はてなキーワード: 退職とは
30歳くらいのときに全くの別畑からITの仕事に転職して10年くらいやってきましたが、当時からずっと、上司や同僚との意思疎通・調整・ホウレンソウが大の苦手。
前職はわりと個人の裁量でやれたのと、そこまでスケジュールや期限に厳しくなかったこともあってつまづかなかったのだけど、
IT業界入ってからは技術力のなさとコミュニケーション能力の低くくて仕事がまったく上手く回せない。
技術力の方は10年頑張ってきた中でなんとかなることも多くなってきたのだけど、
コミュニケーション能力の低さに起因したホウレンソウのできなさがまったく改善できず、
年も年なのでいよいよ辛い。
コミュニケーション上手な上長やリーダーが上にいるときは、それなりに活躍できる場合もあるのだが、
お客さんと話をしたり、スケジュール調整、他部署とのネゴ取りなどを自分でしなくてはならなくなると途端にダメダメになる。
報告ひとつとっても内容を簡潔にまとめるのにものすごく時間使うし、その割に、何を言っているのかわからないとよく言われる。
で、萎縮して余計に報告が過不足だらけになったりで悪循環。
リモートワークになって、いちいちテキストに起こすのがまた辛く、ホウレンソウ下手にさらに拍車がかかっている。
長くない現場経験の中で、今の自分と同じような感じの方々、いわゆる「使えないオジサン」たちを沢山見てきたが、自分がすでにその人たちの仲間入りしていることがわかる。
ああいう使えないオジサンたち、しかも改善見込めなさそうなオジサンたちは、どの現場でも長くいることはなかったが、最終的にどうなっているのだろう?
40,50歳超えて転職したりするのだろうか?
それとも定年までのあと残り10年20年を、年下に見下され同僚に煙たがられながらもふてぶてしく生きていくのだろうか?
10年治らなかった自分のコミュニケーション下手が今後改善するとは思えず、40歳を前にして今更SEを続けていく自信がなくなってきてる。
勤務時間が始まると、PCの向こうから自分に迷惑した同僚たちの声が聞こえてくるような気がして、
ちな、既婚・子持ち、家持ちです。
自分を立て直そうという気持ちと、死にたい気持ちが交互にやってくるのです。
つらい。
手当金を受け取りながら、カーテンをしめた薄暗い部屋で寝続けた。
昨年秋頃から体のメンテナンスに興味がでてきたので、気になっていた不調を解消すべく心療内科以外の病院を巡りはじめた。
子宮腺筋症の診断が出た。
軽い気持ちで行ったので「マジか〜!」という気持ちで、話を聞いた。
昨年の秋に初めて受診して、3ヶ月後の内診で筋腫はやや小さくなっているので、今後何事もないといいな。
低用量ピルを飲んだ感想、最初のシートを飲んでいる期間は吐き気や火照りがあって辛かったが、無職なので寝ているだけなので、まあまあ余裕だった。
行ってよかった。
興味はあったがやったことない物の中に鍼灸があったので行ってみた。
施術後、なんとなく体が軽くなった気がしたが、翌日痒みがえぐかったので今後通うかは微妙。
コロナ前、会社員時代に平日夜でもやっている歯科医院で治療中だったが、痛い、院長が気持ち悪い、スタッフ同士が明らかに不仲なのが丸わかりで足が遠のいてしまった。
この前Google口コミでその医院みたらボロカスに叩かれてて笑った。
時間に関しては無敵なので、家から近く評判のいい歯医者に行ってみることにした。
だが、You Tubeで歯石取りの動画を眺めているうちに危機感がわき予約の電話をした。電話も怖いが、You Tubeの動画にでてくる猛者のような口腔になるよりは…と思って頑張った。
電話にでる人が優しいと「嫌だけど、行こう…」ってなるので、歯医者さんの受付、電話応対する人は全力で優しくしてほしい。よろしくおねがいします。
小児科に強い歯医者で、待合室で先生が子どもに対してめちゃくちゃ優しく声かけしてるのが聞こえてきた。
アラサーだが、もれなく私も同じようにヨシヨシ治療してもらえたので、安心感がハンパねえ。
