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はてなキーワード: 高校受験とは

2023-07-17

負け続きの人生から逆転する方法

高校受験 第一志望に落ちて受験するまで聞いたことな買った高校へ進学

大学受験 第一志望の国立大学を三度受け三度とも不合格二浪してまで行くわけではないような大学へ進学

就活 24NNT 40社受けて全落ち持ち駒0

ここから人生逆転する方法教えてくれ 今まで成功体験というものが全く無くてつらい。

2023-07-11

anond:20230711012231

それそれ

高校受験ときからそれなんだよなあ…

準備不足なんだろうけど

2023-07-03

公文っていえば近所の公文中学生向けに月1000円で高校受験対策もしてるそうだ(あくまでも月謝に+1000円)

そういうのやらないとみんな中学校入学で退会しちゃうんかね

2023-06-30

anond:20230630133646

男性被害者です。私は中学3年生の時に男子トイレで小便をしている時に、

トイレ入り口から動画盗撮を受けました。

そのときは、高校受験とかも控えていたので周囲に影響があると思って、

誰にも伝えることが出来ませんでした。

2004年のことでガラケー携帯電話でした。

今でも、どのような対応を取れば良かったのか。悩まされています

結果的には、携帯電話禁止高校に進学しました

私事ですが、聞いて貰いたくて書き込みました。

そのとき動画盗撮男子同級生は、Facebookをやっていて結婚式写真を挙げています

こちらは一生消えない出来事なのに、何事もなかったように、

Facebookをやっていることが許せません。

学校内部の行事で起こったことなのに、これはなぜ世間に公になったのでしょうか?

2023-06-24

ひょっとして、40代50代って楽なのでは??

その年齢で有るべき姿とか求められるものってあるじゃん

社会的圧力っていうの

 

子供時代 なし

中学生 高校受験

高校生 大学受験

大学生 就職、進学、恋人を作ること

20代〜30代 結婚子供 

 

で思ったけど40代50代って案外ない

子供を作ったら子供を育てることだろうし、出世的な圧力があるけど

30代までの圧に比べたら、特に周りが40代以上に求めることって無いよなと思った

40代以上はあくまで結果だから良かれ悪しかれプレッシャー減るよな

 

俺はまだ40手前だけど婚活とか諦めたらすげー楽になったもん

あとは孤独不安健康くらいだな

2023-06-08

助けてくれ

また癌恐怖症を発症してしまった。

しかしたら今回ばかりはマジでネットで調べた症状が全て当てはまるから癌かもしれん。20代後半だから何十万人に一人とからしいけど、なるときは誰でもなってしまうって所が怖すぎる。

公務員試験直前かつ病院受診する金もないって時に。

高校受験大学受験卒論作成期、就活期、二度の公務員試験大事な時に限っていつも癌に当てはまる症状に襲われて恐怖で手がつかなくなり失敗する。

なんでみんな体調悪くても平然と生きられるの?

進行してる癌だったら、今まで自分がやって来たことも今自分が頑張ってることも全部無意味になって衰弱死するんだぞ?

よく狂わないでいられるな。

俺みたいな豆腐メンタルが生きるにはあまり現代医療技術稚拙すぎる。

anond:20230608141608

この文脈IQがどうとか言い出すあたりお里が知れるわ

そもそも貧困って何の話や お前他人喧嘩口調で言及してるくせに誰が誰かも特定できてねーじゃねーか

アホなんだからキャパを超える範囲他人攻撃すんな

お前こそ本当に一回自己認識改めた方がいいぞ

会社とか所属組織一見もっともらしい話をするからアホを抱き込めるし自分は賢いと信じてるけど、実は他人の話を理解できてなくて話をとにかくややこしくする、身内に嫌われるタイプ人間

中学受験とか高校受験あたりが最盛期だったタイプ人間に多い アホだけどアホが故に勉強しかしてなかったから誤魔化せてたのが20歳以降で化けの皮剥がれるやつな

2023-06-03

anond:20230603104903

中1~高2まで一緒にやる部活が楽しかった、高校受験も挟まないし

中学の内申制度についていける気がしなかったか回避できてよかった

公立中学で上手くやっていける子ならそっちでも良いか

2023-05-19

就活受験ってどっちが失敗しやすいの?

弟は高校受験でも、大学受験でも第一志望に行けなくて、学歴コンプ拗ねらせてるんだけど、

受験でうまく行かなかった分就活大手に入って逆転してみせる」とか言ってる。

第一志望に入れるか入れないかでいうと受験より就活の方がハードル高い気がする。

2023-05-05

それは社会と繋がれなかった精神障害者だよ

https://anond.hatelabo.jp/20230504110406

はてなIDはもう10年以上前に削除済みのROM専だけど、今回トラバするためにわざわざIDをもういっぺん作ったよ。

身内に統合失調症がいるので、精神障害者やそういう人の家族に対しては理解があるつもりだ。

そんな私なので「精神異常者」なんて挑戦的な単語タイトルを見たら、さーてどんな奴か読んでみたろと思うので読んだ。

事前に言っておくが、増田に対して説教するつもりは1点しかないよ。

その1点とは「精神異常者」なんて言葉を使ったことだけ(それも、動揺と怒りのため言葉を選べなかったのかもしれない)

