はてなキーワード: 威力とは
私は会話が苦手だった。
この数年間、いろいろな本を読んだり実践をしたりして、それなりに会話に対する苦手意識はなくなった。
自分が会話に対して苦手意識を持っている原因を分析し、対策を立てた。
①何を話したらいいかわからない
②いつ終わらせたらいいのかわからない
これから会話をしようというとき、一体何を話したらいいのかわからないから不安になる。
相手の話の中からキーワードを見つけ、さらに自分の頭の中からキーワードを連想する。
このキーワードは、自分の体験に関するものが多い。それに、体験談はその人固有のものだからそれだけで相手にとって興味を引くものである。
だから、何を話したらいいかと憂うより、ひたすらいろんな体験をすることによって引き出しを増やしていく方がいいと思う。(旅行なんかは汎用性が高い)
相手が最近フランスに行ったということを聞いて、何年も前に自分も行ったことをドンドン思い出すことができた。結果、会話は盛り上がった。
このように、自分の話のコンテンツは相手が話すコンテンツに依存している。始まってみなければどんな会話になるかはわからない。
だから、とにかく相手の言ってることをよく聞くことに集中すればいい。このような意識を持ってから、話題に困ることはほぼなくなった。
ここで私がぶち当たった壁は、会話の起点をどうするかというものだった。
連想するにしても、まずは起点が必要だ。0から1を生み出すのは大変だ。
ここで初めて、会話本でよくいわれる「共通点」が威力を発揮した。
これは大きく、共通する「属性」と、共通する「体験」に分かれる。
特に、共通体験は超強力だ。「いやーお疲れー。あの〜〜は大変だったねー」なんて始めてしまえば、後は連想ゲームのレールに乗っかる。
共通属性は、共通体験がないときに威力を発揮する。まず、それを見つけるための質問をする。見つかれば掘り下げていけばいい。
いわゆる「きどにたてかけし衣食住」だが、中身を覚えるのが面倒くさいし、実際の会話では瞬発力が要求されるので、思い出してる暇もない。
私は、「連想」と「共通点」の二つだけを意識して、とにかく相手の話を聞くに集中した。あまり細かく枠を決めても、かえって話題の発想を制限してしまうと思う。
私は、会話の終わらせ方がわからなくて、このタイプの会話が非常に苦手だった。そのせいで、なるべく人とすれ違わないようにしていた。こんな自分が大嫌いだった。
立食パーティーなんかでも同じだった。
ここは、あらかじめ会話を終わらせるポイントを明確にしておくことで克服した。
大きく分けて、自分の都合で終わらせる場合と、相手の都合で終わらせる場合がある。
自分の都合は、予定がある場合が一番いい。「あ、そろそろ戻らなきゃいけないんで」とか。これは時間という明確な基準があるのでやりやすい。
ない場合は・・・でっち上げる。しかし、私は嘘をつくのが苦手だったので、あまりしなかった。その後の予定が全くないというケースはほとんどなかったし。
相手の都合とは、正に相手に予定がある場合。相手から言ってくれることもあるし、自分が知っていれば「そろそろ戻らなくて大丈夫?」とか聞けばいい。
相手も会話を終わらせたいが、言い出せないというケースもある。会話が苦手なのは自分だけじゃない。この場合は、相手の仕草に注目していれば発見できる。そわそわしていたり、時計を見始めたら、「そろそろ行きますか」とか言って切り上げればいい。
ここでとても重要なのが、会話を「広げるか」否かの判断だ。
会話を広げてしまうと、終わらせるに終わらせられなくなってしまう。会話が広がっているところで強制終了すると、お互いに後味が悪い。
会話を終わらせるポイントに近づいていることを察知したら、話題をたたんで収束に向かわせなければならない。
この辺は、今話してる話題がなんなのか、を意識することで判断できる。
アメトーークの「立ちトーク」の回では、下に話題の流れのテロップが出る。会話中にあんなイメージで話題を追うのだ。
話題をたたむ方法は簡単で、広げなければいい。相手が返す必要のない球を投げればいい。
最後に、よく言われることだが、相手に興味を持って会話を楽しむことを特に意識した。
会話中にストレスばかり感じていると、連想が全くうまくいかないということが多かった。「早く終わらないかなー」なんて考えてたら、相手の話すことも頭には入ってこない。
会話が楽しければ、いつ終わるか不安になることもない。終わってほしくないとすら思う。
会話本を読んで表面的なテクニックだけを知っても、全く前に進んでいないと思う。
つまり、人間が好きな人であれば誰でも会話に対する苦手意識を克服できると思う。ここが、仮性コミュ障と真性コミュ障の違いだろう。
警告。この話はうんこに関係する話です。他人のうんこ話に興味がない人は読まないでください。あと個人的見解と独断に満ちあふれています。
夜はホテルでシンポジウムのバンケットだった。それでフレンチを食べたのだが、自分はどうやらフレンチを食べたら腹痛を催す体質らしい。以前にも結婚式でのフレンチにより猛烈な腹痛に襲われたことがあった。しかしフレンチを食べるのが久しぶりだったせいでその記憶・恐怖が完全に忘れ去られていた。腹痛を体験しない人には想像できないだろうから、腹痛について説明する。世の中には2種類の腹痛がある。ひとつはただお腹が痛むだけで、寝てウンウン言ったり病院へ行くと治る。そしてもうひとつは腹が痛くなると同時に便意を催すものである。この場合は我々が取る手段はただひとつ「トイレに行け」である。この後者の腹痛は時と場合により人の人生を破壊する威力を持っている。例えるなら人体は原発でうんこは核燃料である。漏れでていない内は平和で快適な生活が送れるが、ひとたび然るべき場所で漏れでてしまうと、グラウンド・ゼロは不毛の土地となり周辺部は二度と振り返れない姿となる。このような恐ろしいものを人体は内蔵していることを覚えておいて欲しい。そして腹痛持ちは度々メルトダウンと戦っているのである。
続きを書く。バンケットが終わったが、電車の時間が近づいていたこともあり、複数の友人と駅まで小雨の中を走った。電車に乗った時、ピーンと来た。これは腹痛の種が育っていると。書き忘れていたが、自分は中学生の頃から腹痛と戦ってきた百戦錬磨の者である。腹痛に襲われたことは数あれど、メルトダウンしたことは数えるほどしかない。さて補足説明を行うと、腹痛の種とは腹が痛いというわけではないけどなんか違和感があり、いままでの豊富な経験によりヤバイ級の腹痛に育つ可能性がある腹部の違和感である。腹痛の種を感じることによりに腹痛との戦いがフェーズ0として始まる。ちなみにフェーズ1の腹痛とはお腹の痛みを覚え始めるころの腹痛である。この腹痛の種は適切に行動することで高確率で消散させることができる。例えば自分が得意とするのはクロスホールディングとリンパ促進法である。クロスホールディングは上体を屈めながら両脇に手を差し込み、お腹と脇の下のリンパ節を同時に暖める技である。この技からリンパ促進法につながると腹痛の種を消散させることができる。百戦錬磨の自分は今までリンパ促進法により数々の腹痛の種を消滅させており、今回も違わず種を散らすことに成功した。しかし過去の経験より、今回の腹痛は腹痛の種が消えたと言っても時を置かずにフェーズ1の腹痛として復活することは目に見えていた(一般に食事が原因の腹痛は種を散らしても復活する可能性が高い)。復活するまでの時間を経験の内から30分と見積もった。電車はあと15分で駅に着き、そこからはバスで15分の道のりである。
