はてなキーワード: ウッカリとは
murilo 安い餌で簡単に釣れるし教義的にも親和性高そうだもんなあ。
yarukimedesu バチャールの世界に行っても、アホはアホなんだな。
TheHabanero これ例えば立場変わって「表現規制議員とフェミがズブな件」みたいな見出しなら絶対主語デカを指摘する意見が人気コメに並ばないだろうし、なんなら主語デカを指摘した途端フェミ扱いされて殴られるまであるよね。
BigHopeClasic 「カルト信者にオタクはほとんどいない」ってオイオイすぎて、オウム真理教や幸福の科学とオタクの親和性がもう綺麗サッパリ30代以下には伝わらない時代になったんだなあと思ってしまう
kusigahama タイトルは雑すぎるけど、社会から阻害され気味な若者が多くいるであろう領域にカルトへの勧誘者が入り込んでるのはまあ当然なんだよな。
guldeen 『人が集まり賑やかな所』に、政治勢力やカルト宗教/ニセ科学がヒタヒタと近づくのは、あるあるだからねぇ。早期に暴かれるのは、検証機能が健全な証拠ではあるが…
z1h4784 昨日「フェミより統一教会の方がマシ」というブコメに星がいくつも付いてるのを見てゾッとした。統一教会について何も知らないのに自分は賢いから大丈夫とか思ってない?そういう人こそ一番のカモ。本当に心配
Arturo_Ui 統一教会がネット上で色々やっているらしい、とは「2ちゃんねる」の頃から指摘され続けているわけで。過去の行状が酷すぎる上、いまだに浸透・拡大の機会を狙っているのは事実なんだから、常に警戒しておくべき。
Cunliffe 「統一教会系の人間が名を連ねている署名、私ならやらないです」はい。これ最低限のネットリテラシーだよね。ブコメを見てる限りこれがなさそうな愚かなオタクが多いみたいだけど。
rgfx ヤマベンすら引いてるの、文字通りのガチ案件っぽさがある(アンチリベラル枠でご同輩のはずなんだが)。団塊ジュニア層のオタクたちももうそろそろ更年期を迎えて判断力に陰りが見えてくる頃。ご安全に。
kaerudayo 若者を誘い込むなら、どんな手でも使うんだよ。そして、霊感商法と珍味売りと集団結婚。アパートの一室で集団生活、朝から晩まで働いて稼いだ金は全部献金。それでも幸せと言い張られるから、誰も救えない。
siesind 統一教会の何が悪いとか、統一教会に親を殺されたのかとか、オタクどもは本気で言ってるわけ?だから社会性がないと言われるんだが。
susahadeth52623 統一教会はもちろんろくでもないカルトだが、それ置いといてもおぎの稔と青識が主導してる署名って時点であんなのに賛同してる輩はリテラシーがないよ。
kkkirikkk これでやりすぎみたいな事言ってる人は大抵統一教会についての認識不足。「親でも殺されたのか」が冗談じゃないパターンさえあるんだから。
rci この件、統一協会がどういう風に一般人を取り込むために巧妙に近づいてくるのかがリアルに観測できて、なんというか、勉強になるな。
tikani_nemuru_M 統一教会に対して脇が甘い界隈であることが、この記事への反応をみてもわかるなー。統一教会への脇の甘さというのは、言い換えればリテラシーの欠如でもあるわけでね。
segawashin 悪質な反社会カルトがフロント団体使って近寄ってくるのに絡め取られるなんて実にチョロい。「○○さんもインタビュー受けてたし問題ないよね」と警戒心のハードル下げる役回りになるわけで、カルトの片棒担ぎだよ。
usi4444 某区議らを除けばウッカリさんか被害者でしょ。こんな煽りタイトルにすると救済しないといけないオタク達がちゃんと読んでくれなくなるよ。
【備忘録】
https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325
アニメや漫画において、「キャラクター」と「キャラ」を分けて考えるとスッキリするのは
多くの編集者、批評家、物語論研修者、マンガ家、アニメ作家が言うとおり。
ここでいう「キャラクター」とは、さまざまな側面をもった and/or いくつもの層がある
