2021-09-29

赤松健キャラ/キャラクター人格

備忘録

赤松健のこの ↓ ツイートについて自分の中で整理しておく

https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325

アニメ漫画において、「キャラクター」と「キャラ」を分けて考えるとスッキリするのは

多くの編集者批評家物語論研修者、マンガ家アニメ作家が言うとおり。


ここでいう「キャラクター」とは、さまざまな側面をもった and/or いくつもの層がある

ことを暗示する=「人格」として認識される物語内の《アクター》のこと。


それにたいして「キャラ」とは、「陰キャ」「ボケツッコミ」「ドジっ子」のように、

複雑なキャラクターの中から1つの側面、1つの役割をとりだして(多くの場合

単純化、誇張をほどこした物語内の《エレメント》として機能を持つもの


なので、1 つのキャラクターの中に(お互いに矛盾する)キャラが混在する場合

キャラ」として破綻してる、「キャラ」として弱いと捉えられるか、

複雑で「深い」キャラクター造形として理解されるかは、作品次第だったり

作家ポジション次第(宮崎駿だったら 1 面的な「キャラ」を描いても見る側が

勝手深読みするとか)だったりする。


したがって、大阪府の「表現ガイドライン」は、「キャラ」に「キャラクター」的なものを求めているか

そもそもデフォルメした絵」で描かれる漫画アニメが「キャラ」に寄りがちなバイアスが掛かってる

ことを理解してないんじゃないか、という違和感を感じないでもない。


しかし、これはあくまでもアニメ漫画のような

ナラティブメディア」の中のキャラキャラクターの話である


ポスターのような、物語という文脈から切り取られた「キャラ」は、

ポスターという性質上一部の例外を除いて「キャラ」になる)

ナラティブ空間内とは別の文脈を生きていて、そのように認知・消費される。

たとえ元ネタ原作があっても、ポスターに切り出された瞬間に「キャラ」だから


考えてみれば、単一メッセージクリアに、わかりやすく、パンチのある表現

ガツンと伝えることを求められるポスターは、「キャラ」は成り立ちがよく似ている。

ポスターとは「キャラ立ち」である、みたいな…)


そのような「要件」を求められるポスターや「キャラ」において、

女と言えばオッパイである、と言わんばかりのデフォルメ表現とか、

女性という「キャラクター人格から好ましい要素を抽出して「キャラ」化したら

ミニスカと太股しか残りませんでした、みたいな「キャラ」化の方向性公的機関

オフィシャル肯定した(と受け止められる)場合にどういう意味を持つのか?


公務員はそこらへんをよく考えて仕事しましょう、という啓発なんだろうと理解した。


あと、ツッコミ処の「キャラ」に「人格」を求めるという部分にだけ注目するコメントにも

アンコンシャス・バイアス表現されちゃってるのかな?と思った。


追記

そもそもデフォルメした絵」で描かれる漫画アニメが『キャラ』に寄りがちなバイアスが掛かってる」

と書いたあたりで、「キャラ」を描くのって恐いなと思った。

ウッカリすると、自分無意識バイアスがだだ漏れになる…

追記2】

ポスターナラティブから切り離されているとかいたけど、

ポスター存在する「社会」「生活空間」が物語文脈と同じような

機能果たしてるのかな?とも思った。表現史を含む「歴史」もそう…

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