手はブルってるし、心拍数も明らかに高かったので、お察ししていただいた形だが、クールに対応されては歯医者怖い人間としては困るので非常に助かった。
なんとか頑張っても0.7までしか視力出なかったけど、だいぶマシになった。
コンタクトレンズの種類を変えてから、乱視で瞬きするたびに視界が変わる現象はなくなったが、
ずっと気になっている顔面のほくろ、やっと取る。
人相占いだと人気が出るほくろ、モテほくろらしいが30年生きてきて実感皆無なので消えていただく。
「消えたい」「しんどい」「世間に申し訳ない」で頭がいっぱいだった頃は気にならなかった事に関心を持つようになり、実際に病院に足を運べるようになってメンタルたいぶよくなってんなってのを実感している。
労働をしていると後回しになりがちだったこと、今のうちに解消して習慣になればよいなあ。
最低限生きるという段階を超えて、健康に生きたいと思えるようになったこと、退職時には考えられない思考なので、復活しはじめた自分よくやったという記録を残したくて記事に残す。
良くなることを祈っています。
色んな人がいるので、ゆっくり休んで、考えすぎずに生きたいですね。
俺は氷河期世代の1つ上でめちゃくちゃ幸運にも就職も結婚も随分とSmoothだったんだけど
あまりに後輩の氷河期がひどく、優秀すぎる子が職場に面接しにくるものだから、
一つでもポスト=椅子をあけてあげようかなというのもエリートコースからの退職の一つの理由だったよ。
氷河期の表立っての理由はたぶんリーマンショックかなんかだったとおもうんだけど
裏にはそろばん・習字・こまめなファックス送付・電話打ち合わせ・足すりへらしての営業…といったアナログなビジネステクニックの(パソコン普及による)急激な廃れもあったとおもう。
そして、今の40代はITに関してはものすごくぶきっちょなんよ(50代以上はほぼ壊滅)
ギリギリIT化についていける、ラインも「オジサン構文」ならなんとかなる世代
それで本人は「努力したつもり」でも
うまれたときからツイッターと炎上案件みてた世代、就職時に当然大学か就職時研修でITならってきたでしょ、って世代とは内心かなり違う
オーガニックで男女平等でクリーンなネット環境の水が澄みすぎててもとの濁りのアナログ恋しいんよ
どっちにしても人生の途中でITの壁にぶつかって苦労してるんよ(ね、みずほ銀行くん)
(女性にはデジタル営業親和性高い人多いしPTAでラインをやむを得ず使いこなせてる人も多いけどそういう人を社会によびもどせるルートがまったくない)
ITできてもこんどは知財の罠にはまってて、今日も同年代が「うちの商品脱法だったみたい」って悩んでた
もうちょっとデジタル法学に目端がきいたらこのくらいの年代ってボコボコ起業しだしてるはずだったんだけどなぁ
俺なんか30代で退職してから悠々自適にツイッターも増田もつかってるけど
フェイスブックでアムウェイもどきやろうとした同級生マジでいたから全然出入りしたくないし
勝手に習ったフォトショやクリスタで15年くらいまえから同人やってるとかいまさらいえないし
首都圏の吉野家で、外国人アルバイトの約4分の1に当たる200人ほどが震災後1週間で退職していたと、
昨日見た夢は元SMAPの中居くん主演のドラマを見てる夢だった
中居くんは映画オタクでトラブルをいろんな映画からヒントにして解決するドラマだった
今回持ち込まれたトラブルは学園内の騒動を解決してほしいという依頼だけどかなりややこしいらしくライブラリの映画のストックではなかなか解決策が見えてこない
もうどうしようもないというところまで追い詰められた時にふと出てきた一本の映画
一転して学園内ではやるべきことを伝えられた教師が緊張しながら解決策の演技をする
女子生徒にセクハラしてあれこれして嫌われ役になったりしてトラブルは解決できた、が、自身は退職するという流れになった
教師は一連のトラブル解決騒動の疲れを癒すために手洗い場で顔を洗っていよいよ学校を去るという時に同僚教師のキムタクがやってきて声をかける
中居くんに全部聞きましたよ、トラブル解決のためにわざと嫌われ役になったそうですね?