ことを暗示する=「人格」として認識される物語内の《アクター》のこと。
それにたいして「キャラ」とは、「陰キャ」「ボケ/ツッコミ」「ドジっ子」のように、
複雑なキャラクターの中から1つの側面、1つの役割をとりだして(多くの場合)
単純化、誇張をほどこした物語内の《エレメント》として機能を持つもの。
なので、1 つのキャラクターの中に(お互いに矛盾する)キャラが混在する場合、
「キャラ」として破綻してる、「キャラ」として弱いと捉えられるか、
複雑で「深い」キャラクター造形として理解されるかは、作品次第だったり
作家のポジション次第(宮崎駿だったら 1 面的な「キャラ」を描いても見る側が
したがって、大阪府の「表現ガイドライン」は、「キャラ」に「キャラクター」的なものを求めているか、
そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが「キャラ」に寄りがちなバイアスが掛かってる
ことを理解してないんじゃないか、という違和感を感じないでもない。
「ナラティブ・メディア」の中のキャラ/キャラクターの話である。
ポスターのような、物語という文脈から切り取られた「キャラ」は、
ナラティブ空間内とは別の文脈を生きていて、そのように認知・消費される。
たとえ元ネタ・原作があっても、ポスターに切り出された瞬間に「キャラ」だから。
考えてみれば、単一のメッセージをクリアに、わかりやすく、パンチのある表現で
ガツンと伝えることを求められるポスターは、「キャラ」は成り立ちがよく似ている。
そのような「要件」を求められるポスターや「キャラ」において、
女と言えばオッパイである、と言わんばかりのデフォルメ表現とか、
女性という「キャラクター=人格」から好ましい要素を抽出して「キャラ」化したら
ミニスカと太股しか残りませんでした、みたいな「キャラ」化の方向性を公的機関が
オフィシャルに肯定した(と受け止められる)場合にどういう意味を持つのか?
公務員はそこらへんをよく考えて仕事しましょう、という啓発なんだろうと理解した。
あと、ツッコミ処の「キャラ」に「人格」を求めるという部分にだけ注目するコメントにも
アンコンシャス・バイアスが表現されちゃってるのかな?と思った。
【追記】
「そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが『キャラ』に寄りがちなバイアスが掛かってる」
と書いたあたりで、「キャラ」を描くのって恐いなと思った。
【追記2】
同じ畑の人間の成功が喜べる人間ってどんな思考で生きてるんだ…
自分もいちいち人の成功にネチネチして落ち込み嫌な気持ちになるのをやめたいし
成功した人間に水を差したくないので、極力関わらない・見ないようにしてるけど
これもこれで極端というか、自分の殻にこもってる時は安全だけど
周りに敵しかいない状況を作っている気がしてどうなんだとも思う
人との関わりも己の協調性もなくなるし
あとウッカリ他人の成功を目にしたときのダメージもよりデカい気がするし
でもそれはすでに自分より稼いでたり成功してるやつを見てそう思うし
そういうレベルの人間はもはや違う畑で戦ってるようなものだからダメージも受けないんだろうな
たまに同じ畑の人の成功を喜べるやついるけど
どんな思考してんだ
外資を渡り歩いて10年以上になるが、日本人男性がマジョリティではない環境では日本人男性ってわりと差別されがちな属性だと感じる
「日本人男性=性差別主義者のおじさん」みたいな偏見があり、(まあ誤解されがちな言動もある)、日本人女性に比べて、ハブられやすいというか。
悪気はないんだろうけどウッカリ外国人女性にどうでもいい雑用を頼んでしまい、あいつは差別してる!て訴えられたり、逆にすぐに無駄なことでペコペコ謝って混乱を巻き起こしたり、悪気はないんだろうけどすぐクビになったり訴訟沙汰になったりする日本人男性をよく見る。
日本企業でチマチマ生きていくんじゃなければ、日本人男性じゃなくてほんとよかったなと思う。
もちろん日本人男性でも普通に馴染んで活躍している人もいるが、フェミニンか、逆に日本人らしさが全然ない人。交渉力の鬼みたいなカリスマタイプとか。
