2023-04-26

頑張るから幸福になれないんだぞ。

俺は生きてきて頑張ったことがない。

だが幸福だ。

「あーまた生まれからして恵まれてるやつのマウント取りか」も思ったかもしれんが、

とりあえず最後まで聞け。清聴せい。

俺は頑張ったことがない。

人生を常に6割くらいの力で生きている。

まり、これは「できる時にやらない」という、コントロールをしているかという話だ。

成果100が出せる時に60で我慢するのが重要なのだ

俺は、学業の成績は子供のころから悪くなかった。

ペーパー試験と相性のいい頭をしていたのと、

親が公文式に入れていたせいだろうな。

テストの点で困ったことはない。

だが、全国レベルに立つと大したことがないことは小学生の段階でわかっていた。

なので、小学生の時には、すでに大体のライフプランはできていた。

ズバリ中学公立高校からMARCH程度の一貫校で大学受験スキップする、というやり方だ。

中学受験は文化資本と才能がある子どもたちの、

人生いち抜けを狙う熾烈な競争がある。

大学受験言わずもがな。あと単純に学習量が多い。

高校受験が一番半端な人間たちの争いなのである

から、俺はそこを狙った。

成績的には、正直、どこでもいけた。開成を狙えと周りには言われた。

だが、そのためには俺は頑張らねばならなかった。

からMARCHくらいの場所に俺は初めから目的を設定していた。

これは、俺が自主的になにかをしなくても平均より上になれるであろう場所である

事実、そのとおりになった。俺は高校大学も頑張ったことがない。常に遊び呆けていた。

だが、常に優秀サイドだった。周りの平均レベルが頑張っていない俺以下だったからだ。

例えば、これが少し欲をかい早稲田やら慶應にでも行っていたら。

俺は優秀ではない人間になるか、あるいは平均より上の人間になるために頑張る必要があっただろう。

就活も同じだった。

いちばん重要な視座は「俺が俺のままに、努力せず優秀であれる場所」を探すことだった。

無事にそういう場所を見つけた。

中小企業であるITことなど何もわからぬ、だが基幹事業は儲かっている。

Excelが多少できるだけで、優秀になれるような場所に無事に入社した。年収は600万かそこらだが、まあ別に問題ない。

頑張ったことがないが、人生は充実している。

これは相対的な話だ。どこまでも、相対的な話しかしていない。

「待ってよもっと下の話をしてるんだけど、MARCHとかレベル高くない?」とすら感じた人にこそ、この感覚を知って欲しい。

俺など、世の中にいくらでもいる優秀な人々からすれば、無能サイドなのだ

例えばGoogleに放り込まれたら馬鹿すぎて話にならない社員になるだろう。

今の会社から、もう少しレベルを上げた会社でも、おそらくそうだ。

大事なのは足るを知るということだ。

咲ける場所で咲け、という話じゃない。もう自分は咲いている、そう見なされる場所に行け、という話だ。

その程度の移動の自由度はまだ残っている。

まず、頑張らないことを目的にするべきで、

頑張った自分はすでに自分ではないということをみんな知るべきだ。

努力をする、努力を礼賛する、努力をしている人を偉いと思う、

そういう感覚を捨てることが幸せへの第一歩だ。

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