駅に着いた時には腹痛の種はなくなっていたが、腹の奥の痛みと共にフェーズ1に移行していた。ここでひとつ致命的な間違いを犯した。電車を降りてトイレに行くことを選択せず、腹痛を抑えられると判断してしまったのだ。たとえバスが30分に一度しかない、一緒に友人がいたなどの理由を考慮してもこの選択は最悪と言ってよかった。思い出してほしい、人間はうんこという核燃料を保持していて、メルトダウンにより人生を破壊される可能性があるのだと。たとえ過去に100個の腹痛の種のうちの1つだけしかフェーズ1に移ったことがなかったとしても、一度メルトダウンが発生すると次はないのだ。すなわちいくらメルトダウンの確率が低いと言っても一度メルトダウンが発生するとそのコストは無限大となるのだ。どんな理由があろうともトイレに行く選択をするべきであったのだ。
これは完全な偏見だが、腹痛の時、電車の中では便意は減退し、バスの中では逆に便意が促進する。これは電車の縦横への揺れが気を紛らわせる効果があり、バスの細かい縦揺れがうんこを押し出す効果があるのだと思う。そして今回自分の体は雨で湿っていて、電車の中の暖かい空気で保温されていたということを注記しておく。停車しているバスに乗って座席に座った時、腹痛は第2フェーズに入った。このフェーズは腹痛に加えて膀胱あたりにも圧迫感が現れ、肛門にだけに集中することができなくなるのだ。まさに前門の膀胱、後門の肛門。腹痛第2フェーズでは更に厄介なことに、気温変化および体表面へのストレスに対しての感応性が飛躍的に高まり、僅かな風や冷気を含む空気により猛烈な勢いで腹痛が悪化するのだ(腹痛で苦しんでいる人に水をかけたり扇風機を回したりしちゃだめだよ)。これらの条件のもとでは第0フェーズと第1フェーズで活躍するリンパ促進法でも改善は見込めない。リンパ促進法での回復量と同等な量を消費してしまうのだ。第2フェーズに突入してしまうと百戦錬磨の自分でも悪化しないことを祈ることしかできない(そもそもこのフェーズになる前にトイレにたどり着くべきである)。
まだバスが出発するまで1分ほどあったが、自分は動けなかった。動いたらもはや打つ手のない第3フェーズに突入してしまうかもという恐怖と計算ではぎりぎり間に合うという後ろ向きの思考が、バスを降りるという決断を妨げたのだ。バスが動き始めた瞬間、自分の過ちを知った。バスが動き始めた瞬間、腹痛が第3フェーズに突入したのだ。このフェーズでは刺すような膀胱の痛みと便意に加えて、細かな違和感がお腹の奥のほうで点滅する。この状態になると防戦一方となってしまう。三方向からまったくのランダム時間差攻撃をされると想像してほしい。こうなると反撃は叶わず、ひたすら消耗を最小限に抑えることが最適解になるのだ。つまり時間との戦いが始まる。
バスは停留所に止まることなく一路走行する。しかしすでに大勢は決しつつあった。到着10分前にして、第3フェーズの特徴ノッキングが始まっていたのである。ノッキングとは要するにアレの先端が\こんにちわ/する状態である。これは腹痛からの最終勧告であると同時に最終決戦の前の最後の安らぎである。一度ノッキングが起こるとそのあと数拍は腹痛が薄れる状態、すなわち死線を越えた状態となる。したがって自分のような百戦錬磨の者は死線を越えた状態をできるだけ長引かせるように、ぎりぎりまでノッキングを我慢してから一瞬開放し、そのあと弛緩して次のノッキングを遅らせるのである。しかしこの技術をもってしてもノッキングを克服することは不可能である。なぜならばノッキングの間隔は非線形に短くなるからである。間隔が十分に短くなると、腹痛を我慢しつつノッキングを我慢するというために、お腹と肛門を手で抑えるという見たままのスタイルを取らざるを得なくなる。
バス停に到着した時は、のぐその覚悟はできていた。隣の野原でしてしまおうと考えていたのだ。しかし当然ながら友人たちと同時に降りるのでその解決案は諦めねばならなかった。その代わり負けを認め、多少こぼれてもいいから最速でトイレに駆け込むべきだと決断した。我が心の語録にも「最善を捨てることによって最悪を避けるシステムに切り替わったのだ。」[数奇にして模型, 講談社文庫, p621] とある。決断を行ったことで気持ちの整理がついたので、荷物を友人に預け、体を軽くすると同時に抑えるところを抑えながら駆け出した。予想通り駆け出してすぐにノッキングが激しく、そして力強くなった。自分にはこの理由が分かる。トイレを利用しようとしたら一つしかないトイレの個室を占領している奴がいて、はじめはおとなしくノックしていたけど段々我慢の限界が近づくにつれ激しくノック否キックするようになるようなものだ。何度かパンツと肛門の接点が膨らむような感覚があったが、気にかけることなく奥義ツヨイ・オサエを信じて、エントランスを駆け抜けて、トイレの個室に滑り込んだ。
正念場であった。公衆便所を見てわかるように、便器の一歩手前でうんこを漏らす人は多い。これは便器の一歩手前もしくはズボンを下げた瞬間、集中力が途絶えてメルトダウンしてしまうからである。したがって個室にたどりつたとき真に重要なのは、集中力を途切らせることなく便器に座るまでの一連の動作を行うことである。経験がない人はそんなの無理だろ今までギリギリだったのに、と思うかもしれないが意外と達成可能である。これは全精神力を費やして驚異的な強度で肛門を閉じることで、だいたい10秒程度の最後の時間を得ることができるからである。自分も体験するまでは、ゲーム内の「全能力を消費して短時間強化→全能力ダウン」について、嘘々少しぐらい力が残ってだろうし全力を使うなんてねーと思っていた。しかしこの最後の時間を経験してからあの設定は意味があったのだとまさに実感したのである。おそらくゲームの開発者はうんこを漏らしそうになったことでこの設定を思いついたのであろう。なぜならばもし間に合わずに漏らしてしまったとすると、最後の時間に絶望して「こんな設定意味無いとみんな知っているだろう」と考え、設定は採用しないからである。最後の時間を発揮することでメルトダウンは回避できた。そしてノッキング、{ドライ,ウェット}ベントによる汚染を確認すべく膝の間のパンツを眺めたところ、汚染痕跡は発見できなかった。奥義ツヨイ・オサエは名に恥じぬ奥義であった。勝ちでもなく負けでもない今回は引き分けとする。個室には1時間居た。
最後に名も知らぬ女性に感謝を捧げる。彼女が完璧なタイミングでエントランスのオートロックを解除して外に出てきてくれなかったら、引き分けには持ち込めていなかった。ありがとうございました。
議論していて、とても板がみずらいので。
こちらをお借りします。
269 :(´ー`)y─┛~~ ◆UxQ8uxJMok:2014/05/31(土) 20:12:01.17 発信元:123.225.138.170
> 全てこちらの論証通りとさせていただくだけですので、
> 私としては問題ございません。
オマエが真似れば殺しに行くだけだからこっちも問題ない。
という訳で、上記のとおり、
下記論証で解決いたしました。
連番召還ではないですが、「場札を出す処理に連番の条件を要す」に該当。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
> 「場札を出す処理に連番の条件を要す」に該当。
との反論がありましたが、
連番とは
複数の番号が連続していること。また、その番号。
とのことですので、1に対する2、2に対する1も連番となります。
2つ以上の整数があれば成り立つ形式ですね。
何をですか?