なんだそうだったんだ私が悪かったです!でも退職はまぬがれないです、それが大人のルールです、というありきたりなパターンで進む
時がたちその教師は塾の先生になって女子生徒はそこで勉強してる姿が映し出されて中居くんはピンク映画をライブラリに付け加えて、これも大事なヒントですと独り言いいながらドラマは終わって目が覚めた
法学部=ハイスペックって言う理屈がわからないし、増田がやってることの大半は無資格で出来るけど、
別に困っちゃいないと思うよ。法務の知識使う場面って多いし釣れるかなぁってなもんでは?
釣りではなくマジで役員と対立しまくり>退職だとしても、生きづらいさんでなくても役員と対立は別に良くあることやし
フリーランスは嫌だフリーランスは嫌だフリーランスは嫌だフリーランスは嫌だくらいなもんじゃないでしょうか?
つか、小さなコンサル会社片っ端から応募すればどっか引っかかるかもよ。年齢がネックになるかもだが
AWSワカリマース、Microsoft 365ワカリマース、AzureADワカリマース、CCNAレベルはワカリマースって言っておけばいい、
今更プログラム書こうとせんでいいで
それ以外は別にやな
というか制度上はほぼ全ての会社で1ヶ月とか1ヶ月半休めるはずなんやけど、
大手の10年20年勤続者とか退職時の有給消化でしかこういう休み方出来ないのがな
あ、ちなみにこいうこと書くと外資だととか夢見てる人が書いてくる人がいるので先に書いとくとそういうの求めて無いです
みんな元気に存在感アピールしてるんで特出したスペシャリティとかなければ長期で席はあけません
特出したスペシャリティがある人は保守的な日本企業でもテンプレみたいなおたくスタイル(手入れしていない男性の超ロン毛)とか
許されてたりとかするんでクソどうでも良いです
「どっちも」でいいじゃん。
インシのまえにコウムイン一次試験くる(し、採用少ないけど理系公務員採用狙いなら試験内容もけっこうカブってる)ので予選のつもりでうけてみれば。
あとコウムイン一級に二次まで合格してそのあとインにも合格したら、「名簿」への掲載をおくらせてもらえる(少なくとも自分のときはそういう制度だった)https://www.jinji.go.jp/saiyo/saiyo/saiyo_qanda.html
(名簿解禁はおおかた実質のシュウカツがおわった頃合いで申し出られる)ので、
合格通知つかんでインにニネンゆったり通ってから名簿解禁して就活はじめられるコースもある。
ただ自分の場合はイン(キュウリョウでない、論文さえよめればそれ以上大した知識はえられない。ただ教授の前では当然、自分もインにイキターイっていっておけば覚えがめでたいので熱心に育成してくれるので同級生はみんなそう唱えているのはわかってた)と
四卒の二年のキュウリョウを天秤にかけてヨンソツコウムインもいいなとおもってた。
名簿まよったまま面接いってみて、「ヨンソツでも欲しいといってくれるなら今来ます」っていってみたらそれでナイナイテイでちゃったので名簿掲載してナイテイ式出てヨンソツコウムインになった。技術的にはシュウショクゴに得たもののほうが多い(高額なデータベース検索も国の金で、必要さえあれば予算は気にせず使えた。うちだけかもだが)ので全く後悔なし。給料は知らんが女性と男性の差はないし産休育休もしっかりだ。サーザンはあの大臣がなくすっていってたしな
ニートから派遣社員やってお金コツコツ貯めて歯列矯正したんだけどそこで大分顔が変わった。
俺の歯並びは乱杭歯っていって顎の小ささに対して歯が大きいのが原因でガチャ歯になるタイプだった。尚且つ俺は出っ歯だった。
歯列矯正が取るこの歯並びへのアプローチとして、第一小臼歯(前から四番目の歯)を抜く。そうするとそこにスペースが出来る。残りの前歯(計六本)を少しずつ後ろに移動させていき、そのスペースを埋める。