あとまあ自分がいるのは研究職でも技術職でもなく、外交やパーティーや交渉というか政治力で仕事を回していく業界なので純粋に技術者とかだと人間関係がうまくなくても成功するかもしれない。
私にストーキングしてくる客がなぜかAさんに菓子折をドーンとくれて不気味問題。最初は「ほんとは増田さん宛てなんじゃないですかね!」「いやいや客はAさんに『甘いもん好き?』って聞いて来てAさんがハイって答えたからくれたんだし、Aさん宛てでしょ!」とAさんと私で押し付け合いになった。
でも私とAさんは話し合い、「店で貰ったものだし店の皆で分けっこすればいいんじゃね?」ということにした。それで、Aさんがオーナーに一筆書き置きをし、菓子折を事務所に置いて帰った。
「客からの差し入れなんて毒入ってるかもわからんし、気持ち悪くて食べられないよ!」
なんてオーナーは言った。いや毒入りって、わざわざAさんを毒殺とかメリット無ないこと、いくらアホでも滅多なことではやらないでしょ。と、ついウッカリオーナーに言い返してしまった私だった。
オーナーは他にもグチグチぐだくだ言っていたけれども、客に礼を言いたいからそいつの特徴を教えろというので、ストーカー客の容貌の特徴と出没時間帯を教えた。すごく常連なのでオーナーも確実に何度も見たことがあるはずなのだが、オーナーは知らない分かんない誰そいつ気持ち悪い! を繰り返す。
早朝から電話で叩き起こされて寝起きだった私はつい真面目にオーナーの話を聞いて応答していた訳だが、オーナーのグチグチを聞いている間に目が覚めてきて、オーナーはまともに会話をふっかけて来ているように見せかけて、いつものくっそ長い独り言を言っているだけなのだ、と私はやっと気づいた。「教えて欲しい」なんて末尾に着けていても、オーナーの場合相手の答えを聞く気はミリもなく、相手が真面目に答えれば癇癪を起こすだけなのだ。そして、今だらだらグチグチ言っているのも何か意味あることを喋っているようでいて癇癪を起こしているだけであって、猿のウホウホという叫びとは違い全くの無意味。真面目に聞く方が馬鹿なのだった。
そして、前回のバイトはオーナーとのシフトだったが、やっぱり菓子の件で客に礼を言わなきゃ、でも気持ち悪い、でも礼を言わなきゃ、でも気持ち悪い、とオーナーは馬鹿みたいに言い続けているので、
「オーナー、すぐ目の前にいらっしゃるのがAさんに菓子下さったお客様です」
って、言ったら、オーナーは事務所に引っ込んでドアをバーン! と閉じた。それでも私がオーナーを追って事務所に入ると、オーナーは、
「結局貰ったのはAくんなんだし、僕と店には関係のないことでしょ! それで僕が客に礼を言って頭下げるのもおかしい話なんでいいです! ああ気持ち悪い!」
という。礼を言わなきゃとかなんとか延々と言っていたのも、長大な独り言だったわけだ。
それはいいとして、私が言った「あのお客様です」は距離的に確実にストーカー客まで聴こえていたし、オーナーが気持ち悪いと言ったのも、私が事務所のドアを全開にしていたせいでフロアまで響いていたと思う。
差別しないイコール被害を受け入れるのエントリ、廃課金ゲーを思い出した。
ずっとやってる課金戦争ゲーはほんとクソなんだけど、世界各国のユーザーとチャットできるのは気に入ってる。で、日本人チームもいい大人がバカスカ課金している。自分は微課金程度だけど。
でも課金ゲーだから、すぐユーザーは離脱していくのよ。無課金はボコられまくって萎えて消えてく。微課金で生き残りたかったら、日本人チームの課金者強いとこに入るのが最適解。
やっぱり廃課金者と自分のような微課金者は温度差大きいのだけど、ゲームが進むとそもそもサーバに参加してる人数自体がグッと減ってしまう。うちのサーバは当初は日本人チーム4つ、参加人数もトータル100名くらいはいたと思う。が、気づいたらサーバにいる日本人、全部個人識別できるくらいになってた。今20人いないと思う。
そんな状況なので、ゲームで決められてる役職クラスなんて全員に付与するみたいになってたのよ。昔はごく限られた身内しか付与しなかったのに、参加者全員の権利みたいな扱いで。