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
こんな初歩的な質問が来るとは……侮っておりました。
基本的に、「デッキが0枚なら敗北する」というルールエフェクトも
「山札が尽きたときに自動誘発する効果」なのですが、多分聞き入れられませんので具体例を。
Laboratory Maniac / 研究室の偏執狂 (2)(青)
クリーチャー — 人間(Human) ウィザード(Wizard)
あなたのライブラリーにカードが無いときにあなたがカードを引く場合、代わりにあなたはこのゲームに勝利する。
2/2
万が一の保険
[部分編集]
OPERATION
O-73 青 1-3-0 R
CHARACTER(UNIT)
CH-S29 白 2-3-1 R
【(自動A):自軍本国が0枚になっても、自軍プレイヤーは敗北しない】
【(自動D):ターン終了時に自軍本国が0枚である場合、そのターンの終了直後、自軍プレイヤーの新たなターンを開始する。新たなターンの終了時、自軍プレイヤーは敗北する】
「山札がつきた際に自動誘発する効果」とやらを具体的に提示してみました。
破壊するって書いてある:それも含めての誘発効果です。「コストの支払い」は行われません。
速度と戦闘力は反比例しない、凄い速度は威力に等しいので前提が崩壊しています。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
すごい!超時空会話が出来ました!
まず、その「当該ゲームシステムについての記述」とやらを具体的に提示できねば反論として破綻。
手札の定義をしてください。
まさか、全てのゲームに手札があると思っているわけではないですよね?
私ですらゲームをつくる際には「このゲームは~~を手札とします」という定義を行います。
ちなみに「最初に選んだ手持ち札」という前提であれば、金色のガッシュベルTCGの魔本でやっています。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
デッキの1枚目と2枚目が手札になる仕様というだけで……「任意に選択できる」のですが。
あれ? なにか私分かり難いこと言いました……?
一応、ポケットモンスターカクメン列伝という、手札を全て任意に選べるものもありますから、
そういう方向性を話した方がよかったのですかね?
手札の定義をしてください。
ボードゲームとかでは、場にある3枚のカードから好きなのを手札に移していいよ、とか良くありますね。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:40:05.89 ID:mGswB6A1
の記載にて反論が認められませんでした。
優先権は元々細分化されているので、そもそも論理が成り立っていないかと……。
ttp://mtgwiki.com/wiki/%E5%84%AA%E5%85%88%E6%A8%A9
ちなみに、この項目がTCGに限っていないので、TRPGやウォーゲームなどでは乱戦処理などで
「標的を指定できない限定的な行使の権利」や遠距離攻撃の一方的に「標的を指定する権利」がありますね。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
↑パクリの兆候を感じた段階で、裏取りせず下記の警告文が送られ、そのトレーディング・カード・ゲーム制作者は~。
↑実物カードゲームhttp://ai.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1395426290/の~。 カードゲームに限定ね。 ほぃ、論破完了ww
すごい行間を読むと、確かにそうなっているみたいですね、難しいですが。
上記優先権に関しての記載にて反論が認められませんでした。
遊技王の優先権の処理は必然的にこうなるようになってませんでしたか?
ttp://yugioh-wiki.net/index.php?%CD%A5%C0%E8%B8%A2=
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
それであれば、「特に本校に記載されている"特別な許諾行為"を行わずとも"当該行為と同様の処理は行うことができる"」ということですね。
特許権にあります「有用な発明」項目の独自性に含まれないため、特許権としての効力を失います。
もし、「相手に干渉しない場合の行動は続けられる」という場合では他カードゲームよりも優位性はないので、
「有用な発明」項目の独自性に含まれないため、特許権としての効力を失います。
その昔、実際のTCGとして出たアルテイルにはAgi(素早さ)の処理がありました。
どちらのターンであれAgi順に優先権が決定していたと思います。
◆UxQ8uxJMok :2014/05/30(金) 23:39:14.66 ID:mGswB6A1
> 「クルセイド」には
攻撃順序の判定ではありません、上記に記載した通り「優先権」を得ます。
「移動、待機、スキル使用、攻撃の判定を能動的に宣言できるタイミング」である「優先権」を得ることが出来るのです。
中学校にあがったとき、クラスに同じ小学校からきた子があまりいなかった。
入学してすぐ、座席は名簿順。仮名ではあるが、増田という名字の自分はクラスの後ろから二番目だった。
そして私の前は、西村さん(仮)という同じ小学校から上がってきた子だ。
西村さんとは、同じ小学校とはいっても、まともに会話をしたことがなかった。
6年生の頃同じクラスだったような気がするけど、今にして思えばそれもおぼろげだ。
私は小学生の頃、3,4年生のときに同じクラスだった子とずっと仲良くしていて、クラスが別々になった5,6年生の頃もその子達とばっかり遊んでいたからだ。
そして件の西村さんはいわゆる「いじめられっ子」だった。ような気がする。
多分、アトピーだったんだと思う。肌が荒れていて、膿んでいることもあり、多くの人達は西村さんを避けていた。
遠巻きに、ヒソヒソと「臭い」とか「気持ち悪い」とか、「あいつの頭、シラミいるぜ!」とかいってる男子もいた。
だから西村さんは、いつもオドオドしてビクビクして、決して自分から誰かに話しかけようとしなかった。
ペアを組む時だって絶対さいごひとりであぶれてた。
殴ったり蹴ったり、そういう肉体的ないじめはなかったけど、あれは確かにいじめだったと今にして思う。