そうすると、横顔にEラインが出来る。上唇も薄くなる。俺は親知らずも含めて計8本抜歯したせいか、顔がだいぶ小さくなった。(骨格は変わらないはずなので、かみ合わせが改善されたことによって顎にかかる力が分散されて、エラを張る筋肉が小さくなったものと思われる)
何よりも歯を出して笑えることが人間関係にも自分自身にも大きな良い影響を与えた。
まともな歯並びになると、比較的人間的な顔になれる。歯並びの悪い不細工が許容されることは少ないが、歯並びのいい不細工はまあまあ許される事も分かった。歯列矯正を完了しただけで、清潔感があると言われるようになった。
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次に顔へのコンプレックスが緩和された俺は、次第に髪型を気にするようになった。髪型というのは顔の印象を大分変える。
俺は剛毛のテンパ(硬くて酷い縮れ毛でどこの美容室に行っても「くせのレベルはトップクラス」「これは大変だね」と言われた)で、ネットでは「坊主にする」とか「髪質を活かす」とかいうアドバイスが溢れていた。
癖毛専門店みたいな美容室にいって短くしたが、どれもこれも酷い状態にされた。(今思うと俺の髪質が酷いだけだったので、美容師も最善を尽くしてくれたのかもしれない)
ある日、初めていく美容室で癖毛の扱いについて悩んでる事を伝えたところ、顔周り矯正を進められた。耳より前にあるエリアの髪に縮毛矯正をかける施術のことだ。
これが功を奏した。
縮毛矯正をかけていない所とかけてるところの境界を曖昧にするために、少し癖が残るように縮毛矯正をかけてくれたので、比較的ナチュラルな髪型になった。
カットは前髪を少し長めにとり、他は短く。被せるツーブロックにすることで髪質の硬い襟足の癖や、すぐに膨らむ耳周りのボリュームも誤魔化せる。
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「人間が大事なのは中身だ」というが、あれは少し言葉足らずで、正しくは「人間が大事なのは中身だが、見た目がないと中身を見てもらえる土俵にも立てない」という事。
不細工なだけで見下してくる人間っていうのは男女問わず、社会に出てからも一定多数必ずどこにでもいる。彼らが悪いんじゃない。人間の本能なんだと思う。それを理性で良くないと思える人とそうじゃない人の二種類がいるんだと思う。
不細工だからお笑いキャラや明るさに極振りしていじられキャラに徹するなど、いろんな人を見てきたが、あれはあんまり良しとされる環境が俺は好きじゃない。芸人だって金貰ってやってるのに、なぜ不細工なだけで無償で芸人のような立ち位置が求められそれ以外のルートが許されないのか。
俺はずっとずっと静かに過ごしたかったし、人と付き合うなら言葉と言葉でゆっくり会話したかった。新卒の頃はそれが出来なかった、何よりも同期から馬鹿にされたり不細工コンプレックスが日々脳のメモリーを圧迫し、次第にまともな会話もできなくなり、仕事が全く頭に入らなかった。家に帰ると翌日の仕事が不安だった。職場に行きたくなくて、夜中の2時頃にいつも目を覚ました。目を覚ますとき、いつも酷い動悸に襲われた。髪もボサボサで、目が死んでて、仕事も覚えられず、まともな会話ができない。そんな俺は発達障害扱いされるようになり、精神科で検査したら社交不安障害の診断を受けた。もう職場に説明する気力も残っていなかった。職場の人と話すのが死ぬほど怖かった。俺が話してる所を他の人に見られるのも怖かった。もう限界だと感じた俺は仕事をバックレ退職した。
あの日からだいぶ立つが、見た目を変える努力をして本当に良かったと思ってる。ぶっちゃけ俺は今でも不細工なほうだが、周りから良くしてもらえることが増えたし、周りの人を大事にしようと思えるようになった。歯を見せて笑顔を作れるようになったことは大きな影響だと思う。