読み進めて、2階から放尿でびっくりしたよ。だってうちの身内(以下、M)と同じなんだもの

Mは、子供の頃絵を描くのが好きでテレビゲームがやたらと上手くてただ気を使ったり人とペースを合わせることができない奴だった。

クラスに必ず一定数いる「皆と違う」嗅覚がよく働く(そして大人に可愛がられる)タイプからはさぞかし標的にされやすそうな子供だった。

実際、昼休み学校中庭同級生から小突かれているのを見かけたことがある。

私は昼休みはもともと中庭植物を眺めながら過ごすことが多かったので、Mを見かけたときはテキトーに声をかけるなどしていた。

少なくとも私がMに話しかけるとき同級生はMを小突くために近づくことはできなくなるからだ。

関係ないが、そういう機転(笑)を利かせることができる能力のおかげで彼らは大人に可愛がられるのだろう。

そんな事が子供のころから出来るなんて、器用で羨ましいことだ。

また、大人になった私が子供を「子供である」という点に起因して好意的に見ることは決してない理由がここにある。

話を戻そう。

もともとMは勉強(というか学校の授業)は苦手だったが、中学の頃からほとんどついていけなくなり、学校での虐めもひどくなった。

小学校は6学年あるが中学は3学年しかないので、私はMが中学でどんな様子で過ごしているのかその目で見ることはできなかった。

もちろん、昼休みにヒマつぶしと称して話しかけることも。

Mの学力高校進学も危ういところだった。

そんなMの様子を見た父親は、自分低学歴のため低賃金肉体労働を長く続けざるを得ない苦労をMに語って聞かせ、

「何でもいいから、高校にだけは行かなきゃ駄目だ。高校だけは行かないと人生おしまいだ」と叱咤激励し、

Mに高校へ行けずに大人になることへの恐怖を植え付けた。

あの時、母親は何て言ってただろうか。あまり覚えていない。

Mは父親言葉をしっかり胸に刻み、高校へ行けない事を恐怖して半べそをかきながら机に向かい公立高校の中では相当偏差値の低い工業高校入学した。

Mが高校入学し、たぶん2~3カ月経たころだと思う。

学校へ行ったはずのMが学校へ行かずに帰ってきて、言った。「外の人が全員、自分に「死ね」と言ってくる」

それから、Mは2度と学校へ行かなかった。

学校からは休学を提案されたが、Mは退学した。父親はMが高卒資格を得られなかったことを悲しんだ。

母はMに「皆と同じように高校卒業しなくたって、神様はMを愛しているよ。今はいくらでも生きる方法があるし、勉強する方法も一つじゃない」と言って励ました。

その言葉は、Mが高校受験で泣きながら勉強してた時にも言ってやったのだろうか。

学校へ行かなくなったMは、お菓子を買いに行く以外の用事では外へ出なくなった。

食事時間はいたりいなかったりだったが、段々食卓にも来なくなった。

リビングから人の気配が少なくなると、部屋の中からそれを察知して出てきて、冷蔵庫を漁るなどしていた。

母親はMが食べるかもしれないからとおかずや冷凍ご飯を常備するようになり、冷蔵庫から野菜のおかずが減っているとはじめは喜んだ。

だが、Mが見境なく冷蔵庫の中のものを食べきってしまうようになると、家族みんなの事も考えろと言ってMを叱るようになった。

Mはますます部屋から出なくなった。時々、壁を殴る音が部屋から響いてくる。

ある朝母親の大声で目覚めて驚いて見に行くと、リビングの壁に穴が開いていた。Mが拳で殴ったのだ。

母親は半狂乱のようになり、「借家なのにどうするくぁwせdrftgyふじこ」みたいな事を言ってた気がする。

Mは風呂に入らなくなった。部屋から出たくないからだと思う。

閉ざされたMの部屋のドアからは、酸化した皮脂の臭いがする。週に一度程度だけ、家族の繰り返しの説得で風呂に入っていたように思う。

とはいえ、部屋や布製品にこびりついている酸化した皮脂の臭いはどうにもならなかったが。

母親は、Mが風呂に入っている隙にMの部屋を掃除しようとした。

そこで当時成人男性の間で流行っていた女児向けアニメキャラクターお〇ぷちゃん二次エロ画像印刷物を見つけ、怒りながらMの鼻先に突きつけた。

私は最初「ああ、ロリは駄目だわ」と思ったのだが、母の口からポルノ」という言葉が出てきてそこからNG母親絶望した。

母は激高しMに大変な詰め寄り方をしていた。正直、あれはMがかわいそうだと思う。

Mはますます部屋からでなくなり風呂にも入らなくなった。

ある日母親から思いつめた顔で言ってきた。「あなたの息子が窓から放尿している」と近所の人に言われたそうだ。

私は最初、流石に人間それはないでしょwwwと思ったが、ビビビビ…という音を耳にする機会はほどなく訪れた。

Mは部屋から出たくないあまりトイレにさえ行かなくなったのだ。大の方はさすがにトイレへ行っていたと思われる(と、信じたい)が。

Mはその後、母親暴力をふるったため警察の介入を受け精神科へ入院した。

関係ないけど、夫(Mの父親)や子供(Mの弟)が暴力を振るわれた時は暴力を悲しんで涙を流し神に祈る母親を演じて終了だったのに、

自分暴力対象になった瞬間「アンタなんてもう知らない。神に悔い改めるか地獄に行くか自分で選びなさい!」と言って公権力に頼むとか笑える。

それから20年。

Mは障害者年金を受け取りながら病院入院したり退院したり、母が関係を取り付けようとした(宗教の人が善意でやってる系の)障害者福祉施設就労支援施設とのつながりを全て蹴って、