私は西村さんとほとんど喋ったことがなかったけど、それは西村さんに限ったことじゃなく、あの6年生のクラス内では半分くらい喋ったことがない人がいたように思う。
それは多分、すでにできあがっていた友人関係に割って入るのが面倒くさかったからだ。
中学校1年生のそのクラスに、気心の知れた相手はひとりも居なかった。
3校程度の小学校から集まっているので、クラスの3分の1は同じ小学校から上がってきているはずなのだが、仲がよかった相手とはクラスが別れていた。
そんな中で唯一同じ小学校の同じ6年生のクラス出身だった西村さん。
違う小学校から上がってきたひとたちとイチからがんばって仲良くなってお友達がんがん作るぞ!というのはどうにも面倒くさくて、だから始業式の日に、西村さんに「また同じクラスになったね〜」と気安く声をかけた。
その時、ものすごいびっくりした顔をされたことを覚えている。
そりゃあ今までまともに話したことない相手から、そんなふうに話しかけられたら私だってびっくりすると思う。
でも当時、本当に面倒くさかったんだよ。「はじめまして!」からはじめるのが。
出席番号が後ろの方だから座席も窓際だから、教室のハジに追いやられてて、その場所から教室のなかほどに突入していくのも面倒だったし。
というわけで私は西村さんに物凄く気安く声をかけた。席順のおかげで班も一緒だったし。
私は母親が地域のママさんバレーをやっていたこともあって、中学校ではバレー部に入ろうと思ってた。
でもクラスの皆さんが「部活何はいる?」「私バスケ!」「えー、バドミントン部行こうよ〜」なんてワイワイキャッキャしてるのを横目に、ひとりでサッとバレー部に入りに行くのもなんとなく癪だった。
友達を作るのが面倒くさいなんていいつつ、私も友達とキャッキャしていたかったんだろうね、本当は。
その頃には私の後ろの座席の三田さん(仮)とも同じ班だから仲良くなってたけど、彼女は若干不良じみていて、部活なんか入んねーし、と言っていた。
西村さんに「部活きめた?」と聞くと、まだちょっとオドオドが抜けないものの「決めてない」と言う。
私はそんな西村さんを「じゃあ一緒にバレー部入ろうよ!」と言って、物凄く強引に一緒にバレー部に入部した。
運動神経があまり良くないことも、だからあまり運動好きじゃなさそうなのも知ってたけど、とにかく私はひとりでバレー部に入るのが嫌で、西村さんを道連れにした。
大人しい性格の西村さんは私に逆らうこともできず、嫌ともいえず、それでも「でも……」と言うから、「じゃあ仮入部でいいじゃん。とにかく一緒にいこうよ、一緒に部活やりたいよ」とズルいことを言ったのを覚えている。
あなたと一緒に部活をやりたい、という言葉は、小学生の頃ずっと独りぼっちだった西村さんにとって、どんな威力を持っていたんだろう。
とにかく西村さんは私に引きずられるようにバレー部に入って、結局3年生になって引退するまでずっとやめないでいた。
私たちの学年でバレー部に入ったのが、私と西村さんを含めて4人だけだったから、結束が強かったのも理由のひとつかも知れない。
私は西村さんのことを、1年生の5月くらいから「西村さん」ではなく下の名前をとって「なっちゃん」と呼ぶようになった。西村さん、と呼ぶのが面倒くさかったからだ。
西村さん改めなっちゃんは、徐々に性格が明るくなっていった。部活中に顧問に怒られたりすると、やっぱりオドオドした態度になるけど、そうじゃない限りはよく笑うし、冗談も言う。
小学生の頃にすごく汚かったような気がする肌も、そういえば中学生になってから(というか私が一方的に馴れ馴れしく話しかけた頃から?)気にならなかった。
授業中にくだらない手紙をまわしたり、同じ班の男子も含めて遊びにいったりした。
多分それらは全部、なっちゃんが小学生の頃にはやったことのないことだったんじゃないかと思う。
なっちゃんとは2年生でクラスが別れて、でも3年生でまた同じクラスになった。
高校は別の所に行ったけど、高校1年生の終わり頃、中学校のバレー部、後輩達の最後の試合(3年生は7月頃の大会が終ったら引退するけど、その後3月にある「3年生さよなら大会」的なものに出るのがならわしだった)に応援に行っては一緒になって後輩達を応援してハシャいだりしてた。
結局なっちゃんは、高校2年生の頃に病気をして1年休学し、ひとつ下の子達と同級生になったらしい。
けど、その頃すでにすっかり明るくなってたなっちゃんは、そんな境遇もまったく気にしてないようだった。
その時彼女は、幼稚園か保育園の先生になるんだ、といって専門学校に行っていると言っていた。
そんなふうにしてお互い近況を話しあって、「元気でよかったよ〜」「またね〜」なんて言い合って別れたのだけど、結局なっちゃんに会ったのはそれが最後だ。
それから数年後、なっちゃんは引っ越したらしい。だから地元で行われた成人式になっちゃんは来ていなかった。
中学校1年生の頃から成人するまで、私はたいして深くなっちゃんのことを考えたことがなかった。
最近、年をとったせいだろうか、昔仲良かったあの子は元気かな、と思うことがたまにある。
それは小学生の頃仲良かった子達であったり、中学生の頃一緒に部活に打ち込んだ仲間であったり。
そうやって思い出してみた時、小学生の頃、あんなにオドオドしてビクつきながら過ごしていた西村さんが、まるで人が変わったように明るくなったことにようやく気付いた。
まるで別人みたいだよねって。
私は別にいじめられてた彼女を可哀想に思ったから構いにいった訳じゃない。
ただただ、知らない人達の輪に入っていくのがひたすら面倒くさくて、ちょっとでも楽な手段で、それなりに楽しく過ごしたかっただけだ。
そんな自分本位な考えと行動だったけど、もしかしたらそれが彼女の人生を変えたのかもしれない。と、そんなことをふと考えた。
自慰が好きだ。
愛用の電マは使いすぎて白かったプラスチックが黄ばんできてしまった。
だいたい3年くらい使うと黄ばむ。
強弱があって、強のほうはめったに使わない。
使うときは、生理中どうしてもムラムラしてしまってナプキン越しに使うときだけだ。
弱で早いと1分たたずにイく。
イけないときは15分くらい当てていてもイけない。
私は膣ではイけないので、陰核を主に刺激する。
陰核を主に刺激するとき、下着と陰毛と皮があるので陰毛の処理(陰核周辺を短く刈りこんでおく)を怠ると感度が鈍る。
面倒になるとパイパンにするときもあるが、生えかけのチクチクが嫌いなので最近はやらない。
カミソリを使用したパイパンにすると、生えかけのときに下着にとても引っかかる。
下着が酷く痛むのも、最近やらない理由の一つだ。