そんな時に事故は起こる。無課金のおそらく若いユーザーが権限使ってチーム内の資産を使い切ってしまった。廃課金者、月10万レベルで課金してるメンバーがブチ切れた。
けど、こういう事はこれまで何度かあった。自分がチームリーダーやってる時にも資源を全部ポーションに使い切られたり、ポイントを特定のアイテムに全振りされたりした事があった。自分は微課金だったから、ショックではあったがしょうがないよ次から気をつけて、で済ませられた。けど廃課金者のいるチームではちょっと洒落にならなかった。
廃課金者は何も分からず資産を使い切ったメンバーを罵倒し、リーダーの管理能力を責めお前が補填しろと喚き、チームは分裂した。今、サーバに純粋な日本人チームは無い。日本人リーダーでタイ・オーストラリアの連合軍と、アメリカ人リーダーの最大手チームの日本人たち、という感じになった。トップメンバー達は今も不仲な感じ。
この時思ったのが、差別ではなく、ユーザーは区別するべき、だった。
廃課金者はチーム資産の財源なので管理者権限は持つ。微課金でも普段からチャットの会話に参加していて、アイテム交換など主要メンバーに確認できる程度の大人なら、管理者権限振っても問題ない。それ以外、チャットに参加しないメンバー、参加していても若いメンバーには権限を割り振るべきでない。
若いメンバーは会話していてもウッカリでミスをやる。チャットに参加しないメンバーは、そもそも何を考えているか分からないし、確実に主要メンバーに確認する前に操作してしまう。
結局その事件の後は、管理者を絞った。その後、徐々に緩めてはいるけど。
事故が起こってしまったら皆が不幸になる。課金者はもちろん、権限をもらってたライトユーザーも楽しくゲームを続ける事はできなくなってしまう。無闇に平等に・差別せずに権限を付けるのは良くない。
今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」
だっつってんだろ
・巨大な金塊が出現することで目を引き、一瞬で気付かれる
・自分のものにならなかったとしても、俺の名前は絶対に有名になる
・3万トンの純金は世界に大きい影響を与える(か?)総流通量が18万トンらしいので、3万トンでこれまでの歴史の6分の1くらい。微妙か?科学なんかに役立てられたら、俺にカネが入らなくても多少は嬉しい
・オカルト界に激震が走る。突然巨大な金塊が出現すると言う文句の付け所のない怪奇現象が起きるから
・レギュレーションをクリアしやすい。「物理的に存在しうるものだったらいいんですか?」みたいな質問をしたら多分ウッカリ肯定してしまう質問者が多いので。俺の名前が全面に彫られた3万トンの金塊が存在しない物理的な理由はないからな。なんなら50万トンでもいい
ーーーーー
(返信)
うるせんだよ てめえ全裸がイヤか?全裸で生まれてきたくせによ 自分のルーツを否定するな
・すごいスマホ
それ存在するか?しねえだろ 金塊は存在しうる 超技術の入る隙間がない
知らなかった すげえな金 でもそれだったら500万トンとかにすればいいじゃんはい論破!俺の勝ち!ブクマカ恐るるに足らず!ワハハハ
・「持っていくとしたら」に引っかかる
うるせえ!行こう!!(ドン) 持っていくっていうのは言葉の綾で、気がついたら無人島で、指定したアイテムが傍らにあるんだと思う
例の勧誘とかアルファベット三文字表記が有名なアレのヒデェ集金の話のような勢いでドアチャイム連打しては、出てこいという旨の内容を叫び、またピンポンという作業を数分間にわたって繰り返し玄関前に留まる子供たちが居る。ピンポンしてもダッシュしていかないんだよ。最近の子供、心が強すぎる。
最大限良い方向性に解釈して何かの遊びなのかもしれないと思いつつ怖いしカルチャーが違いすぎて気持ち悪いんだが。宇宙人とかなの?
でもきっとアレ嫌がらせなんだろうなと考えざるを得ない出来事もあったし、ともかく一度のピンポンの回数と子供の大声が多いし続くんで嫌すぎた。
身近に子供いないので、あの叫び声に特有の高音が苦手だ、現実だと。男の子でも声変わり前は耳にキーンてくる。というか、なんで他人の部屋の前で叫ぶの?