まともな人間関係就業経験もないままアラフォーになる。両親がいなくなるまで、もうそんなに時間はないだろう。

もし、Mが中学の時にもっと別の選択肢提示し、強迫観念から逃がしてやれてたら。

高校へ行かなくなったときに、何かこう…そういう子たちが行く優しく勉強できるところへ繋げてやれてたら。

そうしたら、少なくとも2階の自室から放尿することにはなっていなかったと思う。

今私が住んでいるところには、毎週同じ曜日同じ時間に奇声を発しながら通る女性がいる。姿は観たことがないが、声で家の前を通過しているのが分かる。

また、毎日使う通勤電車には、手を叩いたり大声を出したりするチック?の男性がいる。

彼らの姿を笑ったり恐れたり、不審な目でにらみつけたりする人が大勢いる。

しかし私には、彼らが羨ましい。毎週毎日、同じ時間にそこを通っているということは、

彼らには毎週毎日通えるコミュニティがあり、行った先には「おはよう」「さようなら」を言って関わってくれる人がいるということだ。

Mはそれを得られなかった。

せめて20代早々くらいで、週に1回とか2回とかのペースでもいいから、自分で通える就労施設とかへ所属できる程度に社会や人とのつながりを持てていたら。

ここまで書いておいてアレだが、悪いが私はMに関わる気はない。

私が女子大生だったころ滅多に部屋から出てこないMが私の部屋に静かにやってきて、ここで裸になってもいいか?と聞いてきたことがあった。

その瞬間、生理的嫌悪感カンストした。完全に無理。

Mはなぜ私に嫌われているか本人は分かっておらず今のままではMが可哀そうだ、という家族もいる。じゃあアナタが親切にしてあげれば?私には無理です。

何の慰めにもならんと思うけど、増田は2階から放尿する奴が自分の身内じゃなかったことだけでもいくらかマシだったと考えて強く生きてくれ。

じゃあな。

2023-04-28

息子が教祖になった

30代の一人息子。真面目でおとなしいのだが、不器用で要領が悪かった。

小学生時代放課後公園で何度練習しても逆上がりができず、家でどれだけ練習しても二重跳びはできなかった。中学受験では塾の仲良しグループで唯一全落ちしてしまった。

それでも進んだ区立中では楽しく過ごしていたし、高校受験では所謂名門都立高校に進んだ。しかし、大学受験では再び挫折浪人したもの国立に落ち早慶に進んだ。国家公務員志望から法曹志望に切り替え、予備校に通い一生懸命やっていたようだが予備試験には受からず、法科大学院修了後も司法試験に受からなかった。

3回目の司法試験の際に初めて短答試験合格し、私や夫が心配するくらい勉強して論文に挑んだが、残念ながら不合格だった。リビング椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。

それから息子は二日ほど部屋に篭っていた。三日目の朝にリビングに降りてくると「司法試験は諦めて就職する」と言ってきた。

息子は企業法務部で働き始めた。職場環境は良かったようで本人も楽しそうにしており、私や夫は安心していた。社会人になって以来、息子は帰宅が遅くなり、休日の土日も殆ど家を空けるようになっていたが、忙しいのかと思い気に留めていなかった。

社会人になってから3年ほど経ったある日、息子から自身主催しているセミナーを手伝うように頼まれた。夫も休日だったため、よくわからないまま二人で会場に赴いた。すると、先に集まっていた人々から先生のご両親ですか?」と聞かれた。そうだと答えると突然周りが慌ただしくなり、恭しく部屋に控え室に通され、ソファの上でお茶お菓子を出された。そして、みんなから口々に息子の凄さを聞かされた。「先生のおかげで人生が変わった」、「先生のおかげで世の中の構造が見えるようになった」、「先生のおかげで人生意味を見出せた」というように。

息子が遅れて控え室に入ると、私たちの周りに集まっていた人々は一斉に息子を囲み、また口々に挨拶と賛辞を繰り返した。息子はそれをあしらい、準備をする様に言うとみんな解散していった。息子から今日セミナーの終わりに会場の外で本を売るからレジをやって購入した人に僕の両親だと言って挨拶握手をして欲しい」と言われた。

時間になり会場に人が集まってきた。私と夫は後ろから立ち見していたが、来場数は100人ほどで若いカップル、小さな子供を連れた若い女性私たちと同じ中年男性、80過ぎの女性など年齢層はバラバラだった。息子が登壇すると、ある人は勢いよく拍手し、ある人は「先生!」と勢いよく叫び、ある人は立ち上がってお辞儀した。息子が話し始めると場が静まり返った。話してる内容は陰謀論だった。息子曰く、世界支配しているのはビルダーバーグ会議で、日本ビルダーバーグ会議意向を受けた日米合同委員会支配している。みんなから事前に集めた悩みを発表し、その悩みの根本原因にはビルダーバーグ会議と日米合同委員会があり、自分は愛と真実によってこれらから世界解放するのだという。

正直聞いていて呆れてしまった。息子はオカルト話と陰謀論を混ぜこぜにしたような話を披露し、来場者はそれを真面目な顔して聞く。

息子が一通り話し終えると控え室にいた女性が登壇し、「これまでの先生指導集がいよいよ完成しました。ご希望の方は会場の外の物販コーナーにてお求めください」と言いお開きとなった。来場者はすぐに外には出ず、息子の元へ行列を作って何かを質問したり相談していた。

私と夫は控え室にいた別の男性に案内され物販コーナーに立った。先程女性が紹介した息子の指導集が並んでいたが、なんと文庫本サイズ発言と日時がまとめられただけのものが一冊25000円である。会場から出てきた人々は今度は物販コーナーに列を作り、老若男女迷うことなく購入していった。そして私と夫に握手を求め、息子を讃美した。ある年配の女性からは涙を流してお礼をされた。全てを売り尽くし、私と夫はよくわからないまま帰宅した。