短く刈りこんでおくと「舐めやすい」とか喜ぶ男がいるが、自慰のためである。
自慰がしたいので、毛の処理をする。
なかなかイけないときは「2回イったら挿れてあげるね」と言われた、と妄想する。
そうすると早くイける。
好きな人のシャツなどがあるとき、それの匂いを嗅ぎながらすることもあるが、なかなか集中出来なかった。
アダルトビデオを見ながら、というのも集中出来ず、私には合わなかった。
アダルトビデオを見たあとに、余韻に浸りつつ妄想する、というスタイルは比較的好きだ。
全身を見るのではなく、角度のつくメイク用の鏡(15cm×12cmくらいのもの)を足と足の間に立てる。
そのときはローターを使うが、200円のローターは非常に断線しやすいのでどうしても見ながらしたいときは電マをアルコール消毒してから使う。
黒ずんだ大陰唇を開くと、ピンク色のヌラヌラした内蔵が見える。
小陰唇を引っ張りあげて陰核を出してから、ローターを当てると体がビクッとする。
その拍子に足が動いて鏡が倒れて自分の顔が見えてしまったときはあっという間に気分が萎える。
陰核に直接当てると刺激が強すぎるので、陰核と小陰唇の付け根か陰核と尿道の間あたりを刺激する。
ここだけの話だが、女性で自分の尿道の位置をきちんと把握している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は自分のマンコを誰よりもよく見ていると思うが、尿道の位置がいまいちわからない。
最も、よく見るときはヌラヌラしているから隠れているのかもしれない。
それと、いつも右手に電マを持って、右側から当てることがおおいので、大陰唇が肥大してしまっているのがわかる。
女性が自慰をするときは、左右両方からバランスよく刺激を加えた方がいいと思う。
鏡を見ていると、透明な液体に混ざって、卵のカラザのような白いものがドロっと奥からでてくる。
これがいわゆる本気汁というやつらしい。
これが出てくると、私はまた気分が少し萎える。
こんなものが出てくるマンコを、男性はよく舐める事が出来るな、と思ってしまうからだ。
イくときは、足の先が少し冷たくなって、膣口(というのかな?)がゆっくり開いたり開いたりしだす。
ほんの短い間に「あ、イきそう」「イく」「イった」が訪れるときは、急に開閉する。
最近まで、何かを挿入しているとイきにくかったのだが、自分の指を入れてみたら締め付けと緩みが交互に訪れて、指を奥から手前に撫でられているようだった。
ネコの舌がもう少しソフトになったような内側だったので、もしこれが「数の子天井」というものなら嬉しく思う。
しばらく(30秒ほど)横にはなっているが、すぐ起き上がって電マのプラグを引き抜き、電マの頭部分をアルコールティッシュで拭いて片付ける。
股間がビショビショに濡れている感じがあるときは、ティッシュで拭き取る。
男性が私の股間を拭いてくれるとき、こんなにやさしく拭かれても愛液が拭き取れないだろう、と懸念してしまう。
女性は自分の女性器男性が思うよりもずっと乱暴に扱っているのではないか、と思う。
股間が濡れている感覚のほかに、放尿したいような欲求がある。
これはトイレに行ってしばらく便座に座っているとチョロチョロとでてくる。
一度、この液体は潮ではないか、と思い観察したことがあるが、尿のように黄色ではなかったのできっと潮なのだと思う。
10代の終わり頃は膣口が開閉したあとも陰核を刺激し続けると勢い良く潮を噴いたものだが、加齢とともに噴き上げることがなくなった。
というよりは、片付けが大変なので(臭くはないが、ベッドがオネショをしたように広範囲に濡れてしまうので)潮を噴きそうになったら手を止めていたら自然と潮を噴けなくなってしまった。
訓練をすればまた潮を噴くことが出来るようになると思うが、後片付けが大変なので訓練するつもりはない。
自慰と性交渉の違いだが、男性が「彼女とのセックスと風俗は別」「セックスとオナニーは別」という気持ちを持つように、私も別物だと思っている。
同棲していたころ、求められても面倒で、乳に触れようとする手を払いのけていた。
彼が横で寝息を立て始めるとそっと起きだして、隣の部屋で電マで自慰をしていた。
電マは音が大きいので、ローターを布団の中に持ち込んで自慰をしたこともある。
彼に見つかったことはない。
申し訳ないと思う気持ちもあるが、性交渉ではイけないので仕方がないとも思う。
また、長年触れてきた自分の女性器なので、どのあたりが気持ちのよいポイントなのかすぐ分かることも大きい。
彼とのセックスは結局、彼の射精が終着点のため、布団の中で自慰をするに至った。
つらつらと書いてしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
追記
私が主体的に動くと、「イっていい?」「イきそう」と3分程度で言われてしまいます。
というより、挿入に至ると、今までの男性のほぼすべて(両手に欠ける程度です)がちょっと腰を振っただけで「イっていい?」と聞いてくるのです。
バカかと思います。
時間をかけてしてほしい、と希望を出すと、非常にゆっくり動きます。
私は激しく突かれるほうが好きなので、そのようにしてもらうと、こちらが20%も満足していないうちに「イっていい?」と言われます。
ならば、と前戯に時間を掛けてもらうと、こちらが乾いてしまったり、相手が勃たなかったりします。
前戯ですが、自分の女性器を鏡で見ているので「こんなにグロくて臭い(と、私は思いますが、薄い塩味だそうです)女性器を舐めてもらうのは忍びない」と思い拒絶してしまうのです。
だったら回数をこなしてもらおうと思うと、だいたいが3回で限度、1日じゅう14回ほどしたことがありますが、こちらの女性器が悲鳴をあげました。
自慰のほうが楽ですし、最近は挿入する、というよりも裸で抱き合って眠りたい欲のほうが強いです。
前述の彼とは性生活も含めてすれ違いが多くお別れしてしまいました。
私の愛用している電マは、アダルトビデオにもよく登場しているスライヴのハンディーマッサージャー MD-01です。
長くたくさんの人に愛されているだけあって、とても長持ちです。
私は使用後は除菌シートで頭部分を拭いて、分厚いバスタオルに包んで棚にしまっています。
こちらは購入からすでに6年近く経っていますが、本体の白い部分が黄ばんでしまった以外は威力が落ちることや頭部分が歪むこともなく元気に震えています。
本当は海外で評判の高いナショナル製のハンディーマッサージャーがほしいのですが、変電器を使用しなければいけないようなので諦めました。
で?