あんまり続くので、思い余って緊急時以外に通報したかったらコッチね!っていう番号に電話してみた。応答してくれたお嬢さんの声がとても優しくて、ありがとう!って気持ちになったけど、その最中もチャイム鳴ってたので案外と同情された感じ。
しかし相手が大人ならともかく子供じゃしゃーねーなーとはお互いに分かっていた。でも出没が多い時間帯にパトロールしてくれるらしい。とりあえず有り難い。でも子供だからなって、しょぼんしてたら、次は緊急時のあっちの番号に通報してもらっていいですから!って言ってくれた。重ねてありがとう。お前のように話しの長いヤツの対応がめんどいんで!って副音声はたぶん無かったと思いたい。
でもウチ田舎だから駆けつけるまでに時間かかって現場を抑えるのはムリだろうな。どうやって解決するんだろうな、こういうの。
以下は詳細をっていうか愚痴りたい。
ウチ、集合住宅っていうかアパートなんだが、古くて安いので当然ながらセキュリティはガバガバだ。でもウチ、一階含めて玄関は二階にあるタイプで、そこに行く外階段は二戸でしか共有しない。ウチかもう一戸に用事がなければ上がってこないハズのつくり。
ドアチャイムは玄関の前まで来ないと押せない。わざわざ階段上がって来ないといけないので、何かのついでにピンポンしちゃったぜっていう言い逃れが通用しない位置取り。
遊びにしても、上記の感じなのでリスク高いですよねとか対応してくれたお嬢さんも言う。でも本当に来るの、チャム聞こえてたからそれは疑ってませんと言ってはもらえたけども。
というか、だから逆に怖い。子供とはいえ幼児じゃないんだよ、子供の年齢よくわからないけど、たぶん10歳くらいな感じの男の子がそのへんのリスクを分からないものだろうか。一人じゃなくて三人から五人以上の集団で来ていて、同調圧力があるにしろ一人も危機感を覚えないものだろうか。
小さい子が冒険で人気のない建物に入りたがるのは知っているし、自分にも子供時代はあったから気持ち分からないとは言えない。でもそれって見つからないようにするのがスリルなんじゃないのか?いけない事してる感をお手軽に味わいたいアレじゃないのか?特に廃墟ではないアパートでピンポン連打して出てこいと喚くとか、何なのだろう。
アパートでも空き地でも他人の敷地に入っちゃいけませんとか、そういう教育が出来てないというか、持っていないカルチャーの親御さんなんじゃなかろうかと、思ってしまう。
出てこいという旨の声がけ時、親呼んで来ようみたいな声も聞こえた。ピンポン連打遊びを止めて欲しいのか、ウチに何かしたいのか判断できねーよ、この手の遊びする子供の親じゃ後者かもしれねーよ、刺されたら怖いよ、ヤバいよって泣き言しか出ない。子供が怖いんじゃないんだよ、その後ろにいる親が怖いんだよ、ウッカリで殺されるかもしれないじゃん、いや子供も意味わかんなくてキモいしコエーけども!刃物持ち出されたら子供でも殺せるし、素手でも突っかかられて自衛したら過剰って言われるじゃん子供相手だと!抵抗できなければ子供相手だって大人が怪我させられるんだよ、当たりどころが悪ければ骨折くらいするよ!骨折すればさすがに親が慰謝料払うのかな?でも骨折したくねーんだよ、怪我痛いじゃん!ピンポン時は立て籠もったとして外出狙って突撃されたら防ぎようがないよ、だって近所のお子様だもん多分、いや近所付き合い無いから知らねー子だけどピンポンの頻度的に近所だよ!しかも複数の子供が近所だよ!どれが突撃してくるの?全部が来るの
?その親も来るの?コエーよ!怪我まで行かなくても生ゴミばらまくとか良く聞く嫌がらせじゃん!キツイよ!って丁寧なお言葉を心がけて吐き出した。対応してくれたお嬢さん、ほんとごめん。