息子が知らない間に教祖になっていた。

2023-04-26

頑張るから幸福になれないんだぞ。

俺は生きてきて頑張ったことがない。

だが幸福だ。

「あーまた生まれからして恵まれてるやつのマウント取りか」も思ったかもしれんが、

とりあえず最後まで聞け。清聴せい。

俺は頑張ったことがない。

人生を常に6割くらいの力で生きている。

まり、これは「できる時にやらない」という、コントロールをしているかという話だ。

成果100が出せる時に60で我慢するのが重要なのだ

俺は、学業の成績は子供のころから悪くなかった。

ペーパー試験と相性のいい頭をしていたのと、

親が公文式に入れていたせいだろうな。

テストの点で困ったことはない。

だが、全国レベルに立つと大したことがないことは小学生の段階でわかっていた。

なので、小学生の時には、すでに大体のライフプランはできていた。

ズバリ中学公立高校からMARCH程度の一貫校で大学受験スキップする、というやり方だ。

中学受験は文化資本と才能がある子どもたちの、

人生いち抜けを狙う熾烈な競争がある。

大学受験言わずもがな。あと単純に学習量が多い。

高校受験が一番半端な人間たちの争いなのである

から、俺はそこを狙った。

成績的には、正直、どこでもいけた。開成を狙えと周りには言われた。

だが、そのためには俺は頑張らねばならなかった。

からMARCHくらいの場所に俺は初めから目的を設定していた。

これは、俺が自主的になにかをしなくても平均より上になれるであろう場所である

事実、そのとおりになった。俺は高校大学も頑張ったことがない。常に遊び呆けていた。

だが、常に優秀サイドだった。周りの平均レベルが頑張っていない俺以下だったからだ。

例えば、これが少し欲をかい早稲田やら慶應にでも行っていたら。

俺は優秀ではない人間になるか、あるいは平均より上の人間になるために頑張る必要があっただろう。

就活も同じだった。

いちばん重要な視座は「俺が俺のままに、努力せず優秀であれる場所」を探すことだった。

無事にそういう場所を見つけた。

中小企業であるITことなど何もわからぬ、だが基幹事業は儲かっている。

Excelが多少できるだけで、優秀になれるような場所に無事に入社した。年収は600万かそこらだが、まあ別に問題ない。

頑張ったことがないが、人生は充実している。

これは相対的な話だ。どこまでも、相対的な話しかしていない。

「待ってよもっと下の話をしてるんだけど、MARCHとかレベル高くない?」とすら感じた人にこそ、この感覚を知って欲しい。

俺など、世の中にいくらでもいる優秀な人々からすれば、無能サイドなのだ

例えばGoogleに放り込まれたら馬鹿すぎて話にならない社員になるだろう。

今の会社から、もう少しレベルを上げた会社でも、おそらくそうだ。

大事なのは足るを知るということだ。

咲ける場所で咲け、という話じゃない。もう自分は咲いている、そう見なされる場所に行け、という話だ。

その程度の移動の自由度はまだ残っている。

まず、頑張らないことを目的にするべきで、

頑張った自分はすでに自分ではないということをみんな知るべきだ。

努力をする、努力を礼賛する、努力をしている人を偉いと思う、

そういう感覚を捨てることが幸せへの第一歩だ。

2023-04-21

大学入学したけど、努力もしないくせに劣等感がすごくて辛い

小学生の頃、先生と(後述の問題もあり)性格が合わなかったのかすごい色々言われるのが嫌で中学でも不登校気味になってしまい、受験では内申と出席日数の問題第一希望GOサインが出ず、高校定時制高校に進学した。

小学生の頃から授業への集中力が無くて自由帳でお絵描きしたり寝てたり、勉強は全くできないし、問題児だった。

それでも、自分の得意分野になると記憶力や集中力が極端に上がる。自分の好きな分野については小学生ながらもそこらへんの大人よりも知識があったと思う。

中学生の時は、さすがに授業に参加してノート必死に取るし、頑張って集中力継続できるよう頑張ったけど、いつの間にか寝ていて、それも本当に記憶が無かった。

中学公立のくせに住んでいる街が街だからか、親が金持ち教育熱心家庭が多くまともな生徒が多くて、俺以外でもちょっと違うと攻撃されたり避けられたりしていた。

おまけに教育熱心な家庭に合わせて授業が進むため公立にしてはハイペースな授業だったと思う。授業にもついていけず先生とも合わず人間関係も辛くて、中学ではついに不登校気味に。

朝起きると、平日だけ何故か頭が痛くて起き上がれない。通学路で涙が止まらない。本当に行きたくない日は行かなかった。

なんでみんな1時間も机であんな授業受けれるんだろう。勉強もできないし自分おかしいのかな。なんでだろう。ってずっと思ってた。

親は「学校休みがちならせめても…」ということで家庭教師をつけてくれた。その時は定期試験も少し点数上がった。高校受験に向けても対策をした。

でも、やっぱり勉強が苦手。覚えられない。計算ができない。集中力が続かず、結局バックレて(家庭教師時間になったら外出して逃げた。)家庭教師も中2終わり頃に解約した。

同時期、初めてインターネットで知り合った人と実際に会って遊んだ学校が辛くて、学校を行くふりしてその人の最寄り駅まで行ったり。自分の最寄りまで来てくれたり。

新しい世界が見えた気がして、その時は精神的にも心からしかった。その人と、はまだ繋がっていてたまに遊んだりしてる。本当に感謝

ちなみに家族めっちゃキレてた。「なにしてんだよ」「学校行け」「学校行かないと近所の人から変な目で見られる」。結局家族世間体だけで、多分俺がサボってるとしか思ってなかったんだと思う。まぁ確かにサボりだし。今思えばそうだなと思う。でもその時はこれしか逃げ道がなかったのもわかってほしかった。

そんな中、中3に。周りはみんな受験モード自分はぎりぎり行ける近所の全日高校を狙っていたが、内申点と出席日数的に第一希望として認められず、

定員割れ定時制高校へ進学した。定時制にも理由があって、学校行く前の頭痛体調不良が午後になれば少しはマシになるかな。というのが大きな理由安直だけど。

定時制高校は驚きの毎日だった。本当にごくせんGTO世界

まず、日本語が通じない。噛み合わない。俺よりバカな人がいる。

行動が高校生っぽくない。(言葉に言い表せない感じ。なんか子供っぽいというか…)

