2023-08-22

仕事の出来はその仕事に用いる能力のうち、最低のものを反映する

1年ほど前、施工管理仕事をしていた頃、なぜ仕事が上手く行かないか悩んだことがある。  

今になって、原因がはっきりした。

俺の性格のせいだ。  

能力自体は高いと自負している。言われたことはすぐに覚えるし、家に帰って復習だってした。自主的図面も描いた。

しか評価は高くない。それは当然だった。  

研修の際、会社の都合で日程が大幅に遅れてしまい、課題解決するのに皆相当な残業をする必要があった。

その際、俺は課題解決にかかる時間をなるべく短縮するようなマクロを組んだ。

数値さえ記入すればあとはマクロがやってくれる。  

それが良い事だと思っていた。

結果的に俺は同僚の学習の機会を奪った。

上司にそれを指摘された際には、どうせ短い期間で理解できるわけがないのだから、と自己正当化した。  

今ではそれが醜悪だと分かっている。

当時は自覚が無かった。

結果的には同僚の学習機会を失って、自分だけ学習したのだから差し引きでマイナスだったと、今では思う。

仕事の結果が俺の最低値、つまりコミュ力を反映したと言える。  

汎用性のある知識はここまでだ。  

あとは自分語りになる。  

職場でそれが自覚できた頃、同僚の皆と上司に謝った。

謝ると、皆それを許してくれて、応援までしてくれた。

俺はそれが怖かった。

から仕事を辞めた。  

俺は、謝られると、それを相手支配権を握るチャンスだと考えて、そのチャンスを破棄する。

のしたような事はしたくないからだ。

自分が謝った時、相手はどう思うだろう、と考える時、やはり相手自分支配権を握るチャンスだととらえているのだろうと考えてしまう。  

事実そうでないことは分かっている。

自分が屑だと、他の人間まで屑に見えてしまう。

謝った時、相手自分支配権を握ろうとして、優しくしてくれているのではないかと、そう思ってしまう。

謝った相手に敬意を抱くという事に共感できない。

自身、敬意を抱けないからだ。

終わっている。

蟲すら羨ましい、蟲は何も考えないからだ。

ももう、何も考えたくない。

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