そもそも子供たち、よくアパートの敷地内で遊んでる。というか雨とか降ってないといつも来る。遭遇するのは自分が休日の時だけど、それ以外の日も居るんじゃないかなー、この勢いだと。でも同じアパートの子ではない、単身者用。住人が招き入れてもいないと思う、大人が同伴していた事は無い。というか行動パターンからして近所の子だと思う。
自分が越してくる前から遊び場の一つだったんだろうな、まったく躊躇なく入ってくる。
近くに広い公園あるじゃん?広いだけで遊具もロクに無いけど立派な公園じゃん?そっちに行きなよ。
つーか小学校は放課後も児童を収容してくれないものだろうか、日が落ちるまで。ムリか、せめて保護者の監督があれば校庭開放するとか、そういう感じにしてくれれば正論で押し通して学校行くか保育所に預けろ、監督者をつけろ、虐待か?って言えるんだけど。言うだけは。
ほどほどに中途半端な田舎なので一軒家しか無いって事も無くウチ以外にもアパートの需要はあるみたいでポツポツは集合住宅もある。とはいえやっぱり田舎で一軒家は庭は狭くても箱は大きめで三世帯のお家多い。そして最寄り駅が遠いので車は一家に一台じゃなくて一人一台的な文化は濃い、つまり一家に二台以上は車がある。ガチ田舎とかガチ金持ちの住んでる地域なら三台でも四台でもガレージに余裕で入るんだぜ!ってなるだろうけども、はんぱな田舎なので、だいたい一台分の駐車場しかない建売住宅味も深い。不動産関係者はもっと考えて上げて!ムリだろうけど!っていう。半分くらいは必要な台数が収まる駐車場持ってるお宅も有るんだけどね。格差社会つらい。
ウチの隣も月極駐車場。コインパーキングだったら間違いなく煩いし不特定多数が出入りするのアレなので一階が店舗はムリって人種は避ける物件だし、自分も絶対に住まない。駅前とかじゃない住宅多いほどほど田舎の月極は自分の家に家族分の車入らないからって近所の人が借りてるパターンが多くて、そんなに頻繁には出入りしない。マンションの屋外駐車場くらいのノリ。駐車場はいずれ箱建てる予定地とは良く聞くので迷いはしたけど、入居前に聞いた所、実はアパートの大家の土地らしく、もう金ねーから箱は建てないって事だったので。気は変わる事もあると覚悟した上で決めた。
というのが長い前ふりで。何かっていうと地域柄アパートにも駐車場ついてる物件がわりとある。ウチもそうだ、という話。
車の止まっていない駐車場は子供の遊び場になりやすい。とはいえ、本当は遊ばせちゃ危ないしダメだし、そもそも自分が住んでる集合住宅の駐車場であるとか、契約してる月極であるとか、最初のハードルは有るハズだと今回の事があるまでは思っていた。
しかし子供ら気にしない。アパートの駐車場でめっちゃ遊ぶ。隣の月極駐車場でも遊ぶ。ブロック塀乗り越えるのすら遊び。アパート裏の側溝の蓋が格子タイプなので、持ち上げて落として繰り返してがっしゃんがっしゃん音立てて遊ぶ。遊ぶっていうか、側溝の蓋、どうして持ち上げるの?何か落とした訳でもないのに
?というか、よく持ち上がったな、自分はムリだぞ、腰をやってしまう。子供って頑丈だな、羨ましい。
近所の住人しか通らない感じとはいえ公道がコートだぜとばかりに蹴鞠ごっこに興じる。道で遊んじゃダメだよ!っていう教育ができてない子供とその親。怖い。でもって、ボールは相棒とばかりにアパートの外周を駆け、アスレチックのノリでアパートの外階段を上り下りして踊り場で隠れんぼする。やっぱりボールもある。無い時もある。やめろ、ウチのアパートの壁は薄い、紙のようにペラペラだ、貴様らの声も足音もボールも、振動という振動がよく響くんだ、前の道を車が通るよりも大きくな!
通り過ぎていくだけなら我慢しても、留まって遊ぶってどういう事なんだろう、しかも叫ぶ。なんで?