イキっている絵にかいたようなギャルヤンキー

覚せい剤を使って同級生逮捕タバコお酒は当然。喧嘩窃盗無免許運転。まだまだある。

本当にこんなことって現実にあるんだ。フィクションじゃないんだ。

自分で選んだ学校から文句は言えない。けど辛かった。中学校とは違うベクトルの辛さ。

学校の最寄り駅降りると蕁麻疹が出るくらいには辛かった。

でも勉強簡単すぎて余裕だったし、校則も緩い。悪いところだけではなかった。

バイトも始めた。

バイトは、本当に向いていたと思う。接客業。高1の1学期から始めた。

お客様「ありがとう」って言われると本当に心からしかったし、クレーマーは来たらちょっと嫌だったけど。

店長社員さんから褒められるのも嬉しかったし、仕事を任されるのも嬉しかった。気づいたら本部研修を何回か受けて名札の★が増えたり。

勉強以外で、自分が認められて本当に楽しかった。週5~6入って必死に働いた。大人との接し方も、電話応対も、社会のアレコレもたくさん教えてもらった。

高校で学んだことよりもバイト先で学んだことの方が今の自分にとって大きいと思う。

高3の頃、大学に進学したい気持ちが強くなった。

小学生の頃から好きだった分野を仕事にしたいと思い始めるようになった。そのためには最低でも専門学校大学はいかないといけない。

専門学校も考えたけど、大学のほうが分野についての授業や設備が幅広くて自分のやりたいことはそっちの方が強かった。

でも、小学校の頃からまともに授業受けていない自分には無理だな。というのが第一に思った。

先生にも相談した。「●●(俺の名前)さんのやりたいことは、大学しか学べないよ」この言葉が決め手だった。

から一般勉強なんてビルギャルじゃないんだし、無理だなと思った。すでに7月

分野が若干特殊なせいか、やっと見つけた大学は、日東駒専レベル大学日東駒専と言えば、インターネット上ではよくバカにされている印象だが

それでも偏差値測定不能高校に通っているヤツが受かる確率は1桁ほどだろう。

そんな中、先生からAO入試を進められた。プレゼンテーションをするだけでよいらしい。

パワポを作るなんて簡単だし、プレゼンの内容を考えるのも楽しそうだった。でもプレゼンするだけでって、そんな都合よい話があるんだろうか…?

あった。

受かってしまった。それも数人しか取らないAO入試だ。倍率はまぁまぁ高かった。

学校行ってないときPCスマホをいじるのが生活の一部になっていたせいかプレゼン資料作るのも苦じゃなかったし、

資料で出典元を見つけたり自分考察、案を考えるのも苦ではなかった。

 

面接からは「高校生でこんなプレゼン初めてみました。」「完成度高いですね」「すごいですね」…。

まさか褒められるとは思っていなかった。面接から鋭い質問されると思ってドキドキしていたのに、プレゼンが終わるとすごい褒めてくれた。

さすがに受験会場で誉められたくらいで、受かるなんて思っていなかったけど、忘れもしない11月とある合格発表日、ウェブサイトには合格表記が出ていた。

正直実感が無いのと、やっぱり勉強についていけるか心配だった。焦って大学に向けて中学校の範囲から少しずつ勉強をし始めたり。

そして入学

もう2~3週間経つけど、割と授業は楽しい小学生の頃から関心があって自分なりに勉強したり調べていた分野だったから専門的な授業は簡単に感じる。

高校までまともな学校行ってなかったのに、大学AO入試で入って授業も割とついていけてます!!!!!!楽しい!!!!」みたいな記事ではない!本題はここから

入学して数日。幸いにも数人、話すような仲の友人…(少なくとも自分はそう思ってる)ができた。

話し方や行動、高校の時の話、上京してる人の地元の話。。。聞く限り「アオハル」を満喫した「ガチ高校生」なんだなと思った。

いや、「ガチ高校生」ってなんだよって感じだけど、自分定時制高校という特殊構造学校でお世辞にも普通高校生活とは程遠かった。

テレビ中学時代の友人を見るたび「青春」が羨ましかった。もちろん、もし普通高校に通ってても青春できる保証はないけど。思うだけなら自由じゃん?

それも、日東駒専レべルだからか、偏差値50後半くらいの高校から指定校推薦や、滑り止めで来た人が多かった。

そんなやつらが勉強もまともにできない底辺高校出身の俺と一緒の大学で一緒に過ごしてる。

本当に申し訳ない。自分は何も努力していない。勉強全然頭に入ってこない。興味ないことは全くできない。人間としての欠陥品。

ちょっとその分野が得意なだけで、取柄もなんもない。

自分バカ出身って明かしても全然みんななんも言わないんだ。

なんでお前がここにいるんだよとか。中学校の頃みたいになんか言われたり距離を置かれるんじゃないか不安だった。

ある日、入試の話になった。周りは共テ利用だったり一般入試だったり。そんな中プレゼンだけのAOなんて言いたくなかった。

けれども、聞かれて正直に答えたら「AO入試!?すごいね!」「才能あるんだね!」って褒めてくれた。お世辞でも嬉しかった。

AO入試で入ったからずるいとか、避けられるかなって思っていたから。優しい。泣きそう。

みんな、高校でフツーの青春をして、人並みかそれ以上に勉強ができて、こんな自分にも優しく接してくれて。

そんなやつらと一緒にいると毎回自分が醜いなって思うのと同時に、

集中力があって、興味がない勉強理解できていれば、自分普通高校生活を過ごせたのかなとか。

普通ってなんなんだろう。なんで自分は頭悪いんだろう。集中力尽きると記憶が無いまま寝っちゃうんだろう。とか。

たらればばかり。

からといって努力もしないくせに劣等感を感じる自分が一番つらい。

日本語めちゃくちゃで見にくい文章最後まで読んでくれてありがとう

追記 4/21 22:55

いつもの流れでトップページ開いたら自分記事があってビックリしました。

ちょっと指摘された部分や日本語おかしい(不適切な)部分を修正しました。

ADHD発達障害の傾向は小学生の時から言われていました。現在正式な診断は受けていないですが、小学生の頃は毎週カウセリングを受けていました。

高校先生について

記事内の大学相談に乗っていただいた先生と当時担任先生には本当に感謝しています。周りの生徒とは少し合わなかったけど、高校先生は本当に優しかった。

小中の先生みたいな人だったら辛かったと思います

優しい言葉、もちろん意見も、いろんな言葉ありがとう。なんだか泣きそうです。

2023-04-12

職業訓練校で話題に出る高専

職業訓練校の話になると高専話題が出るが、卒業者の一人として思ったこと。

現時点の採用側や大学職場での高専卒に対する能力評価ポジティブものが多い印象受ける。

だけど、そこを担保しているのは

学校数が少なく、入学の段階で一定学力必要なこと。(中学卒業者の1%)