正しい反応だと思います。
私も今朝これを読み返して「で?」と思いました。
おっさんが書いたことにされたのがどうしても嫌だったのか、筆者(デブす)が自らブコメして1番スター集めている。なんと恥ずかしい。
自分で自分のエントリをわざわざブクマしなくてもIDの日記をクリックすればいつでも読めますのでそんな酔狂なことは致しません。
陰毛の処理をしないと感じないほど電マは微弱じゃねーぞオッサン
微弱でないからこそ、陰毛という硬いものが陰核とこすれると気持ちよさより痛みや不快感があります。
ゆえに、陰核周りの毛は除去しなければなりません。
下着越しの刺激なので、まず下着のザラザラ(これは濡れれば解消されてくる)、下着と陰毛の摩擦、陰毛と陰核上の皮の摩擦があります。
きちんと陰毛を処理しないで振動を与えるということは、激しい言い方をすると電気サンダーで自慰をしているようなものです。
ちなみに、男性ですと長すぎる陰毛が皮に巻き込まれて痛い、という事態があると思いますが、女性も同じように長過ぎる陰毛(特に陰核周りのもの)は巻き込まれる場合があります。
一点集中ですが、細かく角度を変えているため、下着・大陰唇・小陰唇・陰核周りのいずれかの皮に挟まって不快感がある場合もあります。
男性もクンニをするとき、陰毛を避けますよね?陰核を陰毛ごと舐める人はあまり居ないと思います(少なくとも私はそういった方に出会ったことはありません。陰毛まとめてを美味しそうに吸ったりしている人は見ました)。
人をオッサン呼ばわりするのは勝手ですが、陰毛の処理は大事です。
さわやかな日曜日の朝、香ばしいコーヒーのにおいに導かれて、寝起きのぼくはママに挨拶しにいこうとしたけれども、
その前にパパを起こしてあげなきゃと思って、「パパおはよう!」って元気に寝室のドアを開けた。
「おいおい、今日は日曜日だよ」と、ねむたそうに言うパパは、きのうまで働きっぱなしだったから、疲れているのはむりもない。
パパのボールはとっても速くて、バットのスイングも力強いから、ぼくの最高の練習パートナーなんだ。
「ねえねえ、公園に行こうよ、起きて起きて!ママがコーヒーを淹れて待ってるよ」
「勘弁してくれよ。もっと寝かせてくれ」
ぼくはがっくりして、いったん寝室を出ようとするものの、ドアをにぎる瞬間にひらめいた。
よーし、ベッドで暴れちゃえ!
その日の夜、ぼくが部屋で読書をしていると、ママがノックした。
「パパのボールはつぶれて、バットは折れちゃったんだって。ママ、今からお見舞いに行ってくるね」
ああ、もうパパとは野球ができないんだって思ったら、急に泣きそうになったけれど、ぐっとこらえて、
「ぼくも行く」と言う。
「だめよ、あなたはお留守番していなさい。ごはんは作っておいたから、食べて待ってて。なるべく遅くならないようにするね」
夕飯の野菜炒めはすこししょっぱかった。
ランプの明かりがほのかに照らす薄気味わるい部屋の中で、自分の咀嚼する音を聞きながらちょこんと座っていると、
にわかに朝の記憶がよみがえってきて、きょう初めての涙がほろほろ流れた。
「お前もいずれは立派な大人になるんだぞ。パパはいつでもお前のそばにいる。」
いつかパパの言った言葉が頭をかすめる。
パパのようなかっこいい大人になりたいのに。
なんで置いていっちゃうの。
ぼくは、パパともういちど野球がしたい。
ママからの電話は、のこった野菜炒めの皿を冷蔵庫の中に入れようとするときに鳴った。
「入院中、DVDを見たいってパパが言うから、わるいんだけど、あなたパパの書斎から探して持ってこられる?」
荷物であふれるパパの書斎を探っていると、見慣れないパッケージのDVDが目にとまる。
"豹変"ってなんて読むんだろう。これを持って行って、パパに聞いてみよう。
そう思ったときだった。
ぼくのボールとバットは、みるみるうちに大変化を起こし、大人の階段を一気にかけ上ったのだ。
その瞬間、ぼくはすべてを悟った気がして、パパに申し訳ない気持ちになった。
やる気のない人にやる気を出させるとき、精神論はひどく傲慢になることがある。
ポジティブな気持ちの押し付けは無理解を生むために、フラストレーションの原因となる。
当然クリエイティビティは下がる。
だから嫌いだった。
属人性を仕組み化でなんとかしようとしてきた。
けど、仕組み化でなんとかしようとするのは結局人を見ていないことになるのかな、って思った。
あと、そうして得たやる気って全然持たない。せいぜい3日。プロジェクトを無理して終わらせて燃え尽きる。それは決して幸せなことではない。とは思う。そんなんだから皆鬱になって手首きるんだろうって思う。
精神論が蔓延るのは即効性があるからだ。人間は、結構タフで、ムリをすればムリが通ってしまう。一時的には物凄い威力を発揮する。それが精神論だ、と僕は思う。
ただ、僕にはもう上手くやる方法が見つからない。僕の考える理想の創作環境は甘えに満ちたなんとも情けないものだったのかもしれない。人を見てなかった。苦しい、今までやってきたことは、無駄だった。
ただの愚痴
ネトウヨに始まり軍国主義、極右、排外主義、差別主義、歴史修正主義、ファシスト、ヘイトスピーチ、反知性主義。
いろんな言葉を持ってきては散々ネトウヨなる仮想敵に文句言ってるが、要約すると『お前ら頭悪すぎてマジでどうしようもねーな、何でこの程度のこともわからんの?』と苛立たれてるご様子。現にそう言う言葉をそのまま見かけることが日常茶飯事だ。
そしてそういう言葉を裏返して見ればつまりは自分達の事は平和主義で反差別で反ファシズムで人権を尊重していて頭が良くて正しい歴史を認識出来ていると自負していると言うことになる。
そして彼等自身の看板として実際にそういうプラカードも目にする。
一人の人間としてよくもそれだけ恥ずかしい自負を出来るもんだと素で思う。
特に歴史なんて簡単にひっくり返るものだ。歴史を疑わない歴史学者はいない。疑わないのはただ歴史を利用したいだけの政治家か宗教家だ。
また少なくとも前述の文句からすればとても彼等がネトウヨなる人達の人権を尊重出来てるとはとても思えない。
現にヘイトスピーチやらやってる人間に人権などないという意見も見たことがある。
ぶっちゃけそう言う自分の正義、その完璧さを疑わない人間性において彼らは石原慎太郎を始めとする自分を疑わない老害と大差ないと感じている。
要はただの選民思想で、自分と波長の合う人間を頭が良いと選んでるに過ぎない。
本当に頭が良いのならもっと上手く他人の説得に務めて欲しい。
少なくとも頭が悪いと苛立って当たり散らしているのでは敵を作るだけで何の得にもならない。
そんな手段、平和主義どころの話ではない。
とりあえずレッテル張り、と言うか言葉のイメージに頼るのは止めませんか?