半年くらい前に一度、止めてねって言った事はある。
玄関前で何かずっと遊んでる声がするし転んだかなんかしたらしく、しきりに怪我を心配する声もした。
エ、ウチの玄関前で流血とか面倒じゃない、巻き込むな!現場検証とか聞き込みとかになったら面倒だよ、自分もいつか世話になる想定でご協力するのが社会人だけど、でも面倒だよ、今回その面倒かけたの自分だけど、他人事なら面倒だよ。じゃなくて子供が怪我したとか騒いでたら救急車居る?って普通の大人は心配する素振りを示すものなので疾く去ね!招いてもねーけど!じゃなくてお引き取りください。
ってことでドアチェーンしたまま開けたら小さい玩具を床にばらまいて円陣くんでた。何の儀式?って言いそうになった。
いちおう怪我の有無を確認の上で、ご用事無いなら知らない人のお家の敷地に入っちゃダメなんだよ?敷地ってお庭とかお車とか置いてある場所の事だよ、全部を塀で囲ってなくてもダメなんだよ、この建物にお友達が住んでるのかな?住んでないよね?じゃあ止めてめてね?って言っただけ。恫喝したとか親が出てくるとアレだから、できるだけ優しく穏やかにと自分に言い聞かせつつ。
同じアパートの住人は側溝の蓋がっしゃんがっしゃんの時に窓開けて怒鳴ってた記憶があるので、たぶん何の効果も無いだろうな、と分かっていたけど。目が合って無言で玄関閉めるのも感じ悪くてイチャモンつけられるかもしれないし、もう目が合った時点で終わってたからダメモトで言うだけ言ってみた。
原因これだろうな、きっと。
ずっと家に居るわけじゃないから気づくまで期間あったけど。気づいてからはアパートの駐車場と外階段アスレチック遊びにピンポンがセットになったからな。
あと遊びに来てるの気づかなかったり、やむを得ず洗濯物干しに出ると遊びの手を止めて全員でコッチ見るの。一人じゃない、三人から五人以上の10歳くらいの子供が一斉にコッチ見るの。コエーよ、気持ち悪いよ。自分、悪いことしてないのに、お前らが立ってるのアパートの駐車場なのに。もうヤダー。
子供もしくはその親が突進してきて怪我させられるか殺されるか、自分がノイローゼになるのか。もうなっているのか。
どれが先なんだろうとモヤモヤしている。
子供じゃなければ、勝手に敷地に入った時点でやりようもあるんだろうけど。子供じゃなければヘンな人なので自分はもう死んでいたかもしれず。
モヤモヤする。そして怖い。親が出てきたらどうしよう。やべぇ子の親はやべぇ親だよと思いがち。
吐き出してみたけど、ループるばかりだった。
自殺したい・死んだほうが総合的に良いと判断するような暮らしが続いたことは不幸だけど、自殺そのものは最高のソリューションなんだよな
俺は首吊り失敗したことあるからわかる やってる最中にたいした恐怖はない いや、半端にうまくいって半身不随とかになることへの恐怖はあるけど、死ぬこと自体への恐怖は普段持ってる量と変わらないまま進む
ベルトとタオルの組み合わせで頸動脈を圧迫できるようにして、非定型法でトライした記憶がある うまくいけば15秒とかで意識が飛ぶって書いてあったんだけどちょっと息苦しいくらいで30秒カウントしたのでおかしいなと思っていっぺん解いて立ち上がった
そしたら突然すげえ苦しさに襲われたんだよな
すでに何も喉を締め付けてはないんだけど、とにかく呼吸ができない感じがする 必死にゼエハアやってなんとか取り返す 痛みはないんだえどとにかく苦しい 苦しさのあまり倒れ込んだのはあれが初めてだったと思う
なんとかひと心地ついて立ち上がるあたりでなんかすげえ怖くなった いや、死というか自我が消えることは相変わらずそんなに怖くないハズなんだけど、あの苦しみはちょっと堪えた それにやろうと思えば死ねるんだからそんなに急ぐ必要はないなと思った で、以降自殺未遂は全然やってない
何が言いたいか?
多分成功した自殺は全然悲しくないぞ、ということだ 俺は30秒でウーン?と思ったからいま生きてるけど、たぶんあと20秒とか粘ってたら死んでた その場合恐怖を感じるとしてそれは10秒間そこらとかのごく短い時間だ 苦しみながら生きる人生と比較したらほぼ無いようなもの
学校サボるのって背徳感あって楽しいじゃん それのデカい版だからな のこりの人生において待ち受けるあらゆる苦痛・義務・悲しみなんかを全部ナシにできるんだ それもロープ一本とごく短い動きで そんなんズルだし、ズルをするのは楽しい
俺は死後は完全な無と思ってるけど、その完全な無すらちょっとは楽しみなんだよな いや、自我が消えるんだから楽しみようがないんだけど、それにしたって物心ついて以来体験したことがない状態なわけでワクワクはする
ウッカリ死後の世界なんてあったらもっと楽しい まあないだろうけど、くじびきで一等出ないかなと楽しみに思うような気持ちですごい天国に出ることを期待したっていいだろう
何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。