一般的な年齢の子大学受験に要する時間の多くを、実務や専門の勉学+α(ロボコン等)に割けること。

高校生相当の年齢(15〜20才)で留年する子がそれなりの人数発生すること。

卒業した高専在校生の1割が留年経験者で、入学からストレート卒業するのは8割くらい。退学者も多い。25%が留年したクラスもあった。

大部分は若い段階で学力と専門への適正で篩い落としが働いていることが大きいと思う。

他の高専は分からないが入学以降はカリキュラムと塾がリンクしていないので、塾で成績を上げてきて入学した子は辛そうな印象を受けた。

それと専門や環境が性に合っていない子もしんどい

高専退学者怨嗟の声もよく聞く。若い段階で篩い落としが激しいので当然。

近々だと卒業者が毎年全国で1万人ほどで、就職するのが6000人弱。しかも専門の特性特定産業

専門とマッチする卒業生が就職市場に何人投入されるんだろうなって人数。

大学もここまで極端に数が少ないわけではないが、そこに至るまで競争や篩い落としが働いてたこそ質が担保されてた側面もあるんじゃないだろうか。

高専の数を増やすだけだと、私大が増えた現状と似た感じで安泰とは言えなくなるように思う。

現状は工学に偏ってるので、他の専門分野の高専が増えるのなら面白く思うが。

追記

高専に行った個人的動機

第一小学校中学年時点でなりたい職業が決まっていたこと。大学生になって学べるようになるまでの時間を考えると中学卒業時点から学べるのは魅力があった。

高等教育は受けたいなと思っていたこと。それに対して高専コスパが良かったこ

高専が家から通える範囲だったこと。

田舎だと教育コスト関係上 公>私 の価値観私立高校に対する認識は、大学内におけるFラン私立のような認識

高校受験が学区制で自分学力と合う公立高校が近隣になかったこと。調べたら現在半数の都道府県で学区制は廃止らしい。自分受験した当時は大半でまだ学区制があったようだ。

学区内の公立進学校偏差値が60、次点公立高校が55。近隣の私立高校公立進学校よりも低い。

自身偏差値が60半ば、高専目的学科が60前半だったので高専を選んだ。

自分が住んでいる地域に置ける中学卒業時のコスパを含めた選択肢の狭さの影響が大きい。

中学卒業時点で学力さえあれば住んでいる地域に限らず入学できるよっていう公立学校高専しかなかった。国立メリット

公立中学校→推薦→高専入社だったから、組織に入る際に学力を測るテストを受けたことはなくそこに関しては個人として特殊なんじゃないかと思ってる。

2023-04-11

ぼっちちゃんって高校受験どうやって乗り切ったの?

ぼっちちゃん中学時代に1日6時間ギター練習をしたという。

15〜16時くらいに学校が終わるとしてそこから単純に6時間だと21〜22時。

受験生は1日5時間くらい学校以外で勉強するけど受験勉強しなかったのかな。

それで受かるのってすげー器用かすげー底辺校ってことか。

2023-04-02

公立中学でこんなにお金がかかるのはおかしくないか

これに触発されて。

https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2023/04/02/014016

前提として、

給食費は別建てで引き落とし。およそ月5000円。

指定ジャージ体操着・上靴で計16000円ほど。

制服は計50000円くらい。

部活動にかかる用具代などは別途。

問題は1年ごとにかかる「学校徴収金」。

↓ この辺は受益者負担という考えでまだ理解できる。

助教材・各教科実習費 8000

生徒手帳証明写真代 400円

日本スポーツ振興センター掛金 500円

実力テスト・体力テスト 6500円

問題はここから ↓

学年運営費・学級運営費 700円 → 教室掲示とかクラス運営にかかるお金とか。使い勝手のいいお金必要なのはわかるけど、これって保護者負担なの?公立中ですが……

生徒会費 3000円 → 生徒会運営に使われるのは微々たるものほとんどが部活動への助成に充てられている。

スクールバンド維持費 500円 → 実質吹部への助成

中体連負担金 600円 → 運動部大会にかかるお金学校の生徒数分を徴収される。文化部部活動未加入の生徒も集金される。

同窓会費 500円 → 同窓会開かれてない。聞いたら使われずにプールされてるだけ。うちは高校じゃなくて「公立中」です。

↑ ここまでは「学校徴収金」。学校事務マター。

その上「PTA関連」のお金がある。

PTA会費 3000円 → まあ普通金額、と思うだろうけど、ここから支出見るとなんと半分がPTA雇用事務員さんへの人件費

体育文化振興費 3500円 → 部活動への助成。実質運動部遠征助成に充てられている。

PTA安全会費 500円 → 保険代。会員は加入必須なのでわかる。

一日一円貯金 365円 → 学校施設の整備補修に充てられる。まあ使い勝手のいいお金必要なのはわかるけど……PTA学校の財布じゃないよ。

総計400万以上の予算執行するために、100万円で事務員さんを雇ってる状態PTAお金解決できるならwin-winじゃね?というのが実現してるよ!

ちなみに「学校徴収金」「PTA関連」一緒くたにして集められてるよ!

一斉集金は違法じゃないとはいえそもそも学校PTAは別組織という意識学校にもPTA本部にもありません。

文句あるなら学校に直接言え、PTAの方は任意なんだから辞めればって?

一応意見は言ってるけど、そんなには波風立てたくないというのがね……。高校受験もありますし。

2023-03-17

子供大学受験で失敗しました。

その一方で幼なじみ友達第一志望に合格しました。二人は同じ学部を目指していて、自宅通学できる学校は1つなので文字通り同じ大学を志望していました。

その事を伝えたときである友人は大学で一緒になれるといいねと言っていました。でも子供は落ちました。同じ幼稚園小学校と同じ環境で成長してきたのにここで差を見せつけられるなんて思いませんでした。中学は離れましたが、幼馴染は偏差値55くらいの学校で、子供高校受験で60の学校でした。子供は成績も良かったです。

近所で幼馴染みの子話題になっている場で子供もっと成績が良かったので合格できるはずだったと言ったらタラレバはやめようよと発言拒否されました。確かにそのとおりです。いくら優秀でも、受験は結果が全てです。幼馴染みの母には連絡していません。連絡もきません。お祝いの言葉を言ったほうがいいでしょうか。私は言いたくありません。

