「原始仏教」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原始仏教とは

2016-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20161028133746

すごくよく分かる。原始仏教なんかでも絶対存在たる「我(アートマン)」の存在とか否定されてたし。

いろんな価値観の人見ると絶対なんてないんだなあと思うわ。

2016-08-18

今の寺はクソ(なのが多い)という話

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150519/281311/

これ面白かった。漠然と思ってたことを明快にしてくれたというか。

要約すれば、原始仏教時代(ないし現在タイ)は、①僧侶模範的生き方をすること、②人生絶望した人を丸ごと受け入れることで、人々から尊敬され、お布施も集めることができた。

しか日本仏教はその歴史的沿革から①②をすることが不可能となっており、腐敗している。

はい原始仏教の教えを現代日本でやるのはキツすぎるから、その理念だけでも目指そうよ、というお話

考えさせられる。

2016-06-30

原始仏教ビジネス終わった

最初の頃は「俺たちが日本仏教変えてやるんだー!!!」的な良くも悪くも意識高い志があったみたいだけど、

社会普通に受け入れられて稼げるようになった途端、胡散臭い自己啓発系全開の派生ビジネス始めちゃったね。

例えば、日本テーラワーダ仏教協会も「ブッダ栄養学」とか言って料理セミナーやっちゃってるし、

もうあかんね。資本主義って宗教が最強だね。何でも取り込んで自分教義に染めてしまう。

やっぱり資本主義以外の宗教はいらんわ。金(資本)以外は信じないことにしよう。

2016-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20160623175024

今ここ肯定はマイヤンというより最近流行りの自己啓発だと思うが。原始仏教なりアドラーなり。

マンヤンって若い頃のヤンチャ自慢とか中学校学区の範囲内だけで人付き合いするとか強い過去志向で、

長期休暇の度にディズニーランド行ったり、非日常が大好きだし、今ここ志向からほど遠い。

2016-05-21

怒りのエネルギーは生きるのに大切だなと感じた

一時期、小池龍之介和尚の本から原始仏教にハマって、ひたすら怒りのエネルギーをなくそうと瞑想やら何やらにふけっていた。

しかメンタル調子はすこぶる良くなったのだが、どうも何をするにもやる気が起きなくなって困っていた。

次第に瞑想する気力すら起きず、いつのまにやら何ヶ月も瞑想サボるようになっていた。

ふと先日、とてつもなく怒りを感じる出来事が起こった。しばらくぶりの感覚だった。

ただ、そのときはその怒りを直接対象に向けるのではなく、何か生産的な方向に向けてみようという気持ちになった。

非常にイライラしながら掃除洗濯、その他今までやろうとしてやっていなかった事柄を次から次に片付けていった。

その後、これまた久しぶりに爽快な感覚を覚えた。

そのとき何か悟ったような気がする。ああ、怒りのエネルギーは前向きに生きていくには必要不可欠だな、と。

確かに怒りの感情が薄らいでいけば、現実の辛さを受け止める力は強くなると思う。

一方で、やるべきことから目を背け、より問題をこじらせる方向に向いがちなのも事実だ。

悪く言えば、怒りの感情から距離を置くことは、人生から逃げることにも似ている。

小池和尚は怒りは良くないものだとおっしゃっていたけれども、自分自身としては、むしろ怒りと刃物は使いようだと感じる。

包丁だって凶器になれば人を悲しませるけど、料理に使えば他人を喜ばせることもできる。

怒りの膨大なエネルギー制御して、何か生産的で前向きな方向に費やしていく。

そうすることができれば、仏教理想とは全く違う意味で、私達は人生をより良くしていくことができるんだろう。

2015-05-19

魔女になりたい(36歳男性埼玉県在住)

もぅマヂ無理。

ソウルジェム真っ黒。魔女化寸前。

魔女になって、理不尽上司ワガママな得意先も全部メチャクチャにしたい。

だけど毎週華金がやって来て浄化されちゃうの。

これが飼い殺し?

あ、改変後の世界から魔女にはなれないで消えちゃうのか……

なんだよそれ、原始仏教かよ。

っていうか円環の理ってなんだよ。

円環なら消えないでどこからかひょっこり飛び出してくるだろ、輪廻みたいに。

いや、改変後の世界の中にある魔女ほむら妄想ワールドなら魔女になれ……ないな。

ほむほむまどか幸せ日常望んであの結界作ったんだもん。

んじゃこの手元にあるソウルジェムは……

 QB「それはね(中略)僕と契約してm」

もうなってるよ(貞操的な意味で)

2015-05-04

俺、親鸞共感しまくり。

 生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。

 世を苦行だと捉えるのが一般的仏教根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界から脱出意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすエリート意識

 しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。

 教義としてのオリジナリティ法然にあるのかもしれないが、親鸞事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。

 ここからは俺の独自解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。

 生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目しかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。


 結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。

 ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。

2014-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20140715173504

自性な意識は無いとか原始仏教が2500年前に言及してるので、ほんとにそうなら仏教時代になるんでは。

2011-08-10

お盆 葬式仏教 汚らわしい 坊主 故人のことをいつまでも考えていると故人が成仏出来なくて良くないのに 金を儲けるためだけに せっせと 各家を 回って 金を 乞食する 汚らわしい 坊主 葬式仏教 ハイエナ 死者に たかる 金の 亡者 汚らわしい 

故人を天国へ導く? は? 生きてる間に あの世が どんなところか 学ぼうと いうのが 仏教 原始仏教 の 姿勢なのに それを 釈迦の 死語 ねじまげて 金のために 教えを 捏造した 葬式拝金仏教 許さない 絶対にお前ら邪教のことは 許さない 金の亡者どもめ

 
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