その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。
隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。
単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
ただそれだけです。
いや、やはり知らなくても良い、話は幾らでも通ずる
それは、一にも二にもなく、「嘘」だと思う
得体の知れない、正体の分からない、手ごたえのない、暖簾に腕押しのような、気怠げなその雰囲気が本質である
この系統で、日本で最も人口に膾炙しているのは、間違いなく椎名林檎であろう
百色眼鏡を想起する方もいるだろうか
「私に、恋のこころが無くてもいいのでしょうか?」
と私は少し笑っておたずねしたら、師匠さんはまじめに、
「女のかたは、それでいいんです。女のひとは、ぼんやりしていて、いいんですよ」
とおっしゃいます。
このネットでは、虚構を振りまいて歩く“少女”を多く見つけることができる
彼女らは嬉々として自らの理想とする“虚構”を、思うままに追及し、それを公然と披露する
彼女たちの身命を賭して構築された“世界”には、容易には抗えない魔術的な引力が籠められている
そして、何よりも美しいのは、丹精込めたであろうそうした瞬間的芸術品を、ある瞬間から事も無げもなく、あいけらかんと放棄して、住所(address)も綺麗さっぱり消して、住処(Twitter)も更地にして、まるで白昼夢か、あるいは妖精かのように錯覚させるかの如くにしてしまう所にある
次から次へと棲所を変え、顔を変え、声を変え、そして勿論、名を変えて、移り変わって
そうした変貌が、我々を以ってして正体を暴こうとさせ、知りたいと思わせ、追いかけたくさせる
私にとっては、それが久遠千歳という名の“少女(虚構)”だった
危うげで気怠げな、“少女”であった
アニメとかでも明らかにきれいに終わってるのに「2期あるかな?」って言う人が必ずいてウンザリする、あるわけねーよみたいな。でウッカリ作って散々な結果になる。darker than black の2期のことなんだけど。黒と銀が恋仲?!はあーーーーー???ふたりは仕事上のバディだから良かったんだろうが!!!!あげくに一期のキャラをあっさりなんの躊躇もなく一話目で殺しちゃってさー、一期を見たひとショックっしょ掴みはこれでオーケーっすねみたいな殺しかた、はあーーーーー???一期のよいところの真逆だろ、一期は死んでしまうキャラにも慈しみがあったじゃないか!!!!スターウォーズには特に思い入れはないよ、沼で修行するシーンは覚えてる。
さっき「家族は逃げるしかない」と書いた増田だよ。じゃあ患者はどうすればいいのかってことについて、幾つか破滅を避けるために役立つであろうヒントを書いておこうと思う。
まず、精神科にきちんとかかること。そして処方された薬は正しく服用すること。それに、酒を一切飲まないこと。あたりまえだけど、これが出来てない人がとても多いよ。「ちっとも楽にならないからあそこを受診するのはやめた」とか「効果を感じないから処方された薬を飲むのをやめた」とか、安易に自己判断すべきではない。そして一時的に脳におおきな影響を与え、ウッカリすると依存しちゃう酒は徹底的に排除すべき。
次に、生活を急激に変えようとしないこと。ちょっと調子が良くなると急に働こうとする人が多いけど、絶対に失敗する。まずは散歩したり風呂に入ることから。その辺が問題なければ、家事を手伝おう。一人暮らしなら自炊してみよう。最初は毎日じゃなくていい。一日置きとか何なら週一からでいい。何か新しくやるたびに半年はそれを続けて無理がないかを確かめよう。急な変化は全部を台無しにしかねないから。大丈夫なら少しずつ増やしていく。
さらに、同種の人との関わりは断とう。精神疾患者が群れをなすとロクな事がないよ。薬を譲り合ったり、自傷行為を見せあったり、群れるとそういう事ばかりする。だから同類とつるむのはキッパリやめよう。あなたが精神的に不安定な時にも大丈夫な人とだけ関わるべきだ。同族と恋愛ごっこなんてもってのほかだよ。
仕事に関しては、好きなことを仕事にするのは諦めよう。どうでもいい事を仕事にするべきだ。うまく出来ても出来なくてもどうでもいいような仕事を選んで、ひたすら時間を金に変換しよう。変換効率は良くないだろうけど、好きなことを仕事にしようとして失敗するリスクを避けることの方が万倍大切だ。
あと、夢は捨てよう。あなたの目標は安定して自分の食い扶持を稼げるようになる事だ。それ以上のことは、少なくとも今は望むべきではない。十年後とか二十年後とかそういう未来において、もしもあなたが自分の食い扶持を自分で稼ぐことに何の不安もなくなっていたら、その時にもう一度夢を持てばいい。
徹底して刺激を避け、ほんの少し変えては慎重に様子を見て、多くを望まず、最小の規模で人生を再構築する。それが心の安寧につながる唯一の道だよ。