2023-03-09

指定校推薦大学合格した。

今年の春とある地方中高一貫校からその地方では名の通っている私立大学文系学部に進学する。

おそらくこの劣等感の主な原因は高校受験もまともにせず、最後受験努力したのが小学生だったという事にあると思う。同級生ほとんど一般受験もちろん親も親戚も一般大学に行った人だ。身の回り自分けがなんの努力もせず大学に行く。

面と向かって話すと誰も責めてはこないし、親なんて学校生活を真面目にやってきたからねなんて言ってほめてくる。俺は今年の夏予備校限界を感じて急に指定校を選んだんだ。伸びない模試の点数、ついていけない予備校の授業集中できない自習。こんなので心が折れた。ちょうどよく興味のある学部指定校があったから志望した。授業なんて全然寝ていたし、定期テストの点も平均点くらいしか取っていなかった。真面目な生徒ではなかった。

不真面目なやつでも指定校取ってるだろうと思って、ネット指定校推薦を取った人の体験談を読んでいても多くの人は高校に入った時点や高校2年生の時点で推薦について考えていたし、大体真面目な奴ばっかりだった。遅刻もしないし授業中に居眠りなんてしない、その大学に行きたいか指定校のくる高校を選んで受験したやつまでいた。俺は一般受験だったら受けていたかからない(私立をどれくらい受けるのか親と話す前だったこともある)大学を選んだ。俺は半端者なんだと思う。一般受験の輪にはもちろん入れないし、指定校推薦の輪にもきっと溶けこむことはできない。

鈴木福のほうが偉いよ。秀でたものが勉学ではないかもしれないがあるじゃないか。俺にはひとつもない。鈴木福があれだけ叩かれるなら俺はどれくらい叩かれるんだろう。叩かれたくないからこんなところに書き込んでるんだけど。

俺は親も金をしっかり出してくれるし、ほめてくれる親ガチャ大当たりの家で育った。予備校代も大量に払ってくれた、それなのに私立に行って一人暮らしもしてごめん。親戚もみんな国立大体旧帝なのに俺だけ私立でごめん。推薦を取るって決めた時おばあちゃんショック受けてたよな。何回もそれでいいのかって聞かれたし、昔から国立に行くって言ってたから驚いたよなごめん。

指定校になるような受験結果を残してくれた先輩方ありがとう来年以降の後輩の指定校につながるだろう受験結果を残している同級生お疲れ様。俺は指定校を使ったのだからせめて留年だけはしないように大学では頑張るよ。

2023-03-03

ADHD当事者リアル感覚

ふと、ADHD当事者リアル感覚表現したいと思った。

物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。

N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。

と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHD治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。

1.〜小学生

およそ30年前、共に高卒の両親から長男として産まれた。

母親専業主婦だったり、少しパートをしたりしていた。

父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。

故に、夫婦喧嘩が絶えない家庭だった。

何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。

不貞寝する父親。怒り狂う母親

暴力を振るう父親実家電話しようとする母親

電話線をハサミで切り、電話機を叩き潰す父親

父親包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親

床にぶちまけられる牛乳

警察を呼んだ方がよいのか本気で悩む自分

私が思い出せる小学校低学年頃の家庭の記憶はほぼこれだ。

弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である

自分自身について書くと、忘れ物の多い子供だった。

教科書を忘れ、資料集を忘れ、宿題の提出を忘れ…

机をくっつけて、隣の席の子しょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。

宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚

テコでも動けなかった。

宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズデッキを組んだり、ミニ四駆カスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたか自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)

同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ河原秘密基地作ったりとかしていた。

また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。

違う。

(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。

全く交流できないということではなかった。

あいさつはするし、何人かでサッカーをする時は参加していた。

同学年で話したことがない人は恐らくいない。

誰とでもそれなりの雑談ができた。

しかし、そこ止まりだった。

輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。

故に、常に疎外感を感じていた。

今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。

次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間教室でひとりでボーっとしていた。

かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。

通信簿の「担任からコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。

2.中学高校大学

地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。

当時は中学受験という言葉すら知らなかった。

中学での成績は150/200あたりだった。

日々の勉強時間は0分。

たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。

国、社、英は不得意で、理数が得意だった。

相変わらず宿題はできないし忘れ物は多かった。

勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部活動をするか、家のパソコンニコニコYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーMixiをやっていた。

中学3年で麻雀を覚え、どハマりした。

ハンゲーム天鳳毎日夜中まで打つようになった。

高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報学科に滑り込んだ。

元がアホなので上振れしてもこの程度である

地方偏差値50なんてハナクソオブハナクソである

なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。

高校では朝読書時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。

この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPC毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分人生天鳳の段位とレーティングが全てだった。

謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。

その後、持ち前の過集中により小論文面接突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。

麻雀への情熱大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。

イプシロンデルタはみんなも分かってないようだったが。

情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブかました(自慢)。

数学情報科学だけは好きだった。

麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。

2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。

3.社会

バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会放出された。

なんていうか、普通に死のうと思った。

ある日、ふと一回死んだ。

自○未遂をしたということではない。

自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。

どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。

それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。

それもダメなら最終的に死ねばよいだけだ。

とにかく今死ぬのはもったいない、と思うことにした。

一応、親は家に住まわせてくれた。

速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。

やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき内定が出た。

自分内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業であることが導かれるのである

人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。

結果的に、一年半で会社を辞めた。

自分特別社会適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。

この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。

会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつ診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続き自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんサポートしてくれて本当に助かった。