ずっと思ってきたけれど、言葉に頼る人達はそのイメージばかり先行させて物事を語り過ぎていて、実態が伴っていないので信用も信頼も失い、仕舞いには言葉自体の質も落ち、その看板としていた言葉の威力が衰えると別の言葉を看板に挿げ替えて行くだけという節操のなさが見て取れて、ただただ愚かしく見えるので。
例えば中国が近年の日本を軍国主義の復活と煽ったり、それに乗っかって日本を批判してるのとか。
現在進行形で言論統制の上に領土侵犯してる国が70年近く不戦を貫いていてる国にそんなこと言ったところで説得力は国際的にも皆無。
また例えばネトウヨなるものに貼られてきたレッテルの変遷とか。
ブームかと思うくらい、次々と新しいレッテルが一定の時期に集中して貼られては変わって行く。
最近は歴史修正主義者が若干下火で、ファシスト、ヘイトスピーチ辺りが流行りだと思うが、どこをどう指してファシストなのか、そもそも反ファシストを掲げる人々が一人でも政治犯やらで捕まったり弾圧にあったということがあったのか。逆にファシズムや歴史修正主義と言うネガティブなイメージを与えて一部の主義主張を消し去ろうとする動向はよく見るが。
またヘイトスピーチと言うのも中国人、韓国人だからと罵声、罵倒を浴びせているならわかるが、とてもその限りとは言えない。
逆に平和団体やら人権団体と言う看板は胡散臭すぎて近寄り難かったり、そのグレードダウンした市民団体と言う言葉も今や普通に文字通り受け取って警戒心を緩める人は少ない。
もちろん中には本当にそういう志のある団体もあるのだろうけど。
まあともかく、現政権を批判するにしろ一部主義主張を批判するにしろ虎の威を借る狐とならず、もっと実態に基づいて批判したり説得力を重視して欲しいと思う。
実態を伴わないのに言葉だけで語るのは嘘も百回言えば何とやらで、事実、主義主張に反する人達をネトウヨと罵倒するだけで何の進展も説得もなく今日まで来た。
ここらへんでおれもMacの昔話を書いてみよう。
おれが最初にMacintoshに触ったのは、91年の4月だった。配属された研究室にMacintosh IIsiがあったのだ。OSは、漢字talk6.0.7.1だったように思う。
このころのソフトウェアに対するユーザーの意識はひどいもので、不法コピーがあたりまえだった。今だから、そして、おそらくどの研究室なのかばれないと思うから書くが、使用するソフトはすべて出所の怪しいものだった。
エクセル、マックライトII (Iを使っていたという話を聞いたことがない。マイナーだったのだろうか)、マックドロー、クリケットグラフ。コピーでなかったのはテキストエディタと端末ソフトだけだったのではないか。
その使い勝手はとにかくすばらしかった。マックライトIIの威力は、学会の要旨(一段組と二段組が混在すると当時の一太郎ではプレビューしないとま出来栄えがわからなかった。WYSIWYGという概念がなかったのだ)を書くときに思い知った。
それに貼る図は、クリケットグラフで書き、マックドローで修整してから貼り付けていた。これがほんの一年前には、一太郎で書いた要旨に手書きの図を貼り付けていたという。物理的にセロテープで貼っていたのである。
…だが、それでどのくらい時間の短縮になったかというと、実はかなり微妙だった。そう、爆弾マークが出るからである。
当時は何をやっても爆弾マークが出た。日本語入力と英語を切り替えても出たし、ソフトを切り替えるときも出た。放置しているだけでも出た。ひどい時は、セーブしようとしたら出たときもあった。いったいどうしろというのか。
使い始めてすぐ、漢字Talk7が発表になった。なんだかもっさりして、爆弾が出る比率もそんなに替わらない印象があったが、漢字Talk7.1に糸井重里がつけた愛称「おにぎり」はあまりにださすぎるので今でも忘れられない。そんな名前で呼んでるやつ一人も見たことないよ。
それとほぼ時期を同じくしてMacintosh classicやLCが販売されるようになった。classicは1000ドルパソコンといわれ、貧乏学生のおれも思わず買ってしまおうかと錯乱するほどの魅力的な商品だった。もっとも日本では二十万円台後半だったように記憶している。
LC系やclassicは順当に性能向上を繰り返していたが、ハイエンドはひどいもので、92年にはCDーROMを搭載したMacintosh IIviというモデルを発表しているが、これはなんとMac IIciよりCPUのクロック数が低く、CDーROM(当時はまだ使い道がなかった)を搭載したため無駄に馬鹿でかく、もちろん定価もすごく高いというしろものだった。
「これを買うくらいならLC系を買うよねー」という人がおおかったのかMacintosh IIviは売れなかったので、数か月して価格が改定されたらしい。らしい、というのはそのころパワーマックの噂が出始めて、68系のハイエンドマシンへの需要はかなり減少していたのでおれの記憶もあやふやなのである。
そして94年になると、いよいよパワーマックが発売されるのだが、これがまた遅い、高い、馬鹿でかいという端にも棒にもかからない代物であった。
その他にもレーザーライターNTX-Jがなんと定価120万円で発売されていたり、フォント関係のライセンスのひどさはちょっと混沌としていすぎていた。
まあ、色々と書きたいことはあるのだがおれはおじさんであるのでここらへんが体力の限界だ。
誰か有志がおれのあとを継いでアップルのこっちの足元を見たぼったくり体制を批判してくれ。
それではおやすみなさい。
増田の親御さんは、自分の外側を覆う殻ばかりを強化させて、内面の軸がない人だったんだろうね。
親御さんは躾のつもりだったんだろうけど、実際は、自分が正しいと思っている生き方を、子供にやらせることで、自分の人生は正しい、自分は間違っていないということを確認したかっただけのように思える。
この場合、子供は親の自己確認のための道具でしかない。子供が将来自立して生きていくための「躾」と、親の自己確認のための道具にさせられることとは違う。
今は、自分の好きなようにして、自分を満足させてあげれば良いよ。感情は大事。
「自分がなんなのかよく分からない状態」の人は、社会的善悪や正不正の『基準』を強烈に求めるようになる。自分の考えがないから、意見がない。だから『世間体』や『常識』で自分の言葉を語らなきゃいけなくなる。『世間体』と『常識』に基づく「正義」は一時的には圧倒的な力を持っているから、それを基準にして生きてる者にとっては、最大の威力となる。そういう人は、「世間体」や「常識」が実は実体がなくてふやけたようなものだという意識は全くない。むしろ絶対に全人類がひれ伏さなければならないモノだと思っているから、使用の仕方も相当に横暴である。
アダルトチルドレンは、自己が確立していないため、「他人は、他人。自分は自分。」という当たり前の区別ができないことがあります。
特に、我が子の場合は、独立した人間としてではなく、我が物のように考える傾向があります。
しかし、自分の本心が見えないため、我が子を自分のモノ扱いにしていることに気がつきません。
自分と子供の間の区別ができないと、自分がやらなくてはいけないと思い込んでいる、良い人を演じなければならないという強迫観念をも子供に押し付けます。
決して子供のためにと思ってしている行動ではないのですが、第三者からみると、教育熱心か、過保護にしか見えないので、子供が苦しんでいても、なかなか、その苦しみが他人には理解されません。
http://getlife.hateblo.jp/entry/2014/02/06/030300
こういう無知なおっさんが居るから、日本のIT業には魅力がないのだよなぁ、という印象
自分はプログラマというよりは、どちらかというと研究で飯を食ってる非SIのエンジニア
このブログの著者のおっさんが言うところの、プラスアルファは手に入れてる側ではあるんでしょう
普通のプログラマであることでは、差別化が出来ないと考えたからこそ様々な挑戦を繰り返し
基本的には、実装スキルのない人間の設計などはものの役に立たない、という所は同意して貰えるだろうけど
逆に、コーディング以外の技術、例えば無知なおっさんが例にだしてるデータサイエンティストであれば
統計だの機械学習の学術的な知識、体系だって勉強してきた数学力がなければ、まともな設計はできない。
各アルゴリズムがどんな計算をしていて、どの程度の計算量を要求し、どの程度の資源を求めるか、誤差はどうか、
負荷はスケールアウト出来るのか、他にいい手法は存在しないか、といった知識は一朝一夕には手に入らない
実際のコードをイメージしながら、各モジュール群を適切に設計し運用するには、どちらかでは不足がある
つまりコーディングスキルを含めた言語などの道具への理解と、それを使った技術力、そして経験は不可分のもので
揃ってやっと1人前の”プログラマ”と呼べる。そういう人間だからこそ、高給取りになれる。
プログラマ=コーダという認識は、プログラマという職業や技術を軽視しすぎている人間に見られる
結局のところ、プログラムを書く人(=コーダ)ではなく、プログラムを使ってビジネスが出来る人(≠コーダ)が生き残るって面では日米大差ありません。
ちっちゃい商売で食えてることがこの人の自慢なんだろうけど、これこそが日本のSierがゴミな理由だ
世の中にどんな技術があり、どんな研究が進んでいて、何が出来て、何が出来ていないのか?