生きてると本当につらい事とか地獄のように思えたこともあったし、今もその渦中にいる人もいるかもしれないけど、お互いなんとかやっていきましょう。
法学部卒で就活をなめていて全滅し、小さな編プロに入ったものの、ボスもアスペで誰とも仕事が続かない方だったので、私もミッション途中で解雇。
業務委託契約で雇用保険も未加入だったので、日雇いで食いつなぎ、京都リサーチパークの小さなコンサルにアルバイトで入社。
Web制作が商売になり始めた頃でしたので、織物産業系の会社にホームページを売り歩いて実績を積んで正社員になったものの、社長が会社を解散。
その後ポリテクセンターを利用して雇用保険で食いつなぎながら、就活してリクルートの制作会社に入り上京。
でも遠距離恋愛でメンタル悪化して、早々に退職して数年実家で引きこもり。
このままではヤバいと思い、農業実習生に行ってみたけど、休憩時間に水も飲めず挫折。
その後はボランティア活動に参加するようになったら、ITスキルを買われて、研究員として再生可能エネルギーの実証実験に参加。
GISを使った資源量調査の学会発表や共同特許取得の経験を積んだものの、上司と研究データの抽出方法でもめて離職。
しばらく考えて、あえて障がい者枠で福祉施設の支援員になるも、ずさんな経営に憤りを感じて、離職。
文科省のモデル事業でとある学校の支援員をしながら、通信制の専修学校で社会福祉士の勉強をして、合格。
福祉の道を歩もうと思い、福祉施設を立ち上げたいという営利企業に雇われ、作業所を設立。
でも作ってから、運営方針でまた役員ともめてパワハラを受けて、離職。
それならいっそ営利企業ではなく社会福祉法人で働いてみようと、家から近い法人に就職。
相談員の資格を取得したものの、保守的な法人の運営方針と、社会福祉士の倫理綱領との乖離に会社に行くのが辛くなってしまいました。
だって入社式でマスクの色まで指定して、少しでも違った人はその場で交換させるなんて、多様性が重んじられる福祉業界であり得なくない?
毎日仕事のことを考えると歯を食いしばりすぎて、歯神経が痛みを発するようになっています。
抗不安剤を勧められるけど、ベンゾ系の薬は卒業したので今さら飲めず。。。
転職しようにも、地元は田舎なんでほぼ最低賃金に近い仕事しかなくて、福祉でやっていこうと思っていたけど、まともな法人はもう通える範囲で求人がないのが現状です。
お付き合いのある自治体で雇ってくれる話もあるけど、会計年度任用職員なので、これまた最低賃金レベル。
ITに疎い業界だと重宝がられるけど、今さらIT業界に戻ろうとしても、ブランクもあり、厳しいかな。
IT系の資格は取得してないけど、以下のようなしょぼいスペック。
サーバーたてたりはLinuxとかでFTPサーバーやWebサーバーをたてて遊んでいたレベル。古い時代でごめんなさい。
Webはhtmlは読める。デザインもできる。WordPressは分かる。ディレクション経験は大昔ならあり。
経理:売上1億円レベルの小さな企業の給与計算、法人の決算は経験あり。
助成金申請・報告書作成:1,000万ぐらいの案件までなら経験あり。採択実績も複数あり。
法務:名義変更登記とか不動産登記はできる(無資格・図面はイラレで書ける)。
コンサル:福祉事業所の設立や運営のコンサルは単年度で受注実績あり。
でももう福祉系を諦めて、他の士業の資格を取得するのも検討中。
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PNVWC8S
まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】