うつ治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。

ストラテラというADHD治療薬を飲み始めた。

3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。

色々手続きをして、1割負担になった。

4.現在

ストラテラを飲み始めてから、本当に変わった。

脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。

簡単にいうと頭がめっちゃ良くなる感じだ。

特に「読み書き計算」がすごい。

今まで自分は文をうまく読めなかった。

脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。

また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。

そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。

プログラミングが得意だったのは、自分計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。

皆これが普通だと思っていた。

薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。

当然みんなもそうなんだと思っていた。

こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。

薬を飲んでからは夜更かしが減った。

自分の1日を計画コントロールできるようになった。

アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。

人生も徐々に良い方向に向かった。

5.総括

長々と書いてしまった。

もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。

自分ADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。

「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。

かに、その瞬間を点で見ればただそれだけのことである

しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。

そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分可能性」を信じられなくなる。

その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。

そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。

もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。

学校安心感を得られない子供には、家庭しか場所がない。

そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療アクセスしてほしい。

子供保険証を持って一人で病院に行くことなんてできない。親が全てだ。

治療は早ければ早いほどよいと個人的に思う。

子供の1日1日はかけがえがない。その1日をデバフがかかった状態で過ごすことの影響は、子供の一生を左右しかねない。

2023-02-19

同級生成功した可能性。それを見た瞬間に恐怖を感じた

とある分野の成功者として、昔の知り合いに似た特徴の人物が出てきていた。ハンドルネームを使っているが、私には心当たりがあった。

進んだ分野、趣味の傾向、おおよその予想される年齢。それらの情報から自分の頭の中に1人の人物像が浮かび上がる。同じ高校同級生だ。自分が無理をして進学し、深海魚*となった学校で、同じ深海魚をしていたアイツ。そうして腐り果て放課後にダラダラとマックモンハンしていた集団の1人の顔を思い出す。

だが奴は、大学受験直前に「やりたいこと出来たわ」とニヤニヤしながらやる気を取り戻し、気づけばそれなりの大学に進学した。一方自分は、大幅に偏差値の下がった大学へと都落ちし、そのまま腐り果てしょーもない職場で今は働いている。

焦った自分はソイツの名前検索をかけた。論文が出てくる……最近論文だ……奴は大学卒業後、本当に行きたかった分野で働いているらしい……。恐ろしくなった。今の自分比較たからだ。自分はもう全く研究内容と無関係なことをしている。というかほとんど事務員営業の間の子みたいなことを延々とやっている。何かについて研究したことなんて無い。大学出てから勉強なんてエクセルマクロについて少しやっただけだ。取引先の資料がよく分からない時もググって終わらせるだけで詳しく学ぶ気なんて無い。

不安に急き立てられるままにさらなる情報収集を行っていくと、趣味の分野は一緒だがその中で微妙に好みが違う。宗旨変えをした?いや、どうなんだろう。確信は持てない。別人なのか?もういい別人ということにしよう。こんな気分で日曜日の夜を終えられるものか。

自分の中で無理矢理に結論は出したが、そうなると今度はこんな事に対して慌てふためいた自分の方へと視線が移ってしまう。同級生成功していたからってなんだというんだろう?あの時自分もなにかやりたい分野を見つけていればよかったのか?だが自分だってやりたかった事が無いわけじゃない。一応は興味の有りそうな分野に進み、一応はその分野の論文を書いた。そうしてから競争についていくほどの気力はないからと楽な就職先を選んだ。そしてグズグズと腐っていった。そもそも価値観がそうだっただけなんじゃないのか?やりがい搾取をされまいとする自己防衛意識が強すぎた結果、仕事によって自己実現をすることに拒否感を持ったのが失敗だったのだろうか。大学教授人格破綻ぶりを見るうちに、精神構造脆弱人間が変に自分の力に固執することに警戒心を覚えた。いや待てこれは流石に物語を作りすぎだ。単にだらしない人間だったのだ。そして、そのだらしなさに見合う人生を選んだ。選んだ選択肢に後悔はあっても間違いと言えるほどじゃなかった。落ち着いてきたぞ。やっと落ち着いてきた。だが恐ろしい……無数の同級生、無数の知り合い、ネットで作った友人、嫉妬出来るような相手はまだまだ無限にいる。早いうちに上手くラインを引かないといけない。年齢的にもそろそろ誰もがそれぞれの道で頭角を現す頃だろう。若き天才はそうそはいない。だがある程度やって全く何も出来ずに終わる人間も少ない。人間なんて一生に1つか2つ立派な仕事が出来ればいいと言われるが、その1つを手掛ける奴らが次々出てくる頃だ。自分仕事にそんなものはない。延々としょーもないことをやり続けるだけだ。人生においてやり遂げた1つがない。そして実家に帰ると今でも「高校受験でいい学校入ったのがピークだったよね」みたいな話が飛んでくるのだ。人生で成し遂げたことが高校受験?は?ゴミクズすぎるだろ?死にてえ……助けてくれ……。もう無理寝よう。

深海魚……無理に良い学校に入ったせいで授業についていけなくなった人。受験背伸びしすぎた身の程知らずのカス受験終わった途端にナマケ始めったクズとされている。学校カラーと合っていれば受験背伸びしていても深海魚にはなりくいという噂も。そのため、単に偏差値の高さだけ見て学校を選んだバカとしての側面もあるとされている。酷い。そこまで言うな。

2023-02-17

anond:20230217075355

高校受験をしてないから実際のとこの難易度分からんけど、中学入試偏差値50そこそこだった母校が高校入試では偏差値70超えてた

中学受験であぶれたすごく頭いい人が入ってくるんやろなと思ってたら入学してきた層も凄く微妙で、まぁやっぱ中学からいたほうが多少はマシやなって感じだったし

中学受験最上位校の算数とか完全にIQテストのものみたいなものだったしな

anond:20230216171537

ほんと高校受験が1番簡単よな。何であんなに中学受験が加熱してるのか謎すぎる。御三家価値は別格としても、無駄に頑張って大金も払って、私大の附属に行く家庭の気がしれない。

2023-02-16

anond:20230216122521

文化資本があったとして医学部常連みたいな中高一貫校に入れるか?って話なんだよな

高校受験みたいなちょっと頭よければ誰でも偏差値70くらい取れる、猿でもどうにかなる試験じゃなくて本物の高IQの殴り合いやぞ

俺も中学受験したけど御三家とか全然行ける気しなかったしな 東大に入る方が何倍も簡単だった

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