それを知らない人間が良くこういうことを言う、顧客のニーズを汲み取れるだけでビジネス(笑)が生まれるとかないでしょ
例をあげると、海外ではCADのソフトの研究開発は盛んだけど、もう国内では殆ど生き残ってない。
国内には世界的な自動車メーカーがあれほどあるにも関わらず、CADソフトは国内には著名なソフトがない
こういう例には枚挙にいとまがない。日本のゲーム企業は世界的だがそこで使われている、ツールやらレンダラは海外製だし
SIerお得意のビジネス(笑)を生み出す、クラウド、分散コンピューティング関係でも、OpenMPIなど海外製だ
GitもMercurialも海外で生まれているし、OpenCVを初めとした画像認識ソフトやその技術も海外で生まれている
カメラによる画像認識で車や人を判断してブレーキする車は日本で作られるが、その根幹を為すアルゴリズムは
海外の研究者やらエンジニアが作っている訳だ。広大の栗田先生など一部例外はあるけれど。
それぞれ、SIerが言うビジネス(笑)なんか比較にならないほどの市場規模を持っているのに、それらを無視してビジネスとはなんだろうか?w
電機・機械系では、研究開発が盛んで、技術と儲けることは不可分なのに、IT業界だけはどういうわけか
ビジネスとは技術を何一つしらない無知なおっさんが作るものであるらしい
本物のプログラマにとっては、全く魅力がない、そんな業界な訳だ
お客からしたら技術の中身なんかぶっちゃけどうでもいいんです。JAVA で書こうが、Cで書こうが、COBOLで書こうが、そこに価値の本質はないから。
道具というのは、それを適切に選択して使ってこそ価値がある。
フランスではOCAMLが普及しているが、なぜだか考えたことがあるか?
何を選択すればコストが抑えられるかをすら考えたことすらない
言語なんかなんでも一緒?w
なるほど、鋸でなくともノミでも木は切れるだろうなw
切断面の美しさやかかった時間などは客には関係ない、切れてさえいればいいかw
お客にとっては技術などは確かにどうでもいい、しかし、それを上回る製品がないという前提だ
どうやって世界と伍して戦う?
どうやって他の製品を上回る?
微々たる使い勝手の差などは、技術力の差の前では圧倒的に無力だということは
データベースはオラクルだのSQLに依存し、製品ではSAPなどに完敗を喫し続けているSIerこそ理解すべきだろう
本当にビジネスを作る、というのが、技術と不可分なのは言うまでもない。
もちろん、その技術にはコーディングスキルも含まれている、という当たり前の話です。
オッサン論法でいけば、SIerがサービスとして提供するものと、同一の機能を持った製品との間の明確な区分など
客には存在しない。どっちのほうが凄くて安いか、だ。
そんで、もう、そういう勝負に負けまくってるのがSIer、技術で勝てないから安さで勝負するために
オフショアに必死になったり、ブラック企業化してプログラマを潰しては、ますます技術力とサヨナラしていってるね
http://anond.hatelabo.jp/20140206172641
普通は「IT系」って企業の一部門だし実際日本でも自動車メーカーやら電機メーカーやらゲーム会社やら内部でプログラマーを雇用して国際的な成果も上げてる企業なんていくらでもあるんですよね。
全くだな。
技術力をもった企業やエンジニアがフィーチャーされるべきなんだが、例えばゲーム屋だと
プロデューサーだのディレクターだのが表に出て学生のあこがれの対象になるし、
他もプロマネが表に出てくる事が多いので、文系職の比重の高さが問題なんでは・・・みたいな方向になるよな
大手でもホンダ、ソニー、日立など、研究部門が成果を上げている、中規模でもデンソーとか良い企業もあるし
小さい会社だと、先日googleに買われたシャフトとか、CADのラティスとか、モーションポートレイトなど、固有技術で食ってる会社もある
いいや、ビッグデータ以外に無人コンビニで売り場を作り込む方法はない。
入店した顧客の全属性データを自動で取って、手足の動きはもちろん、視線の動きも全部取る必要がある。
もちろん、ビッグデータなんて単語が登場する以前から拾ってた天候だの気温だの季節要因だのも拾う。
昼の番組でみのもんた(じゃないや)が何を勧めるのかなんとか、そういう情報も従来通り使う。
だが、客の、購買に至る前の情報を拾わずにコンビニの売り場を作ることは無理で、これを無人化コンビニでやろうと思えばはビッグデータというバズワードが登場してから(あるいはこれから)の自動化手法しか頼れる物はない。
そこまでやってやっと、現在の売り場と同じ精度で売り込む売り場を作れる。
要するに現在ベテラン店員が店先に立って空気感を感じながら接客しながら売り場を作ってるというのはそういうこと。
ベテラン店員(店長・オーナー含む)のスキルを安く買い叩く方が現状では得策であるし、予見しうる将来に逆転する可能性も低い
もちろん上記は嘘だ。
本当は「声かけ」ができないし、手書きポップの威力も大幅ダウンが見込まれるから、「何か」が開発できない限り売り場のパフォーマンスはがた落ち間違い無し。