も何度かある。
三十年近くこの価値観で生活してきたので、今更競争や社会的な地位と無縁な生活を送ることは恐らくできない。自分にはそれ以外何もないからだ。
空っぽな自分をスペックで誤魔化すことでこれまで生きてきた。恐らく今後もそうなのだろう。
それでも、いくら取り繕ったところで周囲には透けて見えているんだろうな。